映画まみれR -9ページ目

エミリー・ローズ

『エミリー・ローズ』 (‘05/アメリカ)
監督: スコット・デリクソン


THE EXORCISM OF EMILY ROSE


「いい大人」にこそ観てもらいたい秀作。


広告としての予告編やCMなどは、当たり前だが配給の思惑でどうにでもなるもの。
実際の映画の内容とは、すこしテーマが違うような見せ方をし日本人の受けを狙った上で観客動員を図る。
「予告はよかったのに・・・」なんていうことはよくあるし、逆にいい意味で裏切られることも少なくない。


この『エミリー・ローズ』もそんな映画のひとつだ。
「悪魔憑き」をネタにした映画といえば、だれでも『エクソシスト』を思い浮かべるし、
あんなホラー映画を観たいと、中高生は『着信アリ』や「貞子」でも観にいくような感覚で劇場に足を運ぶかもしれない。そんなイメージで観た人たちは、映画が進むにつれ「あれ?」と感じ裏切られる。


レンタルになった場合は、間違いなく「ホラー」の棚におさまるんだろう。
もちろんこの映画はホラーでもあるし、それだけとってみてもとても怖い映画だ。
だが、ストーリーの核はよくあるB級ホラー的な安っぽいものではなく、
それよりももっと深い今まで誰も見たことがないような、悪魔の是非を裁判で明らかにしていく法廷劇が主軸だ。


ストーリーは裁判を進める過程で、実際に何が起こったのか、真相を過去を紐解く形で進んでいく。


裁判という場で、確証がどうしたって得られない悪魔についての是非を問うなんてことは、現実的にみて、

あまりにも「非現実」的だが、この作品は、70年代のドイツで実際に起こった事実を元に製作されている。
「悪魔祓い」の後に命を落としたある女性をめぐり、悪魔の存在を問う裁判が行われたのである。


THE EXORCISM OF EMILY ROSE 1



ムーア神父は悪魔に取り憑かれたという19歳の女子大生エミリー・ローズに悪魔祓いを施した末、

死に至らしめたとして過失致死罪で起訴される。
精神病であり、薬の服用が必要だったのにそれを止めた神父に罪があると主張する検察側に対し、
神父の話を尊重し悪魔憑きを主張する弁護側。こうして、法廷で前代未聞の裁判が行われる。


良識のある大人からすればバカバカしい、の一言で片付けられるかもしれない。
普通に考えれば病気説を採用するのが当然であるが、その理由はいったいなんだろう。
悪魔など、目に見えないもの、それ自体を認めることがあまりにも現実的ではないから?


立証する素材の多さでいえば明らかに病気という観点からの方が有利ではあるが、
この『エミリー・ローズ』では、病気であったとしても必ずしもそうだと診断がされているわけでもなく、
あくまでも可能性の域を出ていないもの。
そう考えると、悪魔憑きである、という仮説と土俵の上ではさほど変わらないのかもしれない。


陪審員と同じような立場からこの映画をみている感覚になるこの法廷内のやり取り。
最終的に裁判の結果は現実的なものではあったが、しかし結論としては悪魔の存在を肯定も否定も

しないものであった。
そう、この映画の中では直接的な答えは描かれてはいないのである。


それは、陪審員が下した結論同様に「可能性」という点から見れば、決して100%悪魔憑きということがあり得ないことではない、というものだ。
医学の進歩が飛躍的に発達した現在、精神病とひとことでかたづけてしまう、悪い言い方をすれば
病気にこぎつけてしまうのは簡単なことだ。
裁判の中で、弁護士のエリンは、「もっとも確証があること、疑いようもない事実はは神父のエミリーへの愛の深さだけである」と言う。
神父のエミリーへの愛の深さ、すべてを神父に委ねた信仰心の篤さと神父(神)への愛、立証はできないが
紛れもなく存在したものは個々にだけしかわからないものだ。


