【2014年有志旅行7日目】新潟→森 | たびてつの活動記録

【2014年有志旅行7日目】新潟→森

こんにちは。初代学際担当です。

6日目の記事をCityLiner君が書いてくれていますが、まだかかりそうなので先に7日目を上げます。

ところで、この旅行に参加している人に関する記述が今まで充分にありませんでしたね。
ここで、旅行参加者の一覧を示します。

初代学際担当:1日目→13日目
ユリウス    :5日目→13日目
JET       :1日目→6日目
119       :1日目のみ
クロ157     :1日目→7日目(2日目に江津で離脱。独自行程ののち6日目に富山で合流)
CityLiner    :6日目→7日目

長い行程なので、いろんな人がくっついたり離れたりしています。
昔の気動車急行みたいですね。

それでは、7日目の記事を始めましょう。

まず、早速ですが、早朝からCityLiner君が離脱します。
磐越西線の始発に乗るそうで、僕たちが寝ているうちに宿を出て行きました。

僕たちが乗るのは、6時08分発新発田行です。始発での出発が多いこの旅行ですが、この列車は始発ではなく、2本目です。

別に、ゆっくり宿を出ようと思って2本目にしたわけではありません。
始発(4:56発だったと思う)に乗っても途中の接続待ちで長時間足止めを食らい、秋田につく時間は同じにになるのです。

ムーンライトえちごをよく使っていた人をわかると思うのですが、新潟からどの方面へ行っても途中で長時間の接続待ちがあるっていうアレです。

さて、僕たちが乗った列車は、越後線から直通してきたE127系の新発田行きです。この列車で新発田まで行き、次はこの列車に乗ります。

キハ110@村上

キハ110系の普通酒田行きです。
列車番号に「D」が付くので気動車なのはわかっていたのですが、キハ47が来ると期待していたので残念です。

さて、羽越本線は電化されていますが、どうして気動車が使われているかご存知でしょうか。
磐越西線の間合い運用というのもあるでしょうが、本当の理由はこちらです。


デッドセクション

デッドセクションです。
羽越本線の村上~間島にはデッドセクションがあり、電車は交直流車でないと通れません。
特急はE653系が使用されていますが、デッドセクションを通る普通列車(定期列車)はすべて気動車です。
この付近の輸送需要と交直流車の導入コストを鑑みたうえでの措置でしょうね。

さて、県境を越えて山形県に入ったあたりは内陸を走りますが、この辺りでは稲刈りを終えた田んぼが広がっていました。少々さびしい光景ですが、夏に走ったらきっときれいな景色なんだろうなという事をクロ157君とユリウスと話しました。
初代学際担当とユリウスはきらきらうえつでこの辺りを夏に走っていますが、残念ながら車窓の記憶がありません。きっと車窓より車両に夢中だったのでしょう。

途中の余目でクロ157君と別れます。彼は陸羽西線、陸羽東線を乗り継ぎ、そのまま東京へ帰るそうです。
ここからは1週間ユリウスと2人だけの旅行です。

ところで、どうして陸羽東線と陸羽東線は名称を統合しないのでしょう。
○○東線と○○西線(あるいは○○南線と○○北線)と名乗る線で、両者がつながってるところはここだけではなかったでしょうか。

余目を過ぎると、少しで終点の酒田に着きます。
酒田からはコレに乗ります。

701系@酒田

701系です。この先は701系王国です。
鉄道マニアから評判の良くない701系(すべてロングシート、座席が固い)ですが、最近はクロスシートに改造されている車両もあるようです。あとこの旅行で、209系と同じインバータサウンドを出す車両がほとんどいなくなっていたことに驚きました。

ところで、酒田駅で側線に目を移すと、こんな光景が広がっていました。

酒田駅側線(キハ40、211系)

211系がこんなところまで来ているのですね。
最近になって長野の115系が211系で置き換えられましたが、それでもまだ211系のストックがあることに驚き、同時に残っている国鉄型車両に対して危機感を抱きました。
まあ、211系も一応国鉄型ですが、そこは察してください。

また、この酒田駅から同業者(乗り鉄)と思われる人が何人か乗ってきました。

この列車で秋田へ向かいます。秋田では弘前行きへ乗り換えます。乗り場は7番線ですが、ずいぶん離れたところにありました。後で知ったのですが、7,8番乗り場は秋田新幹線のホームの先につながった形になっています。だから乗換階段の位置によっては結構歩かされるのです。

秋田の次は土崎ですが、土崎にはこんなものがありました。

解体待ちの485系ぬったり@土崎

E653系に置き換えられて土崎工場で解体待ちの485系ぬったりです。
485系は個人的に評価の高い車両なので、残念です。

八郎潟あたりからは、溶け残りの雪がちらほら見えるようになってきました。
生まれも育ちも関東の初代学際担当は雪を見て少しテンションが上がりましたが、この先の行程では雪にうんざりさせられることになります。それはまた別のお話。

五能線との分岐駅である東能代には、こんなものがありました。

東能代の顔だしパネル

リゾートしらかみの顔だしパネルです。
個人的には、敵キャラが強風と越波というのに吹きました。

この先、陣場と津軽湯の沢の間で県境を越え、青森に入ります。この辺りでは完全に一面雪景色になっていました。
途中大鰐温泉では、こんなものがありました。

キ100

弘南鉄道のラッセル車、キ100です。
国鉄から譲渡された車両らしいです。後ろの凸型電機に押してもらって活躍します。
今となっては貴重な車両ですが、弘南鉄道では現役です。
こういう地方鉄道では除雪も大きな経済的負担なのかなと思うと素直に雪も喜べませんね。

