すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

小説家志望です。


バキ道、九条の大罪の感想を毎週書いてます。


基本的に読み終えた書籍についてはすべて書評のかたちで記事をあげていっています。


ちなみに、読む速度は非常に遅いです。


その他、気になる小説やマンガ、映画など、いろいろ考察しています。


あと、宝塚歌劇が好きです。







原則リンクフリーですが、コメントなどを通して一言ありますとうれしいです。







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漫画家批評①福満しげゆき


漫画家批評②押切蓮介


漫画家批評③真鍋昌平


漫画家批評④板垣恵介


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【2020】


・『店長がバカすぎて』早見和真


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・『近代立憲主義と他者』江藤祥平


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【2019】


・『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ


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・『言語接触』嶋田珠巳ほか


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【2018】


・『田舎教師』田山花袋


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・『戦後的思考』加藤典洋


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バキ感想最新・バキ道


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ウシジマ感想最新(最終章ウシジマくん)



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※週刊連載の感想は発売日翌日以降の更新です(現在、特に更新期限は定めずにやっていますので、ご了承ください)。




記事の内容によってはネタバレをしています。ご注意ください。


(闇金ウシジマくん、範馬刃牙は、主に本誌連載の感想を掲載しています)


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第29話/近代格闘技




ジャック・ハンマーとピクルの再戦、反則スタートから、まずはジャックの猛烈な打撃が決まりまくる。ジャブと呼ぶには強烈すぎる左ストレート、噛み付こうとするピクルの顔面にカウンター、そして左のハイキック、すべて一撃必殺のすごみをもった技だ。それらをすべて直撃されながら、倒れないばかりか、ピクルは笑うのだった。以前の条件のままなら、まだ泣いたり四足歩行になったりしてないので、楽しいという段階のようだが、最初のたたかいのとき、ジャックは2発でピクルの本気を引き出していた。いまがあのときより打撃面で弱いとは、描写的にもちょっとおもえないので、ピクルのほうで条件が変わってきているとみたほうがいいだろう。とにかく強い相手が好きなのだ。そして、もしかすると、「だからといって殺さなくていい、食わなくていい」ということを学習しつつあるのかもしれない。それなら、泣くこともないのだから。武蔵は言ってもわからなかったが、ピクルが言わなくても理解しつつあるというのなら、なかなか興味深い。

 

巨大な建物のようなサイズの相手ばかりだった白亜紀の時代に、ピクルはせいぜいゴリラ程度の体躯で食物連鎖の頂点に立っていた。少なくとも頂点に立つものと互角だった。243センチのジャックは人類としては破格のサイズだが
、ピクルがたたかっていた相手を考えればなんということのない小ささだ。その拳は、果たして白亜紀の牙や爪を上回るのか? 
だが、ジャックはここで恐竜ごっこをしているのではない。彼が見につけているのは近代格闘技である。牙も爪も、対人間用に進化した武器ではない。そしてピクルは人間である。それなら、格闘技の技が、ピクルに対するときだけ、
恐竜の攻撃を上回ってもいいはずだ。
ジャックがピクルの髪の毛をわしずかみにして膝蹴りを顔の中央に打ち込む。つかみ、非常にせまいポイントを正確に突くと、これだけでも恐竜にはできなかったことだろう。いや、つかむやつはいたのかな・・・。
髪の毛をつかんでピクルの向きをコントロールしたジャックは、彼の後ろをとり、腹で手をロック、ジャーマン・スープレックスである。これはダメージがあるようだ。脳震盪系のダメージは、首の太いピクルには通りにくいということもるが、たしか以前もかなり困惑していたはずだ。あまり経験がないのである。


わずかに停止していたであろうピクルのマウントをとったジャックが、手技最強といわれる鉄槌をくりだすのであった。



つづく

 

 


以前から考えられていたことで、ピクルにとっても新鮮さがあるはなしでもないが、人間にできて恐竜にできないことはたくさんあり、そしてそのなかでも人間体型のピクルだからこそ通じる技というのはあるわけである。マウントをとって鉄槌というのは、いかにも同じくらいのサイズのものどうしで発生しそうな技だ。同じくらいの大きさの恐竜に乗られて、牙や爪で攻められることはあったろうが、拳くらいの小ささのものが、コンパクトに、すばやく、くりかえし顔の中央に点の攻撃をしてくるということは未体験だろう。ピクルじしんがそういう攻撃をしてきたということはあるだろうが、相手が同程度以上の大きさでマウントポジションを維持するというのは、なにかのひょうしに思いついたからできるというものではない。技術なのだ。ピクルは、鉄槌に加えて、吸い付いて離れないジャックのマウントにも驚くかもしれない。

