金剛禅門徒の少林寺拳法修行記 -11ページ目

金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒としての自覚を促すべく旧タイトル「練習日記(仮)」からタイトルを変更しました。

内容は変わりません。

よろしくお願いします。

みなさんどこら辺に出してますか?

高校時代
『相手に掌でも手の甲でもないところが見えるように』
かつ
『指先は目の高さ』

とならいました。一番オーソドックスな教え方だと思ってます。

大学時代も同じでした。高校時代と同じ構えで特段注意は受けてないかと。

本部合宿では

『実際に手を構えるのは相手が攻撃しようとしてからでもいい』
『相手の(左)肩を(間合いは違うけど)そっと外から押さえるように』
と習いました。

二つ目のは相手の攻撃線(相手の突きが肩から真っすぐ伸びてくるとして相手の肩と自分の顔を結ぶ線)を押さえる。言い換えれば攻撃が始まる時点で攻撃を制しておくということ。(燕返の時は最初相手の左肩を制していた手を、相手の攻撃が右手から来るものと察した瞬間に右肩に移してから同じことをする)

この本部の方法が高校・大学時代に思っていた掌も手の甲も見えない位置で、というスタンスも包含しており(むしろその位置の理論的裏付けとなっており)、僕の中で永らく採用されていました。

ですので攻撃線から外れた位置に構えた手は意味不明ですし、僕が演武の採点者なら構えが悪いとして減点していることでしょう(その権限は幸い今はありませんが)。

さて、今の道場ですが、この手を大きく開き、体の横ぐらいまで持っていきます。

僕は上に書いたスタンスで永らくいたものですから、とても受け入れられません。

今日副道院長(?)に構えを直されたのですが、猛反発してしまいました。

基本僕は自分の行動・技を常に理論的に説明できなくてはおかしい、とおもってる人間なので『ではなぜおまえはその構えにこだわるのか?』と言われたらなんとでも答えられます。

1、攻撃線を制するための手として。
2、横に開くと振突には対応できない。振突を制しつつも上段を好きにするためにこの位置にあるし、半身でなく正対であえて右手の攻撃を殺して誘いもしてる。
3、横に開くと右手による払受の選択肢を殺しており、不意に回蹴りを蹴ってきた場合に対応しづらい。

などなど。

んで、先生に聞いてみたところ、右手の位置はどこでもいいと。

『構えの手の位置は究極的にはどこでもいい』というのは賛成です。体構と気構ということでしょうか。

その上で手を開くことのメリットは何かと聞きました。

手が自分と相手の間にあると、相手は心のどこかで『受けられる』という意識で攻撃してくる。

するとこちらが受けたあと、すぐさま防御態勢になっており、それは受けとして虚でなく実だ。

なので構えとしては、相手が(これなら受けられないだろう)と思う位置で、なおかつ自分が(ぎりぎり受けられる)と思う位置で構えることにより誘いになるし虚を誘う。とのこと。

つまり必然的に上級者になればなるほど構えは開く。ということになる。


自分の意見と先生の意見、一長一短はあるだろう。

スタンスというか受けというものに対する思想の違いとも言える。

ただ、自分の今までの少林寺人生において『虚実』をあまり意識していなかったことも事実。

拒絶をするのではなく、いったんフラットに分析してみようと思う。あまり外に手を開く気はないが、二つのスタンスを融合させる手はないものか。

攻撃線を未然に制しつつ、虚も誘う。

それを模索しよう。

そのための第一歩として一旦は手を開いて虚を誘う方法を自分のものとしよう。

そして副道院長には今度謝っておこう。



・・・むちゃくちゃ長くなってしまった。
後輩の引退試合が近づいてまいりました。

ちょこちょこ練習を見に行っては、口出しとかもしているんですが、口出しをするからには相手が納得するようなものを言ってあげたい。

僕の「良い」と思うものと後輩の「良い」と思うものがすり合わさっていない状態での口出しは『船頭多くして船山に登る』といった状態を作るにすぎないと思うからです。

さて、では自分と後輩とで求めるものが一緒かというと、ここはある程度同じように思えます。

僕も後輩も演武が嫌い(好きではない)なもので、正直どうでもいいんです。
ただ、自分らが4年間費やしてきた部活の最後を締めくくる大会で、低い評価しかえられないのなんて耐えられない。笑って卒部したい/させたい、というところに焦点があります。(後輩は演武が好きかもしれません。)

つまり勝てる演武がしたい、というところに落ち着きます。(くだらないですけども!)

じゃあどういう演武が勝てる演武なのか?

