先月のおわりに『楽譜が読めないのはなぜか』という記事を書きました。そのなかのリズムの話のところで、一定のテンポが出来ない子がいたというエピソードを書きました。それって、一体どういうことなのでしょうか。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
一定のテンポ
リズムを読むには、まず始めに『一定のテンポ』がある必要があると書きました。
では、一定のテンポとはなんでしょうか。
それが出来ないというのは、一体なぜなのでしょうか。
一定のテンポとは、文字通り一定に流れていくテンポです。
時間的に一定の間隔で刻まれるビート、拍の流れが、一定のテンポですよね。
では、それが出来ないとはどういうことなのでしょうか。
なぜ、出来ないのでしょうか。
みなさんは出来ますよね、一定のテンポ。
だって、歩けるのですから。歩くって一定のテンポですよね。
それが出来なくなるとは、どういうことなのでしょう。
それはきっと…
タイミング
拍の1つ1つについて、毎度、
「このあたりかな…」「このぐらいかな…」ってタイミングを計っている…
きっとそういう状態なのではないかと思うのです。
それだと、かえって出来なくなるでしょ一定のテンポ。
歩くときに、1歩1歩足を置くタイミングを考えながら歩いているような状態です。
それって、自然に歩けるでしょうか。
きっととても不自然な歩行になるでしょうね。
『一定』を意識するあまり、いや、意識するからこそ、かえってわからなくなるのです。
一定とは、ある意味無意識な自然の流れであるのにもかかわらず、
それを『意識』に上げてしまうことによって、かえってそれが出来なくなる。
音楽や拍って、タイミング合わせではないのです。
意識して
意識してタイミングを合わせようとすることで、かえって合わなくなる…
そんなことも、よくありますよね。経験ありませんか。
「この音はみんなでタイミングを合わせて!」なんて言われたら…
かえって合わなくなったりしませんか。
むしろ逆に、
「合わなくっていいから自分の思うところで出て」とか、
「自然な流れの中で」とか言われた方が、合う、
そんなことって少なくないと思うのです。
合わなくっていいって言ってるんですよ。
むしろその方が、合ってしまう。
もちろん、意識してアインザッツを合わせなければならない場面というのもあります。
でも、そうではないところでいちいちタイミングを『意識』していたら…
かえって合わなくなってしまったり、
合ったとしても音楽がいびつで不自然なものになってしまったり…
作為的に意識することでは自然な流れや演奏って出来ないのです。
ぼくは指導のときに「タイミング」という言葉を使いません。
持っているテンポが…
合奏やアンサンブルが合うために、必要なこと…
よく「縦の線」なんて言い方がされますが、それがほんとうに合うためにも、必要なこと、
それは…
それぞれが持っているテンポが合うこと。
見た目の音符が合うこと以前に、その根底にあるそれぞれのテンポが合うこと、
これが大切だと思うのです。
だから、手拍子しながら歌って合わせるなんてことをするわけです。
その『手拍子』が合うことが、まずは大切なのですよね。
もちろんそのためにはそれ以前に、それぞれが自分の中にテンポを持っている必要がある。
テンポを持たずに演奏していたのでは、永遠に合うことはありません。
少なくとも、合っては聞こえません。
それぞれが自分の中にテンポを持つとは、それくらい大切なことなのです。
ルバート
さて、一定のテンポと書きましたが、世の中には一定のテンポではない音楽もありますよね。
たとえばルバート。
自由なテンポで演奏する音楽や箇所です。
また、アゴーギクというものもあります。
音楽的な要求に従ってテンポや拍を動かすことですよね。
どちらも『一定のテンポ』ではないわけですが、でも…
そういう音楽でも、まずは一定のテンポでやってみる、
一定にテンポで出来るようにすることって大切だと思うのです。
それをしないでただ気持ちの赴くままに自由に演奏するのと、
一定のテンポが出来た上で、その『テンポ』を揺らすのとでは、結果は雲泥の差ですよね。
さて、一定のテンポ、持っていますか。



