だれと話をしなくても~シンさんとは必ず毎日言葉を交わす...そんな仲になってしまった。


シンさんは、JSKLに午前7時からやってきて、明け方7時頃帰っていく夜間ガードマンなのである。


もちろん、公明正大・規則正しい生活を送っておられるJSKLの職員のみなさんの多くは、シンさんの顔さえ知らない。


思えば、私自身も2年前まではそうであった。


が...魔の昨年度を経て、シンさんとはお互い忘れがたい存在となっていったのである。


シンさんは~夜間ガードマンと言っても夜の11時にはゲートを閉めて、(不思議なことに)眠ってしまう。


したがって、夜遅くまでJSKLに残っていたり夜中に何度も出入りする奴は~シンさんにとって迷惑千万な奴なのだ。


昨年度~めでたく自分もその“奴ら”の中にどっぷりつかってしまった。


ふつうだと、そういう奴らはシンさんにいい印象を持たれないないのだが、私は誠心誠意を持って迷惑をかけたため、逆にとても愛想よく接してくれた。


朝、駐車場がいっぱいで仕方なくマイカーをゲートの外に停めた時など、その日の夜仕事をしているとわざわざ私の仕事場までやってきて~“Good evening,sir~おまえの車はブリックフィールド(JSKLの近くにある繁華街)にあるじゃないか~ちょっと車のキーを貸してくれ”と、わざわざ車を移動させてくれたりする。


この間は、夜中の12時~いつものように調子よく口笛を吹きながら仕事をしていると、シンさんがすぐ横の窓からいきなり顔をヌーっと出してきたので、心臓が飛び出しそうになった,,,


シンさんは、インドのパンジャブ地方からマレーシアで働く友人の勧めにより、19才の時にここKLにやってきた。


出身地とその名前が示す通り、シーク教徒で頭にはもちろん立派なターバンが巻かれている。


マレーシアで同じパンジャブ地方からやってきた女性と出会い、インドに帰って結婚式を挙げたそうである。


その後再び来馬し、何回か里帰りしながらも37年間マレーシアの水道局に勤めた。


最近までガードマンの仕事を同時にしていたが、さすがに体がキツく昼間の仕事を辞めたそうだ。


JSKLのガードマンを始めて~10年。


現在、シンさんは57才だということであった。


マレーシアでは2人の子どもをもうけ、息子は現在MAS(マレーシア航空)の従業員、娘はロンドンでlower(弁護士)をしているというからなかなかのものである。


2年前にはよくブミプトラ政策(マレー系優遇政策)の批判をしていたが、最近はその矛先がインド政府に向かいつつある。


パンジャブ地方は、うまくいけば年に3度も米が収穫できるとても肥沃なところだけど、インド政府はこの地方を目の敵にして痛めつけているという。


パンジャブ地方に水を供給いていた川にダムを作って、他の地方に水を流してしまったんだ~と声を荒げるのである。


今~パンジャブ地方が直面している難問題は、やはりマレーシアに住んでいるシーク教徒にとっても、最大の関心事なのである。


日本人の印象は?と聞くと~「とてもいい、紳士であるし尊敬に値する」と言ってくれたシンさん。


シンさんもお世辞を知っているのであろうか...



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ガードマンのシンさんとは~夜中によくインドの話をした!




N会では、在馬N会の親睦を図るため、月一回のソフトボールリーグ戦を開催している。

いろんな日系企業や日本人の団体が、このリーグ戦に加わっている。

年々その数も増加しており、今は20チームが加盟し、10チームごとのリーグに分かれて年間成績を競うわけである。

親睦という目的はあるものの~優勝を狙うチーム同士の試合は真剣そのもので…すごく張り詰めた空気が流れる。

優勝チームの賞品は、日系の名だたる企業が協賛しているだけに~超豪華!

