~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

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『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

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食は民の天なり


仁徳天皇 様

人家の竈(かまど)から

炊煙が立ち上っていないことに気づかれて

三年間租税を免除されたそうでございます

その間、倹約の為、

宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったというお話です


食は民の天なり


王たるもの、一番大切にしなければいけない事は

人民で有ります

其の人民が、一番大切にしているのは、食であります

其の食を、十分に食べさせるのが、
王たる者の務めなのです


 日本の現在では食べる事が出来ない人は

殆どいないと思います

それだけ、幸福な生活を送っているのです

しかも、食べ物の廃棄も凄いのです


日本では、
年間 11兆円が食べ物の廃棄があるのです

アメリカでは、13兆円なのです

アメリカの人口の三分の一しかいない日本が、

これだけの、食べ物の廃棄をしている現実です


我々は、残さず食べましょう

食品の買い過ぎで、
冷蔵庫で腐らすのは良くないですね


しかし、企業での食品廃棄が多いのも事実です

日付切れ、腐らす、等々・・・

異物混入のお話も有りますので、
更に増えるでしょう


良いのか悪いのか?

難しい所でございますね


とらんくすや。親父

残さず食する 当然でございます

一人一人が、頑張りましょう

世界では、

食べ物が無く困っている子供たちがいるのですから










酔中(すいちゅう)の趣

好きな物や、好きな事に、はまってしまいますと

傍から見て、何故そこまでするのと思われます



ゴルフ好きの方がおられます

雪が降ってもお構いなしで、ゴルフ三昧でございます

傍の人から見て信じられない行動を起こすものです



その人に意見しますと、ゴルフの楽しさを知らないくせに

となりますでしょう



人夫々(ひとそれぞれ)、 趣向が違うのです



酒好きの人と酒を一切飲まない人では、

酒について、全く違う見解で有るでしょう



昨日もお話しました

お酒をこよなく愛する人 詩人 李白様



月下独酌(げっかどくしゃく)其の二

の最後に出てきます

但(た)だ 酔中(すいちゅう)の
趣を得んのみ
醒者(せいしゃ)の為に
伝うること勿(なか)れ

お酒を飲むのは、酔う事を楽しみに飲むだけである

酔う事の楽しみを判らない人に、酔う事の楽しみを

説明しても、無駄である



趣味 すみません 
お酒を飲むのも趣味と決めていますが・・・

あらゆる趣味 ゴルフ、魚釣り、旅行など

人夫々(ひとそれぞれ)です



決して、自分の考えを押し付けてはいけません



趣味と言えば、

とらんくすや。 の藩津(ぱんつ)を穿く事が

生甲斐であると、仰る 顧客様がおられます



これも、なかなか周りの方に御理解頂けないようですね


しかし、一度穿けば

病みつきになる代物でございますぞ

酔中(すいちゅう)の趣
藩津となりますぞ

とらんくすや。親父 お勧め申し上げます

 





















酔生夢死(すいせいむし)


本日も風が吹き寒く、雪が降るのではと感じます

浅草も、この寒さになりますと酔っ払いが増えます

浅草だけに、朝から酒を飲む方が多くいらっしゃいます

お酒にまつわるお話 古代から多く有りますね


酔生夢死(すいせいむし)

酒に酔い、夢の中にいる様な気持で、

一生を終える

死に至る時も、酒に酔ったように、
夢のなかから死へと旅立つ


お酒を愛する人は、

この様な一生が望むところなのでしょうね

苦しまず、酒に酔って夢心地で死ねるなぞ

本当に幸せでございますな


お酒をこよなく愛する人 やはり詩人が多いです

月下独酌(げっかどくしゃく) 
    李白様


花間一壷の酒、独り酌んで相親しむもの無し。
杯を挙げて名月を迎え、影に対して三人と成る。
月既に飲を解せず、影徒らに我が身に随う。
暫く月と影とを伴い、行楽須らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊し、我舞えば影零乱す。
醒むる時ともに交歓し、酔うて後は各々分散す。
永く無情の遊を結び、相期す遥かなる雲漢に。


詩人で有れば許せますが、

酩酊(めいてい)してしまい、

騒いで喧嘩などするのは良くないですぞ


酒呑み方にも、色々あるようですね

次の様な、

楽しい?飲み方も有ったようですね?


