下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -8ページ目

沖縄キャンプ・シュワブの逮捕劇


YouTubeを見て沖縄問題でアップされた逮捕劇を公開していました。

(貼り付け)

2015/03/09 に公開

平成27年2月22日朝、名護市辺野古のキャンプシュワブGate1にて、沖縄平和運­動のシンボル山城博治が米軍のセキュリティに身柄を拘束されました。

翌日の沖縄の新聞やTVは、与那国の自衛隊誘致の可否を問う住民投票の結果よりも、こ­の逮捕劇のことを大々的に掲載。

一様に不当逮捕とか、過剰警備であるとまくし立て、それに輪を掛けるかのように革新系­の代議士が反発しました。

山城は「私は黄色の線の内側には入っていない」と沖縄タイムスに対し強弁。
片や琉球新報は「線の内側1mくらいに入った」と報道。

しかしどちらも山城を擁護する論調は変わりませんでした。
新報に至っては、社説で不当逮捕と表記。

不当かどうかは動画を見て頂いた皆さんが判断してください。
そして報道するメデイァのコンプライアンスも感じ取って頂ければ幸いです。

反戦平和は免罪符と沖縄左翼は勘違いしていますが、マスコミが報道の自由は法規を超え­ると思っているのなら、いつしか国民から見放されるときが来ると思います。
(貼り付け終わり)

上海を舞台にした実話を映画・小説にした話

先週はFacebookお友達から送られてきたスピルバーク監督作品
映画DVD「太陽の皇帝」を再度見直ししながら上海租界時代の出来事を
自分なりに思ったこと、感じたことを書きます。

上海は昭和51年時代から度々訪問しています。訪問した回数は
数十回あり、数え切れない回数です。

1940年代日本人居留民団10万人が生活していた租界 虹口(ホンキュウ)
商館が並び立つ外灘・フランス租界地を個人で調べたり、
個人で頼んだガイドをつけたりしていましたので経済発展を中心とした
考察団・視察団参加者よりも詳しいと自負しています。

考察団・視察団では企業訪問・セミナー等々が中心ですが興味が薄れて
晩年は1940年前後の歴史に興味を持ち上海の街角、出来事の場所など
探索しながら現地確認にとりつかれてしまいました。

しかし上海は1700万人の大都会で香港700万人と違って
まだまだ見ていない
知らない出来事、場所もたくさんあります。

スピルバーク監督が1941~1946時代を描いている「太陽の皇帝」は
日本軍が上海事変を起こして上海租界で生活していた欧米人達の悲劇を
舞台にしたアメリカ側の反戦映画ですが当時の日本軍もひどい事をしています。

事変とは戦争・侵略のことで言葉だけでは理解しづらい言い方です。



(貼り付け)

ストーリー[編集]

日中戦争中の1941年の上海。イギリス租界で生まれ育ったイギリス人少年ジェイミー(通称ジム)は、日本の零戦に憧れる少年。だが、日英間で開戦し日本軍が上海のイギリス租界に侵攻した際に、避難民の大混乱のなか両親とはぐれる。独りぼっちになった少年は中国人少年に追い回されるが、不良アメリカ人のベイシーに救われる。

生き抜くために空き巣・泥棒などの悪事を重ねるが日本軍に捕らえられ捕虜収容所、そして蘇州の収容所へ送られる。飢えと病気、戦争の恐怖で死や絶望に囲まれ庇護もなく淡々と成育していくジェイミーだが、しだいに収容所の人々との交流の中に生きる知恵と希望を見出していく。一人の無邪気な少年が戦争のもたらす現実に翻弄されながらも、健気に生き抜こうとする姿をありありと描写する。
(貼り付け終わり)


太陽の皇帝で観たシーン1941年時代の上海租界
左のビルは当時パレスホテル、右はサッスーン財閥和平飯店
上空に見える飛行機は日本軍の零戦が軍事基地を空爆するシーン。


同じく外灘のシーンで左のビルは上海総会(クラブ)ビルのドームは旧HSBC銀行
尖った塔は上海税関と緑色の和平飯店。
右側の彫刻は現在は取り壊されていますが残念です。


上海淮海路からガーデンホテル(花園)ホテルオークラに行く交差点
当時と同じく映画館がありますから1940年時代と同じでした。


蘇州河口に掛かっているガーデンブリッジには日本軍の検閲があった場所、


日本軍が南京から上海に突入したのが「上海事変」です。フランス租界に
住んでいた欧米人達は強制的に上海郊外の龍華飛行場付近に疎開命令。

当時上海での上流階級で生活していた欧米人は最悪の生活になり
餓死した人たちも多く最悪の時代でした。


作者クリストファー・ニューの上海租界時代の小説は二回読み直ししました。
この小説で当時の上海事変も詳しく書かれています。
この小説で上海に興味がわき上海通いが多くなった理由の一つです。