海外旅行クーポンなどが、準備されていた。

一年間の試合が終了したあと、一流ホテルのボールルームを借り切って、表彰パーティが開かれる。

さて、わがJSKLチームもそんなリーグ戦の末席を汚しているわけであるが、いつの頃からか~“愛されるJSKL”というキャッチフレーズで呼ばれるようになり、今だかつて…優勝争いに加わったこともない。

今シーズンもその期待通り~今日の試合まで…実に、1勝5敗1分。

新しく赴任された方々のおかげでやっと先月初勝利を収め、まるで優勝したかの如く監督のNさんを胴上げし、相手チームにビックリされたばかりである。

いよいよ~今日の試合が始まった。

相手チームは、JSKLチームにとってまさに宿敵といえる『バングラーズ』だ。

ここで、ちょっと解説を入れよう。

バングラーズとは、KLにある~なんと、日本人子弟を対象にした進学塾関係者が作っているチームなのである。

なんと、日本から遠く離れたこんな外国の地にも、進学塾が存在していたのだ。

そして…JSKLに通うほとんど全員が、そんな塾に通っていた。

JSKLの活動が終了する頃、塾がチャーターする車が子どもたちを待ち受け、息つく暇もなく子どもたちを連れ去っていく…一体、こんな状況をどう考えたらいいのだろうか?

我々の心配とは裏腹に~今年度もまた新しい塾が日本人が多く住むバングサ地区にでき、日本から離れているという親の不安感と豊かな経済状況を背景に『塾』は益々盛況を極めているのである。

…というわけで、今日は心なしか両チームとも気合が入っていた。

一回の表満塁のランナーをためながらも1点しか取れなかったJSKLに比べ、一回の裏バングラーズは効率よく2点を入れ、あっさり逆転を許してしまう。

二、三回は両チームとも三者凡退を繰り返し、さながら投手戦の様相を呈した。

そして、いよいよ四回の表を迎える。

この時、何試合か前の大失策を機にベンチを温めることが多かった16に監督から声がかかった。

ワンアウトから~バッターボックスに立つ。

3ヶ月ぶりに握るバットである。

相手ピッチャーのボールが、その手を離れて迫ってくる。

もう、無我夢中でバットをたたきつけた。

ボールが、二遊間を抜けていくのが見えた。

よし、走るぞ~と意識したが、同時に大変なことを自覚した…一生懸命足を動かそうとしても、動かない。

何とか一塁ベースに辿り着いたものの~何とボールは外野手の間も抜けたようである。

「16~走れ‼︎」~の声がうっすら聞こえ、二塁さらには三塁をめざす。

もう、サードベースに滑り込んだ時には、ヘトヘトであった。

どうやら、ホームへ行けるチャンスもあったようだが、もう血の気がひいてきてベース上で釘付けになってしまったのである。

試合はこの回逆転し、その後も我がチームの打線が爆発。

12対2で見事宿敵バングラーズを下し、2勝めをもぎ取った。

それにしても~熱帯の空の下でのソフトボールは…めっちゃキツイのですよ野球



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                           マレーシアでソフトボール(野球)の道具は~売っていない!



ウェサックディを祝ってる人々を見回してみると、マレー系の人たちが全くいないことを改めて認識させられる。

やはり、マレー系の人たちは~例外なく100%ムスリムなのだ。

境内を埋めつくしている大多数は~もちろん中国系の人たちなのだが、線香を手に一心に祈る姿が妙にミスマッチしている美しいサリーを身にまとったインド系の人たちも少なくなかった。

私の通勤路であるオールドクランロードから来たというインディアン家族~カシさん一家に話を聞いてみた。

Hiro「カシさんは、マレーシアでお生まれになったんですか?」

Kasi「そうだとも~おいらは生粋のKLっ子だぜ。けれどもよぉ~おいらの両親は、インドから渡ってきたんだ。」

H「カシさんの宗教は、何なんですかいな?」

K「おいらかい~おいらはインディアンだ。」

H「インディアン?ヒンディーでしょ?」

K「そう、おいらはインデイアだ。」


(どうも、彼はヒンディのことをインディアと言っているらしい...ちなみに『インド』は『ヒンディ』から来た言葉)