蘇舜欽(そしゅんきん)様達
がなさっていた飲み方です

北宋時代の政治家であり、
この方も詩人でございます

お酒を、今風に考えれば、

ゲーム感覚で飲むと言う事でしょうか?


中国 北宋時代の、お酒の飲み方?


鬼飲(おにいん)了飲(りょういん)

囚飲(しゅういん) 鼈飲(べついん) 
鶴飲(つるいん)


でございます

之は何だ? でございますな


鬼飲⇒ 真っ暗闇でお酒を味わう

了飲⇒ 挽歌、所謂(いわゆる)葬式の歌を
    歌いながら飲みます

囚飲⇒ 囚人のつもりで、輪になり、立って飲みます

鼈飲⇒ 毛皮などで身を包み、
    頭だけを出し飲み、
    飲むとその毛皮の中に隠れます

鶴飲⇒ 一杯お酒を飲み、木に昇り降りて又飲む
     鶴の如く木の上で鳴いたのでしょうかね~


結論 お酒は楽しく、決して酩酊してはなりません

素晴らしい詩や、文章がかける程度にしましょう


とらんくすや。親父

酩酊しないよう注意致します

希望は、酔生夢死で一生を終る事でございます















行雲流水の如し

空行く雲や流れる水のように、

深く物事に執着しないで
自然の成り行きに任せて行動する

一定の形をもたず、
自然に移り変わって淀みがない


諸国を修行してまわる禅僧も
この様に言われるのです


空を漂い行く雲も、

止まることなく流れる水も、

自然の流れに逆らうことは、出来ません


自然に行くしかないのです

詩人書家で有名な蘇東坡(そとうば)様

下記の如く言っておられます


文を作るは行雲流水の如く、

初めより定質無し。

但常に当に行くべき所に行き、

止まらざるべからざる所に止まる

この様に、自然に名文が書ければ良いのですが・・・

とらんくすや。親父は、
本を読み、辞書を引き

考え考え文章を作ります

それでも不完全であり、
何回も訂正致します


自然の流れの中で、素晴らしい文章が書ける

羨ましくて仕方がありません


商売も、人生も同じです

紆余曲折を経ながら

旨く行くか、行かないかであります


文章も、人生も、

行雲流水の如し

と、行きたいものですね

勿論 皆様は、当然

行雲流水の如し

の人生を送られている事でしょうね









安心立命(あんじんりつめい)

儒教における言葉でございますが

天命を知り、心を平安に保つ事とされます

どの様な時にも動揺せず、

全てを尽くし、天命に任せる


達磨様が、仏教で使いだしました

仏教では、

「あんじんりゅうみょう」

「あんじんりゅうめい」と読みました


江戸時代に入りますと 

安心(あんじん)が、「あんしん」と読むようになり

現在の安心(あんしん)というようになったのです


儒教から仏教を経て、

「安心(あんしん)」と言う言葉となったのです


心が安んずる場所は、皆様

それぞれ違うと思いますが、

とらんくすや。親父としては、

「安心立命(あんじんりつめい)の、

地は何処に在りや」

と、問われたならば、

やはり、とらんくすや。親父だけに、

とらんくすや。 に有り

と、答えるでしょう


妙に、和柄の藩津(ぱんつ)に囲まれていますと

安らぎを感じるのです


日本人の心魂の故でしょうか?

そりゃそうですね、

藩津(ぱんつ)を売ることで生計を立て、

新作を作る事に日夜没頭しているのですから


皆様の

安心立命(あんじんりつめい)の、

地は何処に有りますでしょうか?








