カラフルな色で~床に描かれたその幾何学的な模様は、見る程に奇妙であった。

大きな花びらのような形5つからなり、その全体像はラフレシアを想起させる。

驚いたのは~その画材である。

いわゆるペインティングしたものではなく、よく見ると~床の上に、色つきの小さな砂のようなものが置いてあるだけだったのだ!

玄関で~美しいサリーをまとい客を迎えている受付の女性に尋ねてみる。

この模様は~『クンバン』と呼ばれるヒンドゥのシンボルマークであるらしい。

ヒンドゥのあらゆる宗教的行事で、このマークが使われる。

バナナツリーもヒンドゥのシンボルマークのひとつで、とても大切にされているらしい。

バナナツリーは食べ物を提供してくれ、その葉で風雨を凌いだり、食器としても使える。

昔から衣食住にかかせないものとして人間の中に入り込み、次第に宗教的意味合いを帯びてきたのであろう…

サリーの女性に促され、建物の中に入る。

ずらっと並べられたパイプ椅子の向こう側に~まさしく『ヒンドゥ』があった!

舞台の上に~これでもかぁ…と派手な極彩色を施された“Wedding dias(祭壇)”が、設けられていたのだ。

閑散とした公民館なので~余計にその派手さが目立ち…異様である。

近づいてみた。

周りに~電球が通してある。

天界を表しているのだろうか~羽を持つ天女らしきものも描かれている。

新郎新婦が座るらしき…場所もある。

しかし、何といっても一番目立つのは~上方から会場を見下ろしている3体の神の像である。

向かって左側は、像の顔を持つシヴァ神の長男~『ガネーシャ』だ‼︎

右側は、複顔を持つガネーシャの弟『ビンタプラスマン』

そして~中央のひときわ大きい神こそが、二人の息子の母…『パールワティ』だった。

「何故パールワティが祀られているのか」~を舞台の上で忙しげに準備をしていたヒンドゥの僧に尋ねると…彼女こそが“Marrige God”だということだった。

突然~会場にけたたましい音楽が流れ始める!

祭壇の傍に、ロングパイプと太鼓の奏者が陣取っていた。

独特のリズムと旋律で~聴くものをヒンドゥの世界へ誘い込み酔わせていく。

~と、入口に新郎が先程の僧と共に現れた。

新郎は真っ白いシルクのクルター(インドの民族衣装)に身を包み…スラッとして口髭のよく似合うハンサムガイである。

対照的に~僧は上半身裸だ!

招待客の見守る中…新郎と僧、そして新郎の縁者だと思われる人が、祭壇のある場所まで進んできた。

その後、実に不思議な儀式が我々の目の前で繰り広げられていった。

祭壇の前には~ココナッツヤシを入れた花瓶、水瓶、水差し、花輪、香辛料の入った瓶、ロウソク台、火を燃やす罐、バナナの実、バナナリーフ、マッチ、米つぶの入った皿、唐辛子をすり潰す時に使うという大きな丸い石等….が、雑然と並べれていた。

儀式は全て~僧が仕切って始められたのである!



16のブログ


                  極彩色の祭壇~中央がシバ神でその左がガネーシャ!

現在~マレー語教室に通い始めたことや平日はなかなか時間が取れないことから、ペギーさんの英会話レッスンではなく、土曜の午前中に受講できる英会話教室に行っている。


そのPJ(KLの隣にあるペタリンギグジャヤ市)にある“Shakin' Language Scool”での先生は~インド系マレーシア人の『Ms.ラリー』なのだが、彼女が忙しい時は代理として他の先生がやってくる。


ある日、若く、背が高く、グラマーでしかも...しかもメッチャ美人なインド系の女性が先生として教室に入ってきた。


この女性こそが~『Miss.シャーム』だった。


その夢のようなレッスンがあってから、その後は彼女に会うことはなかった(大変残念ながら...)が、半年ほどたった頃、彼女から手紙を受け取った。


それは~何と彼女の結婚式への招待状だったのである(実は、妻も同じスクールに通い始め、彼女とはずっと懇意にしていたらしい)。


招待状の表書きは~全てタミール語で、改めてマレーシアにはアルファベット以外の文字を使う民族が存在していることを認識させられた。


何が書かれているのか~さっぱりわからなかったが、幸い裏に英訳がつけられていrたので、日時と場所がわかった。


当日、7月2日(この日は“アワルムハラム”というマレーシアの祝日だった)マレーシアの正装である『バティック』に身を包み、いざ会場にかけつけた(~バティックはマレーシアの正装着とのことだが、どう見てもアロハ的のりに思える...)。


