来馬した人ばかりの頃~KLのいたる所でマレーシアの人たち(といっても主に中国系の人々)が当たり前のように携帯電話を持ち歩いている姿に…驚いたものである!

1990年当時~日本で携帯電話を持ち歩いている人は…まず見かけることはなかった。

アジアの中で~精神的豊かさはともかく“物質的豊かさでは日本がダントツだ”と思い込んでいたことが…全くくつがえされてしまう体験を何度もしてきた私は~ミセス・リムが手にしている魔法のドロップも、もしかしたら日本人が知らない新兵器かもしれない…と色めきたったのである。

その瞬間~空気の抜けていくよう風船のように…高揚した気持ちは、一気にしぼんでいった。

凝視し続けて~やっと明らかになった『魔法のドロップ』の正体は、な、な、何と…ただの“セロハンテープを小さく丸めたもの”~だったのです。

「この学校には…満足できる教材備品等がほとんどないし、新しく買うこともできません」

~「例えば地理の授業では、ぜひともマレーシアの掛図がほしいのですがそれすら買えずにいます」

「マレーシアでは~備品等を購入するお金が政府から支給されるのではなく…そのほとんどを児童生徒の親からの寄付に頼っているのです」

「だから~裕福な家庭の子どもが多く通っている学校には….どっさりと教材や備品があって、そうではない学校は…ウチの学校のように、ほとんど満足なものがない状態になってしまうんですよ~」

~翌日、タマンデサ小学校で5年生を担任している…“モハマド・ライザン先生”が、その辺りの事情を教えてくれた。

実際…この学校で目にした備品らしきものは~「机」「椅子」「黒板」「チョーク」「画用紙」くらいしか見なかったが、KLにはコンピューターが入っている公立学校もあるらしい。

ちなみに~タマンデサスクールで子どもたちに配られるプリントは…全て“ガリ版”であるようだ。

改めて~日本の『すごさ』を想う!

~ミセス・リムの英語の授業は続く…

フラッシュカードに書かれた家族の呼称を…“This is my __”~の文型に当てはめて言う練習にうつっていった。

個人指名をして言わせた後~全員で発音練習をするのだか、どうもイントネーションが違うような気がした。

そう~先生たちは中国系、子どもたちの多くも中国系のため…英語が完全に“チャイニーズ・イントネーション”なのである。

聞けば聞くほど変な感じで~思わず笑ってしまいそうであった。

「学校で堂々とこんな変な発音を教えてええんかいな」と思ったが、「日本の英語教育では、もっと許されんような発音がまかり通っとんやろか」という思いがよぎった時…笑えなくなってしまった。

もちろん~この学校の子どもたちは…『国語であるマレー語』と『外国語である英語』を完全にマスターしてしまう!

発音練習が終わり~「今度は…今練習したことをまとめます」との指示がミセス・リムからあった。

その後~ビニルシートの上に窮屈そうに座っていた子どもたちは…ようやく自分の机へと帰っていったのである!



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                              先生の使う教具は~本当にチョーク一本のみである!

「先生~マレーシアの人たちがお箸やスプーンを使わず手で食べているのは、きたないことじゃないの?」

…クアラルンプールに赴任して間もない頃、JSKLの子どもたちから~こう問いかけられた時の衝撃は大きかった。

国際理解教育というテーマを掲げ、その実践を開始しようとしたばかりの私は~とても大きな課題を投げかけられたのである。

その時の子どもたちは~マレーシアの生活習慣や文化を知れば知るほど…日本のそれとの表面的違いに囚われ、比較し始めた。

そして、マレーシアの文化形態が日本人にとって違和感があったり日本文化の形態と相反するものである時~子どもたちは当然の如く、自分の国の文化に基づいた価値体系や自分たちの集団の持つ価値基準で…相手の文化を判断してしまいがちであった。

