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【トラピックス】2020年感動のエジプトナイル川クルーズ8日間(2/18〜2/25)

  ※エジプトはアフリカ大陸ですが、地中海つながりということで掲載します。

 

 コロナが全世界に広がりそうな気配の2月、「コロナで当面海外には行けなくなるだろう」と思い、エジプト旅行を決行しました。以前、後輩が夏休みにエジプトに行き、熱中症で倒れた話を聞いてましたのでこの時期をチョイス。それほど暑くもなく、また砂嵐が舞う季節の前なので、旅行に適しています。
 今回もエミレーツ航空を使い、ドバイ経由でカイロ入り。空港に着くとアジア人は入口でいったんストップ、検温と旅行予定表を提出させられました。エジプト人から見れば、コロナを世界に広めた中国も隣国の日本も一緒なのですね。2月の日本人感染者数は、まだ一桁だったのに。当時、マスクを着用しているのは我々日本人だけでした。

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 珍しいことに、カイロでは行きも帰りも雨に見舞われました。こちらの雨はザッっと降って止むのですが、排水インフラが整っていないので、至る所で道路が冠水。タダでさえ渋滞するのに、道路冠水で迂回に次ぐ迂回。空港に向かう帰りの道のりでは1時間で着く予定が3時間掛かり、「またドバイで延泊か」とひやひやしました。
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カイロ
 先ずはカイロ市内観光。最初に向かった先はエジプト考古学博物館。館内にはツタンカーメン王の黄金のマスク(撮影禁止)、黄金の玉座をはじめ、ラムセス二世のミイラなど、古代エジプトの至宝が大量に展示されています。唯一写真展示だったのがロゼッタ・ストーン(古代エジプト語翻訳の決め手となった石碑。イギリス軍が持ち去り、現在大英博物館に展示)。現地添乗員がこの写真を説明しながら、イギリスを泥棒呼ばわりしていました。
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 なお、昨年四月、エジプト考古学博物館に展示されていた18人の王と4人の女王のミイラが、新たに建設されたエジプト文明博物館に移送。「ファラオの黄金パレード」と題された移送パレードを大々的に催し、その様子はニュースでも放映されていましたね。当初、エジプト文明博物館は2016年完成予定でしたが、建築が遅れたため訪れることは叶いませんでした。
 余談ですが、エジプトの観光スポットはどこでも入場料とは別にカメラ・チケットが必要で、各スポット千~二千円徴収されます。しかし、何故かスマホ撮影は無料でした。
 博物館見学後、ギザへ。ギザではテラスからピラミッドが見渡せるホテルに宿泊アップ
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メンフィス・サッカラ・ダハシュール
 翌日、先ず向かった先はメンフィス。古代エジプト王朝の歴史は下エジプトにあるメンフィスから始まりました。紀元前3000年ごろから長きに渡たり、古代エジプトの首都として栄えました。この時代で最も有名な王はカイロでミイラを見たラムセス二世。メンフィスの博物館には約10メートルの長さを持つ石灰岩で作られたラムセス二世像が展示されてました。この像もまた、エジプト文明博物館に移送されるそうです。
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 その近郊サッカラ・ダハシュールに、赤いピラミッドや世界最古の階段ピラミッドを見学に行きました。ギザとは色や形状が異なる初期のピラミッドです。因みに見学した翌月に階段ピラミッドの内部再公開のニュースが流れました。この14年間、修復作業が続いていたそうです、残念ショボーン
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ギザ
 午後はギザのピラミッド群観光。カイロ郊外のサハラ砂漠にはギザのピラミッド群とスフィンクスがそびえています。クフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッドが立ち並び、そのうちクフ王のピラミッドが高さ147mと最大です。重機もない時代に一個数トンの石をどうやって積み上げたのか、想像も付きません。
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 ピラミッドのすぐ向こうにはカイロの街並みが見えています。思った以上に街に近い場所にあります。





 ピラミッドの中に入ると、狭い通路に急こう配の階段が玄室まで数十m続き、行きかう観光客で至る所で渋滞が起こっていました。ようやく到着した玄室には石棺がポツンと置かれているだけ。何もない割にはキツイ見学で、特に閉所恐怖症の人にはお勧めできません。スフィンクスはカフラー王ピラミッドを守るように配置されています。王の頭飾りを付けた人間の頭がライオンの体に乗せられた何とも不思議な生き物。一つの石から掘られた世界最大の彫刻ですが、残念ことにかなり浸食が進んでいました。

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アスワン
 翌朝カイロから飛行機で1時間半、アスワン・ハイダムで有名なアスワンへ。アスワン・ハイダムはナイル川に造られた巨大ダムです。そのダムでできた人工湖はナセル大統領の名をとったナセル湖、世界第三位の貯水量を誇ります(日本で一番大きい徳山ダムの約20倍)。ダム建設により、それまで毎年起こっていたナイル川の氾濫が治まり農業用水も安定供給、さらには電力も作り出されました。
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 一方で、アブシンベル神殿やファネストアリ神殿といった世界遺産がダム湖に水没してしまうことになり、ユネスコが中心となって資金を集め移転させました。今回、そのアブシンベル神殿を訪ねました。こちらもラムセス二世を祀った神殿です。移転ついでに直したらいいと思いましたが、地震で正面の像が一部倒壊したままにされています。この神殿の最奥に「至聖所」と呼ばれる神聖な部屋があり、2/22と10/22の年二回だけ朝日が差し込む設計になっているそうです。

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 この地アスワンから250km離れたルクソールまで、三泊四日のナイル川クルーズの旅に出ました。北欧でのクルーズとは違い、船は4階建てで部屋数は約50室とコンパクト。部屋も十分に広く窓からの眺めも良く、屋上デッキに上がればテラスやバーも完備、ナイル川の流れを眺めながら、のんびりと過ごせます。乗船場には10隻ほど、形の似た船がつながれていました。これらの船が翌朝列をなしてナイル川を下っていきます。夜には「ガラベイヤパーティー」が催され、乗船客も民族ダンスに誘われ、皆楽しんでいました。また、ツアーで行く旅にはツーリストポリスと呼ばれる観光客向け警察官が同行します。また、観光地にも武装警察官が多く配置され、今回の旅行では治安の心配は全くありませんでした。30年ほど前から続くテロ対策に、観光立国エジプトは注力していると感じました。
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コムオンボ・エドフ
 翌朝、アスワンから50km離れたコムオンボに到着。ここにはプトレマイオス朝時代に造られたコムオンボ神殿があります。この神殿にはワニとホルス(ハヤブサ)2つの神が祀られている珍しい二重神殿です。
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 神殿の隣にあるワニ博物館にはワニのミイラが多数展示されていました。そういえば、クルーズではナイルワニの姿は一切見かけません。もっと上流に棲んでいるのか、ダムの影響かは定かではありませんが。


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エドフ
 コムオンボを離れ、午後にはルクソールとアスワンの中間に位置するエドフに寄港。観光バスが入れない細い道なので、ロバの馬車に乗りホルス神殿に向かいました。馬車から見るエドフの街並みはアフリカ感満載。10分程でホルス神殿に到着です。2000年以上も前の建築物とは思えないきれいな状態で遺されています。入り口には大きくそびえ立つ塔門。機械もない当時の技術では考えられないほど精巧で、太陽光の差込方すらも計算された造りとなっています。また、建物に満遍なく描かれたレリーフにも、それぞれ意味や・ストーリーがあり、説明が面白かったです。


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ルクソール
 翌朝、最終目的地のルクソールに到着。ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っています。ルクソールはナイル川によって東西に分断されており、日が昇るナイル川東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など、生を象徴する建物が、日が沈む西岸には、死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがあります。

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 カルナック神殿は、テーベの守り神であったアメン神を祀る神殿です。当時、カルナック神殿は神や王の住まいであるとともに、医学や天文学などを教える学問の場として使われていたそうです。ルクソール神殿は、新王国時代にカルナック神殿の副神殿として建てられました。ルクソール神殿の第一塔門前には、1本のオベリスクがあります。もともと2本でしたが、うち1本はフランスへ。パリのコンコルド広場の中心に飾られていたのを覚えています。現地添乗員は、今度はフランスを泥棒呼ばわりしていました。
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 昼食をはさんで午後は王家の谷へ。ここには古代エジプト新王国時代の王たちの墓が集中しており、これまで24の王墓を含む64の墓が発見されています。数千年前の王のお墓だと言うことを忘れてしまう位、時間の流れを超えた綺麗な壁画や彫刻が見られます。特に綺麗だったのはラムセス六世の墓、30mくらいの壁に美しい絵が遺されています。一方、唯一盗掘を免れたツタンカーメン王の墓は思いのほか小さく質素。一番奥の部屋にツタンカーメン王のミイラがコフィンの中に眠っていました。ここ王家の谷で眠るミイラはツタンカーメン王だけだそうです。
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 最後に王家の谷の東の断崖に造られたハトシェプスト女王葬祭殿を訪問。エジプトでただ一人の女王の神殿で、各階テラス付きの3階建てです。2階にはアヌビス神とその妻ハトホル女神の礼拝所、3階はハトシェプスト像が建つ至聖所となっています。当時のエジプトの習わしとして王位継承はファラオの第一王女の夫と決まっていたのですが、彼女は男性として自ら王位に就いたそうです。ここは1997年に日本人を含む観光客62名がテロの犠牲となった悲しい場所でもありますショボーン

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 翌朝、ルクソールから空路カイロに戻りカイロ市内観光、エミレーツ航空でドバイ経由で関空に帰ってきました。

 

 いつか、他の四大文明の故郷も訪れてみたいですね。

 

