前回、亡くなられた坂本龍一さんのことを呟かせてもらいましたが、今日は坂本さんを偲んで、坂本さんが俳優として初めて出演された映画『戦場のメリークリスマス』を久しぶりに鑑賞したので感想を書いておこうと思います。

 

僕は『戦場のメリークリスマス』は高校生の頃、一度、劇場で観ているんです。その時は初公開されてから年月は経っていましたから、作品の評価は大体定まってはいましたし、制作が難航したことや、熱狂的なファンがいる作品だと言うこと、第36回カンヌ国際映画祭に出品され、グランプリ最有力と言われたが受賞は逃したと言うことなどは知識として持っていました。

 

第29回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品された、阿部定事件(1936年)を題材に、ハードコア・ポルノとしての性描写が観客や批評家の間で話題となり、国際的に評価された『愛のコリーダ』の監督作だと言うことも知っていました。

 

大島監督は『愛のコリーダ(1976年)』、『愛の亡霊(1978年)』(第31回カンヌ国際映画祭監督賞受賞)で世界的に名声が広まっていた頃なので、ビートたけしさんや坂本龍一さん、デヴィッド・ボウイなど異色のキャスティングが話題となった『戦場のメリークリスマス(1983年)』は第36回カンヌ国際映画祭に出品され、パルム・ドール最有力と下馬評では高かったんですよね。

 

しかし無冠に終わり、同じ日本から出品され『戦場のメリークリスマス』の影に隠れあまり話題にも上がっていなかった今村昌平監督の『楢山節考』がバルムドールを受賞したんです。

 

『戦場のメリークリスマス』制作チームの派手な宣伝プロモーションが逆にカンヌでは反感を買ったと言う噂がありますね。今村昌平監督は受賞なんてするはずがないと思い、カンヌには行かなかったんですよ。僕は『楢山節考』も観ていますが、僕もどちらかを選べと言われれば『楢山節考』に票を入れるかなぁ〜。

 

『戦場のメリークリスマス』を初めて観た時、悪い作品ではない、つまらなくもないんだけど…何かが足りない…と言う印象を僕は持ったんですね。生意気なようですけど。まだ高校生で子供だったし、見えないものがまだまだたくさんあって、理解ができないところが多々あったんだと思います。

 

今回、観直してみるまで、『戦場のメリークリスマス』と言う作品は僕の中では、忘れられない作品の一つだけど、なかなか言葉に出来ない、フワフワした地に足がつかないような作品でした。坂本龍一さんが作曲したテーマ曲だけが一人歩きしているような感じかなぁ。

 

『戦場のメリークリスマス』の監督、大島渚さんは、常に権力と闘い、様々な問題作を発表し、社会を挑発し続けたと言われます。人間、性、貧困、歴史、社会、変革などを主題に、タブーとされる表現にも果敢に挑みながらも、その高い芸術性で世界中から高い評価を受け、世界映画史に大きな足跡を残した稀有な映画監督とも言われています。

 

でも僕は同時代を生きてきたわけではないので、そう言われてもなかなかピンとこない世代です。

 

◎青春残酷物語(1960年)、◎太陽の墓場(1960年)、◎日本の夜と霧(1960年)、◎飼育(1961年)、◎白昼の通り魔(1966年)、◎儀式(1971年)、◎愛のコリーダ(1976年)、◎愛の亡霊(1978年)、◎戦場のメリークリスマス(1983年)、◎マックス、モン・アムール(1987年)、◎御法度(1999年)

 

など観ましたが、どれが好きって言えない僕の中では微妙な立ち位置の監督なんです。大島渚さんの作品って扱っているテーマや作風が僕の肌には合わないんだろうなと思うしかないですね。

 

それに僕が知っている大島監督は、1980年代後半からは『朝まで生テレビ!』のレギュラーパネリストで、テレビ番組のコメンテーターとしても活動されていた印象が強く、映画をほとんど撮ってらっしゃらなかったし、いつも大声で怒っているイメージで、タレントのようでしたし、日本映画監督協会の理事長と言う肩書きにも疑問を持っていたりしたんです。

 

大島監督の作品を観る時に、どこかそんな気持ちが僕にバイアス(色眼鏡で見る、偏見を持つ)をかけて、素直に鑑賞出来ていなかったのかも知れませんね。

 

今月11日から、東京・京橋の国立映画アーカイブで、2013年1月15日に80歳で永眠された大島渚監督が作られた計45作品(34プログラム)を上映する大規模な回顧特集と、監督自らが残した膨大な作品資料などから監督の映画人生を俯瞰する展覧会『没後10年 映画監督 大島渚』が開催されるようです。

