所用で寒川に行ってきました。

 

 

寒川近辺では、以前寒川神社に行きましたが、今回は、行きそびれた梶原景時関連の史跡に行ってきたのでまとめたいと思います。

 

神奈川県 寒川神社 | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ

 

とりあえず、梶原景時に関する私の知識

 

 

元々平氏方の武将の一人として、挙兵したての源頼朝と1180年に「石橋山の戦い」で交戦。勝利しましたが、敗残兵として洞窟に隠れていた頼朝を見逃す。

それが縁で、頼朝が再挙兵した際に源氏方につき、命の恩人でもあったこともあり、以降活躍し、頼朝の右腕とも言えるまでに出世。

平家討伐のため西で転戦した際には、源頼朝の弟の源義経とともに従軍。しかし、屋島の戦いの際に戦略を巡って義経と口論になったり、その後の壇ノ浦の戦いでも共闘しつつも対立するなど関係が悪化。

景時の報告を受けていた頼朝は、義経に対する心象も悪く、後に頼朝が義経の討殺を決めた遠因になったとも。

後世の脚色もかなり入ったようですが、義経を破滅に追い込んだ「ヒール役」のイメージの人

 

AI先生の解説

 

 

 

 

 

頼朝の死後に、他の側近から貶められ、最終的に合戦の後、一族自刃と悲惨な最後を遂げたと。

そこは知らなかった。

 

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中村獅童さんが演じていたらしい。

このドラマはまだ見てないのでいつかは見たい

 

 

 

 

 

寒川には、この梶原景時の館跡があるらしいですが、館前の通りに沿って近くにいくつか史跡があったのでまとめて見てきました。

 

 

 

 

 

 

東から西へ

 

 

 

 

れきちずを見るとこの通りに「一ノ宮宿」かあったらしいから昔かなり栄えてたのかもしれない。

現在は普通の住宅街の中を通る道路だが

 

 

れきちず

 

現在

 

 

1800年頃

 

 

1800年頃の広域図

 

 

 

まずは「景観寺」

 

 

 

 

https://www.samukawa-kankou.jp/?p=we-page-entry&spot=139295&cat=23196&pageno=3

 

 

 

天台宗の寺院。

729〜749頃に行基が開山。めちゃくちゃ歴史あるな。

彼の手によるという十一面観世音菩薩像が本尊

 

 

 

 

(行基)

 

 

 

奈良の大仏を作った人。

 

この景観寺は天台宗をかかげているが、最澄が天台宗を開いたのは806年だそうだから、あとから天台宗になったのだろう。行基の宗派は法相宗(現在、本山は奈良の薬師寺と興福寺)だったようなので

 

 

 

(十一面観音)

 

 

 

 

十一面というけど、顔は一つ?と思ったけど、頭頂部に10の顔があるらしい。

 

 

 

不謹慎ながらこれを思い出しましたが

 

 

 

 

 

 

 

境内には水子観世音菩薩

 

 

 

(水子観世音菩薩)

 

 

 

 

菩薩の種類があまり多くなさそうとは以前調べた時に思いましたけど、

 

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菩薩の種類のひとつである観世音菩薩(観音)ってこれまた種類が多くない?

 

 

 

 

十一面観音や水子観音とか、

 

前に出てきた浄瓶観音とか

 

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馬頭観音とか…

 

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(観世音菩薩 種類)

 

 

 

 

要はあまりに人々を救済したくて、変化の術を身に付けたということでOK?

原形は「聖観音」

 

 

 

 

 

 

ちなみに境内の案内によれば「十一面観世音菩薩立像」の作者は行基じゃないらしいです。

AI先生嘘ついたわ…

 

 

次。

「一之宮八幡大神」

 

 

 

 

 

 

https://www.samukawa-kankou.jp/?p=we-page-entry&spot=140584&cat=23196&pageno=3

 

 

 

 

 

 

関東大震災記念碑。

この辺りにも被害があったのか…

 

 

 

(関東大震災における神奈川の被害)

 

 

 

うわー、むちゃくちゃ深刻だわ…

知らなかった。

まさに「関東」大震災だったんですね。

 

 

本殿の背後に2体の道祖神(右)と他石碑

 

 

 

 

「曹洞宗 西光寺跡」

 

 

民家の後ろに石碑だけありました。

 

 

 

案内板もないし、簡単にネットで調べてもここの西光寺の情報は出てこなかったので、とりあえず見ただけで。

 

 

西光寺跡の側に「金刀比羅宮」

 

 

(金刀比羅宮)

 

 

 

 

「妙光寺」

 

 

 

 

 

銅像が二つ

 

 

日蓮大聖人

 

 

「日蓮大聖人御幼児 善日麿」

 

 

 

(善日麿)

 

 

 

 

日蓮の子かと思ったら日蓮の幼名だった。

つまり日蓮の子供の時の姿

 

 

 

 

 

 

 

この駐車場の先?

 

 

奥を右に曲がるとあった。

 

 

 

 

梶原景時の家臣(七名)の墓

 

 

景時親子が討死したあとに奥方を守り続け、後に梶原氏の復権、領地安堵を鎌倉に願い出たが、聞き入れられず、全員自刃したと。

それを弔ってこれが建てたという伝説

 

卒塔婆が風でカタカタしていて少し気味が悪い…

 

梶原景時自身は現在の静岡市で合戦で負けて自刃し、墓はこの辺りにはない様子

 

 

墓の後ろのこの水路が当時の梶原景時の内堀の名残らしい。

覗いたら普通の雨溝。今は水は流れてなかったです

 

「梶原景時の館跡地」

 

 

 

 

立て看板

 

 

拡大

 

 

 

 

 

 

 

すぐ近くの「一之宮天満宮」

 

 

 

 

 

 

 

この辺り一体に広大な屋敷があって、ここは屋敷の一角で物見の場所として一段と高くなっていたらしい。

 

 

「浩宮徳仁親王殿下 御成記念」 

 

 

 

浩宮徳仁親王って誰だ?

 

 

 

 

 

 

現在の天皇陛下でした…

来てたんですね

 

奥へ

 

 

 

入口以外には特に説明書きはなし

 

「梶原館の馬場跡」

 

 

 

 

 

普通の空き地でした。

ここには今後建物が建つのかな?

 

今回、30〜40分位でさらっと見ましたが、色々発見があり楽しかったです。

 

本日は以上です。