漁船の上に長い棒をわたし~みんなでその棒を押す。


これが20人ちかくの大男が集まっても~なかなか進めない。


「Pergi(Go)~、Perugi~、Perugi~」と声を合わせ、汗だくになって船を押していると...妙な連帯感が生まれてくる。


ふと後ろを見やると、タイ人と思われる若い漁師も渾身の力を込めて太い押し棒と格闘している。


何気なく彼が身に着けていた服を見て~愕然とした。


彼の着ているジャージ地で水色の上着の胸に~紺色の刺繍糸ではっきりと『門真七中~高井和』との文字が縫い付けられてあった。


門真七中は、大阪にある中学校である。


この中学校には、きっと高井和~(なんとか)という生徒がいたのであろう。


高井くんはこの中学校に入学したとき、この体操服を買ってもらったにちがいない。


自分の名前が刺繍してある新品の体操服を手にして、とてもうれしかったことだろう。


しかし~月日は流れ、高井くんは成長し...新品だった体操服も日ごとに古くなっていく。


高井くんはまた新しい体操服を望むようになり~手に入れる。


高井くんにとって不必要となってしまった体操服は古着に出され、東南アジアに送られてきた。


高井くんが当たり前のこととして新しく買ってもらった真っさらな体操服に腕を通している頃、マレーシアの片隅ではタイ人であるがために学校にも行けず日々の生活のためにこうやって汗水をたらして働いている若者が、君が要らなくなった体操服を着ているのですよ...


~そう、大声で叫びたい気持ちだった。


その時~確かに、目に見えない高井くんの姿が日本という国重なり合った。


そして、目に見えない高井くんの姿が~これまでの自分自身と重なり合った...


漁から戻ってきた男たちは、見事なほど何もしない。


アーヤは例の如く家の中でゴロゴロし、他の漁師たちもケダイ(食堂)に集まって世間話をしているか小屋の傍でボケーッと煙草を燻らせている。


とてもおもしろいことに気付いた。


日本人は男性であっても“セカンドバック”というものを持ち歩くのであるが、その習慣はここマレーシアでは結構奇異に映る。


今~サバク海岸を手持ちぶさたにウロウロしている漁師たちが、日本人男性みたく大事そうに抱えているものがある。


それは、ヴィトンやボニアのセカンドバックならぬ~『プラスティック製のタッパー』であった。


~中身を見せてもらった。


そこには1リンギ紙幣(約50円)やコインの現金~そしてその横のしきりには、煙草の葉らしきものとそれを巻く紙がきれいに整頓されて入れられていた。


彼らにとって、2リンギ(約100円)もする箱入り煙草はとても高価なものなのだ。


そこで、吸殻をから煙草の葉を集め~それを紙に巻いて吸っているのである。


そんな煙草のもとになるものと現金が入っているタッパーは、とてつもなく大切なものなのだ。


漁に出るときも~ちゃんと船に積み込んでいる漁師もいた。


タッパーゆえに水に強い...というのがミソなのである!



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力を合わせて~浜に船をあげる!




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ポイントと我々の船を4隻の船が取り囲んで~複雑に絡み合った綱のロープを操作し始めた。


半時間もたっただろうか...どうやら魚を完全に包囲したようである。


後から投げ入れた~ヤシの葉を引き上げる。


同じ船に乗る若い漁師と一緒に引き上げたが~これがなかなか重たくて重労働!


ロープの先にはおもりとしてでっかい石が、2つもくくりつけてあった。


ポイントを引き上げてしまった後、我々の船はすばやく網の外に出る。


後は、4隻の船が網を手繰り寄せて~魚を追い詰めていくだけだ。


5席の船が~全て横づけにされた。


各船で、発泡スチロールの箱や氷が準備された。


~と、その時いちばん向かい側の船とその隣の船の間から、スコールが地面にたたきつけられている時のような音が聞こえてきた。


太めで凄味のあるおじさんがこっちに来て~「見てみろ」と手招きしてくれた。


船をピョンピョン飛び越えて~激しい音のする方へ行ってみる。


船と船の間にしっかりと固定された網の中には~無数の魚が飛び跳ねていた。


実に~壮観であった!


今まで~少し厳しい顔つきだった漁師たちから“白い歯”がこぼれる。


それにしても、彼らのチームは最高にすばらしかった!


