~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -28ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

三社祭 祭の意味は?



浅草では

来月には、三社祭が行われます

この祭り伝統的行事として各地で行われます



この祭りの語源

「祀る」からで、本来は神を祀ることなのです

神を待つの「待つ」からともされます



祭をする為に、
神職がしなければならない事があります

物忌み(ものいみ)です



物忌み(ものいみ)とは、

飲食・言行などを慎み、

沐浴をするなどして、
心身のけがれを除くのです



そうすると、

神職のお方の周りに、
精霊が集まってくると言います

神職が、神様と同じようになり、

この土地の守り神の神霊を呼ぶ事ができ

この神様を おもてなし するのです



おもてなし  が・・・

供え物、御神輿、神楽 などでございます

神様に楽しんでもらうのです



充分楽しんで頂きましたら



神様に戻って頂きます

昇神の儀(しょうしんのぎ)でございます



これが、本来の 祭(祀り) なのです

現在では、神職の方だけでなしに

氏子なども参加した行事となり

氏子と神様が一体になり
執り行う行事となったのです



良く考えて下さい

常に神様が御一緒されていますぞ

お忘れなきように



喧嘩など もってのほか でございます



浅草三社祭の日程でございます



五月十五日 木曜日 

午後七時   本社神輿神霊入れの儀
(
ほんしゃみこしみたまいれのぎ)

五月十六日 金曜日 

午後一時     大行列 

午後二時二〇分  びんざさら舞奉納(社殿)

午後三時     びんざさら舞奉納(神楽殿)

午後三時三〇分  各町神輿神霊入れの儀
(
かくちょうみこしみたまいれのぎ)

五月一七日 土曜日

午前一〇時   例大祭式典

正午      町内神輿連合渡御
(
ちょうないみこしれんごうとぎょ)

午後四時   奉納舞踊(神楽殿)

午後五時   巫女舞奉奏(神楽殿)

五月一八日 日曜日

午前六時  宮出し 本社神輿各町渡御
(ほんしゃみこしかくちょうとぎょ)

午後二時 巫女舞奉奏(神楽殿)

午後三時 奉納舞踊(神楽殿)

午後四時 太鼓奉演(境内)

宮入後  本社神輿御霊返しの儀
(
ほんしゃみこしみたまがえしのぎ)



内緒の話です・・・



驚くなかれ・・・

「祭」の漢字の意味は、
本来は葬儀を意味するものなのです

先祖崇拝と慰霊から来ていると言われますぞ

祭りに浮かれるので無しに
先祖様のことを 忘れなきよう願います

参考までに



一言多い とらんくすや。親父 でございました
































欧米諸国は、何故日本を

目指して押し寄せたのでしょうか?

黄金の国 
全て 黄金で飾られている夢の国が

中国より1500海里の処に有るらしい

あらゆる宝石が有る島である・・・


マルコ・ポーロ 東方見聞録からでございます


マルコ・ポーロ 17歳から父、叔父と共に、

アジア方面に旅をし、

故郷 ヴェネツィア に帰って来たのは、

24年後の事です


中国 元 クビライ に認められ

マルコ・ポーロは役人となっていたのです

しかも、17年間もいたのです

このお方 イタリア語の他に、

フランス語、トルコ語、モンゴル語、中国語に

精通していたのです


そこで、話に聞いたのでしょう

黄金の国 ジパングが有るらしい?


黄金の宮殿、白い肌の人々

奥州平泉 中尊寺金色堂 の 
お話のようでございます


この話が、東方見聞録 で、伝わり

日本が、憧れの国となるのです


アメリカ大陸を発見したコロンブスも、

この東方見聞録を読み、
この本の中に、

書き込みを、何と 
366か所も入れているのです


多分、黄金の島 ジパングを目指していたのが

アメリカ大陸の発見となったのではないでしょうか

いいえ、発見では無いと言う説もございますが・・・


とらんくすや。親父 の考えは、

黄金の島を探していたのが本当だと思います

金に目が眩んでいたのでしょうかね~

コロンブス最後まで、ここは、

アジアの何処かと思っていたようですよ


コロンブスはアメリカ先住民を虐殺しています

また、アフリカでの奴隷商人であった彼は、

このアメリカ大陸でも

同じ事をしているのですぞ


黄金 やはり 目が眩むのでしょうか?