ブログ・動画でも何回も上海を舞台にした話題を取り上げたアドレスです。

米中合作映画「SHANGHAI 上海 」
http://ameblo.jp/tozando/entry-10997004251.html

文芸春秋「月下上海」を読み終えて
http://ameblo.jp/tozando/entry-11584240729.html


渡辺謙出演のアメリカ映画「上海」も上海事変を舞台に真珠湾攻撃の
艦隊の行動を探りだす物語は実際にあった筋書きでした。
BSテレビ放映を今でも保存していて見る機会があります。


上記の地図は上海租界時代の区分ですが土地勘は見て直ぐにわかります。

健康管理する気持ちが足りない自分自身


3月も中旬になり月日の過ぎるのが早く感じています。
2月後半から花粉症にかかり昨年より体調が悪くなっている。
昨年は軽くてすんだが今年は重症だ。

目には涙・かゆくて、かゆくてたまらない。
鼻水は朝から食卓にたれ流し、テッシュが何枚あってもたりない。

ブログを書くのもFacebookを見たり書いたりするのもおっくうになる。
今年は二箇所の町医者に通院して注射・飲み薬をもらう。

気分転換についつい酒の量も増えて憂さ晴らしするが
逆に花粉症の症状が悪くなるので始末が悪い。

今回は手帳に一日の行動を書きとめて公開する。

3月1日 朝から雨でゴルフ中止して昼から缶ビール1本その後
      風呂上りに缶ビール1本6時ごろから自宅のウイスキー
      ダブルで4杯240cc

3月2日 帰宅途中に横浜そごう10階のBAR シーガーデアンで
      東○証券の上海美人の元社員の彼女と再会(密会)する。
      生ビールを飲んで話す。相変わらず可愛くて美しいスタイルだ。
      予定より帰宅が遅くなるがウイスキーを数杯呑んで寝る。

3月3日 自宅で休息するが明日から長距離運転するかも知れず
      禁酒して体調を整える。禁酒は苦しいが我慢した。
            結論、友人達が私の運転が信用できず彼らが運転する。

3月4日 伊豆半島の修善寺で梅林を観て菊屋旅館に一泊する。
      昼食に近くの鮨屋で生ビール1杯、熱燗1本呑んで高いものにつく。
      夕食はビール飲んだ後に熱燗2本 風呂上りビール、その後
      部屋で友人の持込のウイスキーをチビチビ飲んで風呂に行く
      それから寝酒を飲んで熟睡する。

3月5日 河津市で早咲きの河津桜見物して下田の蕎麦屋で大瓶のビール
      稲取温泉でビール一本、お燗2本 部屋でウイスキーチビチビ飲む。

3月6日 自宅近くの行きたくないボッタクリ「あざみのガーデン」で飯にする。
      店名は忘れたが100種類スープ・・?屋で皆と昼食する。
      
      日本酒が無いのでハウスワインを飲むがワイングラスに半部しか
      入っていない。オーダーする時に「グラスいっぱいに入れてくれ」と
      頼んだが無視される。だからあざみのガーデンは嫌いだ。
      値段も高く昼食に一人2000円以上取られた。

      帰宅後自宅で飲んだビール、ウイスキーと伊東市で買ってきた
      くぼたのサバのみりん干しを肴に呑んだがどちらも旨い!
      量は何杯飲んだか記憶がないが翌日に空瓶がある。

3月7日 自宅に24時間、居たが記憶喪失していて覚えていない。

3月8日 府中カントリークラブでプレー昼食に熱燗2本、プレー後中瓶ビール
     1本 帰宅途に新百合ヶ丘駅バスターミナル立ち食い蕎麦屋で
     ツマミのかき揚げでビール・熱燗1本で飲む。
     帰宅後遊びに来ている孫を相手にウイスキーチビチビ飲む。

3月9日 帰宅前に東京駅近くの中華料理店で生ビール紹興酒2本注文する。
      自宅でウイスキーダブル2杯飲んで風呂に入らず寝る。

3月10日 東京パン連盟事務所で例会後に近くの居酒屋で生ビール
      白州ハイボール2杯 その後、角ストレートで呑んで帰宅。
      自宅でウイスキーを飲んだが量は分からない。
      
      花粉症で目がかゆくなり、空いている車内で目薬をさしたが
      外したメガネを電車の車内に忘れて帰宅するが届がなくガッカリする。

3月11日 四谷駅近くの鹿児島処で製粉会社元社長と後輩の友人をまじえて
      ビールの他にイモ焼酎を数杯のんで帰宅。鹿児島産の焼鳥が旨かった。
      行も帰りも4駅乗り過ごして又引き返す。
      自宅でウイスキーダブルで2杯、風呂に入らず寝床につく。

3月12日 禁酒して体力回復に備える。今日のブログを書く気持ちになる。
      たまプラザー駅を降りて検眼して再度眼鏡を作る。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今年75歳の後期高齢者になる年齢で行動がものぐさになり
やる事、なす事、めんどくさくなり物忘れ、記憶忘れも出てくる。