それぞれに与えられた役割を~アーヤ中心に、一糸乱れぬタイミングでしっかりと果たしていたのだ。


そのチームワークが大漁という形になって表れ、その成就感が彼らの最高の笑顔をうみ出しているのだろう。


この時彼らのことを心から“羨ましい”と感じ、ほんのひとときだけでも仲間に加えてもらえたことを幸せに思った。


網の中の魚を次々に~氷の入った箱に詰めていった。


魚は~始めに釣り糸にかかっていたのと同じ種類で、『スラコリン』と呼ばれていた。


そういえば、昨晩ご馳走になった新鮮な魚もスラコリンであった。


スラコリンに混じって、時々ふぐやイカも顔を見せる。


『タマン』という少し細長い魚も~いるようである。


後日、かの有名なコタバル中央市場で調査したところ~スラコリンは7匹ほどで1リンギ(約50円)、タマンは10匹ほどで1リンギで売られていた。


我々の船団は~この後、別のポイントでもう一度同じ方法により漁を行い、この日は帰路へ着いた。


なぜ陸の方角がわかるのかが~どうしても理解できなかった私にとっては、まさに奇跡的に朝出航を果たした同じサバク海岸に戻ってきたのである。


砂浜では、アーマやレイトンを始め、漁師の家の女たちが男たちを出迎えていた。


我妻も~いつのまにかレイトンにもらったというバジュクロン(マレー服)とチャドル(イスラム教徒の女性が頭に被るスカーフ)を身にまとい~すっかり浜の女になっていた。


船が浜に近づくと~エンジンが切られ木のオールを使って砂に乗り上げる。


何よりも真っ先に降ろされるのは、何と言っても魚の詰まった箱だ。


積荷を全部降ろした後は~船を砂浜の上の方に引き上げる。


これが~また一苦労なのだ!


枕木を引き上げる方向に敷き詰め、その上を滑らせていく。


20人のチーム~全員の力を使うのだ!



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船と網の操り方は~正に神業である!

ポイントからポイントへと~何度も走り回り、一体何時間が経ったのだろうか…

太陽は既に頭上高く上がり、ジリジリと照りつけてくる。

しかし~しかしである。

見渡す限り海しか目に入らないこの場所で、コンパスもなしに~なぜ簡単にポイントまでのルートがわかるのだろうか…不思議すぎた。

時計が正午を指そうとする頃(ちなみに~時計を持っているのは私だけだった)、最初のポイントから数えて実に9つ目のポイントに船が停められた。

これまでと同じように~まず釣り糸が垂らされ、アーヤが海に潜る。

素潜りにもかかわらず、かなりの時間上がって来ない。

よく目を凝らして海の中を見つめていると、白くキラキラと光るものが視界をかすめた。

魚だっ‼︎

釣り糸が手繰り寄せられる。

やはり~その糸の先には、美しい白黒ツートンカラーの小さな魚がかかっていた。

その時~ようやくアーヤが戻って来て、GOサインを出す。

にわかに小さな船の中が、活気づいていった。

まず~船に積んできた“ヤシの葉をいくつもロープにくくりつけたもの”をポイント傍の海へ沈める。

ポイントになっている竹にも同様のものが取り付けられていて、魚をおびき寄せる役割をしているらしい。

次に、竹に付けられていたヤシの葉を船に引き上げ、魚を今入れたヤシの葉の方へ移す。

海の中では再びアーヤが魚の動きをチェックし、厳しい声で指示を出していた。

ポイントの周りでは、他の4隻が遠巻きにしてアーヤの合図を待つ。

そして~ついにアーヤからの合図が出た。

まずは、4隻のうちの1隻から~網が海中へと投げ下ろされた。

~勝負の瞬間がやってきた!


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      南シナ海に浮かぶ朝日は~最高に美しかった!




ムスリム漁村の朝は早い。

午前5時30分~すぐ隣にあるモスク(イスラム教寺院)から、音量をいっぱいにあげたコーラン(正確に言うと…コーランのお祈りが始まることを知らせる放送)が、暗闇のカンポンに響きわたる。

眠い目をこすりベッドを抜け出すと~もう既にアーヤもアーマも…お祈りに出かけていた。

アーヤの帰りを待って、近くのケダイ(食堂)に行く。

すでに、出航前の腹ごしらえをする漁師たちで賑わっていた。

いよいよ~海岸に出る。

整然と並べられた漁船の狭間で、漁師たちが忙しげにうごめいていた。

その雰囲気に…体の中から熱いものが込み上げてくる。

ようやく、太陽の光が波の上にキラメキ始めた。

…と、その瞬間~心と体が南シナ海の風の中に溶け込んだ!