間違って頂いたお蔭で、

日本は助かっていますね


まして来たとしても、

武士道の塊、強い侍が壊滅させるでしょう

勤勉な、頭の良い日本の庶民も、
黙ってはいませんぞ


その後、

欧米諸国が、手練手管で、

日本を植民地化しようとし

迫りましたが、

日本は、鎖国と江戸幕府のお蔭で

白人による植民地化を逃れたのです


とらんくすや。親父 

江戸城に向かって感謝でございます
















長者番付 江戸と現在 比較


大相撲の番付に見習って、

江戸時代には、沢山の番付表が作られました

楽しんでいたのです


その中に、長者番付なるものがあります

何時の世も、お金 羨ましいのでしょうね


江戸時代


伊勢屋、松坂屋、鴻池、
田原屋、越前屋、伏見屋

大丸屋、などが見えます

ご服などを売ることと、
両替商等をして稼いでいました

あと、酒問屋、木綿問屋、札差しなどが、

お金持だったのです



現在の長者番付表

以下の如くです (2013年)


一番 孫正義 18730億円 ソフトバンク
二番 柳井正一家 18220億円 
ファーストリテイリング

三番 三木谷浩史 9470億円 楽天
四番 滝崎武光 6720億円キーエンス(センサーなど)
五番 毒島邦雄一家 4990億円 三共(SANKYO
六番 森章一家 4280億円 森トラスト
七番 伊藤雅俊 3560億円 セブン&アイHD
八番 高原慶一朗 3560億円 ユニ・チャーム

九番 韓昌祐一家 3460億円 マルハン
十番 三木正浩 2850億円 エービーシー・マート

十一番 光通信 十二番 日本電産 
一三番 コロプラ(ゲーム)

一四番 ガンホーオンラインエンタープライズ

一五番 大東建託 一六番 グリー 
一七番 コナミ(ゲーム)

一八番 森ビル 一九番 ドン・キホーテ

二〇番 ユニバーサルエンターテインメント

二一番 ニトリ 二二番 ベネッセホールディングス

二三番 スタートトゥデイ 二四番 サントリー

二五番 セガサミーホールディングス
パチスロ・ゲーム)

二六番 プロミス 二七番 大正製薬


現在では、通信機器、ゲーム、

パチンコ業界、消費者金融などが、
上位に顔を出しています


会社そのものの番付ではございません

社長、オーナー、一族の稼ぎの番付です

一躍長者に躍り出る
・・・何か?

キーワードが潜んでいるようですね


江戸時代と変わらぬところは、

両替商、現在で言う消費者金融でしょうか


また、江戸での数値は出てきませんが

日常茶飯事に博打が行われていました

現在では禁止されていますので・・・

それが、
パチンコやゲームになったのでしょうね


江戸時代長者番付と、現在長者番付

ある意味 似ております


とらんくすや。親父 

藩津(ぱんつ)の販売では、

逆立ちしても・・・駄目 駄目 です

考える事さえ 申し訳ないと存じます















江戸の 勤勉革命 何?


