前回の続きで、岐阜県揖斐郡にある野古墳群の見学記ですハート南出口古墳→南屋敷西古墳を見た後、次に登越古墳(4号墳)に向かいましたランニング

今回は、登越古墳、8号墳、9号墳をレポートしますカメラ

上矢印上の赤丸が登越古墳、その下が8号墳、9号墳ですキラキラ

上矢印登越古墳は、南屋敷西古墳からよく見えますね虫めがね

野古墳群の中では最大の前方後円墳で、5世紀中頃~5世紀後半の築造レンチ

大親分の登場です!!

上矢印墳丘長85m、周濠を含めると推定130m丸レッド

墳丘は、全長90mを超える可能性もあるとされています虫めがね

上矢印青い空に映える前方後円墳晴れ

美しい!!

墳丘の残り具合も良く、私にとってはこれが心の洗濯になります爆  笑

上矢印後円部から前方部を見たところカメラ

前方部の横に、昭和20年代まで14号墳という円墳がありました丸レッド

推定で直径34mなのですが、円墳にしてはなかなかのサイズ感OK

上矢印前方部から後円部を眺めると、モタレ古墳の墳丘が見えましたキラキラ

野古墳群では、他の古墳が近くて結構見えるので、これが萌えるポイントのひとつですねラブラブ

上矢印前方部からは、南屋敷西古墳、南出口古墳も見えます虹

南屋敷西古墳に向かって「おぉ~い」って叫ぶ実験をしてみたいです爆  笑

私の声は届くのでしょうかカラオケ

上矢印登越古墳の東側に、8、9号墳がありますランニング

7号墳、登越古墳もチラッと見えています旗

 

8号墳は、一辺15.8mの方墳四角オレンジ

9号墳は、全長30.5mの前方後円墳丸レッド前方部は削平されて、その姿はありません。

 

同時に古墳群を見学していたグループの方々がいらっしゃいまして「これ前方後方墳だよね」「そうそう」なんて会話をしておられましたあせる

 

「後方墳ではなく後円墳ですよ!」と言いたかったのですが、いきなり話しかけるのも気が引けますよねお願い

ちょっと気になりつつ・・・

古墳巡りは続きますウインク

 

(参考文献)大野町教育委員会「史跡野古墳群5」1995年3月

前回の続きで、岐阜県揖斐郡にある野古墳群の見学記ですラブラブ

南出口古墳(野5号墳)を見た後、その北側にある南屋敷西古墳(野3号墳)に向かいましたランニング

徒歩約3分で到着!!

上矢印現存する古墳の中では、大型に分類される前方後円墳です王冠2

上矢印ガードレールの向こう側に、墳丘が見えてきましたOK

おお~っ、美しいですピンクハート

墳丘長78.3m、5世紀末~6世紀初頭の築造と推定レンチ

上矢印土取りにより、後円部の一部が削られていますが、全体の形はわかります虫めがね

上矢印野古墳群全28基の中に、墳丘長70~80mの前方後円墳が8基あり、その中のひとつがこの南屋敷西古墳ですカメラ

 

古墳群の中で、時代差もありますが、大きさだけで考えると上位のリーダーだったのかもしれませんねまじかるクラウン

上矢印前方部から後円部を見たところカメラ

後円部がガッサリ削られていますが、その他はよく残っていると思いました旗

 

戦前まで、北から東にかけて池になっていたので、人があまり入らず荒らされなかったのかも!?ラブ

上矢印後円部から前方部を眺めたところカメラ

高さ6mの後円部から、平野が見渡せますOK

上矢印南出口古墳も見えます!!