会場は、Language Schoolのすぐ近くで、公民館のようなところであった。


車を降り立つと同時に~独特の匂いが鼻を刺激する。


タイプーサム~そして、インドに行った時に漂っていた香辛料と同じ匂いだ。


生々しい記憶が、脳裏に蘇る。


会場玄関の両脇に、バナナの木がくくりつけられている。


そういえば、ヒンドゥー寺院の門にも、バナナの木をよく見かける。


日本の神社の~狛犬のような役割があるのだろうか?


何か宗教的な意味合いがありそうである。


そのバナナツリーの間の床に、奇妙な模様が描かれていた。


5枚の花びらのようなものの中心に花瓶が置かれ、その上にココナッツの実が載せてある。


~それが、まさにインド世界への入り口だったのである!



16のブログ












式場の入口は~鳥居のようにバナナツリーで飾られる!






16のブログ






マレー料理でとびっきりおいしくて~おススメのものがある。


さて、その名も『サテー(Satay)』だ。


サテーとは何ぞや?~簡単に言えばマレーシア版“焼き鳥”なのである。


我々が愛してやまない「オープンレストラン“ブンガラヤ”」の前の歩道に、いつも屋台をひいてやってきているサテー屋がある。


KL市内のいたるところでサテーを食べてみたが、このサテー屋に勝る味どころを私は知らない。


ムン~はこのサテー屋を仕切る“おやじ”である(仕切るといってもこのサテー屋で働いているのは、ムンともう一人の手伝いだけだけだが)


ペラ州生まれのマレー系マレーシア人であるが、まだ幼い頃親に連れられてKLにやってきた。


今は、ブンガラヤのすぐそばのアパートに住んでいる。


小さい頃からサテーが大好きで、とうとう一年前からサテー屋を始めた~まだ若干22才の若者である。


マレーシア版焼き鳥~といっても、サテーには様々な種類がある。


ムンが扱っているのは、チキン、ビーフ、ラミ(牛キモ)、アティ(牛の心臓)の4種類だ。


すべて~注文を受けてから炭火で焼く。


この炭火で焼くことが...微妙な味わいを舌に提供してくれるのだ。


しかし、「サテーの味の決め手は~何といっても“タレ”だよ」とムンは言う。


タレこそが、日本の焼き鳥と大きく異なっている点である。


それは~一見“焼肉黄金のタレ”と似ているが、味は全く違う。


基本的には甘いのだが~ピリッとした刺激も与えてくれる。


「タレの中にはカチャン(豆)とチリ(とうがらし)を入れて、特製のブレンドをするのさ」~と、ムンが教えてくれた。


サテーの味わいを~さらに引き立てているものがある。


サテーを注文すると必ず同じ皿に載せてくれる...キュウリとナシ(ライス)だ。


サテーの合間にキュウリをほお張ると、そのあっさりとした味と食感がとても新鮮に感じる。


サテーについてくるナシは、普通のライスではなく飯をすりつぶして固めたもの。


すべて~肉を刺している楊枝で食べれるようにしているところが..すごいっ!


とにかく、サテーを食べるだけでも栄養のバランスも取られ、ちょっとしたご馳走なのである。


今夜も~ムンのサテー屋は大繁盛だ。


ブンガラヤレストランにやってくるおj客さんから、次々と注文を受ける。


たった二人で炭火を起こし、肉を焼き、キュウリやナシの盛り付けをし、客のテーブルまで運び、皿をひいてきて洗ったりするのだから~大変な作業である。


こうしている間にも中の客から~「まだかぁ」と声がとんできた。


ムンの顔は炭火で赤く腫れ上がり、額に汗が流れ落ちる。


今夜のような土曜の夜には、一晩で何と2千本のサテーを焼くそうだ。


一本30セント(約15円)だから、単純計算しても600リンギ(約3万円)の売り上げだ。


「すごいねっ!」と声をかけると、「売り上げの20%はブンガラヤに支払わないといけないし、仕入れにもかなりかかるんだ~平日にはそんなに売れないしね」...と笑っていた。


さて、ムンの夢は~マレーシアNO1のサテー売りになることと...お嫁さんをもらうこと~だとさ!



