~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -2ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

杏林(きょうりん)とは? 医者?


杏(あんず)の木の林の事ですが


中国三国時代には
医者や医院の事を杏林(きょうりん)と言いました

何故、この言葉が、お医者さんなのでしょうか?


杏(あんず)・・・

中国では高級な果物であり

種子のことを、生薬キョウニン(杏仁)と言われ

鎮咳、去痰、嘔吐に用いられます

麻黄湯、麻杏甘石湯、杏蘇散などの
漢方処方にも用いられます

キョウニンを水蒸気蒸留して精製したものが

キョウニン水で、鎮咳に用いられます

杏仁(あんにん)豆腐は、
本来は薬膳料理なのです


杏(あんず)・・・高級なものなのですね



三国時代の名医 
董奉(とうほう)様の故事からです

董奉(とうほう)様は、名医だったのです

建安の三名医と言われた一人です

三名医⇒ 董奉 華陀 張仲景


この董奉(とうほう)先生

治療代を受け取らなかったのです

重病の人を直した時には、
杏(あんず)の木を5株植えさせ

軽い病気を治した時には、
杏(あんず)の木を1株植えさせたのです


そして、数年が過ぎ、
杏の木は十万本にもなったのです


鳥獣を全てを杏林の中で遊ばせたのです

雑草が生えず、綺麗に整地され、

草を鋤(すき)で取り去ったようだったと言います


当然 杏は、沢山取れたのです

その杏の実を器一杯の穀物と
引き換えに持たせたのです


集まった穀物は、
貧窮者の救済に使われたのです


江戸時代の医者といい、
中国の三国時代の医者といい

本当に立派でございます


わが身より、人民の為でございます

この董奉(とうほう)先生

三百余歳も生きられたと言います

しかも、容貌は、三十歳のようであったそうです


金儲け主義ではいけないのですね

とらんくすや。親父も頑張っています


高価な金あしらいの生地を使い

豪華絢爛な、藩津(ぱんつ)を作っていますぞ


大人気です、お値段は同じでございます

すみません

悟りの境地に達していないので

お代金を頂いております・・・あしからず

トホホ・・・百歳も無理でございますね














人に善言を与うるは、
布帛よりも暖かし


人に良い言葉を与える事は、衣服を与える事よりも

暖かいと言う意味ですが

驕り高ぶった言動は、人間として災いであると、

慎みは、五種の武器さえ退かせる力が有り

慎ましさ 

これは、鋭い矛(ほこ)先でも及ばないのです


なので、良い言葉は衣服を与えるより暖かく

人を傷つける言葉は、矛(ほこ)よりも

深い傷を負わせる事になるのです


荀子(じゅんし)が「礼」について

述べたものです


ところで、とらんくすや。にも

縁起言葉が含まれた藩津(ぱんつ)が、

勢揃いしています

藩津(ぱんつ)の柄には、意味が有り

それを、知ることで、


人に善言を与うる

と、同じ事になるのです

やはり、これが、一番の贈り物ですね

ラッピング致しておりますが、

和柄の意味を千社札シールにして
貼付致しております

貰った方は、その意味を知り、
心暖かくなられるのです


人に善言を与うる藩津(ぱんつ)は、

普通の藩津(ぱんつ)よりも暖かし


とらんくすや。親父

荀子(じゅうし)様も、味方に付けておりますぞ

あいすみません 手前味噌でございます










努力とは何者ぞ?


目標を掲げ、そこに到達する為に

心と体を使って、邁進することなのです


幸田露伴は「努力論」なるものを表していますが

やはり、目標がはっきりしていないと

駄目だと言っておられます


エジソンも言っておられます

Genius is one percent inspiration,

ninety-nine percent perspiration.

天才は1パーセントインスピレーション、

99パーセント汗(つまり努力)であると


努力 う~ん 必要でございます


勤勉さ、世界に誇る日本の美意識ですね


質素倹約で有名な

江戸時代の米沢藩主 
上杉鷹山(うえすぎようざん)様


成せば成る

為さねば成らぬ何事も

成らぬは人のなさぬなりけり


その気になれば出来ない事は有りません

努力が足りないから出来ないのですよ

と、仰っています


孔子様も、仰っています

力足らざる者は中道にして廃(はい)す

今(いま)女(なんじ)は画(かぎ)れり


力の足りない者は、何時も途中で

諦めて止めてしまう事になるが、

お前は、力が有るのに努力する気が無く

自分自身で見切りをつけているのだ


投げ出さないで、やり抜けと、

弟子に仰っているのです


努力

「女」+「又」=「奴」+「力」=「努」

少し、意味深ですが・・・

女性のではありません 
「又」は「手」の事だと言われます

「奴」が「力」仕事をする
「つとめる、力を尽くす」という意味なのです


努力なくして何も為し得ませぬぞ

肝に銘じる とらんくすや。親父でございます














松や柏(かしわ)の様に?