ここで食い違いがありそうなのです。

端的に言うと、構成中の突き蹴りの当てる/当てないの問題です。

昔はばしばし当てていて、腹で喰らうなんてことはざらでした。
今は(2年位前から?)クリーンヒットをすると減点をされる、ということが言われているようで、すべての攻撃を綺麗に捌くような構成になっています。
(天地拳相対等では、必ず受けを付けろ、やられっぱなしになるな!ということはありましたが、自由組演武の採点項目にまでは影響はなかったかと思います)


まぁ確かに構成の上から、喰らうのがわかっているのもおかしな話だけども、攻者の攻撃に対して、後先必勝の機を捉え反撃しているのに、いともかんたんに捌かれるのも同じぐらい疑問です。

おかげで、後輩の演武は常に軸が立っていて、体勢が最初から最後まで崩れることのない、綺麗な、そしてどちらが優勢なのかわからない、(味気ない)演武になっています。

形だけでも受けを付けさえすれば、喰らっていいんでしょ?とも思いますけど、そこはグレーゾーン?かもしれないので、やらないほうが無難という話もあったりなかったり。

まぁ審判講習会資料とかみたらわかるっちゃわかるんですけどね。
でも本当にそこに書かれている基準で統一して審判が採点しているかというと相当、すんごく、疑問ですし。

自分が責任をすべて負えるのならば、通常考えて回避不能な反撃はどんどんあてさせますけどね。

難しいものです。

てか、こんなに基準の移ろいやすいものに何か意味があるのかと。

練習手法としての演武は嫌いじゃないけど、大会用の演武やそれを採点されるのはやっぱり苦手です。

最近少林寺熱が再開してます。

仕事への気持ちが薄れている証、ごほっごほっ。


さて、最近こんな練習してみたい。

待気構(上段の直突を誘う構え)のとき、下段や中段等の攻撃が来たときの捌きの練習をしたい。

どうも約束事のようにみんな上段を攻撃してくれるので、どうも意識も上段に行ってしまっていて良くない。

本来的には「意識は首以下にあって、防御の意識も首以下は完璧。そのぶん上段が隙だらけだから相手が上段をつきやすい」という構えなのに、いまや本末転倒。この構えを構えたら少林寺をしている人は気を遣って上段を攻撃してきてくれます。なので意識もついつい上段に。なんぞこれ。

ローキックがきたら?

中断廻し蹴りがきたら?

思いっきり踏み込んできて中段突きを打って来たら?

問答無用で中段へ渾身の蹴りこみをしてきたら?

上段廻し蹴りとかも困るかもしれない。

「待気構を構えたら上段をまっすぐ突くものだ」という暗黙の了解。
こいつが良くない。

が、

上記の受けをしっかりできるようになった上で、何も知らない人が、「隙があるのが上段しかない。なので上段しか攻撃できない!」と無意識的にでも思ってしまうような誘いができるようにならなければならない。

んー、むずかしひ。

道場にいけないので、日常で八方目の練習をしています。

八方目とは「見るとは無しに全体をみること」。
葉を見て木を見ず、木を見て森を見ず、にならないように、全体に均等に視線・意識を集中させておくことだと思っています。

上で「視線」と書いたのですが、この表現はあまりよくなく、あくまで視界があって、それが視「線」として集約されてしまうと、もう違うのかな。とおもっています。

学生時代はマニアックに少林寺の練習をしていたので、一時期はとてもいい感じにできていたように思えます。今はそんなに上手くできません(八方目はかなり難しいと思ってます。)

昔の感覚を思い出しつつ箇条書きしてみると
・物を見るのではなく、動きを見る
・水の中の物体が動いたとき、水の振動で動きが察知できる感覚になんか似ている
・文字とかを読むのは無理(できる人いるのかな?いたらすごいと思う)
・乱捕中に行うのは自ずと平常心が必要

んー、あまり覚えてないな。。。

昔、「ああ、これか!」と思ったときは、外を歩いていて、自分の影が妙にアクティブに動いているように見えたときですかね。

普通は自分とシンクロして動く影って相対速度的には止まっていて、歩く場合には(自分が揺れることで)景色が振動しているように見えるもんですが、このときは景色が止まってて影が揺れてるように見えて面白かったです。

・・・本当に影がアクティブに動いていたと言う可能性もまったくの0ではありませんが(ウソです。)

だいぶマニアなことを書いた気がする。いまはそこまでできやしないのに。
だめだね。
社会人って必然的に練習時間が減りますな。衰える一方です。
道場の練習のあと、道場の皆様といつもの如くだべってました。
この時間がすばらしい。

で、今回、高校生が「僕鈎手ができないんですよ」との発言。
あなた、黒帯ですよね?!