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【トラピックス】2014年煌きの台北北部周遊3日間(8/6~8/8)
 
 家族の夏休みが上手く日程調整できたので、近場の台湾を再訪。2004年ごろにも一度台湾を訪問したのですが、運悪く大型台風が台湾を縦断。おかげで日程がぐちゃぐちゃになるし台風直撃なのでホテルで一日中待機、更には妻も発熱と、観光どころではありませんでした。
 今回はいい旅になるよう祈りながら、初めて乗るチャイナ・エアラインで関空から香港へ。昼は機内食。どんな味付けかなと若干不安でしたが、それなりに美味しかったです。

 

 

 桃園空港に着き、現地添乗員さんにピックアップしてもらい、一路淡水へ。

 

 先ずは、スペイン人に造られ長年イギリス人が占領してきた紅毛城を見学。多くの史料やアンティーク家具が展示されていました。また、建物の一部は今でも英国領事館宿舎としても使われているそうです。1時間ほどで見学を終え、ハーバーへ。港もよく整備されており、橋からの眺めが綺麗でした。

 

 

 

 

 夕食は、フカひれ料理。台湾ビールは台湾の暑さに合うよう、サッパリした味わいでした。沖縄のオリオン・ビールに近かったです。

 

 

 

 

 

 宿泊先が寧夏夜市の近くだったので、散策に出かけました。台湾の伝統的な食べ物屋台が数多く集まってます。目が色々なB級グルメを欲しがりましたが、さすがに夕食直後なので、デザートにマンゴーかき氷を頂きました。

 

 

 

 翌日は、マイクロ・バスで台湾最北端近くの野柳地質公園へ。1時間半ほどで到着。ここは台湾の風景特定区です。この辺りの岩が風や波に浸食され、様々な形に削り取られています。この奇岩群の中でのランドマークが「女王頭(クイーンズヘッド)」。その姿がエリザべス女王の頭部に似ていたことからこの名がつけられました。この女王頭は、浸食によりあと5年ほどで首から上が折れてしまうといわれており、その補強計画を進めていると聞きました。

 

 

 

 

 野柳地質公園を後に、向かった先は九份。山間に位置し、海を一望できる風光明媚な街です。かつてゴールドラッシュで栄えた時期もあったそうですが、現在は石段や狭い路地、赤い提灯(「千と千尋の神隠し」のモデルと言われてますが、微妙)が特徴の人気の観光スポットです。昼食はここで伝統的な台湾料理を頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 昼食後、台北に戻り、市内で最も古い龍山寺を訪れました。ここ龍山寺で有名なのは御神籤。お願い事を唱えながら木でできた赤い半月2つを地面に投げ、表と裏が出たら御神籤が引けます。私の隣では何度も半月を投げ続ける青年がいて、笑いをこらえながら心の中で「頑張れ」と応援してあげました。

 

 

 

 

 続いて、中正記念堂へ。ここは中華民国初代総統「蔣介石」を祀った建物です。お馴染みの「衛兵交代式」や蒋介石の遺品を見ることができます。

 

 

 

 

 

 夕食後、士林夜市へ。台北最大規模のナイトマーケットです。地下にはB級グルメ屋台、一階は服飾・小物のお店、そしてお土産物屋が軒を連ねてます。すごい店数で、しっかり見ようとすると半日かかりますヨ。なお、入口右横のペットショップか食材店かわからない店ではアミメニシキヘビが売られていました。

 

 

 

 

 翌日は、「衛兵交代式」を見に、再び中正記念堂へ。一渡り式が終わったら、故宮博物院へ向かいました。こちらには清朝が集めた美術品70万点程が保管されています。その多くは国共内戦の戦火から守るため、蒋介石が中国本土から台湾に運び出したものです。故宮博物院での有名なお宝は翠玉白菜と肉形石ですが、今回も院内撮影禁止で写真が取れず、お土産コーナーでマグネット購入して我慢(二年後の2016年からようやく撮影可能になりました)。

 

 

 

 

 最後の台湾ランチは日本でもお馴染みの鼎泰豊で飲茶。日本のお店よりファミレスに近いカジュアル感のあるチェーンでした。

 

 

 

 

 ランチ後、桃園空港に戻りお土産ゲット。夕便のチャイナ・エアラインで帰国の途に就きました。

 

 

 

 この飛行機が2時間遅れ最終のリムジン・バスに乗れず、止む無く重い荷物を抱えながらJRを三線乗り継ぎ帰りました。ようやく自宅に着いたのは深夜1時前。もうヘトヘトです。最後の最後にトラブルが待っていたとはガーン

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【トラピックス】2019年おまかせイタリア大周遊(9/19~9/28)
 
 2006年に一度イタリアを訪れていますが(ブログ掲載してますので良かったら覗いてみてください)、ベネチアのカーニバルに合わせの2月訪問だったので、今回は9月夏休みに行くことにしました。更に、前回行けてない南イタリア(アルベロベッロ・マテーラ・アマルフィ・青の洞窟)も楽しみです。
 先ずはエミレーツ航空で関空からドバイ経由でミラノへ。



 

ミラノ
 最初に訪れたのはミラノ。市内観光でミラノ大聖堂、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り、スカラ座、スフォルツェスコ城を見学。

 前回は冬の小雨交じりで補修中だったのですが、今回は晴れ渡った青空の元、ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)が見られました。相変わらず圧巻な建物ですね。

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  ドゥオーモの左手にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りが十字の形でスカラ座に向かって延びています。この通りはガラス・アーチと鉄製の屋根に覆われ、現在のショッピング・アーケードの原型とも言われています。
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夕方、ベネチア近郊のホテルに移動。

ベネチア
 前回はゴンドラ乗船が日暮れ時になってしまい、暗闇の中を遊覧する悲しい状況でした。今回は晴天、ベネチア本島に向かう船の中でも心ウキウキでした。


 本島上陸後に向かったのはサンマルコ寺院とその広場。寺院内部は撮影禁止なので紹介できませんが、黄金のモザイク画で一面覆われ煌びやか。また、パラ・ドーロと呼ばれる祭壇画には金や宝石がちりばめられてます。当時の繁栄ぶりが伺えます。
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 続いてゴンドラ遊覧。やはり遊覧は昼間に限ります!



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 昼食後、一路フィレンツェへ。フィレンツェで宿泊。

 

フィレンツェ

 この日は朝から雨。ミケランジェロ広場から見下ろす朝靄に煙るフィレンツェの街並みは格別です。フィレンツェは街全体が丸ごと世界遺産。ルネサンス時代の数多くの美術品と建築物で溢れています。
 ミケランジェロ広場に置かれているダビデ像(ミケランジェロ作)はレプリカですが、ダビデ像は体に比べ頭部が大きく作られています。これは下から見上げられることを想定して作られているそうです。
 旧市街に入り、ドゥオーモ・ベッキオ宮殿・サンジョバンニ洗礼堂・シニョーリア広場・ベッキオ橋を見学しました。

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 目玉のウフィツィ美術館にはボッティチェリの「プリマヴェーラ」「ヴィーナスの誕生」や、ダヴィンチの「受胎告知」等々、美術の教科書でお目にかかった数多くの作品が展示されています。前回訪問した2006年は撮影禁止でしたが、イタリア首相が代わった2014年から撮影OKになったそうです。


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ピサ
 ピサは斜塔が有名。最上階はビル10階位の高さ(300段程度)なので、普段から歩いている方なら楽に登れます。屋上からはピサの街並みが見下ろせます。因みに、通路が狭いため、入場には人数制限があります。


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ローマ

 翌日フィレンツェから一路ローマへ。昼前に着きました。ローマ市内のバス観光の後、バチカン市国に入りました。
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 バチカン市国はローマ教皇が住まわれるローマカトリック教会の総本山、世界最小の独立国で、国自体が世界遺産に登録されています。その中にはサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館があり、16~17世紀にミケランジェロがこれらの再建に携わっていたそうです。システィーナ礼拝堂の天井に描かれた「最後の審判(撮影禁止)」や大聖堂に安置された「ピエタ像」など、ミケランジェロの傑作が鑑賞できます。


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 因みに、バチカン市国の警護はスイス人の傭兵(軍人ではありません、応募採用のようです。)が担っています。
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ポンペイ

 翌日、一路ポンペイへ。ポンペイはヴェスヴィオ火山の噴火により一夜にして滅んだローマ帝国都市の遺跡です。この遺跡から古代ローマの生活を垣間見ることができます。街の目抜き通りは車道・歩道が区別され、通り沿いに水道が引かれ、公衆浴場やパン屋が立ち並び、街外れには円形闘技場や野外劇場がありました。ここに一万人を超える人々が住んでいたと言われてます。
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アルベロベッロ
 ポンペイから向かった先はアルベロベッロ。アルベロベッロは絵本に出てきそうな尖り屋根の街です。街の中心部は夜にはライトアップや電飾を使って飾り付け、とても幻想的でした。このツアーでは街に住んでいる日本人の方が商売方々家に招き入れてくれ、内部の部屋の様子を見せてくれました。他都市も同様ですが、世界遺産の住人はその街並みを壊さないよう、とても大切にしていますね。
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マテーラ
  昼食後、マテーラへ移動。「サッシ」と呼ばれる洞窟住居群が3~4,000、何層にも重なって渓谷を埋め尽くす壮観な景色が広がっています。8世紀以降、イスラムからの迫害を逃れたキリスト教徒が洞窟内に教会や住居を造り、その後地中海交易で繁栄した街です。今は洞窟に誰も住んでおらず、周りの住居に住んでいます。
 また、マテーラではダリの彫刻作品があちこちに青空展示されていました。
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 その後、ナポリへ移動。ナポリ市内観光後、郊外で一泊。
 