THE EXORCISM OF EMILY ROSE 3



劇中、神父は「神の問題を人間が裁くことは出来ない」と言う。
この映画のもうひとつのテーマが信仰に対する愛である。日本人のぼくらには信仰というものは
それほど生活に根付いたものではないかもしれないが、海外の人にとってはより深く生活に根付いたものだ。
そうみると、科学と信仰という相反するものの主張を問う、ということはある意味人間が審判を下すのはあまりにも大きい問題なのかもしれない。


この作品で、エミリーを演じたジェニファー・カーペンターの悪魔憑きの演技は驚愕ものだった。

『悪魔のいけにえ』終盤のマリリン・バーンズを髣髴とさせる、セリフよりも叫んでいるほうがおそらく多かったんじゃないかと思える恐怖をすさまじく感じる演技。
『エクソシスト』のリーガンこと、リンダ・ブレアが特殊メイクをふんだんに使ったのに対し、ほぼ演技ひとつで
悪魔に憑依された様をあそこまで恐ろしく演じたのはすばらしいの一言だ。

ただ、今後のキャリアを考えると些か不安。余りにもその映画のキャラクターのイメージが強すぎることは
必ずしも有利ではないから。


THE EXORCISM OF EMILY ROSE 2



劇中、エミリーが悪魔に取り付かれるのは午前3時。
午前3時というのは、西洋では悪魔が動き始める不吉な時間だといわれているそうだ。
それはイエス・キリストが十字架に張り付けられたのが午前9時、そして息絶えたのが、
午後3時だと言われていてその真逆に位置するのが午前3時だからだそう。


悪魔憑きという、ホラーの定番ネタをここまで、公に訴える映画は個人的には観たことがない。
その描写はやっぱり恐ろしく怖いが、信仰に対する深い愛というものの暖かさも感じる作品だった。

マイ・ボディガード

『マイ・ボディガード』 (‘04/アメリカ・メキシコ)
監督: トニー・スコット



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原作はA.J. クィネルの同名小説。原作と映画とのストーリーの相違や出来の善し悪し、

なんていう野暮なことは措いておいて、別物としてみても、いわゆるハリウッドの商業映画だと

一口に馬鹿にできない骨太映画に仕上がっている。


個人的にデンゼル・ワシントンはあまり好きではなかった役者で、『グローリー』や『マルコムX』など

黒人俳優らしい映画に出演していたときは良かったのだけど、
その後のハリウッドスターまっしぐら的な、駄作でも何でもお構いなしのラインナップはやっぱりいただ
けなかった。彼の印象が変わったのは『トレーニング・デイ』での骨っぽいあの役。
そしてこの『マイ・ボディガード』で今とても気になる役者になった。


この映画、PRの仕方は『レオン』のような孤独な男と少女との交流と純粋な愛を描いた作品のような、

どちらかというと女性を意識したものだったが、作品自体はまったくそれとは印象が違う。


いまでは口にするのも恥ずかしい『ボディガード』のように、自分を命がけで守ってくれる、

そんな恋愛風味の映画は女性にはおそらく受けがいいのかもしれないが、そこに「復讐」というテーマが

加わるとまったく違った印象の映画になる。
この映画はお涙頂戴の年齢という隔たりを超えた究極の純愛、などという甘い話ではなく復讐の話だ。

邦題やキャッチに惑わされると見事に裏切られることになる。


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原題は「MAN ON FIRE」。その名のとおり、炎のように熱い主人公ジョン・クリーシーを

デンゼル・ワシントンが『トレーニング・デイ』のような、男臭い無軌道さで文字通り熱く演じる。
デンゼル以外にもいい役者が出演している。少女ピタを演じるのはご存知ダコタ・ファニング。

『レオン』のナタリー・ポートマンのような「色気」はないが、無垢な少女という点ではいいキャスティングだったと思う。また脇を固めるのもクリストファー・ウォーケン、ミッキー・ロークなどといった曲者ぞろい。


元CIAのジョン・クリーシーは、過去の過酷な仕事からすっかり心を閉ざした生活を送っていた。
そこに、以前の仕事仲間から誘拐事件が多発するメキシコ・シティのある家の少女のボディガードを依頼される。
仕事を請け負い、少女ピタと交流をしていくうち閉ざしていた彼の心が徐々に開かれていく。


