作曲始め | フクロウのひとりごと

フクロウのひとりごと

愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
おもに吹奏楽の活動に役立つ情報を発信中!
バンド指導をご希望の方はお気軽にご連絡ください。

いつの間にか編曲だけではなく作曲も仕事となりつつある近年なのですが、さて、どんなきっかけで作曲をするようになったのか、『作曲始め』は一体何だったのか、きょうは思い出して書いてみます。

 

こんばんは。

トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 

 

 

  楽譜書き始め

 

以前にこんな記事を書きました…

 

 

楽譜を書き始めたきっかけ、そして、編曲が仕事になっていった経緯…

そんなことを書きました。

では、作曲は、どんなキッカケで始まっていったのでしょうか…

いろいろな形はあるにせよ、編曲って、誰かのつくったものを料理していくこと。

ところが作曲は、最初から自分でつくるもの。

 

 

  高校の頃

 

自分では、作曲をする人間だとは思っていなかったのですよね…

出来るとも思っていなかったし…

初めて書いたのは、高校の頃…

ピアノの教本(バーナムだったかグルリットだったか…)の中に、きれいな曲があったのです。

「これ、トロンボーンアンサンブルでやってみたいな…」と思った。

でも、ちょっと短い。

だから、中間部をつくったのですよ。たしか8小節か16小節くらいの…

これが多分、初めての作曲だと思います。

 

 

  大学以降

 

大学では、じつは作曲の選択授業を取っていたのです。4年のときに半期だけ。

取れる単位は取っとけ、ってやつです。作曲家になりたいって思ったわけでもなく…

単位、いただきました。ありがとうございます。

でも、1曲も仕上げませんでしたけど…(汗)

 

それから大学を出てしばらくして…

仲良かった子がいたのですよね。で、その子の誕生日に、曲を書いたのです。

なんとなく、その子のイメージで音楽が涌いてきたのですよね。

だから、それを書いた。

それから…

 

 

  ライブで

 

その曲は、ライブでやったような気もするのですが、よくおぼえてないです(ぉぃ)

どこかでは、やったと思います。

もしかしたら、シットインする時に楽譜を持っていったかも…(いい根性してましたね…)

そして、当時在籍していたCUGというビッグバンドで、

『オリジナル曲をやろう』という話になって…

持っていったのです、その曲を。

そしたら、「それ、やろう」となった。で、「ビッグバンドに書いてきて」と…

苦労して書きましたよ。でも…

 

 

  サウンド

 

ちっともいいサウンドがしなかったのですよね…

ジャズの書き方も、いろんな本を買ってきて勉強したのですけどね…

いい音しなかったのです。

今にして思えば、『知識』で書いていたからダメだったのでしょうね。

お勉強した知識、だったのです。

それがどんな音になるのか、あんまりわかっていなかった…

そこがいちばん大事なのに…

音が鳴らないとダメだと思うのです。自分の中で。

それから、バークリーを出られた先生のところに習いに行きました。

 

 

  書かなきゃダメですよ

 

その間も、相変わらず編曲はたくさんやっていて、いろいろ書いていました。

したら、あるとき仲間がこんなふうに言うのです…

「福見さん、書かなきゃダメですよ」と。

つまり、作曲しなさいな、と…

で、朝日作曲賞に書いた。しおかぜのマーチ…

あれも、なにかの拍子に出てきたメロディなのですよね。

メロディが浮かぶと五線紙に書き留めて、その中から良さそうなのをふくらませていく…

そんな感じでした。

 

自分で作曲するようになると、人のスコアを見る見方も変わってくるのですよね。

すると、曲の書き方もだんだんと変わってもくる…

いろんなことをやっていると、その『相乗効果』みたいなものってあると思うのです。

そうこうしてる間に、作曲の『依頼』も入るようになってきて…

そんな感じです。

 

さて、みなさんも作曲、やってみませんか。