コラムなタイム -58ページ目

本との気持ち7


「構想力」谷川浩司 著
(角川新書・686円)

 13歳で初段になり、今や「十七世名人」として活躍しているプロ棋士・谷川浩司が「将棋とは構想力の戦いである」と書いている。興味深いエピソードを紹介しておくと、それは2007年3月に渡辺明竜王が将棋ソフトの「ボナンザ」に挑戦して112手で勝利した話だ。そこで谷川は「なぜ棋士がコンピューターソフトに勝てたのか」を解説している。
 人間に近い思考ができるように開発されたはずのソフトなのに、ボナンザは「しらみつぶしにすべての手を読んでしまった」。先入観なしに闇雲な戦い方をして定跡ばかりを解決することに終始していたのだ。その長い道のりの途中でついにボナンザの敗北は訪れる。それは定跡という常識に頼りすぎていたからだった。
 谷川は言う。勝負は常識から外れるところにこそ勝利が見えるもの、と。その勇気がもてるかどうかが勝敗を決するというわけだ。常識に頼っていては構想力は磨かれない。相手の手の内を深く読む構想力をもってこそ勝利の鍵を見つけることができる。そんなプロセスの中では捨てる勇気も必要と付け加える。
 そして、谷川は長らく羽生氏に嫉妬していたとも告白。7連敗の末、ようやく勝利したとき、谷川は我にかえったように「嫉妬は可能性の発露である」ことを知った。
 勝負師からスキルの深みを学ぶことができる、そんな一冊である。

構想力 (角川oneテーマ21)/谷川 浩司

¥720
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本との気持ち6

「餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?」林 總 著
(ダイヤモンド社・1500円)

 会計のひみつをストーリー仕立てに学べるビジネス書。大学を出たばかりの女性・由紀は2代目として年商100億円のアパレル会社の社長に就任した。ところが父を継いだその会社は借金の泥船だった。さて大変、由紀はさっそく会計のプロである安曇というコンサルタントに相談、1年掛けて月1回のレクチャーを受けることにした。
 13章にわたってグルメスポットや会社を舞台に経営再生の会計ドラマが展開する。まずは在庫をできるだけなくし、売掛を現金化することからスタート。「会社の経営とは現金を使って現金を作ること」と、安曇は由紀に教える。
 3つの場面を紹介しておく。第1は千駄木の寿司屋での3回目のレクチャー。回転寿司が大トロよりもコハダの方が儲かる秘密を由紀は知る。仕入れた資金が再び現金になるなるまでの時間が大きなポイントで、コハダの方が少ない資金を繰り返し回転させることができ、たくさんの現金を稼ぎ出すことができる。大トロは売り切るまでの時間が長く、その分資金が寝てしまう。時間だけが過ぎ現金を作らないのである。会社経営でいえば利益計算のキャッシュフローが欠かせないというわけだ。
 第2は本書の題名にもある餃子屋でのこと。ここで多少会計専門用語が踊る。安曇は由紀に「餃子はいくら売れば利益が出るだろうか」と聞く。「売り切るまでの追加増加分である限界利益と固定費の中身が判れば会社の利益構造が判る」と言うのだ。売上が増えると限界利益は比例して増える。一方、固定費は一定だ。その両方が一致する売上が損益分岐点と言われ、そこから先が利益となる。そこで高い利益限界率の銀座のレストランは固定費がものすごく高価なはず。すると一致する起点は起算してずっと遅い時期になり、現金の回収は遅れる。結果的にはどちらも儲けはあるものの、問題はその利益構造にある。それを説明するために、こんどは丸の内のワインレストランへ安曇は由紀を招く。ここが第3の山場だ。
 在庫が最大の問題点。それは売れないからだ。「なぜ売れない製品を作り続けるのだろう。顧客のニーズを絞り込めないでいるのでは」と安曇は問い、由紀の「働く女性を支えることのできる服を作りたい」という夢を実現するには、「ブランド化をめざし製造品種を絞り込む必要がある」と安曇は言う。ブランド価値は「見えない現金製造機」であり、さらに「将来にわたる固定資産」でもあると付け加えた。その総体がビジネスモデルとなり会社に現金を多く作り出すという次第だが、実は、この本には他にも多くの山場があり、由紀を会社の中で大きく成長させてゆく。
 本書は、危機管理やリスク管理など現代企業に欠かせないビジネスマネジメントをつづった一冊で、経営者がこの本を手にしたなら、おそらくまるで自分のことのように読む目を釘付けにされるだろう。そのくらい読んで役立つ経営者ならずともビジネスに係わるすべての人にすすめたい一冊と言えるかもしれない。

餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?/林 總

¥1,575
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本との気持ち5

「葬式は、要らない」島田裕巳 著
(幻冬舎新書・740円)

 ある著名な大学教授の文学者の葬式に、参列者が意外に少なかったという話を聞かされた。参列してきた文化人がそれをひどく愚劣な言い方で私に話したのだ。かわいそうにとか、その程度の人だったとか、見下した彼の言い方がひどく下品であった。
 しかし、私はその故人を街の図書館や夜の街などでよく見かけていた。街の文化人としては圧倒的な存在にもかかわらず、痩身でどこか達観された絵になる風情が印象的な人であった。私は面識はないもののその人を尊敬していた。きっと先生は退官されてからは人事を断ち、隈無く身辺整理をされていたのかと思う。蔵書も生前に大学や図書館に寄贈されていたいう。最期はほんとに大事な人だけに見送られた。しかし一人だけ、故人の悪口を言う輩がいた。それを聞かされた私は何とも後味の悪さを感じたのだった。
 それにしても、葬式が要らないはずがないのだ。どんな歴史があろうと多くの人がそうしてきたのだ。経済状況のせいばかりにするのはほんとに世の中を良くしようという気持ちがないからだろう。欲得損得でしか経済を語れない発想だ。人の死に接することにどれほど大きな貴い意味があるかを知ろうとしないのだ。そのことが未来をつないで行くことも。
 私には最近、立て続けに義父母の葬式があった。ふだん会えない人とも会え、敷居の高かった人とも会え、親戚縁者が旧交を温め合った。それは義父母が与えてくれた賜であった。密度のある機会を与えられたのだ。それは何人にも訪れる死である。葬式は、要るのだとつくづく思った次第だ。
 このたびは文字通り「本との気持ち」のブログとなった。読書はこれだから止められないのかもしれない。

葬式は、要らない (幻冬舎新書)/島田 裕巳

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