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【2014年有志旅行7日目(番外編)】新潟→東小金井

CityLinerです。
4月になり私もいよいよ1回目の3年生(意味深)です。

そんなことはさておき、私の7日目の行程をそこはかとなくかきつくることにします。

実はこの日は夕方からアルバイトが入っており、私は新潟から直帰することにいたしました。
直帰するといってもひたすら単純に信越本線、上越線、高崎線…では2013年度末の有志旅行の経路を逆にたどるだけになってしまうので、夕方に東小金井に戻れるという条件の下で、それ以外のルートを模索しました。
本当は坂町か酒田あたりに出て米坂線か陸羽西線・陸羽東線を通ってみたいところでしたが、さすがにそれでは東小金井に着くのが遅くなってしまいとてもバイトに間に合わない、というわけで、磐越西線を制覇することにいたしました。

【2014年有志旅行7日目】新潟→森に記されている通り、早朝5時前にのこのこと宿を抜け出し新潟駅に向かいました。

新潟からはキムワイプ115系電車で新津へ。そして新津からいよいよ本日のメインである磐越西線であります。

キムワイプ キハ47

新津から馬下あたりまでは田んぼが広がる越後平野を往き、馬下を過ぎると阿賀野川に沿って緩やかな勾配をを上って行き、キハ47は轟音を立てながら越後山脈を横断します。
標高が高くなるにつれ、車窓からは雪が見えてきます。
どんよりとした空の下、川に映える森。東山魁夷の世界に入ってしまったかのようでした。

阿賀野川

県境を越え、福島県に入り、「阿賀野川」ではなく「阿賀川」と呼ばれるようになります。
そういえば「信濃川」も長野県では「千曲川」と呼ばれていますね。
なぜ県境をまたぐと川の名前が変わるのでしょうか。不思議です。
利根川は群馬県の源流から銚子と波崎の境で太平洋に注ぐまでずっと「利根川」ですが…
さて、磐越西線は阿賀川に沿って峡谷を進み、蕎麦で有名な山都を過ぎ、会津盆地に出て、ラーメンで有名な喜多方から電化区間に入ります。

ちなみにこの阿賀川は会津盆地からどうやって越後山脈を横断したのだろうと疑問に思い調べたところ先行谷と呼ばれる地形だそうで…

喜多方

喜多方から田んぼが広がる会津盆地を一部の駅を通過しながら進みます。
川に沿ってずっと上ってきているので標高が下がっている訳ではないのですが、峡谷とは違い、雪はほとんどありませんでした。
会津若松に着くと既に485系快速あいづライナーが待ち構えていました。

会津若松2 会津若松1

実はこのあいづライナー、先日のダイヤ改正で廃止となりました。
かつては日本全国で活躍していた485系も老朽化が進み、次第に姿を消しています。
残念ですが、仕方のないことですね。
あいづライナーの車内ではソースかつ弁を頂きました。

ソースかつ弁1 ソースかつ弁2

車窓から雪を眺めながら食べる駅弁はまた美味であります。6日目の記事にも似たようなことを書いた気がするけど気にしない
列車は会津若松までの緩やかな勾配とは比にならない坂を上ってゆくわけですが、さすが特急型電車、そんな急勾配を物ともせず、静かに上ってゆきます。
そして車窓から見える光景は再び一面真っ白になります。

翁島

車窓から1 車窓から2

左に磐梯山などの山々を見ながら、1000円札でおなじみ夏目漱石野口英世の故郷である翁島、猪苗代を抜け、郡山に向け、今度は山を下ってゆきます。
磐梯熱海のあたりまで来ると雪はほとんど残っていませんでした。
そして気が付くと右手にはビッグアイが見えており、そこはもう郡山でした。

ビッグアイ あいづライナー

こうして新津から4時間以上かけて磐越西線を制覇しました。
まあ細かいことを言うと、猪苗代と郡山の間は2008年の12月に乗っていたので、猪苗代の時点で制覇していた訳ですが…
ちなみにその時はたまたま修学旅行色のキハ58系が「おもいでの急行あがの」として走っていました。あの時カメラを持っていなかったのが悔やまれます。

あと、ものすごくどうでもいい話ですが、郡山駅でトイレで流そうとしたら詰まってて水があふれてきてかなり焦りました。

郡山

郡山からは東北本線でひたすら東京を目指します。
久田野のあたりはうっすら雪が積もっていてびっくりしました。
喜多方と並んでラーメンで有名な白河を過ぎ、いよいよ関東に突入しました。

関東突入

黒磯 上野東京ライン

まだダイヤ改正前でしたが、黒磯に着くと、すでに上野東京ラインと書かれている案内看板がありました。黒磯からの直通列車は、どんなに長くても上野止まりだったのが、上野東京ラインの開業により熱海まで直通する列車も登場する訳ですから凄いことです。

ところでこの黒磯駅の隣は新幹線も停まる那須塩原駅でその隣には西那須野駅がある訳ですが、黒磯駅と西那須野駅は新幹線のない頃から特急の停まる比較的大きな駅でした。ところがその間にある那須塩原駅はかつては東那須野駅と呼ばれ、急行列車すら停まらない小さな駅でした。
普通に考えれば黒磯駅か西那須野駅に新幹線を停めたいところですが、恐らく旧黒磯市と旧西那須野町がもめて中間の東那須野駅が新幹線も停まる那須塩原駅となったのでしょうね…
九州新幹線の筑後船小屋駅も似たような感じでしょうか。
ちなみに、那須塩原駅に改称してから22年後の2005年、黒磯市・西那須野町・塩原町が合併して自治体名も那須塩原市になりました。
なんだか国立みたいですね。(国分寺と立川の間にあることから国立駅と名付けられ、25年後、国立駅のあった谷保村が町制施行するときに国立町になった(現・国立市)。)

さて、かつては近郊型の115系や211系が走っていたこの区間も今や通勤型の205系が走っています。205系が導入されたことを知ったときはとても驚いたものです。
宇都宮には関東で唯一残っているキハ40形がいました。ちなみにこの6日後、私はこの場所には自転車で訪れました。

E231 キハ40

この日は若干ダイヤが乱れていて上野行の到着は予定より10分程度遅れていました。
上野と東京の間では、上野東京ライン開業間近の貴重な光景を見ることができました。

上野

京浜東北 東京

東京からは普段と何ら変わりなく中央線に乗り、農工大小金井キャンパスの最寄駅である東小金井で降り、今回の旅を終えました。

東小金井


ところで今年は多くの新入部員を迎えることになりそうです。
今後のたびてつが楽しみです。

【2014年有志旅行9-13日目】池田→東京

こんにちは。初代学祭担当です。

忙しく、卒業旅行のブログを書いている暇がないので、ダイジェストでお送りします。

【9日目】池田→釧路
まず、池田の宿を出発します。
帯広方面の上り列車は、写真のように3両編成でしたが、僕たちが乗った釧路行きは1両でした。

キハ40@池田

そのまま釧路にいっても、接続列車まで2時間半待たされるので、音別で降り鉄しました。

音別

近くにはオロナミンCの工場がありました。

音別で降り鉄してもまだ釧路で2時間くらい待たされるので、しばらく駅周辺を歩くことにしました。
スマホで調べると、蒸気機関車が保存されているというので見に行きました。

なんでも雄別鉄道の8700型という機関車らしいです。
会社の敷地内(道路から見えるところ)にあったので、写真を掲載するのはやめます。
個人的には一般の人も近くで見えるように展示してくれればいいと思うですが、そこは会社の事情があるでしょうから、ここでの深入りは避けます。

釧路駅に戻ると、昼食の調達を行いました。
駅構内にセブンイレブンがありましたが、セブンイレブンとセイコーマートが主力の北海道では、セブンイレブンの弁当は飽きたので、駅から1分歩いてローソンに行きました。ちなみにこのローソン、2011年度の有志旅行でも行ってます。何を思ったか、うまい棒10本セットを買ったと記憶しています。

釧路からは根室本線(花咲線)に乗ります。

キハ54ルパン

ルパン3世のラッピングがされていますが、これは、原作者が花咲線沿線出身であることにちなんだものです。

この車両の座席は集団見合い形で、中央の座席にのみ固定式テーブルがある形です。
そのテーブルに弁当を置いたとき、発車3分前を知らせる車内アナウンスがありましたが、・・・

オルゴールの音が聞こえてきました。
そう、「アルプスの牧場」です。
生で聞いたのは初めてです。

発車直前のアナウンスではICレコーダーをスタンバイしていたのですが、なりませんでした。
のちにYoutubeを見ていたら、乗務員に頼んでアルプスの牧場を流してもらった人がいました。

花咲線は途中鹿が多い区間を通ります。線路に鹿が飛び出してくることもあります。
今回は、この旅行で発生した、鹿に関する描写は避けます。
理由はお察しください。

まあそういうわけで若干の遅れで根室に到着しました。
ここからはバスで納沙布岬を目指します。



納沙布岬に行くバス

道路からは様々な「日本最東端」がありました。
郵便局、中学校、小学校・・・・

そして、民間人が到達できる日本最東端の地、納沙布岬にやってきました。

納沙布岬から見た海

この時、天気は悪かったのですが、最南端、最西端の駅を訪れたときより喜びは大きく、テンションが高かったです。

だって、「今僕が日本で一番東にいるんだ!」って考えたらそう思いません?