H「インディアが、なぜまたこんな仏教寺院に来たんだえ?」


K「決まっているじゃねぇか...仏陀様もおいらの大切な神様なんじゃ~いや、仏陀様だけじゃねぇ~キリスト様もヒンドゥーの神様も、みんなおいらの神様なんじゃ。」


H「なるほどなぁ~ところで、カシさん一家のみなさんが手首につけているヒモは何か意味があるんかのう。」


K「おいおい~おまえは日本人で仏教徒だろ?この意味も知らんのかぁ,,,なにィ~日本人はこのヒモをつける習慣がないじゃとぉ~!これをしておくとじゃなぁ...神からのご加護(bless)があるんじゃ。わしらは、このヒモを、実に一年間ずっとしておくんじゃ。自然に取れない限り、自分で切ったりほどいたりしてはダメなんじゃぞ。一年たったら、新しいのと取り換えるんじゃ。日本人は仏教を中国のものと思いがちだそうじゃが、仏教の始まりはもちろんインドじゃ。この寺院もそうじゃ。この寺院を建立したのも、スリランカから来たセイロン人なんじゃぞ!ほれ~あそこに、黄色の僧衣をまとった高僧がおられるじゃろ。あの方は、今日のためにわざわざスリランカから来られたんじゃ!」


このカシさんの話を聞いて、様々なことを発見することができた。


特に、神のご加護(bless)があるというヒモは、仏教が中国・日本に伝わる過程で数珠になったのではないか?そして、西洋に伝わる過程でブレスレットになったのではないか?~と勝手に解釈して、大発見だとから喜びするのであった。


空が薄暗くなる頃、いよいよ提灯行列が動き出した。


みんな~それぞれの手にハスの形をしたろうそくとブッディストカラーだという模様が描かれた小旗などを持って、各アソシエーションや地域の寺院グループごとに出発していく。


寺院によっては、きらびやかな電球や花で飾ったトラック野郎のトラックをもっとド派手にしたような車を先導車にしている。


中には~仏陀の像を載せている車も...


人々は、お経らしきものを唱えながら歩いていく。


長く続くろうそくが、暗闇の中を揺れ動いて~美しい!


仏陀が悟りを開いてから~実に2600年あまり...その教えのすごさをしみじみと感じた一日であった満月




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                次々と祈りを捧げる~でっかい線香が印象的であった!


「Wesakとは、マンダリン(北京語)で仏陀の生まれた月…という意味なんだよ」~と、マレー語教室のチョン先生が教えてくれた。

彼がWesakの語源を説明してくれたのか、Wesak Dayそのものが何の日なのかを説明してくれたのかは定かではないが、Wesakがマンダリンというのには驚いた。

ともかく~中国歴4月15日にあたる今日5月17日は、全世界の仏教徒が一斉に釈迦誕生祭を祝う日なのである。

ここクアラルンプールでも、ブリックフィールドにあるBuddist Vihataという寺院で大きな祭りと提灯行列が見られる~というので、さっそく行ってみることにした。

部活や球技大会の時によく通る~JSKLからYMCAや鉄道省グランドへ向かうJalan Abdul Samadはすでに通行止めになっていて、歩行者天国になっていた。

提灯行列を先導する車が数台見える。

リボンた旗で装飾され、そのボディには大きく『Happy Wesak Day』と大きく書かれている。

Jalan Abdul Samadから寺院のあるJalan Berhalaに入ると~「でたぁ!」まさに日本の“ザ・夜店”の世界。

飲み物屋、ミュージックテープを売る店、駄菓子屋、安物のおもちゃ屋、イスとテーブルを用意して焼きそば等を売っている店もある。

仏陀の宗教画や彫物を売っている店が、なんともウェサックディらしい。

ともかく、そんな店が道の両脇にずらーっとならんでいる。

道に溢れる人混みをかきわけながら、寺院へ辿り着く。

寺院の中は、より多くの人たちでごった返していた。

人の名前を書き込んだレンガが積んである。

「何だろう」~と思っていると、その隣で人々がお金を出してレンガの裏に名前を書き込んでもらっている。

そういえば、お寺の奥には建設中のでっかい建物があった。

くわしく話を聞いてみると、この建物は新しい講話堂で、その建設費の寄付を募っている~とのこと。

タイルの表ではなく裏側というところに…彼らの美徳を感じた。

仏陀が悟りを開いたインドのブッダガヤにある~日本寺院のことが頭をよぎる。

その日本寺院を建てるための寄付をした日本人の名前が立派な石碑に刻まれ、ずらっと並んでいたのである…

さて、本堂の中にはインドで見た仏教寺院と同じく、釈迦の一生を表した彫刻が陳列してあった。

その中で、人々が順番に祈りを捧げている。

さっそく、私達もくつを脱いでその列にならんだ。

中に入ると、まず~みんな膝立ちになり目をつぶって、正面の釈迦像に向かい手を合わせる。

すると、黄色の僧衣を身にまとったお坊さんが、菊の花と水をもって人々の間をまわり、花の先をその水につけて、みんなにかけていくのである。

この水は、何でも幸運と幸せな未来を呼ぶ聖水だそうで、みんな有難くかけていただく。

お寺の片隅では、この聖水が(どう見ても駅弁のお茶のような)容器に入って、ひとつ10リンギ(約500円)で売られていた。



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念のために聞いてみると~この水はマレーシアの水であった。

