松本京子さんを拉致と断定 松本さんの母「これでまたあの子も帰ってきます」 | trycomp2のブログ
1977年に行方がわからなくなった鳥取・米子市の松本京子さん(当時29歳)について、北朝鮮と取引のある鳥取県の貿易会社の関係者が、ピョンヤンの取引先で働く松本さんとみられる女性と、電話で話していたことが明らかになった。
1977年10月、鳥取・米子市で、突然行方がわからなくなった当時29歳の松本京子さん。
警察庁は17日、松本さんが北朝鮮に拉致されたと断定した。政府は来週、17人目となる拉致被害者として追加認定する。
17日午後、松本さんの母・三江さん(83)は「皆さんのおかげで。ありがとうございます。おかげさまで、これでまたあの子も帰ってきます」と涙ながらに話した。
1977年10月21日、松本さんは「編み物教室に行く」と言って、午後8時ごろ、家を出た。
そして、当時、道の近くにあったビニールハウスの前で、松本さんとみられる女性が、不審な男2人と一緒にいるところを目撃されている。
その様子を目撃した67歳の男性が声をかけると、いきなり男が殴りかかってきたという。
男性の孫は、「祖父がたたかれて頭から血を流していた...」と話した。
そして、サンダルを片方だけ残したまま、松本さんの消息はぷっつりと途絶えた。
母・三江さんは、松本さんが編んでプレゼントしたというセーターを眺めながら、娘の帰りを待ち続けてきた。
2002年、三江さんは「わたしが元気なうちに会えたら、向こうも喜ぶだろうと思う。わしの寿命もわからんし...」と話していた。
松本さんが拉致された当時、松本さんの自宅からほど近い浜の沖合に、北朝鮮の工作船がいた。
沖合にいた北朝鮮の工作船と、松本さん拉致を結びつける決め手の1つとなったのは、「電波」だった。
松本さんが行方不明になった当時、謎の電波が日本の公安当局の無線傍受施設2カ所で確認されていた。
電波は、あらゆる方向へと同心円状に広がるが、無線傍受施設の位置によって、電波の届くまでの時間に差が生じる。
この時間差などを基に、発信源の位置が特定できる。
こうした分析の結果、謎の電波の発信源が、松本さん最後の目撃現場付近の海上と判明した。
その謎の電波は、周波数を頻繁に変更する北朝鮮独自の特徴を持っていた。
こうした北朝鮮による通信が、松本さん拉致認定の決め手の1つとなった。
さらに今回、北朝鮮と取引のある鳥取県の貿易会社の関係者が、ピョンヤンの取引先で働く松本さんとみられる女性と、電話で話していたことが明らかになった。
特定失踪(そう)者問題調査会によると、2~3年前、電話の先で通訳をしていた女性が「キョウコです」と話したため、電話口で関係者が「松本さん?」と聞くと、電話は突然切れ、以降、その会社とは電話がつながらなくなったという。
特定失踪者問題調査会の妹原 仁さんは「通訳が出てくるたびに『キョウコです』。『もしかして松本京子さん?』とただしたんです。その直後から電話が通じなくなったということを確認しました」と話した。
また、松本さんが拉致された場所は、北朝鮮の貨物船が頻繁に来航していた境港からもわずか5kmしか離れておらず、北朝鮮の影が色濃くにじむエリアともいえる。
17日の会見中、松本さんが編んだセーターを着た母・三江さんは「京子が1日でも早く帰ってくるなら、毎日(セーターを)着る」と話した。
そして、松本さんの兄・孟さんは「拉致をされているわたしどもとしては、第一歩。ここからが本当のスタートのようなものなので、目的は妹が帰ってくること」と話した。
拉致された北朝鮮で暮らしているとみられる松本さんは現在58歳になる。
FNN Headline