プロットだけみると、まさしく『レオン』のそれと似ている。
だが、笑顔のデンゼルと共に穏やかにストーリーが進むのは前半のみだ。
ピタに心を顕れ癒されていくクリーシーとピタとの幸せな心の交流が描かれるが、
彼女が誘拐をされてからの中盤以降は、クリーシーによる壮絶な復讐劇のはじまるとなる。


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ここから、『レオン』を期待していた観客はいい意味で裏切られることになる。
中盤以降は、ピタ不在のまま、クリーシーの徹底的に残酷で冷酷な復讐をこれでもかと、見せ付けられる。
前半と中盤以降では、違う映画を観ているようなそんな感じを覚えてしまうほど。

このデンゼルの拷問のように繰り広げられる復讐の限りは、ユマ・サーマンもびっくりの容赦ない「怨み節」さ全開。

一人また一人と黙々と復讐を続けるクリーシーからは過去の作品でのデンゼルの面影はみられない。


また見所なのは、トニー・スコットお得意のMTV的とでもいうべき懲った映像の作り方。
とくに興味深かったのが、スペイン語でやりとりが展開されるクリーシーの執拗な復讐のなかで、
字幕として使われるべき英語を映像の一部として使っている点。
この作り方はややしつこいと感じる人もいるだろうが、個人的に新鮮でスタイリッシュに写った。


ラストの顛末は、観ているにつれ大方予想がつくかもしれないが、「復讐」というテーマの

この『マイ・ボディガード』も後味は決してよくない。

誘拐の多発地帯といわれているメキシコならではの本作。小銭稼ぎのために日常的に誘拐が繰り広げられる、そういった実態こそリアルには描かれていないが、おなじみの大量生産のハリウッド映画の中では少し毛色が違う秀作だった。


歯医者までマラソン

歯医者に行ったよ。もうね、何年振りかっていうくらいですよ。

好きなやつはいないだろうけど、歯医者は大嫌い!つーか、怖すぎる。

おれはそんな痛みを愛する「JACKASS」野郎とは違うっつーの。ノーマルなんです。


診察台に座らされて、ちらっと横に目をやるとなにやらドリルみたいのやら、ドライバーみたいのやら

シルバーのあのキラキラした小道具たちの恐ろしさといったら!!


しばらくすると、↓こんなんがやってくんだよ。 なに持ってるんですか?それで何をするんですか?

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※『マラソン・マン』でおなじみの拷問歯科医さん。


シリアル・ママ 』のなかで、「いたた!なんて治療だ。『マラソン・マン』の歯科医よりひどい!!」

なんていうセリフがある。あれは拷問だけど、もうそれはそれは痛いイタイでトラウマだYO。

maraso うぎゃー!いたた!ごめんなさ~い。とダスティン・ホフマン拷問受診中の画。



あと、なんかこんなのもある。↓

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『THE DENTIST』!!!なんじゃ、こりゃ!? 

よくわからんが、とにかくすごい痛そうだぞ! しかもRED EDITIONとはいったい・・・(笑


そんなわけで、たかが歯医者ごときでここまでうろたえる、そんなチキン野郎(オレ)の明日はどっちだ!?




マンダレイ

『マンダレイ』 (‘05/デンマーク・スウェーデン・オランダ・フランス・ドイツ・アメリカ)
監督: ラース・フォン・トリアー


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前作『ドッグヴィル』から2年が経ち、ようやく発表されたラース・フォン・トリアーによる続編『マンダレイ』。
「アメリカ3部作」と呼ばれる一連の作品の2作目にあたる。

舞台は前作を踏襲した形で、やはり殺風景なセットに白線を引いただけの、ストーリーをより際立たせるものとなっている。

主演のグレースを演じるのは前作のニコール・キッドマンに代わり、ブライス・ダラス・ハワード。

やはり、二コールに比べるといささか頼りなげで、地味というか。そんなキャスティング。


ドッグヴィルを立ち去り新たな地を求めていたグレースと父親とギャングたちが辿り着いたのが、
アメリカ南部アラバマ州にある小さな農園マンダレイ。
この地は、70年も昔に廃止された黒人奴隷制度が今も色濃く残っている場所だ。