 


そして、恐竜ができるなら、ジャックにも嚙みつきはできる。マウントポジションの肝は、相手をコントロールすることにある。あんなふうに自由を奪われれば、プロでなくても、すさまじいちからを発揮してがむしゃらに動くし、そういうときのがむしゃらさというのは生半可な技術を無効にしてしまう。ただ乗っかっているだけではすぐに体勢が崩れてしまうのだ。ピクルくらいの体力があればなおさらだろう。非常に荒々しく、予測できない動きの連続のなかで、それでもマウントポジションを維持するためには、相手の動きを制圧するポイントのようなものを見抜いていかなければならない。握手だけで相手のヒザを地面につける渋川剛気の技術にも似て、複雑に入り組むベクトルの要所を即座に見抜いていかなければならない。こうした繊細さは、優れた点を強固にすることでサバイブしていく進化論的な発想にはないだろう。これは、相手がいて初めて成り立つものなのだ。ジャックにはもともとそういう技術はあったろうが、わざわざここで「人類」という大きな主語でもって格闘技術を論じるからには、そこに心がわりがあったということである。たんにじぶんを強化していくだけのありかたから、相手の存在を想定したうえで「技術」を身につけ、行使する、これは嚙道を修めたジャックでなければなかった発想なのだ。そこに嚙みつきは練りこまれる。強さの比較はとりあえずしないとして、あのポジションでも恐竜からの嚙みつきということはあったかもしれない。しかしジャックのそれは、「すべてを噛み砕く」というようなものでは、もうない。相手の出方込みで、コミュニケーションの内側に、ひとつの選択肢として挿入されるものなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第108審/生命の値段⑰



白栖医院長が相楽弁護士を呼び出しているのだが、その場所は彼のいちばん安
らげる場所、例のSMのプレイルームである。さらし台から手と顔だけ出して
蹲踞している感じだ。でもこの状態だと手は自由に出し入れできるような気が
・・・。まあ、じぶんでちょっとたわむれてやってみているだけなんだろう。
ロックしてくれるひとがいないもんな。そうか、SMはひとりでは完結しない
んだな。
近くにはうな重が置いてあり、以前からいっていたのが食べれるようになった
ということがわかる。そのことは相楽も知っていたらしい。
相楽は興味なさそうだが、少し丸くなったように感じられる白栖は、むかしば
なしをはじめる。
不起訴になったら引退するという白栖の、現在の人格は、母を病気でなくして
からできたものらしい。彼が小学生のときに、地域に適切な医療を受けられる
病院がなかったために亡くなってしまったのだ。彼の地物とが鰻の名産地で、
貧しい彼はそれを焼いたにおいをかいだことしかなく、それがいまの鰻への執
着につながっているという。
そのころの記憶が、現在の彼に、誰もが質の高い医療を受けることのできる社
会をつくらせようとした。たしかに、彼の経営している病院は、情報の非対称
性を利用して不必要に通院させたり治療したり、あるいは詐欺まがいのことを
してお金をせしめたりということはあっても、富裕層しかこれないという病院
ではなかった。薄利多売で利益をさらに巨大に病院を保持しようとした結果が
、ああした行動だったということだろう。
相楽が、天国でお母様も・・・みたいな、いってもいわなくてもいいようなこ
とをいっているところに、九条が現れる。この部屋のこの状況でなんか手をふ
きながら出てこないでよ。トイレにいっていただけらしい。鰻の差し入れは、
池尾から聞いた九条が持ってきたものだ。射場と池尾から九条のはなしを聞い
た白栖が、不起訴になったの九条のおかげだと考え、呼び出したのである。
相楽の指示、というか白栖と相楽の当初の考えは、池尾に罪をすべてかぶせよ
うというものだったが、もしそうしていたら、上層部も引き続き疑われること
になっていたと、木馬にのりながら九条がいう。罪としてあつかわれなくても
、管理能力に問題ありとはなるだろう。それでは経営も長続きしない。今回は
池尾がカンモクしたから不起訴になったのだと。それも、20日以内に決定的
な証拠が見つからなかったからだ。見つかっていたら、カンモクしていても意
味はない。結果オーライかもしれないが、そうであってもとりあえずカンモク
して事態を保留することには意味があるのだろう。
そういうわけで白栖は相楽との契約を破棄したい。ひょっとするとそういうこ
とをいわれるかもということを、相楽は予期していたのかもしれない。特に同
様することなく、白栖はもう部外者で、次の経営者が決めることだという。
木馬は座りごこち最悪だが、その痛みが生きてる実感につながる、などと話し
ながら、次期医院長の正孝は九条を嫌っているし、こんな大きな病院の顧問は
荷が重いと九条はいう。そのとおり、じぶんと九条では格が違う、という相楽
のことばを、九条は考え方が違うと言い換える。

