日本人の入るおふろが、本当はどういうものかを知らずに、一方的に判断して「日本人は不潔だ」というジョン君に批判が集中し、全員の子どもが「くやしい」「悲しい」「許せない」等の感想を持った。

そこで、もう一度自分たちが手で食べることについて抱いていた意識を、振り返ったのである。

自分たちは不潔だと言われて、くやしく悲しい思いをしたけれど、それと同じ言葉や気持ちをマレーシアの人たちに浴びせていたのではないか、と問いかけた。

ここで、初めて子どもたちは自分たちの抱いていた意識が、どれほど相手を傷つけるものであったか、ということに気づいたのである。

それでは、その誤解を解いて、相手の生活習慣や文化を深く理解し合っていくには、一体どうすればいいのか、ということを考えていくために、さらにジョン君の作文の続きとして資料Bを作成し、子どもたちへ提示した。



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日本人は、とても不潔だと思います。

なぜかというと、おふろに入る時、前の人が入ったお湯を流さずに、そのまま入るからです。

おまけに、日本にはみんなで一緒に同じお湯に入るお店もあるそうです。

ぼくには、とても信じられません。

ぼくの国では、自分がおふろで使ったお湯は必ず流してしまいます。

次に入る人は、新しいお湯をためて使います。

ぼくは、今でも日本人を見るとなんだか不潔な感じがして、近づく気になりません。

ぼくの友だちにも、そう思っている人がたくさんいます。



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手で食べることの意義を、そのままJSKLの子どもたちへ知識として伝えるよりも、授業の中で子どもたちの内面に問いかけ、共に考えていくことができる方法を検討していった。

手で食べることを、ただそれだけの問題にとどめず、異文化全体に対する考え方や姿勢にまで子どもたちの意識を高め、積極的に様々な生活習慣や文化を体感し理解していこうとする態度を育てていきたかったからである。

授業では、まず自分たちが抱いていた手で食べることへの疑問や意見を率直に出し合うことから始めた。

事前に行ったアンケート結果等を提示しながら、自分たちの潜在意識の中に、手で食べることが「きたない」とか「行儀が悪い」という気持ちがあったことを認識し合ったのである。

意識実態を明らかにしたところで、いよいよ資料を使い、自らを問い直し考えを深めていく段階へと進んでいった。

まず、自分たちが伝統的に培ってきた生活習慣・文化を他人に一面的に捉えられ、否定的な感想を持たれたり優劣をつけられたらどんな気持ちにらなるのかということを考えていくため、次のような『日本人について』という資料Aを作成し、子どもたちに提示した。



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昔ながらの伝統的なマレー式生活を営んでいるサカリア家にお願いして、ホームステイをさせてもらったのは、赴任二年目の夏休みのことであった。

ホームステイ中は、けっしてお客さんではなく、家族の一員であるように努めた。

私は、常に一家の主であるアーヤ(父)と共に行動し、粗末な小船で南シナ海への漁に出かけていったり、浜の仕事を手伝った。

放言混じりのマレー語しか話せないサカリア家の人々と、言葉は十分通じなかったが、日々の暮らしを重ねる毎に新しい発見と感動の連続であった。

書物を読むだけではわからなかった、傍で見ているだけではわからなかったマレー独特の生活様式と文化を体感していくことができ、それを大切に守り続けていこうとしている人々の心意気に触れることができたのである。