ナポリ カプリ島
 翌日、ナポリ港からカプリ島へ船で移動。船を乗り換えて青の洞窟に向かいました。

 前回は2月、冬の波は高く無理でしたが、今回は夏なので期待大アップところがカプリ島に到着した時点で「9月もほとんど入れてない」事実が判明びっくり船は洞窟入り口でUターンしましたえーんカプリ島の人曰く、「入るなら6~7月、だけど世界中からの観光客でごった返しているよ」。もう、ここは諦めます。クロアチアや新潟佐渡島に同じような洞窟があるとの噂を聞きました。
 この穴の奥が青の洞窟です。
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 カプリ島で昼食後、船でソレントへ、更にバスでアマルフィへ向かいました。




 
アマルフィ
 アマルフィは「リプトン・リモーネ」のCMや織田裕二主演の「アマルフィ」で有名な町です。小さな町で、風光明媚な景色を除けば、これといった特徴はありません。ただ、海岸沿いにホテルが点在、そこで2~3日のんびり過ごせたら心が洗われるでしょうね(そういう土地は日本にもたくさんありますけど…)。
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 今回2度目のイタリア訪問でしたが、見どころ満載だし食事も美味しいし、さすがヨーロッパ人気№1の国です。楽しかったです。

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【トラピックス】2012年ベネチアン・マカオに泊まる香港・マカオ4日間(8/7~8/10)

 
 1990年ごろ、中国返還前に香港・マカオを訪れましたが、返還後「マカオの発展が著しいようだ(大型ホテルやカジノが乱立)」「香港の街並みはどのくらい変わったか」が気になり、夏休みに行ってみました。
 キャセイパシフィック航空で関空から香港へ。

 最初に訪れたときは香港中心部近くの啓徳空港(九龍)。啓徳空港は市街地の狭い空港で、九龍城スレスレに急降下する着陸が、まるでジェットコースターのように記憶しています。今回は1998年埋立地に開業した香港国際空港。綺麗で真新しい空港ですが、市街地まではバスで30分と、チョット不便になりました。空港には多くの中国人観光客(身なりで判断してます)があふれかえっていました。返還後の香港・マカオは、中国人の観光スポットとして人気を博しているようです。

 

 ツアー・バスに乗り込み、先ずはビクトリア・ハーバーへ。前回よりも遊歩道がきれいに整備された印象です。残念ながら、霧がかかって対岸がよく見渡せません。写真に写っていませんが、ここにも多くの中国人観光客が押し寄せてます。

遊歩道にはハリウッド・チャイニーズ・シアターよろしく、香港スターの手形が並べられています。好きなジャッキー・チェンの手形を見つけました爆笑

ブルース・リー像の前でもパチリ爆笑

夜8時にはシンフォニー・オブ・ライツと呼ばれる光のショーが催されます。九龍・香港島両岸に建つビル群がイルミネーションを輝かせ、音楽に合わせて夜空にレーザーやサーチライトを放ち、とても綺麗。ショーは15分程続きました。

 

 

 翌日も市内観光。先ずは朝食にお粥を頂き、レパルス・ベイに向かいました。

レパルス・ベイはハリウッド映画「慕情」の舞台となった海湾です。

その一角には、天后廟という、海で仕事をする人々を守る女神が祀られているパワー・スポットがあり、縁起物の竜や黄金の鯉が出島のような狭い敷地に立ち並んでいます。「黄金の鯉に向かって賽銭を投げ、口の中に入ると出世できる」とツアー・ガイドさんから聞き挑戦しましたが、写真のように巨大な鯉なのでなかなかコインが届きません。たまたま入っても、口からこぼれてきましたショボーン仕方なく縁起物の土産を求め、近隣の商店街で「家内繁栄」の福を呼ぶ龍文字の額を作ってもらいました。

 

 

 

 

昼食は飲茶。ハオツー。

 

 

引き続き市内観光。香港最古の教会である聖ヨハネ座堂や香港島・九龍城をバスで巡りました。そして、早めの夕食、次は北京料理。北京ダックはパリパリで美味でした。

 

 

 

 

食事を終えると、バスでビクトリアピークに向かい、百万ドルの夜景を鑑賞。ツアーでは混雑する山頂を避け、一段下の展望台から眺めました。クリアな夜景が広がった前回と違い、若干霞がかかった景色でした。夜景は寒い時期が良く見えるそうです。秋に行った北海道の函館山からの夜景はとても綺麗でしたよ。

※2009年函館山からの夜景

 

 翌日、ジェット船で一路マカオへ。マカオは1999年ポルトガルから中国へ返還され、中国の経済成長に引っ張られ発展してきました。1990年ごろ行ったときの入国審査は我々ツアー客だけで閑散としてましたが、今回は多くの中国人観光客でごった返し大混雑、入国に一時間以上かかりました。

先ずは、市内観光。世界遺産マカオ歴史地区にある聖ポール天主堂後跡、セナド広場、聖ドミニコ教会に立ち寄った後、バンジー・ジャンプやスカイ・ウォークで有名なマカオ・タワー、地元民もよくお参りに来るマーコ廟を巡りました。

 

 

 

 

市内観光を終え、本日の宿泊ホテル、ベネチアン・マカオへ。70㎡のデラックス・ルームが1500室と、これまで泊まったホテルとは部屋数が桁違いです。チェックイン後迷子になってしまい、10分位かけ、ようやく部屋に到着。部屋からは、ホテル屋上に造られたパター・ゴルフ・コースが見下ろせます。

 

 

 

 

 

 

 

また、カジノ・フロアも30千㎡と甲子園球場とほぼ同じ広さで、600台のカジノ・テーブル、1500台のスロット・マシンに、多くの中国人観光客が群がってました。二階から見るカジノ・フロアの眺めは壮観、まるでアルプス・スタンドからグラウンドを見る感覚です。

最初のマカオ訪問(1990年ごろ)ではカジノが遊べるホテルは1軒しかなく、広さも数百人程度が入れる、ホテル大宴会場のようでした。昼に入ったのでゲームに高じる観光客も殆どいません。自分は初カジノだったので、運試しにとディーラーが手持無沙汰なルーレット台で千円張ったら三連続で大当たり。10分も経たず掛け金が15倍(10倍?)💰それを見ていた他の観光客が台に集まってきました。多分、私はサクラに使われたのでしょうね。

ベネチアン・マカオ内のショッピング・モールはベネチアンと冠するだけにイタリア気分を味わえます。ブランド・ショップが軒を連ね、ベネチアのゴンドラよろしくゴンドラ乗船できたり、バチカン市国の回廊を模した壁画が天井を飾ったりしてました。ただ、本物よりもかなりド派手ですけどね。

 

 

 

※こちらが本場の写真です。

 

また、妻が誕生日にかかる宿泊でしたので、部屋を空けている間に、ホテルからのサプライズでメッセージ・カードとケーキの差し入れが置いてありました。感激🥰

 

夕食はホテル近くのダンボというポルトガル料理のレストラン。イワシの炭焼きやタラのすり身揚げなど、日本の家庭料理に近い味付け。本場ポルトガルで食べた料理やデザート(エッグタルト)と全く同じメニューでした。

※ダンボの料理写真撮り忘れたので、リスボンで食べたポルトガル料理とエッグタルト発祥の店を掲載しときます。

 

 

 

 

翌日、朝食後ジェット船で香港に戻り、最後のランチ。

 

 店は日本でもお馴染みの糖朝。エビそば(麺の下にエビが沈んでいます)と炒飯、そして定番のマンゴープリンですが、日本と比べ物にならない位のボリュームで、食べきれませんでした。

 

 

昼食後、バスで空港に向かい、帰国の途に就きました。

 

私が訪問した二年後に、香港で反政府デモ(雨傘運動)が発生。旅行中これまでと変わらない香港の佇まいでしたが、その地下には中国に対する不満がマグマのように溜まっていたのかもしれません。

 

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【トラピックス】2024年デラックスクラスホテルに泊まるベトナム・カンボジア6日間(1/5~1/10)

 

 コロナによる渡航制限がようやく緩和され、3年ぶり海外の手始めとして東南アジア訪問を計画。以前から訪れてみたいと思っていたアンコールワットに。ベストシーズン(乾季と、気温が若干下がる)のこのタイミングにしました。アンコールワットに立ち昇る初日の出も魅力的ですが、年末年始の関空の混雑ぶりはどうしても我慢できないので正月明けに。

 

 今回、利用する航空会社は初めてのベトナム航空。搭乗者の多くは若いベトナム人で、正月明けの休暇なのか、はたまた旧正月に向けての里帰りなのか、大量の荷物(頑丈にラッピングした段ボール群)を預けており、どの飛行機も搭乗チケット発券に手間取ってました。また、ハノイ到着後は荷物が中々出てこなく、イライラプンプン一方、帰りの関空では、自分のケースがあっという間にレーンに。さすが日本の空港は優秀です!

