すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

小説家志望です。


バキ道、九条の大罪の感想を毎週書いてます。


基本的に読み終えた書籍についてはすべて書評のかたちで記事をあげていっています。


ちなみに、読む速度は非常に遅いです。


その他、気になる小説やマンガ、映画など、いろいろ考察しています。


あと、宝塚歌劇が好きです。







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漫画家批評①福満しげゆき


漫画家批評②押切蓮介


漫画家批評③真鍋昌平


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【2019】


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【2018】


・『田舎教師』田山花袋


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・『戦後的思考』加藤典洋


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ウシジマ感想最新(最終章ウシジマくん)



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(闇金ウシジマくん、範馬刃牙は、主に本誌連載の感想を掲載しています)


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第58話/天真爛漫




神心会本部で行われている独歩による模範組手である。

末堂に続き、大会上位入賞3名が挑戦したが、みんなはなしにならないまま終わってしまった。とここで、末堂のナイス煽りもあり、克巳が挑むことになったのである。


武であれ芸であれ術であれ、“道”と語られるものはなんでも、やがては合理化に向かうのが道理だと独歩はいう。道理も理の一種ではあるから、ある意味で“道”は歩み始められたときから合理に支配されていると、暗く受け止めることもできそうだが、それを発見する旅だとも言い換えられるかもしれない。「コツ」とはそういうことだと。極めるとはそういうこと。

そうなってしまえば、相手が誰だろうと何人だろうと「百戦危うからず」だ。

前回はわからなくて適当に済ませてしまったが、調べたらこれは孫子だった。調べるほど、これは数学的帰納法と同じ構造である。要するに、ひとりめを倒したあと、ふたりめを倒すことができるなら、理論的にはさんにんめも倒せることになり、それはどこまでも続く。もちろん、戦況は刻一刻と変化する。しかし、コツとは、それをつかむことなのだ。スタミナが切れてきたら、それに合わせた変化を自身に施し、パターンを守る。必勝の思考法なのである。


克巳はなんか独歩の説教がめんどくさそうにみえるが、克巳ってもともと高慢なキャラクターとして登場して、デザインもそうなってるせいか、いつもそう見える。たぶん尊敬の気持ちは強くあるんだろうけどぜんぜんそう見えない。


開始、克巳がかまえ、かなりゆっくり距離をつめていく。移植した烈海王の右手が前だ。ほぼ眼前にせまるそれを、独歩が無造作になめる。なんかやななめかただな。擬音も「エロ…」となっている。女子部が観戦してたら小さい悲鳴が出そうなねっとりしたなめかただ。

たぶん独歩はあえてねっとりやってる。体育会系育ちがちょっと驚くくらいでなければこれは意味がないからだ。不意打ちすぎて克巳も声を上げて手を引っ込めている。その金的へ、独歩が背足をそっとあてがう。威力はないが一本である。


あまりのことにあっけに取られる道場性の前で、独歩が息吹を披露する。意味はわからないが、なんだろう、まだまだ、体力じゅうぶん、余裕だよみたいなことかな。


じっさい、余力はじゅうぶん、まだやりたいものはいるかと独歩はいう。みんな黒帯とはいえいち道場生に、末堂や克巳が完封されたあとでなにができるのか。もちろん誰も応えない。少し残念そうに独歩は退場、克巳が「お見それしました」の言葉をかけるのだった。



つづく




独歩はあれだな。達人になりすぎてしまって、勝負を成立させない方向に強さの意味が変わってきてしまっているな。内容は異なるけど、たたかいの場にたどりつけなあ渋川の境地に達している。


渋川は護身を極めてそうなったが、事実としてはふたりともだれより強くありたい武術家、強いんだ星人である。この組手内容では、勝利であり、また生還ではあったとしても、強さとして評価することは難しい。いずれ独歩もこれでは満足できないとなるかもしれない。


渋川剛気だけではない。コツについて語る独歩の姿は、理を極めれば速さ等無用みたいなことを言っていたときの郭海皇とかぶってみえた。理とはそもそもなんなのか。たとえば理合とは、一般に、理想的な動きに漸近し、やがて合致することを意味するだろう。そのために技術がある。ここに、まず理想が流派によってまちまちであることと、そこへのアプローチたる技術体系、すなわち解釈もまちまちであることで、スタイルというものが生じる。だが、独歩や、郭や渋川のような達人が語る理は、思想的な意味での理想、もしくは合理、システムのようなものを指しているわけではないように思われる。げんに今回独歩は、合理化が道理だと、そもそもの前提条件に理を忍ばせている。こうした超ベテランたちが、ある種の悟りとともに見出すものでしか感じることもできない摂理のようなものが武術にはあるのである。