あと、岬の周辺には北方領土に関する碑が多かったです。

バスで根室駅に戻ります。
根室からはすぐに釧路に戻らず、途中の駅で降ります。

東根室2 東根室1

そう、東根室です。
これで最東西南北端の中で、「東」の駅に行ったことになります。
あと残るは「北」です。

ちなみに、東根室で降りたとき、運転士さんに「降りるの?」と言われました。

駅周辺はマンションや住宅街があるばかりで、あまり降り鉄のしがいはありませんでした。
(ちなみに、一番降りて楽しかったのは西大山でした)。

駅周辺をしばらく歩きましたが、3時間列車が来ないので、歩いて根室へ向かいます。
途中で雪が解けて水たまりになったところに足を突っ込んでしまいました。
暗くてよく分からなかったのです。
おかげて靴下がずぶぬれです。

それでも何とか根室へ辿りつきました。
先に東根室を発ったユリウスは途中でラーメンを食べたそうです。
大学院に入ったころからラーメンが少しだけ好きになったので、食べてみたかったです。

さて、先述の通り、雪解け水のせいで靴下がずぶぬれになってしまいました。
根室の待合室で靴下を脱いでいると、「替えの靴下をあげる」という人がいました。
僕は、替えの靴下も、靴と靴下を乾かすための新聞紙も持っていたので遠慮しましたが、ずいぶん親切な人がいるものですね。

この後列車で釧路に向かい、泊まりました。

【10日目】釧路→幌延

釧路からはこの列車に乗ります。

キハ40@釧路

この列車は帯広まで普通、帯広から快速狩勝に種別変更し、滝川行きになる列車です。
2011年度の有志旅行で乗った2429Dと逆の行程を辿る列車です。

狩勝サボ

この列車は、帯広までは何の問題もなく到着しました。
ところが、芽室のあたりで雨が雪に変わりました。そして、新得では交換する特急列車が遅れていました。

キハ40@新得

新得で雪をかぶっている快速狩勝です。

新得を若干の遅れで発車しました。しかし、本来の通過駅である落合のホームを少し過ぎたところで止まってしまいました。
しばらくすると車内放送で「雪で出発信号が確認できない」と運転士が言いました。運転士は指令(?)に連絡し、しばらくすると運転再開になりました。しかし、キハ40はエンジンの音を立てるばかりで一向に進みません。どうやら車体の下の雪に乗り上げた状態で止まってしまったようです。要するに

雪に閉じ込められた


わけです。
しばらくすると、スコップを持った保線係がやってきて、車体の下の雪をどかす作業を始めました。保線係が来たときは、それはもう心強く思いました。

作業員

しばらくすると車内放送があり、排雪列車がやってきてキハ40の前の雪をどかす作業をするとのことです。
やってきたのは排雪用モーターカー(ハイモ)でした。ハイモはゆっくりキハ40に近づきながら除雪し、それが済むと側線へと引き上げていきました。
  
↑雪の向こうにハイモが見えます

このとき、ハイモとキハ40が衝突しないように(雪でものすごく視界が悪いのです)合図を送りながら除雪をしたり、作業員の安全を確認し、それが済んでから行動をおこすということが行われていました。
今、JR北海道は世間で安全面からだいぶ問題視されていますが、少なくともそのとき僕の目の前にいた鉄道員たちは、安全を最優先に、かつ一刻も早く列車を動かそうという意思を持っていることが感じられました。大変頼れるものです。

一方そのころ僕は、列車がかなり遅れたので、その日の行程がこなせるかどうか、気が気でなかったのです。行程に余裕がなく、しかも特急ワープも効きませんからね。
貴重な経験ができたと言われればその通りなのですが。

この日は、富良野で富良野線に乗り換え、旭川から普通幌延行きに乗る予定でした。しかし、行程を組むときに見落としをしていたらしく、旭川から後発の快速に乗れば、もともと乗る予定だった幌延行きにおいつけることがわかりました。
どうやらこれで行程がこなせそうです。

その後、富良野で接続する列車は、僕たちの列車を待って、旭川に向かいました。

余談ですが、雪に閉じ込められたときに乗っていた人の多くは同業者で、花咲線で一緒だった人もいました。

こうして僕たちはなんとか幌延に着くことができました。

幌延駅

余談その2ですが、ユリウスが幌延の宿でスマホを洗濯機でメリーゴーランドしていました。
スマホはお亡くなりになられました。

【11日目】幌延→苫小牧

この日は僕とユリウスで若干行程が異なります。

ます、僕は宗谷岬に行きたかったので、始発で稚内へ向かい、そこからバスで宗谷岬を目指すという予定を立てました。
一方ユリウスは稚内駅にいけさえすればよかったので、その後の列車に乗りました。
二人は南稚内で合流する予定です。僕が宗谷岬から戻るバスを南稚内でおりるのです。

始発で出発した僕は、特に問題もなく稚内に到着しました。

稚内駅

これで、日本の最東西南北端の駅を制覇しました。気分としては、「ああ、とんでもないことをやってのけたな・・・」という感じです。
ついでにいうと、僕はこれでJR北海道を完乗したことになります。JR線の完乗はこれが初めてです。
まあ、来年には北海道新幹線ができるので、乗りつぶしなおさないといけないのですが。

しかし、稚内に着いてみると横殴りの雪が降っていました。さむい、というより痛い、という感じです。
ここで心配になるのはバスのダイヤです。南稚内でバスから列車の乗り継ぎ時間が10分しかなく、乗り遅れたら次の普通列車は3時間20分後、特急でも2時間53分後なので、行程に影響がでます。
結局、宗谷岬はあきらめ、代わりにノシャップ岬に行きました。

ノシャップ岬

ノシャップ岬はだれもおらず、降り積もった雪にすら自分以外の足跡はありませんでした。
岬の先端から、

「次こそは宗谷岬に行くぞ~!!」

と叫んでみました。
その後ユリウスと稚内で合流、普通列車を乗り継ぎ、旭川に着きました。

旭川ではすぐの乗り換えの予定でしたが、列車を一本遅らせ、旭川ラーメンを食べました。
大学の近くのラーメン屋のほうがおいしいという印象でした。
旭川で列車を見送った理由はもうひとつあります。

711系

そう、711系です。1本待てば711系が来ることが分かっていたのです。
今度のダイヤ改正で引退するというので、葬式鉄をしました(北斗星とか北陸本線とかで忘れられがちですが)。
同業者も結構いました。

711系は乗り心地が非常によく、音も静かで、国鉄急行型の面影があり、旅情もあり、デッキがあるので冬でも暖かいので、非常にいい車両だと思うのですが、残念です。
独特なモータ音をしっかり録音しました。

岩見沢に着くと、土砂崩れの影響で岩見沢以東の函館本線のダイヤがかなり乱れていました。普通列車がしばらく来ず、特急列車に乗車券だけで乗せる措置をとるほどでした。
まあ、僕たちは室蘭本線で苫小牧の宿に向かったので特に問題はありませんでした。

【12日目】苫小牧→大館

苫小牧から東室蘭まではとても長い直線を含む区間、東室蘭から長万部までは海沿いを走ることが多い区間というのは有名ですね。
この区間は、北斗星を狙う撮り鉄が線路のすぐそばまできていて危険でした。

長万部から先はこの旅行の8日目に乗ったので特に書くことはありません。
しいて言えば、乗った車両がキハ40-836で、8日目に森-長万部で乗ったのと同じ車両だという事くらいですかね。

あと、石谷で待避する予定だった(と思われる)特急を八雲で待避したので、列車が遅れました。

木古内からは特急(18きっぷで利用可)で本州に戻ります。
「ついに接続待ち地獄の北海道から脱出できる」という気分でした。
木古内を発車して最初のトンネルを出たところで、また
「もう本州だよ」とユリウスをからかってみましたが、もう引っかかりませんでした。

青函トンネルを越え、本州に入ってもまだ雪が降っていました。

津軽今別

青森駅についてもまだ雪が降っていたので、八甲田丸を見に行きたくなりました。
「雪の中の青函連絡船というのもなかなか旅情があるだろうな」と思ったのです。

八甲田丸

頭の中では「津軽海峡冬景色」がループしていました。
しかし、僕が八甲田丸に近づいたときだけ雪が弱くなったのは何かの陰謀でしょうか。

今回使うのは「北海道&東日本パス」ではなく青春18きっぷなので、青い森鉄道とIGRは使えません。
そこで一度日本海側を回って帰ります。

弘前についてから、弘南鉄道に乗ることにしました。先を急ごうにも、青森-秋田県境を超える列車が少なく、このまま進んでも
碇ヶ関でしばらく足止めを食らうので、弘南鉄道を乗りつぶしておくことにしたのです。


弘南鉄道大鰐線7000系   中央弘前

今回乗るのは大鰐線です。
大鰐線は弘前駅ではなく、中央弘前という駅から発着するのですが、この中央弘前を探すのに苦労しました。弘前から遠く離れている上にわかりづらいことがあり、その上GPSを表示したスマホの画面にも容赦なく雪が降るそそぐのです。

Yahoo知恵袋で調べた徒歩所要時間より少々かかりましたが、中央弘前に着くことができました。
中央弘前は、とても温かみのある駅舎でした。

その後、大鰐線の乗りつぶしを果たした後、JRで大館の宿へ向かいました。

【13日目】大館→東京
この日はまず、ひたすら奥羽本線を南下します。
秋田には、E6に交じって583がいたので、非常にびっくりしました。

583@秋田

途中新庄では、駅名表の書き換えを行っていました。
新しくできる「天童南」駅に対応するためです。

新庄運賃表書き換え

その後、奥羽本線を羽前千歳で降りました。
羽前千歳の南側には狭軌と標準軌のダイヤモンドクロッシングがあります。

仙山線の山寺付近には、立石寺があります。
以前夏に来た時は駅からも見えたのですが、今回は降雪で視界が悪く、見えませんでした。
もし視界が良く、雪をかぶった立石寺が見えてきれいだったでしょう。

