12月28日付けのブログの内容の続きです。

 

⑪三島由紀夫『ぼくの映画をみる尺度』(潮出版社)

 *当ブログ2024年12月1日に取りあげた書物。

 

⑫ヴォルフガング・シュトレーク『時間かせぎの資本主義』(鈴木直訳 みすず書房)

 *著者の主張は比較的明解である。第2次世界大戦終了から1970年頃までの資本主義の発展を資本主義と民主主義のハネムーン時代と位置づけ,それがニクソンショックによって資本主義は自らの延命策を講じなければならなくなったとする。それがタイトルにある「時間かせぎ」ということであるが,「時間かせぎ」なのでやがてほころびが出てきて次の「時間かせぎ」に移行していくという経過をたどらざるをえなかった。具体的には70年代のインフレ政策,80年代の国債発行と金融市場の自由化,90年代におけるサブプライムローンに見られるような国家債務の家計債務への付けかえという3段階をたどったのであるが,この最後の「時間かせぎ」がリーマンショックに至ったのは記憶に新しいところである。その他,ヨーロッパの通貨同盟の問題点にも言及していて読み応えはあるのだが,肝心の「時間かせぎ」をしなければならない資本主義の根本的な問題が何かということには触れておらず,その点に疑問は残った。

 

⑬大木毅『独ソ戦』(岩波新書)

 *当ブログ2024年2月12日に取りあげた書物。

 

⑭佐伯啓思『経済学の犯罪』(講談社現代新書)

 *本書のタイトルにある「経済学」とは,新自由主義的な考えに基づく経済学であり,この経済学を批判するという点に本書の大きなテーマの一つがある。著者も述べていることだが,私が経済学部の学生であった1970年前後,経済学にはさまざまな潮流があった。大きく分ければ新古典派経済学とマルクス経済学であり,前者は「新古典派総合(アメリカケインジアン)」と「シカゴ学派」に分かれ,それ以外にも「制度学派」(アメリカ),「ケンブリッジ学派」(イギリス)などがあった。ところが,1970年代になると社会主義の矛盾の露呈とともにマルクス学派が衰退し,1980年頃にはケインズ学派の限界が指摘されることによって「シカゴ学派」,つまり現在の新自由主義的な思想に基づく経済学の一人勝ちになったのであるが,この学派の根本的な問題点を指摘しながら新たな方向性を模索しているのが本書である。前回の当ブログでも取りあげたが,保守派の論客であるこの著者の考え方にはとても惹きつけられるところがあり,当分追いかけることにした。

 

⑮平野啓一郎『日蝕・一月物語』(新潮文庫)

 *芥川賞を受賞した『日蝕』は当時「文藝春秋」で読み始めたのだが,何となく難しくて途中で放棄した記憶がある。しかし,今回はなぜかかなり面白く読むことができた。最近,錬金術に少し関心があることがその原因かもしれないし,難しい漢字にルビが振ってあるのもとてもよい。

 

⑯舛添要一『プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲』(インターナショナル新書)

 *ウクライナ戦争の行方は予断を許さない状況にあるが,本書はウクライナ戦争を,プーチンという人物,ロシア史,ウクライナ戦争の流れという3つの観点から考察した書物である。著者は最後に「残念ながら,第三次世界大戦への扉が開かれつつあるように思う」と述べているが,この予言が実現しないことを望みたい。

 

⑰栗本慎一郎『経済人類学』(講談社学術文庫)

 *1980年に出版された本の文庫版であるが,直すところがなかったと著者が言うように,古いところがまったく感じられない。逆に言えば,この分野の研究がほとんど進捗していないということにもなるだろう。そもそも,「経済とはなにか?」,「貨幣とはなにか?」について,商品経済だけを見ていても解明できるとは思われないのだ。

 

⑱桐野夏生『OUT 上・下』(講談社文庫)

 *上下巻合わせると800ページ弱だが,ほぼ一気読み。とても面白かったが,ラストの展開はちょっとね…。

 

⑲チームK『私たちは売りたくない』(方丈社)