16のブログ










                            



                           独特のうちわで炭火をおこして~一本一本ていねいに焼く!



16のブログ






JSKLでは、地理的条件の為『家庭訪問』なるものを行っておらず~かわりに新学期の早い時期に個人面談を行う。


「このまま娘をこちらのS部に行かせるべきか、迷っているんです~娘自身の信号も受け取ることができなくなってしまって...」


~JSKLでは最後となってしまった個人面談を終えて、今でも耳に残っている言葉だ。


このお母さんの息子がP部1年生で、担当させてもらっている。


その息子のことよりも、今年からJSKL~S部に入学した娘のことで...面談は終始した。


実は、マレーシアへ家族で赴任することが決まった時~家族みんなで喜んだそうである。


S期という多感な時期を~あまりにも受験一辺倒で窮屈な日本で過ごすよりも、そんな日本を離れ外国で過ごすことは“伸び伸び”と成長していけるのではないか...マレーシアでは、日本でできないことにどんどん挑戦していきたいし、ここでしか得られないものを求めていきたい~そう願って来馬してきた。


実際、S3年生となる一番上の兄はJSKLではなく現地のインターナショナルスクールへの道を選び、最初の言葉の苦労は壮絶であったが~今ではその壁を突破しおよそ受験生とは思えないほどのゆったりと充実した日々を送り、表情も明るい。


それに対して、JSKLという道を選んだ妹の方はS1年生にして受験生以上の重たい表情を見せるのである。


S生を持つこちらの家庭は、総じて大変教育熱心である。


日本から遠く離れていることが、かえって「日本の状況から遅れまい」という意識を増幅しているのかもしれない。


JSKLのS3年生の卒業式が1月早々に行われることや独自のカリキュラムとしてP1年生から行われている外国語教育が~マレー語ではなく英会話であることもその辺の事情と大きく関係している。


当然~JSKLとしても日本国内と同等の教育を施す責務があり、各家庭や子どもたちの期待には全力で応えていかなければならない。


しかし、日経デパートにしか買い物に行ったことのない子ども、日本食レストランにしか行かない子ども、同じコンドミニアムの日本人同士でしか遊ばない子ども...を見ていると(自分自身も含めてだが)せっかく近くにありながら、もうひとつの大切なものを見過ごしているような気がしてならない。


「JSKLの友だちはテストのこととか受験のことばかり話すの~みんな日本のことだけを見てるみたい...」~そんなことを娘がふと言うんですよ...とそのお母さんは目に涙をためてその心情を吐露した。


心なしか肩を落としてゲートを出ていった母のその傍で、今日も授業が終わったP生たちを迎えにきた進学塾のバスへ生徒たちが乗り込んでいった...






追伸:その後、この娘は現地の器械体操クラブに入部し、言葉はわからないながらも頑張っているようだということ~『もうひとつの大切なものを見つけてくれることを祈りたい...



16のブログ

ヒンドゥー寺院と日本の企業名を掲げた~ビル!

緊急職員ミーティングが招集され~運動会自粛を要請されたことに対する善後策を協議した。


とりあえず...明日の運動会は中止でJSKLも休み~代休のはずだった月曜に平常体制を組むことが決まった。


ただ~運動会を一週間延期し7月5日の日曜に行うことについてはS部が7日から期末テストを予定することもあり、日程を調整してから正式な決定をすることとなった。


何にしても、一刻も早く各家庭に連絡を入れなければいけない~もう家庭では、明日のお弁当の準備を始めている頃であろう。


JSKLにある(たった)4台の電話をフル稼働させて、緊急連絡を行ったのである。


サルタン~そして、その家族とはマレーシアの人々にとってやはりすごい存在なのであろうか...


