~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -19ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

徳、五徳、三徳、十徳、八徳 ?


お寺のマークは地図ではのマークで表されます

とらんくすや。 では、

沙耶形(さやがた)という文様にが見られます

この沙耶形の別名を、
卍崩し、卍繋ぎ、雷文繋ぎ とも言われます


この、マーク 

どの様な謂れが有るのでしょう

ヒンドゥー教や仏教では、吉祥の印とされます


この卍には、幸せや、徳が集まるとされます


さて、 とは 何でしょう


徳が有る人とは・・・

均整のとれた精神の人・・・
結果、他の人間からの信頼や尊敬を獲得する

この様な構図となるのですが・・・難しいですね


人間性を構成する精神とは・・・

気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、

名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義

全てが無ければ、徳のある人は言えないようです



徳が有る人 なかなか難しいですね


儒教から見た 徳とは

仁・義・礼・智・信の五徳

仁 ⇒ 他人に対する親愛の情、優しさ

義 ⇒ 堅く正義を守る、
我が身の利害を省みず、他人の為に尽くす

礼 ⇒ 社会秩序を維持する為の道徳的規範、

智 ⇒ 道理を判断し処理していく心の働き

信 ⇒ 友情に厚く、人欺かない、誠実である


う~ん 神様の様な行いでございます

とらんくすや。親父 とんでもございません

徳のある人間にはなれそうもございません
・・・トホホ


ならば 何かないかな?

徳を積む代わりに、
道具で誤魔化したのでしょうか

名前に徳の名がございました


五徳 ⇒ 土鍋などを置く支持具です

茶釜などに使う為、千利休らにより開発されたのです

五つの徳が有りませんかな・・・

  仁・義・礼・智・信の五徳

これは、当て字でございます ありゃ・・・

しかし、本来の思いは在ったように思います


三徳 ⇒ 鼻紙袋の一種で、
     爪楊枝なども入れていたもの

     現在で言うポシェットでしょうか

 三徳で、3つの徳があると縁起を担いだのです


十徳 ⇒ 江戸時代に儒者や医師などが着た

ゆったりした外出着です

   徳が沢山ある人に見えましたかな


八徳 ⇒ 俳諧の宗匠や画工などが着た胴服(どうぶく)

  八徳  仁・義・礼・智・信の五徳と、
      孝・悌・忠です

この服には意味が有りですね


古より、
徳のある人になりたい思いが見えますね

とらんくすや。親父は、これで頑張りますぞ


徳利(とっくり) 

   駄目ですね

酒を飲むなど言語道断ですね!
徳のある人とは、ほど遠いですね

失礼致しました

(余談  徳利は、酒を注ぐ音が語源の様です)

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日本を示す? 


本日も、お客様からお尋ねでございます

「私の娘がアメリカ人と結婚しているのだが、

 外人の婿さんに、何が良いかな?」

とらんくすや。親父 真面目に答えます

「日本を象徴するものですね」

一呼吸置き答えます

「国花と言われる、桜か菊

 国魚と言われる、鯉の柄ですかね」


そうなのです 

日本の 国花は、桜と菊
国魚は、錦鯉です


本来は、錦鯉に桜などという図案が

一番日本的柄と言えそうですが・・・

トホホ・・・ 現在はございません


国魚 錦鯉


鯉に関するお話では、
中国の伝説である登竜門伝説が有名です

流れの急な竜門を登りきり、

鯉だけが、 になったという伝説なのです

立身出世の難しい関門を通り抜け、成功に至る

其の事を、登竜門と言われるのです

日本では、
お受験にぴったりの図柄でございます


国花 桜


パッと咲いて、パッと、清く散る 潔い花

武士道に似た花です

一つ一つは小さな花ですが、桜の木全体を見ると

桜の清らかさに圧倒されます

和を持って貴しとなす でございます

桜は、日本人の美学を表した花でございます


この様なお話を致しました


国花 には、もう一つございます

   菊でございます


国花 菊


菊は花弁が、放射状です

日の光に例えられ日華(ひのはな)と言われます

菊の精気のある香り、百草の王とされます

重陽(9月9日)の節句は、菊の節句です

菊は、天皇家の紋章となっています

十六八重表菊」と言われるものでございます


更に、国鳥、国蝶がございます


国鳥 雉子(きじ)