 *10月1日からコロナワクチンの秋の定期接種が始まったが,レプリコンワクチンを巡っては様々な噂が飛び交ったようで「接種した人の入店お断り」などといった事態まで起きたようだ。この本はレプリコンワクチンを製造したMeiji Seikaファルマの現役社員(たち?)によるその危険性についての警告本であり,売れ筋の書ということもあって,とりあえず読んでみた。で,感想は? ウ~ンよく分からない。(笑) 著者はレプリコンワクチンだけではなく,mRNAワクチンそのものが有害だと述べており,そのポイントは,①mRNAを囲っているLNP(脂質ナノ粒子)が全身の器官で炎症を引きおこす,②mRNAワクチンが細胞内で産生させるスパイクタンパクに強い毒性がある,③人間の免疫システムがスパイクタンパクを作る自分の細胞をウィルスに感染した細胞と見なして攻撃する,の三点である。レプリコンワクチンは体内で自己増殖するのでさらに危険だということらしいのだが,結局,私のような素人にとっては「信じるか,信じないか」の選択にしかならないので,「ウ~ン」となるわけだが…。

 

⑳中野剛志『世界インフレと戦争』(幻冬舎新書)

 渡辺努『世界インフレの謎』(講談社新書)

 *我が国だけではなく世界的にも喫緊の経済問題はインフレ対策であろう。そのためにはその原因を明らかにすることが重要だが,それが論者によって様々であるところに問題の難しさが表れていると言えるだろう。中野はインフレにはディマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレという二種類があり,現在のインフレは後者であり,供給の減少にその原因があるとし,「恒久戦時経済」にその打開策を探る。渡辺の場合は新型コロナウィルスの出現に対する人々の行動変容にインフレの原因を求め,その行動変容を手がかりとして社会と経済をよりよい方向に変えていく変革の原動力にすべきだと主張する。両者の間に共通点はないが,私の理解では,中央銀行の金利操作に解決の糸口を求めていないという点は共通しているように思われる。

 本日(12月28日)の「朝日新聞」朝刊にライターの武田砂鉄が「ひもとく」の欄に「今年売れた本」について一文を寄せている。そこに日販調べによる「2024年ベストセラー」(23年11月22日~24年11月19日)が掲載されていて,以下のようである。

 

①変な家2 11の間取り図  ②大ピンチずかん 2  ③成瀬は天下を取りにいく  ④大ピンチずかん  ⑤変な家  ⑥変な絵  ⑦頭のいい人が話す前に考えていること  ⑧WORLD SEIKYO vol.4  ⑨パンどろぼうとほっかほっカー  ⑩TOEIC L&R 出る単特急 金のフレーズ  ⑪パンどろぼう  ⑫成瀬は信じた道をいく  ⑬パンどろぼうとりんごかめん  ⑭書いてはいけない  ⑮新版 科学がつきとめた「運のいい人」  ⑯キレイはこれでつくれます  ⑰英単語ターゲット1900  ⑱小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本  ⑲続 窓際のトットちゃん  ⑳ポケモン パルデア図鑑 (記事には著者名,出版社名も掲載されているが,ここでは省略。)

 

 リストをザッと見て私が読んだ本は⑤雨穴『変な家』(飛鳥新社)と⑭森永卓郎『書いてはいけない』(三五館シンシャ)の2冊だけで,③,⑰,⑲以外はタイトルも知らない本ばかりである。⑤は当ブログでも取りあげたが,期待ほどの出来ではなかった。⑭は著者が遺書のつもりで書いた本のようで,我が国のメディアが絶対触れない3つの話題を取りあげている。そのうちの一つである「ジャニーズの性加害問題」についてはBBCが取りあげて以降周知の事実にはなったが,それがなければ未だに私たちの知るところではなかったかもしれない。残りの2つのうち,著者の造語になる「ザイム真理教」は要するに前著でも展開されていた財務省批判である。最も目新しいのは第3の「日航123便はなぜ墜落したのか」だが,森永の主張のポイントは2つで,日航機の墜落は事故ではなく事件だということと,それ以来日本の新たな対米従属が始まったということである。ことの真偽は私には判断できないが,政治サスペンス小説を読んでいるようで,とても興味深かった。

 

 ところで,上の「ベストセラー20」だが,武田砂鉄は「いわゆる本好きは今回のベストセラーリストを眺めた上で,自分が選んだ本との毛色の違いに驚くはず。しかし,その驚きを冷静に見定める視点を残しておきたい」と言って記事を結んでいる。