高齢者の厄年が有るか無いか知らないが10万円ちかくした
イワキのメガネを紛失したのが残念無念で仕方ない。

会計事務所にお願いした確定申告が終わり気が楽になったが
花粉症が重症なので気力が落ちている。

これで3月1日から13日までのブログを毎日書いたつもりになる。

      

伊豆半島の河津桜の花見したあと下田の蕎麦屋で昼食

昨日(3/4)は修善寺温泉・菊屋で一泊したのち浄蓮の滝に立ち寄るが
急坂を往復するのが嫌になり家内と連れの友人も「観たことにしよう」と
20m歩いて引きもどり上から、チョロチョロ流れる滝を見おろし中止する。

滝はアルゼンチンとブラジルに掛かっているイグナス滝を見ているので
アメリカのナイヤガラ滝をはじめ日本各地の滝を見ても感激しません。
浄蓮の滝など孫の立小便並みにしか見えません(失礼な書き方)

天城越えといっても今は新トンネルが完成していてアクセル踏むだけで
誰でも楽々運転でアッという間に通り過ぎて下り坂を通りすぎたら
河津町に到着します。

ホテルの案内板には3月5日が河津桜が満開と書かれていたので
ぐうぜんにも同じ日付に見物したことになりました(ラッキー)

国内個人旅行を兼ねた花見見物は初めてですが来年も計画をたてて
温泉旅行をする予定をたてないものです。


花見と関係なく二度目の常連の滝ですが観たことにして小便タイムで一時駐車


地元の駐車場のおじさんの話では数十年前に趣味で植えた河津の早咲き
桜を土手沿いに植えたのが始まりで現在は一年に一度の大イメントになっている。
河津桜は名称は下記の所に書きました。

先週の土曜日は車の渋滞で朝から夕方夜桜まで大渋滞で地元の車も
動けなくなったと話していました。我々は平日の午前中なので問題なし。


近くの道路に駐車することは禁止になっている。仮の駐車場は一日500円
我々が11:00ごろから花見をした時間はたったの15分しかかからない。

同乗した無粋な友人二人は「これ以上時間かけて観ても無駄だ」と
言いだして仕方なしに次の予定地、下田に行くことにした。

帰りがけに駐車場のおじさんが「もう帰るの・・ゆっくり見たら」
「こんなに早く出る車は見たこと無い」とビックリしていた。

500円の駐車料金を安くしてくれ、とダメ元で話したが
「一年に一回の町興し収入になるので個人収入にはならないので」と言われた。


(貼付け)
河津桜の由来

1955年に飯田勝美が静岡県賀茂郡河津町田中で原木を偶然発見したことが由来である。当初、発見者の飯田氏の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきたが、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の園芸品種であると判明し、1974年に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名され、1975年河津町の木に指定された。現在も原木はこの地に存在し、2007年現在で樹齢50~60年である。また、1968年頃からこのサクラが増殖されるようになった。
(貼り付け終わり)
上記の貼付け文章をお花見駐車場の係も同じ事を話してくれた。
本職は大工と話していたが旅行中の地元の方々は親切な人が多い。


河津桜の満開写真を見ると一度は行って見たいと思うでしょう。


行政機関、役人、町会などと関係ない一般の方の努力で有名になった
河津桜は伊豆急行(東急電鉄)をはじめ伊豆半島の各旅館、飲食店など
経済効果は絶大な影響でうれしいことです。


河津を後にして一時間かけて下田まで行く。唐人お吉、ペリー来航場所は
一度見ているので再度見ることはないと思い東急スーパー駐車場に入り
真向いの寝姿山までの空中ケーブルカーで頂上まで行く。


ペルー来日後には見張り番も緊張の連続で監視していたのだろう。


伊豆半島は寝姿山ケーブルカー、下田東急ホテル・伊豆急電鉄・
別荘地開発は東急電鉄の後藤慶太・後藤昇の勢いのある一時代の業績でしょう。


寝姿山からの相模湾・太平洋を見渡せる絶景は好天に恵まれて
素晴らしい眺めでした。


下田は人口2万数千人と蕎麦屋のオヤジの話ですが毎年人口減で
高齢化しているそうだ。


3月4日の9時ごろまで小雨まじりでしたが出発の10:00ごろから晴間になり
3月5日満開の花見、下田街での一日は快晴で山から見る
太平洋彼方まで見える晴れ男の集団でした。


下田は地盤沈下が激しく空き店舗も目立ちひっそりとしていました。
今夜の夕食は海鮮料理になりますので昼食は軽いソバでの食事に決定する。


大通りに二軒の日本蕎麦屋を確認してどちらにするかは私が決定する。
どこで飲食するかは、だいたい店構えで分かるので感を働かして決める。


店に入って驚いたのは82歳の店主一人で切り盛りしている。
連添いのかみさんは数年前に病死してからの営業。

昼間ケーブルカーで寝姿山の散策、下田町の路地裏の飲食店探し、
天気も良く暖かいに昼間よく歩いたので先ずは一杯目はビールを注文。

驚いた事にアルコール類は店主一人では手が足りない理由で置いていない。
ビックリしたが店主にビール持込みを聞いたら「いいですよ」と返事あり。

出た先にスーパーがあるから買ってきて勝手に呑むならば持込料金は
いらないとの返事。早速早足で買い出しにに行く。

夕食の料理と重ならない様に私だけ南蛮カレーを注文する。
思ったより私の舌に合っていて満足できるが、あとの3名はザルそばを
注文し季節のフキノトウ天麩羅付でしたが旨くないと不満を口にする。