仙台からは719系の東北本線福島行きに乗りますが、僕は槻木で降ります(ユリウスはそのまま乗ります)。

AN8100系@槻木

ここからは阿武隈急行に乗ります。
途中からは山の中を川に沿って走る、秋だったら非常に景色が良かったであろう線でした。

福島に着き、黒磯行きの車内でユリウスと合流しました。
この時驚いたのですが、仙台から槻木まで乗った車両と車番が同じでした。

仙台から福島まで乗りとおしたユリウスが言うには、福島到着前に、車内放送で行き先を黒磯に変更するというアナウンスがあったとのことです。

黒磯に到着する前、高久付近を走行中、カシオペアとすれ違いました。

宇都宮でE231系に乗り換えたあたりで、もう日常に引き戻された感がありました。

この辺りでは、北斗星を狙う撮り鉄が駅にたくさんいました。
でも僕はあえて写真は撮りません。
以前話した通り、記録より記憶に残したかったからです。

北斗星とは、僕たちの列車が間々田停車中にすれ違いました。
停車中だったので、北斗星の雄姿をしっかりと見ることができました。

武蔵野線の車内で、約1週間連れ回したユリウスとお別れをしました。
お互いの健闘をたたえ、ハイタッチで別れました。

これでこの旅行の報告はおしまいです。
とんでもないことをやったはずなのに、いまいち実感がわかないというのが正直な感想です。

ついでにいうと、この記事をもって初代学祭担当は当ブログから卒業します。
いままでご愛顧いただきありがとうございました。
今後は後輩たちが記事を執筆致しますので、これからも「たびてつの活動記録」をよろしくお願いいたします。

【2014年有志旅行6日目】福井→長野

こんにちは。
先月のダイヤ改正で北陸新幹線延伸と引き換えに甲信越・北陸の名列車の数々が失われたことによりお通夜モードのJETです。

内容に入る前に、今回の旅行の特殊な事情について説明しておきます。
この旅行は元はと言えば、初代学祭担当氏の卒業記念日本一周(?)旅行として計画されたものであり、僕と先日記事を作成してくれたCityLiner君は私用により部分的な参加しかできず、北陸本線を往来しつつ丁度すれ違うような形で初代学祭担当氏のたどったメインルートから離合する形となりました。すなわち、6日目は

初代学祭担当氏・・・福井→新潟(途中北陸本線内で寄り道)

が基本ルートであるのに対し
JET・・・福井→長野
CityLiner君・・・武蔵小金井→大糸線・富山経由新潟
と言う行程だったわけです。

そういう訳で、ここでは私JETの独自ルートである、福井から北陸本線の駅を巡りつつ信越線経由で長野へ向かう旅の特集をいたします。

津幡駅での並び実は変わっている駅名標

当初は福井駅で早起きして快速敦賀行きを撮影した後始発列車に乗るつもりだったのですが、旅の疲れを引きずっていた当時の自分には6時台起床が限界であり、初代学祭担当氏と同じく始発から2本目の列車に乗り、金沢駅へ直行、さらに七尾線列車に乗り換えて津幡まで行きました。
金沢以東の動向ばかりが注目されがちな今回の改正ですが、実は石川県西部の寺井駅が「能美根上」に改称されていました。今回は改称前の駅名表を撮りたかったのですが、寝坊のせいで叶わなかったのが若干残念です。

左の写真は津幡駅でのおはようエクスプレスと七尾線用415系の並びです。
おはようエクスプレスは金沢以東が廃止されてしまったので勿論今では貴重なのですが、実はこの改正より七尾線415系も413系体質改善車により玉つきで廃車が発生しているようで、複数の意味で貴重な写真となってしまいました。

さらに右の駅名標は、JR西日本仕様の駅名表からJRロゴをシールで消しただけだと思っていたのですが、後日確認したところ、実はシールで消されているのは第3セクター・IRいしかわ鉄道のロゴだったのです。

すなわち、一見JR西仕様にしか見えないこのデザインにIRのロゴを加えただけの物がIR仕様の駅名表です。
よく見るとJR西仕様とは駅名のひらがな表記とローマ字表記の位置が異なっており、さらに青い部分も若干薄い色合いになっているようです。
北陸新幹線に絡む3セクではIRだけ駅名標のデザインを事前に発表していなかったので気付かなかったのですが、もはや間違い探しレベルです、コレは。


しらさぎとサンダーバードTWE、富山を発つ

左は小杉駅での683系しらさぎ編成(回送)と683系4000番台サンダーバードの並び、左は富山駅を約4時間遅れで発車した大阪行き寝台特急トワイライトエクスプレスです。

このように関西・名古屋方面の特急が多く行きかった富山県内のJR線内ですが、考えてみたら新幹線開業以降は東京行きがバンバンやって来る一方大阪・名古屋行きの列車は全く来なくなるワケで(北陸本線経由でなければ「ひだ」がありますが)、もともと関東志向と関西志向が半々程度だった富山の文化を覆すことも懸念されます。そう言う意味では、北陸新幹線は最低でも敦賀まで延伸され、西日本方面へもある程度の利便性をもたらしうるようになってようやく本来の価値を発揮すると言えましょうか。
・・・まあ関東人の自分がこんなことを考えるのも変なハナシですが。


富山地鉄滑川駅名標

この日は北陸本線の駅を可能な限り下車すると言うコンセプトで行動していたため、富山県内を中心に小規模駅でも何回か下車しました。
その一つ、滑川駅には隣接して富山地方鉄道の電鉄滑川駅もあるのですが、その駅名標を見てみると…なんだかイタい事になっています。
調べてみたらこのキャラクターは滑川市のゆるキャラ「キラリン」で、滑川名物であるホタルイカがモチーフになっているそうです。(ちなみに富山地鉄標準のオーソドックスなデザインの駅名標は見当たりませんでした)
これを初代学祭担当氏に見せたところ、「イタい駅名標とはむしろ、おれんじ鉄道のアレのような奴の事だ」だそうです。


水橋駅前の美術館水橋駅

さらに富山駅から東に2つとなりである水橋駅の駅前には、同月24日に開業を予定していた「世界一かわいい美術館」があったのですが、開業前ながらご厚意で特別に中に入らせていただくことが出来ました。
小規模な美術館ではありますが、今後は北陸ゆかりの作家などが手掛けた作品などを展示していくようです。閲覧者の皆さんも、もし新幹線で富山に行くことがあれば訪れてみてはいかがでしょうか。
そして右側は、幾度となく北陸本線を通るたびに1度はやってみたいと思っていたネタです…わかる人だけわかって下さい(苦笑)


青海駅から新幹線を望む親不知駅を通過するはくたか

途中駅で下車しつつ行動エリアを東にシフトしていき、新潟県に入りました。左は青海駅の跨線橋から望む山々と新幹線の高架橋です。…というか青海駅が橋上駅舎且つ駅員配置と言う予想外に立派な設備で驚いてしまいました。
右は難所で有名な親不知を通過する特急はくたか号です。この写真ではわかりにくいのですが既に帯が「しらさぎ」仕様になっています。曇り空だったのが残念でしたが、新幹線開業前にこの場所ではくたかの撮影ができただけでも良しとしましょう。


ET&122有間川を出る413

親不知から乗車した直江津行き列車の車内で初代学祭担当氏らと合流しました。3両編成の列車内は満席+立ち客多めと言う混雑具合で、今後単行気動車(左写真の車両です)で大丈夫なのかと思ってしまいましたが、今にしてみればあの客の大多数は葬式鉄だったのかもしれません(荷物や風貌からしてソレっぽかったですし)。しかしトキ鉄開業初日は、開業フィーバーのせいで積み残しまで発生する大混雑だったそうですが(苦笑)
僕は直江津の2つ手前の有間川駅で同行者の皆さんと別れ、北越とはくたかの撮影をすることにしました。


485系北越683系はくたか

その結果はこんな感じです。北越は485系国鉄色、はくたかは北越急行所有683系オンリーの9連というそれなりに貴重な編成でした。
ところでこれらの写真を撮った有間川駅の直江津よりは2重S字状のカーブとなっており、長編成の列車が車体をくねらせながら走ってくる様は何とも絵になるのですが、1枚の写真だとイマイチ伝わりにくいのが惜しいところです。また、駅自体も海沿いという事でなかなか良いロケーションとなっており、YouTubeなどで見てみる事をお勧めします。


直江津での115系トワイライトとはくたか

そしてようやく直江津駅に到着しました。駅名標は既にトキ鉄使用に交換されており、いかにも過渡期と言う雰囲気だったのですが、運の良い事に115系長野車が並んでいました(しかも片方は湘南色)。トキ鉄移管に伴い直江津駅に長野(→しなの鉄道)の115系がやってくることはなくなったので地味に貴重な光景なのですが、湘南色こそ撮影者が多かったものの、長野色編成はあまり注目されていないようでした。

それより何より右の写真です。下りのトワイライトエクスプレスは直江津ではくたか21号に抜かれるダイヤになっていたため、このような並びも撮れるわけです。トワイライトの機関車全体&JR西日本編成のはくたかの組み合わせは2月にすでに撮っていたため、今回はヘッドマークのアップ&北越急行所有編成という違うスタイルで撮ってみました。
このはくたかとトワイライトを見送った後に普通列車で長野へ向かったのですが、思い返してみれば5年ほど前まではこれらの列車に加えて583系急行「きたぐに」や489系「能登」、419系までいた訳で、甲信越・北陸路が如何に個性と魅力のある列車に溢れていたかを思い知る事になりました。
しかしながら、無くなったモノを何時までも悔やんでいても仕方が無いので、今後はJRや3セク各社が新たな「鉄道の魅力」を生み出してくれる事に一抹の望みをかける事と致しましょう。