子曰く、年寒くして、

然る後に

松柏(しょうはく)の凋むるに

後ることを知る


孔子様が言われました

季節が変わって、寒くなり

他の木が枯れてしまった後に、

松や柏(かしわ)だけが、寒さにめげず

散らずに、緑の葉を付けたまま

立っているのが見えます


この様に、平素は人の価値が判らないが

何か事が起きた時、

其の人の本当の価値と言うものが

判ると言うものだ


は、千年も万年も根を張って留まり、

常に緑の葉を保つ、神様を待つ木と言われます

松の変わりない姿と、本当に価値のある人とを

重ね合わせた言葉だと感じます


(かしわ)は「神聖な木」と見られ、

新しい葉が出るまで

枝から枯れた葉が落ちない

「古いものから新しいものへ譲る」

「代が続いて子孫繁栄」などに通じる

松柏の姿、ぶれない、

そして何時までも緑を保ち、同じ姿なのです


とらんくすや。親父

その様に有りたいと常々考えていますが

なかなか、孔子様のようにはいきませんね


松柏千年青(しょうはくせんねんあお)


とらんくすや。

千年、青々として、
枯れずに営業して参ります








とらんくすや。親父 
真面目な商人で参ります


無商不奸

中国の四字熟語ですが


無商不奸

(うー・しゃん・ぶー・じぇん)

と読むそうです


商売人には、

ずるさ、したたかさも必要であると言う意味ですが

中国においての商人の話になると、

騙して当たり前、
騙される方が悪いとの風潮が有ります


ですから、問題になっている

産地偽装、化学汚染、品質の不確かな表示

中国では、日常茶飯事であると言います

とらんくすや。親父も、

ある中国の工場を視察した折、

どう見ても、綿100%の代物でないトランクスに

綿100%の品質表示をしているのを見ました

「何故?」と聞きましたが、

「大丈夫、大丈夫」と言う事で、

当たり前、気にする事無いと言う感じでした


しかし、とらんくすや。親父 始め

日本人は、真面目です

なかなか、この発想は理解できません


中国の戦国時代

兵法三十六計の中に見られます

騙して、相手をやっつける、
騙されるのは知恵が無い

という風潮です


兵法三十六計の一部です


借刀殺人(しゃくとうさつじん)

「刀を借りて人を殺す」である

同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける。


仮痴不癲 (かちふてん)

「痴を仮りて癲(くる)わず」

愚か者のふりをして相手を油断させ、時期の到来を待つ


笑裏蔵刀 (しょうりぞうとう)

「笑裏(しょうり)に刀(かたな)を蔵(かく)す」

敵を攻撃する前に友好的に接しておき、油断を誘う


美人計(びじんけい)

土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く


走為上(そういじょう)

「走(に)ぐるを上(じょう)と為(な)す」

勝ち目がないならば、戦わずに全力で逃走して損害を避ける


などなどでございます

日本人には、受け入れられないですね

武士の魂が宿っているのでしょうね


とらんくすや。親父 

今後も正直に参りたいと存じます

心に逆らう事は出来ません

中国の故事も良い所だけ学びたいと存じます















とらんくすや。 店舗は、

年末年始休まず営業します

恒例の開運根付けプレゼント

元旦より実施致します

是非 御来店の程お願い申し上げます


新作の商品が出来上がりまして

とらんくすや。親父 

てんやわんや 

でございます


これ 関西弁でございますかな


自分勝手にふるまい、混乱する事を言いますが


≪てんでん≫ ⇒ 手に手に 、各自 

これが変化し ≪てんや≫になったとされます

≪わや≫ ⇒ 無理や無茶の意味です

関西なまりで  ≪わんや≫

≪てんや≫+≪わんや≫でございます

すみません 

疲れてきますと標準語が使えません

とらんくすや。親父

お江戸に20年以上もいながら、

関西弁が出てしまいますね

申し訳ありません


その様な状態でございます

年末年始 とらんくすや。 家業に

専念致しますので

暫く、ブログをお休みと
させていただきます


申し訳ありません
1月7日 ごろより再開致します
ご了承のほどお願い申し上げます

皆様 良いお年をお迎えくださいませ

とらんくすや。親父



てんやわんや




鳳凰(ほうおう)様 
とらんくすや。



鳳凰(ほうおう)

鳳凰とは、伝説の鳥の事ですが

霊鳥でもあります


嘴(くちばし)⇒ 鶏(にわとり)

頷(あご)⇒ 燕(つばめ)

頸(くび)⇒ 蛇(へび)

背⇒ 亀

尾⇒ 魚

色⇒ 黒白赤青黄の五色だそうです

背の高さ⇒ 六尺程


凄い鳥でございます

だから鳳(おおとり)で鳳凰なのですね

次の様な話もございます

各々に紋があるとされます

どの様な紋なのでしょうか?

文字でしょうか?