 

『戦場のメリークリスマス』の企画書などのほか、坂本龍一さんを主演に1991年に撮影に入る予定だった「ハリウッド・ゼン」のスケジュール表など貴重な資料も満載らしいので、興味のある方は足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

『戦場のメリークリスマス』は、2012年に英国でデジタル修復された後、翌2013年に第70回ベネチア国際映画祭のクラシック部門で上映され、2015年3月にはフランスで2K版として劇場公開されました。2021年4月、新たな4K修復版として『愛のコリーダ』とともに国内でリバイバル上映され、今年1月、再公開されました。

 

『戦場のメリークリスマス』の原作は南アフリカの作家、ローレンス・ヴァン・デル・ポストの短編集『影の獄にて』です。この本は「影さす牢格子」「種子と蒔く者」「剣と人形」の3部作で構成されているのですが、映画は「影さす牢格子」「種子と蒔く者」の2作が元になっているようです。

 

作者自身のインドネシアのジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験を描いたものだそうで、僕は原作を読んでいないので、映画との違いを比較したり出来ないのですが、時間的な都合で原作に描かれている宗教的なテーマはかなりの部分がカットされているようです。

 

『戦場のメリークリスマス』を観て、何か足りない、舌足らずな感じを受けるのは多分そこなんでしょうね。テーマが見えにくいと言いますか、作者が何を言いたいのかが掴みにくいと言いますか…。いろいろ匂わしてはいますけど…。画面からは、作り手の熱量はビンビン感じますけどメッセージ性は薄いなと感じていました。

 

でも簡単につまらない映画と切り捨てられない、不思議な抗えない魅力がある作品であることには間違いないです。

 

◎『戦場のメリークリスマス』

簡単なストーリーです。

 

1942年戦時中のジャワ島、日本軍の俘虜収容所が舞台です。

 

朝鮮人軍属のカネモト(ジョニー大倉)がオランダ人捕虜のデ・ヨンをレイプする事件を起こします。事件をきっかけに粗暴な日本軍軍曹ハラ(ビートたけしさん)と温厚なイギリス人捕虜ロレンス(トム・コンティ)が奇妙な友情で結ばれていきます。

 

一方、ハラの上官で、規律を厳格に守る収容所所長で陸軍大尉のヨノイ(坂本龍一さん)はある日、収容所に連行されてきた反抗的で美しいイギリス人俘虜のセリアズ(デヴィッド・ボウイ)に心を奪われてしまいます。

 

セリアズとロレンスは、無線機を無断で所持していた容疑で、ヨノイ大尉に独房入りを命じられます。クリスマスの日にハラは「ファーゼル・クリスマス」と叫んで、自分をサンタクロースだ、これはプレゼントだと言いロレンスとセリアズを釈放してしまいます。

 

それに激怒したヨノイは捕虜の全員集合を命じます。全員揃っていないと分かると病気の捕虜も並ばせるよう命じますが、これはジュネーヴ条約に違反していました。重症の捕虜が1人倒れて死亡し、ヨノイは周囲からの孤立を深める結果になり、葛藤に苦しむのでした。

 

情報提供を拒み続ける反抗的なヒックスリー俘虜長を、ヨノイ大尉は軍刀で斬ろうとします。そこへ、セリアズが歩み寄り、ヨノイ大尉を抱擁し両頬にキスをするのです。予想外の展開とあまりの衝撃にヨノイ大尉は驚き倒れこんでしまいました。

 

その後、ヨノイ大尉は更迭され、新しく着任した大尉はセリアズを首から上だけ出した生き埋めの刑に処すのです。

 

セリアズは朦朧とする意識の中で、弟のことを思い出しながら衰弱死し、ヨノイ大尉は夜中に密かにセリアズの元に寄り、彼の髪を一束切り取り、敬礼し立ち去るのでした。

 

大戦は終わり、時は1946年。日本軍は負け、ヨノイ大尉は既に処刑されていました。同年のクリスマス、死刑判決を受け、執行前日を迎えたハラの元へロレンスがやってきます。4年前のクリスマスのことを思い出し、2人は笑い話に花を咲かせます。ロレンスが立ち去ろうとしたとき、ハラは彼を呼び止め、別れの言葉を放つのです。「メリークリスマス。メリークリスマス、ミスター・ロレンス」と…。

 

俘虜となるジャック・セリアズ少佐を演じたデヴィッド・ボウイの美しさと存在感が際立った作品ですよね〜。

 