とは言わない。

「俺の鈎手、普通のひとのとちゃうねーん。」
と言いつつ独自理論を展開。いつものとおりですとも。

そしたら副道院長に、
「この子は本当に基礎もまだまだだからそういうことはまだ言わんといて。」
と注意されました。んで、鈎手の5要素
1、肘を体幹につける
2、五指を張る
3、半身になる
4、腰を落とす
5、円環の気
を教えました。

正直この5要素。眉唾です。すくなくとも4つは無視しても鈎手はできました。
まぁ別にここで突っ込んだ話をする気はないですけども。

無理やりまとめると、今回思ったことは、
自分が知らないことを認め、それを学ぼうとするスタンスはすばらしい、ということと、
「学ぶ」ということが「考える」よりも「教えてもらう」 に直結していることは寂しい、ということでしょうか。

こんな鈎手、どこで習ったんですか?と聞かれたけど、自分で考えたんだよ。いろいろ悩んで。悩まなきゃ何も始まらないから。

後輩に柔法を教えていて、


「んじゃ、ちょっと掛けてみ」


と言ったところ、力技で掛けられて手首を傷めました(泣)




思うに技の良し悪しというものには、前提となるスタンスがあるかと思います。

スタンスと言うのは目的と言ってもいいですけども。


実戦⇒相手を制し・自分の身を守るのが目的。技の綺麗さ等は二の次。

練習⇒練習相手を倒せたからといって万事OKというわけではない。

    理を考えて、更なる向上を目指す。


実戦では相手を倒せさえすれば力技でも何でも問題ないかと思います。勿論綺麗な技で倒せればそれに越したことはないですけど。


一方練習では、力技で倒せたからと言っても、理に適っていない動きならばそれを良しとせず、技の改善を考える

必要があるかと思います。


昔本山合宿でならの大先生に逆小手を掛けられた際、30分ぐらいは手がしびれていて拳も握れない状態になったんですが、1時間後には痛みが残っていませんでした。あの境地に達したいものです。


しかるに、今回の件、技が上手いとされている後輩だけに、今のままだと他の後輩が「柔法を練習すると手首を痛めるから嫌」という状況にもなりかねない(そういう後輩はそういう後輩でぬるすぎるけども)。


まぁ力技でも掛かればいいじゃんという状況は誰しもが一度は通るところだとは思うので、後輩の現状の技をそこまで嘆いてはいないですけども、もうすこし掛かり手に優しい技を身につけてくれれば、と思ったり。

たいした話ではないのですが、以前飛受身みついて書いたときに、速く受身を取るには足の振り上げを速く すればいい 、といったようなことを書いたかと思います。


書いたときから、「ほんとにそうか?」と思いつつ書いたのですが・・・


ちょっと今日考えながら練習してみました。


足の振り上げは上半身の倒しによる反動と大殿筋などの体を反らす筋肉による力によって行われると思っています。(素人考えですが)


で、受身を取る際には、通常お辞儀するように上半身が倒れ、足と頭が近づく形になります。


この状態から足の振り上げにより更に勢いがついて、速い受身が実現する、というのが前回の記述です。



まぁ振り上げが早ければ受身(回転)が速くなるというのは、そりゃそうだ、って感じだとは思います。



で、上半身を倒す反動を使えば足の振り上げの初動作は速くなると思います。


そして体を反らす力が大きければ、振り上げられる範囲が広がり、さらにスピードもつくでしょう。

⇒つまり回転も速くなるでしょう。




でもですね、この背中を反らすのに使う筋肉による回転速度の増加っていうのは、どれほどのものなのでしょうか?


ここにたいそう疑問がありました。



で、他の受身がうまいひとの受身を見ていたのですが、やっぱり純粋な『縦回転』というものは誰もやっていないのかなと思います。


お辞儀の状態では足は真後ろにあがり、それゆえに「縦回転」と言われているのですが、早く回る人ほど、そのあと上半身が横に入り、この上半身がシャフトのような働きをするかのように足が回り(竹とんぼのような感じ)、それで受身をこなしているように思えます。


つまり空中で横転より起き上がりをするかのような筋肉の使い方をしていると思うわけです。



僕個人の意見としては、体を反らす様な力の使い方よりは、体を空中でひねるような力の使い方の方が速く回転を行えるように思えますし、猫とかの着地にも似て自然な感じがあります。更に言えば頭を打たないようにするときに、ほんとに頭を足が飛び越えていくかのような受身(ほんとの意味での縦回転)よりは、頭が落ちる前に足を地面につけてダメージを軽減しようとする行いの方が安全面でもいいような気がします。