次第に、ヤシの群生が遠ざかっていく。

ちょうど50年前~若きタクミ部隊の兵士たちも同じ風景を見たのであろうか…

砂浜にズラッと並べられていた木製のボートのような漁船は次々と出航し、沖を目指す。

色とりどりの船体が朝日に映えて~美しい。

息をいっぱいに吸い込んでみる。

なぜか、ちょっぴり日本の匂いが感じられた。

きっと~この匂いをたどっていけば、この海のはるかかなたにある日本に辿り着けるのであろう。

心地よい空気の中で~再び眠気が意識を虜にしようとする。

規則正しくうなり声をあげている大きなエンジン音を~鼓膜が熱いリズムに換えているようだ。

もう、どのくらいこうやって海の上を進んできただろう…

ふと時計に目をやると~その針は、8時30分を指そうとしていた。

出航してから、はや2時間が経とうとしている。

…と、急にエンジンが切られ~船が停止した。

360度ひらすら海しか見えない場所で、静寂が我々を包む。

海中に目を落とすと、3~4本の竹らしきものが海底に向かって浮いているのが見えた。

そう~この場所こそがアーヤたちが仕掛けを沈めている…漁ポイントだったのだ。

いつの間にかそのポイントを取り囲んで~4隻の漁船が集結していた。

乗組員たちが、アーヤの動きを注意深く見守っている。

昨夜、小屋で見かけたおじさんが~私を見つけて微笑んでくれた。

我々の船には、アーヤの他に3人の漁師が乗り込んでいる。

周りの船にも一隻3~4人ずつくらい乗船していて、この20人足らずがチームになって漁をしているようだ。

我々の船の中の一人が、釣り糸を垂らし始めた。

まさか…こんな地道な方法かぁ~と注視していると、突然アーヤが上着を脱ぎどこから取り出してきたのか“ゴーグル”を身につけて、南シナ海の海の中へと飛び込んだ!

海の色は深い青緑で~不気味に揺れている。

アーヤが海に戻ってくるとエンジンがかけられ、船は再び大海原を彷徨い始めた。

どうやら~仕掛けに集まる魚の状況を調べたが、思わしくなかったようだ。

それにしても、魚の様子をアーヤが実際に海に潜って目で確かめる…ことには驚きであった。

この後、我がチームは何と7つのポイントをまわったが~残念ながら、いずれの場所でも漁をすることはできなかった…


                    

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アーヤ(父)の手さばきに見とれていると~アーマ(母)が気を遣ってくれて、フォークとスプーンを出してきてくれた。


しかし...もちろん我々は断って~さっそくてを使っての食事に挑戦し始めた。


ごはんだけをつかんで食べる分には何とかなるのだが、これに魚や汁っぽい野菜がからむと~もう大変である。


手は唾も一緒になってビチャビチャになり~ほとんど泥んこ遊びの世界になってしまった!


見るに見かねて~アーヤとカイリさんが手での食べ方を教授してくれた。


まず、使う手は主に右手(左手は不浄の手なので使わない)の親指、人指し指(マレーシアではこの指で絶対人を指さないのだが...)、中指の3本である。


他の指をむやみに使ったり~ましてや手の平を使ったりしないのである...。


人指し指と中指は、シャベルの役割をする。


この2本の指の上にうまく食べ物を乗せ~それを親指の爪側で口の中に放り込むのである。


親指はクレーンの役割をで、間違っても指を唾液でベトベトにすることはないのだ。


もちろん~テーブルの上には~手を洗うための洗浄器がちゃんと準備されていた。


手を使うことに夢中で味はあんまし印象に残っていないが~アーヤが昨日獲ってきたんだと勧めてくれた魚がとても新鮮でおいしかっことを...覚えている。


食事の後、カイリさんは自分の家へ帰っていった。


いよいよ~マレー語だけの世界だ!