弘前での乗り換えを経て、終点青森に近づいてきました。

485系白鳥

青森の手前ですれ違った485系の、「スーパー」じゃない白鳥です。
来年度の北海道新幹線開業で置き換えられるでしょうから、ぜひとも乗っておきたい車両です。
行程を組む段階で、あとちょっとのところで乗れないのはわからないのですが、実際に目の前で走り去られると地団太を踏まずにはいられませんね。

青森からはこの列車に乗ります。
キハ40@青森


サボ@青森-三厩


1日1往復のみ存在する、青森~三厩の直通列車です。給油等のための送りこみ運用でしょうね。

車内にはこんなものがありました。

津波避難案内@キハ40

どうやらこの車両は八戸線でも運用されるようで、津波に備えた避難の案内がありました。
八戸線では津波の影響で1年間運休を余儀なくされました。
その教訓を得て、一般の乗客がスムーズに避難できるよう、このような案内がされているのでしょう。

ちなみに、酒田から乗りこんできた同業者はこのキハ40の車内にもいました。
途中の交換駅では、一緒に反対列車の特急を撮ったりもしました。
ものすごい立派なカメラで車窓を撮っている人もいました。

さて、ここで突然この旅行の前提を振り返ります。
この旅行の主旨は「普通列車だけで日本の東西南北端の駅をめぐる」でしたね。
これを聞いて「は?何言ってるの?」と思った人もいるでしょう。いや、発想がぶっ飛びすぎとかそういうことじゃなくて。

ここにきて前提を粉砕します。普通列車では日本の東西南北端の駅を巡れません。
問題は僕たちが蟹田でキハ40を降りるときに発生します。

どういう事かというと、北海道に行くためにはこの列車に乗らなければならないのです。

789系@蟹田

ええ。特急です。蟹田~木古内は普通列車は1本も走っていないのです。
だから普通列車で北海道に行くことはできません。
その代わり、普通乗車券、青春18きっぷだけでも、蟹田~木古内に限り特急に乗れるのです。

だからこの旅行の主旨は、正確にはこうなります。
「基本的に普通列車にだけ乗れる切符で日本の東西南北端の駅をめぐる」

面倒だったので、今まで黙っていました。

本題に戻ります。

北海道には昨年も行っているのですが、ユリウスは2010年夏合宿以来5年ぶりです。
そこで、ユリウスを少しからかってみました。

蟹田をでて最初のトンネルを出たところで
初代学際担当「もう北海道だよ」
ユリウス「え、マジで?」

割と本気で信じていました。まだ津軽今別にも着いていないのに。

その後、いくつかのトンネルを過ぎ、北海道新幹線開業に向けて絶賛工事中の青函トンネルに入りました。
200mくらい潜るのに、注意していないと列車がのぼったりおりたりしていることに気付かないですね。

そして、青函トンネルを越え、北海道にやってきました。


青函トンネルを抜けました

やはり雪が残っていますね。

そのまま木古内に到着しました。到着前には、18キッパーに降りるよう促す車内放送がありました。
木古内駅は駅の内外を含め、新幹線開業に向けて工事中でした。

木古内駅@工事中


木古内駅@工事中2

駅の中の階段です。ずいぶんきれいになりましたね。

さて、僕はユリウスと一緒に近くのスーパーマーケットに行った後、ユリウスを残してある場所に行きました。
江差線踏切

江差線廃線跡

江差線の廃線跡です。先ほど、昨年北海道に行ったと言いましたが、それは廃線になる江差線の木古内~江刺に乗るためです。

使用停止にされた踏切が哀愁を誘います。
江差線最終日には沿線住民が旗を持って線路わきに立ったり、大騒ぎだったのですが、今はすっかりさびしくなりました。

キハ40縦列停車

木古内に戻ると、函館行きのキハ40が縦列停車していました。
縦列停車は京急と名鉄のお家芸だと思っていたのですが、JR北海道もやるのですね。

僕たちの乗った列車は函館行きですが、僕たちは五稜郭で乗り換えます。
ここまで同業者の方が結構乗っていたのですが、その方たちは函館に行くようです。

時刻はすでに20時。函館にとまってもいいのですが、僕たちは森を目指します。

昨年4月に組んだ行程では函館にとまる予定でした。しかし8月のダイヤ改正で、その先の行程をこなすのが不可能になる時刻変更が発生したため、函館には泊まらず森を目指します。

ところで、僕が使っていた時刻表は12月号でした。
その時刻表では「2月28日まではこの時刻で運行」という形で本来の時刻の脇に遅れた時刻が書いてありました。しかし、最新版のユリウスの時刻表には「3月13日まではこの時刻で運行」とありました。

僕たちが乗ったのは3月7日ですので、遅いほうの時刻で運転されます。
その上、交換する貨物列車が遅れていため、森到着はさらに遅くなりました。
車内ではかなり眠かったです。

それでも何とか宿に辿り着きました。

今回はこれで終わりです。
次回は森から池田に向かう8日目を紹介します。