例えば~マレーシアの人たちの中でも、マレー系の人たちとインド系の人々は…食事の時にスプーンや箸を使わずに手を使って食べる。

そのことを知った日本人の子どもたちは驚愕し~どうしても常識に反する行為として捉え、「きたない」とか「行儀が悪い」等の否定的な感想を抱いてしまう傾向があった。

確かに私たち日本人は、小さい時から“食べ物をそのまま手で食べることは行儀が悪いから…きたないからやめなさい”~と、躾られてきた。

その生まれてからずっと享受し~確立してきた価値観で『手で食べる行為』を判断すれば、それが常識から逸脱したことに感じられるのは…むしろ当然のことかもしれない。

だが…それぞれの国の文化はその歴史の中で培われ、地理的・社会的背景等に裏付けされてきた固有のものであり、他の文化の尺度では決して優劣の判断をつけられるものではないことを子どもたちが理解し、その意識を高めていかなければ~H元年の学習指導要領改訂の大きな柱として述べられている『諸外国の人々の生活や文化を理解し尊重する』…という目標の達成は、到底望めない。

では、日本とは異なったマレーシアの生活や文化が~その長い歴史の中で、地理的・社会的背景に裏付けされた固有の文化である…ということを、一体どうやって日本の子どもたちと考えていけばいいのだろうか。

~この課題は、私にとって避けて通ることができない国際理解教育の根幹にも関わる大きなテーマとなった。

そして~その解決の糸口として…手で食べることについての研究に取り組み始めたのである。

「手で食べることは~きたないことじゃないの?」と、問いかける子どもが…私の国際理解教育の出発点であった!



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NO6の『マレーシア公立学校訪問記』を書いてから~実に2年半の月日が、経過してしまった。

もちろん…自分を取り巻く状況は~180°変わってしまった~というか、元に戻ってしまったというか…

すっかり、今は“Jalan Jepun”の中に~不本意ながらも、どっぷりと浸かってしまっている…という状態である。

帰国してからの一年目は~正にカルチャーショックの連続であった。

これでもか~これでもか…と打ちのめされて、もう自分は「日本社会の中で生きていけないのではないか~」とさえ思ったこともある。

そんな時の自分は、完全に『マレーシア回顧主義症候群』であった。

自分の周りに渦巻いているそんな意識に対し~外面は必要以上に反作用が働いていた。

マレーシアのことについて語ることが~大変恐ろしかったのである。

一度口を開けば~とめどなくその内面が、溢れ出してくるような気がしていた。

他でもない~そのことは自分の故郷の否定に繋がり、今を生きていない自分を突き付けられることになる。

帰国~2年目になって、ようやくそんな強迫観念観念から解かれるようになってきた。

落ち着いた心で~冷静な目でマレーシアと日本を見て…考えられるようになってきたのである。

どうしてもペンをとれなかった~『ジャラン・マレーシア』原稿に…2年半ぶりに向き合っている。

書きたいことは山ほどあるが~2年半のブランクは、あまりにも長かった。

貴重な記憶を大脳皮質に留めておくことは~私の頭には、ちょっと(かなり)荷が重た過ぎたのである。

何といっても問題は~『マレーシア公立学校訪問記』が、途中になってしまったことだ。

夏休みを利用して、マレーシアの学校を長期訪問したことは~在馬中、最も心に残っていることのひとつであり…是非詳しく伝えたいことのひとつであったのだが、Time fries~その時の新鮮な気持ちは…はるか昔のことになってしまったのである。

まぁ、とりあえず~その時に書いた乱雑なメモを頼りに…その『マレーシア公立学校訪問記』を続けてみよう!

~2年半ぶりに…

【小学1年生(1991.8.3)つづき…】

ビニルシートにクツを脱いで座った~1年生を前に….ミセス・リムの英語の授業は続いていく。

「Family」~と黒板に書いてから、Familyにはどんな人がいるの?と発問すると…子どもたちは、次々と発表していく。

grandfather、grandmother、father、mother、sister、brother~と、答えが出る度に…ミセス・リムは準備してきたフラッシュカードを…Familyと書いた下に貼っていくのである。

無論~日本のように磁石黒板であるはずかない。

フラッシュカードを何でとめるのだろう~と興味深く見ていると、黒板に正体不明の小さな星型ドロップのようなもの✴︎が貼ってあり…ミセス・リムは次々とフラッシュカードの裏に付けてから~黒板に貼っていった。

一体~カードを簡単に黒板に貼り付けていく力のあるドロップの正体は…何なのか?

私の目は~その魔法のドロップに釘づけになってしまったのである!


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                  ミセスリムのバハサイングリス(英語)の授業は~結構厳しい!