さて、ナーバスな話題はこの位にしておいて、明日は東京農工大学の新入生オリエンテーションです。鉄道・旅行に興味のある皆様を、旅と鉄道研究会は心より歓迎いたします。
東門側・BASE棟横の広場でお待ちしております。ぜひいらして下さい。

【2014年有志旅行6日目(番外編)】武蔵小金井→新潟

こんにちは、CityLinerです。

さて、ただの言い訳ですが、5日目の記事に「さて、次回は3セク化目前の北陸本線乗り収めとなる6日目の特集です。はくたか・トワイライトなど運行終了を控える列車達も登場します。お見逃しなく!」と書かれていたので、これは6日目の記事も先輩が書くのかと思ったのと、僕だけ別行程だったので、更新を躊躇しておりました。
と、言う訳で、予め申し上げておきますが、今回、トワイライトは登場しません。ご了承ください。そして更新が遅れましたことお詫び申し上げます。

本当は今回の有志旅行、全日程参加したいところでしたが、アルバイトが入っており、全日程どころか、部分参加すら厳しい状況でした…が、「どうしても三セク移管前に北陸本線に乗りたい」と思った私は、強行参加すべく、5日のバイトを終えた後、そのまま眠りもせずに6日の早朝、武蔵小金井駅4:30発の列車に乗り込んだのでした。

武蔵小金井4:30発

途中、高尾、大月、甲府で乗り換えつつ、中央本線・篠ノ井線をひたすら北西へ。
朝ということもあり、車内では通学する中高生の姿を見かけました。
つい最近までは115系が走っていましたが、今は211系が走っています。時代の流れですがなんだか寂しいですね。とはいえ211系も国鉄時代に誕生した車両ですが…

松本駅にて1 松本駅にて2

松本から未乗だった大糸線に乗車。
北アルプス(飛騨山脈)を西に見ながら、フォッサマグナの西端、糸魚川静岡構造線に沿って北上します。
美しい車窓を見ながらの駅弁(山菜釜めし)は格別においしいものでした。

北アルプス 山菜釜めし

大糸線は、かつて何度か不通になりました。
中でも1995年の梅雨の終わりの集中豪雨は沿線に甚大な被害を及ぼし、全線で運転を再開したのは2年余り後のことでした。
最近では、沿線を流れる姫川の護岸が一部崩れていたために一部区間で運転を見合わせたり(ちなみに私はこの影響で2013年の夏合宿で大糸線に乗る計画を止め、北陸本線、信越本線で移動したため、大糸線は未乗のままであった)、白馬村を中心に襲った大きな地震があり約2週間ほど一部区間で不通になったりました。
さて、幾多もの困難を乗り越えた大糸線は意外にも(?)電化が早く、松本と信濃大町の間は何と1926年(大正15年)には電化されていたそうです。

そんな大糸線の歴史はさておき、現在の電化区間の北端(恐らく未来永劫ここが大糸線の電化区間の北端だと思いますが)、南小谷に到着。

E127 南小谷

E257

このローカル線の小さな駅に9両編成の特急列車が入線してくるのは何だか圧迫感があります。(そもそもローカル線の定義って何だって話ですが…)

ここから先の非電化区間では2010年のダイヤ改正前までキハ52形が走っていましたが、今では越美北線等と同様キハ120形が運用についています。キハ120形はドアの閉まり方が特徴的でその都度微妙に閉まり方が違って、見ていてなかなか面白いです。

列車は糸魚川に向けて姫川に沿ってひたすら山を下ってゆきます。標高が下がるにつれてどんどん雪が少なくなり、真っ白だった南小谷とは対照的に、糸魚川は雪は全くありませんでした。
ところで、姫川駅を発車し、終点の糸魚川を目前に控えていた頃、

キイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ


乗用車が踏切内に閉じ込められたとのことで急停車しました。幸いにもすぐに安全が確認され、ほぼ定刻通り糸魚川に到着しました。

糸魚川駅ではいかにも北陸本線らしい並びを見ることができました。

はくたか&413系電車

北陸新幹線が開業し、今はもうこのような姿を見ることはできません。
高速バス、飛行機等の交通手段に対抗すべく、鉄道は高速化、結果として新幹線ができ、在来線の需要は低下し、第3セクターへと引き継がれる。時代の流れには逆らえないので仕方ないですが、やはり寂しい感じがします。
しかし、北陸の第三セクター3社はサービスの向上に全力で努めており、これからの活躍に期待したいところです。

さて、糸魚川から富山まではMT54形電動機の轟音を聞きながら、日本海沿岸を西へ進みます。車内で何故かJET先輩に遭遇、あれ?長野に向かっていたはずでは???
どうやら撮り鉄目的で北陸を右往左往していたそうです。
さて、富山でユリウス先輩と合流し、一緒に北越を撮影しました。(その後クロ157君とも合流)

北越2 北越1

富山では北陸新幹線開業への熱い期待を感じました。
しかし、そんな富山駅も外見は2013年夏合宿の時と比べてさほど大きく変わったようには見えませんでした。

北陸新幹線開業8日前1 北陸新幹線開業8日前2

富山駅 683

富山からは北陸本線を東へ。
途中で初代学祭担当先輩と合流。時折日本海を眺めつつあっという間に直江津に到着。
直江津の駅名標はすでにJR東日本のものではありませんでした。

直江津駅名標 115信州色

ほくほく 北越3

直江津では国鉄色の北越も見ることができました。
とりあえず私としては最後の北陸本線を満喫できた気がします。
さて、ここからそのまま新潟に行くのが普通ですが、このサークルは普通ではありません。初代学祭担当先輩の提案により、1駅長野方面に進んで春日山へ。

くびき野@春日山

春日山からは快速くびき野で信越本線を通って新潟へ向かいます。
柏崎を過ぎると内陸に入り、塚山付近はやや標高が高いため雪も見ることができました。
くびき野は農工大工学部の学生が通学に使う某路線の区間快速とは違い、停車駅が少ないのでおよそ140㎞あるにもかかわらず、あっという間に新潟に着きました。

新潟駅

というわけで、私の更新が遅れたが故に順番が前後してしまいました。お詫び申し上げます。
尚、せっかくなので7日目の番外編として新潟から東小金井へ帰還する行程の記事も書こうかと思います。

全然関係ない話ですが、8日目の記事で
ところで、どうして陸羽東線と陸羽東線は名称を統合しないのでしょう。
○○東線と○○西線(あるいは○○南線と○○北線)と名乗る線で、両者がつながってるところはここだけではなかったでしょうか。

とありましたね。
初代学祭担当先輩の名誉を傷つけるようで申し訳ないですが、突っ込みどころ満載です

どうして陸羽東線と陸羽東線は名称を統合しないのでしょう。
言いたかったことは分かりますがこれでは既に名称が統合されていますね。

○○東線と○○西線(あるいは○○南線と○○北線)と名乗る線で、両者がつながってるところはここだけではなかったでしょうか。
実は僕が7日目に乗った磐越西線は郡山で磐越東線とつながっています。しかも「○○東線」「○○西線」と名乗る路線は(「湖西線」など意味合いの異なる路線を除くと)この4路線(陸羽東線・陸羽西線、磐越東線・磐越西線)だけなので○○東線と○○西線に限って言えば全てつながっていることになります。
ちなみに越美北線と越美南線は残念ながら全通を果たすことができず、越美北線はJR西日本に越美南線は国鉄民営化を前に第三セクター化され長良川鉄道に引き継がれて今日に至ります。
ちなみに、中央本線は1つの路線ですが、東京方面からの列車も名古屋方面からの列車も松本・長野方面に乗り入れてしまうため運転系統が分断されているので塩尻から東を「中央東線」、塩尻から西を「中央西線」と呼ぶことがあります。

そんな話はさておき、次回、9日目、そして7日目番外編の記事をお楽しみに!

【2014年有志旅行8日目】森→池田

こんにちは。初代学際担当です。

今回も日本一周旅行の記事を書いていきます。

前回は7日目に森に着いたところまで書いたんでしたね。
今回は8日目に森から池田に着くまでのことを紹介します。

まず、森からはキハ40の普通列車で長万部を目指します。
乗った車両は700番台(延命工事未施工車)でした。


キハ40@森


ところで、この後北海道を回って思ったのですが、函館は他の地域に比べて延命工事未施工車が多かった気がします。
まさか、北海道新幹線が開業した後に江差線を引き継ぐ第三セクターに未施工車を押しつける気なのでしょうか。

未施工車の数の統計をとったわけではないので断言はできませんし、仮に本当に函館の未施工車が多かったとしても車両の状態の善し悪しが偏らないように譲渡するかもしれません。そこら辺は1年後にはっきりするでしょう。

列車は海沿いを走り、長万部へ到着しました。
乗ってきた車両は「快速アイリス」に化け、函館へと戻って行きました。
2010年夏合宿の途中ですれ違った列車ですね。


快速アイリス


さて、長万部では小樽行を待つ1時間の間にイベントが2つ発生します。
1つ目はこちら。


トワイライト@長万部


そう、トワイライトエクスプレスです。
3月14日のダイヤ改正で廃止になる列車です(その後、また走らせる可能性があることがニュースになりました)。

ところで、ダイヤ改正直前の時期に行われたこの旅行を通して思ったことがあります。
それは、引退前の列車を無暗に撮らないほうがいいのではないかという事です。
どういう事かといいますと、列車の最後の雄姿を写真に収めようとすると、自分はその列車をファインダー越しにしか見ることができない(直接見ることができない)のです。それよりかは、直接自分の目で見る(というより五感をフル活用してその列車を感じる)ほうがいいのではないかと思うのです。
あと、写真を撮るとその分自分の記憶が薄れるという話も聞いたこともあります。

まぁそこらへんは人それぞれで正解はないのですが、去りゆく列車を静かに見送るのもアリなのかなという事を思い、シャッターを切りたい気持ちを抑えながら(それでも結構切っていましたが)、トワイライトを見送りました。