 

 私は自分のことを「本好き」などとはおこがましくてとても言えないが,ベストセラーリストを見て自分が選んだ本との毛色の違いに驚いたことは確かだ。そこで,以下に私が今年読んだ本のリストを眺めてみてベスト20を挙げてみた。(今年読んだ本は全部で112冊だった。)

 

①デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』(酒井隆史訳 光文社)

 *啓蒙思想家たちによって描かれた従来の人類史を根本から転覆。当ブログ2024年7月11日に取りあげた書物。

 

②佐伯啓思『貨幣 欲望 資本主義』(新書館)

 *1990年代以降のグローバリズムは一般には資本主義の新しい現象であると考えられているが,実はそうではなく,18世紀の重商主義的思考の延長上にあると捉え,アダム・スミス以降の経済学の歴史はその思考を闇に葬ってきたのであり,グローバリズムという現象を理解するには重商主義的思考がもたらした資本主義の側面を考察する必要があるとする書物。ジョン・ローから始まり,ニュートン,ウェーバー,フロイト,ゾンバルト,ユダヤ教,プロテスタンティズムなど,論点は多岐にわたるが,非常に刺激的な書物である。本書は2000年に公刊された書物だが,その後,『貨幣と欲望』(筑摩学芸文庫)というタイトルで文庫化されている。

 

③ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳 新潮文庫)

 *今年文庫化されたのを機に読んでみた。登場人物の名前が紛らわしいが,掲載されている「ブエンディア家家系図」をコピーして読み進めたら,「やめられない,とまらない。かっぱえびせん」になってしまった。なぜ今まで読まなかったのだろうか?

 

④福岡伸一『フェルメール 光の王国』(木楽舎)

 *当ブログ2024年5月29日に取りあげた書物。

 

⑤施光恒『英語化は愚民化』(集英社新書)

 *政治学者が書いた反英語化論。現在我が国の政府と財界が推し進めている日本の英語化の問題点を様々な観点から批判している。例えば,宗教改革は聖書をラテン語やヘブライ語から土着語(ドイツ語,フランス語など)に翻訳することで,知,つまり抽象的観念の一般化をもたらし,そのことが近代化を達成したのだと主張。それは福沢諭吉,馬場辰猪,夏目漱石などの反英語公用語化論にも当てはまるのであって,それがグローバリズムが要求する日本英語化に反対する論拠にも通じると主張する。「ちょっと言い過ぎでは?」と思える箇所も散見されるが,基本的な論点は首肯できる。

 

⑥佐々木実『竹中平蔵 市場と権力』(講談社文庫)

 *高校時代,社会哲学部に所属し,日本共産党の下部組織である日本民主青年同盟(民青)の活動家との交流を通じてマルクスなどを読んでいた竹中平蔵が権力の中枢に近づき「構造改革」の飽くなき追求者になるまでを描いたドキュメンタリー。この両者は矛盾するように見えるが,その原点にあるのは父親が一生懸命働いているのに豊かにならないことに対する疑問だったのだろう。そして,その疑問はあるときから「自由の国」アメリカに対する憧れになったのだろう。竹中が初めてアメリカに留学した1980年代の初めはケインズ経済学の限界が露呈し,ミルトン・フリードマンを初めとする新自由主義的な経済学が台頭してきた時期であり,その経済思想が彼の生来の上昇志向と結びついた結果が現在の我が国の格差社会を作ったと言っても過言ではないであろう。

 

⑦村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)

 *当ブログ2024年2月28日に取りあげた書物。

 

⑧山本圭『嫉妬論』(光文社新書)

 *当ブログ2024年5月22日に取りあげた書物。

 

⑨ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(丹治愛訳 集英社文庫)

 *映画『めぐりあう時間たち』を再鑑賞するきっかけとなった書物。この本を読んだおかげでこの映画に対する評価が180度変わった。

 

⑩広尾晃『データ・ボール』(新潮新書)

 *映画『マネーボール』はセイバーメトリクスを用いて従来とは異なる尺度で選手を評価することで弱小球団であったオークランド・アスレチックスが2004年のワールドシリーズで優勝するまでを描いた作品だ。これは現在のデータを駆使したMLBの野球の出発点になったのであるが,その点でNPBはかなり立ち後れてはいる。しかし,昨年のWBC以降,その状況は徐々に変わりつつあるようにも思われるが,本書はそういったデータ野球の最前線を紹介するという点で恰好の書物と言える。