褐を衣て宝を懐く

(かつをきてたまをいだく)

老子様のお言葉の一句からです


吾言甚易知、甚易行。

天下莫能知、莫能行。
言有宗、而有君。

不唯無知、是以不我知。
知我者希、則我者貴。

是以聖人被褐懐玉。

吾が言は甚だ知り易く、甚だ行い易し。
而れども、天下、之を能く知る莫く、
之を能く行う莫し。
言に宗有り、事に君有り。
夫れ唯だ知ること無し、是を以て我れを知らず。
我れを知る者は希なれば、則ち我れは貴し。
是を以て聖人は、褐を被て、而れども玉を懐く。

私が言うことは、大変分かりやすく、
大変行いやすい。

だが、世の中に分かる人はおらず、
行える人はいない。

言葉には主旨があり、事がらには要点がある。
人々は何も分からず、私のことが分からないのだ。
私のことが分かる人は稀だから、私は貴い
聖人は、粗末な着物を着ていても、
懐には宝玉を懐いているのだ。


聖人、外面は粗末な着物を着ているが

内面に立派な徳を供えていると言う意味ですね


とらんくすや。親父思います

内面は非常に大事です

外面のカッコよさばかりが気になり

お洒落にお金をかける

しかし、内面は出来ていない

掃除や、整理整頓が出来ず、
性格も悪いとなると

とんでもございません


自分では、その様な事は無いと思いがちですが

知らず知らずの内に、

見栄を気にするようになるのです


気をつけなければいけません


最後にとらんくすや。親父だけに

御忠告申し上げます


男子たるべき者

肌着の清潔さが大事です

外は、粗末な着物でも、

藩津(ぱんつ)は、

毎日洗濯して穿き替えましょう


とらんくすや。
の藩津(ぱんつ)は、

丈夫でございますぞ!

是非 御利用下さいませ







虚無恬淡(きょむてんたん)

心に何のわだかまりもなく、

安らかであっさりしていることを表しますが・・・


商売や仕事を旨く行かせようとすると

煩悩、妄念、欲情が沸き出ます

その心の乱れが、失敗の元なのですね


歌の文句じゃないけれど

わかっちゃいるけど やめられねえ 


意馬心猿(いばしんえん)

心は猿の様に騒ぎ立て心が乱れ

馬の様に速く走りたいが御しがたくなる


人間と言う者は、煩悩の塊ですね

商売で言いますと

儲けようと言う意識が強すぎると

空廻り致します

良い商品を作りお客様を辛抱して待つ

この精神でいかねばなりませんが・・・


わかっちゃいるけど やめられねえ 


でございますね

何時になれば、

虚無恬淡(きょむてんたん)

の様に、


毎日の売り上げに一喜一憂せず

安らかであっさりし、私心なく

拘らずに過ごせるのでしょうか?


恬淡(てんたん)寂漠(せきばく)

此れ天地の平にして道徳の質なり

聖人は休すと、休すれば則ち平易、

平易なれば則ち恬淡なり

平易恬淡なれば、則ち憂患入ること能はず、

邪気襲ふこと能はず

故に其の徳全くして神虧(か)けず

「荘子』刻意篇


なかなか、天使の様にはいかないものですね

とらんくすや。親父 

精進!精進!でございます










読書百篇 義自見わる

(どくしょ ひゃっぺん ぎおのずからあらわる)

読書

年を取ると読書が厳しくなります

目が老眼になり、なかなか字が見づらくなります

しかし、読書を続けねば、

何故か馬鹿になる様な気がする

とらんくすや。親父でございます


とらんくすや。親父 子供の頃は、

月光読書(げっこうどくしょ)

