「キリスト教の矛盾」について ① | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

今年は映画「スポットライト世紀のスクープ」が、アカデミー賞の作品・脚本のW受賞をしました。

この映画はアメリカのボストンと周辺で蔓延していた、カトリック司祭による性的虐待事件に関する報道の顛末を描く実話に基づいた映画です。

 

アカデミー賞の作品・脚本のW受賞作品ということで、全世界で上映されました。日本でも4月から東宝映画で55の劇場で上映。反響がありロングランの上映となった劇場もあり、新たに6月から46の劇場で上映されました。

 

今月からはDVD・ブルーレイも発売されて、好評を得ています。

 

クリスチャンとすれば、知られたくない恥ずかしい事件なので隠したいです。

 

※ 2010年には、カトリック教会から神父・司祭による子供たちへの性的虐待の全世界のこれまでの被害が1万を超えるという発表に、全世界は衝撃を受けました。

 

また、プロテスタントでも牧師・伝道・宣教師の事件・不祥事は少なくありません。2005年の数人の少女を汚した牧師の事件は衝撃的でした。

 

昨年も宣教師が起こした寺・神社に油まき事件がありましたし、今年も牧師による淫行事件がありました。調べると新聞記事(地方含む)には、不祥事・事件が少なくありませんでしたのでショックを受けました。

 

世の中のニュースキャスターやコメンテーターは「キリスト教会でも、もはや聖職者とは言えない時代になりました。」とコメントされるようになりました。

 

※ 今年の映画「スポットライト世紀のスクープ」は、とどめを刺したようにも感じます。

 

しかし、カトリック教会の応対は真摯に受けとめたのです。

バチカンの委員会で、この映画が上映されました。

「罪を完全に受け入れ、それを公に認め、すべての責任を取ることを促したのだ。と述べたのです。

 

この信仰は、風向きを変えたと思いました。

本来なら、フタをしたり、映画を批判したり、言い逃れをしたりしたいところですが、真摯に受けとめたのです。

 

日本での口コミも、キリスト教に対する批判の声よりも、

「なぜ、神は愛だと教え、人を救うはずの宗教が、人を汚したり、傷つけているのか?なぜキリスト教は矛盾しているのか?理由を知りたい。」という声が増えるようになりました。

 

☆ この「理由を知りたい」という声に、きちんと向き合う必要があると思いました。

 

◇      ◇      ◇

 

被害にあった子供たちも大きくなり、本来なら事件のことは思い出したくないと思うのですが、そうではありませんでした。

 

もう自分たちのような被害にあう子供たちがいなくなる事を願い、自分の苦しみ・トラウマよりも、これから被害者をなくしたいという「隣人愛」にあふれている被害者も多いように感じました。

 

日本でも、牧師に被害にあった少女信者たちの心のケアをされている、被害者の会の代表を務める牧師が、数年前から、牧師による被害に対するセミナーを開催されています。

 

※ 悪を行なう牧師の特徴は「地獄へ行く・さばきがある」と脅すことでした。

 

また「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、権威に逆らっている人は、神の定めに背いているのです。背いた人は自分の身にさばきを招きます。」ローマ13:1,2だけを切り取って悪用し、縛っていました。

 

そして第一コリント6:7「そもそも互いに訴え合うことが、すでにあなた方の敗北です。むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、だまされていないのですか。」だけを切り取って、悪の行為を正当化させ、黙認するように縛るのです。

 

◇    ◇     ◇

 

世の中では、人を傷つけるキリスト教というイメージが広がっています。

 

最近では、同性愛者に対して、同性愛者は地獄へ行くなどと断罪する牧師・神父・クリスチャンたちによって、深く傷ついた同性愛者の方たちが大勢います。中には自殺した人もいるのです。

 

それを見聞きした、世の中の人々も、キリスト教・クリスチャンは恐ろしいと、痛感しました。

 

☆ このような人を恐れさせる信仰に対して、黙っていては、多くの人々がキリスト教に対して誤解をして、愛が冷えたままとなります。

 

イエス・キリストは、同性愛者に対して、ありのままで愛されているということを伝えていかなければなりません。

 

今年、ローマ法王は「同性愛の人に不快な思いをさせてきた事について、教会は謝罪すべきだと考える。」と発言されました。

 

◇    ◇     ◇

 

聖書の旧約聖書を読めば、イスラエルの民は、イスラエルの神に聞き従ったと思えば、逆らって、神のさばきを受けるという繰り返しでした。

 

新約聖書は、イエス・キリストの愛の話が中心です。イエス様は、まだ神様を知らない人々やクリスチャンたちに「地獄へ行く・さばく、滅びる」と言って脅したり、縛ったりは絶対にされていません。聖書のどこにも、そのような事は書いていないのです。

 

最も大切な教えとして「互いに愛し合いなさい」と教えられました。

 

しかし、小さき者(主に子供)をつまずかせる者は、首に大きな石をかけられて、深い海に沈んで、おぼれ死んだほうがマシです。

もし、片方の手・足・目がつまずかせるなら、それを切り取りなさい。両方の手・足・目がそろって地獄に投げ込まれるよりはいいからです。」マタイ18章1~11と教えられています。

 

ですから、子供たちや小さき者たちをつまずかせる者に対しては恐ろしいくらいに厳しい教えをされるほど、子供たち・小さき者を死守されるのが、イエス様の教えなのです。

 

ですから、イエス様に聞き従う聖職者たちは、子供たちに性的虐待などあり得ないと思います。

 

しかし、イエス様に聞き従わないという決断をした者は、地獄に投げ込まれても良いという覚悟で、性的虐待をしているのです。

 

☆ 聖書の教えをよく知らないと、キリスト教に対して恐ろしく思ってしまいます。

 

こうして、事件や不祥事に対しても向き合って、事件や不祥事が起きるのは、イエス様の教えに逆らって、悪に聞き従っているからであり、イエス様はこのように教えられています。と伝え続けることによって、キリスト教の矛盾や誤解が解けて、神様の愛が届けばいいなと思っています。

 

「神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。

 

 

 

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