江戸時代初期は、人口1500万人でしたが

江戸後期1800年頃には、

人口3000万人に達していたのです


徳川家康様から始められた

灌漑事業が進み、

平地での水田の広がりを見せましたが

農業用地の拡大は、見込めなくなりました


農地拡大無し、人口増 から

生みだされた 農業における日本的手法が、

勤勉革命なのです


他の国(イングランドなど)では、

家畜を使い機械的なものを

動かし効果を上げる方式(農業革命)ですが


日本では、違うのです

が沢山いるのです

家畜を使うには、餌など維持費がかかります

人間が耕した方が良いと考えたのです

犂(すき)鍬(くわ)などの軽量化で、

人間がやる方が効果的だったのです


家畜力⇒人力 なのですぞ


また、土地の有効活用 そうです

二毛作


そして、

更に時間活用です

余った時間の活用として、副業です

お酒、味噌を 作ったり、

雪が降る輪島などでは

そうです 伝統工芸品を作ったりしたのです


お米には、年貢が必要ですが

副業は納めなくてよいのですぞ

・・・え~ですね


農民は、長時間働くことが

当たり前となっていくのです


勤勉の倫理観が養われていくのです


日本人の何かを生み出していく勤勉さと、

西洋のように、

無駄を排除するという合理性からくる

勤勉とは、違うと思いますね

時間から時間無駄の無い動き、

機械的動きが正しいという考え

う~ん 納得できない 

とらんくすや。親父 でございます

心の無いマニュアル的思考好きではありません


もう一つ


農書 です


数多くの農書が書かれました

計画性の大切さを示したり、

生産性の上がる方法であるとか


輸入に頼っていた、砂糖、蝋燭(ろうそく)、

薬草(朝鮮人参など)の

生産等に関するものです


鎖国の状況でも有り、自給自足が出来、

金銀の流出を防いだのです


農家 凄い の一言ですぞ

















中世のお寺 紆余曲折?


鎌倉時代、室町時代には、

寺社(お寺と神社)の勢力は
武士と劣らないものでした

朝廷、武家、寺社が、
三分する程の勢力でした


安土桃山時代において、

武家達は、特にお寺は敵と考えていたようです

それもそのはず、僧侶達の戦闘技術は、

武士にも劣らなかったのです

武士の地位を築く為、
僧侶との戦いに出たのです

その出来事が、

織田信長が、比叡山を焼き討ちです

比叡山は、焼き討ちから、

紆余曲折を経ながら13年目に、再興されたのです

豊臣秀吉により、山門再興判物が発せられ、

造営費用として青銅一万貫が寄進されたのです


また、豊臣秀吉は、高野山へ圧力をかけたのです

豊臣秀吉は、服従を誓わせ、

石高(ごくだか)を大幅に減らさせたのです


武家と並ぶほど有った、お寺の領地は、

殆ど無くなっていたのが

江戸時代初めでございます

徳川家康 様

お寺を大事にしています



江戸幕府は、お寺を存続させる為に

寺請(てらうけ)制度
なるものを作ったのです


禁じていたキリスト教です

キリシタンで無い事を証明する制度

寺請証文を受けることを
民衆に義務付けられたのです

庶民は、寺請の寺院の檀家となったのです

キリスト教の締め出しや、

浪人の監視、発見を狙った制度だったのです

宗門人別改帳での、
住民調査の役目もあったのです


その事も有り

お寺は、江戸時代に入り

庶民の寄進で経営が成り立つのです

自分が属する寺で、
必ず葬儀を行わねばなりません

葬儀礼、戒名の授与に対する礼、
墓地管理の費用などです


その為、贅沢な暮しをする僧侶も

出現してしまうのです


少し、そこで 庶民の不満が高まりましたよ


この一部の仕組みが現在も続いております

日本における 寺社は、
庶民の拠所(よりどころ)とされているのです


お願いです お坊様 

私達の導きを切にお願い申し上げます

合唱する とらんくすや。親父でございます












神社仏閣と風水

神社仏閣の立地は、
考えられているのです

まず北方に、山を頂き、
東側に川、西側に、道路

南側に池や湖が有るのが、望ましいとされました

何故でしょうか 風水からなのです


そりゃそうです 

縁起の良いように考えるのは

何時の世も同じでございます


そして、東西南北に四神を当てるのです


四神

東 青  西 白虎

南 朱雀 北 玄武

陰陽五行説からでございます

東 青 西 白

南 赤 北 黒

東西南北のそれぞれの色と
守る霊獣がいるのです

それに合う地形が良いとされたのです

また、この霊獣様 
好む地形がございます


青龍  川 勢いよく泳げます

白虎  道(道路) 
ゆったりと歩きたいのでしょうか?

