最近、「キリスト教の矛盾と批判」のメッセージがありましたので、これまで、どのような理由でキリスト教に傷ついて、クリスチャンをやめた人々の声について分かち合いたいと思います。
まず、他人が聖書の御言葉によって、その人の傷や悩みの対処法と解決に導くという事です。たとえば、
○ ある人が「どうしても赦せない人がいるんです。」と打ち明けると。
解答はこうです。「赦しなさい。もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださいます。しかし人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の罪をお赦しにならないからです。マタイ6章14,15節と教えていますから。」
○ 「でも赦せません。父は私が小さい頃から、お母さんに暴力をふるい続けて、家族を捨てたのですから。」と今まで言えなかったことを言うと、
解答はこうです。「それでも赦すのです。マタイ18章22節には、七度を七十倍するまで赦しなさいと教えていますから。」
○ だけど納得できない理由がありました。「父は私に小さい頃からずっと性的虐待をしていたのです。」と泣きながら言います。
解答はこうです。「イエス様は十字架上の苦しみの中で、「父よ。彼らをお赦しください。」と言われました。そのイエス様を思えば赦せるはずですよ。」
※ このような感じで、「赦し」に関する御言葉を並び立てて、説得させようとします。
他にも、罪に対しては「罪」に関する御言葉を並び立てて、説得しますし、「ある人を愛せない」という時は、「兄弟を憎む者はやみの中を歩みます。第一ヨハネ2章11節などと、関する御言葉を並び立てて説得するのです。
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イエス様は、このような、まるで御言葉を科学の方程式や食べ物のレシピのような対処法や解答はされませんでした。
このように教えられました。
「人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、誰が知ることが出来ますか?」と。
その人のうちにある御霊によって、私たちに啓示されるのです。第一コリント2章10,11節
☆ 他人がまるで、その人の心と悩みの解決、対処法を知っている神様のごとく、聖書にこう書いてあるから、これがあなたへの答えで、それに聞き従えば解決します。という感じで説得しようとするから、深くつまずきます。
人はそれぞれ信仰が違います。12弟子でさえ、三年半は誰が一番偉いか口論したり、信仰が薄かったり、イエス様を「知らない」と三度言ったり、よみがえりを信じませんでした。
ヨセフは約17歳の時に、兄たちから殺されかけて、奴隷に売り飛ばされました。父には「死んだ」と報告されました。
それから13年後、ヨセフがエジプトを治める大臣になった時、飢饉でエジプトに来た兄たちと再会しましたが、赦すことは出来ませんでした。
「お前たちはスパイだ!」と冷たい言葉を浴びせました。
また、兄たちの荷物に銀を入れておいて、「盗人だ」と冤罪で苦しめました。
その後、兄たちはひれ伏して、悔い改め、弟のベニヤミンを命がけで救おうとしたので、赦すことが出来たのです。
☆ イエス様のように、相手がひどいことをしている時に、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのかわからないからです。」と赦せることが、超BESTでしょう。
しかし、ヨセフのように相手が悔い改めて、命がけで誰かを救うのを見た時に、赦せるようになるのも良いのです。
それまでは、なかなか赦せることが出来なくても、イエス様は理解されています。
無理に赦そうとしても、数日後か数か月後には、やっぱり赦せない思いに満たされるでしょう。
ダビデも「悪事を行なう者は必ず倒れる」詩編36:13と祈りました。
正直な思いを神様に祈ればいいのです。
イエス様は正直な思いを言ってくれることを喜ばれます。
無理やりに御言葉に聞き従うこととは違うのです。
無理やりに聖書の御言葉に聞き従おうとするから、疲れ果てて、クリスチャンをやめたくなります。
イエス様は「すべて疲れた人、重荷を負いすぎている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなた方もわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎが来ます。」マタイ11章28,29と教えられています。