高校時代
『相手に掌でも手の甲でもないところが見えるように』
かつ
『指先は目の高さ』
とならいました。一番オーソドックスな教え方だと思ってます。
大学時代も同じでした。高校時代と同じ構えで特段注意は受けてないかと。
本部合宿では
『実際に手を構えるのは相手が攻撃しようとしてからでもいい』
『相手の(左)肩を(間合いは違うけど)そっと外から押さえるように』
と習いました。
二つ目のは相手の攻撃線(相手の突きが肩から真っすぐ伸びてくるとして相手の肩と
この本部の方法が高校・大学時代に思っていた掌も手の甲も見えない位置で、という
ですので攻撃線から外れた位置に構えた手は意味不明ですし、僕が演武の採点者なら
さて、今の道場ですが、この手を大きく開き、体の横ぐらいまで持っていきます。
僕は上に書いたスタンスで永らくいたものですから、とても受け入れられません。
今日副道院長(?)に構えを直されたのですが、猛反発してしまいました。
基本僕は自分の行動・技を常に理論的に説明できなくてはおかしい、とおもってる人
1、攻撃線を制するための手として。
2、横に開くと振突には対応できない。振突を制しつつも上段を好きにするためにこ
3、横に開くと右手による払受の選択肢を殺しており、不意に回蹴りを蹴ってきた場
などなど。
んで、先生に聞いてみたところ、右手の位置はどこでもいいと。
『構えの手の位置は究極的にはどこでもいい』というのは賛成です。体構と気構とい
その上で手を開くことのメリットは何かと聞きました。
手が自分と相手の間にあると、相手は心のどこかで『受けられる』という意識で攻撃
するとこちらが受けたあと、すぐさま防御態勢になっており、それは受けとして虚で
なので構えとしては、相手が(これなら受けられないだろう)と思う位置で、なおか
つまり必然的に上級者になればなるほど構えは開く。ということになる。
自分の意見と先生の意見、一長一短はあるだろう。
スタンスというか受けというものに対する思想の違いとも言える。
ただ、自分の今までの少林寺人生において『虚実』をあまり意識していなかったこと
拒絶をするのではなく、いったんフラットに分析してみようと思う。あまり外に手を
攻撃線を未然に制しつつ、虚も誘う。
それを模索しよう。
そのための第一歩として一旦は手を開いて虚を誘う方法を自分のものとしよう。
そして副道院長には今度謝っておこう。