さて、もう一つのイベントはこちらです。


北斗星@長万部


そう。北斗星です。
北斗星も、トワイライトと同じような心掛けで見送りました。

ところで、ここで問題が発生します。
この北斗星、遅延していたのです。
そうすると、後続の室蘭本線普通も当然遅れます。
さらに、下の写真を見ればわかるのですが、このときの長万部駅4番線では、室蘭本線普通と函館本線下り普通が縦列停車をしています。したがって、僕たちが乗る函館本線下り普通小樽行きも遅れました。
まあ、少しの遅れだったので、すぐに回復できました。


長万部4番線縦列停車


さて、函館本線の長万部-小樽は、「山線」とも呼ばれています。
長万部付近でまばらだった雪は、この山線の奥深くに入ると一面に積もるようになりました。


山線


長万部を出発した時は、車内は空いていたのですが、ニセコ、倶知安、余市と過ぎていくとだんだん乗客が多くなってきました。
その原因は、ひとつはスキー客、もう一つはこちらです。

NHKの朝ドラ「マッサン」の影響で余市に観光客が多く来ているようです。


余市

小樽に着くと、快速エアポートに乗り換えて、南千歳を目指します。
途中でこんなものを見ました。


DE15

除雪用のDD15です。
ラッセルヘッドを着けた状態を見るのはたぶん初めてです。

また、苗穂にはこんなのがいました。


キハ285@苗穂

新型特急車として製造されたものの、JR北海道の方針転換により営業運転には着かないことになったキハ285系です。

さて、南千歳に到着後、接続列車の待ち時間があったので、南千歳到着後、美々駅に行ってみました。

美々駅

名前からすごくおしゃれな感じを想像していたのですが、駅前には道路があるだけで、少々期待とは違う駅でした。
あと、待合室の壁にものすごい量の落書きがありました。
どうやら、落書きの1/3から半分は、新千歳空港に行こうとして南千歳から1駅電車に乗って、降りたら全然違うところに連れてこられて飛行機に乗れなくなった怒りを落書きにした感じらしいです。

落書きは許されることではないのですが、鉄道会社側としては初めての乗客にもわかりやすいように案内するのも重要なことだと思いました。すべての鉄道利用者が鉄道に詳しいわけではないですし、特に空港利用者はよそから来る人が多いので、その必要性は増します。
そして利用者も、間違えたことを人のせいにせず、看板や車内放送に気を配り、わからなければ人に聞くことが重要ですね。

南千歳に戻り、普通列車で新夕張へ向かいます。
新夕張から乗る列車はこちらです。

キハ261@新得

ええ、特急列車です。
前の記事でも言いましたが、この旅行の主旨は「基本的に普通列車にだけ乗れる切符で日本の東西南北端の駅をめぐる」ですね。
普通列車専用の18きっぷは、例外的に木古内~蟹田の間で特急に乗ることを認めていますが、この区間のほかに、新夕張~新得で特急に乗ることが認められています。この区間にも普通列車が全く走っていません。
かつては新夕張の隣に「楓駅」があり、新夕張~楓に普通列車がありましたが、現在楓駅はは信号場に降格されました。その楓信号場を車内から眺めようと思ったのですが、気が付いた直後に通過し終わりました。

約1時間の間、自由席が混んでおりデッキで立っていたため、少々苦労しました。
ちなみにこの区間は、行程を組むときにも苦労しました。新得と新夕張の両方にとまる特急が少なく、見つけたとしても新得or新夕張での普通列車との接続が悪いからです。

キハ40@新得

新得からは普通列車で宿のある池田を目指します(上の写真のキハ40に乗ったわけではありません)。
池田より帯広のほうが宿探しの条件は良かったのですが、接続の都合で池田泊でないと今後の行程をこなせなかったのです。

池田の宿は、タオルや歯ブラシ等のアメニティグッズが備え付けられておらず、ユリウスがさんざん文句を言っていました。この宿はユリウスが予約したはずなんですけどね。
僕は布団以外に必要なものは常に持ち歩いているのでそうは思わず、むしろ池田に宿があるおかげで行程の実行が可能になることに感謝していましたが。

今回はこれで終わりです。
次回は池田から根室を巡った後、釧路に行きます。

【2014年有志旅行7日目】新潟→森

こんにちは。初代学際担当です。

6日目の記事をCityLiner君が書いてくれていますが、まだかかりそうなので先に7日目を上げます。

ところで、この旅行に参加している人に関する記述が今まで充分にありませんでしたね。
ここで、旅行参加者の一覧を示します。

初代学際担当:1日目→13日目
ユリウス    :5日目→13日目
JET       :1日目→6日目
119       :1日目のみ
クロ157     :1日目→7日目(2日目に江津で離脱。独自行程ののち6日目に富山で合流)
CityLiner    :6日目→7日目

長い行程なので、いろんな人がくっついたり離れたりしています。
昔の気動車急行みたいですね。

それでは、7日目の記事を始めましょう。

まず、早速ですが、早朝からCityLiner君が離脱します。
磐越西線の始発に乗るそうで、僕たちが寝ているうちに宿を出て行きました。

僕たちが乗るのは、6時08分発新発田行です。始発での出発が多いこの旅行ですが、この列車は始発ではなく、2本目です。

別に、ゆっくり宿を出ようと思って2本目にしたわけではありません。
始発(4:56発だったと思う)に乗っても途中の接続待ちで長時間足止めを食らい、秋田につく時間は同じにになるのです。

ムーンライトえちごをよく使っていた人をわかると思うのですが、新潟からどの方面へ行っても途中で長時間の接続待ちがあるっていうアレです。

さて、僕たちが乗った列車は、越後線から直通してきたE127系の新発田行きです。この列車で新発田まで行き、次はこの列車に乗ります。

キハ110@村上

キハ110系の普通酒田行きです。
列車番号に「D」が付くので気動車なのはわかっていたのですが、キハ47が来ると期待していたので残念です。

さて、羽越本線は電化されていますが、どうして気動車が使われているかご存知でしょうか。
磐越西線の間合い運用というのもあるでしょうが、本当の理由はこちらです。


デッドセクション

デッドセクションです。
羽越本線の村上~間島にはデッドセクションがあり、電車は交直流車でないと通れません。
特急はE653系が使用されていますが、デッドセクションを通る普通列車(定期列車)はすべて気動車です。
この付近の輸送需要と交直流車の導入コストを鑑みたうえでの措置でしょうね。

さて、県境を越えて山形県に入ったあたりは内陸を走りますが、この辺りでは稲刈りを終えた田んぼが広がっていました。少々さびしい光景ですが、夏に走ったらきっときれいな景色なんだろうなという事をクロ157君とユリウスと話しました。
初代学際担当とユリウスはきらきらうえつでこの辺りを夏に走っていますが、残念ながら車窓の記憶がありません。きっと車窓より車両に夢中だったのでしょう。

途中の余目でクロ157君と別れます。彼は陸羽西線、陸羽東線を乗り継ぎ、そのまま東京へ帰るそうです。
ここからは1週間ユリウスと2人だけの旅行です。

ところで、どうして陸羽東線と陸羽東線は名称を統合しないのでしょう。
○○東線と○○西線(あるいは○○南線と○○北線)と名乗る線で、両者がつながってるところはここだけではなかったでしょうか。

余目を過ぎると、少しで終点の酒田に着きます。
酒田からはコレに乗ります。

701系@酒田

701系です。この先は701系王国です。
鉄道マニアから評判の良くない701系(すべてロングシート、座席が固い)ですが、最近はクロスシートに改造されている車両もあるようです。あとこの旅行で、209系と同じインバータサウンドを出す車両がほとんどいなくなっていたことに驚きました。

ところで、酒田駅で側線に目を移すと、こんな光景が広がっていました。

酒田駅側線(キハ40、211系)

211系がこんなところまで来ているのですね。
最近になって長野の115系が211系で置き換えられましたが、それでもまだ211系のストックがあることに驚き、同時に残っている国鉄型車両に対して危機感を抱きました。
まあ、211系も一応国鉄型ですが、そこは察してください。

また、この酒田駅から同業者(乗り鉄)と思われる人が何人か乗ってきました。

この列車で秋田へ向かいます。秋田では弘前行きへ乗り換えます。乗り場は7番線ですが、ずいぶん離れたところにありました。後で知ったのですが、7,8番乗り場は秋田新幹線のホームの先につながった形になっています。だから乗換階段の位置によっては結構歩かされるのです。

秋田の次は土崎ですが、土崎にはこんなものがありました。

解体待ちの485系ぬったり@土崎

E653系に置き換えられて土崎工場で解体待ちの485系ぬったりです。
485系は個人的に評価の高い車両なので、残念です。

八郎潟あたりからは、溶け残りの雪がちらほら見えるようになってきました。
生まれも育ちも関東の初代学際担当は雪を見て少しテンションが上がりましたが、この先の行程では雪にうんざりさせられることになります。それはまた別のお話。

五能線との分岐駅である東能代には、こんなものがありました。

東能代の顔だしパネル

リゾートしらかみの顔だしパネルです。
個人的には、敵キャラが強風と越波というのに吹きました。

この先、陣場と津軽湯の沢の間で県境を越え、青森に入ります。この辺りでは完全に一面雪景色になっていました。
途中大鰐温泉では、こんなものがありました。

キ100

弘南鉄道のラッセル車、キ100です。
国鉄から譲渡された車両らしいです。後ろの凸型電機に押してもらって活躍します。
今となっては貴重な車両ですが、弘南鉄道では現役です。
こういう地方鉄道では除雪も大きな経済的負担なのかなと思うと素直に雪も喜べませんね。