そして、おそらく、彼らにとってすら、その理は全貌が明らかではない。それは顔の見えない神のようなものだ。しかしときどき、それの存在が感じられるときがある。彼らはその経験をよりたしかなものにしようと、技を磨く。そうして、彼らはやがて技の内側に理を見つけるようになる。なるほど、こうすればいいのかという発見の積み重ねの先に、少しずつ理は明らかになる。だがそれは存在証明にはならない。信仰者が日々の幸運に神を見出すようなものだ。「コツ」とは、理の全貌を把握することを意味しないのである。


これは考えてみれば別に特殊なことではない。自転車にのるときわたしたちは明らかにつかんだ「コツ」を行使しているが、それは別に、自転車のしくみや物理法則を熟知しているからではない。ただ、それがそこにあることは、少なくともわたしにはわかる。このとき、理が兆す。帰納法やアブダクションなど、思考と経験を結びつけることから物理学は始まったが、科学の初期地点では極めて重要かつ自然な推論方法だ。彼らベテラン武術家はたくさんのことを経験している。そしてそのさきに、なにか網羅的なものを感じ取る。彼らがなぜか「理」という硬度の高い、意味内容がしばられそうな語を使いがちなのかというと、そのアプローチが科学のものとよく似ているからなのだ。


ファイトの際には、とるべき行動はそのときどきで無数に存在する。今回の手をなめるという動作も、これでなければいけないというものではない。だから理とは、その響きとは裏腹に、台本のようなもの、アカシックレコードなのではない。だが独歩らは、あるかないかの「理」があらわれるパターンだけは熟知している。つまり、そのとき、それをするしかないと思われることをただする、それが「コツ」を掴んだという状態なのである。若い道場生にはまったく参考にならない模範組手にはなってしまったが、独歩はたしかに、「コツ」の向こうに範、つまり理を感じているのであり、これは模範のつかまえかたをみせた組手だったのである。









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第57話/余力



神心会本部にて行われている独歩による模範組手、末堂瞬殺に続き実力者3名が挑むことになったがあっという間に最後のひとりである。

当初は一対多という話だったが、独歩の狡知か3名の委縮か、そうはならず、結局1人ずつ戦ってる。3名はそれぞれタイプのちがう空手家だったし、一対多が実現したら勝ち負け以前にそれこそ模範的な組手になったんじゃないかという気がするが、たぶんどうしても勝ちにいっちゃう独歩の武術家精神が出てしまったんだろう。


最後の三段・長谷川丈流は171センチ84キロということで、身長のわりにはけっこう重いが、「速射砲」の異名をもつ軽量級的なファイトをする男だ。1秒間に8連射ということである。


長谷川はいい顔をしている。独歩も、長谷川が腹を括ったことを感じているようだ。まあモブとはいえ神心会なので、パチモンではないわけだ。館長の教えということだが、館長は克巳なんだけど、どっちのこといってますか。


長谷川が右拳で仕掛けるが、異音とともに不発、戸惑い顔ですぐに引く。中段を狙ったようだがじっさいは独歩の右手あたりに伸びている。長谷川じしんも速いせいで、なにが起こったのか克巳以外にはわからない。ちなみに、ここで克巳は「指導員」と呼ばれている。館長も指導中は指導員と呼ばれるのかどうか不明だが、これまでの流れからしていまの館長は独歩なのだと断定してよさそう。


独歩は長谷川の速さやコンビネーションは否定していないようだ。しかし、そもそも拳が武器でない、拳が豆腐のようであると。長谷川の右手が破壊されている。コンビネーションの出鼻として、ある意味不用意に放たれた拳を、独歩が拳で粉砕したのである。


すでに戦意喪失している長谷川の前に立った克巳が、巻藁の部位鍛錬から、いちからはじめるよう示唆する。長谷川が下がってから、結果3対1の組手は弱いものいじめになってしまったと克巳はいう。うん…、でもこれは、3対1ではなく、組手を3回やっただけだよな? 最初はたしかに囲んでいたけどぜんぜん同時にいかないし…。むしろ責めるべきはそこじゃないかな。


だったらと、意識を取り戻して壁にもたれて座っている末堂がいう。克巳が模範を示せばよい。これは、この場では末堂しかいえない感じのことなので、よくやったようにおもう。


