すべての映画はフラストレーションの発散のために観るんですよ。(町山智浩

 

 

 町山智浩は「いい映画とはフラストレーションの発散のために作られた映画だ」と言っている。では,ダメな映画とはどういう映画か? 町山の答えは「お金だけを目的に,こうやれば受けるだろうということで作られた映画だ」ということである。すると問題は「フラストレーションの発散」とはどういうことなのかということになる。それについて町山は「自分は本当にこういうことを言いたいんだ。これを表現することで自分が救われるのではないか」という思いで作られた映画だということになる。別の言い方をすると,フラストレーションが発散できる映画とは,そこにリアリティがある映画であり,フラストレーションが発散できない映画とは金儲けだけを目的として作られた映画でリアリティがない映画であるということだ。町山智浩の言いたいことはほぼ以上のことであるが…。

 

 町山の意見に私は70%ぐらいは賛成だが,残りの30%は「ウ~ン,ちょっと違うかな」と思う。例えば,私が今までに観たなかで最も好きな映画を1本挙げるとすれば『泥の河』なのだが,それは次のような理由だ。つまり,太平洋戦争で日本は徹底的に打ちのめされ国民のほぼ全員が貧しかったけれど,これからは民主主義でやっていくのだという希望を持っていた時期からこの国が少し豊かになってきて日本人の間にも豊かな人たちと貧しい人たちが現れるようになってきた時期,あの戦争に対する庶民の思いや,時代の豊かさから完全に取り残されていった人たちの悲哀を子供の目を通して描いているところにリアリティを感じるからなのだ。

 しかし,一方で映画は大衆の娯楽であり,リアリティがなくても大衆に受けるかどうか,つまりカネが稼げるかどうかは映画制作の重要なポイントであって,娯楽を求めて映画館に足を運ぶ観客も少なからず存在するのも事実だ。町山もそんなことは十分承知の上での発言だと思うが,私の意見は同じ映画を観ても観客によってリアリティを感じる人もいればそうでない人もいるというほうが事実に近いのではないだろうかということだ。実際,多くの人が「感動した」と言う『ライフ・イズ・ビューティフル』などは,私には「こうやれば受けるだろう」という発想でのみ作られた映画のようにしか思われず,全くリアリティが感じられない映画なのだ。

Living well is the best revenge.(村上春樹/柴田元幸『翻訳夜話』より)

 

 この本は村上春樹と東大の先生である柴田元幸が翻訳についてあれこれと話をする対談集なのだが,その中に上の言葉が出てきた。日本語訳は「優雅な生活が最高の復讐である」という意味で,(私はよく知らない作家だが)カルヴィン・トムキンズの著書のタイトルらしい。具体的には村上春樹が言うように「他人からいろいろいやな目にあって,意地悪されて,踏みにじられて,頭にきて復讐しようと思って,復讐というと相手を殴ったり,相手をいじめ返したりすることだけど,そうじゃないんだと。そんなことは意にも介さず,あるいは意に介しても知らんぷりをして,優雅にチャラチャラと暮らせば,それが相手に対するいちばんの復讐になる」ということだろう。それで思い出したのだが,イーロン・マスクは小さい頃いじめの対象になっていたらしいのだが,その後の人生で成功して世界一の大富豪になったのだから,当時のルサンチマンを晴らしているようにしか見えない行動ではなくて,Living well is the best revenge.を実践してもらいたいものなのだが…。

 

 

 

 

 少し違うがこんな言葉も思い出した。

The greatest pleasure in life is doing what people say you cannot do. 

 

 大学入試の英文和訳の問題にでも出てきそうなちょっと複雑な構文の英文だが,これは19世紀イギリスの保守派の思想家で経済学者・評論家であったウォルター・バッジョットの言葉で,日本語訳は「人生最大の喜びは皆がキミには無理だと言うことをやってのけることだ」という意味である。大谷翔平が日本ハムに入団して二刀流をやると言ったときに,「そんなことムリムリ」と言った野球評論家もたくさんいたが,今そんなことを言う人は皆無だろう。ただ,大谷はこの文のロールモデルにはならないだろう。なぜなら能力が違いすぎる。例えば,大学入試などは当てはまるのではないだろうか。周りの誰もが「ムリムリ」などと言うならば,この言葉を机の前にでも貼って頑張れば実現できなくもないような気がするので。まあ,大学受験生で私のブログを見ている人などはいないだろうが,もし万が一見ている人がいれば,その人のために言っておくと,上の文のdoingは動名詞,whatは関係代名詞,what people say you cannot doはdoingの目的語になっている「連鎖関係代名詞節」だよ。(笑)