そのことを“じか”に感じてみたいと思い、その翌日(6月28日)~王妃の葬儀が執り行われるというクランの街を訪れてみた。


KLから車でハイウェイを飛ばし、1時間余りも行けばマレーシアの海の玄関口であるクランに辿り着く。


しかし~葬儀会場になっているクランのモスクに通じる道は、通行止めにしてあった。


仕方なく裏からの道を探し~ようやく『Msjid Sultan Sulaiman』モスクの美しい浅黄色の屋根が、目の前に現れた。


警備のためのアーミーやポリスの姿が、やたらと目に付く。


モスクの中では煌びやかなテントが建てられ~あわただしく葬式の準備が行われていた。


ムスリムの人々のお墓が建ち並ぶ一画に、ひときわ立派な廟堂が見えた。


どうやら王妃は、この廟堂に納められるらしい。


中をのぞくと、すでに棺を入れるための穴が掘られていた。


廟堂を~いく台ものカメラが取り巻いている。


遺体は、まだモスクの隣にある“Istana Alam Shah”という宮殿の中に安置されていた。


この時間はNon-Muslimでも訪問を許されているはずなのだが、周囲は黒いソンコ(マレー帽)を身に着けた男たちと黒いチャドルをまとった女たちばかりであった。


彼らと共に~棺の前に進み出る。


さすがに、メッチャ立派な棺である。


棺の4隅には、それを守るようにして白の海軍服に身を固めた兵士が直立していた。


さらに~その周りを、黄色の傘ををさし黄色の“バジュマラユ”を着た少年たちが取り囲んでいる。


棺も、黄色の布で覆われていた。


黄色は、マレーシアのロイヤルカラーなのである。


場内にはコーランが低い音量で流れ、静寂を強調していた。


実に~普通のスーツに黒のネクタイをしただけの異国人は、たいそう異様に見えたにちがいない。


私は多くの視線を感じながら~両手をそうっと合わせた。


スーツの下に汗を感じながら、葬儀を待たずにモスクを後にした。


クランの中心部に入る。


人影はまばらで、建ち並ぶ商店には~全てセランゴール州の半旗が掲げられていた。


飲食店の前にいた(クラン生まれという)シヴァというインド系マレーシア人に話を聞いてみた。


「亡くなられた王妃様はどんな人だったの?」


「どんな人かはよく知らないけれど~俺たちはこうやって40日間半旗を掲げろ...って言われてるんだぜ!そう俺たちは、『we MUST RESPECT Sultan, we MUST RESPECT his family』~なのさ!」



16のブログ











クランでは~全ての商店の2階から半旗が掲げられた!




クアラルンプールはセランゴール州の中にあるが、アメリカのワシントンD.Cと同じく~首都ではあるがゆえに、特別行政区域としてセランゴール州の管轄からは独立している。


現在のJSKLの建物は無論KL市内にあるのだが、いよいよ来春スタート予定の新校舎は“スバン”というセランゴール州の管轄下になっている場所に位置しているのである。


そして~第26回JSKL運動会は、KL市内ではなく先に完成したスバン校舎グランドで明日(6月28日)盛大に行われる...はずだった。


その知らせは、まさに運動会の準備物をスバン行のローリー(トラック)に積み込もうとしているその時に~タマンセプテ(JSKLの現所在地)にもたらされた。


『今朝未明、セランゴール州サルタンの奥さんが亡くなられた』~という。


昨年までのようにKL市内に位置するマラヤ大学で今年も運動会を行う計画であったならば問題はなかったのであるが、明日の運動会はセランゴール州の管轄であるスバングランドで開催されるのである。


私たちの間に~衝撃が走った!


マレーシアにはイギリスの支配下におかれるまで9つの王朝が成立し、それぞれの地域は“サルタン”と呼ばれる首長によって治められていた。


現在まで~そのサルタンは継承され、今では9人のサルタンが5年ごとに互選しマレーシアの“アゴン(国王)”を選出している。


時折サルタンの素行や政治への介入が問題になっているものの、基本的には州や国の王として人々の尊敬を集め~精神的な支柱になっているのである。


さのサルタン~しかもスバン新グランドの位置するセランゴール州のサルタンの奥さんが亡くなられたのである。


はたして...運動会は予定通りできるのか???