 

「文化的価値を壊してでも利益化する弁護士と、
文化的価値を全力で守る弁護士は全然違う。
まあ世間的に評価されるのは相楽先生なのでしょう」



相楽は別にそのことを否定はしない。拝金主義でけっこうというタイプなのだ

相楽が去っていったあとで、白栖が九条に相談があるとする。正孝が急患の手
術で失敗し、患者が亡くなってしまったのだ。激怒した遺族が裁判にすると訴
えてきている、なんとか助けてくれないかと。

 



つづく

 



小学生の一件で毛嫌いしつつもどこか考え方に似たところのある正孝が、九条
に救われるという展開になるようである。
九条がかかわる以上、それは法的観点からということになるが、新病院につい
て正孝がどういうつもりでいるのかというのがまったく描かれていないので、
現在正孝が、特に九条(弁護士)とのやりとりでどのような考えになるのかとい
うことも、まったくわからない。新病院はスーパードクター正孝を中心にして
・・・ということで、今回の白栖の言い方からしても、経営者は別にいるよう
である。とすると、医院長ではないのかもしれない。だがこの病院は富裕層を
ターゲットにした、患者を「創出」するイノベーティブ型の病院である。正孝
はそれをどうおもっているのだろうか。
改めて正孝の言い分を読み返してみると、彼の思想の核にあるものは、ひとの
尊厳のようなものだということがわかる。だから、病院経営のセオリーに則っ
た延命措置に反対する。それが直接に安楽死へとつながるものではないが、明
らかにそれを示唆する言動もみられる。だがそれも、命の尊厳のようなものに
向き合っているからこそだ。
これまで、「生命の値段」の登場人物を「対応」型、「創出」型に分類してき
た。正孝はたしかに「対応」型であり、患者を創出するような病院経営のしか
たには不満だった。けれども、そこにはなにか、批判思想的なものも見えた。
たしかな理念があるというより、父親の経営を批判するものとして培われた哲
学があるように見えるのである。
そこで、同じく「対応」型であり、ものの道理として、その結果プライベート
を捨てることになっているという点でもよく似ているものとして、九条と正孝
を比較してきたが、よく読み返すと、正孝はもう少し複雑なもの、自己と患者
との関係性というような構図で、事態を見ているようにもおもわれてくる。な
にかというと、「手術」なのである。彼は、医療の現場において、「手術」を
することによってそこに現れる。極端なことをいえば、「手術」のないところ
に、医者としての正孝は存在しないのである。
彼がプライベートを捨てるとき・・・、描写があったのは奥さんとのデートだ
ったが、あのときも、彼は患者の臓器を見ていたし、運転をめぐるやりとりで
手術にすべてをささげている様子が描かれていた。手術前の看護師との性行為
も、常人には理解できないとしても、彼なりの合理性はあるらしい。つまり、
彼自身がそうおもっていなくても、じっさいにはかなりリスキーな行動なわけ
だが、バレバレでも、そうすると集中力が増して手術が成功するからという、
科学的に意味のあることなのかジンクス的なことなのかはともかくとして、そ
ういう確信があったわけである。
第1審の少年にかんする後悔もそうなのだ。彼を経由して九条を憎んでいるこ
とが事態を分かりにくくさせているが、あのはなしのポイントは、「自分が最

