辞書に載っている意味での「やんちゃ」が,もっぱら幼児のわがままや,学齢期以前の子どもがやらかす罪の無いいたずらを指す言葉であるのに対して,テレビの中の「やんちゃ」は,意味合いとして,より年齢の高いオトナの男女の「不行跡」「悪事」「非道」を含意している。それも,もっぱら肯定的なニュアンスで,だ。(小田嶋隆『テレビ救急箱』より)

 

 同書の中で小田嶋隆は「『やんちゃ』は,市民権を得た」と言い,それを「困った傾向だ」と書いている。小田嶋の声をもう少し聞こう。

「昨今では,『やんちゃ』話は,ほぼ自慢話それ自体と区別がつかない。/いきおい,聞く側の反応も,感嘆ないしは敬服の調子に傾く。『すっごいですねえ』と。/で,最後に,とってつけたように,『若い頃の話ですけどね』みたいな一言が付加されて一件落着。刺激的な内容を含んだトークにディレクターは二重丸をつける。」

「昨今のテレビの文脈において,功なり名遂げた人間の非行歴は『恥』ではない。むしろ『栄光』に分類される。…何が言いたいのかって?つまり,『やんちゃ』という言葉を通じて,テレビの中で,暴力がやんわりと肯定されつつあるということだ。」

 

 ところで,テレビの「やんちゃ」話が一種の武勇伝として明るく語られる一方で,そこには「やんちゃ」の相手になった人間が存在する。テレビは彼らをどのように扱っているのか。小田嶋の言葉を引用しよう。

「テレビ画面の中に座を占めるタレントタイプの人間とは対極にいる人々の被虐の記憶は,単なる被害というより,やられた側の人間の失点ないしは恥辱として,あくまでも否定的に描写されるのである。」つまり,彼らは「NHKの教育番組や,深夜の時間帯に追いやられた民放のドキュメンタリー枠」で「ひたすらに暗くて弱い魅力のない存在として描写」されるのである。

 

 小田嶋隆の『テレビ救急箱』が出版されたのは2008年なので,それから17年の年月が経過している。上にも書いたように,「やんちゃ」はその頃すでに市民権を得ていたのであるが,私は今でもこの言葉には違和感を覚える。このように言うと「きれい事」だとか「建前」だと言う人がいるかもしれない。では,「本音」を言おう。「なにが『やんちゃ』だ!」

 

暗闇から明るいものはよく見えるが,明るい場所から暗闇はほとんど何も見えない。(小川哲『ゲームの王国 上』より)

 

 ポルポト政権下を生き延び,近未来のカンボジアを舞台として繰り広げられる愛と確執の物語『ゲームの王国』は読み出したら止まらないが,今回の「ことば」はその『ゲームの王国 上』の冒頭の一節である。まさに「光のことば 闇のことば」というタイトルに相応しいフレーズだ。

 この言葉から「輝いているときこそ,足元の落とし穴に気をつけなければならない」という教訓を引き出した国語教師は二流らしいのだが,正しい解釈は「足元の穴に落ちたくなければ,そもそも輝いてはいけない」ということだそうだ。では,「日の当たる明るい場所で暮らしている人間からは暗いところで苦しんでいる人間の姿は見えないが,暗いところで苦しんでいる人間からは日の当たる明るい場所で暮らしている人間はよく見える」という解釈はどうだ? 三流? イヤイヤ,この解釈を三流と言う政治家がいるならば,その人物こそ三流の政治家だ。

 

菊の季節にサクラが満開!(杉本清)

 

 競馬ファンの間で競馬の実況中継の話題になると必ず元関西テレビのアナウンサー・杉本清の名前が出る。今日の言葉は競馬ファンの間ではほぼ知らない人がいないほど有名なフレーズであるが,これは1987年の第48回「菊花賞」のゴール前で武豊のレオテンザンを交わしてサクラスターオーが勝ったときの杉本アナウンサーの口から発せられた名セリフである。もっとも,私はその翌年の1988年の「皐月賞」から競馬を始めたので,この実況中継はリアルタイムで見ていないのが残念ではあるが…。杉本アナウンサーはこれ以外にもいろいろと伝説の名フレーズを残していて,ドリームレースと言われる「宝塚記念」では「あなたの,そして私の夢が走っています」と言うのが定番であったが,1991年の「宝塚記念」では「あなたの,そして私の夢が走っています」に続けて,「あなたの夢はメジロマックイーンかライアンかストーンか。私の夢はバンブーです」と,バンブーメモリーの馬券を買っていることを明かしたのだが,バンブーメモリーは10頭立ての10着というオチまでついていた。(笑)