克巳はすぐにやる気になってくれた。独歩は、なんならここにいる全員とでもたたかうつもりであるが、自分と立ち合ったあとそんな余力があるかと克巳が煽り返す。合理を極めれば100対1も危うからずと、独歩も負けないのだった。



つづく



そうだった、刃牙らへんはこういう組み合わせを楽しむ作品だった。ピクル戦の前とか、本気なのかよくわからないような状況で軽く接触するようなことはこれまでもあったが、正面から組手、克巳いわく「立ち合い」をするのは初めてのことである。


当初克巳は、空手を終わらせた男として登場した。最強をうたう格闘団体の長である独歩が勇次郎に負けたタイミングで最大トーナメントをやることになり、組織としてとっておきを出さなければならないと考えた独歩が、いちばん強いやつとして、自分とは別に養子の克巳を出場させたのである。そのころは、またいまも部分的には、克巳は独歩を超える空手家だった。才能やセンスという意味ではじっさいそうなのだろう。だが両者が戦っていつでも克巳が勝つのかというとよくわからない感じがあった。なんというか、ややこしいのである。まず克巳はお調子者のお坊ちゃんだから、ピクル戦まではろくにその才能をいかせていなかった。他方で独歩は、空手家として誰より強くあろうとしながら、神心会として克巳を最強にしなければいけないみたいなぶぶんも少なからずあるようである。しかもそれは息子なのだ。さらに克巳はまだ若く、独歩は百戦錬磨という言葉がこれほど似合う人物もいないというキャラクターである。なんというか、どう比較すればよいのかよくわからなかったのだ。


しかしピクル戦を経て克巳はようやくじしんの才能に追いつき、完成した。いまの克巳こそが、登場当初の独歩による評価にふさわしいのである。たぶん独歩は、まさしく親が子を見るその見方で、未来の、完成した克巳を幻視していたのだろうなと感じる。


そして、そういうことなら、独歩だって本気を出せるはずだ。未来を幻視する親、もしくは指導者としてではなく、正真正銘、100パーセント空手家として向き合えるはずなのである。



合理性のくだりは、なにかの引用かな。吉岡一門とのたたかいなどで武蔵が言ってそうだが、わからない。合理的にひとりを倒せるなら、ふたりめも倒せる。とするなら3人目も。そうして、ひとりでも100人を倒せるという、数学的帰納法のような考え方である。現実には、体力の問題や、100人という規模を合理性の内側に回収することじたいの困難があるので、そううまくはいかないが、理論としてはありえるものだ。ドリアンもこの詭弁的論法で神心会を黙らせていたな。いくら神心会が大勢集まっても、彼らは1対1でしかたたかうことができない。そしてひとりでドリアンに勝てるものはいない。したがって彼らが勝つことはない。あのくらいベテランになると、そういうハッタリもまた強さの範疇なのである。


末堂はイメージ斬りで、竹、三島は距離の見誤りによる透明化で、長谷川は拳粉砕で、それぞれ最小限の動きで、独歩は彼らを倒した。多数戦を意図してのこともあるだろうが、共通点としては、すべて相手の独歩にかんする認識を利用しているということはある。イメージ斬りは末堂のほうにそれをイメージできるだけの実力が備わっていなければならないが、いずれにせよ彼の思考に手を加えたものである。透明化は、いつどんなときも前進するという独歩のファイトスタイルがある種非合理的すぎて距離を見誤るために起こる。長谷川は、おそらく試合巧者であるから、いつもの勝ちパターン的に動いたところを砕かれた。こんな攻撃は試合にはないからだ。こういうふうに、独歩は洞察力にも優れているのである。相手の弱いところをじぶんの強いところで叩くというのはファイトの基本だが、独歩は認識面でもそういうことができてしまうのである。果たして独歩は、克巳に見誤らせることができるだろうか? たぶん体力では克巳が上回ると思われる。だから独歩は認識面で克巳をコントロールしたいはずだ。模範組手ということもある。しかしいまの克巳に精神的死角があるのか。そういう意味では、今回の合理のくだりから、すでにたたかいが始まっている可能性があるのである。




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第134審/日常の犯罪⑰




タイに潜伏中の菅原と壬生がもぐもぐデートである。

壬生はタイにも知人がいるらしく、菅原はそれが少し引っかかったようだが、ふつうに仕事に使えるからいつか紹介するつもりらしく、あやしいはなしではないっぽい。壬生が九条に電話だ。