初に少年を見ていたら、(技術的に)足を切断させずに済んだ」ということだっ
たのである。この件で犯人を無罪にした九条を憎むのは、ある種の逆流である
。九条は、この件の登場人物であり、ほんらい罰を受けるべき人物を無罪にし
たものではあるが、彼が手術していれば足を失わずに済んだ、という件とはま
ったく関係がない。だから、いってみれば正孝はここでシステムに憤っている
のだ。
「手術」は、正孝にとって、システムとたたかう手段であり、医者として存在
するときに前提となる条件だ。その「手術」に失敗した。「手術」がなければ
、正孝は医者として存在しない。手術中だけ正孝は正常な医師として患者に関
わるのであり、そのために、彼はプライベートを捨てて、医療機械たろうとす
るのである。その彼が、九条に救われるという状況を認めるのだろうか。
こうした彼の技術信仰のようなものは、安楽死示唆的なものとどうかかわるだ
ろう。ポイントは、たとえば、もう死にかけている人間でも、それが技術で救
うことのできるものなら、正孝のなかではなしは変わってくるのだろうか、と
いうようなことだろう。これは、理知主義的とでもいうか、神の定めた宿命に
逆らう科学信仰とでもいうか、やはり九条と通じ合うぶぶんがある。九条もま
た、「真実」を探究するものではない。彼にはただ、目の前の依頼人しかない
。依頼人の利益をどこまでも追求する。それが、蔵人のような真実探究型には
不誠実にみえるし、相楽のような弁護士にとっては不器用にみえるのである。
だが一貫性にかんしては誰にもくちをはさめないぶぶんはある。この世に「真
実」、イデアの世界というものが、あるのかないのか、そういうことすら九条
には関係がない。あるかないかの「真実」を、仮にねじまげることになっても
、彼は依頼人の利益を優先する。だから、「悪徳弁護士」とも呼ばれる。「有
罪になるべき」は「真実」に属する言説である。しかし、「有罪になるべき」
かどうかというのは、九条には関係がないのだ。
ただ、安楽死示唆の前後の発言からもわかるとおり、正孝は人間の自然な死と
いうようなものを認める立場でもあるようなので、このあたりはもう少し見て
みないとわからない。彼の手術偏執をみると、そこにはたしかに技術信仰が感
じられる。技術がそれを可能とするならば、神の定めた宿命、つまり真実もね
じまげる。死ぬべきだったはずの人間だって復活させる。そういう哲学のよう
なものは、たしかにあるようではある。だがそのいっぽうで、自然な死のよう
な、ものの道理を重んじているぶぶんもある。ここを、彼自身がどのような落
としどころで理解しているのかが、今後のポイントとなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第28話/白亜紀の耐久力(タフネス)



ピクルのジャック・ハンマーの超人対決が始まった!

試合開始前にピクルがかみつきにかかり、それをジャックが武器(兼防具)としてタオルをつかい、うけとめて投げるという、反則スタートである。でも、試合開始前なんだかは関係ないんじゃ…


ジャックが打撃の構えをとる。噛みつき以前に彼は一流のストライカーだった。その彼の、ひとを回転させる強烈なアッパーも、以前のたたかいではピクルにまったく通用しなかったが、いまのジャックは噛道を極めてより洗練された技を持っているっぽい。メンタルもちがうかもしれない。じしんを象徴するようなあのアッパー…個人的には刃牙作品屈指の打撃描写だとおもうが、あれが通じなくて、今回も引き続き打撃ベースでいくというのはそういうことだろう。


ジャックの左ジャブっぽいストレートがピクルの顔面にささる。強烈無比であり、ピクルも何呼吸かおいてる感じだが、まあどうということもないらしい。さらに少し不気味ですらある笑みを浮かべるピクルを、ジャックが細かなパンチで叩く。そり返り、噛みつこうとするピクルを、今度は右ストレートで美しいカウンター。よろめくピクルの顔面にシャープな蹴りで追撃。まあ、タフなのはわかっているから、徹底的にやるということだろう。


だがピクルには通用しない。ダウンすら、尻もちすらない。笑ったままだ。でもジャックも少し笑ってる。その様子を、元祖タフガイの花山が客席うしろから見守っているのだった。




つづく



花山はこの件に関与しているのだから観戦は自然なことだが、この感じだとピクルのタフネスになにかしらコメントをしてくれるかもしれない。花山の場合は精神的タフネスもかなり大きいが、ピクルはふつうに首が太いという物理的理由があり、花山にとっても新鮮なタフさのはずだ。



