名古屋在住の友人に
この話しがウケたので、
ブログにも書きますね
ある集まりで
こんなことがあったんです。
主催者さんが
「東京から来た人~」と言った時、
東京方面から来た人は
みんな手をあげた。
「大阪から来た人~」と言った時、
大阪方面から来た人は
みんな手をあげた。
「名古屋から来た人~」と言った時、
愛知県民は、手をあげなかった
私はその時、
東京は、東京「都」を指し、
大阪は、大阪「府」を指し、
名古屋は、
愛知「県」を指さないからな〜
と思ってたんですが、
ある人が言ったの。
東京付近に住む人は
東京に経済的に依存し、
大阪付近に住む人は
大阪に依存しているが、
名古屋付近に住む人は、
名古屋に依存してないからだ、
って。
ふ~ん、そうかぁ~。
↑ 去年 Twitter で はやった
よく分かる都道府県シリーズ。
私の住む「穂の国」豊橋市は、
愛知県の端っこで
静岡県に隣接しており、
ちょっとオシャレな買い物を
しようと思ったら、
穂の国領西遠 静岡県浜松市に
出かけちゃうのよ。
車で1時間だから。
大都会名古屋に車で行こうとしたら
八丁味噌だの、
FTDA TOYOTA~♫だの、
桶狭間を超えて、
2時間半かかるのよ
遠 い わ
同じ県の県庁所在地でありながら
じつは全く身近ではない、
大都会名古屋。
そして、歴史的にも、
じつは全く身近ではない。
私はよく
「東三河で氣学を広めたいです」
「三遠南信で活躍していきたいです」
と言うんですが、
「なんで「三河」じゃないの?」
「愛知県って言ったほうが
分かりやすいんじゃないの?」
と他県の方に言われます。
うう~ん。。。
風土が全く違うのですよ。
東三河と西三河でさえ、なにか違う。
そして西三河との歴史的な交流も、
あんまりない。
桶狭間の戦い後、
家康の三河統一を迎えるけれど、
やっぱり家康は、西三河の武将で、
東三河ではないのだわね。
どちらかと言うと、歴史的には
南信州(長野県)や
遠州(静岡県)との
お付き合いが長いの。
「三遠南信」と言うのですけどね。
三遠南信は、
天竜川の水運
塩の道(塩や生糸の流通)
秋葉街道(秋葉神社への参拝)
東海道等 を通じて、
人や物資が従来し、
活発な文化交流がなされ、
お互いの地域発展や
生活・文化の向上に
影響を及ぼし合ってきたんです。
だから、東三河の人間にとっては
同じ県内の名古屋よりも
浜松(静岡県)や
飯田(長野県)のほうが、
身近なんですよ~
歴史を見ると、
三遠南信(南信・東三河・遠江)は
今川義元や武田信玄の
領土だったのに対して、
濃尾(岐阜県・尾張・西三河)は
織田信長や豊臣秀吉の領土だった。
つまり、三遠南信は
富士山麓との連関が大きいのに対して
滋賀県や京都府との繋がりは浅い。
ところが、濃尾は
滋賀県や京都府と密接な地域で
三遠南信とは全く別の文化圏だ。
↑このような記述もありました。
どこで拾ってきたか
古すぎて忘れてしまったのですが💦
ま、そういうワケでして。
愛知県民が
「名古屋から来た人〜!」に
絶対手を上げられない理由は
ここにあるのです(笑)
こちらも参考になさってください。
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