九条は運転中。助手席の烏丸と、例の「日本一のたこ焼き屋」のはなしをしている。隣に「世界一のタコス屋」ができたらしい。このはなしは、定義が曖昧なまま、なんなら空語のまま、それを拒むか、存在としてとにかく認めてしまうかという点で、蔵人の排中律的ロゴスと九条の星の王子さまスタイルのパトスの、対立として読み取ることができた。烏丸もタイプとしては蔵人側なのだが、「だからこそ九条に魅力を感じる」のが彼である。

これまで「日本一のたこ焼き屋」は九条や烏丸のなかに葛藤があるとき出現することが多かった。言葉による「定義」とは、ある種の抽象であり、したがって捨象が行われているからだ。運転中に壬生からの電話が鳴り、目的地の警察署についてから九条が電話に出ているが、烏丸はなにをおもうか。


曽我部は井出と大麻部屋から出てきたところを嵐山に捕まり、取り調べを受けている。テレグラムでの買い手らとのやりとりはきちんと消してきたが、警察が解析すればわかってしまうらしい。大麻部屋はのらが指示をした髭鼠の行動でからっぽだったが、思わせぶりにカメラもある。そして買い手の証言もあるらしい。物証はないわけだが、嵐山はおどしもこめて言っているから、現在の曽我部のほんとうのまずさはいまいちわからない。嵐山の目的は黒幕、要するにのらだ。カメラからたどれないのかなという気もするが、まだ嵐山はなにもつかんでいないらしい。突き上げ捜査とやらで買い手からたどり、売人の曽我部までたどりついた、リーダーまであと一歩、という段階だ。


カンモクは証拠がないときに有効な戦略だ。逃げ場はないと嵐山はいうが、現実どうなのだろう。まだなにかたりなくてカンモクされると困るのか、それとも黒幕をつきとめるために取引するつもりなのか? ともかく嵐山は、曽我部の人物を知ってもいる。出所したばかりで、また捕まっていいのかと、複雑な思考が苦手な曽我部を攻めていく。

嵐山は、今回押収した、曽我部が刑務所で書いていた日記みたいなノートも読み込んでいる。曽我部を落とすためだ。そこには、行きたいところ、食べたいものがたくさん書いてある。そこには「二度と悪い事しない。起こさない。」という宣言もみえる。お前は悪いやつじゃない、ひとの悪意を読み取れないからすぐ信用して利用される、それだけだと。しかし、曽我部は、カンモクの一環か、とにかくわからないを貫く。金本に五十音言えと言われてまず五十音がわからなかったと、こんなところにも金本が出てくる。戦略としても、金本の呪いの強さがわかる。


嵐山的には、曽我部は頑固だが口を割ったことがあるからもう少しという感覚だ。しかし厄介なのは九条だ。九条はやはりカンモクを指示している。ということは、証拠も決定打にはなっていないということかな。


曽我部はとにかくのらと娘を心配しているらしい。だから口を割ることはできないと。しかし曽我部は再犯で、実刑は避けられない。少しでも刑を軽くするために、九条はのらのことを正直にはなすよう、指示を変える。このとき、九条はのらの住まいを知っているかと訊ねている。キャラ弁を届けたから曽我部は知っている。九条はそれを聞いてカンモクから指示を変えているのだ。のらが捕まるのもしかたないと。たんに嵐山に伝えるための住所を知ってるか?という事だろうか。



曽我部はしゃべったらしい。買い物帰りののらを嵐山らが捕まえる。家で待つ娘のご飯を買ってきたところだが、帰ることはできない。じゃあと、のらは九条を呼ぶようにいうのだった。



つづく



ああ…いやな展開だ…

のらが九条を呼んだとして、九条が仕事を受けることは可能だろうか。ポイントは利益相反だが、どうだろう、相反という状況でもないのかなという気もする。それに、曽我部にのらを告発させる九条ものらの状況をもちろん知っている。たしかに九条はそんなのらの事情を完全に無視することもできる人間だが、今回はどうだろう。


少し考えられるのは、のらの事情を知っていればこそ、彼女が犯罪者であることが引っかかるのではないかということだ。それは和解前の烏丸母も言っていたし、それは正論でもあった。九条は、弁護を引き受けるにしても、のらに犯罪から足を洗わせ、罪を清算させようとしているのかもしれない。


しかし、のらが黒幕であることはもともとわかっていたことだ。なぜ九条はいまこの指示をするのか。以上のような考えがあるのだとしても、それなら曽我部にはカンモクの指示の前にこのことをいいそうである。それが、曽我部の葛藤を聞いてから急にそうなっているのだ。

