trycomp2のブログ -410ページ目

訪朝の米専門家ら計20人に=核無能力化の準備本格化

 【ワシントン17日時事】ケーシー米国務省副報道官は17日、北朝鮮の核施設の無能力化を準備するため、新たに米専門家12人が13日に北朝鮮入りしていたことを明らかにした。
 12人は先に訪朝した国務省のソン・キム朝鮮部長ら8人と合流しており、北朝鮮を訪れた米チームは計20人に達した。無能力化準備作業が本格化していることを示している。

時事ドットコム:訪朝の米専門家ら計20人に=核無能力化の準備本格化

【曽我ひとみさん会見詳報】(1)「母と同年代を見ると、いてもたってもいられない」

 --この5年間を振り返っての感想を

 「この場をお借りして佐渡の皆様、全国の人たちに5年間いろいろ支援、温かくここまで見守っていただいたお礼を一言述べます。私にとって待ちに待った5年前の出来事です。右も左も分からない私に周りの人たちが温かく、叱ることもなくひとつひとつ優しく教えてくれた。そのおかげで、今日の私があると思います。心より感謝しています。ありがとうございます」

 --近況や4月から佐渡市の養護老人ホーム「待鶴荘」で正職員として仕事を始めた感想を。

 「ちょうど5年前のきょう午後、佐渡に帰ってきました。その日も役場の前で住民の方々、同級生、先生が温かく迎えてくれました。そんな夢のような日が過ぎて、今年4月からは正職員として待鶴荘で介護の仕事を始めました。私にとって介護というものはテレビでしか見たことのない仕事でした。やはり、話に聞くのと現場に入って仕事をするのでは大変さが違うとつくづく感じております。しかし仕事場の人たちは何も分からない私に、ひとつひとつ手取り足取り仕事を教えてくださっています。仕事だけでなく、介護に携わる人の心構えも折々教えてもらいながら、今は楽しく仕事をしています。入居者の方々にも、少しずつですが、信頼されるような介護員にこれからも努力をしてなりたいと思っています」

 --夫ジェンキンスさんの近況をお聞かせください

 「(佐渡歴史伝説館で土産販売をしており)1日中立ちっぱなしの仕事なので、体力的にはつらいところが見えますが、日本の方々がどういう考えをもって私たち家族に接してくれているかということを自分の体で毎日、体験しております。みんなが心から心配してくれて、喜んでくれて、その温かい気持ちに毎日感謝して仕事を続けています」

 --長女の美花さん、二女のブリンダさんの近況をお聞かせください

 「美花は保育士をめざして専門学校で勉強を続けて今は2年生で、あと1年勉強を続けます。学校でもいろんな保育所に実習に出ておりまして、子供との接し方とかそれ以上に日本の生活が分からないので、実習に出ながら子供たちと一緒に社会勉強している感じです。子供たちからもいっぱい学ぶことがあると話しています。今は楽しく勉強しています」

 「ブリンダは今年3月で卒業見込みです。本人は佐渡に帰ってきたいという希望が前々からあり、4月からホテルの方で仕事をさせてもらえるという話になっております。それに向かってもう少ししかない学校生活を楽しみながら最後、ひとつでも多くのことを吸収して仕事に生かせるよう頑張っております」

 --消息が分からないままの母ミヨシさんへの思いをお聞かせください

 「母が私と一緒にいなくなってからというもの、日本に帰ってきてからはまた母のことをいろいろと考える機会が多くなりました。というのは、私が佐渡で母とずっと暮らしていて、家の近くで母と生き別れになりました。だから、今でもその場所を通るたびに母のことを思い出します。小さいころは私が長女だったせいもあるのか、母が出かけようとすると、後ろから母について出かけた。今こうして5年間佐渡で生活していますが、母に関する情報が全然ありません。なにかしら佐渡で母に関する情報が聞けるかと思い、今まで1日1日、母のことを考えながら生活してきました。今は職場に行ったり、周りを見たりするときに、母と同年代のお母さんたちをみると、私にも母がいたら、いまみんなと一緒に楽しく生活ができるのにと思うと本当に、いてもたってもいられない気持ちになります。母への思いはほとんど怒られることもなく、優しい働き者の母というのが一番の印象です」