店主は昼時にも関わらず暇を持て余してお客の私どもの所で話し込む。
82歳になっても元気で働ければ幸せだ。

下田事情・過疎化・土地柄・職安ハローワーク・店主の家内の事・など
詳しく説明を聞く。

話の中で 店主は閉店は17:00で終わり、との事で再度驚く。

それでも商売が維持できれば幸せだ。自宅は道路拡張工事で
数メートルバックしたが新築して営業したのです。
家賃がないので固定資産税だけであとはいくらもかからない。



82歳の店主はパソコン・スマホとは縁がないので写真公開にふみきる。
もし次回に下田に行く機会があれば再度食べに行きたい店だ。

間違ってもファミレスと違って楽しいし会話だ楽しめて人間味があります。
60年間以上 蕎麦屋職人としての人生、いい顔しているね。

昭和の雰囲気のある昔タイプの何処にでもある めずらしくもない
普通の蕎麦屋でしたが思い出に残る店主で気にいった。




修善寺温泉の菊屋旅館に一泊しました。

3月4日 二泊三日の修善寺温泉・稲取温泉を計画しました。
今回は友人の運転でアゴ・アシ付きの楽で気ままな温泉巡りです。

東名高速で横浜から浜松IC経由修善寺まで2:30で到着しました。
久しぶりの国内旅行で気楽な旅になりました。

いつも海外出張手配をお願いしている(株)メガの佐藤様にお願いして
手配のお願いをしてもらいました。しかし国内旅行は商売にならないので
手配だけしてもらい支払は全て現地清算で、佐藤様にとって
くたびれ儲けでしたが、いやな顔をしないで手配していただきました。

修善寺一泊の旅館は夏目漱石が晩年静養していた
菊屋旅館でレトロで素晴らしい温泉旅館で次回も利用したい。

菊屋旅館に入る前に近くの高台の梅林に行く事にして
梅の香りを楽しみながら近くまで来てい早春の風景に感激しました。


修善寺の古い町並みは風情があり再開発してもらいたくないです。


近くの坂路の急な丘の上まではタクシーを利用して梅林なで行く。


子供のころ岡山県に疎開していたころウグイス色で目の淵が白いメジロ取りに
夢中になっていたころをを思い出した梅林。


小田原城近くの梅林よりも規模が大きいと現地の人の説明でした。


菊屋旅館はクラッシクホテルで設備は昭和の雰囲気で華やかさはありません。


日が落ちた菊屋前の温泉町は風情があり次回行く機会はあれば又泊まりたい。


室内から見る川の淵は都心とは違って癒やされる。


夏目漱石が書斎代わりに使った一室は文学者としての面影が残っている。
私には全く興味のない世界の偉い人です。


私は子供のころから勉強嫌いで、まして文学には全く興味のない劣等生なので
夏目漱石の文集は一冊も読んだ事がない いい加減な子供時代を過ごしました。


温泉湯は気持ちよくて食事前後に何回も入浴して浮世のアカをおとしました。


夕食の料理は普段食べていないフルコースで私の口には美味い、不味いの
感覚が全くない味覚音痴で「猫に小判」と同じく家内・友人にバカにされました。

一人で行く店は一品300円前後の酒の肴をツマミにサントリーホワイトの
安いウイスキー又は安酒の熱燗をチビチビ呑みながらで十分です。


現役を離れて高齢者仲間の連中と平日の温泉巡りは
コンパニオン・温泉芸者など入れないで親しい友達づれで楽しむのが一番です。

翌日は菊屋旅館をあとにして天城越えで河津桜観光に出かけます。


横浜市中区をブラブラ散歩

先週の土曜日は私一人で横浜中区の観光地以外の街を散策してきました。
現役時代は土曜日も平日出勤で二日続けて休むことは
滅多になかったが暇に任せて好きな事ができる。


帰宅途中に立ち寄る「ぴおシティ」で香采(パクシー・コリアンダー)と
自家製ヌカ漬けを買っていつもの立飲みで一杯ひっかけて元気つける。

今回横浜中区の旧市街に行きたい気持ちになったのは一昨年
読みなおした「消えた横浜娼婦たち」に出てくる町名、出来事のあった
場所を気まぐれに目的もなく数時間歩き回った。

消えた横浜娼婦たち の横浜の昭和10~45年は観光地ではなかった。
進駐軍駐屯地・外国船の出船・入り船の異国情緒でしたが

絹・お茶以外は輸入一方の国際港町で黒にちかいグレーゾーン地帯が
多く、湾内の海賊・進駐軍の密輸PX横流し品などなど話題はつきない。
当時の香港・横浜の生活・治安は危険地帯になっていた。

