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【トラピックス】2016年新・中欧ゴールデンゲート5カ国周遊9日間(9/24~10/2)
 
 9月夏休みを使って中央ヨーロッパ(オーストリア・ハンガリー・ドイツ・スロバキア・チェコ)を訪れました。ANAで伊丹~羽田へ、羽田からルフトハンザ航空を使ってミュンヘンへ。先ず向かったのはドイツ国境に近いオーストリアのザルツブルグ。
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オーストリア ザルツブルグ
 ここザルツブルグには映画「サウンドオブミュージック」のロケ地となったミラベル宮殿があります。噴水や綺麗な花が咲き誇る庭園を持つ素晴らしい宮殿です。朝いちの観光だったので、ツアー客以外誰もおらずのんびりと散策できました。宮殿から見えるミラベル庭園とその先に構えるホーエンザルツブルク城は何とも素敵な組み合わせでした。
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 ザルツブルグはモーツアルト生誕の地。庭園近くにはモーツアルトの名を冠したザルツブルグ・モーツァルテウム大学(カラヤンの出身校)の建屋が見えます。庭園入口門付近では、大道芸人がバイオリン片手にドレミの歌を奏でていました。旧市街を歩くと、黄色い建物のモーツアルト生家が目を引きます。生家の中はモーツアルト博物館になっているようです。
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ハルシュタット
 ウィーンに向かう途中、ハルシュタットに立ち寄りました。美しい山と湖に囲まれた標高の高い町で、古くから王侯貴族の避暑地として愛されてきました。日本で言えば、日光の中禅寺湖畔のイメージです。また、ハルシュタット塩鉱は世界最古の岩塩鉱で、世界遺産に指定されています。

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ウィーン

 ウィーンは、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の支配者となったハプスブルク家ゆかりの地であり、今なお芸術を学ぶ留学生を集める「芸術の都」。そして、ホーフブルグ宮殿・シュテファン大聖堂等、歴史を感じるバロック様式の荘厳な建築物が軒を連ねます。
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 その代表格と言えば、シェーンブルン宮殿ですね。女帝マリア・テレジア(マリー・アントアネットの母親)によって、現在の姿に改築されたそうです。黄色い豪華な建物と、その裏手に広がる、色鮮やかな植物で彩られた広大な庭園に圧倒されます。写真のように、入口の門から建物にたどり着くだけでも結構歩かされます。当時のハプスブルク家の富と権力を象徴している宮殿です。
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 夜には宮殿の一角で催される宮殿コンサートを鑑賞(ドレスコード不要です)。大変エレガントな催しなのですが、自分も含め大半のツアー客は時差ボケピークで爆睡でした。
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 次に訪れたのはバロック建築の傑作であるベルヴェデーレ宮殿。ナポレオン失脚後のウィーン会議では、ここが華やかな饗宴の場になりました。余談ですが、日本食研CMに出てくる宮殿のような工場はベルヴェデーレ宮殿をモデルにしているそうです。また、ここのギャラリーにはクリムトの作品が数多く展示されています。特に有名なのが「接吻」。絵画横にはスーツ姿のセキュリティが睨みを利かせていました(当然撮影不可)。
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 ここでも小学校低学年位の子供たちが座りながらお絵かきに夢中になっていました。どうやら、ヨーロッパの小学校の社会科見学(お絵かき)はこのスタイルが一般的なようです。


 「ウィーンはチョコレートケーキの王様ザッハトルテの発祥の地、食べてみたい。」と妻が言うので店を探しました。ザッハトルテで有名な老舗は2軒あります。ホテルザッハーとデメル(洋菓子店、阪急うめだにも入っています)。今回はオペラ座裏手にあるホテルザッハーでいただきました。正直な感想、チョコレートコーティングの苦みがきつく、中のアプリコットジャムが甘ったるいので、しいて言えばデメルがいいかな。ひょっとしたら、日本で食べられるデメルのザッハトルテは日本人好みに味を変えているのかもしれません。
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ハンガリー ブタペスト

 翌日向かったのはハンガリーのブタペスト。くさり橋、王宮、漁夫の砦、マーチャーシュ教会といった観光スポットを巡った後、地下鉄に乗車しました。ここは世界で3番目に古いもので、唯一世界遺産に登録された地下鉄です。天井の低いレトロなホームと年季の入った車体の電車。開業当時からあまりいじっていなさそうです。

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 日が沈むと、このツアーで一番楽しみにしていたドナウ川ナイトクルーズ。漆黒の闇の中、川沿いの国会議事堂や王宮、くさり橋がライトアップされ、川面に落ちる光がキラキラと反射、それはもう幻想的な美しさです。そして、クルーズ船に流れるのはJ・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」。さすが「ドナウの真珠」と称えられるブタペストでの№1観光です。
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 しかし、夜の川の上は9月なのに冬のような寒さ。薄手のダウンだけで船上1時間に耐え切れず、1階ラウンジでホットワイン片手に暖を取りました。
 
 また、ここブタペストは温泉王国。国内外からも多くの湯治客が訪れるそうです。私も水着着用でホテルのスパを利用しました。湯温は37~39度の3種類。が、温泉というより、源泉かけ流しの温水プールといったところです。やはり42度以上の熱い湯じゃないと温泉に入った気がしません。

 

スロバキア ブラチスラバ

 翌日向かったのはスロバキアのブラチスラバ。93年にチェコとの連邦を解消し独立した国ですが、特筆すべき観光資源のない「素朴な国」でした。とはういものの、小高い丘の上に建つブラチスラバ城から、ゆったりと流れるドナウ川と中世の趣を色濃く残した街並みを見下ろすと、「中央ヨーロッパに来ているな」という感慨に耽ります。
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ドイツ ドレスデン

 次に訪れたのは、エルベ川沿いに広がるドイツきっての古都ドレスデン。バロック様式の歴史建造物群の美しさから、文豪ゲーテが「エルベのフィレンツェ」と称えたそうです。そういえば、先日の「旅サラダ」の海外の旅コーナーで、この街が取り上げられていましたね。



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 この街は2004年に世界遺産に登録されたものの、社会問題となっていた中心地の交通渋滞を解消するため、2007年近代的な橋を住民投票で建設したために「景観を損ねる」という理由で世界遺産登録が抹消されました。世界遺産に認定されるためには何かしらの犠牲もあると気づかされた出来事です。とはいうものの、ドレスデンの美しい街並みは変わりなく、今でも多くの観光客を迎えています。
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 余談ですが、ここドレスデンはクリスマス・シーズンにパン屋や洋菓子店でよく見かけるシュトーレン発祥の地。9月末時点で、もうすでに店の棚いっぱいに並んでいました。3か月も日持ちするので、お土産にゲット。
 

ドイツ マイセン

 プラハに向かう途中、マイセンに立ち寄りました。皆さんご存じの高級陶磁器の街です。陶器工房には陶器博物館・レストランが併設されています。マイセンの食器に囲まれたおしゃれなランチになりました。建屋の中にはアウトレットショップもあり、日本ではなかなかお目にかかれない「柄なしプレート」を格安でゲット、パン皿として普段使いしています。

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チェコ プラハ

 翌日はプラハ観光。プラハ城は城というより宮殿の佇まいです。朝一の衛兵交代式を狙って入場しました。プラハ城にある聖ヴィート教会は塔の高さが96m!誰もが見上げるこの教会は荘厳なゴシック様式の建物で、アルフォンス・ミュシャ(アールヌーボーを代表するチェコ出身の画家、堺市にミュシャを専門に扱う美術館があります)が手掛けたステンドグラスが有名です。
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 プラハ城から降りて向かったのはカレル橋。モルダウ川にかかるプラハ最古の橋です。橋の欄干には30体あまりの聖人像が祭られており、橋自体が美術館のようです。特に、「触ると幸せになれる」と言われる像の台座は触られすぎて黄金色になっていました。
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 余談ですが、チェコは国民一人当たりのビール消費量が世界一の国です。私が入った店では大ジョッキ1杯300円、エビアンが400円だったから水より安い!「とにかく安くておいしい。」これが世界一大量にビールを飲んでいる理由でしょう。昼間から大勢の地元民がビール片手に大声で談笑していました。味はホップの効いたコクのあるタイプが多かったように記憶しています。因みに、隣国のスロバキアはもっと安かった!








 午後には近郊のチェスキークルムロフへ。城から見下ろす街並みは美しく保存されており、町全体が中世から時が止まった印象を受けます。この美しい景観を目当てに、夜まで観光客で溢れかえっていました。
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ドイツ ミュンヘン
 最終日、帰途に就くためミュンヘンに戻ると、オクトーバーフェストの真っ只中。市内散策を早々に切り上げ、酒好きのツアー同行者とビアホールへ直行。ドイツビールを鱈腹いただきました。プロ―スト生ビール
 ドイツは言わずと知れたビール大国。日本でもオクトーバーフェストが開催されていますので皆さんもよくご存じのことと思います。ドイツには「ビール純粋令(原料には大麦・ホップ・水しか使えない!)」なるルールがあり、今でもそのルールを守っている醸造家がいるようです。
 ビールは発酵の仕方(上面発酵・下面発酵)や色(白ビール・黒ビール・日本のビールと同じ色のビール)、酸味の強い味わいやフルーティーなものなど様々。リカーショップで自分の好みのビールを見つけるのも楽しいですね。
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 オーストリアを中心に巡る中央ヨーロッパは予想以上に良い旅でした爆  笑


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【トラピックス】2016年オランダ・ベルギー芸術紀行6日間(2/13~2/18)
 
今回は、オランダ・ベルギーの美術館巡りをご紹介します。

 

 たまたま、「オランダにある数々の名画を鑑賞する」ツアーを見つけ、年休消化を兼ねオランダ・ベルギーに行きました。ヨーロッパの2月は寒いですが、旅行代も底値になるし、美術館巡りなら寒さの問題もほぼ無いです。航空会社はもちろんKLM、機内食にはHeineken。
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ベルギー ブリュッセル

