【よこ顔】イラクで思い出した、「家族のきずな」…ヒゲの隊長佐藤正久さん、大いに語る
【PJ 2007年03月23日】- ヒゲの隊長こと佐藤正久さん(46)は、人間味あふれる好漢である。この人の顔は、もうずいぶんテレビや新聞紙上でお目にかかってきた。だが、熱く語る口調には一抹のためらいもなく、澄み切った少年のような目をしている。防衛大学校を卒業、米陸軍指揮幕僚大学を卒業、各地で一線の部隊長を経験した男という雰囲気ではない。
明るく誠実な人柄は、やや遅れて会見場に当てられたホテルの一室に駆け込んできた姿から一目瞭然に読み取れた。イラクでの奮戦ぶりは既に伝えられたことが多い。さらに今年3月上旬に出版された、『イラク自衛隊「戦闘記」』(講談社)にも派遣前後のウラ事情が詳しく述べられている。その一方、伝えられることのなかった幹部自衛官としての家庭生活、北朝鮮拉致家族に対する熱い思い、何より「戦地」へ赴く一家の心情などを聞くこととした。
「佐藤さん、今日は主としてメディアが取り上げなかったご家庭のことを中心にお聞きしたいのですが」。そう切り出したPJに佐藤さんは、「えー、そんなのアリですか。いやだなー、そんな質問困りますよー」。続けて、「わたし、親としても夫としても失格ですから」といいながら、身をよじるようにソファーにもたれ掛かる。照れ屋なのだ。とても「軍人さん」には思えない仕草は可愛げでさえある。それでも質問には丁寧に応じる。広報官を担当した経験ばかりではなさそうだと思ったのは、「『きずな』を大切にしたいんです」という言葉に端を発した佐藤正久氏特有の人生感からであった。
生まれは昭和35 年。福島県の「貧しい農家だった」。だが、「じいちゃんも、ばあちゃんも父ちゃん母ちゃん、皆よく働いた」。一家は固い「きずな」で結ばれていた。「じいちゃんが入らない風呂には誰も入れなかったし、ハシを取らねば皆メシを食えなかった」…そんな家庭に育ったが、「夢はあったし、明るかった」という。高校卒業後の進路を、防衛大学校に選んだのも経済事情。取り立てて国防に専心する気があったわけではないらしい。だが、「きずな」の尊さを現実に感じたのが、混沌とするイラクのサマーワ。村民との交流や部族長との付き合いから過去を思い出したのだ。「ああ、ここは戦場であっても、人の心は廃頽していない。子どもたちは未来に向かっている」。
夫人弥奈さんとの結婚は実家のある福島。「見合いのような恋愛のような」結婚生活が始まったが、「昔は六本木プリズン、今は市谷プリズン」という防衛省(庁)表現があって、幕僚時代は身柄は拘束状態。自宅のある埼玉県大宮に帰れても深夜か早朝。また、現場部隊長のころは演習につぐ演習で実のところ、「家族のきずな」は希薄になっていたと述懐する。ただ97年から98年のアメリカ、カンザス州レブンワースの陸軍指揮幕僚大学で学んだときだけは、「ワイフも子どもたちも喜んでくれましてねー」と懐かしそうだ。レブンワースは、メンソレータムでおなじみの近江兄弟社の創業者であるWilliam Merrell Vories(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)の生地。滋賀県近江八幡市とは「兄弟都市」。「きずな」を高めるいい町だったであろう。
自衛官の家族はどう考え、どう思いながら夫や妻や子どもたちをあのイラクへ送り出したのであろうか。防衛庁(当時)幹部としての佐藤さんには、外務省出向の機会もあったし、平成8年にはゴラン高原へのPKO派遣も経験している。だがさすがに唐突なイラク先遣隊長の辞令には、弥奈さんは「またアナタなの?」と佐藤さんに問い、「まさかアナタ、志願したのではないでしょうね」と呟いたのだそうだ。おそらく「きずな」を重んじる佐藤さんには堪える質問であったのだろう。イラク派遣の日、成田で見送るワイフと娘は、「泣いていましたよ」。でも、「息子はなにも言わず、泣きもしなかった」と誇らしげに言う。その瞬間だけ身長169センチ、体重68キロ。凛とした自衛隊制服組時代の顔が少しのぞいたように見えた。【つづく】
【PJ 2007年03月24日】- (上)からのつづき。平成15年10月末、自衛隊陸上幕僚幹部、教育訓練班の班長として、イラク派遣隊の訓練に当たっていた。出張先に連絡があって、「お前、イラク派遣の候補に上っているぞ」と告げられたが、既に2度の海外派遣の体験から、「わたしに3度目はない」と思い込んでいた。「いやー驚きましたよ。命令が出たのは10月末、その2週間後にはイラクにいましたから」。幹部自衛官は「身の危険を顧みず」という宣誓書に署名捺印をする。「わたしたちは下された命令を、淡々と行動に移すだけなんです」。そこで出会ったのが、外務省参事官(当時)奥克彦さんだった。2歳年上の奥さんとは、「省庁間の垣根を乗り越えたよい関係だった」という。
若い外務官僚と同年配の自衛隊幹部…。場所はバスラの空港にしつられたイギリス軍の寒い宿舎。「ジンロ」を酌み交わしながら熱心にイラク復興を願った話には、感激以外の言葉は出ない。先遣調査の8日間を共にした奥さんと別れたのは11月24日。明るい会話を続けていた佐藤さんの顔が急にゆがんだ。苦しそうにさえ見えた。ご存知のとおり、「彼と井上正盛1等書記官の2人は、北部のティクリートで銃撃されなくなりました」という。「お互い、イラクで頑張りましょうと固い握手をし、記念写真も撮った」仲だったのだ。
平成16年、イラク復興支援先遣隊長の任をとかれ、無事帰国した後に勤務した佐藤さんは第7連隊長に異動となった。ある日、任地の福知山で「きずなの薄い日本」を痛感する事態が発生した。7月4日。アメリカ独立記念日を狙うかのように北朝鮮は6発のミサイルを発射、佐藤さんが勤務する京都北部数百キロの日本海に着弾したのである。自衛隊連隊長としては最も恐れる異常事態なのである。
早速、佐藤隊長は「人心掌握」のため京都府内の住民に聞いてみた。答えは、「わたしらには関係ない」。北海道でも聞いてみた。ここでも同じように「関係ない」という返事。ならば、「舞鶴だったらどうです?」と京都の人に聞いて見たら、「えらいこっちゃ」という答えが帰ってきたのだという。