 

 
 
 
 
 
 

 定刻通りハノイに到着。冬の日本から春のベトナムに気候が変わり、早速ダウンジャケットとダウンベストをリュックに仕舞い込みました。現地で東京からのツアー客と合流し、一路ハロン湾へ。

 

 

 

 

 

 

 夕食はホテル最上階レストランでフォーや生春巻き・揚春巻き等のベトナム料理を頂きました。パクチーは日本の物より匂いがきつくなく、抵抗なく食べられました。

 

 

 

 

 

  ここハロン湾は多くのホテルが立ち並ぶ静かなリゾート地です。しかし、その一角にあるディスコが深夜2時まで大音量のミュージックとサーチライトを放ち続け、静かな街並みを破壊。「眠れない」と多くのツアー客が怒ってましたムキー

 

 

 

 
 朝食後、ハロン湾へ。波がほとんど起たない湾内に多数の奇岩が並ぶ、幻想的な景観で有名な世界遺産です。9時前にチャーター船に乗り込みましたが、既に多くの船が出航。
 
 
 
 
 
 
  途中、鍾乳洞のある島に上陸し探検。日本と違い、ベトナムの鍾乳洞は洞内が生暖かく、湿度が高かったです。
 
 
 
 
 
  昼食はハロン湾で獲れた海鮮をチャーター船内で調理してくれました。美味しかったです。
 
 
 
 下船後、ハノイへ向かい、市内観光。フランス統治時代に建てられたハノイ大教会・ハノイのランドマークのホアンキエム湖をまわり、バスをいったん降りて電動カートで旧市街の中を回りました。旧市街は同業組合毎に集まって商売しており、統一感がありました。また、町全体も他のエリアと違ったレトロな雰囲気が感じられます。
 
 
 
 
 
  市内観光後は水上人形劇を鑑賞。11世紀から続いている人形劇だそうで、伝統音楽の生演奏に合わせ、水面で人や龍・牛の人形を動かし、10ほどのストーリーを見せてくれます。ヨーロッパ・アメリカからの観光客も大勢来てました。
 
 
 
 
 
 夕食は北部ベトナム料理。ベトナム料理と言えば「フォー」が有名ですが、ベトナムではつけ麺「ブンチャー」も人気だそうです。つけ汁は酸味と胡椒の辛みが効いてますが、思った以上に美味しかったです。
 
 
 
 
 翌日も市内観光。先ずは文廟(孔子廟)を見学。孔子が祀られているベトナム最古の大学跡です。ここは多くの学生が合格祈願に訪れたり、卒業写真やアオザイを着ての写真撮影に来る人気のフォトスポットです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 その後、タンロン城や鎮国寺を巡りました。
 
 
 
 
 続いてホーチミン廟へ。ベトナムの英雄、革命家ホー・チ・ミン氏の遺体を永久保存処置した霊廟です。丁度、衛兵交代式が見れたのでラッキー爆  笑ここに立つ白い服の衛兵はエリート軍人だそうです。因みに、肌の露出が多い服で近辺を歩くと、警笛で羽織るよう注意されますよ。
 
 
 
 
 昼食はバインミー。やわらかいフランスパンの中にバターを塗り野菜・ハーブ・肉を挟んでソースをかけるベトナムのサンドイッチ。現地人だけではなく、日本人観光客にも人気があるそうです。パンも程よい硬さでソースも万人受けする味で、大変美味しかったです。
 
 
 ここベトナムでの移動手段は車でも電車でもなくバイク。荷物を運ぶだけではなく、家族の移動手段としても使ってます。二人乗りは当たり前、子供を挟んだ四人乗りも見かけました。ベトナムの法律では二人乗りまでですが、子供は対象外だそうです。
 
 
 
 
 
 
 夕方、ベトナム航空でカンボジアのシェムリアップ新空港へ。降り立ったカンボジアは夏モードでした。ここシェムリアップ新空港は昨年11月にオープンしたのですが、市街地から60Km程離れてしまったので移動が大変。道路も整備中のようでホテルに着いたのは22時大あくび
 夕食(夜食)はホテルでカンボジア料理(通称クメール料理)を頂きました。隣国の辛いタイ料理や香草たっぷりのベトナム料理に比べ、クメール料理の味付けは辛くなくマイルド。また、フランス植民地だったこともあり、フランス料理の影響を受けたものもあるそうです。
 カンボジアではドルが流通しています。しかし、1ドル以下のおつりはカンボジアの通貨リエル紙幣で返ってきます。リエル紙幣がどんどん溜まってきますので、どこかの土産屋でドルと一緒に使うか、空港に着いたらバスドライバーへのチップとして使うか、もしくは空港の寄付ボックスに入れたら良いですよ。
 
 
 
 
 
 翌日は、四時起きしてアンコールワット朝日鑑賞。私の中で今ツアー一番の観光です。アンコールワットとアンコールトムに入場するためにはアンコールパスが必要なので、チケット・オフィス経由でアンコールワットへ。
 

アンコールワットは正面が西向きなので、朝日を背景に徐々に姿を現します。それを一目見ようと、数多くの観光客が押しかけていました。とても幻想的な姿で感動ものです。

 
 
 
 
 
 
 
 一旦ホテルに戻り朝食を摂り、次はアンコールトムへ。アンコールとは「都市」、トムとは「大きい」という意味です(因みにワットは「寺院」)。アンコールトムは3㎞四方を堀と城壁に囲まれた都市遺跡です(アンコールワットは1.5×1.3㎞のサイズ)。外部とは東西南北の門と死者の門(戦争で死んだ兵士を運び入れる)でつながっています。徒歩で回るには広すぎますが、バスが門を通り抜けられませんので(当時の乗り物ゾウが通れるよう設計)、マイクロバスに乗り変えて入場観光しました。
 
 
 先ずは、バイヨン寺院へ。ここはヒンドゥー教・仏教混交の寺院跡です。塔の四面には人面が彫られており、50くらいの塔には計120個程の人面像があるそうです。壁面には他国との戦争や、人々の生活の様子をレリーフとして彫られています。また、遺跡には数多くの猿が生息。ニホンザルと比べると、おとなしく人馴れしていました。
 
 
 
 
 
 
 
 続いて、「象のテラス」「ライ王のテラス」を見学。象のテラスはゾウのお披露目場、ライ王のテラスは兵士の出征・生還を王が謁見した場所と言われてます。
 
 
 
 
 
 次にタプロム遺跡を見学。ここタプロム遺跡はジャヤーヴァルマン7世が母親のために作った寺院です。高台の上に寺院を作らなかったため、石のすき間に種子が入りこみ成長したことで大半の塔が倒壊しました。また、この遺跡はアンジョリーナジョリー主演の「トゥームレイダー」のロケ地で有名。内戦で激減してしまった観光客が、この映画を見て再び大勢押し寄せるようになったそうです。
 
 
 
 
 
 一旦ホテルに戻り休憩後、再びアンコールワットへ。大伽藍と美しい彫刻がクメール建築の傑作と称され、カンボジア国旗にもその姿が使われています🇰🇭アンコールトムもそうですが、世界各国が修復プロジェクトを立ち上げ、遺跡修復に取り組んでいました。
 
 
 
 
 
 
 下の回廊の柱には落書きが残されています。カンボジア内戦で塗りつぶされ判読できませんが、これを書いたのは江戸時代の平戸藩士(森本右近太夫一房)。当時の平戸は国際貿易港で、そこからインドにある仏教の聖地「祇園精舎」を目指し旅立ちましたが、どうやらインドの遺跡と勘違いしたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 特に夕日を浴び金色に輝き池に姿を映すアンコールワットは、朝日と違って趣深い味わいです。
 
 
 
 
 観光後、クメール伝統舞踊を鑑賞しながら、夕食を頂きました。 
 
 
 この王宮古典舞踊は、きらびやかな衣装と眩い冠を身につけ、木琴などの宮廷音楽の伴奏に乗ってゆったりと踊り舞う。手や指の反り曲がりで木の成長や花の開閉を表すそうです。
 
 
 
 
 翌日は遺跡観光の疲れを取るため半日ホテルに滞在後、オールドマーケットで土産物を物色。籠を買いましたが、1軒目は5ドルでディスカウントなし、同じ種類が一個しかなく選べらないのでパス。愛想の好い2軒目は数個の籠があったのですが、12ドルと吹っ掛けられました。「そこの店で5ドルと言われた」と返すと、「5ドルでいい」と簡単に折れました。こういうマーケットは一物二価の世界ですね。
 
 
 
 
 昼食は、紀子様や他の著名人の写真が入り口に飾られているソフィテルアンコール・ホテルのレストランでフレンチを頂きました😊美味しかったですぅ~
 
 
 
 
 
 昼食後、空港に向かい、ベトナム空港にてホーチミンへ。カンボジア紙幣はドライバーさんにチップとして渡しました。
 ホーチミン空港の待合室の一角でツアー客とお別れパーティー。深夜に東京組と別れてホーチミンを立ち、翌朝関空に着きました。
 
 
 
 
 大阪に降り立つと、気温は9度と一気に冬に逆戻りドクロ風邪を引かないよう、家で冬ごもり状態でした。
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【トラピックス】2018年 バルト三国とワルシャワ・サンクトペテルブルク9日間(4/21~4/29)
 
今回は東ヨーロッパのポーランド・バルト三国とロシア(サンクトペテルブルグ)を紹介します。
 
2018年 ポーランド・リトアニア・ラトビア・エストニア・ロシア(サンクトペテルブルク)
 近年観光地として脚光を浴び始めたバルト3国と、一度は訪れてみたいエルミタージュ美術館を訪ねるツアーにGWを使って参加。前年の北欧巡りで使えなかったフィン・エアーに乗れました。機体にはウニッコのペイント、機内に入るとブランケットや食器雑貨類もマリメッコ、妻のテンション上がりまくりです。ヘルシンキ経由でワルシャワへ。

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ポーランド ワルシャワ
 ワルシャワでは、ポーランドが生んだ偉大な作曲家ショパンに纏わるスポットを巡りました。大きなショパン像が置かれているワジェンキ公園。写真は「柳の木の下で物思いに耽るショパンの姿」と説明を受けました。どう見ても台風に煽られて木にしがみついているようにしか見えませんけど。。。毎週日曜この公園の野外音楽堂でショパン・コンサートが開かれるそうです。
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 次に訪れたのは聖十字架教会。ショパンがフランスで亡くなる際、「ハートは祖国に帰して欲しい」との遺言を残し、姉が心臓を持ち帰り、この教会の柱に収めたそうです。入口左手にはポーランド出身の故ヨハネパウロ二世(ローマ法王)のフレスコ像も飾られていました。