理由と思われるものは住まいについてのやりとりしかない。ただ「のらさん」だけでは嵐山も捕まえられない。でも住まいがわかるならはなしは別だと。曽我部は苦しそうにしているし、嵐山も取引をする気はありそうだ。そういうことを、とりあえず曽我部がカンモクしているあいだに見てとった。そこで、少しでも曽我部の誠実さを示すために、こういう運びになったのだろう。


「日本一のたこ焼き屋」は判断にくもりが生じそうなときや、特に九条と烏丸で見解がわかれそうなとき、またたんに烏丸が九条を心配しているときなどにこれまで出現してきた。それは、言葉による「定義」のとりこぼしを体現するようなエピソードだからである。「日本一」の含意は、たこ焼き大会みたいなもので優勝したという事実を示すものかもしれないし、「おいしい」ということについてのおおげさな表現かもしれない。もっといえばこれはなにが日本一か書かれていないので「日本一小さい」のかもしれない。そのコノテーションはあまり重要ではない。問題はそのように名指されたものをどう受け取るかである。「日本一」の含意はともかく、これを言葉のままに受け取るということは、論理的にはそのたこ焼きが「非日本一ではない」と受け取るということなのである。

だがこの言葉の論理的性質を正面から受け取るばかりが人間ではない。「日本一」でもないし「非日本一」でもないたこ焼きも存在しうる。なぜなら、言葉は主観と客観のあわいにたゆたうものだからだ。恋人の作ったたこ焼きはどちらかにあてはまるだろうか。全日本たこ焼き大会に出場しない地元の超うまいたこ焼き屋は非日本一だろうか。そうして、わたしたちは主観と客観の「落とし所」を瞬間的に見定めてふだんから会話をしているのである。


しかし法律文書はそうあってはならない。日によって、ときによって、ひとによって解釈がわかれてしまっては法治は実現しない。だから法的思考は論理的になる。排中律になる。そしてその権化が蔵人というわけである。

だが、その言葉による定義も万能ではない。言葉の定義もまた言葉によって行われているからである。だから、どこかでわたしたちは、幻想としての公理にたよることにはなる。それは悪いことではないだろう。そんなことにいつまでもこだわっていたら社会生活が成り立たない。しかし取りこぼしは起こる。そして、「どこかで幻想にぶつかる」ことを自覚しないままでいるものには、この取りこぼしじたいが目に入らない。九条はそれを拾うもの、というわけである。九条にとっては、言葉の前に世界がある。内実がある。だから、味の検証というはなしになる。これは、言葉が差異でもって世界の凹凸を生み出すソシュール的言語観以前の、人間がすでにあるものを名付ける、創世記的な世界観に近いが、現前する世界に直面する弁護士としては自然な哲学なのだ。


そして、カフカの『城』みたいに、このたこ焼き屋に彼らがなかなかたどり着けないのも象徴的だ。九条も蔵人もスタイルとしてどちらにも理由がある。その道の探究、たこ焼き屋への漸近が、この仕事の使命なのだろう。







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2022年末までは、観た映画や読んだ本を数え、振り返るのと同じく、筋トレについてもまとめ記事を書いていた。前回書かなかった、くらいの気持ちでいたが、3年前である…

どうしてやらなくなったかというと、別に記録をやめたわけではなく、「書く時間がなかった」がいちばんなのだが、いつかも書いたように、別に年末にこだわらなければいつでも書けたはずだし、もっといえばそもそも読書や映画の記事だって「書く時間がなかった」状況でなんとかひねり出しているのである。

どうしてそうならないのか? それはたぶん、成長が感じられないからである。もちろん、トレーニングそのものには長けていっている。からだが大きくなっている感覚もある。しかし、まとめ記事を書くにあたって体重を測ったり身体の各部を調べたりすると、ほとんど変化がない、なんなら小さくなっているのである。たぶん、無意識にだが、それに直面したくないのだ。