サカリア家の食事は、もちろん箸やスプーンを使わず、手だけを使って食べる。

この体験を通じても、実に多くのことを発見できた。

まず、食事の前には必ず手を洗って清潔にする。

食卓には、『Cuti(チュティ)』と呼ばれる独特の手洗い器が置かれていて、いつでも手を洗えるようになっていた。



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使う手は、厳しいイスラム教の戒律により右手だけ。

それも手の平は使わず、親指・人差し指・中指の三本だけを使うのである。

人差し指と中指はちょうどシャベルの役目をしていて、食べ物をうまくすくい二本の指の上に乗せる。

親指はクレーンの役目をしていて、二本の指の上に乗った食べ物を親指の爪側で、口の中に放り込んでいくのである。

その時、けっして指を口の中に入れないので、指が唾液でベトベトになることはない。

また、食べ物に直に触れることで、それまであまり感じたことのなかった食べ物自体の感触を“指で”味わえたような気がした。

何か、その食べ物自体が持っている力、命のようなものが指先から伝わってくるようであった。

さらに、食べ物を触ることで、その温度をとても敏感に感じることもできた。

手で温度を確かめているので、安心して口の中に食べ物を入れることができたのである。

このホームステイを終えた後も、マレーシアの人たちに手で食べることについての聞き取り調査をする等、研究を続けていった。

その過程の中で、食べ物の温度を確かめるということが、手で食べることの意義のひとつであることを確信することができた。

さらに、手で食べることに慣れてくれば、何と「指先の感触でその食べ物が腐っているかどうかを確かめることもできる」ということを聞き出せたことは、驚きであった。

手で食べるという文化は、地理的・社会的な背景に基づき、長い歴史の中で立派に意義付けされ伝えられてきた、すばらしい文化であることが明確になってきたのである。

赴任1年目に担任した小学2年生のクラス(男子15人女子15人計30人)で、「マレーシアに来てから手を使って食べたことがあるか」を聞いてみると、誰一人手で食べることを体験した子どもはいなかった。

それどころか、大多数の子どもは、マレーシア人の友人がいなかったのである。

JSKLの子どもたちの様子を見ていて、少しずつ気になり始めたことは、あまりにも子どもたちの現地社会との接触・交流が少ないのではないかということであった。

クアラルンプールにおける日本人子女は、そのほとんどが日本人が多く住むコンドミニアムに居住している。

安全面を考慮し、子どもたちは帰宅後コンドミニアムから外へ出ることはなく、コンドミニアム内での遊び相手も自然と日本人同士となりがちであった。

学校での友だちはもちろん日本人ばかりであり、子どもたちは毎日、この二つの日本人社会をスクールバスで往復しているのである。

そんな生活の中で、子どもたちの視線と意識はマレーシアよりも日本の方を向き、日本のビデオテープを観てファミコンに興じ、日本国内の流行に敏感で、より日本的なものを求める傾向が強かった。

JSKLの子どもたちが、マレーシアの文化を一面的に捉えてしまうのは、このような生活実態が大きな原因であると考えられたが、その子どもたちの生活背景には、もちろん我々大人社会の実態がそのまま投影されていることも否定できないのである。

実際、マレーシアに赴任してからの自分自身を振り返り、果たして自分が現地社会とどれだけ深く関わりを持ってきたかと問い直してみても、実に情けない限りであった。

JSKLの子どもたちがマレーシア文化の本質を理解することを望むならば、まず指導者である自分自身の現地理解が不可欠であると再認識したのである。

そして、手で食べる文化の意義を明らかにするためにも、現地の生活の中に飛び込んでいくことを決意した。


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子どもたちが~何よりも一番楽しみにしている束の間(20分)の『リハット』が終了し、再びキャンティーンに集合。



クラスごとに並んで~教室へと帰っていった。



もちろん…この間、子どもたちを仕切るのは先生ではなく~かっこよくネクタイを結んだ“プリフェクト”たちだ。



さて~我が1年生たちも教室に帰って来て…3時間目の授業が始められようとしていた。



どうやら~次は算数のようで、2時間目の図工とはまた違ったマレー系の女の先生が登場。



やはり~彼女も、子どもたちに話しかける時には…英語を使う。



まず~英語で曜日と日付を尋ねるが、子どもたちはあろうことか…声を揃えてマレー語で答えた。



~言葉が入り組んでいるということは、何とも奇妙でかなり大変なことである。



例の如く~子どもたちを黒板前のビニルシートに座らせて、授業の本題に入っていった。



先生は~まず次の2題を黒板に書き、子どもたちに問うた。



_ ー 4 = 8



_ ー 6 = 12



どうやら~減法の穴うめ問題らしい。



◻︎のかわりに_を使っている。



日本では~1年生の2学期半ばでやっとひき算を習うことを考えれば、かなり高度なのか…



ビニルシート上の子どもたちは、「チグーチグー(先生)」と口々に叫び手を挙げ始めた。



ついに~立ち上がってしまう子どもも出てきた。



先生は何人かの子どもを指名(ちなみに~この先生は他の先生と違って子どもたち全員の名前を覚えているようであった…バグース!)し答えさせたが、実に子どもたちは間違えまくった。