アーヤと一番下の小学生の息子は~食事が終わると、ひたすらテレビの前でゴロゴロしていた。


食事の片付けをしているのは~一人娘のレイトンである。


レイトンは片付けが終わると、「アーマと一緒にどこかへ出かける」と言うので~一緒についていくことにした。


外に出ると~もう辺りは真っ暗である。


街頭というものがないために、本当に懐中電灯なしでは一歩も歩けなかった。


どこをどう歩いたのかわからなかったが、地面が砂に変わったことで~海岸が近づいたことが見当できた。


彼女たちは~砂浜の上に立つ粗末な小屋の中に入っていった。


小屋の中には~魚の匂いが立ち込め、小屋一面が...魚のすり身を干して乾かし、袋詰めにしたものであふれていた。


その袋を、女たちが50くらいずつにして箱に詰めていた。


レイトンやアーマもやり始めたので、我々も手伝うことにした。


最初から小屋にいた女たちは~底抜けに明るく突然の異邦人に少し驚いていたが、常に大声で笑いながら...せっせと仕事を仕事をしていた。


どこかマレーの人と雰囲気が違うかなぁ~と窺っていると、急に小屋の奥から真っ裸の子どもが目に前に飛び出してきた。


「なんだなんだ~一体っ!」...とよく目を凝らしてみると、小屋の奥ですごい筋肉をした男たちが上半身裸でこちらを見て笑っているではないか~


何と~どうみても粗末な物置にしか思えない所に...3~4世帯くらいの漁師家族が住んでいたのである。


後に~この家族たちはマレー人ではなく、タイから違法に出稼ぎに来ている人々であることを知った。


サバク海岸では...学校に行っているはずの子どもたちをたくさん見かけた。


しかし彼らはタイ人の子どもたちで、違法な滞在をしている為に学校には行けないのである。


それでも~彼らは母親に似て、明るくとびきり澄んだ目をしていた!



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今夜のおかずは獲れたての魚~デザートはもちろんドリアンだ!

我々(今回は妻も同行していた)とサカリア家の文化の出会いは、サロンの巻き方からスタートした。

サロンとはマレー系の人たちが日常着として身に付けているもので、ただ単に長細い布を繋げてスッポリはけるよう~円柱状にしたものである。

ただ、この円柱の穴はやたら大きく…ズボンのようにベルトをして止めるわけではない。

まず、腰まわりにダブついている布を手で左右に引っ張り、すばやくおへその前に折り返す。

そのまま~布を押さえながら内側にまるめこむと、見事に止まるのだ。

ただし、女性の場合は~少しずつやり方が違うようで、妻が教授してもらっていた。

ちなみに~サロンの下には何も身に付けないということであったが、「パンツくらいは…まぁはいてもいいだろう」ということで、許可をもらった。

サロンをはくと~実に下半身がスースーとして…涼しい!

まさに、熱帯にうってつけの衣類であることを実感。

ただし~巻き方が下手なため、歩く毎にサロンがずり落ちてしまうことには辟易したが…

サロンを身にまとうと~一気にサカリア家の一員になれたような気がした。

その後、カイリさんを通じてサカリアさんと様々な話をすることができた。

(マレーシア東海岸地方では~一般に英語が通じない…マレー文化が色濃く、サカリアさんへも英語が全く通じなかった)


サカリアさんは父の後を継いで~若い時からずっと漁師を続け、今は何と50才だいうこと!(とても~50才には見えなかった...)


マレーシアで第3位のフィッシャマン(漁師)に選ばれ、「パンパシフィックKLに招待されて、表彰されたんだ」と、得意気にその時の盾を見せてくれた。


彼は今、奥さんと子ども2人で住んでいるらしいが~実はもう2人の子どもがいる。


そのもう2人の息子は、既に成人・結婚し、別の場所に住んでいる~とのことだった。


もちろん本業は漁師だが、11月~2月のモンスーンシーズンは漁に出られないため~家にいるか他の仕事をしているらしい。


ここで奥さんが現れて~しきりに何かを勧めてくれた。


奥さんは小柄だが、見るからに気合の入った肝っ玉母ちゃん~という感じの人だった。


どうやら~夕食の準備ができていたので、「食べろ」ということらしい。


食卓は~これも広い台所にあった。


何故か...日本のおばあちゃんちの台所に似た匂いがした。


カイリさんと共に~席につく。


マレーの家では、食事は客や男が先で~女は後なんだ...とカイリさんが説明してくれた。


なるほど~我々と共に席に着いたのは...この家族の中でアーヤ(父)呼ばれるサカリアさんだけだった。


テーブルの上には~白いご飯、野菜をつけたもの、焼き魚など...が皿に盛られている。


「Makan(食べろ)」~と言いながら、アーヤはごく自然に手でおかずをつかみ始め、ご飯と一緒に食べ始めた。


カイリさんもすでに手を使って、ムシャムシャやっている。


それにしても~見事な手さばきだ!