1クラスしかない小学一年生の担当は~若い中国系のミセス・リムであった(若いけど…ミセスであった)。

現在自分が1年生を担当していることもあって~まず今日はミセス・リムの後をついて…授業を見せてもらうことにした!

共に教室に入ると~紺色の制服に身を包んだ、可愛らしい一年生たちが一斉に立ち上がり…英語で「Good Morning Mrs.LIM」と、声をそろえた。

もちろん~彼らの興味を引いたのは…ミセスの後ろに立っている“変な奴”である。

教室中が~ざわめき始める。

が、ミセス・リムはなかなか厳しい。

強い口調でざわめき始める。

が~ミセス・リムは、なかなか厳しい。

強い口調でざわめきを制止し~一応簡単に私のことを紹介してくれた。

改めて~子どもたちを見回してみる。

驚いたことには~男子14人・女子12人…計26人のうち~ほぼ全員が中国系のようである。

聞くと…この学校があるタマンデサ地区は、中級~高級の住宅地であるが、ゆえに約220人の全校児童のうち…10人がマレー系、6~7人がインド系で~残りは、全て中国系マレーシア人の子どもだそうだ。

実際、この訪問中~中国系の子どもがベンツやBMWで送り迎えしてもらっているのを目にした。

無論~この地区の多くの中国系の子どもは、プライベートスクールに通っているのである。

クラスの雰囲気も落ち着き~私は教室の後ろに…実習生然として~腰かけた。

さぁ、当然“朝の会”をして…出席をとり、歌でも歌うのかなぁ~と思っていたが…

忘れていた~

異文化理解に、『当然』という言葉はタブーであった。

ミセス・リムは、さっそく授業を始めたのである。

黒板に曜日と日付を板書してから~いきなり2人の子どもに指示をして…黒板の前の大きなビニルシートをひかせた。

ミセス・リムがずっと英語を話し、黒板にも英語の日付を書いたので~不思議に思っていたが、その謎はすぐに解けた。

英語の授業が、始まったからである。

それにしても~ビニルシートには、驚いた。

子どもたちは靴を脱いで~その上に座って、ミセス・リムの話に聞き入っている。

この日の授業は~Familyについてのものであった。

家族の構成と意味、~そして、構成員の呼称を習得させることを目的にしているようであった。

日本で言えば…中1程度の授業であろうか?

ミセス・リムは、フラッシュカードやワークシートを準備し~実にわかりやすく授業を展開させていった。

子どもたちが、黒板の真前で固まっているため~実によく話が通じている様子であった!

子どもたちの英語能力は~極めて高い。

「中国系の子どもたちは、ほとんど英語を使っているから…その力はOKなんですよ!~もちろん学校で友だち同士話す時も、英語です~逆に…マレー語は苦手で、マレー語で教えることになっている他の教科では困ってます!1年生では仕方がないので~英語も使いながら…授業をしています」~と、ミセス・リムは教えてくれた!



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授業の前半は~ビニルシートの上で説明を聞く!

Perhimpunan(集会)ひとつとってみても~驚きの連続であった。

プリフェクトを先頭に~一応学年ごとに整列しているようである。

整列の際、日本と同じように前へ習え~をしているのだが、そのやり方が違うのだ!

低学年の子どもたちは~腕を前に伸ばして、前の子どもの両肩をつかんでいる。

高学年の子どもたちは~日本の方法とほぼ同じなのだが、ただひとつ…手の平を地面に水平に向けていた。



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ささいなことではあるが~“あたりまえ”がくつがえされる世界は…おもしろい!

いよいよ~集会が始まった。

女の先生の合図で~全員が国歌『ネガラク』を歌い…メインポールに国旗が掲揚された。

それだけでは~終わらない。

次に『Malaysia berjaya(栄光のマレーシア)』というクアラルンプールの歌が歌われ~クアラルンプール特別行政区の象徴である旗が掲げられた。

さらに~今度は校歌が歌われ、校旗が上げられたのである(歌は全てテープ伴奏も指揮もなく行われた)。

三本の旗なメインポールに翻る下~プリフェクトの代表(いわゆる児童会長)が全員の前に進み出てきた。

校庭は~静まり返っている…

児童会長が高々と声を発する言葉を~全児童が復唱している。

全てマレー語なのでよくわからなかったが~どうやら“愛国心”と“学問に対する心構え”を表した『誓いの言葉』…であるらしい。

※後で~この学校の先生からその全文を書き上げてもらったので、是非訳して紹介してみたい。

その“誓いの言葉” は~集会の度に唱えているようで、何と…全員が暗唱してしまっているようであった!