朱雀  池 池のほとりで 
のんびりしているのが合いますね

玄武  山 山のようにどっしりした


この地を守ってくれる地相のことなのです

四神相応(しじんそうおう)

四地相応(しじそうおう)

と言います


平城京及び、平安京も、

この考えから作られたのです


平安京

東青龍 ⇒鴨川

西白虎 ⇒山陰道

南朱雀 ⇒巨椋池

北玄武 ⇒船岡山


平城京

東青龍 ⇒川は、現在ございません

埋められてしまったのです、
少し池があるだけです

西白虎 ⇒日下の直越(ただご)え

南朱雀 ⇒五徳池

北玄武 ⇒平城山(ならやま)


この様な、考えは、

聖徳太子 様 が
広められたと言います

仏教からの動きなのですが

神仏習合です  

日本人のどちらも信じる素直な心でございます

神社にも広がるのです

朝廷の人が、大いに好んだのです

風水と、四神信仰が、平安京などや、

神社仏閣の立地の決め方となっていくのです

皆様、神社仏閣お参りの折りに

地形もご参考に願います


もう一つ 神社仏閣と風水から

龍穴(りゅうけつ)です

風水では大地の気が吹き上がる場所なのです

不思議なのです

龍穴とされる場所には

古い神社仏閣があるのです

天変地異とは無縁で現在に至ります

伊勢神宮唐招提寺日光東照宮・・・
などです


最後に、決めて

金龍山浅草寺 様 

山号の金龍が示す如く

龍穴(りゅうけつ)とされます

パワースポットでございますぞ

ちょいとついでにとらんくすや。

とらんくすや。親父 のご案内でした











江戸時代の経営


織田がつき 

羽柴がこねし天下餅 
座りしままに喰うが徳川



近世と言われる時代

安土桃山時代 35年 徳川時代 265年

結局徳川時代が、長く続いたのです


その徳川時代 突出しているのは

初代 徳川家康 様 と 

八代将軍 徳川吉宗 様 でございます


徳川家康様は、皆様ご存じの通りです

江戸開府、 1603年

現在の東京 お江戸の地盤を築きあげました

世界一の上水道網など

今から考えれば、素晴らしい事ばかりです


江戸時代 少し経った頃

贅沢が過ぎ、幕府の財政が、困窮を極めました

備蓄していた、財源も使い果たしていました


徳川家康 時代の年貢は

  七公三民 70%年貢30%自分

使い道は、江戸のインフラ整備だったのです

上水道、道路、町の整備など必要だったのです

灌水事業のお蔭で、

飛躍的に穀物の収穫が上がったのです


そして、50年が過ぎた時代

五代将軍 綱吉 時代では

  三公七民 30%年貢70%自分

 となっていました


庶民は可処分所得が増え、
贅沢三昧でございます

絹の着物、初物喰い(初鰹や初茄子)、

食事も、江戸の初めは、

二食しか食しなかったものが
三食となっていたのです


幕府の財政難当然でございます

旗本への給金も支払えない状況で

物を売っても、商人はお金を貰えず

現在で言う連鎖倒産となっていたのです


そこへ現れた救世主は、

八代将軍 徳川吉宗 様 です

幕府の財政を立て直したのでございます

凄いですよ!