ようやく~正解を答える子どもが指名され、この2題は解決されたが…さすがに先生も「まずい」と思ったのだろう。



先生は新たな例題を登場させ、やり方を説明し始めた。



_ ー 7 = 13 ・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・



~その説明の方法が、実に豪快であった。



上記のように~まずひく数に注目させて、点を7個書く。



そして~答えに注目させて、点を13個書く。



その後…「さぁ、点の数の合計を数えよう」という説明である。



おいおい~そんなんでええんか?



やっぱり、『13+7』くらいを導き出してからの方がわかりやすいのでは…等と考えている間に~もう子どもたちは席へ返されてしまった。



さぁ~これからの時間は、例によって個別指導タイムである。



この算数の先生は~さっそく黒板に類題を書き始め、ややざわついていた子どもたちも…一心にそれをノートに写し、取り組み始めた。



1 _ ー 7 = 13

2 _ ー 5 = 14

3 _ ー 3 = 12

4 _ ー 7 = 7

5 _ ー 6 = 12

6 _ ー 2 = 11

7 _ ー 3 = 13

8 _ ー 5 = 15

9 _ ー 4 = 16

10 _ ー 5 = 7



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マレー系の女の先生たちは~色とりどりの民族衣装をまとう!

午前の授業のちょうど折り返しである~10時15分から10時35分までの20分間は、『REHAT(リハット)』と呼ばれる休憩時間だった。

全校生は~一旦キャンティーンに集合し…持参したおやつ(タッパーの入れ物の中身はこのおやつだったのだ)を食べたり、持ってきた小銭で売ってるものを買って食べるのである。

1年生と共にキャンティーンに着いた頃~すでに長い列ができていた。

どうやら…子どもたちに人気のメニューは、ミースープ(ラーメン)であるらしい。

さて~「それではひとつ私も…ミースープをば試食させていただこう」と長い列の最後尾に並んでいた時、「ミスターK…何をやってるんだ~こっちへ来い!」と、肩を叩かれた。

この訪問中~最も親しくなりいろんな話をした『ムハマド・ライザン先生』が、連れていってくれた場所は…何と、キャンティーンの“売り場の中”であった。

おばちゃんたちが~せっせと料理を作ったり…子どもたちにその食べ物を売りさばいているカウンターの内側は、以外と広く…でっかいテーブルと長椅子がで~んと置かれている。

そして…そこでは、すでにタマンデサ小学校の先生たち~ほぼ全員が着席して思い思いの食事を口に運んでいるではないか…。

~そう、この空間は…何と“Teachers Only”の『VIP Room』だったのだ。

キャンティーンのおばちゃんたちは~異邦人の私たちに….とてもやさしかった。

「さぁ、食べろ」~と、お皿に山盛りのミーゴレン(焼きそば)をサーブしてくれたのだ。

ミースープに未練を残しながら口にしたミーゴレンだったが、それはそれで“なかなかのもの”であった。

ただ~長い行列を作っている子どもたちの「恨めしそうな視線」が気になったが…

「このリハット中の食事(軽食)は~朝が早くて何も食べてこなかった子どもたちにとっては朝食であり、朝ごはんを食べてきた子どもたちにとってはおやつみたいなもの…なのさ」と、エンチック(ミスター)・ライザンは教えてくれた。

ミーゴレンを平らげて~アスファルトの校庭に出てみると…もうすでに、多くの子どもたちがひしめき合いながら~一心にあるスポーツに興じていた。

ジャラン・マレーシアの愛読者なら~このスポーツが何かわかるよね?(そんな愛読者なんか…おらへんぞォ~)

そう~やはり『バドミントン イズ ナンバー ワン イン マレーシア!』

子どもたちは~何はさておき…自分のバドミントンラケットだけは、大事そうに抱えて学校に抱えて持ってくる。

そして~始業までのわずかな瞬間…と、このリハットの貴重なフリータイムは、ほとんどの子どもたちがバドミントンをやりまくるのである。

そう言えば~食事をしないで最初から校庭に飛び出してる子もおるなぁ…

「リハット用の小銭を親にもらい~食事を我慢して“ヘソクリ”していた」…というペギーさんの話を思い出した!