ジャックの打撃が、ピクルとの初戦のときとどれほど違っているかはわからない。大きくなったぶん重さは増しているはずだが、恐竜を相手にしていたピクルからすれば無視できる差だろう。ちがいは、コンビネーションかもしれない。おもえばあの打撃の連打は鎬戦からあったものだが、気づかなかった。

ジャックは打撃のひとだと言っても、その要はパワーにあった。非常識なトレーニングと明日を見ないドーピングの合わせ技が生む一撃必殺の破壊力だった。そこに自負があったからこそ、すでに実力が知られつつあったピクルに対しても、初戦では真っ向勝負を挑んだのだろうと思われる。


それがどうしてこのようになったかというと、強さというのはそれだけではないということを、たとえば本部から学んだとかいうことがあるだろう。原因をひとつにしぼることはできない。さまざまな要素が、彼を噛道に押しやったのだ。その道において、ジャックは「噛みつき」をいかに技のなかに練り込むかということに時間を費やしたにちがいない。噛みつきを極めるということは、たんに咬合力を増すだけでは不可能だった。相手の技に反応し、流れるようなカウンターで、さまざまな強度の噛みつきを、パンチやキックと等価に行う。結果としてジャックはコンビネーション的なものに長けていったのである。









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第107審/生命の値段⑯




パソコンの調子が悪く、しばらくスマホからの投稿になりそうです。

最近はせいぜい4000文字くらいの短い記事ばかりなので、できるとおもうけど、ぼくフリック入力できないから、しんどいかもしれないなあ。あとコピペしたり文字の大きさ編集したりも意外と…。というわけなので、質量ともにハンパなものになること、お詫びします。



射場が有馬に呼び出されてどこか外にいる。待ち合わせの場所に着いたので射場は連絡するが、後ろ盾は誰かとか、病院乗っ取るのに仕込まれたんだろとかいうばかりで来ない。そしてまた移動を命じる。不気味なので、射場はその後ろ盾である壬生に連絡する。だが、この動作もけっこうギリギリだ。射場は見張られていると壬生はいうのだ。だからまずキョロキョロしないようにいう。有馬のことを調べた壬生は予想外に警戒している。じぶんと同レベル以上にまずい相手という認識らしい。ヤクザではないようだが、いちばん大切なのは面子であり、つぶされるようならほんとに殺すと。壬生もサクッと後輩殺してたけど、今回は射場や九条みたいなカタギもからんでるし、正面から相手どる以外ない状況では、警戒するほかないのだろう。


で、壬生のとっておきの九条が出動。これ、弁護士事務所とかではなく病院の院長室かな。

九条は、提示額5000万は必ず払うというふうに多少軟化した態度だ。病院は売却される。そのときに現金で払うと。しかし有馬は、嫌な感じにしぶる。正孝中心に病院を立て直すというニュースだ。そこから、九条や射場の後ろ盾、つまり壬生は、病院を高く売るつもりなんだろうと見抜いているのだ。ただ借金返済で済む話でもなくなっている。あと幹細胞ビジネスやりたい。

幹細胞のことはスルーした感じだが、九条は有馬の顔を立てて7000万ではなしをつけようとする。でなければ法廷で。というわけで、さすがに九条と法律で争うのはめんどくさいので、有馬は承諾。最後に射場の椅子を蹴りつけ、これが最後だと壬生によく言っておくよう告げるのだった。


白栖のようなつぶれかけた病院に取り入るには、理事長ではなく、第一抵当権を持っている銀行を押さえるんだと、いつもの寺みたいなとこで壬生が宇治に語っている。金融庁に指導を入れてもらったと。近くでネコと遊んでいる、例の白州次郎みたいな友人の知り合いに頼んでもらったらしい。これが大手だとまず無理だが、白栖は地銀と長い付き合いがあり、だからうまくいったと。

白州次郎は、壬生がたんに金儲けのためにやっていたら手伝わなかったという。病院の立て直しは世のため人のためになる。壬生の動機はわからないが、まあいい病院になるならそれもいいだろう、くらいの感覚かもしれない。