 先ず立ち寄ったのは、ベルギーの首都ブリュッセル。EU本部があることで有名な街です。実は、私が訪れた1ケ月後にブリュッセル連続爆破テロが発生。前年4月に行ったパリでも半年後にパリ同時多発テロと、当時はイスラム国のテロリスクを抱えながらの旅でした。
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 ブリュッセルには世界で最も美しい広場の一つと言われる広場「グランプラス」があります。この広場を取り囲む建物は、ギルド(中世ヨーロッパで発達した独占的・排他的な商工業者の同業者組合)により建造されたものです。今でも、それぞれのギルドを象徴する紋章が屋根や壁に刻まれています。
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 また、ここグランプラスには、ゴディバ(親会社はトルコですが)、ノイハウス、ピエール・マルコリーニといった有名な王室御用達や、様々なチョコレート・ショップが軒を連ねています。大阪堂島地下街にあるレオニダスは、この界隈で何店も見かけました。高級チョコの価格は日本の1/3程度。帰ったらバレンタインデーとして配るということで、妻が爆買い。因みに、ベルギー在住の添乗員は「チョコレートは生鮮食品、鮮度が大事」。そう言われ店で食べると美味しい気がしたけど、気のせいかも…
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 グランプラスから横道に入ったところに「小便小僧」の像があります。想像以上に小さな像で拍子抜けです。
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ブリュージュ
 次に向かったのは、ブリュージュ。市街を縦横に走る運河に囲まれた水の古都です。中世の街並みが色濃く残るブリュージュ歴史地区は2000年に世界遺産に登録されております。13~4世紀に交易都市として繁栄したそうで、赤煉瓦の家々を見ると、まるで中世にタイムスリップした錯覚を覚えます。この日は冬の小雨まじりにもかかわらず、多くの観光客で賑わっていました。
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 途中、聖母教会に立ち寄りました。ここにはミケランジェロ作の「ブルッヘの聖母子像(写真4枚目の祭壇中央の彫刻)」が安置されています。この作品はミケランジェロが生涯唯一イタリア国外で制作した作品だそうです。











 ベルギーは食事が美味しい国です。過去、戦乱を逃れるため隣国フランスから料理人達が流入してきたことで、現在の美食文化が築かれたそうです。余談ですが、オランダは隣国ドイツの食文化の影響を受けているそうで、食事はイマイチ。
 ベルギーはまたビールも美味しい。ベルギー各地には、日本の地酒よろしく、地元醸造家たちが造る様々なタイプのビールがあります。アルコール度数、酸味、苦み、香りが異なるフレーバーのビールが数百種類もあるそうで、自分好みの一杯を探すのも一興です。とにかくおいしいので試すことをお勧めします。一方で、シェア世界1ビールメーカーもベルギーに本社があるアンハイザー・ブッシュ・インベブ社です、驚きびっくり








 
アントワープ
 ここから絵画鑑賞のスタート。最初に鑑賞した絵画は、アントワープのノートルダム大聖堂にあるルーベンスが描いた祭壇画「キリストの昇架」「キリストの降架」。特に「キリストの降架」は、ベラスケスの「ラス・メニーナス(プラド美術館)」、エルグレコの「オルガス伯の埋葬(サント・トメ教会)」と並び、ヨーロッパ3大巨大絵の一つに数えられているそうです。
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 この「キリストの降架」は、名作「フランダースの犬」の中で主人公ネロが一度見てみたいと願った絵です。最終話で、この絵の前でネロとパトラッシュが共に力尽き、舞い降りてきた天使たち天国に連れて行かれるシーン、有名ですね。それを記念してか、教会前にはマンホールの様な大きな鉄のモニュメントが地面に埋め込まれていました。
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 3年前、パリのノートルダム大聖堂が火災にあった際、一瞬「祭壇画は無事か」と勘違いしました。ノートルダム大聖堂という名前は聖母マリアに捧げられて付いた名前で、世界各地にあるようです。

 

 オランダへの帰途の途中、キンデルダイクの風車群(世界遺産)に立ち寄りました。川沿いに何基も立ち並んだ姿が絵になります。もともとは粉挽き用の動力として使われていましたが、干拓の排水装置として活用されるようになったそうです。その日はほとんどの風車は動いておらず、川下にある排水施設の揚水ポンプで川水を汲み上げていました。
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ハーグ
 翌日、ハーグのマウリッツハイス美術館に向かいました。ここ、マウリッツハイス美術館にはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や「デルフト眺望」、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」等の有名な絵画が所蔵されています。それほど大きな美術館ではありませんが、開館前の優先入場だったので、誰にも邪魔されずに十二分に鑑賞できました。


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 次に向かったのは、オッテルローにあるクレラーミューラー美術館。この美術館にはゴッホ・ギャラリーが設けられており、20点ほどのゴッホ作品が展示されていました。

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 吉永小百合のシャープCMに使われた「夜のカフェテラス」、ゴッホ最高傑作のひとつ「アルルの跳ね橋」、向日葵シリーズの「4本のひまわり」、糸杉シリーズの「糸杉と星野見える道」など、ゴッホファン憧れの作品に向かい合うことができます。
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 最期に訪れたの、アムステルダム国立美術館。17世紀オランダ絵画が充実している美術館です。こちらにはレンブラントの「夜警」、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」「青衣の女」「恋文」など、鼻が触れそうな距離で見ることができます。ホール奥にドーンと飾ってある「夜警」の前で、小学校低学年くらいの子供達が20人ほど座り込んだり寝ころんだりしながら、先生の話を聞きスケッチしていました。日本の国立美術館でそんな社会科見学をやろうものなら、警備員につまみ出されますね。
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 その後、アムステルダム市内観光。東京駅のモデルになったアムステルダム中央駅を見たり運河クルーズを楽しんだりして、帰途に就きました。







 関空の出国手続きでは麻薬探知犬にスーツケースを嗅がれました。オランダは大麻の入手が容易だからです。

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【トラピックス】2006年まるごとイタリア9日間(2/23~3/3)

 

  大阪在住です。この20年間、阪急交通社(トラピックス)一筋で海外旅行ツアー(ヨーロッパ・アジア)に参加してきました。ツアー内容をお伝えすることで、これからのプランの参考にしてもらいたいです。

 

  当時はアリタリア航空で関空からミラノへの直行便が出ていました。バスとユーロ・スターを使ってミラノ~ベローナ~ベネチア~ピサ~フィレンツェ~ナポリ(&カプリ島)~ポンペイ~ローマまでのイタリア各都市周遊ツアー。


 

ミラノ

 当日は雨模様。ミラノ市内観光でミラノ大聖堂(ドォーモ)・ビットリオエマヌエーレ2世ガリレア・サンタマリアデレグラッツェ教会(「最後の晩餐」鑑賞、当時は撮影不可)を訪れました。ミラノで圧巻だったのはミラノ大聖堂(ドゥオーモ)。400年の歳月をかけて建設、すべての尖塔には様々な彫像が施され、最も高いところには黄金に輝くマリア像がまつられています。建物というより一個の壮大な芸術作品の様相です。

 「最後の晩餐」は、1999年に修復が終えたにもかかわらず、巷でよく見る写真とは違い、全体が薄い色の壁画でした(床から上に見上げるからかも)。教会内では、人間の吐く二酸化炭素による劣化を防ぐため、一回の入場者を50人/15分程度に制限していました。同室の外国人も含め、誰一人とも声を出さず、食い入るように壁画に見入っていたことを記憶しています。残念ながら、当時は撮影不可だったので写真は掲載できてませんショボーン






 

ベローナ

 ベネチアに向かう途中にベローナに立ち寄りました。ベローナはイタリア北部の都市で、中世の旧市街があります。写真の中庭を見下ろすバルコニーがある邸宅がシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台となったジュリエットの邸宅とされています。ここベローナにある古代ローマ時代の巨大な円形競技場や広場を観光しました。

 

ベネチア

 ベネチアのカーニバルは毎年2月ごろ開催されます。当時はカーニバルを見学催行するツアーがほとんどなかったので、イタリアのサイトで開催期間を調べ、その期間にベネチアを訪問するツアー探して申し込みました。訪れたのが確か最終日で、多くの観光客と仮装した人々でごった返していました。近年、ベネチアは気候変動による高潮冠水被害が深刻化しており、いずれ観光できなくなるのではと心配しています。 





 

ピサ

ピサは斜塔で有名です。傾斜を是正する改修工事から数年経っていたので、登ってみました。最上階はビル10階位の高さ(300段程度)なので、出社時階段を利用している方なら楽に登れます。屋上からはピサの街並みが見下ろせます。因みに、通路が狭いため、入場に人数制限があります。


 

フィレンツェ

 フィレンツェは街全体が丸ごと世界遺産。ルネサンス時代の数多くの美術品と建築物が残されています。目玉のウフィツィ美術館にはボッティチェリの「プリマヴェーラ」「ヴィーナスの誕生」や、ダヴィンチの「受胎告知」等々、美術の教科書でお目にかかった数多くの作品が展示されています。一般入場は3時間待ちですが、団体入場&時刻指定なので(それでも)30分程度の待ちで済みました。一日中居ても飽きないスポット、フィレンツェを訪れたら一見の価値ありです。当時のウフィツィ美術館は写真撮影禁止でした。2019年に再訪してますのでそのブログで紹介します。








 

ナポリ(カプリ島)

 フィレンツェからナポリまではユーロスター。皆で乗り込むと添乗員さん席に何故か教会のシスター(お婆ちゃん)がぽつんと着席!「ここは私の席」とチケットを見せても頑として動きません。「どきなさい」「いやだ」の問答を続けてると、近くのおっさんが「年寄りだから譲ってやれ」と横やりを入れる始末。通りかかった車掌に伝え言ってもらっても状況は変わりません。仕方なく空いた席に座りました。添乗員さんが一言「これだからイタリア人は嫌い!!!」ムキー

 ナポリのホテルは設備が古く、ツアー客同士でお湯の争奪戦。私が入った途中でお湯が水に代わり、ブルブル笑い泣き

カプリ島の「青の洞窟」は、冬季で波が高く無理でしたショボーン

 

ポンペイ

 ポンペイはヴェスヴィオ火山の噴火により一夜にして滅んだローマ帝国都市の遺跡です。この遺跡から古代ローマの生活を垣間見ることができます。街の目抜き通りは車道・歩道が区別され、通り沿いに水道が引かれ、公衆浴場やパン屋が立ち並び、街外れには円形闘技場や野外劇場があります。ここに一万人を超える人々が住んでいたと言われております。

 

ローマ 

 ローマでは世界遺産のローマ歴史地区(コロッセオ・トレビの泉・スペイン広場)を観光しました。




 ローマは見どころ満載ですが、特にバチカン市国がお勧め。トム・ハンクス主演の「ダ・ヴィンチ・コード」の続編「天使と悪魔」の舞台となった、ローマ教皇が住まわれるローマカトリック教会の総本山です。バチカン市国は世界最小の独立国で、国自体が世界遺産に登録されています。特に、システィーナ礼拝堂の天井に描かれた「最後の審判(ミケランジェロ作)」が、その巨大さで人々を圧倒します。個人的には、サン・ピエトロ大聖堂右奥に置かれた「ピエタ像(ミケランジェロ作)」が好きです。大理石から掘り出したとは思えない、しなやかさと美しさを持った作品です。




 帰路は空路ローマからミラノで乗り継ぎ関空に向かいました。窓からは冠雪をかぶったアルプスの山々が綺麗に見下ろせました。


 

 やっぱり、イタリア最高です!