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 教会から旧市街地広場に向かう途中、マラソン大会に遭遇。ヨーロッパではベルリンマラソンが有名ですが、ここワルシャワマラソンもそこそこ人気があるそうで、車椅子マラソンを先頭に、ガチンコランナー、一般ランナーの順で多くの人が旧市街を駆け抜けていきました。
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 続いて市街地散策。写真のような旧市街地はヨーロッパ至る所にありますが、ここは復興の歴史が刻まれています。第二次世界大戦下、ドイツナチスが文化的価値の高い建造物を中心に攻撃、大半の市街地が瓦礫と化してしまったそうです。戦後、旧市街地を復興させようと市民が立ち上がり、戦前の写真に基づき残ったオリジナル材を可能な限り再利用。見事なまでに再建させたことで世界遺産に認定されました。今、隣国ウクライナが、ロシア軍による破壊攻撃を受けています。ここヨーロッパでは、大国に挟まれた国々はこのような蹂躙を幾度となく受けています。心が痛みます。
追記:11/15にロケット弾がポーランドのウクライナ国境付近に着弾、二人が死亡したそうです。北朝鮮が飛ばしているミサイルが日本に落ちたらと思うとゾッとしましたガーン
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リトアニア ヴィリニウス
次に訪れたのは、リストニアのヴィリニウス。リトアニアは、バルト三国の中でナチスドイツ(ユダヤ人の虐殺)やソ連(併合)で最も多くの犠牲を出した国だそうです。1900~50年ソ連からの独立・併合が繰り返される中、1991年にようやく独立を果たし、2004年NATO・EU加盟を果たしました。

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 また、ここは敬虔なキリスト教徒の国で、至る所に様々な会派の教会が残されており、旧市街の規模は欧州最大級です(逆に、全く近代化されていないということでもあります)。
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 午後向かったのは、リトアニア第二の都市カウナス。対戦の最中、ここの領事館に勤務していた杉原千畝がユダヤ系難民に対し日本通過ビザ(命のビザ)を発給したことで有名な街です(唐沢寿明主演や加藤剛主演で映画化されています)。季節柄、杉原千畝桜公園の桜が満開で綺麗でした。
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ラトビア リガ
翌日訪れたのは、ラトビアの首都リガ。ラトビアはリトアニア・エストニアに挟まれた自然豊かな国で、東側はロシア・ベラルーシと国境を接しています。ここリガに13世紀頃ドイツが進出、後にハンザ同盟(北ドイツの都市連合)に加わり、ロシアと西ヨーロッパを結ぶ商業地として繁栄してきました。ドイツの匂いのする美しい街並みは、「バルト海の真珠」と称されるほどです。旧市街には、ロマネスク・ゴシック・バロックなど様々な建築様式の建物が残されており、さながら建築の見本市のようでした。
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 バルト三国を結ぶ幹線道路は片側一車線で、すれ違う車も疎ら、各首都間は畑と林と湖の単調な景色が続きます。と思いきや、反対車線に戦車を積んだ大型トラックが何台も現れては通り過ぎて行きました。後で知ったことですが、当時ロシアがバルト三国との国境問題で国境の軍を増強、その対抗措置としてNATOが駐留軍を増強したそうです。NATO加盟を認められたバルト三国と、認められなかったウクライナ。NATO加盟で明暗が分かれた過去が、今回の紛争にまで繋がっているように思えます。
 
エストニア タリン
 バルト三国の最後の訪問地はエストニアのタリン。この国も、他の二国同様、中世から時が止まったかのような美しい景色が広がった観光地です。バルト海クルーズの寄港地の一つで、隣国フィンランドからはフェリーで2時間程の近さなので、他の二国よりも観光客が多い印象でした。冬には旧市街広場でクリスマスマーケットが開催され、一層の賑わいをみせるそうです。
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 エストニアのもう一つの顔は「電子国家」。日本のメディアにとりあげられているのでご存じかと思いますが、電子国民IDやインターネット投票、電子裁判etc.行政サービスが電子化された国です。もちろん、行政コストを下げスピードを向上させるのが一番だと思いますが、他の理由の一つに、この国も、デンマーク、ドイツ(騎士団)、スウェーデン、ロシア帝国、ソ連と、色々な国に支配を受けており、仮に国が滅んだとしても国のデータを保護しておけばリスタートが早いという考え方があるそうです。
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ロシア
 翌日はロシアへ。これまで国境を越える際の検問所など無かった(EU加入国では全て取り壊されていました)ので、初体験です。小雨が降りしきる中、フェンスを張り巡らせた検問所手前でバスを止めさせられ、警備員が乗り込み、パスポートを所持していない密入国者がいないかチェック。その後、バスから降ろされ一人ずつ入国審査。パスポートにスタンプを押されてロシア側へ徒歩で移動。30人ほどのツアー客が皆だんまりで、重苦しい雰囲気の1時間でした。もちろん、撮影禁止です。
 
サンクトペテルブルク
 サンクトペテルブルクは、モスクワに次ぐロシア第二の都市。18世紀スウェーデンとの北方戦争の最中、ピョートル大帝が築いた要塞都市が起源で、2世紀にわたり帝都として栄えました。現在はロシア文化の中心地として多くの観光客が訪れています。
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 ホテルのモーニングでは朝からシャンパン(朝シャン)が振舞われていました。驚きびっくり
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 初日はエカテリーナ宮殿、血の上の救世主教会、等の観光スポットを巡りました。丁度2か月後にロシア・ワールドカップが開催されるとあって、土産物屋には多くの記念グッズが置かれていましたが、それを横目に見ながらスタバへ直行。土産のロシア限定マトリョーシカ・タンブラー(赤ロシアと青サンクトペテルブルク)を買い漁っていました。
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 翌日は今ツアーの目玉エルミタージュ美術館へ。収蔵美術品300万点余、全展示室を歩くと20㎞以上になる世界屈指の大美術館です。もとは「冬の宮殿」と呼ばれた皇室一家の宮殿でした。歴代ロシア皇帝が収集した美術品とロシア革命後に貴族・商人から没収したコレクションを、本館3フロアと別館に大量展示しています。ロマノフ王朝の富と権力が如何に強大なものだったか伺えます。エカテリーナ二世の肖像画が本館入口に鎮座しているはずですが、そこだけぽっかりと空いていました。添乗員のナターシャ(日本で言うと花子に相当するポピュラーな名前)に去年「エルミタージュ美術館展(兵庫県立美術館)」で撮影した写真を見せると、「今も世界のどこかを旅している。なかなか帰ってこない。」と嘆いておりました。
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 ここで人気のある展示コーナーはやはりイタリア美術。中でも一番人気はレオナルドダヴィンチ若かりし日に描いた「ブノアの聖母」と「リッタの聖母」。それから、ラファエロの「コネスタビレの聖母」と「聖家族」も人垣が出来ていました。
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 昼食を挟んで、印象派コレクションを見に別館へ。重厚な本館の造りと比べると、安普請な建屋です。こちらにはマチス、ゴーギャン、ルノアール、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ドガ、ピカソetc.の作品がずらりと展示されています。充実した一日になりました。次、機会があればメトロポリタン美術館にも行ってみたい。。。
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 ウクライナへの暴挙を目の当たりにし、もうロシアへ旅行に行くきになれませんムキー

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【トラピックス】2018年 バルカン半島の秘宝を訪ねる7カ国12日間(11/6~11/17)
 
今回は「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島の国々を紹介します。

 

2018年 セルビア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴヴィナ・モンテネグロ・北マケドニア・アルバニア・ギリシャ

 

 元々計画していたインド・ツアーが台風21号による関空水没により一週間前に催行中止。「それならば時期をずらしてヨーロッパに行こう」と切り替え、関空復旧を待って秋のバルカン半島ツアーに申し込みました。かなりディープな国々への旅なので、募集26名に対し参加は14名の旅慣れた旅行者達。行く先々のホテルで「風呂水を排水すると逆流」「TVが点かない」「電灯が点かない」「エアコンが使えない」「部屋のコンセントの半分に電気が通ってない」etc.のトラブルに見舞われましたが、そういう国々と割り切って廻りました。
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 トドメはドバイから関空へ向かう帰りの飛行機(エミレーツ)。ニューヨークの大雪でドバイ行きの飛行機到着が大幅に遅れ、結局関空行きに間に合わず、ドバイで+1泊。長旅の疲れで炎天下の街に出歩く気力もなく、ホテルでビール(一缶1500円!)を一日中飲みながら体を休めていました。

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クロアチア ザグレブ
最初に訪れたのは、クロアチアの首都ザグレブ。
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 ザグレブは観光スポットがコンパクトにまとまった街で、半日で回れました。この年、FIFAワールドカップMVP・UEFA最優秀選手・FIFA年間最優秀選手・旅行の翌月にはパロンドールと、賞を総なめしたモドリッチがここクロアチア出身なので、土産物屋にはモドリッチ・グッズが溢れかえっていました。また、クロアチアはネクタイ発祥の地。17世紀頃、フランス国王の護衛に来ていたクロアチア兵士が揃って首に巻いていたものが現在のネクタイの起源とされています。お土産にと思いましたが、クールビズでネクタイを締める機会が殆ど無くなったので、孫向けにモドリッチのユニフォームをチョイス。