さっそく事務長とジョンソンさん(たよりになる現地事務スタッフ)が、セランゴールの州政府に問い合わせた。


運動会の具体的な内容を説明し理解を求めたが、6月28日には葬儀も執り行われるということで...「自粛してほしい」との指示。


とりあえず~茶チャーターしていたローリーに荷物を積んでスバン新グランドの倉庫まで運んだあと、緊急職員ミーティングが開かれたのである!



16のブログ











                               


                               すっかり準備が整ったスバンのグランドに~主役なし!



16のブログ




“あっ”と言う間に楽しく不思議な数日間が過ぎ~サカリア家最後の夜を迎えた。


何か変な日本人が来ている...ということで、コタバルに住むサカリア家の長男~ムハマド・ザキルさんが里帰りしてきた。


ザキルさんはもう30才を越えていて、3人の子どももいる。


彼は学生時代~何とロンドンの大学に留学していたそうで、きれいな英語を話せた。


やはり頭も切れるようで...今はコタバルの大学(カレッジ)で経済学を教えている先生なのである。


「大学の先生と言っても、給料は月2200リンギ(約11万円)くらいなんですよ~日本の大学の先生とは比べ物にならないでしょう...」と、ザキルさんは笑っていた。


これまで言葉の壁でなかなか聞けなかった~日本軍や日本人のことについて聞いてみた。


「もう50年も前のことですからねぇ~覚えている人はほとんどいませんよ...うちの父(アーヤ)にしても生まれたばかりでしたから...ただ、この村には日本軍や日本人に対して悪い印象を持っている人はいません~むしろ、ここではイギリス人の方が好かれていないようですね」


~イギリス占領時代、イギリス人は中国人やインド人を連れてきて...マレー人をその支配下においた。


日本軍占領時代は全くその逆で、マレー人を保護し中国人を虐待したのである。


その占領政策の違いが、今も彼らの意識の中に残っているのだろうか。


とうとう、別れの朝がやってきた。


荷物をまとめている私たちに~アーマが、『デュクランサ』という果物ととびきり甘いキャメロンハイランド産の紅茶を持ってきてくれた。


紅茶を注いでくれているアーマの手には、いくつもの深い年齢が刻まれている。


「家がこうして少し裕福な暮らしができているのは、お母さんが日の出前から夜中まで働いてくれるからなの...」~もうすぐ結婚することが決まっているレイトンがポツリとつぶやいた。


迎えの車が来た。


サカリア家の人たちや近所の人々が、総出で見送ってくれる。


手を振る人たちが~だんだん小さくなっていった。


ほんの短い期間だったけれど...このマレー漁村での体験は強烈なインパクトを自分の中に残してくれた。


『本当のマレーシアを知るためには、東海岸へ行くべきなんですよ』


~漁村で出会った全ての人たちに感謝しながら、私はコタバルへ向かう車の中でこの言葉を噛みしめていた!



16のブログ


                 この日は浜にマーケットが並び~長男一家も訪れた!