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【トラピックス】2015年スペシャルヨーロッパ4カ国周遊9日間(3/28〜4/5)
 
 今回はイースターの時期にバスとユーロスターを乗り継いでヨーロッパのおいしいところ(フランス・スイス・ドイツ・リヒテンシュタイン公国)を巡った弾丸ツアーをご紹介します。
 
 朝に伊丹から成田へ。15時発JALでパリへ向かい、20時前に着きました。
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 成田空港にはフィンエアも駐機していました。いつか乗ってみたいラブ
 JALの機内食は日本人好みの味付けでした。食が進みますナイフとフォーク

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 このバスで4か国周遊です。
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 パリのリヨンからスイスのジュネーブまではユーロスターを使っての移動。
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 ヨーロッパ各地ではイースターの装飾が施されていました。
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パリ ベルサイユ宮殿

 最初に訪れたのは、フランスのパリ。小雨が降りしきる中、パリ南西部にあるベルサイユ宮殿に向かいました。ご存じのとおり、ルイ14世が建造したバロック建築の代表作で、豪華な建物と広大で美しい庭園が有名です。宮殿内の人気の場所が「鏡の間」。長さ75mの長い回廊に大きな窓が連なり、その反対側には鏡が埋め込まれ、そしてクリスタルのシャンデリアが煌く、荘厳できらびやかな空間です。1919年、第一次世界大戦後の連合国とドイツの間で締結された「ベルサイユ条約」も、この「鏡の間」で調印されたそうです。

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 ポルトガルのジェロニモス修道院でも写りこんでましたが、宮殿内ではオーブが飛んでるのが写り込んでました。
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ここにもオーブが映り込んでいました。

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 下の絵はナポレオンの戴冠式ですが、ルーブル美術館にもほぼ同じ絵が所蔵されています。
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オルセー美術館
 午後は自由行動だったので、オルセー美術館を訪れました。翌日が休館日なので、多くの観光客でごった返していました。この建物はもともと鉄道駅兼ホテルだったそうで、その面影が随所に残っています。
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 オルセー美術館は印象派美術の宝庫。日本人が大好きなルノアール・モネ・ミレー・ゴッホ等の印象派画家の作品が数多く展示されています。日本各地で開催されている印象派展を5年分見たような充実感でした。
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 翌日は先ず市内観光。シャンゼリゼ通りを抜けて凱旋門、更にはエッフェル塔を見ながら、ルーブル美術館に行きました。道中、現地添乗員が「シャンゼリゼ通りのマカロン屋の家賃は(多分)2千万/月です」「皇太子殿下が来仏するとこの迎賓館に泊まります」「ダイアナ妃は手前からX本目の柱に激突して亡くなりました」「アラン・ドロン(往年の映画スター)はセーヌ川向かいに見えるマンションの最上階に住んでおります」と、ワイドショー的な案内が面白かったです。
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ルーブル美術館
 世界最大規模、そして世界一の来場者数を誇るルーブル美術館で、最初に出迎えてくれたのはガラスのピラミッド。トム・ハンクス主演の「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台となったルーブルで、マグダラのマリアの墓のありかを示すサインでしたね。
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 館内にはミロのビーナス、サモトラケのニケ(ナイキというブランド名のオリジナルになったことで有名です)、そして数多の絵画・彫刻・宝飾品が展示されています。
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 極めつけは、モナ・リザ。私が行ったときは数百人ほど収容できる大部屋に鎮座していました。時期によっては展示場所や入室人数制限があるようで、事前に確認することをお勧めします。皆がモナ・リザ目当てに押し掛けるので、部屋の入口から写真が撮影できる場所までたどり着くのに一苦労。更に、押し競饅頭状態で撮影するのでブレまくり、やっとの思いで撮れたのがこの1枚です。モナ・リザ目当てなら一日を覚悟、もう一日で他の有名な絵画や彫刻・宝飾品を見た方が良さそうです。
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 下の絵はナポレオンの戴冠式ですが、ヴェルサイユ宮殿にもほぼ同じ絵が所蔵されていました。何人かの人物を違えて描いているようですが、大きすぎて違いがよくわかりません。が、両方とも迫力のある絵です。
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 パリは美食の街で有名ですが、普通のビジネスホテルの朝食でも大変美味しかったです。特に焼きたてのクロアッサンは美味!!!日本の美味しいパン屋と比べても引けを取りません。エスカルゴもおいしかったです。
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モンサンミッシェル
 次に向かったのはモンサンミッシェル。パリから日帰りバスツアーも出ていますが、東京~名古屋位の距離があるので、宿泊した方が楽です。私の場合は日が暮れてからの到着で、ライトアップされたモンサンミッシェルの姿はとても感動的でした。翌日は島内見学。このあたりは潮の流れが速く満ち引きが大きいため、運ばれてくる土砂が堆積しやすいそうで、島が陸続きになるのを防ぐため、ショベルカーとダンプカーで除砂作業を行っていました。大潮時に海に浮かぶモンサンミッシェルの景観が大切なようですね。島入口の門をくぐると、細いメインストリートが上層の修道院まで続きます。道脇にはレストランや土産物店が軒を連ねています。
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 この界隈の名物料理はオムレツ。その昔、歩き疲れた巡礼者に振舞う滋養の高い食材が卵しか無く、提供したオムレツがいつしか名物料理になったそうです。島内は修道院や軍事施設等、石造りの建物が多く地味な感じで、正直感動は薄かったです。やはり、モンサンミッシェルは「島外から眺めるのが一番」。
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スイス ユングフラウヨッホ
 次は一路東に向かい、スイスのアルプスへ。ユーロスターとバスを乗り継ぎグリンデルワルトに。更に、登山鉄道に乗り込みユングフラウヨッホを目指しました。車内はハイジの声でアナウンス、思わず笑ってしまいます。4月のスイスは未だ春が訪れず、車窓の景色は白一色。それはそれで綺麗でしたが。




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 昼食を挟み、2時間ほどでスフィンクス展望台入口に到着。ここは標高3600mとほぼ富士山山頂の高さで、一部のツアー客は頭痛のため観光をギブアップ、ベンチで休んでいました。楽しみにしていたスフィンクス展望台から見下ろすアレッチ氷河は、猛吹雪で視界ゼロ。まるで遭難にあったようで、展望台には1分も居られませんでした。ウィンタースポーツをやらなければ、スイス観光は夏に限ります。



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 因みに、展望台エントランスには郵便局があり、横には昔懐かしい郵便ポストが置かれ、日本に向けてポストカードが送れます(姉妹提携しているそうです)。
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リヒテンシュタイン公国
 スイスからリヒテンシュタイン公国の首都ファドーツに立ち寄りました。この公国は面積18㎢、人口5000人あまりの小さな国です。添乗員さんから説明がなければスイスの一都市と勘違いして通り過ぎてしまう位の国でした。ヨーロッパには他にモナコ公国・ルクセンブルグ大公国・サンマリノ公国が存在します。


 
スイス ザンクトガレン
 ファドーツからフュッセンに向かう途中、ザンクトガレン修道院に立ち寄りました。旧市街はヨーロッパらしい歴史ある建物が立ち並び、中世にタイムスリップしたようです。修道院はバロック建築の傑作と称されるだけあって豪華な装飾が施され息をのむような美しさでした。











ドイツ ノイシュバンシュタイン城
 次は北に向かってドイツのノイシュバンシュタイン城へ。向かう途中もずっと雪でした。




 翌日は一転晴天。青空と雪のコントラストが大変綺麗な観光となりました。ノイシュバンシュタイン城はドイツに現存する城の中で最も美しく、アナハイムのディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルになったと言われています。
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 この城を建てたのはバイエルン王国のルートヴィヒ2世。建築に湯水の如く金を使い、国の財政を悪化させ廃位させられたと伝えられています。写真でよく見る城の姿は、城への登山道とは反対側にあるつり橋(マリエン橋)からの撮影で、超人気撮影スポットだそうです。
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 更には、ノイシュバンシュタイン城からロマンチック街道を北上。途中、ルートヴィヒ2世の父が建てたホーエンシュヴァンガウ城、世界遺産のヴィーツ教会、中世の街並みを残したローテンブルグ、14世紀に創設された大学で有名なハイデルベルクと、400㎞程の街道沿いに観光スポットが点在します。当時は、ロマンチック街道を旅するツアーも催行されており、見どころ満載な地域でした。
 
ホーエンシュヴァンガウ城
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ヴィーツ教会
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ローテンブルグ
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ハイデルベルク

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帰りはフランクフルトから一路成田に向かい、成田から関空に帰りました。



 

 当初想定したとおり、移動の大変な旅でしたが、旅行時間が取り難い方にはお勧めのツアーです。
 訪問ありがとうございます。約40のヨーロッパ諸国を訪ねたブログを載せていますので、他の記事も覗いて見てください!