児童会長(6年女子だった)に代わって~6年担当の男の先生が前に立った。

「国歌」「誓いの言葉」と続いたんだから~と緊張気味に待ってると…いきなり明るい音楽が鳴り始め、男の先生を中心に体操が始まった。

実にリラックスムードの内容で~駆け足の模倣運動、首の運動、肩の運動、腰の運動…と続いていった。

ずっと流れていたバックミュージックと体操のリズムが全然合ってないのが~滑稽であった。

この体操で~集会は全て終了したようである。

もとの隊形に集まり、どのクラスも~プリフェクトを先頭にそれぞれの教室へ戻り始めた。

この時は~もう音楽は鳴っていない…

低学年の子どもたちが口に人差し指をあて~「しーっ!」のポーズをとりながら…歩いていたのは、実に可愛らしかった。

この集会の間~何人かの先生が、次々と学校に到着していた。

「これは、もしかして遅刻なのでは」と思ったが、本人も周りも…特に気にしている風でもなかった。

集会の前~職員朝会がなかったので、当然集会の後にあるんだろう…と思い、職員室に向かった!

先生たちは職員室に戻ってきたが、そのままノートや鞄を抱えて~出て行ってしまった。

聞くと~マレーシアの学校では…職朝はないらしい。

それどころか…職員会議も定例ではないらしく~校長が「必要だ!」と思った時のみ、開かれるそうだ。

異文化理解に“当然”という言葉は~タブーである…



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                          月曜の朝は全校生が校庭に集まり~まずは国旗を掲げる!

我がJSKLにも~砂地と呼んでいる運動場の他にアスファルトの広場がある。

何故アスファルトの広場にこんな広いスペースがあるのか…常々不思議に思っていたが、この“マレーシアのシステム”を見習ったことでもあるかもしれない。

我々は~そのアスファルトの校庭に向かった。

子どもたちは、クラスごとに整列を始めている。

女の先生が全校生の前に立ち~号令をかける(朝礼台もマイクも使っていなかった)。

1~3年生の前には~ネクタイを付けた高学年の子どもたちが立ち、先生の号令を徹底させていた。

このネクタイを付けた子どもたちこそが~『プリフェクト(Prefect)』と呼ばれる子どもたちだ!

プリフェクト制度は~元々、イギリスから取り入れられたものである。

もっとも、マレーシアのほとんどの教育制度は~イギリスのそれをフォローしたものなのだが…

まぁ、簡単に言えば~日本の学級委員みたいなものなのだが…日本のそれとは大きな相違点がある。

日本では~多くの場合学級会活動の一環として、主に児童により学級委員が選定される。

しかし、マレーシアでは~学力、生活態度、性格、リーダー的資質等を考慮し…『教師』がプリフェクトを選ぶのである。

それゆえか~プリフェクトは教師の片腕的存在になり、実によく動く。

国際交流会で~初めて現地校(カンポントゥンクスクール)を訪れた時のことが思い出される。

当時P2の担当をしていたので~校内ではもちろん、ましてや学校を離れて校外へ出る時等は…細心の注意を払わなければならない。

ところが~その現地校の校門をくぐったとたん…ネクタイを締めた高学年らしき子どもがスッと我がクラスの前にたち、エスコートをしてくれたのである。

一連のセレモニーの間~ずっとJSKLの子どもたちについてくれて…我々の役目を果たしてくれた。

さらに驚いたのは~その後いよいよ交流が始まろうとした時…我々職員は「歓迎の席が設けてあるから」と、訪問している現地校の校長先生により、別室へと招かれた。

その別室には…現地校職員全員が勢ぞろいしていて、JSKL職員全員を迎えてくれたのだ

さすがに~我々JSKL職員の内低学年担当は、時々その様子を見に行ったが…そこでは、現地校プリフェクトが~見事なまでに言葉も通じない日本人低学年の子どもたちをリードしていてくれていた。

マレーシアの学校では、教師自身が大声を張り上げ~汗だくになって走り回っている姿は…見かけない。

教師はプリフェクトに指示を出し、そのプリフェクトが教師の委任を受けて~クラスをリードしているのである。

長々とプリフェクト制度について述べてきたが…とにかく、その時私はプリフェクト制度の美点と欠点をボンヤリと考えながら~タマンデサ小学校の“Perhimpunan”とやらを眺めていた。

PerhimpunanとはAssemble(集会)のことだと知ったのは~ずっと後のことであった!