テレビ朝日で本日21時から「プライベートバンカー」というタイトルの連続ドラマが始まるようで,とりあえず第1回を見ようと思うが,「プライベートバンカー」と言えば,以前読んだ橘玲の小説『タックスヘイヴン』(幻冬舎文庫)を思い出した。私はこの著者の『言ってはいけない』の内容には「それを言うことに何の意味があるの?」と思い,ほとんど批判的なのだが,この小説は文句なしに面白かった。Yahoo!ブログにこの小説についての感想を書いたことがあるので,再掲載することにする。

 

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 タックスヘイヴンを舞台としたサスペンス小説『タックスヘイヴン』の本筋は,シンガポールのホテルで一人の男が転落死するところから始まる。男の名前は北川康志。シンガポールの「スイスSG銀行」のプライベートバンカーで,シンガポールを中心に1000億円の金を運用していたと言われているが,その死は事故か,自殺か,それとも殺されたのか。日本在住の北川の妻が紫帆。紫帆はシンガポールの日本大使館からの連絡で,北川の遺体の確認と引き取りのためシンガポールに行かなければならないのだが,一人で行くのは心細い。そこで,同行してほしいと頼んだ相手が高校時代の同級生で,年収300万円の翻訳家の牧島慧。13年ぶりの電話だというのに厚かましい依頼ではあるが,牧島は紫帆の依頼を引き受けて二人はシンガポールへ。シンガポールに着くと早速いろいろなことが起こる。まず,現地の刑事アイリス・ウォンから,北川には現地にジジという名の愛人とその子供がいたが,北川が死んだ直後から行方不明になっていると聞かされる。さらに,スイス系銀行のシンガポール法人で執行委員をしているエドワード・ウイリアムズと名乗る男から電話があり,本人に会うと,北川はその銀行に1000万ドルの負債があるが,自分たちにも少々の瑕疵があるので北川への債権を放棄する。だから,紫帆も自分たちへの請求権を放棄してほしいと言われる。どうしたものかと困った牧島は日本にいるある男に電話をする。その男の名は古波蔵佑(コバクラ タスク)。この物語の主人公である。古波蔵は,マネーロンダリングに絡むややこしい問題の解決を引き受けて,依頼人から高額の報酬を得ているフリーのプライベートバンカーで,紫帆,牧島の高校時代の同級生である。古波蔵は牧島とは対照的で,BMWカブリオレを乗り回し,ブランド物の衣装にレイバンのサングラスを愛用するクールガイで,ややこしい人たちに対しても全くひるまない度胸も持ち合わせている。物語が動き出すのは飲食店チェーン「民平」を経営する村井兼蔵がシンガポールのスイスSG銀行に預けてあった1000万ドルを担保にして,スイスSG銀行から自社株の買い取り資金として8億円の融資を受けようとしたところ,そのカネが口座から消えていることが判明し,古波蔵が5000万円の成功報酬でその金を取り戻すという契約を結ぶあたりからである。これ以上はネタバレになるので控えるが,1000万ドルどころではないタックスヘイヴンにある裏の金をめぐって,大物政治家とその秘書,武闘派のヤクザ組織,謎の仕手株集団,情報屋などが入り乱れ,さらには,その舞台も日本とシンガポールだけではなく,マレーシア,タイ,ミャンマー,それに北朝鮮までもが複雑に絡む話の展開は,読み出すと「やめられない止まらない」になってしまう。

 

 話の展開を引っ張っていくのは古波蔵で,彼の口を借りて語られる金融取引の方法はわかりやすく,それがこの物語の謎解きを面白いものにしているのだが,最後に黒幕の正体が分かったときには「え~,おまえだったの!!」という驚きもある。

 

 世の中,きれい事だけですまないのは承知しているつもりだし,ましてや,こんな巨額なカネが絡む世界にいればなおさらだろうなという想像はつくが,こんな世界に身を置いて巨万の富を手に入れても平穏な日々を送ることができるのだろうかと思う私は,やっぱり小市民なんだろうな。物語の中で,古波蔵と牧島が言いあうシーンが記憶に残っている。

 

  牧島は語気を強めた。「犯人捜しなんて僕には無理だ。だから,自分ができる方法で紫帆を守るよ」

 「そういう甘いことを言っている奴が真っ先にゲームから脱落するんだ」古波蔵は冷たく言い捨てた。「生き延びるにはゲームを支配し,相手より先に行くしかないって教えただろ。」(p.448)

 

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  ところで,物語の本筋とは関係ない箇所であるが,マネーロンダリングの手口が書かれていて,その方面に疎い私が感心した箇所がある。(もっとも,その筋ではこの程度の知識は常識なのかもしれないが。)

 