戦後昭和20年代には実際におきた人身売買になった
遊女(売春婦)の密出国などはマスコミにはほとんど話題に
ならなかったが神奈川新聞には書かれていた。

チャブ屋・ドブ川(大岡川)・吉田橋・だるま舟・沖中仕・ヒロポン・ヘロイン・
チョイのま・赤線・青線・遊郭・日ノ出町・黄金町・真金町・ドヤ町寿町・
PX・進駐軍・ジャズ・ナイトクラブ・本牧・小港町・関内・等々など

当時の中華街は進駐軍相手の売春目的のバー、飲食店が100軒以上あり
観光客なと近寄れない危険な場所で、まして若い女性などは
黒人兵・白人兵に間違いなく引き込まれて強姦される時代でした。
白人専用バー・黒人専用バーと別々に分かれていた人種差別時代でした。

なにしろ加賀警察署内の敷地で博打が行われていた時代で
日本人には手が出せない無法地帯でした。


ぬか漬物と香采を買ってリックにいれて野毛から都橋を通りすぎて
福富町のソープ街を通りすぎる。


横浜のメリーさんが住みついたGMビルには飲食店・スナック・クラブが
まる印にびっしり書かれている。


横浜は160年前に開港した当時に牛肉を食べさせる牛鍋屋が出来た
「大田なわのれん」は観光客の一見客は入りづらい。


     大田なわのれんは明治元年創業の牛鍋屋


同じく牛鍋の「じゃのめや」は明治二十六年の創業以来


        荒井屋の明治創業120年目を迎える名門の牛鍋屋

「大田なわのれん」「すきやき じゃのめや」「荒井屋」は横浜を代表する
明治時代からの牛鍋・すき焼きの有名店です。
その三店舗がイセザキモール通りを左右に分けた行ける場所で競争している。


横浜はボクシング関係者が多くボクシングジムも数か所ある。
アメリカヤはボクシング関係のグッツがなんでもそろっている。
店主と次回ラスベガス開催5月2日のタイトルマッチについて話し込んだ。


 アメリカヤのオーナーに2014年ボクシング年鑑をいただいた。


曙町から国道16号線を渡ってその筋には有名な中華料理 浜の一番
一番本店のメニューには和洋中なんでもあり24時間営業でしたが
朝方は一時閉めているそうだ。


少し歩いて「よこはまはし」を通り抜けてブラブラ歩く


通りぬけた出入口の「よこはまばし」には観光客は一人もいない。
落語家 桂歌丸の地元で歌丸のイラスト絵が方々張られている。


     横浜三吉演芸場があることに気がついた。


休館日でしたが暇を作って一度は観てみるかなあ~


よこはまばし近くの昔からある昭和時代の酒屋 浅見本店は良い眺めだ。


昼間の3時ごろ立飲みも出来る地元優先のお客に見える。
毎日の通り道ならば常連客になっているだろうなあ~~


ついでに東京の山谷、大阪の釜ヶ崎あいりん地区,横浜の寿町はドヤ街である。
コンテナ船前には地方から集まって来た日雇い・沖中仕・手配士のたまり場でした。
もちろん横浜職業安定所もあったスラム街ですが今は静かなうらさびた街です。

今は無職の高齢者、日雇い、など多く一泊1000円~2000円で泊まれる。
定食は300円で和食・中華が食べられる地区になっている。
最近治安もよくなり事件が起きていない。


石川町よりの寿町にあっためずらしいジムを発見する。


横浜中華街わきを通りぬけて関内方面に行く途中に
横浜中華学院校友会の龍踊りを横目でみて行く。


関内に昭和40年代からある食堂はお気に入りだ。


山田ホーム レストラン」なんて気取った店名ですが、オヤジ食堂&居酒屋




大瓶ビール・熱燗・枝豆・ニラ玉で一日の疲れを癒やす。


土曜日の17:00ごろは周りの会社、呑み屋は休日が多い
知らないお客二人が私に話しかけてくる。

右のオヤジはインテリで廻船商社勤務を定年後に私と同じくブラブラして
意気投合する。関内の倒産した西野商事をお互いに知っていた。
西野譲介オーナーは当時 横浜銀行個人筆頭大株主の有名人でした。

静岡県の愛鷹シックスハンドレット・ゴルフコース、茨城県の
セントラルゴルフコースのオーナーでJGA(日本ゴルフ協会)副会長

セントラルGCで日本オープン開催を二回も開催した。
本業は造船木材加工特殊会社でしたがオーナーが亡くなって
娘さんが引き継いだが家具の大塚と違ってダメでした。



今世紀最高・最大のボクシング試合

一昨日、ラスベガスでのメイウェザーVSパッキャオの世紀の一戦が
ボクシング興行士のボス、ボブ・アラムから発表されました。

2年前にパッキャオの試合を私のブログで募集してマカオまで
20名で観戦ツアーをしました。当時は円高でリングサイドが日本円で
30万(現在のレート50万円)ちかくしましたが、