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                  プリフェクトはネクタイをしているので~すぐわかる!


周囲にいる中国系マレーシア人の友人のほとんどが、私立小学校の出身であった。

どうやって受け入れてくれる公立小学校を探すのか~が大きな課題だ!

毎年国際交流を行っている学校も~残念ながら、その多くが私立で…唯一の公立であった“カンポントゥンクスクール”も、今年は交流を予定していないので~ちょっと頼みにくい。

途方に暮れかかっていた頃~同じ志を抱いていたSさんの“アマさん(お手伝いさん)が~「娘の通っている学校に頼んでみてやろうか?」と、言ってくれた。

藁をも掴むような気持ちで、このアマさんの申し出を受け~その返事を待ったのである。

7月初旬~待ちに待ったその返事が届いた!

レターを持って学校へ挨拶に行こう~ということであった。

さっそく二人で、そのレターなるものを作成していった!

何しろ~こういうレターを作成するのは初めてである。

「こんなんでエエんやろか~」等と言いながら、作文をしていった。

一応~威厳を持たせるために、ワープロで打っていく。

そのアマさんの紹介してくれた学校は、JSKLからそう遠く離れていない“タマンデサ地区”にあるようだ。

ちょうど運動会の代休になっていた月曜に~我々二人で、レターを携えて出かけていった。

途中仲介をしてくれたアマさんの家に立ち寄るが…なんと留守!

一気に不安が募る…

仕方なく二人だけで~学校へ向かう。

ほんのわずかなツテしかなく、自分たちで作成した稚拙なレターしか持たない~どこの馬の骨かわからない異邦人がこんな厚かましい申し出をして…果たして受け入れてくれるだろうか?

~心配な気持ちが次々と湧き上がってくる…

正式名称『SEKOLA RENDAH KEBANSAAN
TAMAN DESA』は、とてもこぢんまりとした佇まいを見せていた。

ドキドキしながら~校門をくぐる。

マレーシアの学校の校舎に必ず描かれている~大きな壁画と立派な“キャンティーン(食堂)”が目に飛び込んできた!

学校が終わったばかりなのか、子どもたちの姿は見かけない。

職員室は、二棟ある建物の左側の“1st floor(2階)”にあった。

何人かいる人の中で一番割腹のある人に~「校長先生にお会いできますか?」と、尋ねた。

「Oh!~I am the Principal」~その人こそが『ザイン校長』であった!



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タマンデサ小学校ザイン校長は~とてもやさしかった!




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マレーシアに派遣が決まった時から、自分自身の研修として実現したいことが~“ふたつ”あった。

ひとつめは、現地の生活文化を肌で感じるための『ホームステイ』。

これは~昨夏、東海岸の漁村にてその目的を達することができた。

そして…もうひとつは~現地の学校を訪れ何日か続けて共に学校生活を送り、マレーシアの学校を深く研究してみることである。

いよいよ3年目~最後の年に突入してから…ふたつめの目的を実現させるために、いろいろと作戦を練ってきた。

まず~マレーシアの学校といっても、様々だ。

とりあえず、どの学校に照準を合わせるか~ということを考えた。

もちろん、比較的研究しやすいということから“小学校”を大前提としたが、マレーシア~特にKLのような都市部の小学校は…主に大きくふたつにわかれる。

ひとつは、政府の作った公立の小学校~そして…もうひとつは中国系の私立小学校である(少数であるが、インド系私立小学校も存在する)。

ある程度裕福な中国系マレーシア人の家庭では、自分の子どもを私立の中国系学校へ行かせようとする傾向が強い。

マレーシアの公立学校では~1970年を起点として、それまで英語で行われていた教科の授業を…全てマレー語を使って教育する方針に転換されてしまった。

1957年~マレーシア憲法第152条において「国語はマレー語である」と規定され、英語の公用語としての地位を漸次~廃止していくよう定められたのである。

そして…このことにより、中国系マレーシアの人々は大混乱に陥った。

教育省は一定学年を定めて全国統一テストを行い大学選抜への材料としているが、そのテストも全てマレー語で行われ、しかもマレー語及びマレー語による論文の比重がかなり高く設定された。