【トラピックス】2011年情熱のスペイン・悠久のポルトガル10日間(4/12~4/21)
 
 イタリア旅行時の添乗員さんと複数の女性社員から「イタリアの次に行くなら、スペインがいいわよ」と勧められ、休暇を使ってスペイン・ポルトガルを訪れました。
 今回はKLMオランダ航空で関空からアムステルダム経由でバルセロナへ。
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 北部を除くスペイン(バルセロナ~バレンシア~クエンカ~マドリッド~トレド~コルドバ~グラナダ~ミハス~セビージャ)とポルトガル(リスボン~シントラ・ロカ岬)をバスで巡る、走行距離2,400㎞を超える周遊ツアー。国内周遊と違い、都市間の移動に数時間要する日もあり、結構体力が要ります。車窓の景色は、見渡す限りの荒れ地とオリーブ畑、そして小高い丘の上には風力発電のプロペラが広がっていました。
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バルセロナ
 最初に訪れたのは、スペインで最も人気のある芸術の街、バルセロナ。美しい街です。また、ここバルセロナには、グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョ…至る所にガウディの建造物が残っています。









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 特に、着工から100年以上経過しても今なお建設中のサグラダ・ファミリアは、バルセロナいちの人気スポット。旅行の前年、ローマ法王が訪問し、正式な教会として認められたそうです。近年、IT技術の活用(3Dプリンター)と観光収入増→建設資金増加により、2026年(ガウディ没後100年)に完成予定と言われています(が、コロナの影響で遅延気味だそう)。完成するとドイツのケルン大聖堂を抜いてヨーロッパ一の高さの教会になるそうです。
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 教会の外壁は様々な意味を込めた彫刻や装飾で埋め尽くされています(生誕の門にはイエス誕生を祝福、受難の門には十字架にかけられたイエスの苦しみや悲しみを表現)。20年程前、ネスカフェの宣伝に出ていたサグラダ・ファミリア主任彫刻家の外尾悦郎氏の作品も数多見られます(彫像が東洋人の顔になっているので簡単に見つけられますよ)。
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 一方、教会内部はパイプ・オルガンのミサが流れ、色彩豊かなステンドグラスからカラフルな太陽光が差し込み、重厚な外観とは対比的な、色鮮やかで神秘的な空間になっています。上を見上げると天井の高さに圧倒されます。天井は木の幹と枝をイメージした構造で、ガウディ作品には自然物が持つ構造美や曲線美が数多く取り入れられています。残念ですが、この世界遺産の空気感は写真や動画では十分に伝えきれません。完成後の姿は一見の価値ありですよ。私も再訪したいと思います。
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バレンシア

 次に訪れたのは、スペイン第三の都市バレンシア。地中海に面した温暖な気候なので農業が盛んで、パエリア発祥の地でもあります(美味しかったですぅー)。
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 ここバレンシアでは、市場に立ち寄りました。肉・魚介類・米・野菜が豊富に取り揃えられており、また、その一角にバルが併設されており、昼間からビールやサングリア片手にニンニクの効いたタパス料理を楽しむ人達で賑わっていました。因みに、TVでよく取り上げられるスペイン3大祭りの一つ「サン・ホセの火祭り」はすでに終わっていました、残念。
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クエンカ
 バレンシアからクエンカへ。クエンカは、丘の上に築かれた城塞都市。自然と人工物が融合した街で、そこから見下ろす峡谷が大変綺麗です。
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 ここにある国営ホテルで昼食をいただきました。スペインでは、かつての歴代王国の住まいとなった城や宮殿、由緒ある修道院や領主の館など、歴史的に価値の高い建造物を改装して国営ホテル(パラドール)にしています。スペイン国内にパラドールは100ケ所程あり、部屋代宿泊費は1万~5万程度のようです。ご参考まで。


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マドリッド

 クエンカからマドリッドへ。マドリッドは16世紀より続くスペインの首都。ハプスブルグ家・ブルボン家が大航海時代に得た富を背景に、政治・経済・文化の中心地として栄えてきました。
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 マドリッドにはプラド美術館・国立ソフィア王妃芸術センター・ティッセ=ボルネミッサ美術館、等の著名な美術館が軒を連ねます。訪れたプラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションを展示する美術館。エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケス、、、中世の巨匠の絵画が所狭しと並べられていました。じっくり観るとなると1日がかりですね。また、プラド美術館から、はしごができる距離にある国立ソフィア王妃芸術センターは、19世紀末以降の近代ものの作品が中心です。こちらにはピカソの「ゲルニカ」やダリやミロの作品が数多く展示されています。
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トレド
 トレドは、旧市街全体が世界遺産に指定された、マドリッド遷都前の古都です(日本で言うと京都)。
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 ここにあるサント・トメ教会にエル・グレコの最高傑作「オルガス伯の埋葬」が展示されています。エル・グレコの作品は世界中の有名な美術館が所蔵しており、日本では倉敷の大原美術館と他の美術館(どこか忘れました)が各1点ずつ所有していたと思います。予備知識方々、旅行前に大原美術館へ鑑賞に行きました。エル・グレコはギリシャ出身で、名前が「ギリシャの人」という意味だそうです。
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ラマンチャ地方
 トレドから南東に足を延ばせば、ドン・キホーテの風車で有名なラマンチャ地方の風車群が望めます。丘の上は風がビュンビュン吹いていました。
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コルドバ
 コルドバは、メスキータという、モスク(イスラム教)内部に大聖堂(キリスト教)が同居する世界でも珍しい建造物が有名です。
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 もともと、キリスト教徒の地でしたが、イベリア半島に勢力を伸ばしたイスラム教徒がモスクを建立、その後奪還したキリスト教徒がモスク内部に礼拝堂や大聖堂を建立、その後も支配者が交互に入れ替わり、現在に至っております。この建造物は後楽園球場の規模で、2万5千人くらいが収容できるそうです。
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グラナダ
 グラナダには、ギターの曲で名を馳せたスペイン屈指の世界遺産アルハンブラ宮殿があります。宮殿というより小高い丘の上に建つ城塞都市です。イベリア半島最後のイスラム王朝時代の建造物で、レコンキスタ(世界史で習いましたよね。キリスト教徒がイスラム教徒を駆逐しイスラム的文化を払拭する)の嵐の中でもこの宮殿が残ったのは、その文化的価値がキリスト教徒にも認められていたからでしょう。
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 宮殿内は鍾乳石飾りの天井装飾が、また柱や壁には彫刻が施され、そして敷き詰められたタイルは一枚一枚全て職人による手作りだそうです。随所に傾斜を利用した水道が走り、緑も豊かで、熱い南スペインの避暑地としても有用だったのだろうと思いました。
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ミハス

 セビージャに行く途中、ミハスに立ち寄りました。ミハスは、「白い村」として特に女性に人気のある観光地です。山の中腹に白い家が寄り添う村の中には石畳の路地と白壁が続き、洒落た飾り付けの店が多く、散策が楽しくなるスポットでした。ミハスから見下ろす海寄りの邸宅は金持ちのイギリス人別荘が多いそうで、避寒のため所有しているものと思われます。
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セビージャ

 セビージャは、スペイン南部アンダルシア州の州都で、フラメンコの本場として有名な街です。
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  1990年大阪で開催された「国際園芸博(花博)」に続き、1992年にセビージャで万国博覧会が開催されました。今でもその施設の一部が残されています(日本で言うと鶴見緑地公園や花ポートブロッサム)。また、「ナイト&デイ(トム・クルーズとキャメロン・ディアス主演のアクション映画)」の舞台の一つとなった、セビージャの春祭りに遭遇。広場に向かう道路は、大勢の人でごった返ししていました。クライマックスには広場に山鉾のような祭壇が繰り出され、人々がその祭壇を十重二十重と取り囲み、さながら満員電車の様相でした。
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リスボン

 最期に訪れたのがポルトガル首都のリスボン。






 ポルトガルが7つの海を制したと言われる大航海時代。ベレン地区にはその偉業を象徴する「発見のモニュメント」「ベレンの塔」「ジェロニモス修道院」があり、徒歩で回れます。
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 特に世界遺産「ジェロニモス修道院」は圧巻で、どこまでも続く巨大な部屋と広い中庭が印象的で、一角にヴァスコ・ダ・ガマの棺も安置されています。後で気づいたのですが、パイプオルガンの前ではオーブが飛んでいました。
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 ジェロニモス修道院近くに、修道院から受け継がれたレシピで作るエッグタルトの老舗があります。調理が注文に追い付かない人気店のようで、エッグタルトが出来たてで温かく、返ってそれが美味しかったです。
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シントラ

 リスボン市内観光ついでに近郊のシントラも訪れました。


 シントラはリスボンから30㎞ほど西に位置するポルトガル王家の夏の離宮です。シンプルな外観からは想像もつかない、美しい内観でした。
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ロカ岬

 最期に訪れたのはユーラシア大陸最西端のロカ岬。「ここに地終わり、海始まる」というポルトガル詩人の石碑が建ってます。また、ここの観光案内所で「最西端到達証明書」なるものを発行してもらえます。
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 サグラダ・ファミリアが完成したら、再訪したいと思います!
訪問ありがとうございます。約40のヨーロッパ諸国を訪ねたブログを載せていますので、他の記事も覗いて見てください!

【トラピックス】2019年おまかせイタリア大周遊(9/19~9/28)
 
 2006年に一度イタリアを訪れていますが(ブログ掲載してますので良かったら覗いてみてください)、ベネチアのカーニバルに合わせの2月訪問だったので、今回は9月夏休みに行くことにしました。更に、前回行けてない南イタリア(アルベロベッロ・マテーラ・アマルフィ・青の洞窟)も楽しみです。
 先ずはエミレーツ航空で関空からドバイ経由でミラノへ。



 

ミラノ
 最初に訪れたのはミラノ。市内観光でミラノ大聖堂、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り、スカラ座、スフォルツェスコ城を見学。

 前回は冬の小雨交じりで補修中だったのですが、今回は晴れ渡った青空の元、ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)が見られました。相変わらず圧巻な建物ですね。

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  ドゥオーモの左手にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りが十字の形でスカラ座に向かって延びています。この通りはガラス・アーチと鉄製の屋根に覆われ、現在のショッピング・アーケードの原型とも言われています。
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夕方、ベネチア近郊のホテルに移動。

ベネチア
 前回はゴンドラ乗船が日暮れ時になってしまい、暗闇の中を遊覧する悲しい状況でした。今回は晴天、ベネチア本島に向かう船の中でも心ウキウキでした。


 本島上陸後に向かったのはサンマルコ寺院とその広場。寺院内部は撮影禁止なので紹介できませんが、黄金のモザイク画で一面覆われ煌びやか。また、パラ・ドーロと呼ばれる祭壇画には金や宝石がちりばめられてます。当時の繁栄ぶりが伺えます。
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 続いてゴンドラ遊覧。やはり遊覧は昼間に限ります!