そんなこんなで、完全縦回転のような入りをして、そのあと上半身をやや横にし、竹とんぼのように足を振り回す、というかたちでの飛受身を身につけてみようかと模索中です。

先日飛受身を速くできるようにするために、足の振り上げをしなければ!ということを書きました。


で、振り上げには動的ストレッチを用いてやらなければ、ということも書きました。



そんな課題を持っている今、久々に解剖学の本を引っ張り出して骨盤まわりの筋肉を勉強してみました。

足を振り上げるときにお尻側の筋肉は力強く収縮してもらわねば困りますし、前面の筋肉は固まって動作を妨げることのないよう、ストレッチしてもらわねば困ります。

で、実際どの筋肉がターゲットなのか調べたかったわけです。



解剖学というものは面白く、普段何気なく操っている体のパーツ(手とか足とか)をさらに細かく見ることができ、通常人間が持っている認識とは異なった構成(すなわち仕組み)で体が動いているのだと教えられます。


認識の分解ですね。


昔とある理系の女の子慣れしていない男が、好きな子に向かって「君の微分はもう終わったよ。あとは君を積分したい」と言ってたいそう気持ち悪がられたという、ウソかまことかわからぬ言い伝えがあります。


この微分と言うのは個々のパーツに分けて、細分化した、一局面的な分析を行うということと解釈しています。

そして積分と言うのは各パーツごとの情報を統合し、全体像を把握することだと、これまた解釈しています。


まぁ、言い方を直したところでこの男の子はきっと気持ち悪がられるのでしょうけども。。。




で、解剖学ですね。


例えば肘から先をぐるぐる回すという動作、肘を止めて手先が円を描くようにまわすわけなんですけども、認識上は肘から先が円運動しているようなイメージを通常持つものと思います。

しかし解剖学によりますと(大げさな言い方ですが)肘はあくまでも屈曲と伸展しか行わず、円運動と思わせる横方向の動きは肩が行っているということを学べるわけです。


そのように認識を改めると動きも変わるものと思っています。


そしてこれら各パーツの動きの所在(どこの関節のどの筋肉が働き動作につながっているのか)を突き止めたら、それらを同時進行的に、一つの動作が他の動作を妨げることなく、むしろ連動する形で行えないものかと考え、全体の動きを作っていこうと思っているわけです。


足の振り上げの話はほとんど関係ないですが、解剖学の本を見つつ、上記のようなことを考えていた学生時代を思い出し、懐かしい気持ちになりました。


まとまり悪いですが、こんなところで。

先日友人らと飲みました。


友達の友達という間柄の人もいて(全部男なので合コンとかではないのが残念ですが、笑)、その中には会うのが極真と合気道の経験者がいました。


「ほう、あなたも武道を。極真と合気道とはなかなか手広く修めてらっしゃる。」


「おや、あなたもですか。少林寺とはまた乙なものを。」


という感じで(※実際にはこんな会話はありません)、お互い乱捕りからはしばらく離れているなぁ、とかなんとか話してたら、そこいらへんで軽くこそっとやりませんか、という話に。


まぁあれですね。お酒のせいです。


近くの公園に行って、首から下のみで(上段蹴なしの極真ルール)でちょっと遊んできました。


このルールだと体重差がもろに出るのに、結構強めに打ち込んでしまったのが今になると申し訳ないです。

お酒のせいです。


次の日の朝ローキックをくらった左足があざになってたのもの久々で懐かしい感じです。




結論:お酒のせいです。

今日は少しだけ飛受身の練習もしてみました。


飛びを速くするにはどうするべきか

⇒足の振り上げを大きく速くすればいい


というかんたんな問答があるわけですが、いかんせん僕は体が固く、振り上げてもすぐに振り上げの限度まで達してしまい、回転速度を速めるのにはあまり役立っていない模様です。


しかも困ったことに「体が固い」というのは厳密には間違いで、前後開脚はほぼ180度開くので、静的ストレッチとしては柔らかく、動的ストレッチとしては固い、というややこしい状態にあるわけです。


まぁああだこうだいいましたが、やることは一つ。


止まったままのストレッチは十分なので、ひたすら足を振り上げる練習をして、動作の中での可動域を増やすこと!これに尽きます。



・・・脂肪を落としたほうが早いのでは、という話もありますがね。