最初は手のひら全部でわすずかみにして~そのまま口まで運んで食べているのかと思ったが、よく見てみると...どうやらすごい技を使っているようだ!



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             中央にレイトン~その左がアーマ~レイトンの右がアーヤ!



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「本当のマレーシアを知るためには~東海岸に行くべきですよ。KLもそうですが、西海岸は外国の文化の影響が強すぎて、昔ながらのマレー文化を見つけるのが難しくなっていますから...」


~P6部の東海岸への旅行にツアーコンダクターとして参加してくれた,,,ケビンさんがよく口にしていた言葉である。


(ちなみに、16はH3年度はP6の担当だったのです)


実際、コタバル・トレンガヌを中心とする旅行下見、そして旅行本番と東海岸を体験し~すっかりその魅力にとりつかれてしまった。


そして、「いつしかこの地のマレーカンポン(マレー村)にホームステイをして~その生活文化にもっと触れてみたいと強く希望するようになったのである。


1991年8月11日~三度(さんたび)コタバル空港に降り立った。


空港には、旅行の時に知り合いになり~今回もステイ先を探してくれるなどしてくれた...コタバル出身でマレー系のカイリさんが、自慢のプロトンサガ(マレーシア国産車)で迎えに来てくれていた。


ホームステイといっても、欧米のようにそのシステムはマレーシアでほとんど定着してなく~ステイ先を見つけるのは...かなり難しい。


カイリさんも、自分の知り合いを中心に声をかけ回ってくれたみたいだ。


プロトンサガの中で、ステイ先のことについて~説明してもらった。


空港から車で15分もあれば着いてしまう。


サバク海岸に面した漁村に~そのめざす家があるらしい。


さて、みなさんはサバク海岸をご存知だろうか?


S16年12月8日未明~、あの真珠湾攻撃に先立つこと2時間あまり...日本第25軍第18師団第23旅団の侘美支隊が、マレー半島攻略の為、上陸を開始したのがこのコタバルにあるサバク海岸だったのである。


旅行でも訪れたが、当時のトーチカ跡などが生々しく残っていたりした。


車窓から磯の匂いが感じられる頃~あたりはすっかり暗くなり、やがて小さな村の中にカイリさんの車が停められた。


マレーカンポンにステイするからには、もちろん客室などないであろうから居間みたいなところに雑魚寝する覚悟であったが~カイリさんに案内されたその家は、暗闇の中にとても大きく浮かび上がっていた。


中に入って~さらに驚いた!


床には立派な絨毯が敷き詰められ、窓には色とりどりのカーテンが架けられている。


造り自体も高価そうな木が何本も使われ、家具もすばらしい。


奥から~浅黒い肌に彫りの深いおじさんが、腰にサロンを巻いて現れた。


体は太くないのだが~骨太で筋肉質らしく...大変たくましく見える。


カイリさんが紹介してくれた彼こそ~この村の漁師にとってリーダー的存在である『ZAKARIA BIN MOHMOOD(サカリア ビン モハマド)さんであった。


こちから、握手を求めると~岩のようだった顔から白い歯がこぼれ...さっそくこれを巻いて「くつろげ」とばかりにサロンを出してくれたのである!



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カンポン(村)では~すべての時が歩くペースと同じく流れる!