大名への年貢微増 上げ米令

将軍自ら、頭を下げて頼みました


贅沢三昧の庶民を鎮める為

倹約令である、
奢侈(しゃし)禁止令を出したのです


吉宗 様 ご本人の質素倹約も凄いのです

将軍になり一番最初に行った事が

大奥の女性の暇出しです

選りすぐりの美人50人を集め

暇出しをしたのです

「器量の良いものなら、嫁にも行けるし、

雇っても貰えるだろう」

ということです 

何と心の広いお方でしょう


最終的に4000人いた大奥の人員を
1300人まで
削減したのです


吉宗様 自ら

一食 一汁三菜 一日 二食 着物は木綿

でございます

次は、・・・


新田開発をし、穀物の生産量を上げさせたのです

しかし、穀物の量が増えると見るや

資源の総点検をし、

地域のあらゆる特産物の生産に転換させるのです

中でも、

絹糸の生産、朝鮮人参の生産は効果が有りました

これらは、中国などから輸入していた為、

金銀が流出していたのです

さらに、

鱶(ふか)、鮑(あわび)、
海鼠(なまこ)昆布など

加工し、大量に中国に売ったのです

お蔭で、貿易収支が黒字になったのです


世に言う 享保の改革 でございます

七年で、黒字に転換し、

これ以降、累積黒字は膨らんでいくのです


まさに、江戸いや、
日本の経営者でございますね

これから以降の
江戸時代200年の礎となるのです

とらんくすや。親父 

江戸の経営語りでございました



















江戸 男の御洒落は、毛抜きで決まる



男の御洒落は、藩津(ぱんつ)で決まる

と申しておりますが、

もう一つ決まるものがございます



男の御洒落は、無駄毛処理からですぞ



現在でも、使っているでしょうが

平安時代ぐらいからあったようです



そのころは、鉄、ステンレスなどはありません

蛤(はまぐり)など、二枚貝を使い、

上手に無駄毛を挟んでいたのです




毛抜(けぬき)、もっと前は、
(けぬき)だったそうです

江戸時代には、鉄製、銀製で、

現在と同じような形態の物が作られたのです



剃れなかった無駄毛などを抜いたのです

しかも、ちょん髷(まげ)の時代です

頭の上の無駄毛は許せません



江戸の毛抜 小話



口の周りの髭を毛抜きで処理していた男に

別の男が、ちょいと貸してくれと言いました

「貸してやるが、汚い所の毛は抜かないように」

と、注文を付けました

口の周りを、抜き終わって、喉の下の方を

抜こうとした時です

「そこは、汚い所の毛だよ、駄目!」

????・・・どうして

江戸時代は、下着は、六尺褌(ふんどし)です

褌(ふんどし)を締める時、

顎(あご)に挟んで着脱するのです

それで「汚い」となったのです



毛抜 歌舞伎十八番

髪の毛が逆立つ という奇病の嫁いり前の娘

しかし、

文屋豊秀家臣の粂寺弾正

髪の逆立つ様子を見て驚き調べます

髭を抜こうとして毛抜きを使うと

毛抜きが、なんと勝手に立って
動くではありませんか

不審な動きをする毛抜きをたよりに、

弾正は髪の毛が逆立つ
からくりを見破るのです

天井裏に仕掛けられた大きな磁石と、

姫君に与えられた鉄の髪飾りで、

奇病を作り出したのです

婚礼を妨害し、

お家乗っ取りを企む家臣仕業だったのです

弾正はその家臣を討ち、

悠々と引き上げたのです



粂寺弾正(めでらだんじょう)

江戸時代 初演は1742年のことです

この主役の粂寺弾正は

二代目市川海老蔵様が演じられたのです



たかが 毛抜 
されど 毛抜 

でございます



とらんくすや。親父

毛抜に、無駄毛として処理されないよう

努力して参りたいと存じます




























何故 この商売を始めたのか?

久しぶりに尋ねられました


とらんくすや。  
を始めたころを思い出しました

紳士の藩津(ぱんつ)を売る店

人から見れば、不思議な店でございます


チェーンストア出身の とらんくすや。親父

でございます


前の会社 青春を捧げた会社でございます

団塊の世代出身ですので、
がむしゃらに働きました

気が付けば、30年近くになっていました


何故か、今辞めなければと、思い立ち

「0(ぜろ)」から、

一人で出発してみようと思ったのです


そして、紳士トランクス専門店に
行き当たったのです


紳士の下着というのは、当時では、

個性的なものが無いのです

女性の下着専門店は有るものの

紳士となると皆無です


男性が、可哀想 トホホ・・・


歌の文句じゃないけれど

(すみません とらんくすや。 ソングでございます)