弘前での乗り換えを経て、終点青森に近づいてきました。

485系白鳥

青森の手前ですれ違った485系の、「スーパー」じゃない白鳥です。
来年度の北海道新幹線開業で置き換えられるでしょうから、ぜひとも乗っておきたい車両です。
行程を組む段階で、あとちょっとのところで乗れないのはわからないのですが、実際に目の前で走り去られると地団太を踏まずにはいられませんね。

青森からはこの列車に乗ります。
キハ40@青森


サボ@青森-三厩


1日1往復のみ存在する、青森~三厩の直通列車です。給油等のための送りこみ運用でしょうね。

車内にはこんなものがありました。

津波避難案内@キハ40

どうやらこの車両は八戸線でも運用されるようで、津波に備えた避難の案内がありました。
八戸線では津波の影響で1年間運休を余儀なくされました。
その教訓を得て、一般の乗客がスムーズに避難できるよう、このような案内がされているのでしょう。

ちなみに、酒田から乗りこんできた同業者はこのキハ40の車内にもいました。
途中の交換駅では、一緒に反対列車の特急を撮ったりもしました。
ものすごい立派なカメラで車窓を撮っている人もいました。

さて、ここで突然この旅行の前提を振り返ります。
この旅行の主旨は「普通列車だけで日本の東西南北端の駅をめぐる」でしたね。
これを聞いて「は?何言ってるの?」と思った人もいるでしょう。いや、発想がぶっ飛びすぎとかそういうことじゃなくて。

ここにきて前提を粉砕します。普通列車では日本の東西南北端の駅を巡れません。
問題は僕たちが蟹田でキハ40を降りるときに発生します。

どういう事かというと、北海道に行くためにはこの列車に乗らなければならないのです。

789系@蟹田

ええ。特急です。蟹田~木古内は普通列車は1本も走っていないのです。
だから普通列車で北海道に行くことはできません。
その代わり、普通乗車券、青春18きっぷだけでも、蟹田~木古内に限り特急に乗れるのです。

だからこの旅行の主旨は、正確にはこうなります。
「基本的に普通列車にだけ乗れる切符で日本の東西南北端の駅をめぐる」

面倒だったので、今まで黙っていました。

本題に戻ります。

北海道には昨年も行っているのですが、ユリウスは2010年夏合宿以来5年ぶりです。
そこで、ユリウスを少しからかってみました。

蟹田をでて最初のトンネルを出たところで
初代学際担当「もう北海道だよ」
ユリウス「え、マジで?」

割と本気で信じていました。まだ津軽今別にも着いていないのに。

その後、いくつかのトンネルを過ぎ、北海道新幹線開業に向けて絶賛工事中の青函トンネルに入りました。
200mくらい潜るのに、注意していないと列車がのぼったりおりたりしていることに気付かないですね。

そして、青函トンネルを越え、北海道にやってきました。


青函トンネルを抜けました

やはり雪が残っていますね。

そのまま木古内に到着しました。到着前には、18キッパーに降りるよう促す車内放送がありました。
木古内駅は駅の内外を含め、新幹線開業に向けて工事中でした。

木古内駅@工事中


木古内駅@工事中2

駅の中の階段です。ずいぶんきれいになりましたね。

さて、僕はユリウスと一緒に近くのスーパーマーケットに行った後、ユリウスを残してある場所に行きました。
江差線踏切

江差線廃線跡

江差線の廃線跡です。先ほど、昨年北海道に行ったと言いましたが、それは廃線になる江差線の木古内~江刺に乗るためです。

使用停止にされた踏切が哀愁を誘います。
江差線最終日には沿線住民が旗を持って線路わきに立ったり、大騒ぎだったのですが、今はすっかりさびしくなりました。

キハ40縦列停車

木古内に戻ると、函館行きのキハ40が縦列停車していました。
縦列停車は京急と名鉄のお家芸だと思っていたのですが、JR北海道もやるのですね。

僕たちの乗った列車は函館行きですが、僕たちは五稜郭で乗り換えます。
ここまで同業者の方が結構乗っていたのですが、その方たちは函館に行くようです。

時刻はすでに20時。函館にとまってもいいのですが、僕たちは森を目指します。

昨年4月に組んだ行程では函館にとまる予定でした。しかし8月のダイヤ改正で、その先の行程をこなすのが不可能になる時刻変更が発生したため、函館には泊まらず森を目指します。

ところで、僕が使っていた時刻表は12月号でした。
その時刻表では「2月28日まではこの時刻で運行」という形で本来の時刻の脇に遅れた時刻が書いてありました。しかし、最新版のユリウスの時刻表には「3月13日まではこの時刻で運行」とありました。

僕たちが乗ったのは3月7日ですので、遅いほうの時刻で運転されます。
その上、交換する貨物列車が遅れていため、森到着はさらに遅くなりました。
車内ではかなり眠かったです。

それでも何とか宿に辿り着きました。

今回はこれで終わりです。
次回は森から池田に向かう8日目を紹介します。

【2014年有志旅行5日目】下関→福井

こんばんは。JETです。
歓喜と怨嗟が渦巻くダイヤ改正も目前に迫り、私自身もあやめ・スーパーひたち・北斗星と地味に葬式していない列車があったことに気付きやきもきしているのですが、それはさておき先日の有志旅行の特集をしましょう。
今回は下関を早朝に出て小野田・宇部線に乗車した後に山陽本線を横断して福井に向かうという大移動です。後半には気になる北陸特急も出てきます。それでは参りましょう。

長門本山駅 小野田支線123系

まずは下関から山陽線上り列車で小野田駅まで移動し、小野田線に乗り換えます。
ここでの最大のお目当ては、小野田線の中でも1日3往復しか列車が走らない本山支線です。
本山支線は雀田から小野田線の本線と分岐し、雀田~浜河内~長門本山間2.3kmを結ぶミニ路線です。12年前まではクモハ42001と言う、いわゆる旧型国電がいた事でも有名ですね。

ちなみに長門本山駅で撮った右の写真は道の舗装も線路と仕切る柵も無く、一見線路敷地内から撮ったようにも見えますが、地元の方たちが何人も通行しており、それに注意を促す看板も無く運転士も何も言わず、そもそも明らかにここを経由しないとたどり着けないような民家もあったことから、恐らくは「公道」同然の扱いなののだと思われます。
ところで「ながともとやま」で変換したら最初「長友富山」になってしまい吹いてしまいました。

途中の浜河内では町内会の女性の方たちとの交流も楽しんだ後、雀田、居能、宇部線を経由し宇部駅へ向かいました。

セキC41 福知山色の117系

宇部駅では山陽本線下り列車としてこの界隈では定番の115系がやって来たのですが、その塗装はすっかり数を減らした瀬戸内色、窓は非ユニット、車番をよく見たら基本番台です。
あいにく私はバリエーションの多岐にわたる国鉄型電車には明るくないのですが、恐らくは(骨董品的な意味合いで)貴重な車両なのだろうと察し、その姿をカメラに収めました。

更にその後やって来た、僕達が乗車する上り列車は、これまた貴重な117系福知山色です。
ネット上ではよく旧型電車の巣窟と揶揄される広島・下関エリアですが、それ故にこのような希少車にも巡りあえるので、そういう意味では鉄道版「自然保護区」とでも言えましょうか(笑)。


新山口での旧型客車 227系試運転中

新山口駅では列車乗継の為15分ほど時間があったのですが、SLやまぐち号に使用される旧型客車が留置されていました。この客車がC57に牽かれて走る姿も一度見てみたいですね。

さらに新山口から岩国行きの普通列車で山陽本線を進んでいくと、途中の大道駅には広島支社悲願の新型電車・227系が試運転で停車していました。
この旅行中、227系はここの他に大畠付近、広島運転所、本郷駅での合計4回見たのですが、どれも列車内からだったためこのような写真しか撮れなかったのが残念です。
丁度この翌日に、227系に「レッドウイング」なる愛称の付与とロゴ貼り付けが発表されたため、ロゴ無しの227系の姿は早くも貴重になってしまいますが、何にせよ14日のダイヤ改正からデビューするこの227系が広島支社の活性化につながってくれる事を期待しましょう。

103系向洋に接近 103系広島発車

さて、その227系により真っ先に置き換えられてしまいそうなのが国鉄電車の代名詞(?)103系です。
僕達の乗ってきた電車から広島駅で乗り継ぐことはあまりにも乗り換え時間が短かったため叶わなかったのですが、広島の2つ隣の向洋駅で対向の103系が撮れる事がわかり、初代学祭担当氏と共に撮影しました。
僕は去年の夏合宿で103系を撮りたいがために新幹線まで使って広島に先回りしたものの、当日は115系による代走だったため撮り損ねてしまっていたので、ようやく雪辱を果たす事が出来ました。

スーパーはくと遅延 黄昏の明石海峡大橋

広島からはひたすら山陽本線を上ってきたのですが、上郡から先行するはずの鳥取方面連絡特急「スーパーはくと」が遅れていたために僕達の乗車していた列車も上郡の手前で5分ほど足止めを食らってしまいました。そう言えば上郡付近の智頭急行線の高架橋を列車が通るのを見るのはこれが初めてでした。
この5分延のせいでこの後相生で新快速に接続できるかが危ぶまれたのですが、無事に接続することができ、数分遅れながらも快調に山陽・東海道線を駆け抜けていきました。
夕方の明石海峡大橋はなかなか様になる佇まいだったのですが、淀川を渡る際に堤防にやたら撮り鉄がおり、何か珍しい列車でも来るのかと思っていたらまさかのトワイライトエクスプレスでした(ちなみにその時点で夕方18時頃)。
写真は撮れなかったものの恐らく北日本の荒天の影響で5時間以上ほど遅れてしまったのでしょうが、廃止間際のこの時期にトワイライトエクスプレスで遅延すると「むしろ乗車時間が伸びてラッキー」ではないかと思ってしまうのは私が重度の「鉄」である証左なのでしょうか。