子どもたちが楽しみにしていた遠足が、5月29日に行われた。


昨年まで~P学部全員で行っていた遠足だが,,,今年度からは人数増加のために2学年ずつに別れ~別々の場所に行くことになった。


わがP1(そう~ちなみに私16は初めてのP1担当だったのです)は、P6と一人ずつペアを組み、歓迎遠足の形で、クアラルンプールの中でも~最近整備されたばかりのティティバングサ公園に出かけて行った。


一緒に遠足に行くはずだった子どもが、オーストラリアに転出することになり~遠足に行けなくなってしまった。


そのため~同じ班の子どもが寂しがって、遠足にも行けるかどうかわからないと言い出したりしたが…、前日じっくり話し合いをし~当日は生き生きとした表情で、参加することができた。


遠足といっても~公園までの距離と交通事情から考えると~歩いていくのは不可能で,,,当然同じくバスを使うことになる。


日本のバス遠足指導で大きく違うのは、バス酔いのことを全く心配しなくてもいい~ということであろう。


通学が毎日、バスなのである。


ティティワングサ公園は、大きな湖の周りに芝生が植えられ、そこにスポーツ施設や遊具場が設置されている。


P1生にとっては、JSKLにない広い芝生や珍しい遊具がたくさんあって、ことのほか楽しめた様子であった。


P6生の子どもたちも汗だくになって~P1生の面倒を見てくれたので、本当に感謝の気持ちで一杯であった。


子どもたちと一緒に遊んだり写真を撮っている時、カメラのフレームの中に~一人のマレー系の少年が現れた。


もちろん、この公園には我々日本人だけでなく~主に母親連れのマレーシアの子どもが何人か遊びに来ていた。


この少年もきっと家族と一緒に違いない~と思ったが、どうも様子がおかしい。


両手に重たそうなカゴを抱えて、子どもを遊びに連れてきている大人たちに話しかけているのだ!


と、~こちらの視線に気付いたのか、少年が近づいて来た。


カゴの中身を見て...愕然とした!


一方のカゴには缶ジュース~そしてもう一方のカゴには、お菓子らしきものがたくさん詰まっている。


そして、次の瞬間~さきほどの大人たちに言ったことと同じ言葉に違いない...「買ってくれ」という言葉を投げかけてきた。


まだ、年端もうゆかぬ少年である。


少年の年を聞いてみた。


「Berapa tahun awak?」~「Saya enam tahun!」


Enam...Enam...エナム...


何と、この少年は6才だったのだ。


彼の周りで楽しそうに遊んでいる~日本人の子どもと同じ年齢ではないか,,,


マレーシアは豊かになっているはずなのに、こんな小さな子どもまでが働かなければならない現実がまだ残っているのだろうか?


「今は買えない」~と言うと、汗だくになってとぼとぼと次の場所へ歩いて行った彼の姿と班の友だちがいないからと寂しがりながらも、今彼のすぐ隣で明るい声を出している子どもの姿が同じ視界にいることを~どうも、自分の中で処理できずにただ茫然とするばかりであった...



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ジュースの入ったバケツが重いため~タオルを巻いている!









日本人が多く住む高級住宅街~バングサ地区...そんな場所であるが、中にまだまだ雑然とした雰囲気を残す一角がある。


そこには、様々な人種の人々を相手にした料理屋、安価を売りものにするスーパーマーケット、同じビルの中に店を構える電気屋、パン屋、籐屋、家具屋、額屋、スポーツ用品店、貸しビデオ屋、車の修理屋、怪しげな雀荘、写真屋、セビンイレブンなど...


そして、そのビルの前では屋台を引いたおじさんおばさんがこれまた様々な物を売って、商売をしている。


いつの頃からか、とても雑然としながらも素朴なマレーシアの顔を見せてくれるこの一画の虜になってしまい、週に一度は必ず訪れるようになった。


特に、土曜日の夜はことさら賑わう。


というのも、土曜の夜はマレーシア名物~ナイトマーケットがこの界隈に出没するのである。


普段は何気ない普通の道路が土曜の夕方あたりから~小型トラックや自転車付屋台が集まりだし、次々とテントや商品台が設営される。


またたくまに、普通の道がお祭り道路に変身してしまうのだ。


おそらく、このナイトマーケットで全ての生活必需品が揃ってしまうのではないだろうか。


それほどまでに、実に様々な物が衣食住にわたって売られている。


~それも、驚くほどの安い値段で...


