それから~KKくんが、いきなり大きなトランクケースを持ち出してきました。

「しゃあ…学校に行ってくるね~」と、KKくんが言ったので、またまたビックリ!

何とその旅行用トランクケースは~KKくんが学校へ行くための…カバンだったのです。

もうみなさんもよく知っているように~KKくんは、セブ島に住んでいる外国の人たちのための学校である…『セブ・インターナショナルスクール(国際学校)』に通っています。

そのセブ・インターナショナルスクールの教科書は~小学1年生から小学6年生までの内容が一冊になっているので…と~っても分厚いのです。

ランドセルにはとても入らないので、みんなトランクケースで通してるんだって!

しかも~その教科書は“使いまわし”をしているので…何かを書き込んだり、粗末にしては絶対いけないそうです。

そのトランクケースを持って~マンションの1階に下りていきます。

もちろん、一緒にKKくんの学校に行かせてもらうことにしたぼくが~「登校班の集合場所はどこかなぁ」とキョロキョロしていると…KKくんはさっさと外へ出て、玄関で待っていた車に乗り込んでいくではあ~りませんか。

「BESと違って、毎日この車で学校に行くんだよ」~と、KKくんはその車の中で教えてくれました。

車は~もちろんKKくんのお家の車で、KKくんのために…毎日運転手さんが送り迎えをしてくれるそうです。

その車で~20分くらい走り…いよいよセブ・インターナショナルスクールに到着しました。

やはり~この学校の玄関にもガードマンがいて、しっかりと出入りをチェックしています。

この学校の人たちは…みんなKKくんのように自分の家の車で学校に来るので~玄関前は、たくさんの車でごった返していました。

それらの車から降りてくる子どもたちが~いろいろ違っていることにも、ビックリしました。

髪の毛や目の色、肌の色、身に付けているものや服装とかがみんな違っているのです。

すぐに~この学校の人たちは、いろんな国からやって来ていることがわかります。

車から降りてくると~みんな「グッド・モーニング(おはよう)」…とあいさつをし合ったりしていました。

友だちどうしで話をしたり、勉強をする時に使う言葉は~やっぱり日本語やスワヒリ語ではなくて…『英語』だったのです。

それらのお友だちとうまくあいさつができず~ドキドキしているぼくの横で、KKくんは笑顔であいさつを交わし…何と「ペラペ~ラ、ペラペ~ラ」とお話もしていました。

KKくん~グ・レ・イ・ト‼︎





BESのみなさんが…いよいよスタートする楽し~い夢を(よだれをたらしながら)見ていた7月20日の早朝、第1回BESフィリピン公式訪問団のメンバーは~関西国際空港に集合していました。

もちろん~BESっ子のみなさんが書いてくれた手紙や贈り物をどっさり持って、みんなとても気合いが入っていたのです。

さて~BESを代表してフィリピンに出かけていった訪問団員たちは、フィリピンで何を見て何を感じてきたのでしょうか?

そして…何よりも、フィリピンのお友だちに~確かにBESっ子の『熱い心』を届けてくれたのでしょうか?

訪問団メンバーである“16くん”の「フィリピン見聞録」を通して、BESのみなさんにも~てきるだけくわしく『フィリピンワールド』をお届けいたしましょう!


《フィリピン見聞録》~国際学級…16
関西国際空港から~フィリピンのマニラを経由して…第1目的地であるセブ島の空港に着いた時には、もう辺りはすっかり暗くなっていました。

ぼく(16)たちの気持ちは~すっかりマゼラン気分!

初めて見るセブの町へ…不安いっぱいに踏み出していったのですが、その瞬間~あの聞き覚えのある“とびっきり元気な声”が聞こえてくるではあ~りませんか。

「せんせ~い」

そう、その声は…まぎれもなくBESの親善大使としてフィリピンのセブ島に派遣されていた~『KKくん』だったのです。

「KKく~ん!」(“がしっ”と固く抱き合う…?)

日本から遠く離れたフィリピンのセブ島で~KKくんとぼくたち訪問団は、涙・涙の再会を果たせたのです。

セブ島には、KCさんのおじさんや親戚の方々も~出迎えてくださっていたので…これまた感動の嵐でした!