今回のリングサイド(700万円)下記の貼り付けでビックリして
観戦はあきらめました。

前もって観戦旅行手続きを(株)メガの佐藤様に2人分を
頼んでいましたが一般席でも48万円が15分で完売されあきらめました。
ダフ屋から買っても2倍はするでしょうしバカバカしいのでやめた。

(貼付けはじめ)

メイウェザーvsパッキャオ 700万円チケット15分完売 5月2日に米国ネバダ州ラスベガスで開催されるボクシングの5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(38=米国)VS6階級制覇王者マニー・パッキャオ(36=フィリピン)のチケットがわずか15分で完売となった。2人のファイトマネーの合計が4億ドル(約480億円)といわれる世紀の対決に向けた“狂騒曲”が早くも始まった――。


 やはり「ボクシング史上最高の試合」への関心の高さは想像を超えるものだった。チケット発売開始は米国時間の23日。会場は1万6800人収容のMGMグランドホテルのガーデンアリーナで、最も低価格のカテゴリーでも4000ドル(約48万円)。英国のチケット取扱業者のサイトではリングサイド席に3万8000ポンド(約700万円)の値がつけられた。一般人はなかなか手が出にくい破格の値段だが、売り切れまでにわずか15分しかかからなかった。

 ボクシングにかかわらず、こうしたビッグイベントでは様々な有名人を招待して雰囲気を華やかにするのが恒例。だがパッキャオをマネジメントするトップランク社のドン、ボブ・アラム氏(83)は「無料の招待券は1枚もない」と言うほどのプラチナチケットとなっている。

 こうなることは容易に予想できた。そのためアラム氏は当初、このメガマッチをテキサス州アーリントンにある、NFL(米プロアメフットボール)カウボーイズの本拠地で、10万5000人が収容できるカウボーイズ・スタジアムで開催することを希望していたという。同スタジアムでは2010年3月にパッキャオ対ジョシュア・クロッティ(37=ガーナ)のWBO世界ウエルター級戦が行われ、この時は4万1843人の観客を集めた実績がある。

 10万人をフルに入れると、最も遠い席からだと選手の判別が不可能になる恐れがある。とはいえ、MGMより大幅に観客数を増やすことができるのがアラム氏の狙いだったが、メイウェザー側の希望でラスベガスでの開催となった。

 米メディアの報道によると、2人のファイトマネーの合計額は4億ドル(約480億円)で、メイウェザーの取り分が60%の2億4000万ドル(約288億円)で、パッキャオが40%の1億6000万ドル(約192億円)になるという。

 両者は2009年に初めて対戦交渉が行われながら「ドーピングテストの方法」を巡る主張が食い違うなどの理由でこれまで実現しなかった。

 もう一つ大きな障害となったのが、両者が契約するテレビ局の問題。だが、パッキャオ側の「HBO」とメイウェザー側の「ショータイム」が同時に生中継することで解決。ライバル局が同じ試合を同時放送するのは、02年のWBC、IBFヘビー級戦でのレノックス・ルイス(49=英国、HBO)対マイク・タイソン(48=米国、ショータイム)以来のことだ。

 入場順やグローブの選択権を得たメイウェザーが「歴史をつくる」と宣言すれば、パッキャオは「歴史的なイベントに参加できて光栄だ」。空前絶後のビッグマッチはどんな結末になるのか。
(貼付け終)



私の集めた自慢できるウイスキーを公開する。

先日、香港在住のでFacebookお友達 三木洋平様から送られてきた
台湾の高級シングルモルト・ウイスキーをいただきました。

名称は「KAVALAN

ISC国際スピリッツコンペ 2010 金賞受賞、
WWAワールドウィスキーアワードベストシングルモルト賞受賞

インターナショナル・レビュー・オブ・スピリッツ・コンペティション(IRSC) 2012 金賞
インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・
コンペティション(IWSC) 2011 金賞(最優秀賞)
2010年バーンズ・ナイト(英紙タイムズ主催) テイスティング大会 優勝

インターナショナル・レビュー・オブ・スピリッツ・コンペティション2014金賞受賞
インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・チャレンジ(ISC)2014金賞受賞
世界で認められた最高級シングル・モルトウイスキーになた。

先日香港滞在中に三木洋平氏を中國会(チャイナクラブ)に招待しました。
会食が終わり上階のBARで落ち着いて飲むことにしたおり
バーテンダーから台湾産KAVALANを進めてくれました。

初めて一口飲んだ瞬間はブランディーとマッカランを合わせた香りの
シングルモルト・ウイスキーでチェリー酒、マンゴーの果実酒にも似ている。
素晴らしいウイスキーだ!