その結果~マレーシアの公立大学の学生は、そのほとんどがマレー系で占められるということになってしまったのである。

中国系マレーシアの人たちから~マレー語を最優先させる教育制度に対しての不満を、何度耳にしたことだろう…

実際この教育制度に転換すると決定した時から~多くの中国系の人々が、シンガポール、オーストラリア、イギリス、カナダ等の国々へ移住していった。

そこまでできず~マレーシアに残った中国系の人々も….できれば子どもを自分たちのHome Languageである中国語や英語で教育してくれる私立学校へ行かせ、卒業後はイギリスやオーストラリアの大学へ留学させたい~そう思っているのである。

ちなみに~政府は、たとえ私立学校と言えども…カリキュラムの中にマレー語の必修を義務付けている。

このように~教育制度ひとつ取り上げてみても…マレーシア社会の側面が何となく見えてくる。

マレーシアは~マレー語を優先することで自らのアイデンティティを明確にし、英語を選んだシンガポールとは異なった道を進んでいくことを決意したのだ。

その教育現場を体験し、マレーシアの決意がどう生かされているのか~また、どんな利点や問題点が生じているのかを探っていきたいと思った。

そのためにも~マレーシアの“公立学校”に照準を合わせることにした!



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                  閑静な住宅街の中に~タマンデサ小学校がある!

ちょっと待てよ~

新郎・新婦にブレッシングライスを投げるのは、いつかアメリカ映画で観たことがあるぞ!

これは~まさにウェスタンスタイルじゃないか…等と思いを巡らせているうちにも、次々と儀式は展開していく。

僧が、新郎・新婦・新郎母・新婦母の4人に何やら手の繋ぎ方の指南をし始めた。

~と、祭壇前の火を中心に…4人が手を繋いで周り始めたぞ!

フォークダンスでも始めるのか?…と、皿の豆を握って火の中に入れた。

おや?~今度は、唐辛子をすり潰す時に使う丸い石とその土台になるでっかい石を取り出してきたぞ!

おっと…シャームが大胆にも、その丸石の上に左足を乗せた。

新郎が、その足に何やら近づけてきた。

な、な、な、何と『指輪』ではないか!

新郎は、おもむろに指輪をシャームの左足人差し指にはめた。

その後、二人で土台の石の上に乗ったぞ!

新郎がシャームの肩に右手をかけて、左手の人差し指を高々と上げた。

~一体、何を指しているんだ?

どうやら、僧に教えてもらった言葉をそのまま唱えているようだ。

と、今度は今踏んづけていた石に向かって、お祈りを始めた。

お祈りが終わった後、また豆を火の中に入れて~4人が手を繋いで、フォークダンスだぁ!

おっと…またわけのわからないことを始めたぞ。

僧が花瓶に手で蓋をして、その手をのけたとたん~新郎と新婦が中のものを取り合いし始めた…

どうやら~花瓶の中には、いろんな金物が入っているようだ。

一体、何なんだ!

