「日本におけるキリスト教 90 地獄に行く者どもの永遠に赦されない罪について」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 90 地獄に行く者どもの永遠に赦されない罪について」

 

イエスさまは、ファリサイ派の人々に対して次のように明言されました。

 

「蛇よ、まむしの子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。 マタイによる福音書23章33節」

 

その理由を明確に教えられているのが、次の聖書箇所です。

 

「そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。

 

群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。

 

しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。

 

イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。

 

サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。

 

わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

 

しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。

 

また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

 

わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。

 

だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、霊”に対する冒瀆は赦されない。

 

人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

 

木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。

 

まむしの子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。

 

人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。

 

善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。マタイによる福音書12章22~35節」

 

 

ファリサイ派の人々は「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言って、イエス・キリストを悪霊の頭であるサタン(悪魔)だと言いました。

 

それは聖霊に言い逆らう事になり、この世でも後の世でも赦されることがないのです。

 

それゆえ、最後の審判で地獄の刑罰を免れることはできません。

 

 

現在は「聖書」が人類史上の最大のベストセラーと言われています。

 

「過去数千年にわたって読み継がれてきた世界的なベストセラーは聖書である。1815年 - 1998年の間だけで推定約3880億冊発行されている。2000年の1年間だけでも世界中の聖書協会によって約6億3300万冊が発行された(国際聖書協会の発表)」

 

それゆえ、地獄の刑罰を免れることはできない「まむしの末ども」が「イエス・キリストはサタン(悪魔)」というように教えても、信じさせることは困難です。

 

ですから、聖書の教えを曲解させて、「イエス・キリストはサタン(悪魔)のように無慈悲で冷酷非道な神でもある」とでっち上げるのです。

 

すると、聖書に書かれている素晴らしい愛の教えも懐疑的にさせることが出来ます。

 

また、「そんな無慈悲で冷酷非道な神など信じられるはずがない!」と大勢の人々は思います。

 

 

それゆえ、イエスさまは次のように教えられています。

 

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。

自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。

 

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。

 

改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。マタイによる福音書23章13、15節」

 

ですから、聖書の教えによって、人々が「イエス・キリストはなんて無慈悲で冷酷非道な神なんだ」と思わせることを教えている者たちがいれば、

 

その者たちは不幸であり、聖霊に言い逆らっている者たちだと理解することができるでしょう。