今回は今まで集めたウイスキーを紹介することにした。


三木さんからいただいたKAVALANは木箱入りの豪華なパッケージ


ストレート用のカップ付きで台湾免税店で3000元しますが日本では売切れ。

赤印に手書きで446/536と書かれているカスク(樽)番号は
一つの樽から536本が製品になる466本目のボトルを示している。
すでに現在はビンテージになると思いますので大事にしたい。


普段はロックグラスでオンザロックで飲む方が多いですが
ビンテージ・ウイスキーは香りを逃がさない様にストレート又は
ハーフ&ハーフ、ウイスキー60㏄+水60㏄=120㏄で香りを
逃がさないで飲むグラスなのです。

その為に上部が細くしぼられている。
水は水道水では絶対にダメ、ミネラルウォーター使用すること「当たり前だ」


左のサントリー響30年は現在は中々手に入らないブレンデット・ウイスキー

中は上記に説明した台湾ビンテージ  シングルモルトウイスキー「KAVALAN」

右は今は手に入らない幻のイチロウズ モルトウイスキーTOKYO


カスク・ナンバー123と書かれているベンチャーズ・ウイスキー


カスク(樽)からそのまま瓶詰したので61.8%アルコール度数は強烈だ。


株式会社ベンチャーウイスキー 秩父蒸溜所の
オーナー肥土伊知郎氏とはFacebookのお友達になっている。

先日発売された7000本・・?のシングルモルト・ウイスキーは発売と同時に完売。
予約が殺到していて市販には出回っていない。


10年前に買ってある響30年を2本持っているがこれもビンテージ


響を発売して447本目の瓶詰はめずらしい。買った店は横浜中華街裏通り
安田酒店で棚の上段にホコリだらけになっていた。

当時1本8万円でしたが「まけてくれないか」と交渉したら7万円で買えた。
今思えば瓶詰番号をはじめ手に入らないビンテージウイスキーになった。

もう一本のナンバーは22824番号でその後に予約して買った時には
8万円でしたが今は手に入らない。

買った動機はホテル・ニューグランドのBARでバーテンダーから
滅多に購入できない響30年物が入ったからいかがですか、と勧められた。

その時バーテンダーから写真に載せたKABVALANに付いていたカップと
同じタイプで香りが逃げない様になっているカップで飲みました。
ストレート一杯8000円した記憶を思い出しました。
バーテンダーからストレートで飲んでください、と注文されました。

30年物以外の響には番号は入っていない、


サントリーホワイトの復刻版を1000円で3本買って飾っている。
当時はホワイトと言わないで白札といっていた。
復刻版といっても二度と手に入らないことになるから2本は当分飲まないでいる。

その後サミー・デイビス・ジュニアをモデルに広告に登場して
             「ホワイト!」と一言
しゃべるだけ、ブラックなら黒人差別で嫌な思い出があるので
出演していないでしょう。


今の若い人にウイスキー「白札」といっても分からないでしょう。


私は正直に言えばウイスキーならば安くても高くても量が多く毎日飲めれば
シングルモルト・ブランデット・スコッチにこだわらないで飲み続てたい。


ホワイトにはたくさんの思い出があります。今でも居酒屋、立飲で飲む
ウイスキーはホワイトが多い、と言うよりホワイト以外置いていない。


昨年北海道 余市でニッカウヰスキー非売品20年、5年を数本買う。
友人のkimu君からお歳暮に同じ種類をいただいた。ウイスキーは
何本いただいても邪魔にならない。


最近、ノドに物が引っかかる感じが少し出てきたのでハーフ&ハーフにして
アルコール度数を下げて呑む習慣をつけたいが・・やはりストレートが旨い。


アルコール度数 59% 63%は樽出しの状態なので原酒になっている。

若いころ自宅で飲むウイスキー20~30歳代まではサントリー・レット、

その後サントリーーホワイト 40歳代はサントリー角・だるま・リザーブ

長い間、安酒を飲み続けたので晩年の残り人生はせめて自宅では
好きなシングルモルト・ウイスキーを飲み、人生・・酔いを楽しみたい。

残念なのは乗用車があっても24時間中、体内にはアルコール症状が
残っているので運転出来ないのが心のこりになっている(涙・涙・・トホホ・・



北千住の居酒屋 永見で地元の名士と再会する。

数日前、家内が親戚の頼まれごとで北千住まで同行したブログ。

家内が今日は北千住に行ってくる、と言いだしたので
北千住なら俺もついていく、と早速支度して出かける。

この頃の地下鉄は便利になっている。横浜・あざみ野から北千住まで
乗り換えなしで一本で行ける。最初は田園都市線・半蔵門線・東武鉄道
全て乗り換えなしは便利に出来ている。

北千住は数回会食・立呑処・焼鳥・居酒屋めぐりをしている好きな町だ。

今日の目的は家内が打合せすれば私には関係ない話なので
話し合いしている間に国道6号線交差点を確認したり、土地勘を
つけたりしていました。

待ち時間に居酒屋探しにブラブラ捜しながら移動中にみつけた
居酒屋に決めた瞬間に突然友人○川さんにバッタリ会った。

友人の黒○様は地元では名士で神社・仏閣祭り事、町会、警察、
消防などの顔役で忙しいのに菓子業界の協同組合・理事長を兼ねている。

彼と5秒間早かったら目星を付けた居酒屋で一杯飲んでいる所でした。
そこで呑むつもりにしていたら彼は
そこは会員制で一見客は歓迎されないよ」と言われたのでビックリする。