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 昼食後、一路フィレンツェへ。フィレンツェで宿泊。

 

フィレンツェ

 この日は朝から雨。ミケランジェロ広場から見下ろす朝靄に煙るフィレンツェの街並みは格別です。フィレンツェは街全体が丸ごと世界遺産。ルネサンス時代の数多くの美術品と建築物で溢れています。
 ミケランジェロ広場に置かれているダビデ像(ミケランジェロ作)はレプリカですが、ダビデ像は体に比べ頭部が大きく作られています。これは下から見上げられることを想定して作られているそうです。
 旧市街に入り、ドゥオーモ・ベッキオ宮殿・サンジョバンニ洗礼堂・シニョーリア広場・ベッキオ橋を見学しました。

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 目玉のウフィツィ美術館にはボッティチェリの「プリマヴェーラ」「ヴィーナスの誕生」や、ダヴィンチの「受胎告知」等々、美術の教科書でお目にかかった数多くの作品が展示されています。前回訪問した2006年は撮影禁止でしたが、イタリア首相が代わった2014年から撮影OKになったそうです。


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ピサ
 ピサは斜塔が有名。最上階はビル10階位の高さ(300段程度)なので、普段から歩いている方なら楽に登れます。屋上からはピサの街並みが見下ろせます。因みに、通路が狭いため、入場には人数制限があります。


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ローマ

 翌日フィレンツェから一路ローマへ。昼前に着きました。ローマ市内のバス観光の後、バチカン市国に入りました。
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 バチカン市国はローマ教皇が住まわれるローマカトリック教会の総本山、世界最小の独立国で、国自体が世界遺産に登録されています。その中にはサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館があり、16~17世紀にミケランジェロがこれらの再建に携わっていたそうです。システィーナ礼拝堂の天井に描かれた「最後の審判(撮影禁止)」や大聖堂に安置された「ピエタ像」など、ミケランジェロの傑作が鑑賞できます。


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 因みに、バチカン市国の警護はスイス人の傭兵(軍人ではありません、応募採用のようです。)が担っています。
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ポンペイ

 翌日、一路ポンペイへ。ポンペイはヴェスヴィオ火山の噴火により一夜にして滅んだローマ帝国都市の遺跡です。この遺跡から古代ローマの生活を垣間見ることができます。街の目抜き通りは車道・歩道が区別され、通り沿いに水道が引かれ、公衆浴場やパン屋が立ち並び、街外れには円形闘技場や野外劇場がありました。ここに一万人を超える人々が住んでいたと言われてます。
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アルベロベッロ
 ポンペイから向かった先はアルベロベッロ。アルベロベッロは絵本に出てきそうな尖り屋根の街です。街の中心部は夜にはライトアップや電飾を使って飾り付け、とても幻想的でした。このツアーでは街に住んでいる日本人の方が商売方々家に招き入れてくれ、内部の部屋の様子を見せてくれました。他都市も同様ですが、世界遺産の住人はその街並みを壊さないよう、とても大切にしていますね。
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マテーラ
  昼食後、マテーラへ移動。「サッシ」と呼ばれる洞窟住居群が3~4,000、何層にも重なって渓谷を埋め尽くす壮観な景色が広がっています。8世紀以降、イスラムからの迫害を逃れたキリスト教徒が洞窟内に教会や住居を造り、その後地中海交易で繁栄した街です。今は洞窟に誰も住んでおらず、周りの住居に住んでいます。
 また、マテーラではダリの彫刻作品があちこちに青空展示されていました。
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 その後、ナポリへ移動。ナポリ市内観光後、郊外で一泊。
 
ナポリ カプリ島
 翌日、ナポリ港からカプリ島へ船で移動。船を乗り換えて青の洞窟に向かいました。

 前回は2月、冬の波は高く無理でしたが、今回は夏なので期待大アップところがカプリ島に到着した時点で「9月もほとんど入れてない」事実が判明びっくり船は洞窟入り口でUターンしましたえーんカプリ島の人曰く、「入るなら6~7月、だけど世界中からの観光客でごった返しているよ」。もう、ここは諦めます。クロアチアや新潟佐渡島に同じような洞窟があるとの噂を聞きました。
 この穴の奥が青の洞窟です。
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 カプリ島で昼食後、船でソレントへ、更にバスでアマルフィへ向かいました。




 
アマルフィ
 アマルフィは「リプトン・リモーネ」のCMや織田裕二主演の「アマルフィ」で有名な町です。小さな町で、風光明媚な景色を除けば、これといった特徴はありません。ただ、海岸沿いにホテルが点在、そこで2~3日のんびり過ごせたら心が洗われるでしょうね(そういう土地は日本にもたくさんありますけど…)。
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 今回2度目のイタリア訪問でしたが、見どころ満載だし食事も美味しいし、さすがヨーロッパ人気№1の国です。楽しかったです。

訪問ありがとうございます。約40のヨーロッパ諸国を訪ねたブログを載せていますので、他の記事も覗いて見てください!

【トラピックス】2018年 バルト三国とワルシャワ・サンクトペテルブルク9日間(4/21~4/29)
 
今回は東ヨーロッパのポーランド・バルト三国とロシア(サンクトペテルブルグ)を紹介します。
 
2018年 ポーランド・リトアニア・ラトビア・エストニア・ロシア(サンクトペテルブルク)
 近年観光地として脚光を浴び始めたバルト3国と、一度は訪れてみたいエルミタージュ美術館を訪ねるツアーにGWを使って参加。前年の北欧巡りで使えなかったフィン・エアーに乗れました。機体にはウニッコのペイント、機内に入るとブランケットや食器雑貨類もマリメッコ、妻のテンション上がりまくりです。ヘルシンキ経由でワルシャワへ。

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ポーランド ワルシャワ
 ワルシャワでは、ポーランドが生んだ偉大な作曲家ショパンに纏わるスポットを巡りました。大きなショパン像が置かれているワジェンキ公園。写真は「柳の木の下で物思いに耽るショパンの姿」と説明を受けました。どう見ても台風に煽られて木にしがみついているようにしか見えませんけど。。。毎週日曜この公園の野外音楽堂でショパン・コンサートが開かれるそうです。
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 次に訪れたのは聖十字架教会。ショパンがフランスで亡くなる際、「ハートは祖国に帰して欲しい」との遺言を残し、姉が心臓を持ち帰り、この教会の柱に収めたそうです。入口左手にはポーランド出身の故ヨハネパウロ二世(ローマ法王)のフレスコ像も飾られていました。


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 教会から旧市街地広場に向かう途中、マラソン大会に遭遇。ヨーロッパではベルリンマラソンが有名ですが、ここワルシャワマラソンもそこそこ人気があるそうで、車椅子マラソンを先頭に、ガチンコランナー、一般ランナーの順で多くの人が旧市街を駆け抜けていきました。
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 続いて市街地散策。写真のような旧市街地はヨーロッパ至る所にありますが、ここは復興の歴史が刻まれています。第二次世界大戦下、ドイツナチスが文化的価値の高い建造物を中心に攻撃、大半の市街地が瓦礫と化してしまったそうです。戦後、旧市街地を復興させようと市民が立ち上がり、戦前の写真に基づき残ったオリジナル材を可能な限り再利用。見事なまでに再建させたことで世界遺産に認定されました。今、隣国ウクライナが、ロシア軍による破壊攻撃を受けています。ここヨーロッパでは、大国に挟まれた国々はこのような蹂躙を幾度となく受けています。心が痛みます。
追記:11/15にロケット弾がポーランドのウクライナ国境付近に着弾、二人が死亡したそうです。北朝鮮が飛ばしているミサイルが日本に落ちたらと思うとゾッとしましたガーン
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リトアニア ヴィリニウス
次に訪れたのは、リストニアのヴィリニウス。リトアニアは、バルト三国の中でナチスドイツ(ユダヤ人の虐殺)やソ連(併合)で最も多くの犠牲を出した国だそうです。1900~50年ソ連からの独立・併合が繰り返される中、1991年にようやく独立を果たし、2004年NATO・EU加盟を果たしました。

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 また、ここは敬虔なキリスト教徒の国で、至る所に様々な会派の教会が残されており、旧市街の規模は欧州最大級です(逆に、全く近代化されていないということでもあります)。
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 午後向かったのは、リトアニア第二の都市カウナス。対戦の最中、ここの領事館に勤務していた杉原千畝がユダヤ系難民に対し日本通過ビザ(命のビザ)を発給したことで有名な街です(唐沢寿明主演や加藤剛主演で映画化されています)。季節柄、杉原千畝桜公園の桜が満開で綺麗でした。
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ラトビア リガ
翌日訪れたのは、ラトビアの首都リガ。ラトビアはリトアニア・エストニアに挟まれた自然豊かな国で、東側はロシア・ベラルーシと国境を接しています。ここリガに13世紀頃ドイツが進出、後にハンザ同盟(北ドイツの都市連合)に加わり、ロシアと西ヨーロッパを結ぶ商業地として繁栄してきました。ドイツの匂いのする美しい街並みは、「バルト海の真珠」と称されるほどです。旧市街には、ロマネスク・ゴシック・バロックなど様々な建築様式の建物が残されており、さながら建築の見本市のようでした。
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 バルト三国を結ぶ幹線道路は片側一車線で、すれ違う車も疎ら、各首都間は畑と林と湖の単調な景色が続きます。と思いきや、反対車線に戦車を積んだ大型トラックが何台も現れては通り過ぎて行きました。後で知ったことですが、当時ロシアがバルト三国との国境問題で国境の軍を増強、その対抗措置としてNATOが駐留軍を増強したそうです。NATO加盟を認められたバルト三国と、認められなかったウクライナ。NATO加盟で明暗が分かれた過去が、今回の紛争にまで繋がっているように思えます。
 
エストニア タリン
 バルト三国の最後の訪問地はエストニアのタリン。この国も、他の二国同様、中世から時が止まったかのような美しい景色が広がった観光地です。バルト海クルーズの寄港地の一つで、隣国フィンランドからはフェリーで2時間程の近さなので、他の二国よりも観光客が多い印象でした。冬には旧市街広場でクリスマスマーケットが開催され、一層の賑わいをみせるそうです。
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 エストニアのもう一つの顔は「電子国家」。日本のメディアにとりあげられているのでご存じかと思いますが、電子国民IDやインターネット投票、電子裁判etc.行政サービスが電子化された国です。もちろん、行政コストを下げスピードを向上させるのが一番だと思いますが、他の理由の一つに、この国も、デンマーク、ドイツ(騎士団)、スウェーデン、ロシア帝国、ソ連と、色々な国に支配を受けており、仮に国が滅んだとしても国のデータを保護しておけばリスタートが早いという考え方があるそうです。
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ロシア
 翌日はロシアへ。これまで国境を越える際の検問所など無かった(EU加入国では全て取り壊されていました)ので、初体験です。小雨が降りしきる中、フェンスを張り巡らせた検問所手前でバスを止めさせられ、警備員が乗り込み、パスポートを所持していない密入国者がいないかチェック。その後、バスから降ろされ一人ずつ入国審査。パスポートにスタンプを押されてロシア側へ徒歩で移動。30人ほどのツアー客が皆だんまりで、重苦しい雰囲気の1時間でした。もちろん、撮影禁止です。
 