次の日~さっそくぼくたちは、KKくんのお家を訪問させてもらうことにしました。

KKくんが家族と暮らしているマンションは…セブ島で一番大きな町である~“セブシティ”にありました。

なかなか豪華なマンションで~入り口ではガードマンのおじさんが…出入りをとても厳しくチェックしています。

家の中も~とても広々としていましたが…やっぱり“たたみの部屋”はありません(トイレも「和式」ではありません~念のため…)

「停電がよくあるので~家にジェネレーター(発電機)があるんだよ」とKKくんが、説明してくれました!




引き続き~“フィリピン公式訪問団”の訪問先紹介…


【ガダループ小学校(Guadalupe Elementary School)】
BES6年2組の『KCさん』は~フィリピンのセブ島で、生まれ育ちました。

そのKCさんが、小学校3年生まですごした学校が~セブ島にある“ガダループ小学校”なのです。

KCさんは…この学校のことややさしかった友だちのことを~よく覚えています!

BESっ子のみんなも~ガダループ小学校のことを知りたいですよね。

ただし、この学校の人たちもふだんセブ語か英語を使っているで…日本語は通じません。

英語か絵やイラストを使って、お手紙を書いてくださいね。

どうしても英語を使いたい人は~国際学級へ急ぎましょう!



【マニラ日本人学校】
東京が日本の首都ならば~マニラはフィリピンの首都です!

マニラはフィリピンで一番大きな都市なので、日本からもたくさんの人が働きにいってます。

だから、フィリピンにはここにだけ日本人の子どものための学校である~『マニラ日本人学校』が作られたのです。

ここに通う人は日本人だし、日本の学校と同じような勉強をしているので~もちろん日本語が通じます。

お手紙も~思う存分書いてください。

みなさん~フィリピンで実際生活しているので、フィリピンのいろんな楽しいことを…教えてくれることでしょう.。


…ここで~BESのみなさんにお願いがあります。

これまで紹介したところへ~どんどんお手紙を書いてほしいこともそうなんですが、もしみなさんがもう使わない国語(漢字)や算数(計算)の問題集や参考書を持っていたら…是非寄付してください。

もうすでに書いたように~『セブ補習授業校』では、日本の勉強に使う問題集や用具が足りなくて…困っているそうです。

できれば、みんなのお手紙と一緒に~みなさんからの問題集や参考書も渡してあげたいとます。

さて~BES『第1回フィリピン公式訪問団』の出発は…7月20日に決定しました。

そこで~お手紙や問題集・参考書を持ってきてもらう締め切りは…7月18日にしたいと思います。

国際学級に持ってくるか~担任の先生に渡してくださいね!

お手紙の用紙は、何でもかまいません。

国際学級にも~用紙があるので、利用してください。

みなさんからの…『ハート(心)』を待っていますよ!

なお~国際公式訪問団の厳しい条件をクリアできたのは…「ハジカキッコDくん」「アブドラ・ザ・タッチャーくん」そして、6年2組の『KCさん』も、訪問団に加わることになりました。

特に~KCさんは、何といっても小学校3年生まで…セブ島で暮らしていたので、BESのみなさんにフィリピンのことをくわしくレポートしてくれることでしょう。

楽しみにしておいてくださいね!





残念ながら~「BES第1回フィリピン公式訪問団員」に選ばれなかった人たち…どうぞ安心してください。

フィリピン行の飛行機には~君たちのかわりに、君たちが心を込めて書いた“手紙”が搭乗してくれます。

見事~訪問団員に選ばれた16くんが、責任を持って…君たちの手紙をフィリピンのお友だちに渡してくれることでしょう。

それではここで、公式訪問団が訪れる予定の~お家や学校を紹介しておきますね!