 ⑪以下は明日のブログで…。

 先日,自分の書棚を見るともなく見ていたら三島由紀夫『ぼくの映画をみる尺度』というタイトルの書物が目に留まった。奥付を見ると「昭和55年2月25日 発行」となっている。昭和55年と言えば西暦1980年にあたるが,自分ではこの書物を買った記憶は全くないのである。ただ,ページをパラパラと捲ると自分の字で所々に書き込みがあるので自分の所有物であることが確認できたと同時に興味が湧いてきて(再度?)読んでみることにした。

 本の成り立ちは昭和30年代を中心に20年代末から40年代初めにかけて『スクリーン』や『映画芸術』といった映画雑誌や『婦人公論』その他の一般雑誌に掲載された三島の映画評を集めた書物なのだが,昭和31年2月の『スクリーン』に発表された「ぼくの映画をみる尺度 シネマスコープと演劇」という一文が冒頭に掲載されていてなかなか興味深い。

 その一文の書き出しを見ると,三島の映画をみる尺度が次のように述べられている。

「私がいい映画だと思うのは,首尾一貫した映画である。当たり前のことである。しかしこれがなかなかない。各部分が均質で,主題がよく納得され,均整美を持ち,その上,力と風格が加われば申し分がない。」

 これに続いてこの基準に従っていくつかの映画についての簡単な批評が続くのだが,三島の示している評価を○×で示すと以下のようである。

×「足ながおじさん」(構成に難)

×「青銅の基督」(滝沢の演技が均衡を破っている。)

○「エデンの東」,○「マーディ」(この2作品は上の各要請に答えている。)

○「天井桟敷の人々」(特に理由は述べられていない。)

×「埋れた青春」(上の各要請に万遍なく答えているようでありながら,登場人物が皆薄手である。人間が描かれていない。)

×「恐怖の報酬」(均整美が悉く犠牲に供されている。)

○「裏窓」(恐怖の裏側には,人間生活に対する余裕のあるシニシズムが行き渡っている。)

△「重役室」(いい映画になり損ねた。捨てがたい箇所は随所にあるが,クライマックスにおける主人公の描写に伏線が足らず,そこで均衡が破れて,破綻している。)

 

 この書物で私が最も興味を持ったのはヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』に関する三島の批評だ。三島は「久々に傑作といえる映画を見た。生涯忘れがたい映画作品の一つになろう。/この荘重にして暗欝,耽美的にして醜怪,形容を絶するような高度の映画作品を見たあとでは,大ていの映画は歯ごたえのないものになってしまうにちがいない」と絶賛している。私もこの映画は過去何度か観ていて素晴らしい作品だと思うが,この映画に対する三島の批評そのものが絶品なのだ。私などがそれをまとめるとうまく伝わらないと思われるので,いくつかの箇所を引用するに止めておく。

 

引用①

「この映画だけを見ても,圧倒的な病的政治学のカの下で,むしろ人間性は性的変質者によって代表されているのであり,幼女姦のマーチンも,男色の突撃隊も,その性的変質においてはじめて真に人間的であるのに反して,どこから見ても変質のカケラもない金髪の人間獣アシェンバッハ(このヘルムート・グリームという俳優はすばらしい)の冷徹な「健全さ」が,もっとも悪魔的な機能を果して,ナチスの悪と美と「健康」を代表しているのである。実に怖ろしいものはこちらにあるのだ。」

 

引用②          

「すべてが人間性の冒瀆に飾られたこの終局で,ヴィスコンティは,序景の,直接的暴力によって瞬時に破壊された悲劇の埋め合せを企らむのだ。それがもう少しで諷刺に堕することなく,あくまで正攻法で堂々と押して,しかも感傷や荘重さや英雄主義を注意ぶかく排除し,いわば「みじめさの気高さ」とでもいうべきものをにじみ出させ,表情一つ動かさぬマーチンの最後のナチス的敬礼をすら,一つの節度を以って造型する,…こういう「良い趣味」は,この映画のスタイルの基本である。参列の娼婦やならずものの描写の抑え方を見よ。そこには野卑すらが一つの静謐に参与している。」

