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【トラピックス】2018年 バルカン半島の秘宝を訪ねる7カ国12日間(11/6~11/17)
今回は「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島の国々を紹介します。
2018年 セルビア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴヴィナ・モンテネグロ・北マケドニア・アルバニア・ギリシャ
元々計画していたインド・ツアーが台風21号による関空水没により一週間前に催行中止。「それならば時期をずらしてヨーロッパに行こう」と切り替え、関空復旧を待って秋のバルカン半島ツアーに申し込みました。かなりディープな国々への旅なので、募集26名に対し参加は14名の旅慣れた旅行者達。行く先々のホテルで「風呂水を排水すると逆流」「TVが点かない」「電灯が点かない」「エアコンが使えない」「部屋のコンセントの半分に電気が通ってない」etc.のトラブルに見舞われましたが、そういう国々と割り切って廻りました。
トドメはドバイから関空へ向かう帰りの飛行機(エミレーツ)。ニューヨークの大雪でドバイ行きの飛行機到着が大幅に遅れ、結局関空行きに間に合わず、ドバイで+1泊。長旅の疲れで炎天下の街に出歩く気力もなく、ホテルでビール(一缶1500円!)を一日中飲みながら体を休めていました。
クロアチア ザグレブ
最初に訪れたのは、クロアチアの首都ザグレブ。
ザグレブは観光スポットがコンパクトにまとまった街で、半日で回れました。この年、FIFAワールドカップMVP・UEFA最優秀選手・FIFA年間最優秀選手・旅行の翌月にはパロンドールと、賞を総なめしたモドリッチがここクロアチア出身なので、土産物屋にはモドリッチ・グッズが溢れかえっていました。また、クロアチアはネクタイ発祥の地。17世紀頃、フランス国王の護衛に来ていたクロアチア兵士が揃って首に巻いていたものが現在のネクタイの起源とされています。お土産にと思いましたが、クールビズでネクタイを締める機会が殆ど無くなったので、孫向けにモドリッチのユニフォームをチョイス。
翌日、セルビアに向かう途中、クロアチアワインの産地のひとつイロクのワイナリー・レストランに立ち寄りました。クロアチアでは古代ギリシャ時代からワインが造られてきましたが、度重なる紛争で中々生産量が上がらなかったそうです。2000年ごろからようやく産業が安定、コスパの良いワインが出回り始めました。立ち寄ったワイナリーは内陸部なので白ワイン、ほのかな甘みとすっきりした味わいで飲みやすかったです。こんな片田舎のワインは日本では手に入らないと思い購入しましたが、後日調べたら楽天でほぼ同額で売っていました。ネットの力はすごいですね。
道路沿いには、破壊され放置された建物や無数の銃根が壁に残る家屋。1991年クロアチアはユーゴスラビアからの独立を宣言、1998年まで内戦が続きました。今でも戦火の爪痕が至る所に残されています。
セルビア ノヴィ・サド
ベオグラードに向かう途中、セルビア第二の都市ノヴィ・サドに立ち寄りました。小高い丘(要塞)からのドナウ川の眺めが綺麗です。
ベオグラード
夜にはベオグラードに到着。広場を撮影した写真(1枚目と2枚目)には光の反射かもしれませんが、多数のオーブが映り込んでいました。
セルビアの首都ベオグラードは社会主義時代のユーゴスラヴィア連邦の首都でもあり、古来、交通の要衝地として発展してきました。市内観光では、社会主義時代の戦車や大砲・ミサイルの展示や、ベオグラード出身のジョコビッチが若かりし頃練習していたとされるテニス・コートのあるベオグラード要塞や、豪奢な内装の聖サヴァ教会をまわりました。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ サラエボ
次に向かったのはボスニア・ヘルツェゴヴィナ。バルカン半島の国々は国境を越える度に検問所でひっかかり、1時間程待たされます。EU統合前ヨーロッパの旅もこれが普通だったのでしょうね。添乗員の話によると、バルカン半島の検問所では袖の下がまかり通るようです。金を渡さず何時間も待たされた経験をしたので、事前に本社に了解を取っていたそうです。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボは第1次世界大戦勃発の導火線となったサラエボ事件が起こった街です。バルカン半島を支配していたオスマン帝国が衰え、民族同士の対立が激化。サラエボを訪れていたオーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたことをきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告。その後、オーストリアが属する三国同盟の国々(オーストリア・ドイツ・オスマン帝国)とセルビアを支援するロシアが属する連合国(ロシア・イギリス・フランス)を巻き込み、ヨーロッパ大戦となりました。
サラエボには、カトリック教会、セルビア正教会、イスラム寺院、ユダヤ教の会堂が共に肩を並べて建つ、不思議な光景が広がっています。ヨーロッパなのに、まるで中東を旅しているかのような気分にも浸れる異国情緒たっぷりの町です。