16のブログ

Jalan~とはマレー語で...『道』とか『歩く』ということを表す言葉である。


そのJalanを2回続けて、「Jalan Jalan」とすると~『散歩』という意味になる。


マレー語は、知るほどにおもしろい。


のどかなサバク海岸の村の昼下がり~そのジャラン・ジャランに出かけた。


この村で一番広い(と言っても狭い)...メインストリートに出る。


クロポックイカンを宣伝する看板の下で、女たちがとれたての魚のハラワタを切り取っていた。


道の両側には~背の高いヤシの木がずら~っと並んで生え、強い日射しをさえぎってくれる。


『SKMK』のバスが、通り過ぎる。


修学旅行で東海岸を訪れた時も、このバスを使った。


クランタン州では~SKMKが唯一のバス会社だということであった。


それにしても、こんな田舎道までも、路線バスが来ているのである。


若い男たちの多くは漁に出ているので、村で目に付くのは~女、子ども、そして老人であった。


高床式になっている家の家の薄暗い軒下から、じっと異邦人を窺っている。


道に出て元気に走り回っているのは、やはり子どもたちだ。


こちらから話しかけると~恥ずかしそうにしながらも、とびっきりの笑顔を見せてくれる。


紺色のズボンやスカートをはいた~学校帰りの子どもたちを見かける。


そこで、学校を探しにいくことにした。


いくらJalanすれども~学校らしき建物は見えてこなかった。


日射しがいっそう強くなり、汗がにじむ。


近くのクダイに入って、パンとコーラを買った。


よく冷えているコーラが~のどを潤した。


コーラ1リンギ(約50円)とパン10セント(約5円)...何と、コーラがパンの10倍の値段である。


海岸に出てみる。


漁に行かなかったグループの船が、いくつか並べてあった。


ちょうどヤシの木の間から見える見事な極彩色の漁船が、南シナ海の抜けるような海の色に映えている。


ここでも、女たちが魚のハラワタを切っていた。


手招きをするので~近づいていく。


「Bole saya ambil gambar?(写真を撮ってもいいですか?)」~と聞くと、大変はみかみながら...「Bole(いいよ)」~と答えてくれた。


近くには、例の如く魚のすり身を固めて切ったものが所狭しと並べてあり~「食べてみろ」と言うので、おそるおそる口に入れてみた。


少し魚の生臭い匂いがしたが...なかなかのものであった~大きなハエがたかりまくっていたのが、気になったが...。


道に迷い家と家の狭い通路などを彷徨っていると突然メインロードに抜け、目の前に学校が現れた。


校庭に足を踏み入れると遊んでいた子どもたちが~一斉にこちらを見て騒ぎ始めた。


「やばいかなぁ」~と思ったが、学校内にある食堂のおばさんが『来い来い』と手招きしている。


「お前は日本人か?」などといろいろ聞かれ、Sarsi(マレーシアではコーラよりも人気の高い清涼飲料水~トクホンチールのような味がする)をご馳走してくれた。


教室では、授業もしていた。


次第に私の後をついてくる子どもが増えいよいよ大騒ぎになりそうだったので、食堂のおばさんにお礼をいって立ち去ることにした。


小ぎれいな制服を着たマレーの子どもたちを見ていて~すぐそばの砂浜で学校にも行けずに裸同然で走り回っていたタイ人の子どもの姿が、ゆっくりと脳裏をかすめていった,,,



16のブログ










大きなヤシの林の合間に~家が立ち並ぶ!

サカリア家に滞在させてもらってから~3日目の朝...今朝もコーランの調べで起床!


昨夜の嵐はもうしずまり~冷ややかな空気が体全体を包んでいいった。


コーランの調べがやみ...白装束で固めたアーヤとアーマが帰ってきた。


アーマは、白い『クピア』と呼ばれる帽子をかぶっている。


それにしても~彼らの信心深さには改めて驚かされる。


この村には~サカリア家を除いては...粗末な小屋のような家しか見当たらなかったが、モスクだけは大変立派な建物であった。


アーヤたちも~昼間は漁に出かけていないが、朝と夜は必ずモスクにでかけていく。


アーヤの家の壁には~コーランの教えが掲げられ、居間にはコーランの経典が大切に置かれていた。


彼らの生活は、イスラム教徒共にあるのである!


厳しい規律を持つイスラム教が~なぜ、これほどまでに彼らの心を捉えるようになったのであろうか?


共に生活するにしたがって、彼らから厳しい規律を守っている自分自身に対する『誇り』と何事にも優先して大切にする物、絶対にゆずれない物~を持っているんだという自信みたいなものを感じるようになってきた。


私自身を振り返り~「自分は一体何に誇りを持ち、何を大切にして生きているのか...と問い直した時、彼らの生き方の崇高さとイスラム教の謎がほんの少しわかりかけてきたような気がする。


今日も~漁につれていってもらうことにしていた。


KEDAIで、すっかり馴染みになった漁師たちと揚げパンとミロの朝食をとる(マレーシアではミロが驚くほど普及している~どんな小さな食堂でもミロを置いているし、家庭でもでっかいミロの缶が置いてあることが多い)


海に出て~出向を待った!