 

引用③                                                

「ヴィスコンティがこの映画で狙ったものが,今さらナチス批判やナチスの非人間性の告発である,ということは疑わしい。二十世紀はナチスを持ち,さらに幸いなことには,ナチスの滅亡を持ったことで,ものしづかな教養体験と楽天的な進歩主義の夢からさめて,人間の獣性と悪と直接的暴力に直面する機会を得たのである。これなしには,人間はもう少しのところで人間性を信じすぎるところだった。古代の悲劇があれほど直截に警告していたところのものに,ナチスがなければ,人々はよもや二十世紀になって対面するとは思っていなかったのである。その無慈悲,その冷血,その犯罪の合法化,その悪の体系化,その死のエステティック,…そこからわれわれは,侮蔑というものの劇化の機縁を得たのだった。」

 

 

 

監督:松本優作

キャスト

 東出昌大(金子勇)

 三浦貴大(壇俊光)

 渡辺いっけい(北村文哉)

 吹越満(秋田真志)

 吉岡秀隆(仙波敏郎)

 

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ファイル共有ソフト「Winny」の開発者が逮捕され,著作権法違反ほう助の罪に問われた裁判で無罪を勝ち取った一連の事件を,東出昌大主演,「ぜんぶ,ボクのせい」の松本優作監督のメガホンで映画化。

 

2002年,データのやりとりが簡単にできるファイル共有ソフト「Winny」を開発した金子勇は,その試用版をインターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に公開する。公開後,瞬く間にシェアを伸ばすが,その裏では大量の映画やゲーム,音楽などが違法アップロードされ,次第に社会問題へ発展していく。違法コピーした者たちが逮捕される中,開発者の金子も著作権法違反ほう助の容疑で2004年に逮捕されてしまう。金子の弁護を引き受けることとなった弁護士・壇俊光は,金子と共に警察の逮捕の不当性を裁判で主張するが,第一審では有罪判決を下されてしまい…。

 

金子役を東出,壇弁護士役を三浦貴大がそれぞれ演じるほか,吉岡秀隆,吹越満らが脇を固める。(「映画.com」より)

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 ファイル共有ソフトWinnyを開発・公開したことで,著作権法違反幇助罪で逮捕・起訴され,7年半に渡る裁判を戦い2011年12月に最高裁で無罪を勝ち取った天才プログラマー金子勇の裁判を描いた映画。つまり,実話に基づく映画である。

 この事件が報じられた当時,私はWinnyの技術がどのようなものであり,P2Pがいかに画期的な技術であるのかということをよく知らなかった。今回少し調べてみて分かったのは,金子が7年半の間プログラミングの作業ができなかったことで我が国のIT 技術の進歩が外国に大きく後れをとったと言われていて,彼がいかに優秀なプログラマーであったかということである。もちろん,それを知らなくても映画の鑑賞には支障はない。したがって,ここではそういったことは脇に置いて映画としての内容についての感想を書くことにする。

 

 映画は金子が逮捕・起訴され一審で有罪になるまでを描いているのだが,裁判で争われたポイントは「他人の著作物を無断でコピーすることは著作権法違反であり罰せられるのは当然だが,そのための技術を開発して公開した者までもが著作権法違反幇助としてその罪を問われるべきなのか」ということである。金子の邪念のない技術開発の精神に共鳴して彼の弁護に全身全霊を傾けるのが弁護士の壇俊光である。この問題についての彼のスタンスは,例えば刃物が凶器として使われたとしても,それを作った職人が罪に問われるわけではないということだ。したがって,裁判はWinnyを製作した金子の製作意図を巡って争われることになる。しかし,この点で弁護側は不利な立場に置かれることになるのだ。それは,金子が警察の取り調べの中で警察官に誘導されて申述書を書くのだが,警察官が作った作文をそのまま写すようにと言われ,なんの疑いもなく「著作権侵害を満えん(金子は「蔓延」という文字を誤って記述している)させるためにWinnyを作りました」と書いてしまっているからである。もっとも,裁判では敏腕弁護士の秋田真志がその点について証人として出廷した警察官のウソを見事に暴き立てるのであるが…。

