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松本京子さんの母三江さん(83)と兄孟さん(59)、支援者らは17日、米子市役所で記者会見した。孟さんは「認定は我々にとっての第一歩。妹が無事に帰ってくることが目的」と話した。
三江さんは、京子さんが編んだという紫のカーディガンに袖を通し、「京子がおってくれたらええのになあ。1日でも早く帰ってくるのを待っちょる」とハンカチで目頭を押さえた。
一方、鳥取県内の貿易会社の社長が2002年、北朝鮮の会社との取引で「キョウコ」と名乗る通訳の女性と数回、電話でやり取りしていたことが新たに判明。
中年女性の声で、同県のなまりのある日本語を流暢(りゅうちょう)に話したという。この社長が数回やり取りした後、「松本京子さんか」と質問すると、女性は笑ってごまかし、その後、通訳は別の男性に代わったという。
(2006年11月17日21時38分 読売新聞)
「拉致認定は第一歩」松本京子さんの兄ら会見 : 拉致問題 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 1977年に失跡した鳥取県米子市の松本京子さん(当時29歳)について、警察庁は17日、北朝鮮による拉致被害者と断定したと発表した。
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政府は20日に開く関係省庁連絡会議で拉致被害者と認定する。
政府認定の拉致被害者は17人目。
同庁は根拠として、失跡当時、現場付近に工作員が潜伏していた可能性が高いという情報があったことに加え、最近になって得られた関係者の証言などから「拉致以外の可能性が完全に否定された」としている。
松本さんは同年10月21日午後8時ごろ、米子市の自宅近くの編み物教室に向かう途中で消息を絶ったが、同時間帯に、松本さんとみられる女性が2人の男に海岸方向へ連れ去られるのが目撃されていた。
拉致の可能性がある行方不明者を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)では、松本さんを「拉致の疑い濃厚」としていた。
家族会代表の横田滋さん(74)、早紀江さん(70)夫妻は17日、川崎市の自宅マンションで会見。滋さんは「調査を継続しているということが北朝鮮への圧力として伝わる」と歓迎し、早紀江さんは、「お母様はどんなに喜ばれるだろうと思った」と、29年間にわたって娘の行方を案じてきた松本さんの母、三江さん(83)をおもんぱかっていた。
(2006年11月17日20時33分 読売新聞)
松本京子さん、警察庁が拉致被害者と断定 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)1977年に行方がわからなくなった鳥取・米子市の松本京子さん(当時29歳)について、北朝鮮と取引のある鳥取県の貿易会社の関係者が、ピョンヤンの取引先で働く松本さんとみられる女性と、電話で話していたことが明らかになった。
1977年10月、鳥取・米子市で、突然行方がわからなくなった当時29歳の松本京子さん。
警察庁は17日、松本さんが北朝鮮に拉致されたと断定した。政府は来週、17人目となる拉致被害者として追加認定する。
17日午後、松本さんの母・三江さん(83)は「皆さんのおかげで。ありがとうございます。おかげさまで、これでまたあの子も帰ってきます」と涙ながらに話した。
1977年10月21日、松本さんは「編み物教室に行く」と言って、午後8時ごろ、家を出た。
そして、当時、道の近くにあったビニールハウスの前で、松本さんとみられる女性が、不審な男2人と一緒にいるところを目撃されている。
その様子を目撃した67歳の男性が声をかけると、いきなり男が殴りかかってきたという。
男性の孫は、「祖父がたたかれて頭から血を流していた...」と話した。
そして、サンダルを片方だけ残したまま、松本さんの消息はぷっつりと途絶えた。
母・三江さんは、松本さんが編んでプレゼントしたというセーターを眺めながら、娘の帰りを待ち続けてきた。
2002年、三江さんは「わたしが元気なうちに会えたら、向こうも喜ぶだろうと思う。わしの寿命もわからんし...」と話していた。
松本さんが拉致された当時、松本さんの自宅からほど近い浜の沖合に、北朝鮮の工作船がいた。
沖合にいた北朝鮮の工作船と、松本さん拉致を結びつける決め手の1つとなったのは、「電波」だった。
松本さんが行方不明になった当時、謎の電波が日本の公安当局の無線傍受施設2カ所で確認されていた。
電波は、あらゆる方向へと同心円状に広がるが、無線傍受施設の位置によって、電波の届くまでの時間に差が生じる。
この時間差などを基に、発信源の位置が特定できる。
こうした分析の結果、謎の電波の発信源が、松本さん最後の目撃現場付近の海上と判明した。
その謎の電波は、周波数を頻繁に変更する北朝鮮独自の特徴を持っていた。
こうした北朝鮮による通信が、松本さん拉致認定の決め手の1つとなった。
さらに今回、北朝鮮と取引のある鳥取県の貿易会社の関係者が、ピョンヤンの取引先で働く松本さんとみられる女性と、電話で話していたことが明らかになった。
特定失踪(そう)者問題調査会によると、2~3年前、電話の先で通訳をしていた女性が「キョウコです」と話したため、電話口で関係者が「松本さん?」と聞くと、電話は突然切れ、以降、その会社とは電話がつながらなくなったという。
特定失踪者問題調査会の妹原 仁さんは「通訳が出てくるたびに『キョウコです』。『もしかして松本京子さん?』とただしたんです。その直後から電話が通じなくなったということを確認しました」と話した。
また、松本さんが拉致された場所は、北朝鮮の貨物船が頻繁に来航していた境港からもわずか5kmしか離れておらず、北朝鮮の影が色濃くにじむエリアともいえる。
17日の会見中、松本さんが編んだセーターを着た母・三江さんは「京子が1日でも早く帰ってくるなら、毎日(セーターを)着る」と話した。
そして、松本さんの兄・孟さんは「拉致をされているわたしどもとしては、第一歩。ここからが本当のスタートのようなものなので、目的は妹が帰ってくること」と話した。
拉致された北朝鮮で暮らしているとみられる松本さんは現在58歳になる。
FNN Headline