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何と言っても~子どもたちにとってバドミントンアズNO1

1時間目の授業では起こり得なかったことであるが、その立ち歩き始めた子どもたちが…入れ替わり立ち代り~私に話しかけてきた。

「何をしに来たのか?」「どこから来たのか?」「名前は?」「どこに住んでいるのか?」等等…。

おそらく~ミセス・リムがいる場では聞たくても聞けなかったのであろう質問を…次々と浴びせてくる。

あまりに聞いてくるので~「My name is 32“16”.K」と、16を強調して名乗ったので、これより先…私は1年生の子どもたちから『hero』と呼ばれるようになってしまったのである。

そうしている間にも~図工の先生は、注意をするでもなく…黙々と『さる』に取り組んでいる。

あまりにも~私の周りに人だかりが出来始めたので、子どもたちに席にもどるよう…誠に僭越ながら、私が指示させていただきました。

さるを無事描き(写し)終えた子どもたちから~先生の指示により、図工の教科書を開いて…その中の好きな絵を、これまた写し始めた。

図工の教科書というものが、日本のそれとは全く違っていて~魚や鳥、動物等が掲載されている…まるで図鑑のようなものであった。

とにかく~この授業を見る限り…個性を表現していこうとするのではなく、あくまで機械的(よく言えば“写実的”)に、物の形を捉え~そのまま“写す”ということに主眼が置かれていた)。

マレーシアが生んだ天才漫画家『ラットさん』も~幼い頃には、果たしてこのような図工の教育を受けてきたのだろうか…

ともかく~彼のあまりにも個性的なタッチからは…『巨大ざる』は、はるか遠くかけ離れているような気がした。

図工の授業開始時は号令をかけなかったが、午前10時を少し過ぎた頃~最後だけはきっちかと号令がかけられ、授業が終了した。

ミセス・リムの英語の授業では号令も英語で~“Thank you, Mrs.Lim”…というものであったが、図工の号令は~“Terima kasih cikgu(ありがとう先生)”…というマレー語である。

英語の授業を受けたホームルームに戻った子どもたちは、水筒と何やら小さなタッパーの入れ物を鞄から取り出し~とてもうれしそうに再び教室を出て行った。

彼らの行き先は~『キャンティーン』だったのである!

マレーシアの現地校を訪れた日本人が~一番驚くのが、このキャンティーンの存在である。

キャンティーンと呼ばれる食堂は~“小学校をも含めた”全ての現地校に…必ず設置されている。

キャンティーンでは~ミーゴレン(焼きそば)、ミースープ(ラーメン)、ナシゴレン(焼き飯)等の食べ物やドリンク類、そしてお菓子類等も売られている。

そのほとんどが~50セント(約20円)以下という超安値で…子どもたちはもちろん、何と近所の人たちも気軽に利用しているのだ!



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                                       リハットの時~キャンティーンは大盛況!

何と~子どもたちに休憩時間は与えられなかった。

ミセス・リムが教室を去った後…すぐに違う先生がやってきたのだ。

そういえば~チャイムもならない。

そのマレー系の女の先生は~子どもたちを別の教室へ連れていった。

どうも~図工室であるらしき…その教室は~さっきのホームルームと何ら変わることがない。

日本の学校の図工室で見られるようなもの(工作機械や道具等)は、特に見られない。

ただ~机の並べ方が横長に向かい合うようになっていた。

子どもたちが席に着くと~その図工担当の先生は、B4くらいの大きさの…どう見ても“わら半紙”としか思えないような紙を配り始めた。

それにしても~ミセス・リムの授業とはうってかわって…子どもたちはやかましい。

先生が何やらマレー語で説明しているのだか~子どもたちは、あまり聞いている風ではなかった。

「こうやってたたくから…子どもたちは言うことを聞くんです」~そう言ったミセス・リムの言葉が脳裏をよぎる。

ちなみに~その図工の先生は、全然子どもたちを怒ろうとしなかった。

結局~授業始めの号令もないまま、先生は板書をし始めた。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Isnin 3.8.92