サンクトペテルブルク
 サンクトペテルブルクは、モスクワに次ぐロシア第二の都市。18世紀スウェーデンとの北方戦争の最中、ピョートル大帝が築いた要塞都市が起源で、2世紀にわたり帝都として栄えました。現在はロシア文化の中心地として多くの観光客が訪れています。
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 ホテルのモーニングでは朝からシャンパン(朝シャン)が振舞われていました。驚きびっくり
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 初日はエカテリーナ宮殿、血の上の救世主教会、等の観光スポットを巡りました。丁度2か月後にロシア・ワールドカップが開催されるとあって、土産物屋には多くの記念グッズが置かれていましたが、それを横目に見ながらスタバへ直行。土産のロシア限定マトリョーシカ・タンブラー(赤ロシアと青サンクトペテルブルク)を買い漁っていました。
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 翌日は今ツアーの目玉エルミタージュ美術館へ。収蔵美術品300万点余、全展示室を歩くと20㎞以上になる世界屈指の大美術館です。もとは「冬の宮殿」と呼ばれた皇室一家の宮殿でした。歴代ロシア皇帝が収集した美術品とロシア革命後に貴族・商人から没収したコレクションを、本館3フロアと別館に大量展示しています。ロマノフ王朝の富と権力が如何に強大なものだったか伺えます。エカテリーナ二世の肖像画が本館入口に鎮座しているはずですが、そこだけぽっかりと空いていました。添乗員のナターシャ(日本で言うと花子に相当するポピュラーな名前)に去年「エルミタージュ美術館展(兵庫県立美術館)」で撮影した写真を見せると、「今も世界のどこかを旅している。なかなか帰ってこない。」と嘆いておりました。
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 ここで人気のある展示コーナーはやはりイタリア美術。中でも一番人気はレオナルドダヴィンチ若かりし日に描いた「ブノアの聖母」と「リッタの聖母」。それから、ラファエロの「コネスタビレの聖母」と「聖家族」も人垣が出来ていました。
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 昼食を挟んで、印象派コレクションを見に別館へ。重厚な本館の造りと比べると、安普請な建屋です。こちらにはマチス、ゴーギャン、ルノアール、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ドガ、ピカソetc.の作品がずらりと展示されています。充実した一日になりました。次、機会があればメトロポリタン美術館にも行ってみたい。。。
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 ウクライナへの暴挙を目の当たりにし、もうロシアへ旅行に行くきになれませんムキー

訪問ありがとうございます。約40のヨーロッパ諸国を訪ねたブログを載せていますので、他の記事も覗いて見てください!

【トラピックス】2018年 バルカン半島の秘宝を訪ねる7カ国12日間(11/6~11/17)
 
今回は「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島の国々を紹介します。

 

2018年 セルビア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴヴィナ・モンテネグロ・北マケドニア・アルバニア・ギリシャ

 

 元々計画していたインド・ツアーが台風21号による関空水没により一週間前に催行中止。「それならば時期をずらしてヨーロッパに行こう」と切り替え、関空復旧を待って秋のバルカン半島ツアーに申し込みました。かなりディープな国々への旅なので、募集26名に対し参加は14名の旅慣れた旅行者達。行く先々のホテルで「風呂水を排水すると逆流」「TVが点かない」「電灯が点かない」「エアコンが使えない」「部屋のコンセントの半分に電気が通ってない」etc.のトラブルに見舞われましたが、そういう国々と割り切って廻りました。
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 トドメはドバイから関空へ向かう帰りの飛行機(エミレーツ)。ニューヨークの大雪でドバイ行きの飛行機到着が大幅に遅れ、結局関空行きに間に合わず、ドバイで+1泊。長旅の疲れで炎天下の街に出歩く気力もなく、ホテルでビール(一缶1500円!)を一日中飲みながら体を休めていました。

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クロアチア ザグレブ
最初に訪れたのは、クロアチアの首都ザグレブ。
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 ザグレブは観光スポットがコンパクトにまとまった街で、半日で回れました。この年、FIFAワールドカップMVP・UEFA最優秀選手・FIFA年間最優秀選手・旅行の翌月にはパロンドールと、賞を総なめしたモドリッチがここクロアチア出身なので、土産物屋にはモドリッチ・グッズが溢れかえっていました。また、クロアチアはネクタイ発祥の地。17世紀頃、フランス国王の護衛に来ていたクロアチア兵士が揃って首に巻いていたものが現在のネクタイの起源とされています。お土産にと思いましたが、クールビズでネクタイを締める機会が殆ど無くなったので、孫向けにモドリッチのユニフォームをチョイス。

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  翌日、セルビアに向かう途中、クロアチアワインの産地のひとつイロクのワイナリー・レストランに立ち寄りました。クロアチアでは古代ギリシャ時代からワインが造られてきましたが、度重なる紛争で中々生産量が上がらなかったそうです。2000年ごろからようやく産業が安定、コスパの良いワインが出回り始めました。立ち寄ったワイナリーは内陸部なので白ワイン、ほのかな甘みとすっきりした味わいで飲みやすかったです。こんな片田舎のワインは日本では手に入らないと思い購入しましたが、後日調べたら楽天でほぼ同額で売っていました。ネットの力はすごいですね。
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 道路沿いには、破壊され放置された建物や無数の銃根が壁に残る家屋。1991年クロアチアはユーゴスラビアからの独立を宣言、1998年まで内戦が続きました。今でも戦火の爪痕が至る所に残されています。
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セルビア ノヴィ・サド
 ベオグラードに向かう途中、セルビア第二の都市ノヴィ・サドに立ち寄りました。小高い丘(要塞)からのドナウ川の眺めが綺麗です。




 
ベオグラード

 夜にはベオグラードに到着。広場を撮影した写真(1枚目と2枚目)には光の反射かもしれませんが、多数のオーブが映り込んでいました。






 セルビアの首都ベオグラードは社会主義時代のユーゴスラヴィア連邦の首都でもあり、古来、交通の要衝地として発展してきました。市内観光では、社会主義時代の戦車や大砲・ミサイルの展示や、ベオグラード出身のジョコビッチが若かりし頃練習していたとされるテニス・コートのあるベオグラード要塞や、豪奢な内装の聖サヴァ教会をまわりました。
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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ サラエボ

 次に向かったのはボスニア・ヘルツェゴヴィナ。バルカン半島の国々は国境を越える度に検問所でひっかかり、1時間程待たされます。EU統合前ヨーロッパの旅もこれが普通だったのでしょうね。添乗員の話によると、バルカン半島の検問所では袖の下がまかり通るようです。金を渡さず何時間も待たされた経験をしたので、事前に本社に了解を取っていたそうです。

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 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボは第1次世界大戦勃発の導火線となったサラエボ事件が起こった街です。バルカン半島を支配していたオスマン帝国が衰え、民族同士の対立が激化。サラエボを訪れていたオーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたことをきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告。その後、オーストリアが属する三国同盟の国々(オーストリア・ドイツ・オスマン帝国)とセルビアを支援するロシアが属する連合国(ロシア・イギリス・フランス)を巻き込み、ヨーロッパ大戦となりました。

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 サラエボには、カトリック教会、セルビア正教会、イスラム寺院、ユダヤ教の会堂が共に肩を並べて建つ、不思議な光景が広がっています。ヨーロッパなのに、まるで中東を旅しているかのような気分にも浸れる異国情緒たっぷりの町です。
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モスタル
ドブロヴニクに向かう途中、ボスニアの古都モスタルに立ち寄りました。この地にはイスラム系住民とカトリック系住民・セルビア正教信者が共存していますが、内戦で互いの民族が対立、多くの命が失われたそうです。ここでツアー客の一人がスリ被害に遭いました。皆で犯人を追いかけて捕まえ事なきを得たのですが、犯人は10代の女の子二人。言葉が通じなくとも、怒られていることは十分に伝わったようです。土産物屋の店員が言うには、常習犯のようで、後で警察からキツイお説教を受けることになるそうです。
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クロアチア ドブロヴニク

 モスタルを後に、再び海側のクロアチアへ入り、ドブロヴニクへ。今ツアーで一番楽しみにしていた観光スポットです。紺碧の海と、城壁に囲まれた家々のオレンジ色の瓦屋根のコントラストが生み出す美しさから、「アドリア海の真珠」と称されます。
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 ここドブロブニクはジブリ映画「紅の豚」や「魔女の宅急便」のモデルにもなったそうです。中世にはベネチアの中東貿易中継地で、都市国家として繁栄。しかし、1991年ユーゴとの内戦(独立戦争)で徹底的な破壊を受け、一時は「危機遺産」のリストにも載りました。内戦終結後、人々の懸命な修復作業により、昔の景観を取り戻すことが出来ています。が、今でも内戦の銃弾跡が所々に残ってます。
 城壁の上は遊歩道になっており、約1時間かけてぐるりと一回りできます。また、ロープウェイを使って裏手のスルジ山に登れます。山から見下ろすドブロヴニクの街の眺め、最高ですよ。
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モンテネグロ コトル

 翌日はモンテネグロのコトルへ。コトル湾の最奥に位置し、氷河で削られた複雑な海岸線と背後に迫る山々の狭間を活かした城塞港湾都市です。対岸からフェリーでしか渡れません。湾はかなり深いようで、(多分)イタリアからの大型観光船が湾に乗り入れていました。上を見上げると山の稜線に添って城壁が連なり、旧市街には石畳の路地が縦横に走り、中世の建造物や教会、それと数多くの土産物屋が立ち並ぶ世界遺産の街です。
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プドヴァ
アルバニアに向かう途中、プドヴァに立ち寄りました。プドヴァはモンテネグロの観光地であり、古くはローマ帝国時代から続くアドリア海沿岸の古代都市でもあります。



 プドヴァからティラナに向かう途中、ジョコヴィッチが結婚式を挙げた島の横を通りました。島にあるホテルを貸し切って親戚・友人を招待したそうです。

アルバニア ティラナ
 翌日はアルバニアの首都ティラナの市内観光。アルバニアには日本と同じ鎖国の歴史があります。第二次世界大戦後に共産主義国家となり、西側諸国はもとよりユーゴ・ソ連・中国とも徐々に距離を置き、1991年まで鎖国状態だったそうです。また、ヨーロッパ唯一のイスラム国家、そして多くの国民はイタリア語が話せるという、何とも魔訶不思議な国です。
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 共産主義時代の遺物がたくさん残されていました。下の写真は、鎖国時代にソ連を仮想敵国として、攻めこまれても応戦できるよう作られたトーチカ。頑丈すぎて壊すのが大変で、今でも街の至る所に遺されています。見つけられませんでしたが、当時作られた核シェルターも残っているようです。また、公園の入り口らしき所にレーニンやスターリン像が無造作に並べられていました。
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ベラット
 ティラナからオフリドに向かう途中、ベラットに立ち寄りました。千の窓を持つとも呼ばれる美しい景観の世界遺産です。ベラットにはオスマン帝国時代の教会・モスク・城塞などの建造物が残っています。






