第133審/日常の犯罪⑯
市田による烏丸母へのインタビューを終えた九条と烏丸。一時はどうなることかと思われたが、最後にはわかりあうことができた。烏丸母も九条を気に入ったようである。
いっぽう、しばらく描写がなかった曽我部である。出雲の子分である井出におどされているところだ。出雲が奪いたい大麻部屋が空っぽで、どうなっているのか詰められている。泥棒が入った感じになっているので、曽我部や百井的にはおそらくヤクネタの求馬のせいにしてしまいたいところだ。しかし泥棒はおそらく入っていない。なんらかの方法で移動させたのだ。
部屋には監視カメラがあるので、管理している百井に聞けばなにかわかるのでは?と井出がいうのを曽我部が持ち前の、というかほぼ正直な発言とおもうが、「ぼくはなにも知りません」スタイルで乗り切ろうとする。井出としても曽我部は振ってもなにも出てこないという感じかもしれない。殴られて鼻血の出ているところを弾いたりして軽くおどすにとどめ、とりあえず出雲に連絡する。
求馬は伏見組の末端らしいが、構成員かどうかはよくわからない。出雲も知らない。とにかく小物だ。求馬は金本の派手な車を譲り受けて乗り回しているらしいからすぐ見つかるだろうと。そう…。曽我部いじめが大好きなそのふたり、繋がってんのね。
だが井出もまるまる曽我部を信じたわけではない。信じてないっていうか、曽我部なので、当てにならないという感じかもしれない。別の線もあたるという。なんだろうな、のらのことはバレてないとおもうが、買い手など脅して突き上げ捜査的に別ルートからたどるのかもしれない。
求馬は「ウーパールーパー」という名前で売人をしている。公衆トイレの前で買い手の「蟹江腰巾着」と待ち合わせだ。とりあえずトイレのなかへ…と誘い、ももちとナイフで暴行、金だけ奪ってしまう。金ずるの曽我部と連絡がとれないから、こうしてちまちま稼いでいる。が、それは百井に返す金である。へんな関係だよな…
続けて「令和ぽんぽこ」と待ち合わせ。相手は車に乗っている。しかしそれは、伏見組のものなのである。たぶん、何度か登場している鍛冶屋だ。ほかにも何人かいる。スタンガンなどで求馬はあっさり捕まるのだった。
求馬のウーパールーパーのアカウントは曽我部が教えたものらしい。すぐ吐くだろうと井出はいうが、求馬はやっていない。求馬が死んでくれたらいいが、こんなことで殺されるはずもなく、この嘘は急場しのぎでしかないので、曽我部は気が気じゃないだろう。
部屋でのこの様子を、インタビューを終えたあとののらがスマホでみている。あんな感動的なやりとりのあと、細い目になってすごむのら、いいな…。
じっさいに部屋から大麻など動かしたのは、のらの腹心の髭鼠だった。てっきり伏見組に呼び出されたとき百井が手を打ったものと思われたが、もともと不安を感じていたのらが、なんらかの方法で状況を知ったか、あるいはたまたまのタイミングでかで、髭鼠に命じたらしい。
と、のらがなにかに気がつく。カメラ越しに気づいたのかな。曽我部を連れて事務所に戻ろうとする井出、それを、警察が囲む。嵐山である。なぜ麻薬取締官でなく組織犯罪の嵐山が?と井出は訝しむ。
ともかく逮捕。嵐山は曽我部がいることに驚いているので、曽我部が心配したようなルートでの逮捕ではないらしい。
カメラはたしか部屋の外にもあったし、一連の流れを把握しているのかもしれない。のらは即九条に連絡する。ついさっきのヒューマンドラマ的なやりとりもあり、さすがののらもちょっと気まずそう。だが、とにかく曽我部聡太が逮捕された。九条の出番というわけである。
つづく
なるほど、こういう流れで曽我部はふたたび「依頼人」になるわけね。
しかし、こののらから九条の連絡の流れ、大丈夫かな。のらはおそらく、部屋のなかや外をうつしていた監視カメラ越しに事態を知っている。それが九条に知られるのはいいが、どうあれ「九条はどうやって曽我部本人から連絡がある前にその逮捕を知ったのか」というはなしにならないだろうか。