眺めの良さに感動して、軽く失神するかと思いました爆  笑

 

南屋敷西古墳は、野古墳群内の主要な前方後円墳と形態が類似しています丸レッド

平面形の相似関係から考えると、断定はできないものの、築造技術が共有されていることが想定されるそうですひらめき電球

 

複数の前方後円墳を、同じ技術者集団『株式会社前方後円墳』が築造した可能性があるのかもしれませんね爆笑

 

ここを見学したのは5月なので問題なかったのですが、真夏に徒歩で見学すると干物になりそうですあせる

日陰がなく太陽が直撃しますので、野古墳群は春か秋の見学が良さそうです晴れ

 

~続く~

 

(参考文献)岐阜史学会「岐阜史学(84)」1991年7月

 

 

 

 

 

 

 

 

5月に岐阜県で古墳巡りをしていたのですが、そのお話の続きですラブ

揖斐郡大野町の野古墳群を見学してきました!!

 

野古墳群は、28基で構成されているのですが、現在確認できるのは9基ウインク5世紀中頃から6世紀初頭の築造とされていますレンチ

古墳が約1km四方という狭い範囲に密集しているので、全部歩いて回りました走る人

歩くと、それぞれの古墳間の距離感がわかるので、古墳時代に生きた人の気持ちになれます(笑)

上矢印まず、大野バスセンターから北に20分少々歩き、この看板を左に入ります旗

上矢印古墳群の北にある駐車場から、南側を見渡したところカメラ

古墳が、一定のエリア内に並んでいる風景が見えました虫めがね

上矢印徒歩の場合は南側から入るので、見学するのは南出口古墳(野5号墳)からになりますキラキラ

赤丸のところです二重丸

上矢印あっ、墳丘が見えてきましたピンクハート

南出口古墳は前方後円墳で、墳丘長78.3m丸レッド

5世紀後半~6世紀初頭の築造レンチ

上矢印草で見えませんが、前方部2段、後円部3段築成ですキラキラ

土がつき固められた部分があり、土盛りが雨で崩れないようにされたものと考えられていますバイバイ

上矢印前方部から後円部を見たところカメラ

 

後円部の堅穴式石室から、鎏金(りゅうきん)獣帯鏡が見つかっています虫めがね中国製で、金メッキがほどこされた超貴重な鏡なんです王冠2

 

日本国内には3枚しかなく、そのうちの1枚が南出口古墳にあったのですが、どういうルートで鏡がたどり着いたのでしょうかびっくり

上矢印後円部から、南屋敷西古墳(3号墳)、モタレ古墳(1号墳)、登越古墳(4号墳)が見えますカメラ

 

この3基も前方後円墳ですが、中でもやはり鎏金獣帯鏡をもつ南出口古墳は、特別な被葬者なのだと思います王冠2

金メッキの鏡は、1983年の資料だとここが1例目で、当時はまだ他にないレア鏡でしたキラキラ

 

実は、私も金メッキ鏡(?)を持っているんですよ!!

上矢印奈良県の博物館で販売されているんですけどね(笑)

もちろん、本物の金メッキではありませんが、首長の気分を味わえるかもしれません爆  笑

 

では、野古墳群のお話は次回へと続きますひらめき電球

 

(参考文献)大野町教育委員会「史跡野古墳群調査概報1」1983年3月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続きで、埼玉県入間郡の古墳巡りについてですラブ

毛呂山町の川角(かわかど)40号墳を見た後、埼玉医科大学の前を通り、川角22号墳に向かいましたランニング

 

川角古墳群は、円墳42基からなる古墳群なのですが、中世に墓域として再利用された可能性が指摘されていますひらめき電球

その様子がわかるのは、川角22号墳のあたりなのです旗

 

今回は、見応えのない写真ばかりで、ただの空き地にしか見えないのですが(笑)爆  笑

空き地ではないんです!!じっくり観察してきましたカメラ

上矢印埼玉医科大から北に進むと、歩道沿いにある林の中に、川角古墳群の円墳がチラッと見えていますピンクハート

上矢印円墳の先に「崇徳寺跡」という標柱があり、ここに広場のような空間が広がっていますキラキラ

板碑の出土や、中世墓が検出された中世の寺跡ですお願い

 

調査の後、埋め戻されているのですが、土塁は残っていますし古墳もあるんですよ爆笑

上矢印東側から見たところカメラ

右にある土盛りが土塁で、白い線を入れたあたりが、中世の1~3号墓があった位置です虫めがね

 