坂本龍一さん扮するヨノイ大尉が初めてセリアズと対面したシーンなんて、ヨノイ大尉はセリアズに釘付けですからね(笑)。ガン見ですよ〜。あぁ一目惚れしちゃったんだなとわかります。素敵ですからね、この作品のデヴィッド・ボウイは。

 

これは今回改めて観て、わかったことです。

 

東洋と西洋の文化の対立と融合という複雑なテーマを、次第にセリアズに惹かれていくヨノイの同性愛的感情と重ね合わせているのかとも思いました。東洋と西洋の理解したくてもどこか交わることのない、理解したくても出来にくい、宗教観、道徳観、組織としての在り方も描かれていますね。

 

日本軍の根底にある日本独特の「武士道・神道」・「仏教観」や、明治以降の日本人が抱いた強い欧米への劣等感と憧憬、そして、欧米人・日本人どちらにもある「エリート意識・階級意識」、「信仰心」、「誇り」など文化やそれぞれ民族の妥協できないアイデンティティの複雑さも描かれていると今回観て気づきました。

 

東洋と西洋の対立と、矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うことの不幸と悲劇、それでも信頼と友情も諦めなければ生まれるんだよと言うことを言いたいんだなと感じました。

 

撮影監督は名手・成島東一郎さん。木下恵介監督に師事し、木下監督による日本初の長編カラー映画『カルメン故郷に帰る』(1951年)の撮影助手を務めた方です。吉田喜重監督の『秋津温泉』、中村登監督の『古都』、『紀ノ川』など煌めくような映像を撮られる、僕の大好きなカメラマンです。大島渚監督とは『儀式』でも組んでられましたね。『戦場のメリークリスマス』はねっとりとした濃厚な空気感が伝わるような映像で、時折キラッとと刺す光の表現が流石だなぁと思いました。

 

美術監督は戸田重昌さん。小林正樹監督の第16回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した『切腹』、第18回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受した『怪談』で毎日映画コンクール美術賞に輝いた方です。『怪談』は、小泉八雲原作の『怪談』に収録されている「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」と『骨董』収録の「茶碗の中」の4つの怪談話を映画化したオムニバス作品で本当に素晴らしい美術なんです。大島渚監督とは『儀式』、『愛のコリーダ』、『愛の亡霊』でも組んでられます。大島渚監督の妹さんのご主人です。『戦場のメリークリスマス』での捕虜たちの収容施設の温室のような美術もとてもイイですね。

 

ロレンスを演じたトム・コンティが良かったですね〜。初めて観た時は、彼が話す日本語がよく聞き取れず、もどかしくてストーリーに入り込めないところがあったのですが、原作者の分身であるロレンスをどんな極限状態に置かれても、誠実さを失わない、人間味溢れる人物として演じていてとても共感できました。

 

ビートたけしさん演じるハラ軍曹との関係性も上手く表現されていました。

 

ロレンスのジャワ島での俘虜生活は、理不尽な暴力にも耐えなければならず、自尊心も踏み潰されるような苦しいもののはずなのに、ロレンスは「私は個々の日本人を恨みたくない」と言うんです。気高い精神を持った男だなと感じます。

 

ハラ軍曹と言えば、突然狂ったように暴力を振るい、何を考えているのかわからないところがありますが、笑顔が無心で屈託がなく、強い正義感があり、仲間とその家族への細かい配慮を忘れない、尊大な男に見えて繊細な心を持っているんだなと感じさせるキャラクターです。

 

日本古来の「武士道」と言うものを信奉し、御国のために戦うことが自分の与えられた使命だと信じ切っている男の悲しみを俳優ではないビートたけしさんならではの存在感で演じてられます。

 

『戦場のメリークリスマス』のハイライトシーン、反抗的な捕虜に腹を立て軍刀で斬りつけようとしたヨノイにセリアズがキスをするところはいろんな解釈ができると思うのですが、同性愛者の僕はこう思いました。

 

坂本さん演じるヨノイは同性愛者でしょう。でもあの時代、あの状況下、陸軍大尉と言う立場上、決して自分でもその感情は受け入れられなかったんだと思います。

 

セリアズの美しい容姿と、何事が起こってもいつも冷静で毅然とした態度と曇りのない瞳に、憧れと尊敬の気持ちを抱いたとしても不思議ではないでしょう。それが恋だとは自覚はなかったかも知れません。

 