「日常の犯罪」では、曽我部がまた悪いことしてるらしいということで再犯率の高さが話題になり、直近の烏丸母やのらとのやりとりでは被害者を癒すしくみがないことに触れられた。どちらもいわばソースとして薬師前が出張っているのが印象的だが、今回のはなしはぜんたいにそうしたシステムの瑕疵について述べられているようである。「日常の犯罪」を通して読むときの印象では、まずは近頃あらわれはじめた闇バイトが直接の元ネタなんだろうなというふうにみえる。だがそもそも闇バイトがなぜ成立してしまうかというと、社会的困窮とその不可視性、犯罪・福祉両面への知識不足が当然ある。つまり経済と教育両方向にわたる格差だ。そこにSNSの易さが悪い意味で影響する。社会的困窮じたいは、マルクスの時代からいわれている、もはやシステムのともいえないような、人類の瑕疵のようなものかもしれないが、教育格差は新しいともいえるかもしれない。要するに、「それは悪いことだ」という状況への感覚の鈍りである。仕事の細分化とSNSを通じた軽さのせいで、はっきりした自覚のないまま悪事を働いてしまうものもいる。冷静に考えたら悪なんだけど、あまりの手軽さと、見せられている世界のせまさに、感覚が麻痺してしまうのだ。これはたんに教育を受ける機会の不平等というようなことだけが問題になる事態ではないのである。教育のほうでも予期していないような微細な悪が活発になってきているというはなしなのだ。そして、善良な市民もふつうに使っている適法なSNSが、同様のアルゴリズムを使って、それら微細な悪を合体させ、実現してしまうのである。
こうした、わたしたちを豊かに、健全に生活させる「システム」は、しかし常になにかをとりこぼす。おもえばこれは九条の大罪を通じてのテーマでもある。彼と対立する兄の蔵人は、ロゴスのひとだ。彼の世界では、世の出来事はなにもかも法律文書で解釈可能である。しかし、そうした完全性は常にふたしかさを宿すものだ。極端に言えば、蔵人の世界観では、法律が想定していない事態や人物は存在しないことになってしまうのだ。法律、つまりシステム、もっといえば「言葉」を、どんなときも真である第一原理にすえるということは、そういうことなのである。
九条は、そうしたとりこぼしを見逃さない弁護士なのだ。しかし彼は三次元人なので、ひとりしかいない。誰も彼も救えるわけではない。では誰を救うのかというと依頼人であると、こういうはなしである。九条は革命家ではない。現場のひとだ。だからシステムの改善のほうには向かっていかない。なぜなら、彼にはいま目前にいる依頼人、困っているひとのほうが、緊急度が高いからだ。システムが変わらなければ曽我部は曽我部なりの合理性をもっていつまでも犯罪を重ねるだろう。だからこれは、どこまでも対症療法というか、絆創膏を貼るような行為をでないかもしれない。でも、いま曽我部は痛がっている。これが、依頼人が「依頼人である」という状況であり、九条が自認するところの弁護士の役目なのだ。
のらの気持ちの切り替えはちょっとかっこよさすらあるが、娘の存在がのらをのらにしており、そのためにはやく危険な仕事から足を洗ったほうがよいのではというぶぶんと、その娘のために非合法でも稼がなければいけないというぶぶんの、背反する原理が彼女にはあり、いまはそれが解消するかもしれない大事な時期である。なんとか危害が及ばないでほしいと願っていたが、とりあえずは嵐山が介入したので、ヤクザ的危機は去ったとみてよいだろう。ただし、むろんのこと、嵐山は警察であり、のらはこの件の黒幕なのである。いつも通りカンモクパイが通れば、曽我部ではなしはおさまるだろうけど、令状まであり、嵐山もなにかつかんではいるらしい。カンモクパイってたしか証拠がない場合じゃなかったっけ。嵐山はなにをつかんでいるのだろう。
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