頸(くび)⇒ 「徳」

翼(つばさ)⇒ 「義」

背(せ)⇒ 「礼」

胸(むね)⇒ 「仁」

腹(はら)⇒ 「信」


更に、恐れ多い鳳凰様でございます


聖天子の出現を待ってこの世に現れる

といわれる瑞獣(瑞鳥)なのでございます


その様な、鳳凰(ほうおう)柄の

藩津(ぱんつ)が出来上がっています

お正月にうってつけの商品でございます

お試しを


とらんくすや。親父からのご案内でした








とらんくすや。

年末年始

休まず営業



面壁九年(めんぺきくねん)

達磨(だるま)大師が、嵩山にある少林寺に籠り

壁に向かい九年間の座禅を続けた

そして、悟りを開いたのです



一つのことに忍耐強く専念すること

長い間わき目もふらずに打ち込んで

努力することの喩とされます



壁観(壁となって観ること)

「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」

その様な事から生まれた伝説とされます



しかし、達磨さん日本では人気でございます



人形の 「だるま」 さんは?





達磨(だるま)大師が、面壁九年の座禅によって

手足が腐ってしまったという伝説が起こり、

玩具としての「だるま」ができたのです



多くは赤色の張子(はりこ)で、

目の部分は書き入れずに

空白のままに残すスタイルです

そして何らかの祈願を行い、

祈願が叶うと目を書き入れるというものです

赤色は古代より魔除とされ

この赤色が好まれているのです



もう一つお話が有ります




七転び八起き

何度失敗しても、

諦めずに立ちあがることの喩ですが

浮き沈みの激しい人生の喩とも言えます

頑張って、転んでも立ち上がろうでございます



さて、七度転んで、八度起きるのは?

一つ多くないですか?



仏教の説法に基づきますと

「おぎゃ~」と生まれた時、

人間は一人では起き上がれないのです

親のお蔭で立ち上がらせて頂いたのです



そうです 親のお蔭で、
今のあなたが有るのです

この恩を忘れず生きてゆく、

そして、親への感謝を忘れない事です



とらんくすや。親父

達磨(だるま)柄の藩津(ぱんつ)を販売する時の

決まり文句の講釈でございます






























とらんくすや。 は、

年末年始
休まず営業致します


高山に昇らざれば
天の高きを知らず


高い山に登ってみなければ

天の高さを知ることは出来ない

深い渓谷を間近に見てみなければ

大地の厚さを知ることは出来ない

古代の聖王の残した言葉を聞いてみなければ、

学問の深遠さを知ることは出来ない


だから、学問と言うものは、

途中で止めてはならないという教えなのです


だから、途中で止めてサボってはいけません

と言う事なのでしょうか


何もせず、サボって終わる

一番いけませんね


浅草で言いますと

スカイツリーの一番上まで昇らないと

高さを知る事は出来ませんね

これは、お金を出せば出来る事ですが、



学問の高山
は、お金では登れません

本人の努力勉学以外にないのです

若者よ! 頑張れ! 

途中で止めるなよ、

高山に達するまでは・・・


此処からは

すみません 蛇足でございます


とらんくすや。  は、2階にございます

昇ってみなければ、

豪華絢爛、必勝、吉祥、開運 の

藩津(ぱんつ)達が、所狭しと、

並び咲き誇っているのが判る訳が無いのです


2階と言う高山?
に位置していますが、

是非、階段を上り、御来店下さい

階段がキツイからと言って、

途中で止めてはいけませんぞ!


学問の道ではございませんが・・・

藩津(ぱんつ)天国の道 

どうぞ 開け 護摩 お進み下さいませ



とらんくすや。親父
 

夢の中でございました

失礼致しました













驥尾(きび)に附()


蒼蠅(そうよう)驥尾(きび)に附()して

千里(せんり)を致(いた)


蒼蠅(あおばえ)は遠くまで飛べませんが

駿馬の尾に止まっていれば

千里も遠くへ行くことができる


驥(きとは、

一日千里を走り、今で言う約4000kです、

走る速さは、160kだと言われます

その様な素晴らしい馬なのです

転じて、優れた才能を持つ人の事を言います


小人物でも、賢者や俊傑の庇護によって

功名が立てられることの喩(たとえ)でございます


殷の時代の、
義士 伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)

弟子の顔回(がんかい)は、

孔子様という驥(き)に、認められたり

尾(しっぽ)に付き従ったので、

世の中で讃えられたのです


漢の高祖劉邦に従った樊 噲(はん かい)、
灌 嬰(かんえい)も同じといえましょう


持つべきものは、

良き師匠、良き殿様でございます


この世の中でも同じです

良き師匠に巡り合うか否かで

人生が大きく変わります


巡り会いです

恋愛もそうですね


やはり、ここは、招き猫様に託しましょう

とらんくすや。 の招き猫藩津(ぱんつ)で、

師匠との巡り合いですかな?

如何なりますかな?


大判小判に 招き猫 紺 (商品コード0114)

福猫ちゃん 整列! 赤 (商品コード0116)

招福 招き猫 紺 (商品コード0083)

まずは、招き猫藩津(ぱんつ)で気分を高めて、

孔子様のような驥(き)を探し求めましょう



これが人生の早道と思われます

とらんくすや。親父の 独り言でした