その水を購入した人々は、それを大事そうに抱えて去っていく。

あの時目にした~ガンジス川の水を汲んで、それを大事そうに抱えて去っていくインドの人々の姿と重なった…




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仏教寺院で~ヒンドゥ教徒のカシさん一家と出会った!







トーマスカップ~第4戦が始まった。

インドネシアチームはもう後がないので、必死の形相である。

精神的に余裕があるためか、序盤はマレーシアチーム有利で試合が展開していった。

マレーシア選手がシャトルを打つ度に「ヤー」、インドネシア選手が打つ時は「ウー」と観客が声を張り上げている。

第1セット~10-4とリードしたが、さすがにすんなりとはいかない。

そこからどんどん追い上げられ、みるみるうちに10-12と逆転されてしまった。

ヤバイぞ~と焦ったが、何とか踏ん張り結局15-12で第1セットをものにすることができた。

第2セットは、どうしたことか相手のスマッシュがビシバシと決まっていく。

マレーシア選手もよく拾っていくが、常に守勢に立たされ、ついに10-15で取られてしまった。

~流れが悪い…

もしこの第4セットを落としてタイになれば、インドネシアに勢いがついて、圧倒的にマレーシアが不利になるだろう。

何としても次のゲームを取って、一気に決めてもらわねば…

緊張が高まる中、運命の第3セット第4ゲームスタート!

やはり、第2セットの余勢をかってか、インドネシアチームの調子がよく2-5とリードを許した。

マレーシアチームに暗雲が立ち込めてきたかにみえたが、ここで若きマレーシア選手が神がかり的なパワーを発揮する。

なんと~連続7つのポイントを取り続けたのだ!

9-5から何度かサービスオーバーを繰り返し、ついに~ついに14-8のマッチポイントを迎えた。

もう観客は全員立ち上がり…その歴史的瞬間を息を飲んで待ち受けた。

5月21日0時36分(7時に開始された決勝戦は、すでに夜中の12時を経過していた)~マレーシアチームの若きエースBENG KIANGが打ち込んだスマッシュは、インドネシアチームのコートに沈んだ。

マレーシア国民が、25年間待ち望んでいた瞬間だったのである。

Syabas Malaysia‼︎(おめでとうマレーシア)



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                                  マレーシアのスーパースターと~ツーショット!



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日本の武道館を彷彿させるようなとてつもなくでかいスタジアム・ネガラの会場は、びっしり超満員の観衆で埋め尽くされ、異様な雰囲気を醸し出していた。

第1戦のシングルスは、シディク兄弟の末弟~RASHIDが第1セットで13-1といきなりリードしながらも、そこから10ポイント連続で得点を許し、どうなることやら…と心配したが、何とか1セット目を先取。