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  翌日、セルビアに向かう途中、クロアチアワインの産地のひとつイロクのワイナリー・レストランに立ち寄りました。クロアチアでは古代ギリシャ時代からワインが造られてきましたが、度重なる紛争で中々生産量が上がらなかったそうです。2000年ごろからようやく産業が安定、コスパの良いワインが出回り始めました。立ち寄ったワイナリーは内陸部なので白ワイン、ほのかな甘みとすっきりした味わいで飲みやすかったです。こんな片田舎のワインは日本では手に入らないと思い購入しましたが、後日調べたら楽天でほぼ同額で売っていました。ネットの力はすごいですね。
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 道路沿いには、破壊され放置された建物や無数の銃根が壁に残る家屋。1991年クロアチアはユーゴスラビアからの独立を宣言、1998年まで内戦が続きました。今でも戦火の爪痕が至る所に残されています。
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セルビア ノヴィ・サド
 ベオグラードに向かう途中、セルビア第二の都市ノヴィ・サドに立ち寄りました。小高い丘(要塞)からのドナウ川の眺めが綺麗です。




 
ベオグラード

 夜にはベオグラードに到着。広場を撮影した写真(1枚目と2枚目)には光の反射かもしれませんが、多数のオーブが映り込んでいました。






 セルビアの首都ベオグラードは社会主義時代のユーゴスラヴィア連邦の首都でもあり、古来、交通の要衝地として発展してきました。市内観光では、社会主義時代の戦車や大砲・ミサイルの展示や、ベオグラード出身のジョコビッチが若かりし頃練習していたとされるテニス・コートのあるベオグラード要塞や、豪奢な内装の聖サヴァ教会をまわりました。
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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ サラエボ

 次に向かったのはボスニア・ヘルツェゴヴィナ。バルカン半島の国々は国境を越える度に検問所でひっかかり、1時間程待たされます。EU統合前ヨーロッパの旅もこれが普通だったのでしょうね。添乗員の話によると、バルカン半島の検問所では袖の下がまかり通るようです。金を渡さず何時間も待たされた経験をしたので、事前に本社に了解を取っていたそうです。

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 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボは第1次世界大戦勃発の導火線となったサラエボ事件が起こった街です。バルカン半島を支配していたオスマン帝国が衰え、民族同士の対立が激化。サラエボを訪れていたオーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたことをきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告。その後、オーストリアが属する三国同盟の国々(オーストリア・ドイツ・オスマン帝国)とセルビアを支援するロシアが属する連合国(ロシア・イギリス・フランス)を巻き込み、ヨーロッパ大戦となりました。

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 サラエボには、カトリック教会、セルビア正教会、イスラム寺院、ユダヤ教の会堂が共に肩を並べて建つ、不思議な光景が広がっています。ヨーロッパなのに、まるで中東を旅しているかのような気分にも浸れる異国情緒たっぷりの町です。
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モスタル
ドブロヴニクに向かう途中、ボスニアの古都モスタルに立ち寄りました。この地にはイスラム系住民とカトリック系住民・セルビア正教信者が共存していますが、内戦で互いの民族が対立、多くの命が失われたそうです。ここでツアー客の一人がスリ被害に遭いました。皆で犯人を追いかけて捕まえ事なきを得たのですが、犯人は10代の女の子二人。言葉が通じなくとも、怒られていることは十分に伝わったようです。土産物屋の店員が言うには、常習犯のようで、後で警察からキツイお説教を受けることになるそうです。
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クロアチア ドブロヴニク

 モスタルを後に、再び海側のクロアチアへ入り、ドブロヴニクへ。今ツアーで一番楽しみにしていた観光スポットです。紺碧の海と、城壁に囲まれた家々のオレンジ色の瓦屋根のコントラストが生み出す美しさから、「アドリア海の真珠」と称されます。
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 ここドブロブニクはジブリ映画「紅の豚」や「魔女の宅急便」のモデルにもなったそうです。中世にはベネチアの中東貿易中継地で、都市国家として繁栄。しかし、1991年ユーゴとの内戦(独立戦争)で徹底的な破壊を受け、一時は「危機遺産」のリストにも載りました。内戦終結後、人々の懸命な修復作業により、昔の景観を取り戻すことが出来ています。が、今でも内戦の銃弾跡が所々に残ってます。
 城壁の上は遊歩道になっており、約1時間かけてぐるりと一回りできます。また、ロープウェイを使って裏手のスルジ山に登れます。山から見下ろすドブロヴニクの街の眺め、最高ですよ。
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モンテネグロ コトル

 翌日はモンテネグロのコトルへ。コトル湾の最奥に位置し、氷河で削られた複雑な海岸線と背後に迫る山々の狭間を活かした城塞港湾都市です。対岸からフェリーでしか渡れません。湾はかなり深いようで、(多分)イタリアからの大型観光船が湾に乗り入れていました。上を見上げると山の稜線に添って城壁が連なり、旧市街には石畳の路地が縦横に走り、中世の建造物や教会、それと数多くの土産物屋が立ち並ぶ世界遺産の街です。
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プドヴァ
アルバニアに向かう途中、プドヴァに立ち寄りました。プドヴァはモンテネグロの観光地であり、古くはローマ帝国時代から続くアドリア海沿岸の古代都市でもあります。



 プドヴァからティラナに向かう途中、ジョコヴィッチが結婚式を挙げた島の横を通りました。島にあるホテルを貸し切って親戚・友人を招待したそうです。

アルバニア ティラナ
 翌日はアルバニアの首都ティラナの市内観光。アルバニアには日本と同じ鎖国の歴史があります。第二次世界大戦後に共産主義国家となり、西側諸国はもとよりユーゴ・ソ連・中国とも徐々に距離を置き、1991年まで鎖国状態だったそうです。また、ヨーロッパ唯一のイスラム国家、そして多くの国民はイタリア語が話せるという、何とも魔訶不思議な国です。
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 共産主義時代の遺物がたくさん残されていました。下の写真は、鎖国時代にソ連を仮想敵国として、攻めこまれても応戦できるよう作られたトーチカ。頑丈すぎて壊すのが大変で、今でも街の至る所に遺されています。見つけられませんでしたが、当時作られた核シェルターも残っているようです。また、公園の入り口らしき所にレーニンやスターリン像が無造作に並べられていました。
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ベラット
 ティラナからオフリドに向かう途中、ベラットに立ち寄りました。千の窓を持つとも呼ばれる美しい景観の世界遺産です。ベラットにはオスマン帝国時代の教会・モスク・城塞などの建造物が残っています。






北マケドニア オフリド
 次に向かったのは北マケドニア。私が旅した時はマケドニア(共和国)でした。マケドニアはもともとギリシャ北部の地名でしたが、1991年国家樹立と共にマケドニアを国名と定めました。それに対し、アレキサンダー大王を生んだマケドニア王国を自国栄光の歴史として誇りに思っているギリシャが猛反発、EU・NATOの加盟を拒み続けてきました。2018年政権交代を機に北マケドニアに国名を変更、ようやくEU・NATO加盟が実現できたそうです。

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 マケドニア観光で訪れたのはオフリド湖。マケドニアとアルバニアの両国にまたがる、約500万年前に形成されたとされるヨーロッパでもっとも古い古代湖のひとつです。湖畔に建つ聖ヨバン・カネヨ教会を始めとするオフリド市街とオフリド湖が、複合世界遺産に登録されています。



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ビトラ

 メテオラに向かう途中、ビトラのヘラクレア遺跡に立ち寄りました。この遺跡は古代ローマ帝国時代にアレキサンダー大王の父親によって開かれた都市の遺構です。この遺構ではモザイクが有名ですが、この時期は砂利で覆われて見られませんでした、残念ショボーン






ギリシャ メテオラ

 翌日は旅の最終目的地ギリシャへ。ギリシャ中部にあるメテオラ修道院群へ立ち寄りました。11世紀ごろ標高600mの断崖絶壁の頂上に修道院を建設(現在は6つの修道院が残っています)、修道士たちが俗世から離れ隠遁していたそうです。この独特な奇岩の風景は、映画「007」やTVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地にもなっています。
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アテネ
 最終日はアテネ市内観光。先ずはアクロポリスの丘に登り、パルテノン神殿やゼウス神殿・ディオニソス劇場を散策。その後、第一回近代オリンピックの会場となったパナシナイコスタジアムやシンタグマ広場周辺で食事やショッピングを楽しみました。

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 ギリシャは地中海クルーズもお勧めと添乗員さんが言ってました。いつか機会が出来たら行ってみたいと思います。
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【トラピックス】2017年マル得トルコ大周遊10日間(11/23~12/2)
 
 GWに北欧に行きましたが6日間の旅と短かったので物足りなく、秋にトルコ周遊を申し込み。トルコは前年に軍事クーデター未遂事件が勃発したので躊躇しましたが、結局トルコ料理と旅の誘惑に負けました。
追記:22/11/13にイスタンブール新市街中心の繁華街で爆破テロが起きました。イスラム国が崩壊しても、こういうリスクがあるのですね。
追記:23/2/6にトルコ南東部で大きな地震が発生。日本からも75人規模の救助隊が派遣されました。繋がりのある串本町でも義援金を募っているそうです。
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 トルコは親日国。1890年に和歌山沖で台風により沈没した「エルトゥールル号」の生存者を串本町の人達が懸命に救助、元気になった乗組員や探し集めた遺品をトルコまで送り返しました。この事故を契機に、多くのトルコ国民が日本という国を知りました。この顛末はトルコの教科書にも載ったそうです。時は流れ1985年、イラクのサダムフセインがイラン上空の飛行機を48時間後に無差別攻撃すると宣言。自国機乗り入れが無かった日本は、取り残された日本人救出の術を失っている中、まだ自国民が取り残されているのにも関わらずトルコ政府が日本の要請に応え、救援機を飛ばしてくれました。駐日トルコ大使は一言「エルトゥールル号の借りを返しただけ」。その後も大地震が起こる度、お互いに緊急救助隊を派遣しあっているそうです。
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 今回はエミレーツ航空を利用しました。ドバイはアジアとヨーロッパの中間地点に位置しているので、アジアからヨーロッパや中東を目指すには便利なハブ空港です。深夜に関空を発ち、早朝にドバイ着、目的地には午後に着くというフライトは意外と体が楽でした。一方で、日本国土の2倍の広さがあるトルコをバスで巡る方がきつかったです(移動距離は2000㎞越え)。