そう、今回トリアーがテーマとしたのは、アメリカができれば蓋をしておきたいこの奴隷制度、
そしてなにより昔から変わらない今のアメリカ自体を表した作品となっている。


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マンダレイの状況を見て、グレースはアメリカ的な使命感を感じ改革を進めていく。
奴隷制度の廃止、そして黒人たちの「自由」という名の解放を行うために、

理想的な民主主義という名の価値観を、武力を行使し推し進めようとする。


誰も頼んではいないことに、「無責任」に首を突っ込み、勝手に改革を進めていくのは正にアメリカだ。
必ずしも差し伸べたその行為は彼らのためではないだろう。

グレースに対して、彼女の父が言う言葉は象徴的だ。
「かごに入れられた鳥を自由がなくて不憫だと逃がしてあげる。だが、鳥はそれを望んでいるのか。
自由の意味すら知らずに生きてきた鳥は、どうすることもできずに結果死んでしまう。」


奴隷を作ったのは紛れもない白人だ。黒人を自分たちの地に「自分たちの都合」で無責任に連れてきて、
今度も自分たちの都合でその制度を廃止した。

かごから開放されたマンダレイの黒人たちは、染み付いた奴隷としてのルールなくてはすでに
生活をすることすらできない状況だ。というよりも、自由の意味を知らない人間にとって

目の前に「これが自由です」と差し出されたものが必ずしも彼らにとっての「自由」ではない。

良かれと思って行った行為だが、彼らにとってすれば言うなれば「大きなお世話」なのである。
彼らは彼らなりに、従順に奴隷として生活し、少しの幸せを持ち続け生活していた。
最終的に、マンダレイの住人たちは自分を見失い、元の生活に戻ることを望んでいく。


肌の色が違うだけで同じ人間。グレースが行おうとしていたことなど黒人たちはとっくに理解していたんだ。
そもそもグレースの行動からは、黒人に対する蔑視そして偽善的な哀れみに塗れたものだと感じる。

結果として、「権力」という名の武力の力がなくなることで身の危険を感じ、もう用がないと判断すればそそくさとその地を無責任に後にする。
このグレースの行動は昔からなにも変わらない今のアメリカを体現しているともみれる。


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鑑賞後は正直『ドッグヴィル』ほど不快な後味の悪さ、というものは感じなかった。
それはおそらく、『ドッグヴィル』がアメリカそして僕ら人間の醜悪さと誰もが持っている残酷な面を
徹底的に見せ付けたのに対し、今回のこの『マンダレイ』はより直接的に「アメリカ」を意識した
作品だったと感じられたからだろうか。それとも、前作での免疫が多少なりともあるからかもしれないが。


エンドロールで流れるのは前作同様デヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカン』。
軽快なこの曲をバックに映し出されるのは、今まで行ってきたことへの哀れな結果を残酷に見せ付ける。
過去何度も語りつくされた、決して今後もなくなることはないであろうこの余りにも根が深い奴隷制度という問題。

人間が作り出した、人間を人間と思わないこの問題に対しての罪の大きさを、殴られるような痛みと共に感じさせる作品だった。

ただ、一大決心をしたんだろうけど、ハワードのフルヌードの必要性がよくわからなかった。

別にあそこまでならなくてもよかったんじゃないか。


3作目は『WASINGTON』という作品のようだ。アメリカの首都名がついたこの最終章。

いよいよ本丸に到達したトリアーは、いったいどんな結末を用意してくるのだろうか。


チーム★アメリカ/ワールドポリス

『チーム★アメリカ/ワールドポリス』 (‘04/アメリカ)
監督:トレイ・パーカー



TEAM AMERICA



『パール・ハーバー』はクソだ。


いやいや、期待通りの出来だった。もう大笑いです。

『サウスパーク』でアニメ界に旋風と非難の嵐を巻き起こし、
アメリカのお茶の間を下半身の渦に巻き込んだご存知トレイ・パーカーとマット・ストーン。


映画版『サウスパーク』でもフセインを徹底的にレイプ&ゲイだとこけ降ろし、

テロ撲滅と反戦という、映画お決まりの熱いメッセージはまったく示さなかったあの彼らだ。

彼らが今度のターゲットにしたのは金正日と中東イスラム原理主義者の怖いこわいテロリストたち。
それと、偉そうに能書きをたれるハリウッドの役者ども(ちゃんと実名出てるし)だ。
※「自称」社会派ジャーナリストのメガネデブも一匹(でも、トレイは『ボウリング~』に出てるが)。