で書を読んだものです

終戦直後の生まれですので

電気が自分の部屋に無く、

お隣の部屋から漏れる光や、月の光で、

勉強したものです

勿論、机などは有りません

リンゴ箱を机代わりにしておりました


現在の様にテレビも無い時代です

私の住んでいた村では、

テレビは、近くの散髪屋さんにしかありません

私など子供達は、

散髪屋さんの入り口からテレビを見いったものです

ですので、本を読むのは、自然の行いだったのです


現在の生活では考えられないことと存じますが

それだけ、日本と言う国は

終戦後70年で、裕福な国になったのです


情報はテレビ、ラジオ、インターネット、

雑誌、新聞、書物・・・

本当に恵まれていますが、

とらんくすや。親父としては、

どうしても、書物に頼ってしまいます

読んで、書いて、言葉に出して 

覚える習性が有るようですね


読むのが速いお方

一目十行

一目で十行も読める人です


読書の理解力の鋭いお方

眼(がん)紙背(しはい)に透る

目の光が、紙の裏まで通るぐらいに

書を理解すると言う意味です

とらんくすや。親父はそこまでゆきません

のろのろ、だらだら でございます

読書百篇 義自見わる

(どくしょ ひゃっぺん ぎおのずからあらわる)

書物を繰り返し熟読する事で、
意味内容が判ると信じ

読み続けている 
とらんくすや。親父でございます


おっと どっこい しかし

読書亡羊

(どくしょぼうよう)

読書に夢中になって、羊の番をしていたのを忘れ、

羊を逃がしてしまうと言う様な事に
なってはいけませんぞ



とらんくすや。親父
 よ!

読書に夢中になり

お客様の接客を怠ってはいけぬぞ









今年は、乙未(きのとひつじ)です

とらんくすや。では、
その年の干支の藩津(ぱんつ)を

制作し販売しますが、

今年の羊(ひつじ)柄の藩津(ぱんつ)
人気でございます

「その年の干支のものを身に付けると良い」

と、言われる故でしょうか



この羊の年

相場の格言では、

「未」は辛抱(しんぼう) 

と言われます

過去の株相場では、少しは上がるそうですが、

大きく上がる事は無く上昇幅は微妙と言います

ですので辛抱です



辛抱

何処から来た言葉なのでしょう



仏教では、この世に生を受けこの世を去る時まで、

心を修める一生の定め(法)を、心法と言うそうです



この心法が、辛抱の語源だとされます



辛抱とは、

辛いことや苦しいことを、堪え忍ぶこと

辛抱とは、
未来への生みの辛さのようなものなのです



同じ似た言葉がございます



我慢がまん



我慢とは、仏教の煩悩の一つ

強い自己意識から起こす慢心のこととされます



ですので、我慢の先には、不満しかなく、

未来は無いとされます



辛抱強くこつこつと努力すれば、

やがて成功して財産もできると言う事です



未来の為にコツコツ

新しい出会いにコツコツ



少ししか改善が出来なくても

辛抱=心法

の年なのですね



我慢ではございません

辛抱=心法でございます



とらんくすや。親父 

お客様が御来店頂けるだけで幸せです

コツコツと、新作を作り上げ

お客様をお待ち申し上げたいと存じます


辛抱! 辛抱!



























辛抱する木に金がなる

道は万世の宝なり


と言うものは、
永遠の世にわたって変わる事の無い宝物である

天下を治めようとする者は、道に従うべきである


恐れ多いお言葉ですが

 とは

 ⇒ どう、タオ、みち ・・・など

哲学上の用語の一つですが

人や物が通るべきところであり、

宇宙自然の普遍的法則、根元的実在、道徳的な規範、

美や真実の根元など意味する言葉です


老子によれば、は・・・

名付けることのできないものであり

礼や義などを超越した真理であると


どうも 道路ではなさそうですね

姿に見えない道でしょうか?


哲学上のの事は難しいので

現実の道路のお話で申し訳ありません

・・・

浅草寺の門前町で商売を致します、

とらんくすや。親父 重要性が判る気がします


お客様がよく迷われます

これ、を外すと、
目的地に到達しないと言う事ですね

廻り道をしてしまい時間がかかったりします


良いの周りで商売をされている商人の方は

大儲けでございます、浅草では仲見世でしょうか


これも正しいを選んだ商人だからでしょうか


現実の、哲学上の

どちらも、外すと大変な事になりますね


とらんくすや。親父

どちらの
外す事の無いようしたいものと存じます