白い線はイメージなので、正確な位置ではなく、参考程度でお願いしますウインク

上矢印土塁の東側に、川角22号墳があります丸レッド円墳です。元々、川角古墳群として円墳が沢山並ぶエリアなので、中世にもここは墓域だという認識があったのだと思います。

 

中世の人々がここを再利用したという可能性は、確かにあるのではないでしょうかOK

上矢印22号墳の南側は、中世板碑の集積(黄色の線)と、北墓域(白色の線)になりますお願い

 

私は古墳オタクなので、中世のことはわからないのですがあせる

北墓域から、高さ3m、延慶3年(1308年)と刻まれた板碑が発見されています!!

上矢印その板碑は、向かい側の林に保存のためお引越ししていますキラキラ横にあるのは、川角1号墳です。円墳丸レッド

(写真の色が変なので、イメージでお楽しみください)

 

板碑には、男女2名の名前が刻まれ、その下から蔵骨器が見つかっていますお願い

上矢印また崇徳寺跡に戻りますが、土塁はわりとわかるので、土塁好きな方にはオススメですラブラブ

 

土塁が趣味の方は少ないとは思いますが、古墳好きよりは多いのではないかと思います。

えっ、そうでもないでしょうか!?爆  笑

 

知り合いに野球場が趣味という男性がいるのですが、これもかなりレアで、全国の野球場を回っておられます車

プロ野球ではなく、野球場のファンなのです(笑)

 

趣味は自由なので、これからも楽しんでいきたいと思います~ベル

 

(参考文献)埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会「毛呂山町川角古墳群・崇徳寺跡ー第1次発掘調査報告書ー」2014年3月

 

4月に、埼玉県入間郡毛呂山町で古墳巡りをしていたのですが、その続きですラブ(4月のブログに、毛呂山町での話を書いていました)

 

大類古墳群をウロついていた時に、木々の中に赤い旗がチラッと見えました旗

上矢印何でしょうね~!?

鳥居が見えたので神社だと思い、覗いてみたところカメラ

上矢印あっ、古墳ですねびっくり

墳丘に黄色い線を入れました。

木に白い説明板がかかっているので、近づいてみますランニング

上矢印手書きなので、地主さんが用意してくださった説明板かもしれませんキラキラ大変ありがたく、古墳を大事にしている気持ちが伝わってきましたラブラブ

 

この稲荷社にある塚は、川角(かわかど)古墳群に属する川角40号墳であることが示されていましたひらめき電球

築造時期は、6世紀末~7世紀初頭レンチ

 

川角古墳群は、42基の円墳からなる群集墳ですラブラブ40号墳は、群集墳エリアの一番東側に位置します丸レッド

上矢印写真にするとわかりにくいのですが、少し離れて見ると墳丘全体が見渡せましたラブ

上矢印別の角度からカメラかなり形状が変わっているので、円墳だとは分かりにいくのですが、後世まで残ってほしいです。

 

川角40号墳から北に歩くと、畑の中にこんもりとしたものがふたつありました丸レッド

上矢印この塚は、川角古墳群の分布図には含まれておらず、ネット情報では隣接する大類古墳群の一部だとされています。

 

自分できちんと調べたいので、また改めて資料探してみます!!こちらも、畑の中にありながら削平されていないので、地主さんが残してくださっているような感じがしますお願い

 

古墳や遺跡を残すには、まず地主さんや地元の理解が必要ですひらめき電球なんと、私の叔父の山にも製鉄遺跡があるとわかり、私は発狂レベルで喜んでいますハート

しかも、土地開発が及ばない田舎の山ですから、遺跡は残せそうです照れ

古墳もあるといいな~なんて、甘い夢を見ているところです(笑)

 

(参考文献)駒沢大学考古学研究室「埼玉県入間郡毛呂山町 川角古墳群測量調査報告書 14、16、23~30号墳」2022年