国鳥に選ばれた理由は、雌(めす)は母性愛が強く、

雛(ひな)を連れて歩く様子が

家族の和を象徴していることからです


国蝶 大紫(オオムラサキ

切手の図案にオオムラサキが採用されたことを契機

国の蝶となりました


国を象徴するものとして、

花や、魚や、鳥や、蝶が、頑張っています

是非、ご確認くださいませ


日本を表す図柄の藩津(ぱんつ)を制作し続ける

とらんくすや。親父 でございます

本日のお勧めは、 鯉でございます

鯉に家紋に波 黒

(商品コード0006)
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花札は、「CART」(かるた)が変じたもの?


ポルトガル語で、カードゲームを指すものを、
「かるた」(CART)と呼ばれていました

安土桃山時代に、ポルトガルの宣教師により、
キリスト教、鉄砲と共に、伝来したものなのです
日本風にアレンジし、賭博に利用され、
大流行り致しました
「天正かるた」 と呼ばれました

日本風にアレンジしたカードゲームの「天正かるた」は、
棍棒、刀剣、杯、貨幣 4種類が、12枚です
12枚×4=48枚 + 鬼札、白札で構成です

トランプは、


1~13で、ダイヤ、ハート、クラヴ、スペード
13×4=52枚です


似てますな~
やはり、日本人 上手く取り込みますね
賭博による乱れによって、禁制となったのです

そして、生まれましたのが、
博打性を隠すための、花札なのです

数字の代わりに、花や鳥で表現した
花札なるものが出来上がったのです

これが、日本独特のものとなったのです
花札では、数字が、花などに化けていますぞ!


1月 松に鶴
鶴は長寿のシンボルとして崇められ、
松は常緑の大樹で神を待つ木で、目出度い
2月 梅に鶯(うぐいす)
雪の中で凛と咲きはじめる梅の花、
春一番に咲く知恵の花

万葉人が、「春告鳥」として
こよなく愛した鶯(うぐいす)

3月 桜に幕
春を告げる桜、五穀豊穣を祝う宴会の幕
4月 藤に不如帰(ほととぎす)
万葉集より
「藤波の、咲き行く見れば、ほととぎす
鳴くべき時に近づきにけり」

5月 菖蒲(あやめ)に八橋
ら衣 つつなれにし しあれば
るばるきぬる をしぞ思ふ
在原業平が東下りの途中に、三河国八橋にて詠んだもの
京に残した妻を思いつつ、

「か・き・つ・ば・た」を折り込んで詠んだのです

いずれが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)

(菖蒲は、花が咲きません、花菖蒲は花が咲きますが、

 水辺では無いのです、
よく似た杜若(かきつばた)なのです

意味深い、札なのです)


6月 牡丹に蝶
牡丹は花の王者、座れば牡丹立てば芍薬
伝説が有ります 宮殿の中の牡丹にとまった蝶は
黄金の蝶になった 
7月 萩(はぎ)に猪(いのしし)
萩は万葉集の中で人気のある花です
猪は多産の動物で、子孫繁栄の祈願
摩利支天が乗っているのは猪、火を防ぐ動物
8月 芒(すすき)に月 芒(すすき)に雁(かり)
中秋の名月には、芒(すすき)を飾る
9月 菊に盃(さかずき)
9月9日は「重陽の節句」です、所謂 菊の節句です


天皇様の紋章も菊でございます 
寿の盃との組み合わせです

10月 紅葉に鹿
人里離れた奥山で、紅葉を踏み分けながら、
雌鹿(めすしか)が恋しいと鳴く、
雄鹿(おすしか)の声、秋は悲しいもの
11月 柳に小野道風 柳に燕
柳は雨の象徴、平安時代の小野道風が
柳に蛙が何度も飛びつくのを見て、
書が、上達した故事に基づく