この中のどれかひとつにでも~お手紙を書いてみてください。

もちろん…“全部”に挑戦してもかまいません。

ただ~日本語で書いても相手が読めない学校もあるので、注意してくださいよ。


【KKくんの家】
BESで一緒に勉強していたKKくんは~去年ね2学期からお父さんの仕事の都合で、急にフィリピンへ行くことになり…今はフィリピンのセブ島というところに住んでいます。

セブには~日本人のための正式な学校がなく、KKくんは『セブ国際学校』という…先生もお友だちもみんな“英語”を使う学校へ行っています。

BESのことをよく思い出すそうなので、みなさんから手紙をもらうと~とってもよろこんでくれると思いますよ。

もちろん~KKくんはBESで習っていた日本語の方が得意なので、お手紙も…日本語でOKです。


【セブ国際学校(Cebu International School)】
KKくんが行ってるセブ国際学校には、いろんな国の人たちが一緒に勉強しています。

KKくんが転入してきたので、日本のことについていろいろ知りたい人もいるようです。

是非、我がK市のことやBESのことも~教えてあげたいですよね。

ただし~この学校の人たちはふだんずっと英語を使っているので、日本語を書いたり読んだりはできません。

英語か…絵やイラストを使って、お手紙を書いてください。

どうしても~英語を使いたい人は、国際学級に来てくださいね。


【セブ補習授業校】
KKくんは~ずっとフィリピンに住むのではなくて、お父さんの仕事が終わればまた我がB町へ帰って来てくれます。

でも、その時に日本語や日本のお勉強がわからなくなってしまってたら~困りますよね…

セブ島には~週に1回だけ、KKくんのような人に日本語や日本のお勉強を教えてくれる学校があります。

それが~『セブ補習授業校』なのです。

この学校では…日本の勉強を詳しく教えてくれる先生が不足していて、勉強をするための問題集や用具等もあまりなく~みんなすごく苦労しているそうなのですが、みんなで協力してとてもがんばっているようです。

みんな~日本語を一生懸命覚えているようなので、よろこんでみなさんのお手紙を読んでくれることでしょう。

是非、お手紙を書いてあげてくださいね~!

「訪問先」の紹介は(あなたが好もうと好まざると)….まだまだ、次号に続きます。






今から約480年前~もちろん世界地図等なく、海の向こうに何があるのかもよくわからなかった時代に…『マゼラン』は、234人の乗組員を率いて、スペインの港を出航しました。

彼らは~大西洋を横断しマゼラン海峡を発見した後、とてつもなくでっかい海に出てしまいます。

後に、“太平洋”と呼ばれるようになったその広大な海を~実に100日以上も漂流し、マゼランたちがようやく辿り着いた美しい島々こそが…『フィリピン』だったのです。

我がBESとそのフィリピンの繋がりが、年々深まっていることは~みなさん知ってますよね。

フィリピンで生まれ育った人たちが~BESで共に学んでいますし、昨年までBESに在籍していた“KKくん”もお父さんの仕事の都合で…今フィリピンで生活をしています。

その繋がりが深まっていくに従い~BESっ子たちの中で、「もっとフィリピンのことを知りたいなぁ」「フィリピンの人たちはどんな生活をしているのかなぁ」「KKくんの行ってる学校はどんな様子なんだろう」「フィリピンに住んでる人はたちと友だちになりないなぁ」~という声を聞くようになってきました。

そこで、BES国際交流委員会や英語クラブであれこれ相談した結果~な、な、な、何と…BESからフィリピンへ『公式訪問団』を送ろう~ということになりました。

100年を超えるBES史上~初めての“ビッグイベント”決定です!

それでは~「一体誰がその公式訪問団のメンバーになるんやぁ?」ということになり、国際交流委員会と英語クラブで…慎重にそのメンバーを選定していきました。

BESの代表として~フィリピンを訪問するのですから…選考条件は、以下のようにかなり厳しくなります。

① フィリピンのいろんな学校を訪問し、友だちをどんどん作って交流を深めていく自信のある人。

② フィリピンで使われている言葉(タガログ語・セブ語・英語等)が話せるか、話せなくてもいろんなパフォーマンスで“笑い”を取る自信がある人。

③ 顔やスタイルではなく、心の美しさに自信がある人。または、身長が185cm以上ある人。

④ どんな困難な状況に遭遇しても、「猿岩石」のように乗り越えていく根性がある人。または、「猿岩石」の歌が歌える人。

⑤ もし無事帰って来れたら、フィリピン訪問についての報告書をまとめるか報告会をすること。または、フィリピン訪問をテーマにした大宴会を開ける人。

…というわけで、慎重な審議の結果~第1回訪問団のメンバーとして、何と『16くん』他が選ばれたのです(今後~上記の厳しい条件を満たせば、さらにメンバーは増えるかもしれません)。

