江戸時代の経営?
織田がつき
羽柴がこねし天下餅
座りしままに喰うが徳川
近世と言われる時代
安土桃山時代 35年 徳川時代 265年
結局徳川時代が、長く続いたのです
その徳川時代 突出しているのは
初代 徳川家康 様 と
八代将軍 徳川吉宗 様 でございます
徳川家康様は、皆様ご存じの通りです
江戸開府、 1603年
現在の東京 お江戸の地盤を築きあげました
世界一の上水道網など
今から考えれば、素晴らしい事ばかりです
江戸時代 少し経った頃
贅沢が過ぎ、幕府の財政が、困窮を極めました
備蓄していた、財源も使い果たしていました
徳川家康 時代の年貢は
七公三民 70%年貢30%自分
使い道は、江戸のインフラ整備だったのです
上水道、道路、町の整備など必要だったのです
灌水事業のお蔭で、
飛躍的に穀物の収穫が上がったのです
そして、50年が過ぎた時代
五代将軍 綱吉 時代では
三公七民 30%年貢70%自分
となっていました
庶民は可処分所得が増え、
贅沢三昧でございます
絹の着物、初物喰い(初鰹や初茄子)、
食事も、江戸の初めは、
二食しか食しなかったものが
三食となっていたのです
幕府の財政難当然でございます
旗本への給金も支払えない状況で
物を売っても、商人はお金を貰えず
現在で言う連鎖倒産となっていたのです
そこへ現れた救世主は、
八代将軍 徳川吉宗 様 です
幕府の財政を立て直したのでございます
凄いですよ!
大名への年貢微増 上げ米令
将軍自ら、頭を下げて頼みました
贅沢三昧の庶民を鎮める為
倹約令である、
奢侈(しゃし)禁止令を出したのです
吉宗 様 ご本人の質素倹約も凄いのです
将軍になり一番最初に行った事が
大奥の女性の暇出しです
選りすぐりの美人50人を集め
暇出しをしたのです
「器量の良いものなら、嫁にも行けるし、
雇っても貰えるだろう」
ということです
何と心の広いお方でしょう
最終的に4000人いた大奥の人員を
1300人まで削減したのです
吉宗様 自ら
一食 一汁三菜 一日 二食 着物は木綿
でございます
次は、・・・
新田開発をし、穀物の生産量を上げさせたのです
しかし、穀物の量が増えると見るや
資源の総点検をし、
地域のあらゆる特産物の生産に転換させるのです
中でも、
絹糸の生産、朝鮮人参の生産は効果が有りました
これらは、中国などから輸入していた為、
金銀が流出していたのです
さらに、
鱶(ふか)、鮑(あわび)、
海鼠(なまこ)昆布など
加工し、大量に中国に売ったのです
お蔭で、貿易収支が黒字になったのです
世に言う 享保の改革 でございます
七年で、黒字に転換し、
これ以降、累積黒字は膨らんでいくのです
まさに、江戸いや、
日本の経営者でございますね
これから以降の
江戸時代200年の礎となるのです
とらんくすや。親父
江戸の経営語りでございました