燕は春を告げる鳥で、吉祥
12月 桐に鳳凰
鳳凰は桐の葉に降り桐の実を食べると云う
桐は、白と紫の高貴な色の花をつけ、
必ず天を仰ぐように上を向いて咲く
「新しい風」を起こす立派な子供が授かる

なるほど、理にかなったお札でございますね
花札も、勝負事でなく・・・
縁起物として認識して頂きたいものです
とらんくすや。親父からのお願いでした
花札 藩津(ぱんつ)も登場ですぞ

花札(はなふだ) (商品コード0005)

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 に 生き方を学ぶ



とらんくすや。親父 
朝 水撒きを致します

向こう三軒両隣でございます



水により 汚(けが)れ が無くなります



私達の心の 汚(けが)れ を無くし

お客様にも、清々(すがすが)しく御来店頂く為です



 簡単に 一文字ですが・・・



水の如く のお名前通り

黒田 官兵衛(如水)様が言っています



水五訓



壱 自ら活動して他を動かしむるは 水なり

弐 常に己の進路を求めて止まざるは 水なり

参 障害に逢ひて激して勢力を倍加するは 水なり

四 自ら潔くして他の汚濁を洗ひ

清濁合せ入るる量あるは 水なり

五 洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり 

雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し

凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となり

而かもその性を失はざるは 水なり




また、

老子は言っています



上善如水、

水善利万物而不争、

居衆人之所悪



上善は水の如し、

水は善(よ)く万物を利(り)して争わず、

衆人の悪(にく)む所に居(お)



理想的な生き方をしようと思うなら、水のあり方に学べ

水は万物に恩恵を与えながら、

自分は人のいやがる低い所に流れていく



易経えききょう) 

彖伝(たんでん)には、次のように書かれています



水流而不盈

行険而不失其信



水は流れて盈(み)たず、

険を行きてその信を失わざるなり



川の水は何時も流れているので、

満ち溢(あふ)れる事は無い

険阻(けんそ)な地形に突き当っても

低きに流れる性質を変えない

なので、行く手を阻まれる事が無いのである



 の様に生きろと 教えて頂いています



その様な大事な水



江戸時代では、

お水は、大切なものでした

江戸の町は、干拓で出来た町なので

井戸を掘っても塩水しか出てきません

わざわざ、上水道網を作って江戸庶民の飲み水を

確保したのは、徳川家康 様です

小石川水道、そして、
神田上水・玉川上水が出来るのです

なので、家風呂など贅沢なものは、有りませんでした

有るのは、銭湯だけです

武士も、町民も、農民も同じ銭湯に入ったのです

そして、大事な水を節約していたのです



現在は、水を、贅沢に使い過ぎですね!

 反省です

人生の生き方をお教え頂いている 

水 様 へ 感謝 、

水の大切さを考え直すべきと、

心より思う とらんくすや。親父でございます


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千社札から名刺への流れ?


ラッピング

贈り物にされる商品のギフト包装

とらんくすや。 では、和風で包装致します

その時に、貼付するシールがございます

かなりの人気でございます


千社札 でございます

「せんじゃふだ」と、

「せんしゃふだ」と、言い方が二通りです

千社札の愛好家は、
「せんしゃふだ」と言います

濁音の無い濁らない読み方なので、
更に御利益があるからです


千社札

最初は、神社仏閣に参詣した証として

社殿の柱や梁に貼る紙札だったのです


江戸時代

神社仏閣に多く巡拝する事が流行りとなったのです

これを、千社詣(せんしゃもうで)と言われました

その時、貼るもの、千社札となったのです


墨で書いたものが主流でしたが、

千社札愛好家により、

何色もの色を使った色札というものが

使われるようになりました
 

これを「色札」と言います

紙製のほか、木札や、銅板札なども出ました


千社札神社仏閣に貼るだけではおさまらず

お互いに、この札を、交換し合うようになったのです

「交換納札」の始まりです


この「交換納札」違う処で・・・使われました

色街で使われたのです

「わたしゃ 花奴(はなやっこ)でありんす」

と、「色札」を旦那衆に渡すのです

色と色 合致しています
誠に「色札」でございます

明治時代には、

京都の芸子さんの「花名刺」

呼ばれるものになっていきます


千社札 どうも 名刺ですね?