Monyet dan kum-kura

やはり~見事にマレー語である。

「Isnin(月曜日)」「Monyet(さる)」「dan(and)」までわかったが、「kura-kum」が何かわからない。

ともかく~今日のテーマは『さる』らしいことはわかった。

と、次の瞬間…この図工の先生は、実に意表を突く行動に出た。

~黒板の“Monyet dan kum-kura”…と書かれた下に、何とチョークで『さる』の絵を描き始めたのである。

そして~子どもたちは、その行動にすばやく反応した。

さっき渡された“わら半紙”に、黒板の絵と全く同じように描き~写し始めたのである。

先生は黙々と~筆ならぬ“チョーク”を進める。

数少ない色チョークを彩色もしながら~みるみるうちに…黒板いっぱいの巨大ザルとヤシの木が出現し始めた。

ほとんど声を発しない先生に比べ~子どもたちは、相変わらずリラックスムードである。

ワイワイガヤガヤと騒ぎながら~普通の鉛筆で絵を写し、自分で持ってきた色鉛筆を使って…これまた黒板と同じ色で彩色をしていく。

そのうち~とうとう子どもたちは席を離れて、勝手に立ち歩き始めた!



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                 図鑑にのっている動物やアニメキャラクターを写す!

このタマンデサ小学校のどの先生の授業も~そうであったが…授業の前半は子どもたちを黒板の前のビニルシートに座らせて説明をし、後半は子どもたちを机に戻して作業をさせる~というパターンであった。

一斉指導と個別指導の区別が実に明確で~なかなかグッドな方法ではなかろうか。

席に着いた子どもたちに向かって~ミセス・リムは…職員室から持ってきたノートをポンポン放り投げ始めた。

ミセス・リムは~実に“豪快”である。

ノートを配り(投げ)終えた後~この前の英語の授業で出されていたらしい…宿題のチェックが始まった。

「土・日と休みだったのに~なぜできなかったのか?」

~ちなみに、マレーシアの全ての学校は完全週5日制である。

大きなミセス・リムの声が教室に響き渡り…何と彼女は、宿題を忘れた子どもの手を~持っていた1メートル定規で、おもいっきりたたいていったのである。

…呆然とその様子を見つめている私の存在に気付いたのか~彼女は近づいてきて、解説(言い訳)をし始めた。

「こうやってたたくから~子どもたちは言うことをきくんですよ…もしたたかなかったら、言うことを聞かないんです」

ミセス・リムは~本当に豪快???である。

ようやく…作業が始まった。

「きたなくしたら~もう一度やりなおし!」
~というミセス・リムの声を背に…子どもたちは黙々と指示されたことに、取り組み始めたのである。

様々な家庭に関する単語が書いてある~プリントが渡され、子どもたちは鞄の中から取り出したハサミとのりを切り抜き…ノートに貼り始めた。

そして、その右側に一斉指導で練習した文型を記入していくのである。

Monday 3.August 1992
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
My Family
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1. Father This is my Father.
 ̄ ̄ ̄
2. Mother This is my Mother.
 ̄ ̄ ̄
~「こんな作業を…もし我がクラスのP1年にさせると、大騒ぎになるやろなぁ」と、彼らのノートを見ながら~ぼんやりと考えていた。

子どもたちが作業を続ける中~ミセス・リムは机間巡視をし、ノートチェックと個別指導も行っていく。

「残りは宿題!~家でやっとくように…」~彼女のカン高い声で、1時間目が終了した。

このダラダラと長い文章が示す通り~たった1時間だけの間に実に多くの驚きがあり、その驚きの中に様々な発見があった。

8時10分頃始まった授業が終了したのは~9時15分であった。

JSKL~P部の教育課程における1課程が40分、日本の学校におけるそれが45分であることを考えると…実に長い授業である。

「マレーシアの小学校は60分授業ですか?」と尋ねると、「いろいろです…」という返事が返ってきた。

なんじゃ~~~それ…



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水筒は~子どもたちの必需品だ!