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プルサ

 先ず向かった先はトルコ第四の世界遺産都市プルサ。「清美の泉」のあるウルジャーミィ、ターコイズブルーのタイルが美しいイシュルジャーミィ、コザハンのシルクバザールを見学しました。


















 

ギョルヤズ村

 昼食後、プルサからヨーロッパの美しい村30選に選ばれたギョルヤズ村へ。ウルバト湖に浮かぶ小さな村です。観光地化されてない素朴さが魅力です。







 

キュタフヤ

 翌日、プルサからトルコ最古の都市のひとつキュタフヤへ。キュタフヤは陶磁器造りが盛んです。



 昼食後、パムッカレへ。

 

パムッカレ
 パムッカレはトルコ有数の温泉地で、真っ白な石灰棚にたまった温泉水の池が段々畑よろしく幾重にも連なり空の色を映す、美しい景勝地です。この石灰棚を望む丘の上にヒエラポリスという古代都市遺跡が広がります。ローマ帝国の温泉保養地として繁栄を極めたそうです。しかし、度重なる地震で廃墟となりました。今では劇場・大浴場・神殿・門の一部、それから世にも珍しい遺跡が沈む温泉プールが残るのみです。因みに、中国四川省にも九塞溝という、パムッカレと同じような石灰岩層の棚田があります。
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コンヤ

 パムッカレで一泊後、コンヤへ。紀元前三世紀から続くトルコ第6位の都市です。ここコンヤには多くのモスクや霊廟があります。メヴラーナ博物館とインジェミナーレ博物館を見学しました。






 コンヤでの見学を終え、一路カッパドキアへ。この日は計650㎞の移動でしたびっくり

 

カッパドキア
 カッパドキアはトルコのほぼ中央、アナトリア高原に位置する人気観光スポットです。ここは「ギョレメ国立公園とカッパドキアの奇岩群」として自然遺産と文化遺産の両方を兼ね備えた複合世界遺産に登録されています。
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 この地はシルクロードの終着エリアとして栄え、絨毯やトルコ石の宝飾品や陶磁器、ワインなどの特産品が数多くあり、百万人以上の観光客が訪れるそうです。今回は絨毯工房を見学。ちょっと値が張りましたが、お土産にとリビングと玄関にそれぞれ敷く絨毯を購入しました。

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 下の写真は玄関用です。トルコ人は夏冬で絨毯の裏表をひっくり返して使う人もいるようです。裏は柄が若干薄く、綿が混じっているので夏場には良いそうです。



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 カッパドキアの自然環境は数百万年前の火山の噴火によって造られ、その後の雨風の浸食で不思議な形状の奇岩が出来上がりました。また、今でも岩山をくり抜いて作ったリビングや寝室・倉庫で暮らしている家族もおります。私が泊まったホテルも昔の岩をくり抜いた住居を改装し客室として提供している洞窟ホテルで、入口から部屋へは洞窟を伝って行きました。
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 また、カッパドキアには火山灰を削り取って造られた大規模な地下都市(デリンクユ地下都市やカイマクル地下都市)が眠っております。地下20階・深さ40m程度で通気口も完備、貯水槽や食糧倉庫、教会や集会場を備え、ペルシャやアラブ民族が侵攻してきた際に十万人もの人々が避難したと言われていますが、未だ全容が解明されていません。
 一方、近郊のギョレメには修道院生活の中心を成してきた岩窟教会群が屋外博物館として公開されております。多くの教会の壁や天井には、今でもビザンティン芸術のフレスコ画が遺されています。
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カマン・カレホユック遺跡
 カッパドキアからイスタンブールに戻る途中で、カマン・カレホユック遺跡に立ち寄りました。この遺跡で発掘調査を主導する大村幸弘氏が世界最古の鉄器を発見し、鉄の歴史年表を再編纂しています(バス社内で、発掘を続けている様子がNHKビデオで紹介されていました)。自分が学生の時は「鉄はヒッタイト時代に始まった」と学びましたが、ヒッタイト時代よりも千年前の地層から鉄が発見されたそうです。
 その地を訪れて驚いたことに、日本がODAを使って、カマン・カレホユック考古学博物館(遺丘をモチーフに美術館を丘の中に埋め込んでます。日本でデザイン賞もとってます。)という1400㎡もある立派な美術館と、それに隣接する三笠宮記念庭園(松や楓、池には錦鯉といった本格的な日本庭園。22000㎡)をこの地に作っています。あたり一面は荒野で、ここを訪れるのはカッパドキアからアンカラ・イスタンブールに帰る観光客と考古学者位なのに。。。

 カッパドキアからイスタンブールは700㎞以上離れているので、途中のアンカラで一泊。



 

イスタンブール

 翌朝イスタンブールに向けて出発。イスタンブールに近づくにつれ、交通渋滞がひどくなり着いたのは昼過ぎでした。ご存じのとおり、イスタンブールは東西文明の接点となっているトルコ最大の都市。約1400万人が暮らしているので、東京都とほぼ同じ人口です。ボスポラス海峡によりアジアサイドとヨーロッパサイドに分けられ、さらにヨーロッパサイドはハリチュ湾で新市街と旧市街に分けられています。旧市街にはコンスタンティノープルの城壁に囲まれた歴史地区があり、数々の世界遺産や観光スポットが点在しています。
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 イスタンブールで有名な世界遺産は、ブルー・モスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿の3つ。市内観光でそれぞれ訪れました。
 その一つ、「オスマン建築の傑作」「世界一美しいモスク」と呼ばれるブルー・モスクは17世紀に建てられた巨大なイスラム寺院です。内部に青い花柄のイズニック・タイルが何万枚と貼られ、また多数のステンドグラスから取り込まれる光で建物内部がほんのり青み掛かって見えるので、通称のブルー・モスクが定着したそうです(正式名はスルタンアフメット・ジャミィ)。モスク内部は奇麗なトルコ絨毯が敷き詰められており、土足厳禁。ここは現役のモスクなので、多くの信者が真剣にお祈りしていました。
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 アヤソフィアは4世紀ごろの東ローマ帝国時代にコンスタンティヌス1世が建てたキリスト教の聖堂です。しかし、15世紀にオスマントルコがこの地を征服、この聖堂はイスラム教のモスクとして改造されてしまいました。20世紀にケマルパシャがトルコ共和国を設立した後は、建物を博物館として利用。このような歴史的変遷を経た結果、キリスト教聖堂とイスラム教モスクの特徴を兼ね備えた珍しい建築物となったのです。修復の最中、漆喰で塗りつぶされた壁の下からモザイク画が次々と出現、これらモザイク画はビザンティン美術の最高傑作と評価されております。オスマントルコのスルタンの、優れた芸術に対する敬意の思いが宗教の枠を超えてこのモザイク画を残させたのでしょうか?
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 トプカプ宮殿はオスマン帝国の歴代皇帝が居城とした宮殿です。敷地面積は70万㎡(甲子園球場の2倍近い広さ)で、こちらも博物館として利用されています。庭園でチューリップ栽培が盛んだったため、「チューリップの宮殿」という愛称でも親しまれています。チューリップはオランダが原産国のイメージが強いですが、実はトルコからオランダに持ち込まれ、やがて世界各国へ輸出されるようになったそうです。
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 そして、イスタンブールで有名な観光スポットは中東最大級の屋内市場グランドバザール。自由時間を使って入ってみました。メインロードの左右には網の目の様な横道が走っており、横道に入る時は直ぐ振り向き、メインロードの風景を目に焼き付けておかないと迷子になりそうな場所です。メインロード沿いには貴金属店、横道には土産物屋や服飾店等々、数千もの店がひしめき合い、色とりどりの商品が所狭しと並べられています。同じ商品でも店によって値段が微妙に違うし価格交渉もOKなので、陽気な店員とやりあうことも楽しいですよ。
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正直トルコ料理は口に合いませんでした。やっぱり、中華がいいです。
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【トラピックス】2017年春の北欧3カ国街あるき6日間(5/5~5/10)
 
今回は列車と大型客船を使っての北欧3国巡りを紹介します。

 

2017年 デンマーク・スウェーデン・フィンランド
 
 GWを使って春の北欧巡りに行ってきました。航空会社はそのころ嵌っていたルフトハンザ航空、機内ではヴァルシュタイナーでプロースト生ビールフランクフルト経由でデンマークへ。
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デンマーク コペンハーゲン
 先ずはデンマークの首都コペンハーゲンで市内観光。最初に訪れたのはアンデルセン童話で有名な人魚姫像です。陸近くの岩礁の上にポツンとひとり佇む人魚姫。他には何もありません。さすが世界三大がっかり名所(ブリュッセルの小便小僧、シンガポールのマーライオンとここ)に選出される観光スポットでした。因みに、絵本と違い、人魚姫には足が生えています。
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 次に向かった「冬の王宮」と呼ばれるアマリエンポー宮殿。衛兵の交代式が見られました。衛兵の被っている大きな帽子は熊の毛で作られているそうで、とても暖かそうです。