モスタル
ドブロヴニクに向かう途中、ボスニアの古都モスタルに立ち寄りました。この地にはイスラム系住民とカトリック系住民・セルビア正教信者が共存していますが、内戦で互いの民族が対立、多くの命が失われたそうです。ここでツアー客の一人がスリ被害に遭いました。皆で犯人を追いかけて捕まえ事なきを得たのですが、犯人は10代の女の子二人。言葉が通じなくとも、怒られていることは十分に伝わったようです。土産物屋の店員が言うには、常習犯のようで、後で警察からキツイお説教を受けることになるそうです。
クロアチア ドブロヴニク
モスタルを後に、再び海側のクロアチアへ入り、ドブロヴニクへ。今ツアーで一番楽しみにしていた観光スポットです。紺碧の海と、城壁に囲まれた家々のオレンジ色の瓦屋根のコントラストが生み出す美しさから、「アドリア海の真珠」と称されます。
ここドブロブニクはジブリ映画「紅の豚」や「魔女の宅急便」のモデルにもなったそうです。中世にはベネチアの中東貿易中継地で、都市国家として繁栄。しかし、1991年ユーゴとの内戦(独立戦争)で徹底的な破壊を受け、一時は「危機遺産」のリストにも載りました。内戦終結後、人々の懸命な修復作業により、昔の景観を取り戻すことが出来ています。が、今でも内戦の銃弾跡が所々に残ってます。
城壁の上は遊歩道になっており、約1時間かけてぐるりと一回りできます。また、ロープウェイを使って裏手のスルジ山に登れます。山から見下ろすドブロヴニクの街の眺め、最高ですよ。
モンテネグロ コトル
翌日はモンテネグロのコトルへ。コトル湾の最奥に位置し、氷河で削られた複雑な海岸線と背後に迫る山々の狭間を活かした城塞港湾都市です。対岸からフェリーでしか渡れません。湾はかなり深いようで、(多分)イタリアからの大型観光船が湾に乗り入れていました。上を見上げると山の稜線に添って城壁が連なり、旧市街には石畳の路地が縦横に走り、中世の建造物や教会、それと数多くの土産物屋が立ち並ぶ世界遺産の街です。
プドヴァ
アルバニアに向かう途中、プドヴァに立ち寄りました。プドヴァはモンテネグロの観光地であり、古くはローマ帝国時代から続くアドリア海沿岸の古代都市でもあります。
プドヴァからティラナに向かう途中、ジョコヴィッチが結婚式を挙げた島の横を通りました。島にあるホテルを貸し切って親戚・友人を招待したそうです。
アルバニア ティラナ
翌日はアルバニアの首都ティラナの市内観光。アルバニアには日本と同じ鎖国の歴史があります。第二次世界大戦後に共産主義国家となり、西側諸国はもとよりユーゴ・ソ連・中国とも徐々に距離を置き、1991年まで鎖国状態だったそうです。また、ヨーロッパ唯一のイスラム国家、そして多くの国民はイタリア語が話せるという、何とも魔訶不思議な国です。
共産主義時代の遺物がたくさん残されていました。下の写真は、鎖国時代にソ連を仮想敵国として、攻めこまれても応戦できるよう作られたトーチカ。頑丈すぎて壊すのが大変で、今でも街の至る所に遺されています。見つけられませんでしたが、当時作られた核シェルターも残っているようです。また、公園の入り口らしき所にレーニンやスターリン像が無造作に並べられていました。
ベラット ティラナからオフリドに向かう途中、ベラットに立ち寄りました。千の窓を持つとも呼ばれる美しい景観の世界遺産です。ベラットにはオスマン帝国時代の教会・モスク・城塞などの建造物が残っています。
北マケドニア オフリド 次に向かったのは北マケドニア。私が旅した時はマケドニア(共和国)でした。マケドニアはもともとギリシャ北部の地名でしたが、1991年国家樹立と共にマケドニアを国名と定めました。それに対し、アレキサンダー大王を生んだマケドニア王国を自国栄光の歴史として誇りに思っているギリシャが猛反発、EU・NATOの加盟を拒み続けてきました。2018年政権交代を機に北マケドニアに国名を変更、ようやくEU・NATO加盟が実現できたそうです。
マケドニア観光で訪れたのはオフリド湖。マケドニアとアルバニアの両国にまたがる、約500万年前に形成されたとされるヨーロッパでもっとも古い古代湖のひとつです。湖畔に建つ聖ヨバン・カネヨ教会を始めとするオフリド市街とオフリド湖が、複合世界遺産に登録されています。
ビトラ
メテオラに向かう途中、ビトラのヘラクレア遺跡に立ち寄りました。この遺跡は古代ローマ帝国時代にアレキサンダー大王の父親によって開かれた都市の遺構です。この遺構ではモザイクが有名ですが、この時期は砂利で覆われて見られませんでした、残念
ギリシャ メテオラ
翌日は旅の最終目的地ギリシャへ。ギリシャ中部にあるメテオラ修道院群へ立ち寄りました。11世紀ごろ標高600mの断崖絶壁の頂上に修道院を建設(現在は6つの修道院が残っています)、修道士たちが俗世から離れ隠遁していたそうです。この独特な奇岩の風景は、映画「007」やTVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地にもなっています。
アテネ
最終日はアテネ市内観光。先ずはアクロポリスの丘に登り、パルテノン神殿やゼウス神殿・ディオニソス劇場を散策。その後、第一回近代オリンピックの会場となったパナシナイコスタジアムやシンタグマ広場周辺で食事やショッピングを楽しみました。
ギリシャは地中海クルーズもお勧めと添乗員さんが言ってました。いつか機会が出来たら行ってみたいと思います。