しかし、少し、違うようです?


名刺は、中国が起源ではとされます

中国では、目上の人を訪問した際

自分の名前を書いた竹の札を

訪ねた場所の戸口に刺すという習慣から

「名を刺す」から「名刺」になったとされます


しかし、

名刺の発明者として登録されているのは、

フランス人の、ディストリというお方です


日本へは、

写真の技術と、名刺が、同じ頃に伝来致しました


「交換納札」の習慣のある日本人

名刺の仕組み 素早く呑み込み浸透し

世界でも、トップクラスの名刺の利用率でございます

年間 百億枚も使用しているのですぞ


千社札に開運祈願の願いを込めて

毎日、ラッピング致しております

とらんくすや。親父でございます


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 古(いにしえ)は簡単ではなかった?




とらんくすや。
御来店されるお客様

全国いや、全世界から来られます

ちょっと、言い過ぎですね

本日は、北海道からのお客様が、

朝一番御来店でございます

かなり前からの御贔屓様でございます

ご旅行だとの事です





現在は、簡単に旅に行く事が
出来るようになりました

海外へも自由に行く事が出来ます

しかし、

古(いにしえ)には、旅 とんでもない事でした



旅 左側の方 ⇒ 軍旗を意味します  

 旅の右  ⇒ 沢山の人を表します



旅 軍隊を表していたのです



大勢で、違う土地へ行く事なのでしょうか?

明らかに、現在の状況と違うようですね



古(いにしえ)には、一人や、二人で

見知らぬ土地に、

旅に出かけるなどということは出来ません

山賊もいます、

見知らぬものが入り込むと、

敵として攻撃する

当たり前の事でございます



まして、その国の領主が
許すと言う様な事は有りません

その状況化で、
旅に駆り立てたものがございます



狩人、漁師などで生計を立てる人達

行商人 物を売る商人です

現在の様に決まった場所で商売をするのではなく

旅をして売り歩くのが一般だったのです

例えば、富山の薬売りなどです



そして 信仰 です



僧侶が修行や伝道の為旅をする

一般の人の社寺への参詣です



平安時代には、 熊野詣 です

熊野三山への参詣です

熊野本宮大社 熊野速玉大社 熊野那智大社



室町時代、江戸時代には、 伊勢参り です

更に、西国三十三所、
四国のお遍路などが盛んとなるのです



これは、江戸時代に入り、

平和が続き、山賊などが極端に減少したからです

また、参勤交代により、
道路網が整備され、関所も出来

旅をする環境が整ったからだとされます

しかも、信仰の為だとお許しが出るのですね



現在の人達は、幸せです

飛行機、新幹線、バス 何でもあります

江戸時代以前は、基本徒歩ですぞ!



しかし、人間の性(さが)

新しいものを見たいという夢が

困難を打ち砕いたのだと思います



古(いにしえ)の人々に頭が下がる

とらんくすや。親父でございます


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雷門雷除け雷神の関係は?


浅草寺 本日は四万六千日の

大変御利益のある一日でした

ほおずき市も行われ人で大変賑わいました


そして、雷除けのお札も売られています

こんなお話がございます


江戸時代

赤玉蜀黍(とうもろこし)を
軒先に吊っていた農家は、

落雷があっても、無事だったのです

そこから、庶民が、
赤玉蜀黍(とうもろこし)を

雷除けとして吊るしたのです


そして、明治になり

赤玉蜀黍(とうもろこし)の
不作となりました

そこで、お寺より、
雷除けなるお札が出され

こぞって買い求めたのです

そして、現在に至っています


(かみなり)様


火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)

