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4日から日朝協議 国交正常化交渉担当 原口幸市大使に聞く

 日本と北朝鮮の政府間協議が四日、北京で始まる。拉致、核・ミサイルなどの安全保障問題、約三年三カ月ぶりに再開する国交正常化交渉の三分野を別立てにした初の並行協議で、対立打開の糸口をどう探るのか。約二十人の日本側代表団を率いる原口幸市・日朝国交正常化交渉担当大使に見通しを聞いた。 (東京報道部・神屋由紀子)

 ―協議にどう臨むか。

 「二〇〇二年に双方の最高首脳が署名した日朝平壌宣言が交渉の指針。拉致、安全保障の問題の解決なくして国交正常化なしという基本方針を堅持しながら進めていく。正常化が実現すれば、日本の安全保障や地域の安定、平和につながる」

 ―並行協議の狙いは。

 「北朝鮮側は『過去の清算』を中心とする国交正常化を重視しているのに対し、日本側は拉致問題解決が最優先課題だ。過去の交渉では取り上げる項目の順序をめぐってしばしば無駄な時間を費やした。今回から、そういうことなく議論ができるのではないか」

 ―北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」との立場を変えていない。

 「その主張はとても受け入れられない。生存者の帰国、真相究明、容疑者引き渡しについて具体的に要求する。久々の国交正常化交渉でそれなりに期待される成果が全く上がらないとなれば、日本国内の対朝世論が厳しさを増し、さらに『圧力を』という動きも出てくるだろう。そうした客観情勢をよく伝える」

 ―安全保障分野では何を主張するのか。

 「まず核問題を扱う六カ国協議への無条件の早期復帰を促す。北朝鮮側は米朝間の問題だと言うかもしれないが、ミサイルも日本にとって極めて大きな問題であり、懸念を伝える。ほかにも不審船問題など安全保障にかかわる問題があれば取り上げてしかるべきだ」

 ―国交正常化交渉は、日韓のケースを踏まえたものとなるのか。

 「(植民地支配など)非常に似ている部分もあるので、結果的に近いものになるかもしれない」

 ―正常化にはどのくらいの時間を要するか。

 「北朝鮮次第だ。平壌宣言には早期に正常化を果たすという決意が述べられている。懸案事項の解決に向けて誠意を持って努力し、具体的な措置を講じると約束している。その基本精神に沿ってやる用意があるのか見極めていきたい」

 はらぐち・こういち 1940年東京都生まれ。64年外務省入省。外務審議官、国連大使などを経て05年3月から現職。国連大使時代、国連総会の演説で北朝鮮の拉致問題を取り上げた。

きょうから日朝政府間協議 6カ国協議復帰など要求へ

 国交正常化交渉と拉致、核・ミサイルなど安全保障問題の協議を並行して進める初の方式での日朝政府間協議が4日から北京で始まる。日本は北朝鮮に対し、再開のめどが立っていない核問題をめぐる6カ国協議に早期復帰するようあらためて要求する方針だ。

 日本は、原口幸市日朝国交正常化交渉政府代表ら約20人の代表団を派遣、北朝鮮側の宋日昊(ソンイルホ)同交渉担当大使らと5日間の予定で交渉に当たる。4日午後から北京市内のホテルで全体会合を開いて会議日程をスタート、5日以降に行う各協議の進め方などを決める。

 安保協議で日本側は、弾道ミサイル開発の自制、発射モラトリアム(凍結)継続なども要求。北朝鮮は、マネーロンダリング(資金洗浄)疑惑への米国の「金融制裁」に反発して6カ国協議への出席を拒否しているが、日本は米国のほか欧州連合(EU)諸国とも連携しつつ北朝鮮の前向きな姿勢を引き出したい考えだ。

 拉致問題協議では、政府認定拉致被害者16人のうち安否不明の11人について(1)生存者の帰国(2)真相究明(3)実行犯とされる辛光洙(シングァンス)容疑者らの引き渡し―を求める。政府認定以外で拉致された疑いの濃い「特定失踪(しっそう)者」34人の情報提供も要求する方針だ。

 国交正常化交渉では、2002年の日朝平壌宣言で合意した経済協力方式による植民地支配への補償について協議する。(共同)

(02/04 01:30)
Sankei Web 政治 きょうから日朝政府間協議 6カ国協議復帰など要求へ(02/04 01:30)

日本人拉致「金正日総書記が直接指示」辛容疑者が供述

 【ソウル=中村勇一郎】1980年の原敕晁(ただあき)さん(当時43歳)拉致事件で国際手配されている北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)が、85年に韓国で逮捕された際、朝鮮労働党書記の地位にいた金正日総書記を名指しして、「日本人を拉致して(本人に)成りすますよう直接指示された」と供述していたことが、韓国の当時の情報機関「国家安全企画部」(現・国家情報院)の資料で明らかになった。

 原さん拉致に成功した辛容疑者が2年後、金総書記と面会した時には、「拉致は国際問題になるので秘密を固守せよ」と命じられたという。

 辛容疑者は85年2月、原さん名義の旅券で韓国に入ったところを逮捕された。

 安全企画部が同年6月、この時の供述をまとめた資料によると、辛容疑者は73年7月、工作船で石川県内の海岸から密入国して在日朝鮮人らを協力者に取り込む活動を続け、76年8月、富山県内の海岸から工作船で北朝鮮に帰国した。

 その後、平壌市内で工作員教育を受けていた辛容疑者は80年2月、「3号庁舎」と呼ばれる朝鮮労働党の庁舎で、党書記として金日成主席の後継指名を受けた金正日総書記と面会し、「独身の日本人を拉致して成りすまし、日本で対南工作を遂行せよ」と指示されたという。

 辛容疑者は同年4月、工作船で宮崎県の海岸から密入国し、同6月、大阪市内の飲食店員だった原さんを同県内の海岸から工作船で拉致し、北朝鮮西部の南浦港で工作員に引き渡した。さらに原さんの個人情報を覚えて再び工作船で日本に入り、原さんに成りすましていた。

 原さん名義の旅券を取得したのは81年9月で、82年3月にはこの旅券を使ってモスクワ経由で北朝鮮に帰国。翌4月には金日成主席の生誕70周年祝賀行事に出席し、その場で当時の金書記から、〈1〉東南アジアに拠点を作れ〈2〉日本人拉致が明らかになれば国際問題になるので秘密を固守せよ ――などの指令を受けたという。

 同5月には同じ旅券で日本に戻り、韓国に渡航した在日韓国人らと接触、米韓合同軍事演習の情報などを収集したほか、84年に、北朝鮮の工作機関の課長や副課長が貿易代表団に偽装するなどして来日した際は、活動の結果も報告していた。

 辛容疑者が金総書記から直接、拉致の指示を受けていたことについて、安全企画部の資料は「他のスパイとは違う特異な点で、重要な使命を受けた幹部スパイ」と強調している。

 辛容疑者は85年11月、ソウル地裁で死刑判決を受けたが、99年12月に恩赦で釈放。2000年9月に北朝鮮に送還された後、行事に「英雄」として登場する姿が報じられている。
日本人拉致「金正日総書記が直接指示」辛容疑者が供述 (読売新聞) - goo ニュース