しかし、次のセットは調子をあげてきたインドネシアの選手に10-15と取られ、勝負の行方は最終セットへ…

ここでRASHIDは気を取り直したのか、最終セットは相手の付け入る隙を与えず15-4で取り、見事に第一戦をものにした。

それにしても、会場の声援が凄い~甲子園ライトスタンドの応援も顔負けだ。

もちろん、観衆の8割くらいはマレーシア国旗を握りしめた地元の人たちであったが、黄色のハッピのようなものを着たインドネシア応援団も結構目立つ。

実は、最近のマレーシアのめざましい経済成長により労働者不足が起こり、ここKLにもインドネシアからたくさんの人々が出稼ぎに来ているのだ。

その人たちが、祖国チームの応援に駆けつけて来ているのだろう…

第2戦はダブルスで、シディク兄弟の中からRAZIFとJALANIが選ばれていた。

この試合、インドネシア側は実に巧妙な作戦を取る~長兄のRAZIFに集中的にシャトルを集め、疲れさせていったのだ。

それにしても、この時の中国系インドネシア選手のパワーは凄かった。

目にも止まらぬジャンピングスマッシュを連発したのだ。

1セットは返したものの~結局力及ばず、セットカウント1-2で落としてしまった。

マレーシアが誇るシディク兄弟の一角が崩れてしまったことで、会場にやや悲壮感が漂いはじめる。

第3戦のシングルスは、マレー系のシディク兄弟にかわって、中国系の第一人者であるFOO KOK KEONGの登場である。

まず、相手がリズムを掴みあぐねている間に、第1セットをものにする。

これは楽勝かな~と思ってたのも束の間、第2セットは7-10とリードされてしまう。

FOOの顔を見ると、疲労の色が濃くなってきた~もうこのセットを落とせば、体力的に敗色濃厚だ。

しかし、ここでFOOの底力が発揮された。

相手のミスにも助けられたが、最後には15-2でセットを取り、第3戦をもぎとった。

スタジアム・ネガラには何とマレーシアのアゴン(国王)も応援に駆けつけていた。

マレーシア全体が、どれ程この大会にかけているかが伝わってくる。

常に冷静さを装っていたアゴンだが、チームが第3戦に勝利すると、ついに立ち上がって拍手をし始めた。

いよいよ、夢のトーマスカップに王手がかかった。

第4戦のダブルスは、これまた中国系のCHEAH SOON KITとSOON BEING KIANG選手だ。

もうこの頃になると、自分の感情が完全にマレーシア国民と同一化されていることを感じた。

カフェのウェイターたちも、もはや仕事そっちのけで、テレビの前で一緒にシャトルの行方に一喜一憂している。

そして、様々なマレーシアバトミントン情報を教えてくれたり、解説をしてくれた。

会場の熱気も一段とヒートアップし、最早審判の声さえ聞き取れないほどになってきた。

さぁさぁ~夢のトーマスカップの行方は…



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                トーマスカップの行方に~マレーシア中が釘づけになった!

昔~僕たちが子どもの頃、みんなが王、長嶋、江夏らに憧れ、必ずマイグローブと、マイバットを持ち、夜遅くまで遊んでいた。

もちろん、ほとんどの男子の夢は~プロ野球選手!

果たして、今日本の子どもたちは誰に憧れ、何を、宝物にしているのだろうか…

JSKLでは野球人気は衰え、Jリーグがスタートしたこともあって、サッカーボールを宝物にしている子どもたちが増えている。

さて~マレーシアの子どもたちはどうなんだろうか?

マレーシアでは、驚いたことにスポーツ用品店で野球用品を見かけたことが全くない。

もちろん、プロ野球チームも存在しないし、こちらの子どもたちが野球らしきことをしているところも見たこともない。

そして…マレーシアの小学校を訪れその体育館に入った時、その謎は解けた。

そこにはバレーコートもバスケットコートもなく、一面、ただバトミントンコートのラインのみがいくつもひいてあったのだ。

登校してくる子どもたちに目をやると、小さな小1小2の子どもでさえ、大事そうにバトミントンラケットを抱えている。

そう~マレーシアの子どもたちが最も憧れているスポーツNO1こそが、『バトミントン』なのである。

マレーシアには、数多くのプロバトミントン選手が存在し、様々な大会が年中行われている。

技術的にもそのレベルは高く、世界的な大会にも参加しいい成績を収めている。

中でも、マレーシア中のバトミントン選手とマレーシア国民が注目している大会がある。

その名も~“トーマスカップ”

トーマスカップは、テニスのデビスカップと同じように、国でひとつのチームを編成し、世界ナンバーワンの国を決める大会なのだ。

2年に一度開催されている大会なのだが、マレーシアは、実に25年もこの大会の優勝から遠ざかっている~とのこと。

特に、2年前、日本の名古屋で行われた同大会では、決勝まで進みながら惜しくも中国に敗れた。

さて、今年~クアラルンプールが会場になったことで、国中気合いが入っている。

特に、ディフェンディングチャンピオンである中国相手に奇跡的な勝利を収めてから、まさにKLの街も騒然となってきた。

さて、いよいよ決勝の日…

私は何とかライブでその試合を見たいと手を尽くしたが、もうとっくにそのチケットはSOLD OUT

仕方なく、テレビで観戦することにした。

が、家のテレビは映りがよくない…

そこで、コンドミニアム内にあるカフェのテレビで、夕食をとりながら観戦することにした~(カフェのあるコンドミニアムなんです…ちなみにこのコンドミニアムを訪れる人たちはその施設のすごさに驚く)

トーマスカップは、「シングルス」「ダブルス」「シングルス」「ダブルス」「シングルス」の順で、5戦試合が行われる。

1チームの人数は7人。

その7人に選ばれるということは、マレーシアの中でも、最高の栄誉なのだ。

マレーシアチームの決勝の相手は、トーマスカップの歴史の中で、何度もその栄冠を手にしている強敵~インドネシア!