(北千住の会員制 居酒屋 ○○に入らず駅側の居酒屋に変更)
外観は昭和の雰囲気で好きだが一見客では会員並にはサービスできない。

そこは○○党・○○○○専用の店で入ったら飲む前に
シャクボクされるまでおあずけです、と言われたら困るのでやめた。


地元顔役の黒○の紹介で家内を含めて3名で飲むことにした名門居酒屋。
北千住の永見は老舗酒場で 千住宿、江戸から日光へ向かう道中の
最初の宿場間町として繁栄してきました。


昭和の雰囲気が残っている素晴らしい呑み屋街で気にいっている一角だ。
       (一人住まいになれば北千住に住む計画をたてる)

世界遺産に申請し登録して再開発させない様にしてもらいたい。
彼なら人望があるので腹たった時には口数・へらず口を叩いてもらいたい。
    
ブログ・Facebookなどには赤坂・青山・吉祥寺・銀座などの落ち着いて
飲食いしずらいイタリアン・フレンチ・なんかの料理か分からない店が多すぎる。
そんな店の料理を写真などを自慢話で載せていても全く興味なし。


今回はバッタリお会いした友人と再会してうれしかった。

○○さんとは昨年メキシコ・キューバのハバナ、一昨年のカサブランカ
スペイン各地のイスラム・キリスト教 文化などを観光した間柄で
何でも話せる関係だ。もちろんパン・菓子業界でもご一諸になる機会もある。


いいですね! この雰囲気は野毛・桜木町「ぴおシティー」と変わらない。


後ろから見た感じは一人客も多く気軽に飲める感じは昭和時代の延長だ。


       バッタリ会った北千住の名士、黒川さんを交えて親睦を深める。


 ソーダー割ウイスキーをダブルにしてもらったハイボールは美味かった。
       (ウイスキーはサントリー・ホワイトだと思う)


好きなアジフライは桜木町に比べて一枚60円高かったが
こちらの方が揚げ油も魚も上物だと一口食べただけで分かった。


今回は昼食を少なめにしていたので焼オニギリを注文する。
これが美味すぎてお土産に持ち帰りたかった。


隣は立呑処 天七は数か月前にブログに書いた串カツの美味い店。


北千住西口の「飲み屋横町」を入ってすぐの右側は昭和レトロなポスターなど
のれんもいいですね。

北千住が世界遺産になる前に住む物件を探しておきたい素晴らしい街だ。


酒のみの健康管理方法

携帯電話は今でもガラ系の携帯電話を使用しています。
電話はかける、聞く、健康管理、歩数・活動量を記録する為です。

歩数は毎日10000歩を目標にして車には乗らない、運転しない
東急バスも敬老特別乗車証で無料乗車できますが朝の通勤には
利用せずに、あえて遠回りして駅まで4.3㎞かけて徒歩通勤する。

零度ちかく冷え込んで駅に着いていても寒くても被っている
帽子の裏には汗をかいている。

前日呑んだアルコールが体から発散されている実感が体験できる。
呑む量は若い時より少し減ったが呑むピッチの早さは変わらない。

会社出勤は痴呆症アルツハイマー防止を兼ねた健康管理維持にもなり
アル中防止にも役立つには間違いないと思っています。

同じ年代(74歳)の高齢者には負けないだけの体力維持を心掛けて
生活しています。今でも腕相撲だけは何時でも勝負して受ける
心がけを持っています。この歳になれば勝っても負けても悔いはない。

アルコール40%ウイスキー(700㎖)を2日~3日に一本空けても
完全燃焼して翌日には持ちこさない健康管理は自画自賛できる。


2月17日(昨日)を含めて10000歩以上歩いているのは途中桜木町の
屋台での立飲みを含んでいますが、酔っぱらっても身体の毒にはなっていない。


毎日、途中下車して徘徊した歩数は1時間以上歩いている計算になる。


帰宅途中に寄り道しながら徘徊していても呑んだ酒は良薬になっても
毒にはなっていない証拠は歩けるスタミナが証明している。


          (昨年写したout 6番ホール記念写真)

前日深酒しても約束している友人とのゴルフには必ず時間内にコースに行く。
一諸に写っているキャデーさんからチョコレートケーキをプレゼントしてくれた。
1300人会員でバレンタイン・チョコレートケーキを貰ったのは私一人だけだ。

彼女とはFacebookのお友達になっている。府中カントリークラブ会員は
平均年齢、四捨五入すれば70歳以上になるのでFacebookが出来る会員は
いないので私は若いキャデーにモテモテなのだ。


彼女の手作りバレンタインチョコレートケーキは美味かった。


家内に若いキャデーさんから貰った事を話してもヤキモチ焼かないのは
予定外でしたが・・心の奥は知る余地もない。