 関西で風俗店を経営している堀山が,二重帳簿で売り上げを隠蔽したとしてマルサから厳しい調査を受け,慌てて5億円を海外に送金したいと言って,情報屋の柳を通じて古波蔵に泣きついてくる。古波蔵は5000万円の成功報酬でその仕事を引き受け,いろいろと手配を整えた上で,現金5億円を持って堀山と2人で対馬から船で韓国の釜山に密入国し,これも手配してあった現地の信用金庫にカネを持ち込む。支店長が報酬として700万円受け取ったところで古波蔵が言う。

 

 「全額をユーロに両替して,ヨーロッパに送金してくれ」古波蔵はジャケットの内ポケットから送金指示書を取り出し,支店長に渡した。送金先は,堀山がリヒテンシュタインの銀行に保有している法人口座だ。 … 「外国に送金するには,このカネをどこかの口座に入金せないかんちゃうん?」堀山が不思議そうに聞いた。日本では,顧客名簿の口座からしか海外送金できないからだ。

 この信用金庫は,そもそも海外送金を扱う資格を持っていない。そのため大手の外為銀行のなかに信用金庫名義の口座を持ち,そこから海外に資金を送ることになる。 

 外為業務を委託されている大手銀行は,金融機関同士の取引として日本円をユーロに両替し,海外送金する。その際,大手銀行に資金の真の所有者を確認する義務がないことを利用して,信用金庫の業務用口座で一時的に資金を受け入れて匿名で処理している――古波蔵はそう説明した。

 「ほなら,ワシの名前はどこにも出てこんいうこと?」堀山が感嘆の声を上げた。(pp.40-41)

 

「なるほど…」と感心はするが,「堀山のオッサン,ちゃんと納税しろよ」と言いたくなるところだ。(笑)

Netflixで「地面師たち」を観てからドラマの沼に嵌まったかもしれません。

 

まず,NHKの「土曜ドラマ」で8話連続の「3000万」を観ました。これ,なかなか面白かったです。ラストはちょっとダレましたが…。

次に嵌まったのがNetflixで観た10話連続の「VIVANT」。もともとTBSの「日曜劇場」で放映されたドラマですが,掴みはOK,展開は「ウ~ン」。いわゆる竜頭蛇尾。

そのあと観たのは「正体」。これは劇場版を観たいのですが,まだ配信にあがってこないのでとりあえずドラマで。これも「3000万」と同じ。ラストがダレました。

それで,今まで一度も観たことのなかったNHKの大河ドラマ。今年は蔦屋重三郎の話だということで「べらぼう」の第1回を観てみました。とりあえずは「ウ~ン」。豪華出演陣ですが…。あと何回か観てみますが,一年間つきあえるかな?

 

というわけで,テレビドラマも途中までは嵌まるのですが,「ラストの展開がちょっとね」という話が多いという感想です。今のところ,「地面師たち」や「ペーパーハウス」のようなワクワクするドラマには出会っていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

But what kind of ‘key are you?  Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey? (斎藤兆史『英語達人列伝』より)

 

 この言葉を発したのは岡倉天心である。著者の斎藤兆史によれば,天心が弟子の横山大観らとボストンの街を歩いていたとき,一人の若者が近寄ってきて次のように声をかけたそうだ。

What sort of ‘nese are you people. Are you Chinese , or Japanese, or Javanese?「お前たちは何ニーズだ? チャイニーズか,ジャパニーズか,それともジャヴァニーズ(ジャワ人)か。」

これは東洋に対する偏見に満ちた侮蔑的なセリフであるが,それに対する天心の返答が上の言葉である。

We are Japanese gentlemen. But what kind of ‘key are you?  Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?「我々は日本人の紳士だ。キミこそ何キーなんだい? ヤンキーか,ドンキー(ロバ,馬鹿者)か,それともモンキーか。」

 斎藤兆史のこの著書は明治以来の英語達人を取りあげて,彼らがいかに英語ができたかを紹介している書物で,そのうちの一人が岡倉天心である。斎藤によれば,これほどの返しができるのは天心が英語に関して「伝えたいことが正確に伝わり,なおかつ洒落や皮肉が操れる段階」に達していたからであるということになる。岡倉天心は6,7歳で英学を始めたらしいのだが,このように言うと,斎藤は今の文科省と財界が一体となって進めている早期の英語教育を礼賛しているかのように思われるが,逆である。たとえば,斎藤は天心は子供の頃,父親に標示杭の漢字を読んでみろと言われて一文字も読めず,国語国文の勉強を始め,それが英語習得をも促進したと述べている。早期の外国語教育には細心の注意が必要なようで,斎藤は,日本の英語教育は「日本の風土や言語文化を理解しない英米の学者が開発した学習法や評価法」に従ってきたと警鐘を鳴らしている。現在,文科省は「グローバリゼーションの時代だ。コミュニケーション英語だ」と躍起になっているが,ちょっと立ち止まって「それが大量の英語嫌いを生み出すことになってはいないか」ということを検討してみてはどうだろうか。