TEAM AMERICA 1



そんな連中を巻き込み、ハリウッドのヒットメーカー(?)ジェリー・ブラッカイマーが大好きな、
ビバ!アメリカ!を小馬鹿にしまくった、下ネタ満載というには余りにも安直なほど、

下半身とゲロにまみれた傑作だ。
しかも、今度は人形を使ったパペット・ムービーだ。吹き替えもほとんど二人でやってるし。

なぜ、彼らが役者を使わないかというとこれはいたってシンプル。


それは、自分が「特別」だと勘違いしたハリウッドの役者共が大嫌いだから。
少し名前が売れ始めると、急に政治的な発言をしだしたり、どっかの孤児を偽善の笑みを浮かべ
養子に迎え入れるあの連中を、だ。だから彼らはアニメを使い、今度は人形を使った。
確かに、人形だったら遠慮せずにこけ下ろせるし、いざとなればぶっ殺すのもお手軽だしね。
だから、この映画に出てくる役者たちは全員FAG(カマ野郎)呼ばわりされ散々な目に合う。


TEAM AMERICA 2



世界の平和を守り続けるサンダーバードのような世界の警察、チームアメリカの面々。
テロがあったらどこでも駆けつけるぜ、とのことで世界各国を飛び回り、テロを未然に食い止めるヒーローだ。

だが、彼らが立ち去った後は、テロがあったかと思うほどのひどい有様。
しかし大味なチームアメリカの面々はそんなことは微塵も気にしてはいない。正にアメリカ!


人形だからといって、甘くみてるとぶん殴られるから要注意だ。
ストーリーはおいて置いて、これらのパペットを作り出したのは一流のクリエイターたち。
人形一つ一つの動きや表情、建物や小物に至るまでの造詣の細かさ、リアルさはただただ脱帽だ。
真剣にバカバカしい映画を作ってます。すごい。


TEAM AMERICA 3



人形だからといって容赦はしない。むしろ人形だからもうやりたい放題で、
ハリウッドの有名役者たちが、『キル・ビル』もびっくりの爽快な死にっぷりを見せてくれる。

もちろんハリウッド映画お決まりのベッドシーンも満載だ。

でも、この映画でそんな甘っちょろいベッドシーンなわけがない。
このSEXシーンは分別のある紳士淑女なら大爆笑なこと請け合いだ。


TEAM AMERICA 4



もう40才近いトレイとマットがバービーとケンを使って試行錯誤した集大成だそうだ。

面白くないわけがない。 映画作りって楽しそうでいいな。大人ってすごい。

それに、人形だってやけ酒だって飲むんだ。ガブガブ飲んだらゲロゲロ吐くんだ。
このゲロ吐きシーンも名シーンの一つ。もうね、出すぎだから!笑い止まんねーだろ。おい!


TEAM AMERICA 5



人形だからってやりたいことを全部詰め込んでみました的なこの『チーム★アメリカ』には、
9.11以降アメリカに落とした深い闇やテロリストへの危惧、北朝鮮や中東情勢への社会的メッセージなど等、

は特にはない。

この映画に込めた彼らのメッセージは、劇中最後に語られる。
『オレはチ○コ野郎だ。だが、チ○コ野郎だって・・・(以下自粛)』。この感動の演説は絶対に見逃すな!


徹底的に下品なこと、それに大嫌いな役者どもをこけ下ろしたかっただけのようなこの映画、
ただ、それだけとはいえどここまでの(人前ではあまりいえない)ユーモアセンスと、映像や音楽を
作っちゃう彼らって、やっぱり「天才」なのかと思えたりもします。


America FUCK yeah!!