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 そして、宮殿近くにはアンデルセンが住んでいた(3枚目の写真)ニューハウン地区があります。色鉛筆のようなカラフルで可愛いカフェやお店が並ぶ、まるで絵本の様な人気の場所です。
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スウェーデン ストックホルム
 市内観光も早々に国境に移動、スウェーデンのストックホルム行きの列車に乗り込みました。直行列車が2時間おきに出ており、所要時間は6時間程度です。最初に目に飛び込んできたのはオアスン海峡大橋。全長16㎞と、ほぼ東京湾アクアラインのイメージです。ここがデンマークとスウェーデンの国境になります。海上には多数の風力発電プロペラが回っていました。
 大橋を渡りスウェーデンの都市部を抜けると、車窓から見えるのは、林と、湖と、時たま現れる閑散とした駅。まるで「世界の車窓から」をリアルで見ている状態でした(YouTubeで調べたら、冬のこの路線のシリーズがありました)。
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 到着の夜8時過ぎは、日本で言う夕方5時くらいの明るさ。北極圏が白夜に向かっている時期なので、日の入りはホテルに着いた9時過ぎだったと記憶しています。
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 翌日はストックホルム市内観光。ここストックホルムは大小14の島の集合体なので、どこへいっても美しい水辺の景観を楽しめます。最初に訪れたのはストックホルム市庁舎。ノーベル賞晩餐会が催される場所として有名です。
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 次に向かったのはガムラスタン。中世の街並みが残り、土産物屋・雑貨屋・ギャラリーが軒を連ねています。
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 ここガムラスタンの一角にノーベル賞博物館があります。館内のカフェでは晩餐会に出されたアイスがいただけます。前年に大隅教授がノーベル医学賞を受賞されてますので、彼の写真が格好良く掲示されていました。一方、お騒がせのボブ・ディランは、街で見かける似顔絵屋さんが書いたよう(笑)。これって当てつけですかね?
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フィンランド  ヘルシンキ

 市内観光終え、次なる目的地フィンランドのヘルシンキへ向かう大型客船に乗り込みました。一泊二日のバルト海クルーズです。バルト海には主要な都市を1~2日で結ぶ大型客船が多数走っています。
 私の乗った船は収容人数が3000人位で、さながら海上を移動する(ビジネス)ホテルといったところです。いずれもカジュアルな船なのでドレスコードは不要です。
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 乗船してまず目に入るのが吹き抜けのプロムナード。端から端まで土産物屋・ブティック・雑貨屋・カフェが並び、2階以上の客室の出窓からは子供たちが顔を覗かせます。クルーズ船内は全て免税。
 地下に降りると酒売り場で、多くの人がビールやワインを大量に購入していました。ここスウェーデンでは、酒は専売でかつ酒屋の数・営業時間も限られており、スーパーで買えるのはアルコール度数の低いビールだけのようです。
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 エレベーターで12階に上がった屋上デッキ(海上40~50mくらい)にはたくさんの椅子が配置されており、ビール片手にゆったりと進みながら通り過ぎる無人島を眺めながら、のんびり時間を過ごしました。バルト海に太陽が沈むころはとてもきれいです。
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 翌日10時頃にヘルシンキに到着。下船してバスに乗り込み、市内観光。岩山をくり抜いて作られたおしゃれなテンペリアウキオ教会・青空に映える白壁の美しいヘルシンキ大聖堂・北欧最大のロシア正教会ウスペンスキー寺院といった観光名所を巡りました。
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 途中、海沿いにサウナが付いた観覧車を発見。さすがサウナ発祥の地フィンランド。因みに入浴時間は1時間だそうです。
  
 午後は妻の買い物に付き合い、マリメッコ本社横に併設されたマリメッコアウトレットショップへ。キッチングッズ・バッグ・傘・婦人服・子供服・テーブルクロス、etc.を20~70%オフで爆買いしました(更には店で15%前後の免税も受けられます)。さすがに日本ではこの値段で買えません。このために日本から空のスーツケースを1つ持ってきました。マリメッコを買い求めるためにツアー参加している女子もいて、行く先々で、日本では見かけないマリメッコグッズを買い漁っていました。
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 5月の北欧は春と言うより冬の終わりですかね。最終日に雪が降りました。

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【番外編】2016年 鳴門市大塚国際美術館

 

 各国の美術館に行かなくても名画が鑑賞できる美術館が日本にあります。その名は大塚国際美術館。神戸淡路鳴門自動車道鳴門北ICの近くです。大塚製薬が創業75周年事業として 1998年に陶板名画の美術館を開館しました。その数1,000点余り。ゆっくり回ると半日はかかります。

 展示されている作品は、グループ会社大塚オーミ陶業が開発した特殊技術によって、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたもの。その陶板は絵の具の盛り上がり具合まで再現されており、触れて確かめることもできます。徳島出身の米津玄師が2018年の第69回NHK紅白歌合戦に中継出演した際の舞台にもなったのでも有名ですね。

 では、展示されている名画を一部紹介します。

 

 先ずは、「最後の審判」。イタリア・ローマにあるバチカン市国のシスティーナ礼拝堂天井に描かれた作品です。これを60歳のミケランジェロが一人で描いたとは驚きです。一方で、礼拝堂の天井や壁の継ぎ目・天井の三次元曲面を陶板で再現した、大塚オーミ陶業の技術にも驚きです。バチカン市国のシスティーナ礼拝堂はいつでも大勢の観光客でごった返ししてるので、こちらでじっくり鑑賞するのもいいのでは。因みにバチカン市国のシスティーナ礼拝堂は撮影禁止だったのでうれしい一枚になりました。

 

 

 次に紹介するのは「最後の晩餐」、ご存じレオナルドダヴィンチの作品です。イタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂に描かれた壁画です。2006年に訪問した時は人間の吐く二酸化炭素による劣化を防ぐため、一回の入場者を50人/30分程度に制限していました。光の加減でしょうか、教会で見た壁画はこの陶板より若干薄い色彩だった印象です。


 レオナルドダヴィンチの作品を続けます。これは世界で最も人気のある絵画「モナリザ」。説明不要ですね。

 

 

 この作品は「聖アンナと聖母子」。ダヴィンチはこの作品を生涯死ぬまで手元に置き、加筆を続けたといわれてます。モナリザ同様、ルーブル美術館に所蔵されています。

 

 

 この作品は「受胎告知」。ウフィツィ美術館に所蔵されています。大天使ガブリエルがマリアにイエスキリストの受胎を告知しにきたシーンを描写したものです。この作品はダヴィンチの師であるアンドレア・デル・ヴェッキオとの共作と言われています。

 

 

 この絵はスペイン・トレドにあるサント・トメ教会所蔵のエル・グレコの最高傑作「オルガス伯の埋葬」。この絵と、その下のベラスケス作の「ラス・メニーナス」、ルーベンスが描いた祭壇画「キリストの降架」が、ヨーロッパ3大巨大絵と言われています。

 

 

 この絵はスペイン・マドリッドのプラド美術館にあるベラスケス作の「ラス・メニーナス」。ベラスケス自身もこの絵の左端に描かれています。

 

 

 この絵はゴヤによって描かれた「着衣のマハ」、同じくプラド美術館所蔵です。下の「裸のマハ」を依頼された際にカモフラージュのために描いたとされています。

 

 

 

 続いてはボッティチェリの作品。先ずは「ヴィーナスの誕生」。女神ヴィーナスが海より出現するギリシャ神話の一節が描かれており、それまでの古典的なリアリズムとは異なる様式でヴィーナスの美しさを象徴している作品といわれています。

 これは「プリマヴェーラ」。日本ではイタリア語からの訳語「春」「春の春」などと呼ばれています。これら二つの作品はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。

 

 

 この作品はピカソの「ゲルニカ」。マドリード三大美術館の一つ「ソフィア王妃芸術センター」に展示されています。想像以上に巨大な作品で、下の写真は隣の部屋越しから撮影しました。

 

 

 

 これはクリムトの「接吻」。この絵はクリムト自身と恋人がモデルと言われています。この作品はウィーンのベルヴェデーレ宮殿内の美術館が所蔵、この美術館はクリムト最大のコレクション数(20点程)を誇っています。

 

 

 

 

 

 これはゴッホの自画像。自ら命を絶つ37歳までにこの様な自画像を16点描いています。

 

 

 

 これはフランス革命を主題にドラクロアが描いた「民衆を導く自由の女神」。歴史教科書のフランス革命記述にはこの絵が出ていましたね。ルーブル美術館にあります。自分が思っていた以上に大きな絵でした。

 

 これは、スーラの描いた点描画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」。シカゴ美術館に展示されています。

 

 これはブリューゲルの描いた「バベルの塔」。ウィーンの美術史美術館が所蔵しています。ツアーの自由時間に訪問しようとしましたが、休館日ショボーン海外旅行では事前チェックが大切と痛感しました。

 

 これはダリの作品「ゆで豆でやわらかく造る(内戦の予感)」。スペイン出身のダリは1936年のスペイン内戦を感じていたのでしょう。

 

 この作品はシャガールの「イカルスの墜落」。ギリシャ神話をシャガールの解釈で描いています。

 

 これはルノアールの「舟遊びの人々の昼食」。2000ピースのジグソーパズルを持ってますが、難しすぎて未だ完成していません。

 

 これは彫刻が本業のミケランジェロが描いた「聖家族」。ウフィツィ美術館にあります。

 

 その他数多くの有名な作品が展示されています。美術館巡りが好きな方には絶対お勧めな場所です!!!