5月に岐阜県で古墳巡りをしていたのですが、そのお話の続きです
揖斐郡大野町の野古墳群を見学してきました
野古墳群は、28基で構成されているのですが、現在確認できるのは9基5世紀中頃から6世紀初頭の築造とされています
古墳が約1km四方という狭い範囲に密集しているので、全部歩いて回りました
歩くと、それぞれの古墳間の距離感がわかるので、古墳時代に生きた人の気持ちになれます(笑)
まず、大野バスセンターから北に20分少々歩き、この看板を左に入ります
古墳群の北にある駐車場から、南側を見渡したところ
古墳が、一定のエリア内に並んでいる風景が見えました
徒歩の場合は南側から入るので、見学するのは南出口古墳(野5号墳)からになります
赤丸のところです
あっ、墳丘が見えてきました
南出口古墳は前方後円墳で、墳丘長78.3m
5世紀後半~6世紀初頭の築造
草で見えませんが、前方部2段、後円部3段築成です
土がつき固められた部分があり、土盛りが雨で崩れないようにされたものと考えられています
前方部から後円部を見たところ
後円部の堅穴式石室から、鎏金(りゅうきん)獣帯鏡が見つかっています中国製で、金メッキがほどこされた超貴重な鏡なんです
日本国内には3枚しかなく、そのうちの1枚が南出口古墳にあったのですが、どういうルートで鏡がたどり着いたのでしょうか
後円部から、南屋敷西古墳(3号墳)、モタレ古墳(1号墳)、登越古墳(4号墳)が見えます
この3基も前方後円墳ですが、中でもやはり鎏金獣帯鏡をもつ南出口古墳は、特別な被葬者なのだと思います
金メッキの鏡は、1983年の資料だとここが1例目で、当時はまだ他にないレア鏡でした
実は、私も金メッキ鏡(?)を持っているんですよ
奈良県の博物館で販売されているんですけどね(笑)
もちろん、本物の金メッキではありませんが、首長の気分を味わえるかもしれません
では、野古墳群のお話は次回へと続きます
(参考文献)大野町教育委員会「史跡野古墳群調査概報1」1983年3月