そのナイトマーケットのちょうど四つ角になった決まった場所に、いつもハニーデュウを売りに来ているミスタートニーというおじさんがいる。


ハニーデュウとは日本でいうメロンのことで、ミスタートニーは、ジョホール州(マレーシア南部)で獲れたというそれを、実に100ほど抱えてやってくるのだ。


ミスタートニーは、中国系のマレーシア人で奥さんと息子2人の4人家族である。


彼の父が、中国から移住してきたそうだ。


この仕事を始めて10年になるそうで、まぁ満足しているらしい。


もちろん、バングサだけでは商売にならないので、いろんなナイトマーケット~それもモーニングマーケットも含めて、8ヵ所も点々としているという。


バングサの売場代(いわゆるショバ代)は、3リンギ(約150円)で政府に支払っている。


バングサは1Block=2メートル×1メートルで1リンギ(約50円)だそうだ~トニーは、3Block借りている。


しかし、家の近くのPJ(KLの隣の市)では、一晩3倍の9リンギ(約450r円)も取られるんだ~と、トニーはぼやいていた。


何にしても、このミスタートニーのハニーデュウは~もう最高美味なのである!


今夜も、3キロ弱のハニーデュウを購入した。


大体1キロ2リンギ(約100円)~2リンギ50セント(約150円)が相場なので、6ドル20セントを支払った。


帰宅し、さっそくそのハニーデュウを頬張りながら何気なく日本のビデオを観ていたら、思わず口の中のハニーデュウを全部吹き出しそうになった。


そのクイズ番組のアナウンサーは、クイズ勝者への賞品であるメロン~それも今夜ミスタートニーから買ったハニーデュウよりも一回り小さいメロンを...何と一個1万5000円とのたまったのである。


~帰国までに、ハニーデュウを食べまくろう...そう決心した夜であった!



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                              週末には~必ず彼の店でハニーデュウを買い込んだ!




ボスから~「S3が毎年行っているタイへの旅行を中止せざるを得ない」との話を聞いた時、この間行ってきたペリス州のマレーシア‐タイ国境のことを思い出した。


その国境には免税店がいくつかあり、マレーシア側とタイ側から多くの人々が買い物に訪れていた。


驚いたのは、そんな客目当てにたむろっている両国のタクシーの違いである。


マレーシア側のタクシーは~もちろん黄黒ツートンカラーのジェミニか真新しい赤白ツートンカラーの真新しい国産車...プロトンサガである。


それに比べて、タイのタクシーは一体こんな車が動くのか~と想われる程の古いボディで、錆で穴の開いている車もあった。


残念ながらタイにはまだ行けてないのだが、このタクシー事情からだけでもタイの状況が予想された。


そういえば、何年か前日本の商社マンが殺された時の犯人の動機は“金欲しさ”だったように思う。


その国境では何度かポリスやアーミーに止められ、パスポートのオリジナルを持っていないことを詰られた。


やはり、KLにはない緊張感が国境付近に漂っていることを痛感。


その隣国であるタイが現在大変なことになっているらしく、マレーシアでも大きな関心事になっている。


昨年2月にも軍部と関わりを持たない政権ができたことに危機感を持ったタイ国軍がクーデターを起こし、旅行が危ぶまれた。

しかし、この時は無血クーデターだったので、タイ情勢も普段通りで旅行も計画通り実施された。


今回の騒ぎは昨年のものと違って、何百人という死傷者が出ている。


昨年のクーデターによって樹立された国軍主導政府に対する民主化要求のデモ隊に、国軍が発砲してしまったらしい。


(2日後...)


さて、タイの騒乱は簡単に収まったようだ。


『国王』が登場したのである。


国王が既に逮捕されていた民主化勢力のリーダーを呼んで、話し合いによる解決を勧告したらしい。


その結果、そのリーダーは釈放され政府側も民主化に向けて努力していくが、民主化勢力が即時要求していた首相交代及び憲法改正は見送られることになった。


民主化のリーダーとすれば大変大きな妥協をしたかに思えるのだが、このリーダーを非難する声はないらしい。


その最大の原因はどうやらやはり~『国王』


国王が仲裁に入って決まったことなら仕方がない~ということらしい。


タイでは、ことのほか国王が尊敬されている。


これほどにまでに国王の影響が大きく、且つ13世紀の建国以来東南アジアの中では唯一独立を堅持してきた秘密は一体何なんであろうか。


~益々タイへの興味が深まってきた...



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                国境には~客待ちのタイ側のタクシーであふれていた!