有馬の件も片付いた。壬生は、あとは正孝の問題を九条に解決してもらうというのだった。




つづく




正孝の問題とはいったい…。正孝はひとの共感能力に欠ける人物ではあるが、知能の高さゆえのようにもおもえる。先に理知による把握がきてしまうために人間関係が感情ベースでなく、またじしんでそのことを自覚してしまっているぶん、いっそうカルテ的把握をしてしまいがちなのだ。


人間的に問題はあるだろうが、医術に支障のあるものでもなく、壬生の知ったことでもないだろう。問題はやはりあの考え方、思想だろう。その思想ゆえ、正孝は次期理事長を断ってもいる。へたすると今回の病院立て直しの件は、正孝はニュースで知ったレベルで、説得されていないかもしれない。ただ、医院長になる、というふうではなく、あくまでスーパードクターとして関与することになるようだから、それならということで受けたのかもしれない。


特に気になるのは、新病院が富裕層向けだということだ。誰のための医療なのかを悩む彼が、患者を指定する病院を認めるとはおもえないのである。

彼は、延命治療に反対するものなので、発言からすると安楽死への傾きもあるかもしれない。そのことの是非はここではあまり重要ではなく、彼がそう考えるのは、患者にとってのベスト、つまりいちばんの幸福を考えるからだ。ここで「幸福をおもう」とは書かなかったのは、彼には「おもう」ことはできないはずだからだ。つまり、この思想は、理知によって生まれてきたはずなのである。


それが、「理屈でいけば真の医療はこうだ」というしかたであらわれたものなのか、それとも、彼自身がいっていたように、パターン分析による擬似的共感の結果そうなっているのか、それは不明だ。彼に共感能力が乏しいのはたぶんほんとうだ。たとえば、第1審に登場した少年、あの交通事故を通じて、正孝は九条に含みがあるわけだが、あれも、少年がかわいそうというより、じぶんなら足を切らずに済んだ、という悔しさが大きかったようにみえる。でも、それが問題でもない。少年が足を失ったことを悔やむことの底にあるものが、「かわいそう」であっても「じぶんなら…」であっても、行為的医師としてのちがいはないからだ。


だから、少年のことを反省する優しげなふるまいは、正孝の本性と矛盾しないし、もっといえば、その内面に起きていることはたんに医療従事者としてはあまり重要ではない。だが、その理知であまねく医療を見渡すありようが、富裕層をターゲットにする、などといった、まさしく「経営」的な目線を許容するのかということなのだ。要するに、正孝はひととして欠陥はあるかもしれないが、医療にかんしては誰よりも真剣で、必要以上に考えぬいている人物なのである。


これまでは、「生命の値段」のキャラクターを「対応」するものか「創出」するものかで分類してきた。「対応」するのが正孝や九条、「創出」するのが白栖や幸孝、それに相楽や射場だ。壬生だけが、両者を止揚するものと考えられたが、ともかく、いつでも「対応」できるようにあるために正孝や九条はプライベートを捨てた生活をしているわけである。それが、利用者をこちらから指定する、創出するありようを認めるはずがないのだ。


これを、ほかならぬ九条が説得するということなのだろうか。じっさいのところ、九条も「対応」ばかりではない。依頼人がすべての彼である、「対応」の結果として望まない仕事を強いられることもある。そのあたりの現実認識は、九条のほうができているだろう。しかし、身内の説得が通用しない頑固な正孝を、よりによって九条が説得できるだろうか…








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第27話/白亜

 

 

 

 

ジャック戦を待って闘技場に居座るピクル。その彼を、バキが訪ねる。するとピクルは、バキの言葉を拾って、「ヤル」という言葉を発したのだった。

 

もはや友人か保護者のようなポジションにあるバキが、赤ちゃんが立って歩いたときの親みたいなリアクションで驚きをあらわす。ピクルは続けて「ピク・・・」とまでいっている。やっぱりいちばん耳にする言葉を覚えるだろうから、当然だろう。「やる」は、いちばん耳にするということはないとおもわれるから、おそらくその以前に、発話の準備のようなことはピクルのなかで完成していて、あらわれた愛しのバキがくちにすることを真似してみた感じかもしれない。「ピクル」もそうかも。

ピクルの言葉を受けて、バキは、ジャックとやるのだ、ということをいう。そうしてピクルは笑顔で「ジャック」という言葉もくちにするのだった。

 

