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米、北朝鮮に核放棄の見返り内容説明

 先週、北京で行われた6か国協議の再開に向けた事前協議で、アメリカ側が北朝鮮に対して、核兵器の放棄に応じた場合の見返りの内容について詳しく説明していたことが明らかになりました。

 「北朝鮮に対して、日韓と協議したいくつかの提案をしました。球は彼らのコートにあります。ピョンヤンに持ち帰った結果の報告を待っています」(アメリカ ヒル国務次官補)

 先週、北京で北朝鮮のキム・ゲグァン外務次官らと会談したあと、このように語っていたヒル国務次官補。6日付のアメリカの新聞「ニューヨークタイムズ」は、アメリカが会談の際、核放棄を受け入れた場合の見返りとして、経済やエネルギー支援を行う用意があると北朝鮮側に伝えたとしています。

 アメリカ政府高官によると、支援の中身にはアメリカと日本・韓国からの食糧支援も含まれているということです。(08日22:58)
TBS News-i

テキトー発言で東京新聞に皮肉を書かれた山崎拓氏

 自民党の山崎拓前副総裁が、小泉純一郎前首相が3度目の訪朝に意欲を示したと発言したことが、一部で波紋を広げました。ここであえて「一部」と書いたのは、山崎氏のやり方を知る政治家や記者は、「どうせ山崎氏の言うことだから…」と初めから割り引いていて、あまり信じていなかったからです。

 案の定、山崎氏は7日の派閥総会で、要は小泉氏は聞き役で、訪朝を勧める山崎氏の言葉に、耳を傾けていただけであることが判明しました。山崎氏は、小泉氏が「『可能ならば』と答えた」とも話しているようですが、私はこれも怪しいものだと思います。

 実は山崎氏は、自分自身でもよく「ワシの話は『クリエイティブ・ブリーフィング』やから」と語り、自分の言葉には推測や願望、創作が混じっていることを認めているのです。始末にわるい人であります。

 小泉氏が首相で山崎氏が幹事長だった時代、両氏と公明党の冬柴鉄三幹事長(当時)、保守党の二階俊博幹事長(同)の計4人が夜、酒を酌み交わすということがたびたびありました。それで、われわれ記者は、出てきた山崎氏らに首相との会話内容を聞くのですが、これがまたどこまで信じていいのやら。

 あるとき、山崎氏が「4人の間で、国立追悼施設建設の必要で一致した」と言い出したから大変です。ある気の合う政治家と楽しい気分で一杯やっていた私は職場に戻り、とりあえず山崎氏の発言が真実であることを前提に記事を書き始めたのですが…。

 同僚の夜回りなどでは、冬柴氏も二階氏も「4人が一致とまでは…」「総理は何も言っていなかった」などとはっきりしません。で、翌日、記者団から質問を受けた小泉氏は「一致なんかしてません」。あー、また山崎氏のうわごとに引っかかったかと悔しいやらほっとするやら。

 だから、今回の小泉訪朝発言も、私は「どうせ、最近存在感を示せずにいる山崎氏が、久しぶりに注目を集めようと打ち上げたのだろう」と思っていたのです。もちろん、小泉氏に訪朝の意欲があっても不思議ではありませんし、可能性を全否定したわけではありませんが。

 で、今朝の東京新聞です。2面に「山崎氏〝訂正〟『自分が言った』」という見出しのベタ記事が載っていました。これが短いながら、実情をよく表した秀逸な記事でした。弊紙を含め、他紙はここまで突っ込んで書いていません。

 《…小泉氏は7日、国会内で記者団の「(山崎氏の発言を)黙って聞いていただけか」との質問にうなずき、山崎氏の〝一人芝居〟だったことを認めた。
 山崎氏については、党幹事長を務めていたころも、当時の小泉首相の発言として紹介した内容を後日、小泉氏が否定する例がたびたびあった。》

 私だけでなく、山崎氏に苦々しい思いを抱いていた記者は、たくさんいるということでしょうね。いい加減、こういう思惑発言で他人を振り回すのはやめてほしいところです。また、念のため、7日の派閥総会での山崎氏の発言を紹介します。

  《きのう小泉前総理と会食をし、いろいろと思い出話、今後の国政運営のあり方などについて意見を交わしました。これは一部報道され、物議をちょっとかもしているところですので、その内容をかいつまんで申し上げるが、北朝鮮問題について私は持論を申し上げた次第だ。私の持論はきょうのセミナーで配布する資料をご一読願えれば、そのとき私が小泉総理にどういう趣旨の話をしたかということはお分かりいただけるものと信じている。

 きのうの要点はピョンヤン宣言。現在はこれが事実上死文化している状況にありますんで、「小泉前総理がこのままピョンヤン宣言が死文化した状態の中で放置していいのか」という点を私が問題として指摘をいたしました。小泉総理としましては「自ら結んだ宣言でございますから、これを生き返らせることができればたいへん結構だ」という考え方を言われました。

 そのためには「今の対話と圧力というアプローチの中でもっぱら圧力先行型になっておるが、ここは日本としても米朝対話を促進するだけでなくて自らも対話を行うということが必要ではないか」ということを私が申しまして、小泉前総理も「対話と圧力のバランスはあくまで取っていかなくてはならない」と申されたわけでございます。

 そういう対話の一環として、今北朝鮮とのパイプが途絶えたような状態になっているが、ほとんど今の政府与党内でパイプがない状況だ。これは中国、外国の人にも私がしばしば指摘されるところであり、日本もパイプを持って北朝鮮の核開発を阻止する努力を日本もやってほしいという話をしばしば私は受けているところだ。

