しかし神様の不思議な導きによって「キリストの証人=殉教者」だということを知ってショックとともに「やっぱりそうだったのか」と痛感したのです。
昨年は肺癌宣告されたけれど癒された証をしましたが、今年も同じ症状が発症したので恐る恐る病院へ行きました。結果は昨年のレントゲン写真と見比べられて、昨年はよく生きていたなという感じでしたが、今年は軽かったので安心しました。
その帰り道に行く事がない古本屋さんへ引き寄せられるように行きました。
なにげに見ると「殉教 平野直 」という古本が目の前に飛び込んで来たので買いました。
その本に核心となる信仰が明らかに書かれていました。
『キリストの証人とは殉教者』ということでした。
著者の平野直氏は東宝映画のシナリオライターでした。日本映画史の功労者でシネマ旬報誌の責任者の一人でもあられた「田中純一郎」氏の助言で日本のキリシタンへの迫害と殉教を「映画」に移し植えることが出来ないものかと資料を集められたのです。
その「夢」の原石が「殉教」という本になりました。
日本のキリシタン史は「殉教の血」に彩られた「殉教史」であり「受難史」であった。
本の題「殉教」もそこから来ている。
日本のキリシタン史の開花は順調であっただけ、その後期の受難は全土を殉教のいろどりで染めた。
キリシタンでは殉教のことを「マルチリヨ」。殉教者のことを「マルチル」と言っている。ギリシャ語(新約聖書の原語)の「証人」という意味となる。
キリスト教の福音が日本に訪れたのは1549年(いごよく広まるキリスト教)
受難・大迫害が始まったのは、それから70年後の1619年です。
最初の3大殉教は「1619年京都の元和大殉教」「1622年長崎の大殉教」「1623年江戸の大殉教」と言われています。
特に最初の京都の大殉教は2才の幼児など子供たちが11名もいました。その凄まじい拷問の末の火あぶりとされる十字架刑は、宣教師が「あのローマ皇帝ネロに勝る残虐非道の所業」と評したほどでした。
火あぶりの途中で子供の一人「カタリナ」の縄が火で切れて、炎の中から外に出たそうですが、カタリナは逃げずに「イエスズ様」と言って炎の中に戻ったそうです。カタリナの両親・橋本太兵衛ジョアンとテクラのイエス様に聞き従う信仰を子供たちもしっかりと守り通したのです。
(7倍の火の炉の中に入れられたシャデラク、メシャク、アベデネコに神の子が一緒にいたように、火の中でもイエスズ様が一緒だったので怖くなかったのです)
このキリシタン大迫害の時代に多くのキリシタンは信仰を捨てました。捨てるのは簡単でした。
ただ「もうキリストを信じません」と言うだけで命は助かりました。
拷問や火あぶりの十字架刑にされるのは、ただ最後まで「私はキリストを信じています」と言い続ける「キリストの証人」だけでした。ですから『キリストの証人は殉教者』と言われるようになったのです。
「兄弟たちは小羊の血と自分たちの「証」の言葉のゆえに悪魔に打ち勝った!兄弟たちは「死」に至るまでも命を惜しまなかった」黙示12章11節
長崎の大殉教では5才の「もりちゃん」を可哀想に思った人たちが「もりちゃん頼むから「もうキリストを信じない」と一言いっておくれ、そうすれば美味しいお菓子を食べさせてあげて命を助けることが出来るから!このままでは飢え死にしちゃうよ!」と何度も説得しましたが、
もりちゃんは「パライソ(天国)にはもっと美味しいお菓子があるとよ」と言って、イエス様を信じて従う信仰を絶対に捨てませんでした。
もりちゃん5才は残酷に殺されていきましたが、イエス様を信じて従い続ける信仰にイエス様がずっと側におられて一緒に天国に凱旋したのでした。
そのもりちゃんの生き様を見た人がキリシタンとなって「キリストの証人=殉教者」となりました。
今の時代は「恵みの時代」と言われています。国からの大迫害もなく、自由に伝道が出来る良き時代です。
しかし平野直氏の「殉教」に導かれて「キリストの証人=殉教者」という信仰を語り続けることもクリスチャンとしての使命の一つだなと痛感したのです。
今の時代は楽になった時代です。インターネットで多くのクリスチャンと出会い、いろんな信仰知識の情報が得られます。そういう昔にはなかった信仰生活は「多くの人に頼り、依存する」ような信仰に陥っている場合があります。
これからの世代は「患難時代」でも大丈夫な信仰を養われる必要があります。
その為には今の恵みの時代でも「キリストの証人=殉教者」というような信仰が養われている信仰者が必要です。
『殉教』とは「キリストの教えに殉じる」とか「自分の命を犠牲にした」という意味ではなく、ただ殺されても「キリストを信じています」という証言を変えなかったから『キリストの証人=殉教者』なのです。
ペテロが「イエス様の為に死ねます!」と断言した時に、周りの弟子たちも同じ態度をとりました。しかしイエス様は「鶏が鳴くまでに3度、わたしを知らないと言うだろう」と言われて、その通りにペテロはイエス様を3度、激しく誓ってまで「知らない!」と多くの人たちに断言しました。
「殉教」は望んでも出来ません!『殉教者』とはただ最後まで「私はイエス様を信じています」と言う『キリストの証人』のことなのです。
「神の御子を信じる者は、この証を自分の心の中に持っています」第一ヨハネ5章10節