しらさンダーバード しらさぎ色のサンダーバード

京都駅からは湖西線に入るのですが、その前に駅構内で夕食を調達しました。
そして湖西線列車を待っていると681系の金沢行き特急サンダーバードがやってきました。しかしその帯をよく見ると…特急「しらさぎ」用編成にしかないはずのオレンジの帯が入っています。
1日目の紹介で述べたようにダイヤ改正によりしらさぎの使用車両は681系に変更になるため、現在「はくたか」で使われている編成を中心に帯がしらさぎ仕様になった編成が登場していることは知っていたのですが、まさかサンダーバード用編成にも入ってきているとは思いませんでした。さしずめ「しらさンダーバード」と言ったところでしょうか…

683系敦賀入線 サンダーバードのはくたか
京都からは1日1本のみの「湖西線経由快速敦賀行き」に乗車し、敦賀駅に到着しました。
敦賀では683系4000番台のサンダーバードなどを撮影しましたが、衝撃だったのは北陸地区の主要駅ではおなじみだった列車接近ブザー音が聞き慣れぬメロディに変わっていたことでした。当日の寒い月夜にマッチした穏やかながらもどこか切なさ7を感じさせる旋律だったのですが、このメロディと共に廃止間近のトワイライトエクスプレスが入線してきたら思わず涙腺が緩んでしまいそうでした。
…といっても上下列車が同時に入線してきて、複数のホームで少しずれて鳴動されるとやかましかったのですが(苦笑)

宿泊地の福井では、1日1本だけある福井行きはくたかの到着を見届けました…が、なぜか付属編成はサンダーバード用編成で、しかもトップナンバーでした。塗装があちこち剥げていたのが惨めでしたが…

さて、次回は3セク化目前の北陸本線乗り収めとなる6日目の特集です。はくたか・トワイライトなど運行終了を控える列車達も登場します。お見逃しなく!

【2014年有志旅行4日目】山川→下関

こんばんは。JETです。
初代学祭担当氏は有志旅行の後半戦を堪能されておられますが、私は研究室や予算の都合で7日に関東まで戻って参りました。
今回は鹿児島県にあるJR指宿枕崎線の山川を出発し、JR日本最南端の駅を経て下関へ向かった4日目の行程をお伝えします。それでは参りましょう。

枕崎駅とキハ40 枕崎駅記念碑

朝5時台発の始発列車に乗り込み最初に訪れたのは、「JR日本最南端の終着駅」枕崎駅です。
2006年に駅舎が取り壊されて以来、最南端の終着駅でありながら駅舎と呼べるものが無いという何とも寂しい事になっていたのですが、地元の寄付により2013年に新しく駅舎を作り直しました。枕崎市が鉄道の観光価値を理解してくださったことに感謝ですね。

西大山駅 西大山駅と開聞岳

約10分ほどで枕崎駅を折り返し、正真正銘「JR日本最南端の駅」西大山駅までやってきました。
鹿児島中央駅から南下してきた指宿枕崎線は西大山駅付近から進路を北西方向にとって枕崎へと延びる線形の為、終着駅の枕崎ではなくこの西大山駅がJR日本最南端の駅となります。

…実を言うと2003年に沖縄にモノレールが出来て以来、西大山駅は「日本最南端の駅」の座を同モノレールの赤嶺駅に譲ってしまっているのです。しかし「JRとしては、あるいは2本の鉄のレールで走る鉄道としては」依然として日本最南端の駅であるため観光客は今でも多く、当日もバスによるツアー客の皆さんと出会いました。


指宿駅 鹿児島中央駅

途中の指宿駅では駅前にある足湯に浸かったり、鹿児島中央駅では市電や駅の写真を撮ったり、ご当地ヒーロー「薩摩剣士隼人」のチョコレートやお土産を買ったりして楽しみました。

それにしても鹿児島中央駅は観覧車のある駅舎と言い駅前のビル街に人通りと言い、「東京都内です」と言っても騙せるレベルの発展ぶりで驚いてしまいました。(鹿児島県民の皆さんゴメンナサイ)

おれんじ18フリーきっぷ

鹿児島中央からは昨日のルートをそのまま遡り、福岡県の原田駅まで肥薩おれんじ鉄道経由で北上します。

さて、肥薩おれんじ鉄道は第3セクター鉄道ゆえに青春18きっぷは使えないのですが、昨日は「旅名人の九州満喫切符」、本日は「おれんじ18フリーきっぷ」で同線を通過しました。
前者は九州内の全鉄道事業者の普通列車(一部例外有)が1日乗り放題となる10800円で3回分セットの切符であり、後者は当日の印鑑が押してある18切符を提示する事で2060円で販売される肥薩おれんじ鉄道内乗り放題の切符です。

新幹線並行在来線の第3セクター化に当たり18切符が使えなくなる事を嘆く鉄道ファンは多いのですが、この様に代替として新たな企画乗車券が設定される事もあるわけで、事業者が提供するシステムにただ文句を言うのではなく、どう使いこなすかが大事なのではないかと私は考えます。1日当たりの価格は単純計算で前者が3600円、後者が4430円ですが、状況に応じてうまく使い分けましょう。

折口駅のイラスト

ところでおれんじ鉄道の鹿児島県阿久根市内の各駅には、上の写真のようなイラスト入り駅名看板がありました。調べてみたところこのイラストは阿久根市出身の漫画家の方が描かれたようで、左の鹿のキャラクターはいわゆるご当地ゆるキャラの「阿っくん」だそうですが、右の娘は詳細不明です。初代学祭担当氏は「痛駅名標」と評していましたが…

あそ1962 熊本市電COCORO

八代からはJR区間に戻りましたが、熊本車両センターには2010年頃に引退したはずの「あそ1962」用キハ58系気動車が留置されていました。調べてみたら車籍自体もまだ残っているようで、今後の動向が注目されます。
…とは言ったものの、JR九州では同様に留置されていた車両が結局動きのないまま解体されてしまった事も多いのですが。

さて、熊本駅では乗継時間が30分ほどあったため駅前で市電を撮影していたのですが、昨年10月にデビューしたばかりの新モデル車両「COCORO」がやってきました。
JR九州ではおなじみのデザイナーである水戸岡氏がデザインを手がけただけあって独特の風格を感じさせる外観でした。生憎乗車することできませんでしたが、再び熊本を訪れる事があれば狙ってみたいと思います。

福北ゆたか線817系 415系1500番台

福岡県内に入り、原田駅からは筑豊本線経由で折尾・小倉に向かいました。博多から30km圏内でありながら非常に山深い原田~桂川間の車窓に驚いてしまいましたが、それ以上に印象深かったことは、直方駅で左写真の817系電車の行き先表示LEDを撮影していたら、車内にいた女子高生達に爆笑されてしまった事でした(苦笑)。

小倉駅でまたしても乗換待ちとなったのですが、なんと日豊本線ホームに415系1500番台のトップナンバー編成がいました(でも確か去年の夏合宿でも見たような…?)。ちなみにこの編成はかつてJR東日本の常磐線を走っていました。

下関に集う国鉄車 下関駅

小倉駅では駅のホームのそば屋で鶏肉そばを売っていたのですが、下関方面への乗換時間が短かったために残念ながら食べることが出来ませんでした。
ですが下関駅について見ると、415系鋼鉄車2本に115系という国鉄車両の集合が撮れました。平成27年にしてこの様な光景が拝めると言う事が奇跡的なのですが、広島・関門海峡とも新車の噂が聞こえる区間だけに、こうした光景も貴重となりそうです。

さて次回は、山口県のローカル線を乗車し山陽本線を乗り通して福井へ向かう5日目の特集です。どうぞお楽しみに。

【2014年有志旅行3日目】佐世保→山川(鹿児島)

こんにちは。

初代学祭担当とJETです。今日は有志旅行5日目の宿泊地、福井に来ています。
それでは、福井から3日目の行程を振り返りましょう。

JET君が駅にはくたかを撮りに行ったので、初代学際担当がお送りします。
前回は佐世保に泊まったところまで書いたんでしたね。

3日目の初めは、松浦鉄道の始発に乗ります。

朝の松浦鉄道
先頭にヘッドマークが掲げられていますね。

これは、「列車命名権」というサービスで、松浦鉄道が個人、法人に列車命名権を販売するかわりに、ヘッドマークや車内広告を掲げられるというサービスです。
僕たちが乗った車両は、自動車教習所のものを掲げていました。

さて、列車は始発の割に混んでいたという印象を受けました。
どうやら、学生が多いようです。途中の佐々から江迎鹿町の間では2両に増結されて走りました。

ところで、この旅行の主旨は「普通列車で日本の鉄道の最東西南北端をめぐる」でしたね。
松浦鉄道には目標のうちの一つ、最西端の駅があります。

日本最西端の駅たびら平戸口

たびら平戸口駅です。これで第一目標は達成されましたね。
ただ、目標を達成したのに、「やったー!着いたぞ!」という気分ではなく、「あ、着いたな」という気分でした。
まあ、まだ長い旅の第一歩ですからね。

乗ってきた列車はこの駅で19分間停車します。その間に駅前を散策します。
しかし、19分というのは短いですね。すぐに戻ってこなくてはなりません。

ここからは引き続き先ほどの列車に乗り伊万里へ、そして乗り換えて有田へ向かいました。
この辺りから雨が降り始めました。荷物が多いと傘をさすのも苦労しますね。

西を制覇したので、次は南へ向かいます。
佐世保線、長崎本線、鹿児島本線を乗り継ぎ、熊本へやってきました。
熊本では乗り継ぎで1時間足止めを食らうので、少し時間つぶしに遊ぶことにしました。それがこちらです。