 --横田めぐみさんも30年という長期間にわたって未解決になっています。めぐみさんへの思いをお聞かせください

 「私が北朝鮮にいたときにめぐみさんと偶然にも生活を一緒にすることができました。本当に今思うと、同じ境遇で一緒に生活できたということは私にとって、本当に励みになりました。めぐみさんは私より6つ下ですが、日本人というその思いだけで2人は仲良く生活できたと思います。でも今になって振り返ると、一緒にいたときに、もっともっといろんな話をしてもっともっと仲良くできたのではと考えると、本当に心が痛みます」

 --拉致されて行方が分からない人は他にもたくさんいます。そうした方への寄せる思いをお聞かせください

 「まずはどんなことがあっても、自分を傷つけないで、最後まで希望を持って頑張ることが一番大切。生きていれば、いつかは日本に戻り、家族と一緒に生活できる日が必ず来ると思う。そのことをひとときも忘れないで、頑張っていただきたいと思います」

 --拉致被害者救出に向けてどんな行動をとっていきたいですか

 「もちろん今、仕事に就いているので、いろんなところを回って集会に参加するのは難しい状況にあります。署名活動とか近くで開かれる集会にはできるだけ参加してお話をしたいと思います」

 --拉致問題が膠着(こうちゃく)状態にあります。この事態をどのように受け止めますか

 「私たちは今こうして日本で生活をしていますが、まだ帰国はできないでいる人たちのことを考えると、本当に1日1時間がとても大切だと思います。最近ではあまり、この問題について大きく取り上げることもなくなりました。国民の人たちの心の中には絶対にあると思うのですが。日本で待っている家族の方は高齢で体力も精神的にも限界に近い状態だと思う。だから、これからは1日も早い解決を心から願っております」

 --先月、安倍首相から福田首相に代わりました。拉致問題解決に向けて新首相にどのような期待をお持ちですか

 「私たちは日本でこうして暮らしていますが、まだまだ時間だけが過ぎているように思える。この問題が解決しないということは、私もそうですが帰国した5人は楽しく生活できません。とにかくいろんな方法を考え出して1日も早い解決を強くお願いしたいです」


 --5年間で一番印象に残っていること、うれしかったことを教えてください

 「この5年間いろんなことがありすぎて、頭の中で整理ができません。最初の2年間は1人で家族を待っていたので、そのころが一番つらい時期でした。インドネシアで家族に会うことができて、あまり時間がかからずに4人そろって日本に帰ってくることができたことが一番うれしいことです」

 --お母様の思い出とどのように向き合っていますか

 「家の方も少し新しくしたものですから昔、母と一緒に過ごした空間があまりないのですが、座敷はそのままになっているので、そこに入るとやっぱり母のことを一番思い出す。私としては一番落ち着く場所かなと思っています。母の物もまだそのまま残っていますし、仕事が結構忙しくてあまりそういったことをいろいろと考える時間は少ないのですが、ときどき母の着物を出してみることもあります」

 --報道関係者や行政、地域の皆さんに何か要望されることは

 「今までもいろんな支援をいただきまして、周りからも色々な面でサポートしてもらっています。今もそれは続いています。この場で私がこういうことというのは特にありません。今、私も仕事をしていますし、これから娘たちも学校を卒業すれば、立派な社会人として仕事に就く。一般の人と同じ見方、扱いにしていただければ、一番ありがたいと思います」