と言われる雷神なのです

恐ろしい雷の猛威に対する畏れ、

しかし、それとは反対に、

稲妻と共に齎(もたら)される雨の恵み

恐ろしいが恵みをもたらす雷様

農民の信仰の対象となり 
神として崇められたのです


実は、

火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)は、

日本神話からの神様なのです


伊邪那美命(いざなみのみこと)に生まれた

八つ柱の雷神なのです

総称として
火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)なのです

ちょっと怖い話なので省略です お許しを・・・


大雷神 ⇒強烈な雷の威力を表す

火雷神 ⇒雷が起こす炎を表す

黒雷神 ⇒雷が起こる時に天地が暗くなる事を表す

咲雷神 ⇒雷が物を引き裂く姿を表す

若雷神 ⇒雷の後での清々しい地上の姿を表す

土雷神 ⇒雷が地上に戻る姿を表す

鳴雷神 ⇒鳴り響く雷鳴を表す

伏雷神 ⇒雲に潜伏して雷光を走らせる姿を表す


雷様が出現されることにより

起こる現象を表しているのです


浅草寺 雷門 風神雷神様は、

伽藍守護、風雨順爾 
として崇められているのです


雷除けで、我を守り、

しかし、恵みの雨で、五穀豊穣を願う

奇妙な関係ですね 人間の煩悩が出ていますね


そんな 不思議な雷様のお話でした


江戸の川柳

門の名でみりゃ風神は居候」

「風の神雷門に居候


やはり、雷神様 中心のお話となってしまいました

風神様 失礼致しました

謝る とらんくすや。親父でございます
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台風の予測 江戸時代は出来なかった


台風が近づき、妙な天候が続いています

浅草、7月9日、10日は、

四万六千日の御利益のある日でございますが

例年より お参りの方 少なそうでございます


台風という名前 近年に付けられた名前です

1956年 昭和31年なのです


それまでは、

どの様に呼ばれていたのでしょうか?


平安時代には、
 

野分(のわき、のわけ)と、言われていました

風が、野の草を分けるように吹くからだとされます


江戸時代には

颶風(ぐふう)と言われていました

四方から吹き廻ってくる風を、

中国では昔、颶風(ぐふう)と呼んだことからです


明治時代には、

大風(おおかぜ、たいふう)、

颱風(たいふう)と呼ばれました


それらを経て、

現在の台風と呼ばれるようになったのです


自然の成させる技、
人間にはどうしようも出来ません

災害に備えるのみです


現在は、気象衛星などが有り、
進む方向が判ります

古(いにしえ)の人達は、

どの様にして予測し、備えたのでしょうか?


そもそも・・・

台風という感覚が無かったと思われます

台風が過ぎ去り、

「風が異常に強かった」

「雨が異常に多かった」

と思うだけなのです


ですので、予知できず、

多くの死者が出、災害が出たと言われます


現在の様に、情報が無い時代です

漁師は、台風が来ると判らず、海へ漁に出ます

海近くでは、貝や海藻を採ったりします

ですから、予測していないところに

台風なるものが来ると

かなりの海難事故が有った事と思われます


ささやかですが、

江戸庶民は、こんな予測をしていたようです


「蜻蛉が群がり、飛べば、

颶風(ぐふう)(台風)が来る」

「蛇が木に上がれば洪水となる」


現在の・・・

気象衛星と比べるまでも有りません

現在の我々は、

事前に察知でき本当に幸せなのです

科学に感謝致している

とらんくすや。親父でございます

ちょっと苦言

夏商戦真っ盛りに台風 

商売辛いですな・・・トホホ

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悠悠自適は、天国?


「悠悠自適に暮しています」

都会を離れ 自然と共に

楽しく暮らしていらっしゃるという

立派な紳士が、朝一番から御来店です


お年をお聞きしましたが、

非常に、お若く、感じました


娘さんから、
我が店 
とらんくすや。 藩津(ぱんつ)を

プレゼントされたそうです

唐草文様柄だそうです

えらく 気に入って頂いているとの事

一度 とらんくすや。 に来てみたいと

御来店頂いたようです


久しぶりに、他の御用件も兼ね、

都内に来られたようです


「人が多くて 疲れますね」

「近所の子供達が喜ぶかな」

と言われ、可愛い柄の藩津(ぱんつ)を
ご購入頂きました


「悠悠自適」良いですね

そんな、暮らしに憧れるのは、
とらんくすや。親父だけでしょうか?