熊本電鉄青蛙熊本電鉄青蛙切妻

そう、「青ガエル」こと元東急5000系です。
張殻構造を採用した、人気の高い車両ですが、東京メトロ01系の導入により、引退が迫っています。
初代学際担当は過去に2回熊本電鉄に乗っていますが、どちらも200系に当たりました。
ここにきてようやく乗ることができました。

車内は外見と同様曲面の壁、特徴的な運賃表示機が印象的ですが、何といっても気に入ったのは直角カルダンの音ですね。もう少し高速で走ってくれればいいのですが。
こうして上熊本~北熊本を往復した後、八代に向かいました。

肥薩おれんじ鉄道@八代海

ここからはJETがお送りします。
八代からは肥薩おれんじ鉄道を経由して鹿児島県へ向かいます(この車両はファミリーマートとのコラボ列車です)。
この肥薩おれんじ鉄道、2004年の九州新幹線部分開業時にJRから経営分離された鹿児島本線の八代~川内間を引き継ぐ形で発足した会社なのですが、同じく新幹線並行在来線を引き継いだしなの鉄道やIGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道等と比べても経営状態は厳しいようです。

熊本・鹿児島県境の旅客流動が少ない区間だけを押し付けられた引き継いだ故にこのような状況にさらされてしまったわけですが、一部区間では車窓から有明海・東シナ海を存分に見渡すことが出来、風光明媚な路線ではあります(当日はあいにくの雨でしたが)。

近年ではこのオーシャンビューと地元の食材を用いた料理を生かしたグルメ列車「おれんじ食堂」も登場しており、今後同社の魅力がより広く発信されていく事を期待したいと思います。

415系@川内鹿児島市電@鹿児島中央駅前

約2時間にわたるローカル列車の旅の末、鹿児島県の川内駅に到達しました。ここから先も新幹線平行区間ではあるのですが、鹿児島都市圏という事で普通列車もそれなりの利用者数がある事から引き続きJR九州が運営しており、運よく415系にあたりました。
この415系はロングシートでしたが、旅の疲れで一眠りしている内に終点・鹿児島中央駅に到達してしまいました。

ここから本日の宿泊地・山川へは指宿枕崎線で1本なのですが、1駅となりの郡元駅近くには鹿児島市電の純心学園前電停がある事から、せっかくなので1駅分(ただし市電では7駅分)市電に乗車してみました。

純心学園前電停から郡元駅までは直線距離だと近いものの、郡元駅の入り口が電停と反対側にあるせいで思いのほか乗換に時間がかかってしまい、なんとか快速山川行きを捕まえることが出来ました。

山川駅

鹿児島県の中心部付近である上に夕方のラッシュ時という事で五位野あたりまではなかなか混んでいたのですが次第に客が減っていき(ただし学生の割合は増えていきました)、終点である山川駅に到着しました。ちなみに山川駅はJRの有人駅としては日本最南端だそうです。

この列車は山川駅で枕崎行きの最終列車に接続したのですが、開聞岳で野営する(と思しき)バックパッカーたちがぞろぞろ乗り継いでいきました。
僕達のこの旅行は朝早く夜遅く宿は素泊まりばかりで地元グルメや観光は無いも同然と言う一般人的にはハードな旅行なのですが、夜の山で野営と言うのもそれはそれで大変なものでしょうね(健康的だとは思いますが)。

この後僕たちは駅前の宿の温泉につかり夜を明かしました。「温泉」と呼べるものに浸かったのは(少なくとも途中離脱の僕は)この1回のみだったのである意味貴重な体験でした。
次回はJR日本最南端の駅への訪問と九州再縦断が待つ、4日目の特集です。
どうぞお楽しみに。

【2014年有志旅行2日目】三次→佐世保

こんにちは、初代学際担当とJETです。

今日は、4日目の宿泊地、下関に来ています。
旅行の主旨は前回お話しした通り、「普通列車で日本の鉄道の最東西南北端をめぐる」です。

さて、それでは4日目から、2日目の行程を振り返る形でお話を進めましょう。


まずは、初代学際担当がお送りします。

前回お話しするのを忘れたのですが、三次駅が新駅舎に切り替わりました。

新旧三次駅
右が旧駅舎、左が新駅舎です。暗くて分かりにくいですが。
まあ、いかにもJR西日本の新しい駅舎って感じでしたね。

さて、三次駅からの旅が始まります。
三次からは、4方向の路線系統が発着していますが、その中でどの路線に乗るのかというと、・・・

三江線キハ120

そう、三江線です。三次から江津まで行ける列車が実質3往復しかなく、恐ろしく難易度の高い路線です。
わざわざ三次に宿をとった理由も、三江線の始発に乗るためです。

というわけで、三江線の旅が始まります。

最初のうちはまだ日が昇っておらず、車窓も真っ暗だったのですが、途中からだんだんと明るくなってきました。そして、ある程度明るくなったところで口羽駅に到着しました。
この駅では30分ほどの長時間停車があり、駅周辺を散策して回りました。
ちなみに上の写真は口羽駅で撮影したものです。

ここからはJETがお送りします。

江川
三江線の車窓から望む江川です。JR西日本管内でも屈指の過疎路線である三江線ですが、ほぼ全線にわたって江川に沿って走るため車窓は悪くありません。他にも地上から数十mの高さの高架線上にある宇津井駅など、三江線にも意外な魅力があるのだと感じました。

キハ126と
今回乗った三江線422D列車は三江線本来のの終点である江津から山陰本線に乗り入れて車両基地にある浜田駅まで乗り入れるのですが、三次~浜田間約130kmを実に約5時間かけて走破しました。途中30分近く停車する駅はあったものの、これだけの時間がかかる普通列車を乗りとおすとやはり達成感がありますね。
浜田からは快速アクアライナー(写真左の車両)に乗り、島根県西部の益田駅までやってきました。
ここで再び乗り換えて、写真右のやたら色あせたキハ40で長門市へ向かいます。同じ山陰本線でも、距離が長いだけに数列車にわたる道のりでした。

東萩駅

さて、執筆者代わりましてここからは初代学際担当がお送りします。
写真の東萩駅ですが、最近の大河ドラマ「花燃ゆ」の影響を受けた観光客がいるようで、益田からこの東萩駅まで少々列車が混雑していました。

その先は「普通のローカル線」といった車内の様子に戻りました。
ところで、線路の横を並走する道路のガードレールが黄色かったのですが、これは何なのでしょうか。
安全のための山口県の取り組みでしょうか。それともお隣を走る某JR某H支社の影響でしょうか。

列車が長門市に接近すると、乗換のために準備をします。
それと同時に、駅手前に600キロポストがあったので撮影しました。近日アップロードします。

長門市からは、2012年度の有志旅行でも辿った美祢線を、今度は逆方向に辿ります。
一度乗った路線なので特別なことはないのですが、ひとつ変化がありました。
美祢線は最近まで、フライアッシュと炭酸カルシウムの貨物輸送を行っていましたが、2013年の水害の影響で貨物輸送は廃止になってしまいました。そのため、以前に訪れたときに貨車でひしめき合っていた美祢駅の側線は錆ついていました。
なんだかさびしいですね。

終点の厚狭駅からは、山陽本線の普通列車で下関へ向かいます。
その時に乗った列車がこちら。

117系原色

国鉄色の117系です。外見は(末期色に比べれば)いいのですが、座席がJRの体質改善車仕様に交換されていました。オリジナルの117系の座席はふかふかで好きだったのに、これは残念です。

下関からは、いよいよJR九州の管内です。
415系で小倉を目指します。

227系留置中
下関総合車両所です。
まだまだ末期色じゃない105系もいるんですね、・・・・って、奥に227系がいますね。
今度のダイヤ改正から運用開始らしいですね。

小倉からは、準快速で鳥栖を目指します。
個人的には、準快速に乗るのは初めてだったので、楽しみにしていました。

ところが、日中に日豊本線で人身事故があったらしく、博多方面へ直通してくる特急が遅れていたのです。
おかげで、小倉駅を3分ほど延発。さらに、急遽スペースワールドで本来先行しているはずの特急を待避します。

883系スペースワールド通過
待避列車を待っている最中にJET君が撮った883系ソニックです。
流し撮りが決まったと僕のところに報告に来ていました。

結局、6分遅れで鳥栖へ到着しました。
まあ、もともと鳥栖では乗り換え時間が30分ほど確保されていたので、問題なかったのですけどね。

ところが、長崎本線、佐世保線に乗り換えた後、肥前山口駅で特急かもめを先行させるために、僕たちが乗った普通早岐行きは3分延発でした。早岐での乗り換え時間が4分しか確保されていなかったので、ヒヤヒヤしながら早岐へ向かいました。

結局、僕たちが早岐駅のホームに降り立ったタイミングで、次の列車のヘッドライトが見えてきたというタイミングだったので、乗換には間に合いました。

さて、乗り換えた列車は快速シーサイドライナー佐世保行き、この日に乗る最後の列車です。
乗ったのは、下の写真の右側の列車です。

2色のキハ66

そう、キハ66系国鉄色、ついでに言うとトップナンバーという、(国鉄信者にとっては)1粒で3度おいしい車両でした。

こうして佐世保へ降り立ったのですが、外は真っ暗であり、どこにも寄らずに宿へ向かいました。

本当は海上自衛隊の基地から、軍艦を眺めたかったのですが、暗かったのであきらめました。
ええ、某アニメの影響です。現在の艦の名前とかは全然わかりませんが。

さて、本日の報告はこれでおしまいです。次回はたびら平戸口を経由して鹿児島へ向かいます。