結局~マゼランはフィリピンで死んでしまいましたが、その後残った乗組員たちは…およそ3年ぶりにスペインに戻り、ヨーロッパの人たちに美しいフィリピンの島々のことを伝えたのでした。

しかし~とっても厳しい航海だったため、スペインに戻って来れたのは…235人のうち、たった17人だけだったのです。

マゼランがフィリピンを訪ねてから~実に476年目の年に…16くんは、一体何を見てくるのでしょうか?

それよりも~果たして無事に帰って来ることができるのでしょうか…




手で食べる文化を深く追求し、子どもたちと共に考えていくことによって、異文化理解の大きな壁を少しでも乗り越えられたような気がする。

この授業後、自ら積極的にマレーシア文化、そして日本文化についての理解や体験を深めていこうとする子どもたちの姿勢が、顕著に見られるようになったことは、大変大きな成果であった。

子どもたちから手で食べることについての疑問を投げかけられ、異文化理解の難しさに悩んでいた頃、ある友人がコップの中の水を指さして、「おまえの国とわしの国で、これの呼び方は違うけど、どちらが飲んでも味は同じさ、簡単なことだよ」と話してくれた。

表面的な違いはあっても、『よりよく生きていこうとする人間の中身は同じであることに気づくこと』こそが、本当の国際理解である。

三年間の実践を通じて、やっと少しずつその意味がわかりかけてきた。

これからも、水の中身を日本の子どもと共に見つけ続けていきたい!



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マレーシア人であるレイトンさんを通じて語られるこの資料ひとつひとつの言葉が、驚きと感動をもって子どもたちの心に伝わっていった。

この資料をもとにした話し合いの中で、子どもたちから出された意見をいくつか紹介しよう。

⚪︎私は、マレーシアの人々が手で食事していることについて、やっぱり何となく抵抗がありました。だけど、『日本人のみなさんへ』というマレーシアの女の子からの手紙を読み、考えが変わってきました。マレーシアの人々が手で食事しているのを見て、何も知らないくせに、日本人は「きたない」「気持ち悪い」と言っています。でも、手で食事するということには、とても大切な意味があるんですね。ちっともきたなくないです。私がマレーシアや他の国の習慣を知らないのと同じように、他の国の人々も日本の習慣を知らないのかもしれません。「下品」「きたない」「気持ち悪い」と言う前に、本当にそうなのかを知ることが大切だと思います。レイトンさんが、日本の人たちともっとなかよくなっていきたいと思ってくださって、私はとてもうれしかったです。何も知らないくせに、勝手なことを言ってた日本人の私なのに…。私もこれから、マレーシア人の友だちをたくさんたくさん作っていきたいと思います。

⚪︎ぼくは正直いって、手で食べることはあまりいいこととは思っていませんでした。しかし、レイトンさんの作文を読んで、手で食べることが昔からの習慣であることを知りました。ぼくたちだって、箸で食べることをあまりいいことと思われなくても、どうしようもないことです。ぼくは何も知らないのに、きたないと思っていたことが、とてもはずかしいような気がします。これからは、どんなことでも必ず一度聞いてから考えていこうと思います。

⚪︎私は、これまでマレーシアの人たちが手で食べることは、「きたない」とか「気持ちが悪い」と思っていましたが、このレイトンさんの手紙を読んで、全然気持ちが変わりました。かつての自分が、何も知らないのに「きたない」とか「いやだ」と思っていたことをとてもはずかしく思います。どんな気持ちでマレーシアの人たちの顔を見ればいいかわかりません。私は、こんな大切なことを知ったからには、みんなにこのことを教えてあげたいし、もっと人の気持ちを考えて行動していきたいと思います。そして、私も一度手で食べたりしてみたいです。



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みなさんの中に、私たちが手で食事していることについて、きたないとか行儀が悪いと思っている人がいると聞いた時には、涙が出そうなくらい悲しかったです。