 映画を通じて描き出される金子勇の人物像は申述書の件でも分かるように,元来まったくのオタク気質でプログラミングについては天才的だが,非常に天真爛漫な人で社会常識にはとても疎い人物というイメージなのだ。その金子勇役を演じた東出昌大だが,体重を18kg増やして臨んだ演技がじつに見事で金子勇が乗り移ったのかと思わせるほどであった。演技という点で言えば,社会的感覚のズレている金子に少しやきもきしながらも必死に彼を支える弁護士の壇俊光役を演じた三浦貴大の演技もその思いを十分に観客に伝えるものがあったし,論理的に検察側の証人を追いつめていく秋田真志役の吹越満の安定した演技も印象に残った。

 このように,俳優陣の演技は申し分がないのだが,本作は映画としてのインパクトに欠ける面があり,その点が残念ではある。それはおそらくいろいろなものを詰め込みすぎたために,焦点がやや曖昧になってしまったためであろう。つまり,この映画は金子勇という人物を描きたいのか,Winny裁判の裁判劇なのか,警察の捜査のあり方を糾弾しているのか,金子と壇の友情を描いているのか…。おそらくそのどれをも描いているのだろうが,いずれもが中途半端な結果に終わってしまっているのだ。特に,平行して描かれる愛媛県警の裏金問題はWinny裁判と全く無関係ではないにしても,警察の腐敗を描くために挿入されている感があり,映画の焦点を却って曖昧にする結果になっているように思われた。

 

監督:ジェームズ・ヴァンダービルト

キャスト

 ケイト・ブランシェット(メアリー・メイプス)

 ロバート・レッドフォード (ダン・ラザー)

 デニス・クエイド(ロジャー・チャールズ中佐)

 エリザベス・モス(ルーシー・スコット)

 トファー・グレイス(マイク・スミス)

 

映画「ニュースの真相」は2004年のアメリカ大統領選の最中にCBSのスタッフが犯した「ラザーゲート事件」を扱った映画だ。したがって,実話に基づいた話であり,また当事者であったメアリー・メイプスの自伝を元に作成された映画なので,これをどの観点から見るかによって映画に対する評価も大きく変わってくるのではないだろうか。この映画は再鑑賞なのだが,再鑑賞した理由は近年我が国でもいろいろと問題になるメディアの報道の姿勢についてこの映画は一つの重要な視点を提供していると思われるからである。

 

(ほぼ完全なネタバレです。閲覧にはご注意を)

 再選を目指すジョージ・W・ブッシュ(共和党)とジョン・ケリー(民主党)の争いになった2004年のアメリカ大統領選挙。アメリカ最大手放送局CBSの看板番組「60ミニッツ」のスタッフがブッシュ大統領に軍歴詐称があるのではないかという疑いを持つ。具体的には,1968年,ブッシュがベトナム戦争への従軍を逃れるためにコネを利用して不正にテキサス州の空軍州兵に入隊したのではないかということと,その後の勤務実態にも疑わしい点があるということだ。「60ミニッツ」はダン・ラザーがアンカーマンを務める人気番組なのだが,プロデユーサーのメアリー・メイプスを中心として,ベトナム帰還兵のロジャー・チャールズ中佐,大学教授のルーシー・スコット,ウェッブ版ピープル誌の遊軍記者マイク・スミスの4人でチームが組まれ,ブッシュの軍歴詐称の証拠固めを始める。彼らは,リンダ・スターが運営する反ブッシュのサイトから,情報源としてビル・バーケットを探し当て,ブッシュが無許可離隊をしたことやブッシュが飛行停止処分になったことを記した文書のコピーを手に入れる。その文書にはブッシュの評価者として,すでに故人になっている「キリアン」の署名がある。ビルはその文書の入手先は言えないとしながら,結局,それはジョージ・コンであると話す。彼らは4人の文書鑑定専門家に依頼して,その文書が偽造ではないことをほぼ確信する。さらに,彼らは,バーンズがブッシュをコネで入隊させたと話している動画を入手し,バーンズの証言を取り付けるとともに,文書の内容を裏付ける人物として,キリアンの上司であったホッジス将軍に文書の内容を事実だと認めさせるのである。このような経緯を経て「60ミニッツ」はブッシュの軍歴詐称という大スクープを報道する。この報道は全米を震撼させるが,その数時間後,保守派のサイトから,キリアン文書にはタイプライターを使用していた1970年代にはなかった肩文字が使用されており,したがって,それはワードで作成された文書であることを示すものであって,キリアン文書は偽造されたものであるという指摘がなされ,ブッシュの軍歴詐称疑惑報道は思わぬ方向へと展開していくのである。