なぜ大きくならないのか…。ひとつにはもちろん、自重だからだろう。ぼくの現在のトレーニングは『プリズナートレーニング』のポール・ウェイドにしたがうものだ。




プリズナートレーニング、正確にはコンヴィクト・コンディショニング(CC)は、筋肉どうしの連携とそれがもたらす出力を重視するが、ウェイドによれば筋肥大も可能である。ぼくも実感としてはそれを理解している。だが、分離エクササイズであるウェイトトレーニングと比較したら、筋肥大という面に限れば、おそらく効率は悪いのだろう。筋トレ者はみんなそうだが、キツいのはまったくかまわない。からだも、たぶん長い時間をかけて彫琢され、雪がつもるようにゆっくり大きくなっている。しかし、目に見えてはわからない。それがモチベーションをそぐ可能性を、ぼくはどこかで気がついているのである。がんばったのに成績があがらない、売上がついてこない、そういうのと同じ、一般的な感覚である。ふつう、それが勉強や仕事なら、やりかたが間違っているのでは、というはなしになるが、自重トレは時間がかかるものだし、個人差もある。ぼくは太ってはいないが、自覚できないレベルの脂肪が同時に落ちているだけなのかもしれない。またその「やりかた」にしても、完全に、完璧に、ポール・ウェイドに見せてサムズアップとともに「いいね❤️」がもらえるくらい禁欲的かつ正確にトレーニングができているのかという自問に、ぐっと黙ってしまうぶぶんはあるのである。


しかし、2025年は、計測以外の面で目に見えてわかる成果を得た年だった。アンイーブン・プルアップ、また片手エクササイズへの移行である。そういうわけなので、計測とともにまたいちからやっていこうと考えたしだいである。ただ、計測は、首とかふくらはぎまで測っていたのをやめて、簡略化しようとはおもう。



直近の記事は以下↓




ともあれ、からだの各部位を測っておく。左側が左。



・体重 67(身長 171.9)

・胸囲 105

・前腕   30 29

・上腕   35 35

・大腿 51 51



忘年会でお腹壊して、この3,4日あまりものを食べれていなかったのだが、それで67キロあるならじゅうぶんかも。

まあ小さなからだだが、ここまで左右差が狭まることもいままでなかったようにおもう。アンイーブン・プルアップの左右差が気になっていたが、うまくできているようだ。思ったよりよい結果でよかった。毎月やろうかな…



上の記事にくわしく書いたとおり、2025年はアンイーブン・プルアップができるようになった年だ。9月くらいだったかな…。片手でぶらさがり、もういっぽうの手で手首をつかんで補助とし、プルアップをする。バーをつかんでいる手のグリップには片手プルアップと同じだけ、つまり全体重の負荷がかかるが、背中や腕に関しては手首を掴んでいる手にある程度分散される。ただ、前も書いたが、このちからの分散をコントロールすることが難しく、特に後半のセットでは手首をつかむちからが強く、あるいは弱くなりすぎてしまい、消耗が不均衡になるから、あまりこの種目に長居すべきではないとも感じている。あくまでブリッジ、片手でからだを上げるためのグリップや肩帯を育むための準備だと考えたほうが良さそうだ。


しかし、とはいえ、達成感は相当なものだった。前にくわしく書いたように一筋縄ではいかないものだが、なかなか成長が見られないなかでようやくここまでこれたと実感できたのである。


現状では、1セット目にぎりぎり10回できるかな…という感じである。昨日は、左から始めて、左が80点くらいのフォームで10回、右が8回くらいで限界がきて残り2回をチートでやった感じ。2セット目は各5回くらいだったかな。この手の片手片足エクササイズは、弱いほう、不得意なほうから始めて、そちらに回数を合わせないとからだが不均衡になる。だがアンイーブン・プルアップは完全には片手ではないため、「弱いほう」をはっきり確定できないのが悩ましい。左から始めても、手首をつかむ右手を使っていないわけではないし、心拍数的な意味での消耗もある。いまのところまでの観察では、結局どちらから始めても、最初にやった側がいい数字になっているようである。今年の目標は、どちらからはじめても各10回、2セットできるようになることだ。この感じならおそらく最初のセットで13回できる筋力がつけば、1セット目で左右10回は達成できる。そこからさらに2セット目で同じことをするためには、いま5回だとしたら倍だから、最初のセットで20回できなければいけなくなるが、それはまず1セット目各10が達成できてから考えよう。インターバルのとりかたも研究していかなければならない。いまは、寒いし、時間節約のためもあり、かなり積極的にスーパーセットでディップスやバーを使った易しいタイガーベントをやってインターバルを短縮しているが(ボーっとしてるとすぐ冷えてしまう)、これらも分離エクササイズではなく、二頭筋や背中をいっさい使わないというものではないので、死角なしというわけにはいかず、スーパーセットとはアイソレーションとセットの思考法だよなあ、などと息を切らしながらいつも考えている。長い道のりになるな…