私の家では、お父さんやお母さんも手を使って食事をしていたので、小さい時からそうすることがあたりまえでした。

手で食べ物をつかむといっても、いつも清潔にしている右手だけを使います。

私は、小さい時手でなかなかうまく食べ物を口に入れることができなくて、手の平まで使いつばでベトベトにしながら食べていました。

でも、何度も練習していくうちに、親指・人差し指・中指の先だけを使ってうまく食べ物をつかみ、つばで手を汚すことなく口の中に入れることができるようになってきたのです。

もちろん、食事の前には必ず石けんを使って手をきれいに洗いますし、食卓の上にはいつでもさっと手が洗えるように、チュティという手洗い器を置いています。

お父さんに教えてもらったのですが、手で食べることには、とても大切な意味があるのです。

マレーシアのような暑い国では、食べ物がくさりやすいです。

手で食べ物をさわると、そのやわらかさでくさっているかどうかがわかることがあるのです。

また、料理をして熱くなっている食べ物をそのまま口に入れやけどしてしまわないよう、先に手でさわって温度を確かめることもできるのです。

日本にいろんな生活習慣があって、それぞれに歴史や深いわけがあるのと同じように、マレーシアで行われている生活習慣にも、それぞれ歴史があり深いわけがあります。

マレーシアに住んでおられるみなさんには、ぜひそのことを知っておいてもらいたいし、日本に帰国した時には日本の人たちにも伝えていってほしいと思います。

チャンスがあれば、ぜひマレーシアの人たちといろんな話をしてください。

一緒に遊んでください。

一緒に生活をしてみてください。

きっと、いろんなことがわかってきて、みなさんの考えもかわってくると思います。

私も、これから日本の生活や文化についていろんなことを知りたいし、日本の人たちともっともっとなかよくなっていきたいです。


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この資料に触れた子どもたちは、自分自身の姿をジョン君に重ね合わせていけた。

ジョン君は、日本の生活様式を体験しその中身を深く理解することによって、彼の考えは変化し、自分との違いに気付いていった。

そのことを話し合いの中で明らかにしていくことにより、子どもたちは、自分たち自身のマレーシア文化に対するあるべき姿を学んでいけたのである。

子どもたちの意識がこの段階まで高まってきた時点で、私のホームステイ等の体験や研究を通じ、マレーシアの人たちから学んできた手で食べる文化の意義、そしてマレーシアの人たちの気持ちや願いを最後の資料Cに込めて、子どもたちに示した。



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ぼくたちの家族は、お父さんの仕事の都合で日本に住むことになりました。

ぼくは、すごくイヤで最後まで反対していました。

それでも、とうとう飛行機に乗せられて、日本にやってきました。

ぼくは日本の現地校には行かず、インターナショナルスクールへ行っていたので、しばらく日本人とは全然話したりしませんでした。

もちろん、日本人の友だちも一人もいなかったのです。

そんなある日、インターナショナルスクールと日本の学校との国際交流会がありました。

最初はイヤだったけれど、一緒に遊んだりしているうちに、だんだん楽しくなってきました。

ひろし君という初めての友だちもできました。

ひろし君はぼくの家の近くに住んでいたので、ひろし君の家におとまりをしにいくことになりました。

言葉はほとんど通じなかったけれど、外でサッカーをしたりファミコンをしたり、おやつやごはんを一緒に食べたりして、とても楽しかったです。

ひろし君もひろし君の家族もすごくやさしかったので、本当にうれしかったです。

寝る前に、ひろし君が、「ジョン君、一緒におふろに入ろうよ」と言いました。

ぼくは、ギクッとしました。

いやだなぁと思ったけど、何も言えませんでした。

とうとうはだかになって、日本のおふろに入りました。

ひろし君のお父さんが入ったあとだったけれど、お湯はきれいなのでびっくりしました。

この時、初めて日本の人たちがバスタブの外で体を洗うことも知りました。

お湯につかると、あったかくてとてもいい気持ちでした。

ぼくは自分の考えが間違ってたことに気づき、はずかしくなりました。

日本人は不潔だなんて、とんでもありません。

これからは、もっともっと日本のことをよく知ることが大切なことだとわかりました。

日本人の友だちも、どんどんふやしていきたいと思います。



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