北マケドニア オフリド
 次に向かったのは北マケドニア。私が旅した時はマケドニア(共和国)でした。マケドニアはもともとギリシャ北部の地名でしたが、1991年国家樹立と共にマケドニアを国名と定めました。それに対し、アレキサンダー大王を生んだマケドニア王国を自国栄光の歴史として誇りに思っているギリシャが猛反発、EU・NATOの加盟を拒み続けてきました。2018年政権交代を機に北マケドニアに国名を変更、ようやくEU・NATO加盟が実現できたそうです。

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 マケドニア観光で訪れたのはオフリド湖。マケドニアとアルバニアの両国にまたがる、約500万年前に形成されたとされるヨーロッパでもっとも古い古代湖のひとつです。湖畔に建つ聖ヨバン・カネヨ教会を始めとするオフリド市街とオフリド湖が、複合世界遺産に登録されています。



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ビトラ

 メテオラに向かう途中、ビトラのヘラクレア遺跡に立ち寄りました。この遺跡は古代ローマ帝国時代にアレキサンダー大王の父親によって開かれた都市の遺構です。この遺構ではモザイクが有名ですが、この時期は砂利で覆われて見られませんでした、残念ショボーン






ギリシャ メテオラ

 翌日は旅の最終目的地ギリシャへ。ギリシャ中部にあるメテオラ修道院群へ立ち寄りました。11世紀ごろ標高600mの断崖絶壁の頂上に修道院を建設(現在は6つの修道院が残っています)、修道士たちが俗世から離れ隠遁していたそうです。この独特な奇岩の風景は、映画「007」やTVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地にもなっています。
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アテネ
 最終日はアテネ市内観光。先ずはアクロポリスの丘に登り、パルテノン神殿やゼウス神殿・ディオニソス劇場を散策。その後、第一回近代オリンピックの会場となったパナシナイコスタジアムやシンタグマ広場周辺で食事やショッピングを楽しみました。

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 ギリシャは地中海クルーズもお勧めと添乗員さんが言ってました。いつか機会が出来たら行ってみたいと思います。
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【トラピックス】2017年マル得トルコ大周遊10日間(11/23~12/2)
 
 GWに北欧に行きましたが6日間の旅と短かったので物足りなく、秋にトルコ周遊を申し込み。トルコは前年に軍事クーデター未遂事件が勃発したので躊躇しましたが、結局トルコ料理と旅の誘惑に負けました。
追記:22/11/13にイスタンブール新市街中心の繁華街で爆破テロが起きました。イスラム国が崩壊しても、こういうリスクがあるのですね。
追記:23/2/6にトルコ南東部で大きな地震が発生。日本からも75人規模の救助隊が派遣されました。繋がりのある串本町でも義援金を募っているそうです。
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 トルコは親日国。1890年に和歌山沖で台風により沈没した「エルトゥールル号」の生存者を串本町の人達が懸命に救助、元気になった乗組員や探し集めた遺品をトルコまで送り返しました。この事故を契機に、多くのトルコ国民が日本という国を知りました。この顛末はトルコの教科書にも載ったそうです。時は流れ1985年、イラクのサダムフセインがイラン上空の飛行機を48時間後に無差別攻撃すると宣言。自国機乗り入れが無かった日本は、取り残された日本人救出の術を失っている中、まだ自国民が取り残されているのにも関わらずトルコ政府が日本の要請に応え、救援機を飛ばしてくれました。駐日トルコ大使は一言「エルトゥールル号の借りを返しただけ」。その後も大地震が起こる度、お互いに緊急救助隊を派遣しあっているそうです。
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 今回はエミレーツ航空を利用しました。ドバイはアジアとヨーロッパの中間地点に位置しているので、アジアからヨーロッパや中東を目指すには便利なハブ空港です。深夜に関空を発ち、早朝にドバイ着、目的地には午後に着くというフライトは意外と体が楽でした。一方で、日本国土の2倍の広さがあるトルコをバスで巡る方がきつかったです(移動距離は2000㎞越え)。

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プルサ

 先ず向かった先はトルコ第四の世界遺産都市プルサ。「清美の泉」のあるウルジャーミィ、ターコイズブルーのタイルが美しいイシュルジャーミィ、コザハンのシルクバザールを見学しました。


















 

ギョルヤズ村

 昼食後、プルサからヨーロッパの美しい村30選に選ばれたギョルヤズ村へ。ウルバト湖に浮かぶ小さな村です。観光地化されてない素朴さが魅力です。







 

キュタフヤ

 翌日、プルサからトルコ最古の都市のひとつキュタフヤへ。キュタフヤは陶磁器造りが盛んです。



 昼食後、パムッカレへ。

 

パムッカレ
 パムッカレはトルコ有数の温泉地で、真っ白な石灰棚にたまった温泉水の池が段々畑よろしく幾重にも連なり空の色を映す、美しい景勝地です。この石灰棚を望む丘の上にヒエラポリスという古代都市遺跡が広がります。ローマ帝国の温泉保養地として繁栄を極めたそうです。しかし、度重なる地震で廃墟となりました。今では劇場・大浴場・神殿・門の一部、それから世にも珍しい遺跡が沈む温泉プールが残るのみです。因みに、中国四川省にも九塞溝という、パムッカレと同じような石灰岩層の棚田があります。
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コンヤ

 パムッカレで一泊後、コンヤへ。紀元前三世紀から続くトルコ第6位の都市です。ここコンヤには多くのモスクや霊廟があります。メヴラーナ博物館とインジェミナーレ博物館を見学しました。






 コンヤでの見学を終え、一路カッパドキアへ。この日は計650㎞の移動でしたびっくり

 

カッパドキア
 カッパドキアはトルコのほぼ中央、アナトリア高原に位置する人気観光スポットです。ここは「ギョレメ国立公園とカッパドキアの奇岩群」として自然遺産と文化遺産の両方を兼ね備えた複合世界遺産に登録されています。
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 この地はシルクロードの終着エリアとして栄え、絨毯やトルコ石の宝飾品や陶磁器、ワインなどの特産品が数多くあり、百万人以上の観光客が訪れるそうです。今回は絨毯工房を見学。ちょっと値が張りましたが、お土産にとリビングと玄関にそれぞれ敷く絨毯を購入しました。

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 下の写真は玄関用です。トルコ人は夏冬で絨毯の裏表をひっくり返して使う人もいるようです。裏は柄が若干薄く、綿が混じっているので夏場には良いそうです。



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 カッパドキアの自然環境は数百万年前の火山の噴火によって造られ、その後の雨風の浸食で不思議な形状の奇岩が出来上がりました。また、今でも岩山をくり抜いて作ったリビングや寝室・倉庫で暮らしている家族もおります。私が泊まったホテルも昔の岩をくり抜いた住居を改装し客室として提供している洞窟ホテルで、入口から部屋へは洞窟を伝って行きました。
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 また、カッパドキアには火山灰を削り取って造られた大規模な地下都市(デリンクユ地下都市やカイマクル地下都市)が眠っております。地下20階・深さ40m程度で通気口も完備、貯水槽や食糧倉庫、教会や集会場を備え、ペルシャやアラブ民族が侵攻してきた際に十万人もの人々が避難したと言われていますが、未だ全容が解明されていません。
 一方、近郊のギョレメには修道院生活の中心を成してきた岩窟教会群が屋外博物館として公開されております。多くの教会の壁や天井には、今でもビザンティン芸術のフレスコ画が遺されています。
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カマン・カレホユック遺跡
 カッパドキアからイスタンブールに戻る途中で、カマン・カレホユック遺跡に立ち寄りました。この遺跡で発掘調査を主導する大村幸弘氏が世界最古の鉄器を発見し、鉄の歴史年表を再編纂しています(バス社内で、発掘を続けている様子がNHKビデオで紹介されていました)。自分が学生の時は「鉄はヒッタイト時代に始まった」と学びましたが、ヒッタイト時代よりも千年前の地層から鉄が発見されたそうです。
 その地を訪れて驚いたことに、日本がODAを使って、カマン・カレホユック考古学博物館(遺丘をモチーフに美術館を丘の中に埋め込んでます。日本でデザイン賞もとってます。)という1400㎡もある立派な美術館と、それに隣接する三笠宮記念庭園(松や楓、池には錦鯉といった本格的な日本庭園。22000㎡)をこの地に作っています。あたり一面は荒野で、ここを訪れるのはカッパドキアからアンカラ・イスタンブールに帰る観光客と考古学者位なのに。。。

 カッパドキアからイスタンブールは700㎞以上離れているので、途中のアンカラで一泊。



 

イスタンブール

 翌朝イスタンブールに向けて出発。イスタンブールに近づくにつれ、交通渋滞がひどくなり着いたのは昼過ぎでした。ご存じのとおり、イスタンブールは東西文明の接点となっているトルコ最大の都市。約1400万人が暮らしているので、東京都とほぼ同じ人口です。ボスポラス海峡によりアジアサイドとヨーロッパサイドに分けられ、さらにヨーロッパサイドはハリチュ湾で新市街と旧市街に分けられています。旧市街にはコンスタンティノープルの城壁に囲まれた歴史地区があり、数々の世界遺産や観光スポットが点在しています。
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 イスタンブールで有名な世界遺産は、ブルー・モスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿の3つ。市内観光でそれぞれ訪れました。
 その一つ、「オスマン建築の傑作」「世界一美しいモスク」と呼ばれるブルー・モスクは17世紀に建てられた巨大なイスラム寺院です。内部に青い花柄のイズニック・タイルが何万枚と貼られ、また多数のステンドグラスから取り込まれる光で建物内部がほんのり青み掛かって見えるので、通称のブルー・モスクが定着したそうです(正式名はスルタンアフメット・ジャミィ)。モスク内部は奇麗なトルコ絨毯が敷き詰められており、土足厳禁。ここは現役のモスクなので、多くの信者が真剣にお祈りしていました。
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 アヤソフィアは4世紀ごろの東ローマ帝国時代にコンスタンティヌス1世が建てたキリスト教の聖堂です。しかし、15世紀にオスマントルコがこの地を征服、この聖堂はイスラム教のモスクとして改造されてしまいました。20世紀にケマルパシャがトルコ共和国を設立した後は、建物を博物館として利用。このような歴史的変遷を経た結果、キリスト教聖堂とイスラム教モスクの特徴を兼ね備えた珍しい建築物となったのです。修復の最中、漆喰で塗りつぶされた壁の下からモザイク画が次々と出現、これらモザイク画はビザンティン美術の最高傑作と評価されております。オスマントルコのスルタンの、優れた芸術に対する敬意の思いが宗教の枠を超えてこのモザイク画を残させたのでしょうか?
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 トプカプ宮殿はオスマン帝国の歴代皇帝が居城とした宮殿です。敷地面積は70万㎡(甲子園球場の2倍近い広さ)で、こちらも博物館として利用されています。庭園でチューリップ栽培が盛んだったため、「チューリップの宮殿」という愛称でも親しまれています。チューリップはオランダが原産国のイメージが強いですが、実はトルコからオランダに持ち込まれ、やがて世界各国へ輸出されるようになったそうです。
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 そして、イスタンブールで有名な観光スポットは中東最大級の屋内市場グランドバザール。自由時間を使って入ってみました。メインロードの左右には網の目の様な横道が走っており、横道に入る時は直ぐ振り向き、メインロードの風景を目に焼き付けておかないと迷子になりそうな場所です。メインロード沿いには貴金属店、横道には土産物屋や服飾店等々、数千もの店がひしめき合い、色とりどりの商品が所狭しと並べられています。同じ商品でも店によって値段が微妙に違うし価格交渉もOKなので、陽気な店員とやりあうことも楽しいですよ。
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正直トルコ料理は口に合いませんでした。やっぱり、中華がいいです。
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【トラピックス】2020年感動のエジプトナイル川クルーズ8日間(2/18〜2/25)