 競馬にまつわる言葉にもいろいろあって,私が初めて見た1988年の第55回「ダービー」でアドバンスモアという馬が大逃げを打ったのだが,こういう馬を「テレビ馬」と呼ぶということを教えてくれたのが一緒に東京競馬場まで行った友人I君である。要するに能力的に劣るためにイチかバチかの勝負に出る作戦なのだが,道中は二番手以下の馬群を大きく引き離しているのでテレビカメラはその馬を追わざるを得ないところからついたネーミングである。アドバンスモアも4コーナーを過ぎた辺りから馬群に飲み込まれてしまい,24頭立ての24着という結果に終わった。私の競馬熱もこのダービー辺りから始まったのだが,最初に予想の仕方を教えてくれたのが上述のI君である。あとから考えると,「サイン馬券」などというオカルト予想だったのだが,その後,数年経ってからI君も故郷の青森に引っ越してしまい,今では全く音信不通になってしまった。どうしているのかな…。
 

4.35あたりから

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今回,なぜかYouTubeの動画の貼り付けができませんでした。

人間の性はなぜ奇妙に進化したのか。(長谷川寿一訳 草思社文庫)

 

 この言葉はジャレド・ダイアモンドの著書のタイトルの邦題である。この本のタイトルの原題は“Why Is Sex Fun?: The Evolution Of Human Sexuality”『セックスはなぜ楽しいか? ヒトのセクシュアリティの進化』で,単行本のタイトルは原題の直訳であった。このタイトルについて訳者の長谷川寿一は単行本の「訳者あとがき」で次のように書いている。

「97年,原書が出版された直後に,米国の書店に通信販売で注文したところ,『当書は貴国では通関できない可能性があるのでお送りできません』との返事が届いた! 本書はポルノ扱いされ,さらに日本の税関はイスラムや共産圏世界のそれと同格にみなされたらしい。博士が来日した折りに,この話を披露したら,大いに笑い転げられた。ついでに,このタイトルはご自身の命名ですか,と尋ねたところ,『もちろん。ぴったりのいい題名でしょう』との返事であった。訳者としては,いささか気恥ずかしくもあるのだが,邦題も原著者の意を汲んで直訳とした。」

 

 ところが,文庫化にあたって『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』と改められた。その理由にについて訳者の長谷川寿一は「文庫化にあたっての追記」で次のように書いている。

「日本語訳初版では,原書を直訳し『セックスはなぜ楽しいか』と題したが,文庫版では,女性や中高生などにも手に取りやすく,本書全体の内容をより正確にあらわす『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』とした。(大学の講義でも,堂々と副読本として指定できるようになりました)」

 

 ジャレド・ダイアモンドは博覧強記の人だ。しかし,それだけではない。ダイアモンドが興味深いのは,問いの立て方が非常にファンダメンタルで,遠大なパースペクティブをもっているところにある。それは,ピュリッツァー賞を受賞した『銃・病原菌・鉄』を読めばすぐに分かるが,本書の考察も進化生物学の観点から,ヒトが直立二足歩行と大型の脳を獲得したということと並んで,ヒトの祖先を大型類人猿から分かつにいたった決定的な要素が,その性であるという大胆な考え方に基づいていて,たいへん興味深いのだが,文庫化に際しての邦題の変更は私としてはいささか残念な気もする。(笑)

 

文庫本の表紙

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単行本の表紙

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これほどまでに悲しみにあふれた喜びはない。

 

 昨夜TBSの「ニュース23」を見ていたら,イスラエルとハマスが停戦と段階的な人質解放に合意したとのニュースについて須賀川拓氏(ニュース23ジャーナリスト)が解説をしていたのだが,その冒頭で彼がガザに住む友人の言葉として紹介したのが上の言葉である。

 たしかに,この合意はバイデン,トランプ,ネタニヤフの政治的思惑が一致した結果であるが,バイデンとトランプはそれぞれ,この合意は自分の政治的成果であると主張している。しかし,その前に彼らはまず無辜の民のこの言葉に耳を傾けてみるべきではないのか。