セリアズは僕は同性愛者ではないと思いますが、ヨノイが自分に抱いている気持ちには気づいていたとは思います。ヨノイが何かを断ち切るように、深夜、剣道に打ち込む姿や、気持ちをコントロールできずに精神的に苛立っている様子が気がかりだったのではないでしょうか。

 

セリアズがヨノイの両頬にキスしたのは、西洋人には当たり前の行為だったのかも知れませんが、セリアズにしてみれば仲間を助ける為、自分の命を賭けてでも、今しなけばならない行為だったはずです。

 

それはセリアズにしかできないことだったからです。そして、ヨノイに対して「分かっている。君の想いは。だから気を鎮めてくれ。お願いだ。」と言うことを伝えたかったのではないかと僕は思っています。

 

ヨノイもハラと同じく、御国の為に自分は正しいことをしていると思っています。でもセリアズから見ると「間違っているよ。気づいてほしい」と言う願いだったんじゃないでしょうか。

 

ヨノイ大尉は、2.26事件でかつての仲間と死ねなかったことを悔んでいます。セリアズは体に障害がある弟を見捨てたことを十字架として背負っています。

 

2人は過去に縛られ、自らを常に罰するように生きています。それを捨て去らない限り救われない男たち…。二人の間には、目には見えないけど、何か響き合うものがあったのではないでしょうか。

 

規律を重んじる『武士道精神』(独りよがりや私事へ存念するような見苦しいものではあってはならないとする日本独自の規範意識)を貫いたヨノイ大尉は、中世ヨーロッパの騎士階級に浸透していた『騎士道精神』(主君への忠誠・名誉と礼節・貴婦人への愛・弱者の守護)を持つセリアズの愛に救われたんですよね。

 

セリアズのキスを受けてヨノイは失神し、目覚めた後、全てに気づき受け入れることができたのではないでしょうか。

 

ヨノイは更迭され、生き埋めの刑に処されたセリアズの髪の毛を切り取ります。この行為を観て、『愛のコリーダ』で定が、愛し抜いた吉蔵を誰にも取られたくない為に、吉蔵の男根を包丁で切り取り、肌身離さず持ち歩いていたことを思い出しました。

 

ヨノイの行為を阿部定と重ね合わせるのは考えすぎかも知れませんが、僕は、愛している人の何かを身につけたいとか持っていたいと言う気持ちはとてもよくわかるんです。だからと言って大事なものを切り取ったりはしませんけど(笑)。

 

ラストシーンもとても印象的ですね。最初観た時は唐突なラストだなと思ったのですが、ハラ軍曹が戦争犯罪人として裁かれる前日、ロレンスが尋ねてくるんですよね。ここにもロレンスという人間の優しさと暖かさを感じます。多分、会いに来てくれたのはロレンスだけだったのかも知れない。

 

明朝に処刑が確定しているハラ軍曹にとって、ロレンスが人生で最後に会う人間なんですよ。短い時間ですけどロレンスに会えて、潤んだ瞳でうれしそうに笑うハラ軍曹を演じたビートたけしさんの泣き笑顔が本当にいいですよね〜。死を覚悟した男の、すべてを受け入れた清々しさというんでしょうか…胸を打たれますよね。

 

今回、坂本龍一さんが亡くならなければ観直さなかったと思います。坂本さんのテーマ曲やクセのあるキャスティングの作品ということばかりが語られて、派手な衣装に目が眩んでいたという感じで、映画の本質があまり理解できていなかったと思いました。

 

でも傑作とは呼び難いんですけど、戦争をテーマにした映画の一つとして、記憶に残る名作だとは言えると思います。

 

こういうジャンルの映画を観る度に、戦争というものの愚かさや虚しさを痛いほど感じて、平和がどれほど大切で大事なものかが身に染みて感じるのに、いまだにこの地球上では戦争というものがなくならい。なんでですか?誰に聞いても答えは出ないし、自分でも考えてもわからない。

 

いまだに自国民同士で権力を争って殺し合いをしている国もあるし、平気な顔をして、勝手な理由で他国に攻め入って人権を蹂躙し、その国が築き上げた文化をすべて踏み潰して反省もしない国もある。軍事力をひけらかし、近隣諸国に威をかけてほくそ笑んでいるような国もある…。

 

人の命以上に大切なものってあるんですか?

そう思います。

 

『戦場のメリークリスマス』は配信されていますから、興味を持った方は一度くらいは観て欲しいなと思う作品です。若き日のデヴィッド・ボウイ、坂本龍一さん、ビートたけしさんの美しい姿をスクリーンに焼き付けてくれた大島渚監督に感謝します。