マイ・ボディガード
『マイ・ボディガード』 (‘04/アメリカ・メキシコ)
監督: トニー・スコット
原作はA.J. クィネルの同名小説。原作と映画とのストーリーの相違や出来の善し悪し、
なんていう野暮なことは措いておいて、別物としてみても、いわゆるハリウッドの商業映画だと
一口に馬鹿にできない骨太映画に仕上がっている。
個人的にデンゼル・ワシントンはあまり好きではなかった役者で、『グローリー』や『マルコムX』など
黒人俳優らしい映画に出演していたときは良かったのだけど、
その後のハリウッドスターまっしぐら的な、駄作でも何でもお構いなしのラインナップはやっぱりいただ
けなかった。彼の印象が変わったのは『トレーニング・デイ』での骨っぽいあの役。
そしてこの『マイ・ボディガード』で今とても気になる役者になった。
この映画、PRの仕方は『レオン』のような孤独な男と少女との交流と純粋な愛を描いた作品のような、
どちらかというと女性を意識したものだったが、作品自体はまったくそれとは印象が違う。
いまでは口にするのも恥ずかしい『ボディガード』のように、自分を命がけで守ってくれる、
そんな恋愛風味の映画は女性にはおそらく受けがいいのかもしれないが、そこに「復讐」というテーマが
加わるとまったく違った印象の映画になる。
この映画はお涙頂戴の年齢という隔たりを超えた究極の純愛、などという甘い話ではなく復讐の話だ。
邦題やキャッチに惑わされると見事に裏切られることになる。
原題は「MAN ON FIRE」。その名のとおり、炎のように熱い主人公ジョン・クリーシーを
デンゼル・ワシントンが『トレーニング・デイ』のような、男臭い無軌道さで文字通り熱く演じる。
デンゼル以外にもいい役者が出演している。少女ピタを演じるのはご存知ダコタ・ファニング。
『レオン』のナタリー・ポートマンのような「色気」はないが、無垢な少女という点ではいいキャスティングだったと思う。また脇を固めるのもクリストファー・ウォーケン、ミッキー・ロークなどといった曲者ぞろい。
元CIAのジョン・クリーシーは、過去の過酷な仕事からすっかり心を閉ざした生活を送っていた。
そこに、以前の仕事仲間から誘拐事件が多発するメキシコ・シティのある家の少女のボディガードを依頼される。
仕事を請け負い、少女ピタと交流をしていくうち閉ざしていた彼の心が徐々に開かれていく。
プロットだけみると、まさしく『レオン』のそれと似ている。
だが、笑顔のデンゼルと共に穏やかにストーリーが進むのは前半のみだ。
ピタに心を顕れ癒されていくクリーシーとピタとの幸せな心の交流が描かれるが、
彼女が誘拐をされてからの中盤以降は、クリーシーによる壮絶な復讐劇のはじまるとなる。
ここから、『レオン』を期待していた観客はいい意味で裏切られることになる。
中盤以降は、ピタ不在のまま、クリーシーの徹底的に残酷で冷酷な復讐をこれでもかと、見せ付けられる。
前半と中盤以降では、違う映画を観ているようなそんな感じを覚えてしまうほど。
このデンゼルの拷問のように繰り広げられる復讐の限りは、ユマ・サーマンもびっくりの容赦ない「怨み節」さ全開。
一人また一人と黙々と復讐を続けるクリーシーからは過去の作品でのデンゼルの面影はみられない。
また見所なのは、トニー・スコットお得意のMTV的とでもいうべき懲った映像の作り方。
とくに興味深かったのが、スペイン語でやりとりが展開されるクリーシーの執拗な復讐のなかで、
字幕として使われるべき英語を映像の一部として使っている点。
この作り方はややしつこいと感じる人もいるだろうが、個人的に新鮮でスタイリッシュに写った。
ラストの顛末は、観ているにつれ大方予想がつくかもしれないが、「復讐」というテーマの
この『マイ・ボディガード』も後味は決してよくない。
誘拐の多発地帯といわれているメキシコならではの本作。小銭稼ぎのために日常的に誘拐が繰り広げられる、そういった実態こそリアルには描かれていないが、おなじみの大量生産のハリウッド映画の中では少し毛色が違う秀作だった。