 そういうことも小泉総理に申しまして、「もしピョンヤン宣言を蘇生させる、生き返らせる条件が整ったときには、三度目の訪朝をされたらどうか。そして金正日国防委員長との間でピョンヤン宣言・・。そういうピョンヤン宣言ラインの戻れる状況が整備されれば、3度目の訪朝をさせれてあなたの手で日朝関係を打開し、かつ朝鮮半島の非核化を実現するという努力を一肌脱がれたらどうか」ということを私からいったわけだ。

 これは小泉総理は傾聴されたと私は思っております。以上がきのうのわれわれの対話の内容でございますので、いろいろと報道されておりますけども、正確なところは今申し上げたわけでございます。今後の展開は6者協議との関係もあるし、どういった展開になっていくかちょっと私もわからないが、平沢さんはじめ皆さんとよく相談してわれわれとしてどういう役割分担があるかよく相談してまいりたい。》

 本当は山崎氏の北朝鮮に対するスタンスについもいろいろと言いたいところですが、本日はそれはやめておきます。でもねぇ、最初から上のような話だったと言えば、それで済むことだったのに。

 まあ、いまさらこの人に何を言っても無駄だろうな、とも思います。あとは有権者の賢明な判断を待つだけです。
テキトー発言で東京新聞に皮肉を書かれた山崎拓氏-国を憂い、われとわが身を甘やかすの記:イザ!

【忙中閑話】ABDUCTION(高野宏一郎・佐渡市長)

 2002年9月20日の朝の出来事を私は一生忘れないでしょう。

 当時、私は佐渡島の1市7町2村の中で真野町長として、就任2年が経過、やっと落ち着いてきていたところでしたが、いつも毎朝7時前にはシャワーを浴び、ゆっくりニュースを見てから役場へ出かけるのが日課でした。

 その日もテレビのスイッチを入れると朝の騒がしいニュース画面のテロップ「曽我ひとみ」と文字が流れて、その放送の内容に眼を凝らしている最中、けたたましく電話がなり響きました。

 それは知り合いの町会議員でしたが、だみ声が「町長、テレビを見ているか、それがあの曽我ひとみだぞ」と何度も叫ぶように聞こえて来るのです。私の頭は混乱しながらも、少しずつ霧が薄れて、記憶をたどりだしました。

 24年前、旧暦のお盆の前日に、もち米を水に浸したまま、母親と2人で近くの雑貨店に買い物に出かけ、帰途、杳として行方のわからなくなった「曽我ひとみ」だったら……。

 テレビの画面は、わが国の要求している拉致被害者のうち4人と、要求していなかった1人が生存していて、今まで想像もしなかった、あの「曽我ひとみ」が帰ってくると声高にテレビは告げていました。

 曽我さんの実家は、隣町との境で、佐渡で一番長い国府川のほとりですが、失踪した翌日から、集落の全員が何日も探し回ったことが走馬灯のように頭に浮かんでは消えました。

 気を取り直し、取るものもとりあえず真野町役場(今は合併して佐渡市真野支所)に駆けつけると、既に父親、親戚をはじめ、近隣の人たちが集まって、私を待っていました。すぐ新潟県庁に連絡を入れ、その日中に、既に北朝鮮に拉致が確認されていた柏崎の蓮池さんと奥土さん(後に北朝鮮で結婚していたのが判明した)のご両親とも県庁でお会いしましたが、国からの情報も混乱していて、ただただ右往左往するだけでした。

 1カ月後、曽我さんと他の4人が羽田空港でタラップを降りてきました。不思議そうな、まぶしそうに、おずおずとして、最後に誰にも付き添われずに降りてきた曽我さんは、報道陣の一斉にたかれるフラッシュに戸惑い佇んだままでした。

 彼女を北朝鮮で迎えて、一緒に降り立った中山恭子氏(当時は家族支援室特別参与)から、母ミヨシさんが佐渡にいないことを既に聞いていて、母親がいると信じていたからこそ毎日帰国を夢見ていた彼女の眼には、日本がどのように映ったことでしょう。運命のいたずらに翻弄された曽我さんの気持ちを思うと、今でも言いようの無い怒りがこみ上げてきます。

 その後、早4年が経過しました。佐渡へ帰り、ひしと抱き合って再会を喜び合った父親茂さんも、その2年半後に亡くなりました。

 一人帰って、ひとみさんが待ち焦がれた夫・ジェンキンス氏や長女・美花さん、次女・ブリンダさんともジャカルタで再会し、幾多の障害を経て日本に落ち着きました。

 ジェンキンス氏は、現在、佐渡観光協会に所属し、佐渡金山の観光施設や近くのみやげ物屋で毎日汗を流しています。

 美花さんは子供好きで、保育士になりたくて新潟の専門学校へ通っています。ブリンダさんは憧れのブライダルプランナーを目指して姉とおなじく、専門学校の1年生です。

 曽我さん自身は、もともとの準看護師の資格を生かして佐渡市の保健師補助として、すっかり落ち着いた生活を取り戻しているかに見えます。

 しかし、お母さんのミヨシさんの行方は分からないままです。今日もテレビでは北朝鮮を6カ国協議に参加させられるかどうかが、むなしく報道されています。

   新潟県佐渡市長 高野宏一郎
ザ・選挙・【忙中閑話】ABDUCTION(高野宏一郎・佐渡市長)