こういうわけで、公園でプルアップをやる日は必ず同セットのディップスやタイガーベントをやっているので、いまはもう胸や腕単独の日というものがない。公園トレは通常のプルプルアップやホリゾンタル・プル、そしてディップスで背中と胸を鍛える日と、アンイーブン・プルアップとクローズ・プルアップ、それに擬似タイガーベントで腕を鍛える日、それにハンギングでグリップと肩帯、それから逆さまになってシュラッグをやる日の3通りになる。そのあいまに、ハンドスタンドの日と首の日が入る感じだ。プッシュアップはいまはほとんどやっていない。公園トレは雨などに左右されることもあるし、忙しくてできないときもある。そういうとき、ダンベルを使ったあっさりめの背中や腕トレに混ぜ込んでやるくらいだ。


そして今年からは、本格的なウォーミングアップも考えた。アンイーブン・プルアップでは、ジムで重量を使わない人間には未知の負荷がかかっている。要するに、いままでにないくらい力んでいる。そのせいで激しい頭痛に襲われることが何度かあったのだ。なんというか、わずかに生命の危機を感じる痛みだった。ウォーミングアップは、しないわけではなかったが、そこであまり消耗したくないという気持ちもあって、なかなか本腰を入れられなかった。しかし、いろいろ試してみて、やりかたしだいではほぼ影響がないことがわかったので、いまはもう抵抗がない。メニューとしては


①プル系10回
②プッシュ系10回
③スクワット系10回
④カーフレイズ10


これを延々と繰り返す。だいたい8セットくらいやるかな。最初は足をついたプルアップにバーを使ったプッシュアップ、フルスクワット、というようにはじめて、少しずつ難しくしたり、変化をつけたりする。手を近づけたり、浅いホリゾンタルプルをやったり、スクワットなら負担にならない程度に、バーをつかんでシシースクワットやピストルスクワットを5回にしたりとか、飽きないように気をつけつつ、全身くまなく動かす。特に、いまは寒さが問題なので、スクワットはかなり効果的だ。


またあわせてネックウォーマーも購入した。


↓これだな



筋肉もだが、とにかく首、そしてあたまを冷やさないことである。これだけでだいぶ楽になった。昨日のトレーニング中は雪がふるくらい冷えて、最後の追い込み(かんたんなプル動作で限界まで)までできなかったが、とりあえず頭痛はなかった。

寒さに関しては、ニット帽と、グリップに影響しない手袋的なものも必要かもしれない。とにかく頭が冷える。知らず髪の毛のなかに汗をためてるからだ。手袋は、軍手がいくつかあるのだが、滑り止めがついているためにグリップを補助してしまい、トレーニングにならないのでやめたのだが、昨日のようにあまりに寒いときは最後まで指があたたまらない。かと言って滑り止めなしの手袋ではフルパワーが出せないし、悩みどころだ。



で、公園トレは3回あるわけで、つまりこの全身動かすウォーミングアップも3回やることになる。だからいまはスクワットの日もぜんぜんない。こんなやりかたでは筋肥大はしないが、全ルーティンのなかで3回も、スクワットを計80回くらいやる日があるのだし、とりあえずはこれでいいかなと。現状維持、また関節の健康保持のためにはこれでじゅうぶんだ。


だから、ぼくのいまのトレーニングプログラムは以下のようになっている。



・月曜 背中・胸の日

プルアップ、アーチャープルアップ、ボリゾンタルプル、タオルプル、ディップス、インクライン・プッシュアップ

・火曜 首の日

ネックブリッジ

・水曜 休み

・木曜 ハンギングの日

片手ハングなど複数種目、片手フレックスハング+ネガティブ動作の練習、ボディウェイト・シュラッグ

・金曜 ハンドスタンドの日

ハンドスタンドプレス

・土曜 腕の日

アンイーブン・プルアップ、クローズ・プルアップ、クローズ・ホリゾンタルプル、タイガーベント

・日曜 休み

・月曜 休み

・火曜 背中・胸の日



こういうふうに、計画的にやると8日かかる。だが、最後不自然に2日休みがあるのをみるとわかるが、公園トレ間に2日はとるようにしているものの、仕事の都合などでできないことがわかったら縮めてしまったり、いろいろだ。そこはからだと相談である。またいまレッグレイズやブリッジもあまりできていないので、首の、ネックブリッジのときにやったり、休みの日に物足りなければそれこそあまりやっていないプッシュアップと合わせて全身やったり、とにかく中心は公園トレで、それを起点に柔軟にやっている。


ちょっと書いたが、片手フレックスハング…片手プルアップのトップポジションで停止する…と、そこからなるべくゆっくり降りるネガティブ動作は、いまはまだまだだし時間も割いていないが、今後重要になってくると思われる。いまはとにかく、はやめにアンイーブン・プルアップから卒業することだ。



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今年もよろしくお願いします。



朝イチで本が届いていた。Amazonでぼこぼこ本を買う人間なので、この何日かは注文してない気がするけど、たぶん出版社注文とかになって遅れてたやつかな?という感覚で開封するとギフトである。ほしい物リストからのお年玉であった。くださったかた、ほんとうにありがとう…!年始からしっかり読書欲高まっていい感じです。そしてこれは…、もちろんじぶんでリストに入れたやつなのだが、ぼくが読まなきゃいけないやつだ。今年もがんばるぞ!