♪ ♪ ♪ ・・・

お仕着せパンツはもういらない

好きなパンツを穿かせてくれ・・・

♪ ♪ ♪ ・・・


心に響きました

もっと、
男の人が楽しめる藩津(ぱんつ)を作ろうと

思ったのです

世の中に無い状況だったのです


しかし、男の世界・・・


♪ ♪ ♪ ・・・


男はいつも勝負士だ

仕事で勝負 恋で勝負 ギャンブル勝負

人生全てが勝負時

右か左か 東か西か 北か南か 

さてまた宇宙の果てまでも

全ては運命の舵どろぼう

行く着く先は天国か地獄

頼りになるのが勝負パンツ

そんな人生だから

好きに 好きに さてくれ

自分勝手にさてくれ

好きなパンツを穿かせてくれ

♪ ♪ ♪ ・・・


喜んで頂ける、また、人生の舵取りとなる

藩津(ぱんつ)を作らねばと

東奔西走 


国内の工場を見つけ制作する事が出来たのです


日本男子の舵取り

勿論 それは、和柄文様です

意味を知り、人生に活かしていく事が

男の道と言えそうです


失礼ながら

とらんくすや。親父

生意気に、男の道を喋ってしまいました

勿論 藩津(ぱんつ)道 中心でございます

藩津(ぱんつ)屋だけに
 中心を守護申しあげます
















子供を育てるのは 誰?



「旨く育ってくれない」


嘆く、奥様のお話を良く聴きます

また、ご主人様は、少し、

間を置いてお聞きでございます

お店でも、子供が悪さをすると、

叱るのは、殆どは、奥様でございますね



それではいけませぬ

たるものが、
養育するのでございますぞ



江戸時代は、

子供を育てるのは、男の役目だったのです

育てると言っても、
お乳の飲ませる訳では無いですよ

心を育てる、躾をする、

学問を習わせるなどでございます



商人の子供教育



三つ心 六つ躾、九つ言葉、

文十二、理(ことわり)十五で末決まる



養育 でございます

年齢に合わせて、

その時に一番大事な事を教えるのです



三つ 心 愛情を育てる

村の者皆が、わらべ歌を歌って、

脳の活性化を促すのです



六つ 躾 六歳までに挨拶、

箸の持ち方、一通りの躾を済ませるのです


九つ 言葉 九歳までに、

失礼でない言葉遣いができるようにするのです


文十二 十二歳までに、

いろは四十八文字の手習い、

数字、納品書、請求書、苦情処理書など、

様々な手紙の書き方を教えるのです


理(ことわり)十五 で末決まる
十五歳までに、

諸々のこと理解できるようにさせるのです

でないと、商人として使い物にならないぞ

と言い聞かせます



もう一つありますぞ



上方では、寺子屋

江戸では、手習指南所



早い場合は、五歳ですが、
七~八歳で習い始めます

十二~十三歳まで習います



入門料、学費は、
支払えるお金、もしくは、物で渡すのです

寺子屋の師匠は、
学問は金ではないと考えていたのです



子供の教育は、
大人全員でやるのが当たり前の風潮なのです

勿論 礼儀作法も教えます

勉強する時間も長いですし、
休みもあまりありません



立派な子が、育つ道理だったのです



江戸時代では、

文字が読み書き出来る人の率は

世界で一番高いのです



識字率 

日本 70~86% 1850年

イギリス 20~25% 1837年

フランス 1.4% 1793年

ロシア モスクワ 20% 1920年



江戸時代の日本の子供達は、
素晴らしいのです



子供を育てるのは、女性

いいえ、男性 それでもありません

地域全体で、育てねばならないのです

肝に銘じておかねばなりませんね

ということで エヘン・・・



赤ちゃんが御来店した時には、

とらんくすや。親父

脳が活性化する、
童歌(わらべうた)を歌わねばと

思っているこの頃でございます



チョチチョチ あわわわ
カイグリ  カイグリ
トットノメ
おつむ テンテン
ひじ トントン
いないいない  ばぁー