いよいよ試合開始だ。

5戦なので、3戦を先取した方の勝利である。

マレーシアチーム最初の選手は、シディク兄弟の末弟。

シディク兄弟は、マレーシアで最も有名なバトミントンのスーパースターである。

確か、5人兄弟なのだが、小さい時から父親の特訓を受け、その全員がプロ選手になったとのこと。

マレーシア版『巨人の星』のような伝説を持っている❗️


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休日になると~町の体育館はバドミントンを楽しむ人であふれる!

というわけで…ペギーさんとの付き合いが始まった。

ペギーさんは、たんなる英会話の先生というだけでなく、マレーシアの様々な事情や中国系マレーシア人の抱える微妙な感情を教えてくれる願ってもない先生であった。

そんな彼女から~衝撃的なことを聞く。

「私は今でこそ日本人に英語を教えたりして親しくしているけれども、この仕事を始めるまでは日本人が怖くて仕方がなかった」というのだ…

詳しく話を聞いてみた。

ペギーさんのおじいちゃんとおばあちゃんはもう既に亡くなられていたが、その二人から日本人の話をいやというくらい聞かされたらしい…

時代は、やはり第二次世界大戦に遡る。

日本軍がマレーシアにやってきて、中国系マレーシア人を次々と虐殺していく現場を小屋に隠れながら目の当たりにしたらしい。

日本人は隣人であった人々を次々と銃剣で刺し、その死体で円模様を描いたりして楽しんでいたとのこと。

泣きわめく赤ん坊も空中に放り投げ、銃剣で受け串刺しにし、振り回していたそうである。

1986年~マレーシアが不況に陥り、ペギーさんも職を失った時、知人から「日本人に英語を教えてみないか」と誘われた。

家に帰って相談してみると、やはりおじいちゃんとおばあちゃんから猛反対され、日本人がどれだけ恐ろしいか~懇々と聞かされたそうだ。

それでも、生活のためもあり知人の誘いを受けたペギーさんが、初めてその日本人のコンドミニアム(フェバリアやったらしい)を訪れた。

もちろん、ペギーさんはかなりnervousになっていた。

果たして…そのフェバリアの一室のドアを開けた瞬間~ペギーさんは大きなショックを受けた。

そのドアの向こうには、部屋の住人である日本人5人家族が勢ぞろいしていて、全員が正座をしてお辞儀をしてくれたのだ。

「その驚きは今でも忘れられない」~とペギーさんは言う。

『日本人はとても礼儀正しく優しい』ということを、今度は逆にペギーさんからおじいちゃんとおばあちゃんに懇々と話してくれたらしい。

日本軍がマレーシアで行った蛮行は、様々な出版物やこちらの中国系の新聞などで取り上げられているし、昨年JSKLの仲間と行った戦跡調査においても実際に被害にあった人から同じような話を聞くことができた。

ただ、こんな話をふだん何気なく親しくしていて、しかも同じ年であるペギーさんから聞いた~というのがショックであった。

もし、ペギーさんが英会話教師として日本人と関わりを持たなかったら…彼女の日本人観は、ずっとおじいちゃんおばあちゃんと同じやったわけである~そう考えると恐ろしくなってきた。

来馬以来、中国系マレーシア人の友人が増えてきた。

普段話をしている時には、何のこだわりもないようにみえるが、もしかしたら…そこには乗り越え難い大きな大きな見えない壁があるのかもしれない🔫



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                           戦績調査で見聞きしたことは~驚くべきことばかりであった!

マレーシアに来て、最初に個人的な付き合いを深めることができたのが~Ms.Peggy!