“金物取りごっこ”が終わった後~出たぁ…

ウェサックディにカシさん一家から教わった~あのブレス糸を、お互いの手首に結び合い始めたのだ。

3~4本ほど互いに結び合った後、親類縁者も次々と二人の手首に糸を結び…お祝いの言葉をかけていく。

と、気が付くと~会場に座っていた人たちも一斉に舞台を目指して移動し始めた。

そのほとんどがクルタやサリーを身に付けたインド系の人々であったが、たまに中国系の人も見かける。

彼らは糸こそ結ばないが、お祝いの言葉を伝えたり簡単なお祝いの品を渡したりしていた。

さっそく~我々も準備してきたプレゼント(ミキサーかなんかの電気製品やったかな?)を抱えて、列に加わった。

こうして、未だかつてないほど不思議な結婚儀式は幕を閉じ~その後、簡単なブッフェスタイルの食事がふるまわれた。

出席者一同~ひたすら食べるだけで、日本のようなスピーチも出し物もなかったのである…

会場で、ツアー会社に勤めていて日本語も少しできるという新郎の友人と話をすることができた。

数え切れないほどの疑問を聞き出すために、質問しようとしたが…

「残念ですが~37才になろうとする私でさえ、この儀式の意味や“いわれ”はほとんどわからないのですよ…今では今日のような昔ながらの結婚式をする人は、少なくなってしまいました~インド系の人たちでも、若い人はほとんどタミール語さえ使えなくなっているんですよ…」

~こんなところでも、『時代の波』は確実に様々なものを押し流してしまおうとしていたのである。

若きニューカップルの幸せとヒンドゥ古来の不思議な儀式が絶やされずに続いていくことを願いつつ~私は再びバナナツリーの玄関を抜けて…会場をあとにした!



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儀式を終えたばかりの~新郎・新婦!

自分の結婚式を~思い出していた。

両家の親戚が見守る中、羽織袴と白無垢の着物で仰々しく入場し~神主さんの言われるがままに…その意味もわからず柏の葉を ふったり柏手をうったり、三々九度を酌み交わしたり…

思えば、マレーシアの人々から見ると~随分奇妙な儀式に違いない!

同様に~我々の目から見て、ヒンディスタイルの結婚式は…とっても奇妙で不思議なものであった!

祭壇の前に胡座をかいて座った新郎と僧は、まず~火のついているロウソクのやり取りを始めた。

祭壇の前の中央では、赤々と薪が燃え上がっている。

やはり~火はどんな宗教にとっても、重要な意味を持っているようだ!

ロウソクのやり取りを終えた後~二人は皿に盛られた花びらをつかみ、舞台の下へ投げ始めた。

壇上では、新郎の親類縁者が神妙な表情をして~見守っている。

…何なんだ!

いよいよ~花嫁のシャームが会場の入口に姿を現した‼︎

見事な黄金に輝くサリーを身に纏い~あらん限りの装飾品を身につけたシャームは、まさに『ヒンドゥの女神』の様子を呈していた。

会場からはため息がもれ、先程から鳴り響いているロングパイプとドラムの音が~ ひときわ大きくこだまし始めた!

新郎が新婦を迎えて~共に祭壇にのぼった頃からその儀式は益々奇妙さを増し始めた。

まず、お互いに花で編んだ首飾りをかけ合った。

バナナリーフに入ったごはんが準備され、その上にバナナの実を二人で刺し始めた。

さらに~先程の花びらをまぶした後、ロウソクの煙をかけたのである!

…何なんだっ

その頃、会場の客には壇上に供えられた黄色の米、昔懐かしい氷砂糖と豆は食べられるが~米は生米である。

奥歯で噛み切り独特の米汁が口の中に広がった時…「その米は食べずに手に持っておくんだ」と、前に座っていたおばさんが教えてくれた。

壇上から、一時姿を消していたシャームが登場した。

再び~会場からどよめきが起こる。

『黄金』から一転して、今度は『真紅』のサリーに身を包んでの登場だったのである。

“お色直し”というのは、和洋両刀使いである日本人だけの専売特許だと思っていたが、どうやら間違っていたようだ。

新郎・新婦、新郎の両親、新婦の母(シャームの父親は病気のため既に亡くなられている)が、両手を出してお互いに重ね始めた。

僧がおもむろに水瓶を取り上げ、一番上の手の平を抜けてきた水を僧が銀の皿に受け止めた。

~何なんだっ…

再び、首につけていた花輪の交換をし始めた。

まず~.新郎が新婦にかけ、次に新婦が自分の花輪を新郎にかけ…と、その時突然予期せぬことが起こった!

会場の人たちが~まるで“7回裏の攻撃を知らせるアナウンスを待つ甲子園のファン”の如く、いっせいに手に持っていた『イエローライス』を新郎・新婦めがけて投げつけたのである。

私は汗ばんだ米を握りしめたまま~ただただ茫然とするばかりであった…



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                                 新郎はおもむろに~新婦の足に指輪をはめた!