他のチームがどんどん船を押し出していく中...我がチームの漁師は集まって、何やら話を始めた。


アーヤが近づいてきて、説明をしてくれた。


「Kita tidak mahu pergi~Bukan ikan hari ini(俺たちは今日漁に行かないことにしただぁ~どうも魚が少ないようだべぇ)」


水平線の向こうに、朝日が顔を出した。


先ほど出航していった船の幻影が重なり~美しい!


我がチームの漁師たちは~船に積んでいた網を降ろし、砂浜の上に広げはじめた。


何もすることがなくなってしまったので、一旦家(サカリア家)に帰る。


昼頃、レイトンが『ナシゴレン(マレーシア風チャーハン)』を作ってくれた。


う~ん...美味!!!


再び、海岸に出かける。


男たちは、『pukat』と呼ばれる魚網の破れているところを見つけ、ナイフで器用に修繕をしていた。


アーマは~近くの小屋の中で獲ってきた魚をすりつぶし...固まったものを機械を使ってうすく切っている。


それを漁師の妻たちが、竹で編んだ台の上に並べていく。


この魚のすり身は~動物たちの大好物になっているようで、近くでは数頭のヤギたちが隙を狙っている。


海の方からは潮の香りを含んだ風が~村の中を吹き抜けた!



16のブログ











                                    村のモスクは~大変立派でひときわ目立つ!




陸に上がってぐうたらしている男たちとは対照的に漁師の家の女たちは、実によく働く。


そして~その女たちの中心になって働いているのは、アーマであった。


男たちから水揚げされた魚を受け取ると~彼女たちは一匹ずつ魚のはらわたを取り出す。


少し干した後、メリケン粉と一緒に機会にかけてすりつぶす。


すりつぶしたものを円柱状にしてから干して固める。


十分固まったものを~機械でうすく切っていく。


ちょうどハムのようにうすくなったものを一枚一枚丁寧に竹で組んだ干し代の上に載せ、再び日光に当てる。


やわらかかったハム状のものは、長時間かけてパリパリのひからびたものに変身する。


これが、マレーシアならどこでも売っている『KEROPOK IKAN(魚クラッカー)』なのである。


これで、仕事は終わらない。


干し終わった“クロポックイカン”を集めて、一定量ごとに重さを量り~ビニル袋に詰めて袋とじまでするのである。


袋とじといっても~ホッチキスで止めたり機械でやったりするのではない。


な・な・な・なんと2リンギ(約100円)だぁ~まいったぁ~


袋とじが終わってから~サカリア家を訪れた最初の晩にやった箱詰めを行った後、コタバルに出荷していくのである。


生魚をそのまま出荷するよりも~こうやってクロポックイカンに加工して出荷する方が、付加価値が付くし新鮮さを求められ...時間に追われることがない等の利点があるようだ。


ちなみに~かの有名なコタバル中央市場で調査したところ、えびせんの大きさで一袋60セント(約30セント)で売られていた。


何度も言う(書く)ようだが~この一連の作業はすべて女たちだけでやっている。


朝早くから夜中まで浜の女性たちは~実によく働く。


もちろん、子育てや家事もしっかりとやっている姿を見て~ただ感心するばかりであった。


働いたあとの飯は格別だ(もっとも、ただ船に乗っているだけだったが...)


この夜の食卓の上もメニューはあまりかわらなかったが、気持ちが打ち解け合ってきて楽しく食が進んだ。


食事が一段落した頃、アーマが「今日は特別うまいものがあるんだ」という身振りで~冷蔵庫から大きな容器を取り出してきた。


「さぁ~どうだ!」~とばかりに勧めてくれた容器の中身は、異臭を放つ果物の王様『ドリアン』だった。


マレーシアにはいたるところにドリアンの木があって、人々はドリアンが大好きなのである。


ドリアンひとつ(中身のひとつ)を食べ終わって~顔を上げた時、信じられない光景を見た!


アーヤが~ドリアンを...な・な・な・なんとご飯の上にかけて、満足気に食べていたぁ~


まいったぁ!!!



16のブログ

すり身を固めてうすく切ったものを~干す!