 

試合当日、会場には、バキが訪れたときと同様、ピクルがすでに体育すわりで待っていて、客はそのことにどよめいている。バキは帽子をかぶっているので客席にいるっぽい。

準備万端、薬をバキバキにきめたジャックも登場。ついこのあいだ鎬昂昇戦があったばかりでもあり、ファンが増えている印象がある。

ジャックは2メートル43センチ211キロ、ピクルは2メートルあまりに130キロあまり。ピクルの体重ってそんなもんなんだっけ。でも、都会暮らしでやせたりはしていないし、前から130キロくらいなんだろう。あの筋密度なので、嘘喰いの箕輪みたいに、250キロとかあっても驚かないけど。

 

まだ開始前。ピクルが発射してしまう。嚙みつきの動作だ。ジャックはこれをタオルで受け止める。ピクルがタオルにくらいついたところを釣り、ジャックがこれを投げる。ふつうに身長の高さから投げられたので、距離もなかったはずだが、ピクルは身軽に空中でからだを返して着地、ダメージはない。驚異的な運動神経である。

タオルは武器、そしてピクルは開始前に攻撃。双方反則を行ってから試合はようやく開始するのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

まあ、厳密にいえば、試合は開始していないわけだから、これは反則ではないことになるのだが・・・。でもそうなると試合前の攻撃という反則は存在しないのか?リングにあがったらいちおう最低限のそういうルールにはしたがうということに同意していることになるから、まあこれは屁理屈かもしれない。

 

ピクルがしている体育座りは、日本では軍隊教育的なものの延長にある、規律の象徴のようなものだ。手を封じ、その手で足を封じ、みずからじぶんの動きを制限するような座りかた、それが体育座りなのである。これを白亜のひと・ピクルがしているというのは興味深い・・・といってもけっこうむかしからしていたような気がするので、完全に思いつきだから、適当に読んでもらいたいが、これはピクルなりの制御心のあらわれなのではないか。ピクルには、武蔵以上に、その行動を制限する規範のようなものが存在しない。しかし、現代にやってきて、ある種の我慢をすることでご褒美がもらえるということを学んだのである。そういう心理描写は直近にもあった。こうして待っていれば、ジャックがやってくる。その直感が、彼をおとなしくさせるのであり、そのあらわれが体育座りである、というわけだ。

 

これと、ピクルが言語を習得しつつあることは無関係ではない。前回くわしく書いたが、ピクルが話せるようになることは、ピクルの弱化・強化、どちらにも転びうる。だが、少なくとも彼は以前とはちがうファイターになる。その先にあるのは、ジャック的ありようだろうとおもわれる。そこでは、嚙みつきは特別な技になる。言語以前のピクルは、人間的な意味での世界の分節は行っていなかった。分節を行っていないというのは、物事の区別を、言語的にはしていなかったということである。半分冗談だが、ピクルにとっては、克巳と範海王のあいだにちがいはないのである(克巳とはいちどたたかって、わかりあっているので、厳密にはちがうわけだが)。

それが、言語の習得によって、少しずつ分節がはじまっていく。すでに彼は「ピクル」や「ジャック」という発話を獲得した。それがそのまま意味につながるわけではないが、すでに兆してはいるわけである。そのとき、ジャックはジャック以外と差異化される。そのようにして、わたしたちは、少しずつ世界に線を引いていくことで、複雑な網目で認識を果たしているのだ。

そうした網目によって認識される世界の極限には、社会契約がある。刑罰の存在する法治国家がある。嚙みつきが「オンナコドモ」の技術とされる男根社会がある。もちろん、ピクルにはまだまだ遠い世界のはなしだ。だが、いま彼はそれに抗う究極人類ともいえる非エエカッコしいの具現、ジャックとたたかおうとしている。その影響が、彼に嚙みつきを分離させる。これまでただ食事とファイトが連続しているなかにあいまいにあった、拳と等価の機能としてのそれが、強力かつ政治信条的な意味を含む武器になりかわるのである。嚙みつきじたいのパワーは変わらない。しかしそのあつかわれかたが変わるのだ。げんに彼はいきなり嚙みつきからファイトをスタートさせた。これが強さにつながるものなのかどうかは、ジャックじしんが噛道でどれだけ強くなれたのかということと一体なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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