 映画はこの後,メアリーたちが必死になって当時の公文書から肩文字のthを見つけ出して反論するが,証言者たちが次々に自分の証言を翻すことによってCBSと「60ミニッツ」が追い詰められていく過程を描き出す。そして,CBSも会社を守るために独立調査委員会に依頼して番組の制作過程を調査する。メアリーに対する調査委員会の査問のシーンは見応えもあるが,結局,ダン・ラザーは「60ミニッツ」のアンカーを降板し,メアリーは解雇され,その他報道に関わった人間は全員CBSを去るのである。

 

 この映画はどのように評価すればよいのだろうか。たしかに,映画の後半は,メアリーやダンがジャーナリストとしての矜恃を失うことなく大バッシングの嵐や保身に走るCBSに立ち向かっていく様子やメアリーを励まし支えてくれる夫の姿,さらにはメアリーの父親との確執などにも触れており,それがケイト・ブランシェットの相変わらず安定した演技と相俟って感動的な仕上がりになってはいる。この作品がメアリー・メイプスの自伝に基づいているということを考えるならば,制作意図はおそらく独立調査委員会におけるメアリーの次のようなセリフにあるのだろう。

「異常なほど騒いで,すべてが終わったときには主旨が何だったかを思い出せない。」つまり,自分たちは過ちを犯したが,それによってブッシュの軍歴詐称疑惑がなくなったわけではないのだということである。たしかにその通りなのかもしれない。実際,独立調査委員会の席上でメアリーが言ったように,これは用意周到に仕組まれたワナだった可能性も捨て去ることはできないだろう。全ては「藪の中」なのだ。しかし,どこかに違和感が残るのだ。それは,映画のテーマが彼らは若干の過ちを犯したが,ジャーナリストとしての奮闘振りは称えられるべきであるという点に流れすぎている点にあるように思われるからである。ダンが「60ミニッツ」の最後の回の終わりに言った言葉 "courage"は,その点でうまい演出で思わずホロッとさせられるシーンではあるが…。

 

 報道に携わる人たちにとってこの映画が「事実上」投げかけている問題は,自分たちが報道する記事は100パーセント裏取りがなされていない限り報道するべきではないということなのか,それとも若干の曖昧な部分はあるにしても報道するべきことは存在するのではないかということである。つまり,報道のあり方を巡る問題である。その観点からこの映画を検証してみたい。

 まず,前半のブッシュの軍歴詐称疑惑を追及するプロセスであるが,やはり,メアリーたちの詰めは甘いと言われても仕方がないであろう。キリアン文書を鑑定した4人の専門家の中でエミリーは肩文字の存在を指摘していたにもかかわらず,メアリーは自分たちにとって有利な鑑定をしたマトリーの指摘をまったく疑うことをしなかったし,放送局の事情によるものであるとは言え,非常に短期間のうちに見切り発車的に(と,私には見えた)ゴーサインを出してしまった。そこには,ブッシュ大統領の軍歴詐称を報道すべきであるというジャーナリストとしての矜恃と同時にスクープをものにしたいというジャーナリストとしての野心も感じられるのである。もちろん,企業の報道姿勢が問われるべきであることは言うまでもないが,あまりにも軽率な姿勢であるということは否めないのである。この事件の結果がその後の報道姿勢に対してある種の萎縮効果を持ったのかどうかは定かではないが,もしそうだとすればその罪は大きいと言わなければならないだろう。

 映画としてはかなり上質な作品であることに変わりはないが,同時に非常に難しい問題を残した作品であることも確かである。もっとも,最近ではジャニーズの性加害問題や統一教会の問題など,海外メディアによる報道や首相が暗殺されるというショッキングな出来事を通じてしか重要な問題が報道されることがない我が国のメディアが「60ミニッツ」のレベルに達していないことは言うまでもないが…。

 

(「Yahoo!ブログ」に掲載したレビューに大幅に加筆修正しました。)