「悠悠」は、ゆったりと落ち着いた様子

「悠然として南山を見る」 陶淵明 の境地でしょうか


「自適」は、自分の思うままに楽しむ

「荘周 夢に胡蝶となる 栩栩膳(くくぜん)として

 胡蝶なり、自ら愉しんで 志に適(かな)えるか、

 周ならざるを知らざるなり」荘周が言っています


 栩栩膳(くくぜん)⇒ふわふわする様子

飛ぶ羽のように自由で愉快な様子


驚く事に・・・

中国には 「悠悠自適」と言う言葉はありません

別々のお話がくっついていますね

同じ意味の言葉は、「悠然自得」というそうです


こんな お話もございますぞ


花を愛する老人


老人は、花をこよなく愛していました

花に実がなると、花神様を祭ってから

その実を食べました

その実は大きく甘い実だったのです

長い年月、休むことなく花の世話をしました

花の実のお蔭で、筋骨強健となりました

髪の毛は、白いものが黒くなりました

肌の艶も子供の様に良くなりました

しかし、質素な着物のままです



そして、中秋の名月の日

花の精の仙女が現れ、

連れだって天に昇ったのです


栩栩膳(くくぜん)と、
ふわふわする気分で

知らない間に、
天国に昇れるのは誰しもの夢ですね

とらんくすや。親父の場合は・・・

煩悩が多く、
栩栩膳(くくぜん)とは上手くいかず

奈落の底、地獄ですかな?

早く夢から覚めろ!・・・トホホ
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七夕 織姫(おりひめ)と
織爺(おりじじい)の話?



本日7月7日 は七夕です

あいにくの雨で、どうだったのでしょうか



この7月7日・・・しかし、他にもあるようです

1919年7月7日 カルピスが発売されたのです

詳しくは、カルピス のサイトをご覧くださいね

乳酸菌の成り立ちが良く判りますよ



話を、七夕に戻します

七夕(たなばた) は五節句の一つです

たなばた ⇒ 棚機、棚幡と古には、書いたそうです

神様達の着物を織ることと関係しています



その、五節句には、次のようなものが有ります


人日(じんじつ) 1月7日 七草粥の節句

上巳(じょうし) 3月3日 桃の節句 雛祭り

端午(たんご) 5月5日 菖蒲の節句

七夕(しちせき) 7月7日 七夕(たなばた)

重陽(ちょうよう) 9月9日 菊の節句



奇数(陽の数字)が重なっていますね 

陰陽道と深く関係しているようです



七夕(たなばた) は

 と  が重なった日です

陽の数字が重なり パワーの出る日と言われます



特に 七 は、

三才 と言われる 天、地、人

四季の 春、夏、秋、冬

これが、合わさった数字が三+四=七なのです

陰陽道において重視される 数字なのです

良い日ですね



七夕(たなばた)のお話

小さい頃を思い出して下さいね

ご存じだと思いますが・・・



昔々、天の川の側に、天の神様が住んでいました

天の神様には、織姫という娘がいました

神様たちの着物を作る仕事をしていました

やがて年頃になり、娘に、婿を迎えようと、

見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている、

彦星という若者でした

二人は、一目で好きになり結婚しました

しかし、仲が良過ぎて、

仕事を忘れ、遊んでばかりです

天の神様へ、苦言が入りました

「織姫が機織りをしないので、

皆の着物が古くなって困ります

早く新しい着物を作って下さい」

「彦星が世話をしないので、

牛たちが病気になりました」

天の神様は、怒ったのです

「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」

織姫と彦星を、離れ離れにしたのです

織姫が悲しそうにしているので、

「一年に一度、七月七日の夜だけ、彦星と会ってよい」 

それから、一年に一度会える日だけを楽しみに、

織姫は毎日、一生懸命に機を織りました

彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました

七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、

彦星に合いに行くようになったのです



ここで、反省ですぞ



愛は必要ですが、自分に科せられた役目を

忘れてはなりませぬ



さしずめ とらんくすや。親父は、

男の方の大事なものを守る藩津(ぱんつ)の

制作に邁進することですね 

織爺(おりじじい)でございます



そうです! やっと、新作が出来ました

ホームページにもアップしています

お待たせ致しました

更に、新作が出来上がります 乞うご期待!



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