 --母ミヨシさんへの思いは

 「まずは母の元気な顔をこの目でしっかりみたいと思います。その後は同じ年の人たちが今、いろんなことに興味をもってやっていることをさせてあげたい。ゆっくり温泉にも入れてあげたい。やっぱり母の物というとタンスの中に眠っている着物かなと思う。母も若いときに裁縫を習っていて、子供たちや自分の着物を縫っていた。私が小さい頃に縫ってもらった着物や浴衣がまだ残っている。そういうものを見ると母の温かい気持ち、ああもう一度もう一度という気持ちになります」

 --横田めぐみさんについての話を聞かせてください。招待所でどのような生活をしていたのですか。めぐみさんの思い出は

 「私が8月12日に拉致されて、8月18日から一緒に生活をしていました。最後の別れになるときまで、2、3回ほど招待所を変わり2、3カ月は私が1人でいましが、あとは一緒に生活をしていました。別れ際にめぐみさんからいただいた赤いかばんを、日本に持ってこれなかったのがすごく心残りです。あとは、2人の時間はあったのですけど、周りを気にしながら話をする状況だったので、もっとたくさんの話ができていたらなという後悔が今すごく大きいです」

 --ブリンダさんが佐渡に就職が決まって帰ってくることについてどう思っておられますか。ご家族が帰られてからの一番の思い出は

 「2人とも学校に通い始めたころから、学校が終わったら佐渡でお父さんお母さんと一緒に仕事をしたいという希望を持ってくれていたので、私としては非常にありがたいと思っています。やっぱり子供をそばにおけるということは、すごく安心もしますし、ありがたいと思います」

 「(家族が帰国後の思い出は)別にどこへ行って何をしたということではなく、家族4人が一緒にひとつの屋根の下で暮らせるそのことが一番うれしいし、これからもそういう風に楽しく生活できるのが夢です」

--日々の生活の中で楽しみにしていることはありますか

 「温泉に行くのが好きです。足をゆっくりと伸ばしていられるので。あとは買い物ですかね。店に行くと、子供みたいに青春時代に戻ってしまって、ぬいぐるみとかそういうものを見るのが大好きです」

 --2人の娘さんの日本での成長ぶりや普段の生活についてはどうですか

 「子供たちもいま一生懸命勉強中なので、あまりいろんなところに行って日本を見ることはできないのですが、日本語の方もだいぶ上手になってくれました。全然分からない国に来たのですごく不安があって、最初のころは『これはどうして』『これはなんで』という問いが多かったんですけど、最近ではそういう問いも少なくなってきました。自分たちで何かを考えるという気持ちに今は2人ともなっているのでその点は安心しています」

【曽我ひとみさん会見詳報】(1)「母と同年代を見ると、いてもたってもいられない」(産経新聞) - Yahoo!ニュース

東アジアネットワークが拉致写真展

 北朝鮮による拉致被害者を救おうと、東アジアネットワーク島根・鳥取が二十七日、益田市元町の市立市民学習センターで、講演会と写真展による市民集会を開く。同市では、特定失踪(しっそう)者問題調査会が拉致された可能性が高いとする、益田ひろみさん=当時(20)=が一九七三年に失踪しており、解決への支援を訴える。

 「集まれ、益田市民の集い」と題した集会では、益田さんの写真パネルを中心に約九十枚を展示する。午後二時からは、同調査会の荒木和博代表が「拉致問題と私達の安全」と題して講演。鳥取県内で初めて拉致被害者に政府認定された、米子市の松本京子さん=失跡当時(29)=の兄・孟さんらが支援を訴える。

 同調査会によると、北朝鮮に拉致された可能性の高い山陰両県出身者は、島根六人、鳥取四人。このうち、益田さんは七三年三月ごろ、益田駅から呉服販売会社への出勤途中に行方不明となった。

 集会開催に先立ち、十七日には、松本孟さんと同ネットワークのメンバーが松江市の島根県庁を訪問。加松正利総務部長に、行政による啓発活動の強化などを要請した。

 集会は入場無料。写真展は二十八日もある。問い合わせは、同ネットワーク島根事務所(電話090・7501・8960)

山陰中央新報 - 東アジアネットワークが拉致写真展