コラムなタイム -59ページ目

本との気持ち4

内田 樹「子どもは判ってくれない」
(洋泉社・1500円)

 まだ二十代始めの駆け出しの頃、会社の外でとんだ誤植に気づいて上司に電話を入れたことがある。叱られるかと思っていたら、「人間のすることには間違えはあるものだ。だから悪いことではない。しかし何度もあってはならない」と揶揄された。ふつう悪いことをしたら認めたくないものだ。しかし、大人の世界ではそれが違う。
 著者は言う。「「自分の主張は間違っている可能性もある」という前提に立つことのできる知性は、自説を無限に修正する可能性に開かれている」と。間違えを認めないことは悪いことであり、それを認めることの方が正しいのである。今日ある己を省みて感謝した次第だ。
 会社の営業会議で上司が部下に「成果を上げろ!」と発破をかける場面がある。上司の言っていることは限りなく正論である。しかし、言う方も聞く方も頭の中を最悪な結果(事態)だけが駆け巡ることになり、上司は何度も同じことを言い、部下は沈黙のしどおしである。会議は踊らず思考停止の状態だ。よくある会議の光景ではないだろうか。当然すぎるくらい正しいことを言っているのに、どこかがおかしい。
 では、なぜそうした正論が世代の違う若い社員である聞き手に届かないのだろうか。著者は冒頭、イラク戦争に対する朝日新聞の「バグダッドを流血の都にしてはならない」という社説を挙げ、こう言っている。「誰からの反論も予期しないで語られるメッセージというのは、要するに誰にも向けられていないメッセージである」と。つまり「文句のつけようのないほど正しい意見」というわけで、正論なのである。有事立法やイラク派遣などについてどんなに危険防止を叫んでもそれはどこまでいっても正論で、その正論が証明されるのは最悪な事態(結果)にならなければ証明されないのである。
 未来はあるのだろうか。そこで著者は論述する。大人も子供も、社会も世界も、どうしてお互いに理解し合えないのだろうかと。世代やお国柄、歴史が違えば、価値観や生き方のマナーも違う。社会とはほとんど賛同し合えない大量の人間たちで成り立っているからだ。人間社会は複雑で、現実は誰でも自分の意見に賛同してくれる人間だけを相手にしようとする。人間社会とは「そういうもの」なのだ。それを認めた上で「合意すること」ではないのか。合意して「共生すること」ではないのか。そのために、共生し合おうという合意だけは前もって取り付けておくことが大切だ。そうしてから会議や話し合いに臨むことが「大人の作法」なのだと結んでいる。
 何が起こるか分からないことだらけの「何でもあり」の世の中。子どもの世代は親の世代よりも豊かになるはずだという当たり前と思っていた人生の方程式が崩れてしまっている。この世の中をどう生きたらよいのか。この本はタイトルの割には「話は複雑にした方が早い」と言っているくらいでいささか難解だが、平明な文章と身近な話題にも助けられて妙にストンと気持ちを軽くしてくれるところがある。これまでの思考の回路を少しばかり変えてみる必要がありそうだ。またジャン・ピエール・レオが少年を演じる、監督フランソワ・トリュフォーの自伝的映画「大人は判ってくれない」のタイトルとロゴを真似た編集も心憎い。
(「BrainTrust」寄稿より・一部変更)
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本との気持ち・3


「神の肉体 清水宏保」吉井妙子 著
(新潮社・1300円)

「今の僕、壊れそうなんです」そんな限界から清水はどうして世界新記録を出せたのだろうか。
 彼は動物の感覚に近くなるまでトレーニングをする。そうして見えてくるものがある。社会に余計なものがたくさんあることに気づいたり、高度文明社会には本来持っていた能力を退化させてしまう毒があったりはしまいか。
 しかし人間には潜在能力を引き出すゾーンがあるという。清水はそこに理想の光のラインを見出し己れにチャレンジした。勝利のヒントは自然界にあり、そこへ到達できた者だけがゾーンを突き抜けゴールする。まさにウイニング・ランなのだ。
 だが、清水にも敗北の時があった。2001年の全日本で34秒32の世界新記録を出しながら、翌年のソルトレイク五輪では0.03秒差で敗れた。その差は距離にするとわずか43cm。アスリートにとっては残酷な数字だが、人間が本来持つ能力を引き出せなかったと清水は語った。ヒトも動物であるはずのゾーンに達することができなかった、そのほんの瞬間があったのだ。
 著者は「競技スポーツは、身体と同じくらいに脳にも汗をかかないと世界の頂点には辿りつけないのだ。」とエピローグで語っている。98年の長野五輪前後に出場したレースはほとんどで優勝した。腰痛など病魔が襲いブロック注射をしてレースに臨むこともしばしばだった。しかしその彼が再生したのは、日常では絶対に体験しない領域を知っていたからだ。彼はきっと自分とだけしか戦っていなかったのかもしれない。哲学的な境地が勝利を呼んだ、そう言っても過言ではないだろう。
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本との気持ち・2

「論文・プレゼンの科学」河田 聡 著
(アドスリー・1500円)

 どうして科学なのだろうか。論文やプレゼンは、合理的なルールに従った緻密なテクニックが必要だと著者は言う。伝えたい相手をイメージして語りかけるように「です・ます」調で書くのが良いと付け加えている。キーワードをフローチャート化して、目次を作って全体を組み立てる。そして序論に最も時間をかけて、テーマの理由を明確化しておくことは勿論、伝えたいことの何が問題なのかを最初に書いておくこと。だから科学的とは物事を単純化し、認識する事柄を最少化し、それらを論理的につなげてゆくニューラルネットワークと言われる。
 アメリカでは自分の言葉で自分を他人にアピールするスキルとして教育が行われている。しかし日本ではどうだろう。そうした人に向かって話す・書くという教育がされていない。日本人は受動的な教育で抽象を具象化することを教わるが、アメリカではそれが逆なのだ。私たちがこれまで受けた教育の考え方が一変する内容で、理系の頭脳がいかに科学的であるかがわかる。
 さらに嬉しいことに、英語を科学的に覚えることも伝授している。こちらは読んでのお楽しみ。わずか126ページにわかりやすくエピソードも交えた文面は、肩のこらない講座を受けているような感じだ。理系御大の心温まる思いやりが伝わり、読み終わると自分が変われるような一冊だ。

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