  ※エジプトはアフリカ大陸ですが、地中海つながりということで掲載します。

 

 コロナが全世界に広がりそうな気配の2月、「コロナで当面海外には行けなくなるだろう」と思い、エジプト旅行を決行しました。以前、後輩が夏休みにエジプトに行き、熱中症で倒れた話を聞いてましたのでこの時期をチョイス。それほど暑くもなく、また砂嵐が舞う季節の前なので、旅行に適しています。
 今回もエミレーツ航空を使い、ドバイ経由でカイロ入り。空港に着くとアジア人は入口でいったんストップ、検温と旅行予定表を提出させられました。エジプト人から見れば、コロナを世界に広めた中国も隣国の日本も一緒なのですね。2月の日本人感染者数は、まだ一桁だったのに。当時、マスクを着用しているのは我々日本人だけでした。

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 珍しいことに、カイロでは行きも帰りも雨に見舞われました。こちらの雨はザッっと降って止むのですが、排水インフラが整っていないので、至る所で道路が冠水。タダでさえ渋滞するのに、道路冠水で迂回に次ぐ迂回。空港に向かう帰りの道のりでは1時間で着く予定が3時間掛かり、「またドバイで延泊か」とひやひやしました。
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カイロ
 先ずはカイロ市内観光。最初に向かった先はエジプト考古学博物館。館内にはツタンカーメン王の黄金のマスク(撮影禁止)、黄金の玉座をはじめ、ラムセス二世のミイラなど、古代エジプトの至宝が大量に展示されています。唯一写真展示だったのがロゼッタ・ストーン(古代エジプト語翻訳の決め手となった石碑。イギリス軍が持ち去り、現在大英博物館に展示)。現地添乗員がこの写真を説明しながら、イギリスを泥棒呼ばわりしていました。
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 なお、昨年四月、エジプト考古学博物館に展示されていた18人の王と4人の女王のミイラが、新たに建設されたエジプト文明博物館に移送。「ファラオの黄金パレード」と題された移送パレードを大々的に催し、その様子はニュースでも放映されていましたね。当初、エジプト文明博物館は2016年完成予定でしたが、建築が遅れたため訪れることは叶いませんでした。
 余談ですが、エジプトの観光スポットはどこでも入場料とは別にカメラ・チケットが必要で、各スポット千~二千円徴収されます。しかし、何故かスマホ撮影は無料でした。
 博物館見学後、ギザへ。ギザではテラスからピラミッドが見渡せるホテルに宿泊アップ
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メンフィス・サッカラ・ダハシュール
 翌日、先ず向かった先はメンフィス。古代エジプト王朝の歴史は下エジプトにあるメンフィスから始まりました。紀元前3000年ごろから長きに渡たり、古代エジプトの首都として栄えました。この時代で最も有名な王はカイロでミイラを見たラムセス二世。メンフィスの博物館には約10メートルの長さを持つ石灰岩で作られたラムセス二世像が展示されてました。この像もまた、エジプト文明博物館に移送されるそうです。
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 その近郊サッカラ・ダハシュールに、赤いピラミッドや世界最古の階段ピラミッドを見学に行きました。ギザとは色や形状が異なる初期のピラミッドです。因みに見学した翌月に階段ピラミッドの内部再公開のニュースが流れました。この14年間、修復作業が続いていたそうです、残念ショボーン
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ギザ
 午後はギザのピラミッド群観光。カイロ郊外のサハラ砂漠にはギザのピラミッド群とスフィンクスがそびえています。クフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッドが立ち並び、そのうちクフ王のピラミッドが高さ147mと最大です。重機もない時代に一個数トンの石をどうやって積み上げたのか、想像も付きません。
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 ピラミッドのすぐ向こうにはカイロの街並みが見えています。思った以上に街に近い場所にあります。





 ピラミッドの中に入ると、狭い通路に急こう配の階段が玄室まで数十m続き、行きかう観光客で至る所で渋滞が起こっていました。ようやく到着した玄室には石棺がポツンと置かれているだけ。何もない割にはキツイ見学で、特に閉所恐怖症の人にはお勧めできません。スフィンクスはカフラー王ピラミッドを守るように配置されています。王の頭飾りを付けた人間の頭がライオンの体に乗せられた何とも不思議な生き物。一つの石から掘られた世界最大の彫刻ですが、残念ことにかなり浸食が進んでいました。

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アスワン
 翌朝カイロから飛行機で1時間半、アスワン・ハイダムで有名なアスワンへ。アスワン・ハイダムはナイル川に造られた巨大ダムです。そのダムでできた人工湖はナセル大統領の名をとったナセル湖、世界第三位の貯水量を誇ります(日本で一番大きい徳山ダムの約20倍)。ダム建設により、それまで毎年起こっていたナイル川の氾濫が治まり農業用水も安定供給、さらには電力も作り出されました。
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 一方で、アブシンベル神殿やファネストアリ神殿といった世界遺産がダム湖に水没してしまうことになり、ユネスコが中心となって資金を集め移転させました。今回、そのアブシンベル神殿を訪ねました。こちらもラムセス二世を祀った神殿です。移転ついでに直したらいいと思いましたが、地震で正面の像が一部倒壊したままにされています。この神殿の最奥に「至聖所」と呼ばれる神聖な部屋があり、2/22と10/22の年二回だけ朝日が差し込む設計になっているそうです。

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 この地アスワンから250km離れたルクソールまで、三泊四日のナイル川クルーズの旅に出ました。北欧でのクルーズとは違い、船は4階建てで部屋数は約50室とコンパクト。部屋も十分に広く窓からの眺めも良く、屋上デッキに上がればテラスやバーも完備、ナイル川の流れを眺めながら、のんびりと過ごせます。乗船場には10隻ほど、形の似た船がつながれていました。これらの船が翌朝列をなしてナイル川を下っていきます。夜には「ガラベイヤパーティー」が催され、乗船客も民族ダンスに誘われ、皆楽しんでいました。また、ツアーで行く旅にはツーリストポリスと呼ばれる観光客向け警察官が同行します。また、観光地にも武装警察官が多く配置され、今回の旅行では治安の心配は全くありませんでした。30年ほど前から続くテロ対策に、観光立国エジプトは注力していると感じました。
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コムオンボ・エドフ
 翌朝、アスワンから50km離れたコムオンボに到着。ここにはプトレマイオス朝時代に造られたコムオンボ神殿があります。この神殿にはワニとホルス(ハヤブサ)2つの神が祀られている珍しい二重神殿です。
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 神殿の隣にあるワニ博物館にはワニのミイラが多数展示されていました。そういえば、クルーズではナイルワニの姿は一切見かけません。もっと上流に棲んでいるのか、ダムの影響かは定かではありませんが。


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エドフ
 コムオンボを離れ、午後にはルクソールとアスワンの中間に位置するエドフに寄港。観光バスが入れない細い道なので、ロバの馬車に乗りホルス神殿に向かいました。馬車から見るエドフの街並みはアフリカ感満載。10分程でホルス神殿に到着です。2000年以上も前の建築物とは思えないきれいな状態で遺されています。入り口には大きくそびえ立つ塔門。機械もない当時の技術では考えられないほど精巧で、太陽光の差込方すらも計算された造りとなっています。また、建物に満遍なく描かれたレリーフにも、それぞれ意味や・ストーリーがあり、説明が面白かったです。


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ルクソール
 翌朝、最終目的地のルクソールに到着。ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っています。ルクソールはナイル川によって東西に分断されており、日が昇るナイル川東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など、生を象徴する建物が、日が沈む西岸には、死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがあります。

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 カルナック神殿は、テーベの守り神であったアメン神を祀る神殿です。当時、カルナック神殿は神や王の住まいであるとともに、医学や天文学などを教える学問の場として使われていたそうです。ルクソール神殿は、新王国時代にカルナック神殿の副神殿として建てられました。ルクソール神殿の第一塔門前には、1本のオベリスクがあります。もともと2本でしたが、うち1本はフランスへ。パリのコンコルド広場の中心に飾られていたのを覚えています。現地添乗員は、今度はフランスを泥棒呼ばわりしていました。
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 昼食をはさんで午後は王家の谷へ。ここには古代エジプト新王国時代の王たちの墓が集中しており、これまで24の王墓を含む64の墓が発見されています。数千年前の王のお墓だと言うことを忘れてしまう位、時間の流れを超えた綺麗な壁画や彫刻が見られます。特に綺麗だったのはラムセス六世の墓、30mくらいの壁に美しい絵が遺されています。一方、唯一盗掘を免れたツタンカーメン王の墓は思いのほか小さく質素。一番奥の部屋にツタンカーメン王のミイラがコフィンの中に眠っていました。ここ王家の谷で眠るミイラはツタンカーメン王だけだそうです。
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 最後に王家の谷の東の断崖に造られたハトシェプスト女王葬祭殿を訪問。エジプトでただ一人の女王の神殿で、各階テラス付きの3階建てです。2階にはアヌビス神とその妻ハトホル女神の礼拝所、3階はハトシェプスト像が建つ至聖所となっています。当時のエジプトの習わしとして王位継承はファラオの第一王女の夫と決まっていたのですが、彼女は男性として自ら王位に就いたそうです。ここは1997年に日本人を含む観光客62名がテロの犠牲となった悲しい場所でもありますショボーン

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 翌朝、ルクソールから空路カイロに戻りカイロ市内観光、エミレーツ航空でドバイ経由で関空に帰ってきました。

 

 いつか、他の四大文明の故郷も訪れてみたいですね。