「悲しいではないですか、これが現在の日本なんですよ」と、佐藤さんは緊張した顔で語る。「これですよ、これ」、胸の青バッジを指しながら語気を強める。バッジは拉致家族の無事な生還を願うもの。「横田早紀江さんが、わが子を拉致された思いを持ち続けたのは、『家族のきずな』。10年前まで誰もその言葉を聞こうともしなかった」。昔の日本ならばという思いを、「家族の安全も、国家の安全も同じ」だと言葉を継ぐ。「日本人は大切なものを忘れてきた」。「10年前、政府も民間も誰も拉致事件を信用していなかった」。次第に話は核心に入ってゆく。
「部族長より厄介なのが県会議員や首長さん」、厳しい表現でも佐藤さんにかかると思わず笑い出してしまう。ゴラン高原やイラクで経験した省庁間の摩擦。あるいはODAのあり方。国務で赴任する自衛官が制服で搭乗を拒否する「ナショナルフラッグキャリア」の航空会社。その一方、米系航空会社搭乗員からキャンディーと一緒に渡された「Thank you from US crew」というメッセージ。優秀な自衛官を束縛する「集団的自衛権」議論…。現場の指揮官では、課題の解決など到底できないのだ。佐藤正久さんの座右の銘は「無意不立」、「意なくば立たず」である。その思いから平成19年末、自衛隊を退官、政治の道を目指し始めたのだった。
そろそろ約束の時間が迫ってきた。「最後に一つ、イラクで体験した『語られないヒミツ』は何ですか」というPJの質問に、「うーん、そうですねー」と考え込む。「そんなのありませんよ」と言えない生真面目な性格なのだろう。「じゃ、質問を変えます。イラクで寿司が食いたかったとか、そんな話題でも」というPJに、素早い答えが返ってきた。
「ははははー、それならわたしはラーメン」、「それも新宿白龍軒のトマト炒めラーメンですね」と明快な返事。聞けばイラクで口にすることのないブタ肉が食べたかったそうだ。だからどうしても「トンコツ」にこだわったと笑う。カラカラとまた笑う。
快漢佐藤正久、若い身には有り余る世間の期待が待っている。「ワイフは迷惑でしょうがね」と言いつつ、彼は立った。彼の経験が、彼の素直さが、彼の思う「人のきずな」が、生かされることを願うばかりである。【了】
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Cazul "Doina", preluat de presa asiatica
23 Martie 2007
Laurentiu Mihu
Dupa ce "Evenimentul zilei" a publicat in detaliu povestea Doinei Bumbea, romanca rapita acum aproape 30 de ani de spionajul nord-coreean, presa asiatica si-a trimis ieri reporterii la Bucuresti.
Astfel, cazul va fi prezentat atat de un cotidian sud-coreean, cat si de o televiziune japoneza.
Problema rapirilor orchestrate in anii '70-'80 de regimul de la Phenian este una sensibila in cele doua tari si nu numai, dat fiind numarul mare de persoane despre care exista indicii ca au cazut victime acelui proiect.
Evenimentul Zilei Online
ルーマニアの拉致家族が証言

北朝鮮によって拉致された疑いがもたれているルーマニア人の女性ドイナ・ブンベアさんの肉親がNHKの取材に応じ「拉致されたのは日本に向かうと言い残したまま行方不明になった自分の姉だと確信している」と証言しました。
画家を目指していたドイナさんは1978年、滞在先のイタリアで行方不明になりました。ドイナさんについて、曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんは、著書の中で「北朝鮮に拉致されたあとアメリカ人脱走兵と結婚し、1997年に病死した」と証言しています。ドイナさんの弟でルーマニア南西部のクライヨーバに住むガブリエル・ブンベアさん(39)は、22日、NHKの取材に応じ、「拉致されたのは日本に向かうと言い残したまま行方不明になった自分の姉だと確信している」と述べました。ガブリエルさんは、ジェンキンスさんの著書に出てくる女性が、姉のドイナさんではないかと情報収集を進めていました。そして、北朝鮮で撮影され、最近アメリカで放送されたドキュメンタリーに映っていたアメリカ人脱走兵の息子の顔が姉にそっくりだったことから脱走兵とドイナさんの間に生まれた子どもだと確信したということです。弟のガブリエルさんによりますと、ドイナさんはイタリア人と結婚してローマに移り、展覧会を開くなど画家として活動していましたが、1978年10月に、母親に電話で「日本の画廊と契約ができるので日本に向かう」と伝えたのを最後に消息がとだえたということです。ガブリエルさんは、アメリカ人脱走兵の息子の顔を見て涙が出たということで「自分のおいであり、5分でいいから、どこかで会いたい。また、曽我さんとジェンキンスさんにも会って姉の話を聞いてみたい」と話していました。拉致問題をめぐっては、これまで日本の拉致被害者の家族らが、ルーマニアやタイなどにも被害者がいると指摘して、国際社会に解決に向けた協力を強く働きかけていました。
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NHKニュース