年越しは相方の家で2355。ぼくは年越しの感じがとても好きだ。来年もがんばろうというあたたかな言葉や気分もいいし、そんなかんたんに去年のことを置いていけるわけはないのに置いてくる気持ちになる人類の現金さみたいのも最高である。そして、本編には興味はないのだが、紅白が蛍の光で終わり、喧騒が去り、ゆく年くる年のあの厳かな空気に切り替わるのとかもう、ちょっと鳥肌が立つくらい好きなのである。

ぼくはテレビがないので、相方の家にいるときは(年越しにいないことはまずないが)たいがい23時40分くらいから紅白をかけて、その感じを味わうためだけにテレビをみる。だから、興味はなくとも、少しでも大トリの盛り上がりや採点なんかをみているのが望ましい。そいで、ゆく年くる年をしばらくみたあと、2355をかけ(2355はふつうによくみる番組である)、新年を迎えるのである。


その、23時30分過ぎくらいまでは何をしているかというと、映画みたりWWEみたりいろいろだが、今回は狩野英孝のバイオハザード実況をみていた…。じぶんでも大晦日に何やってるんだかよくわかんなくなっていたが、2時間くらい見てしまった。そういえば4ってリメイクされたんだよな、プレイ動画ないかなと、ちょっと探してみて気づいたら2時間経っていた。






で、ゲーム実況で思い出したんだけど、去年の振り返りで書き漏れがあることに気がついた。ポピープレイタイムを筆頭に、インディー系のマスコットホラーのゲーム実況にハマっていたのである。厳密には、ハマっていたのは相方で、影響を受けて好きになった感じだ。

とりわけポピープレイタイムである。もし聞いたことがないとしても、ハギーワギーなどのキャラクターはきっと見たことがあるとおもう。謎要素や重厚なストーリーにやられ、ポピーちゃんやヤーナビー、ナイトメア・クリッターズのたまらないかわいさにからめとられ、ドーイ・ザ・ドーマンの高い文学性にとどめをさされてしまった。





こう書くとたくさんのゲーム実況をみているようだが、そういうはなしではない。いろいろ考察を探すのに参考にするかたはいるが、基本的にはコロンボさんという実況者のものばかりである。

YouTubeは児童もアクセスできるから、基本的にはそういうつくりになっており、コロンボさんじしん、おはスタに出演するくらいの圧倒的人当たりと好感度だが、もちろん大人にもおもしろい。あとたぶん、キュートなひとなので、ママからの人気もかなりありそう。いつも動画の最後で、主に児童から寄せられたイラストを見せてくれるのだが、どれもかわいくてたまらない。たいがいのイラストでは、ハギーやバンバンとコロンボさんが並列に、同じくらいの大きさで描かれているのが印象深い。子どもたちにはコロンボさんも「ハギー側のひと」なのだなということがよくわかるのである。

さらに、お友達がやってるのかなんなのか、「コロチー」というキャラクターとコロンボさんランドのチャンネルも運営しており、こちらもよくみている。








おふたりのおかげで、ポピプレやバンバン、ロブロックスなど、プレイしてるつもりになれるくらい親しんでいる。それからアメイジング・デジタル・サーカスね…。また新しい世界を開いてしまった…という感じである。アメデジはYouTubeでアニメ見れるよ。ポムニ大好き。






リンクが多くなってしまった。

今年の読書目標は、おととしの9冊から、12、20と順調に戻っているから、30を目標にしようかな。お年玉ももらったことだし…


筋トレについては別で記事を書きたいが、書けないかもしれないので、自分宛に目標だけ立てとくと、ともかくアンイーブン・プルアップを10回ずつ2セットの達成かなとおもう。この種目は、左右均等に消耗させることが難しく、あまり長居しないほうがいいと感じている。この種目ではやくグリップと肩帯、上腕二頭筋をまともなものにして、いまも少しやっているが、純粋な片手プルアップのネガティブ動作を中心に持っていきたい。


とりあえずここまで。今年もがんばりましょう。








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