【忙中閑話】ABDUCTION(高野宏一郎・佐渡市長) | trycomp2のブログ
2002年9月20日の朝の出来事を私は一生忘れないでしょう。
当時、私は佐渡島の1市7町2村の中で真野町長として、就任2年が経過、やっと落ち着いてきていたところでしたが、いつも毎朝7時前にはシャワーを浴び、ゆっくりニュースを見てから役場へ出かけるのが日課でした。
その日もテレビのスイッチを入れると朝の騒がしいニュース画面のテロップ「曽我ひとみ」と文字が流れて、その放送の内容に眼を凝らしている最中、けたたましく電話がなり響きました。
それは知り合いの町会議員でしたが、だみ声が「町長、テレビを見ているか、それがあの曽我ひとみだぞ」と何度も叫ぶように聞こえて来るのです。私の頭は混乱しながらも、少しずつ霧が薄れて、記憶をたどりだしました。
24年前、旧暦のお盆の前日に、もち米を水に浸したまま、母親と2人で近くの雑貨店に買い物に出かけ、帰途、杳として行方のわからなくなった「曽我ひとみ」だったら……。
テレビの画面は、わが国の要求している拉致被害者のうち4人と、要求していなかった1人が生存していて、今まで想像もしなかった、あの「曽我ひとみ」が帰ってくると声高にテレビは告げていました。
曽我さんの実家は、隣町との境で、佐渡で一番長い国府川のほとりですが、失踪した翌日から、集落の全員が何日も探し回ったことが走馬灯のように頭に浮かんでは消えました。
気を取り直し、取るものもとりあえず真野町役場(今は合併して佐渡市真野支所)に駆けつけると、既に父親、親戚をはじめ、近隣の人たちが集まって、私を待っていました。すぐ新潟県庁に連絡を入れ、その日中に、既に北朝鮮に拉致が確認されていた柏崎の蓮池さんと奥土さん(後に北朝鮮で結婚していたのが判明した)のご両親とも県庁でお会いしましたが、国からの情報も混乱していて、ただただ右往左往するだけでした。
1カ月後、曽我さんと他の4人が羽田空港でタラップを降りてきました。不思議そうな、まぶしそうに、おずおずとして、最後に誰にも付き添われずに降りてきた曽我さんは、報道陣の一斉にたかれるフラッシュに戸惑い佇んだままでした。
彼女を北朝鮮で迎えて、一緒に降り立った中山恭子氏(当時は家族支援室特別参与)から、母ミヨシさんが佐渡にいないことを既に聞いていて、母親がいると信じていたからこそ毎日帰国を夢見ていた彼女の眼には、日本がどのように映ったことでしょう。運命のいたずらに翻弄された曽我さんの気持ちを思うと、今でも言いようの無い怒りがこみ上げてきます。
その後、早4年が経過しました。佐渡へ帰り、ひしと抱き合って再会を喜び合った父親茂さんも、その2年半後に亡くなりました。
一人帰って、ひとみさんが待ち焦がれた夫・ジェンキンス氏や長女・美花さん、次女・ブリンダさんともジャカルタで再会し、幾多の障害を経て日本に落ち着きました。
ジェンキンス氏は、現在、佐渡観光協会に所属し、佐渡金山の観光施設や近くのみやげ物屋で毎日汗を流しています。
美花さんは子供好きで、保育士になりたくて新潟の専門学校へ通っています。ブリンダさんは憧れのブライダルプランナーを目指して姉とおなじく、専門学校の1年生です。
曽我さん自身は、もともとの準看護師の資格を生かして佐渡市の保健師補助として、すっかり落ち着いた生活を取り戻しているかに見えます。
しかし、お母さんのミヨシさんの行方は分からないままです。今日もテレビでは北朝鮮を6カ国協議に参加させられるかどうかが、むなしく報道されています。
新潟県佐渡市長 高野宏一郎
ザ・選挙・【忙中閑話】ABDUCTION(高野宏一郎・佐渡市長)