ペギーさんは、お世話係をしてくれたKさんから紹介してもらった英会話の先生である。

ペギーという名前を聞いた時、てっきりヨーロッパ系の人かと思ってしまったのだが、ペギーさんはれっきとした“中国系マレーシア人”

こちらの中国系の人たちは、中国名があるにもかかわらず、普段はヨーロッパ風のファーストネームを使っているのだ。

さらに…ペギーさんは中国系だが、中国語はほとんど話せない~両親の教育方針で、ずっと英語系の学校に通っていたのだ。

余談になるが(ずっと余談ですが…)マレーシアの中国系の人たちにとって、子どもをどの学校に行かせるか~ということは、大問題なのである。

もちろん、彼らのHOME LANGUAGE(家庭言語)は、ほとんどの場合中国語。

でも、マレーシア~ことにクアラルンプールのような大きな都市で商売をしたり仕事を見つけようと思えば、やはり英語ができなければ話にならない…

そこで、中国系の人たちは、自らの子どもをできるだけ英語で教育してくれる学校を選ぼうとするわけである。

でも、一族の結束が固い中国系の人たちらしく、子どもたちが全く中国語を話しできなくなってしまうことにはその付き合いの面からもやや危惧を抱いている。

そこで、例えば~兄弟が何人かいる場合、そのうちの一人を中国語学校に行かせる…という話も聞いた。

さて、そんな中国系の人たちにとって、ブミプトラ政策(マレー系優遇政策)による公立学校のマレー語化は、さらに教育問題を複雑かつ深刻にさせてしまったのである。

おっと…話が脱線し過ぎて、ペギーさんのことを忘れるとこやった~

とにかく、彼女は漢字を全く知らないかわりに、メッチャ流暢に英語を使いこなすことができる。

ので、さっそく英会話の個人レッスンを受けることにした。

来馬した頃、ことさら英語に対するコンプレックスが強かったので、本当に毎日でも来てほしかったのだが、そうもいかず~まずは週に一度、金曜の19:30から20:30まで、自宅のOGハイツでレッスンを受けることにした。

ちなみに、月謝は90リンギ(約4500円)

ペギーさんの本業は英会話教師ではなく、アップルコンピューターのKLオフィスに勤めるOLであった。

そこで、9時から5時まで働き、その後~ほぼ毎日JSKL関係者を中心とする日本人に英語を教えている…というハードな日々を送っていた。

なぜ、そんな大変なことまでして働いているのか~と尋ねると…彼女は近々同じオフィスで働くチャイさんという中国系の男性と結婚するということであった。

そのチャイさん~中国系としては珍しくシャイな人だということ…

新居も既に建築中のマンションを予約しており、そのローンを二人でせっせと返しているらしい。

ペギーさんと出会ってから2年~時の流れは恐ろしく早く…その時点で、こちらの忙しさの中、ペギーさんのレッスンも途切れ、妻がその後のレッスンを引き継いだ。

ペギーさんが心待ちにしているスウィートマンションの建設も滞ってるみたいで、それに伴い結婚式も伸び伸びになっているようだ。

果たして、ペギーさんの結婚式に出席してから帰国できるかなぁ~ペギーさんは、私と同じ、born in 1962 💒



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英会話を習っていたペギーさんのフィアンセは~なかなかの美男!



JSKLの近くにブンガラヤというレストランがある。

ブンガラヤというのは、日本でいうハイビスカスのこと~このブンガラヤ、マレーシアでは国花となっている。

さて、そのレストラン『ブンガラヤ』~日曜の夜午後11時だというのに、ほぼ満席であった。

マレー料理の代表である「牛サテー10本」ブンガラヤ自慢の「スペシャルフライミー(マレー風ヤキソバ)2人分」、そして「コーラ2本」を注文した。

ブンガラヤは、元々中華料理のレストランで、オーナーも中国系マレーシア人であった。

しかし、この店の看板にはこう書かれていた~KAMI ADA MEYEDIAKAN MAKNAN UNTUK ORANG ORANG ISLAM(イスラム教徒のための食べ物も全てありますよ!)

このことが、ブンガラヤの大きな“売り”なのであった。

さて、サテーもスペシャルフライミーも~その味は格別であった。

そして、その値段は合わせて~9リンギ(約450円)だったのである🍴



16のブログ-行きつけの店でおばちゃんとはすっかり顔馴染み!










行きつけの店で~おばちゃんとはすっかり顔馴染み!



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