下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -9ページ目

孫と野毛山動物園に一緒に行く

今日のブログは他人様が見ても面白くない話題です。

長男の5歳になる二人目の孫を連れて野毛山動物園まで連れて行った写真集。
身内の話・写真を見てもバカバカしいのが当たり前田のクラッカーだ。

行った理由は2月11日建国記念日は快晴で暖かくて気持ちの良い日でした。
いつもならゴルフ日和でのこのこコースに出かけるのですが

最近は府中CCコース改善で半年休業してから気持ちが離れて
以前ほどゴルフに熱が入らずに過ごしています。

その他に下手くそになってきたのと年寄りが多く老人ホームの延長にみえて
行っても若返る話しは無く、連合いの婆さん・年金・墓地・墓石・葬式などの
老けた話が多いからです。

話がそれましたが隣の孫二人に一日のスケジュールを聞きに行く。
小3の孫はスケボー練習に公園に行くので5歳の孫を連れて出かけました。

スケボーはこの歳(74歳)になって覚えても皆も相手にしてくれない
ほめてくれない怪我しても誰も同情してもらえない。

野毛山動物園は無料・横浜市営地下鉄・バスも無料なので費用が掛からない。
内にいても家内の小言を何回も、なんかいも、聞くためになるからです。


家内か嫁か忘れましたが出発前の記念写真パチリ


桜木町バスターミナルから敬老特別乗車証で無料で乗る予定でしたが
本数が少ないのでタクシーに切り替える。

孫は最初から「タクシーで行こうよ」と贅沢なこと言っていたが、
仕方なしにバスをあきらめタクシーでいくことにした。


天気がよく暖かいので動物園には子供が多く込み合っていた。


    先ずは嫁の為にも入り口で記念写真パチリ。


動物を見るより入ってはいけない場所、石垣のぼり、飛び降り、禁止場所など
見つけてわざわざ挑戦するので𠮟り飛ばすが効き目がない。


昭和40年代まで使用していた横浜市電で記念写真パチリ。


「だめだ!」と言ってもきかない振りしてよじ登る。
セガレ・嫁は孫の躾けをしているのかなあ~・・
まあいいや・・おとなしいだけでは学校・社会では競争に勝ち残れない。


この手の写真は想像力を高めるので子供の教育にはいいと思う。

孫より私の方が興味がありチンパンジーを見ていると飽きがこない。
暖房のために見れる場所はプラスチック強化ガラスで曇って見える。


インド産ライオンの満7歳になるラシャーラの誕生日イベントのために
おりの前には人だかり。子供は前の席に行けるシステム。

30分ちかくのライオンの説明を受けて最後に大きな骨付き肉を食べさせるまで
孫は一番前で見ている。オシッコがしたいが我慢してくいしばる。


インドにもライオンが300頭ちかく生存しているそうで絶滅危惧種になっている。

下記の動物の説明はめんどくさいのでカットする


何回見て素晴らしい写真だ。これから春になると本能がさえわたり
激しくなると予想されるが5歳の孫には性教育には早すぎる。


ラクダの切り抜きから孫が顔を出した写真など
身内以外の人が見ても感激しない。親ばかチャンリンと同じだ。
しかしうちの孫は可愛いです!


帰り際に置かれているライオン像 上海の外灘、上海浦東発展銀行
香港HSBC本店、日本橋三越本店のライオン像より
安物には間違いない(あたり前だ)しかし孫は真剣にしがみついている。


野毛山動物園の下り坂を歩いておりた野毛中央通りの飲食店街に行く
飲食店・飲み屋が密集地なので立ち小便をする場所。

昔々に・・・・・ことあるが・・今は社会的責任もある立場なのでコメントできない。
相変わらず小便の当たる・散る塀の色がアンモニアと匂いで黒ずんでいる。
孫は臭いので嫌々ながら写真に写る。


野毛の自民党神奈川支部には建国記念日に国旗が飾られていた。
民主党神奈川支部には国旗は飾られていないと思います。

理由は民主党応援団は日教組・中労委・労働組合は反日イデオロギー
リベラルと称する左よりが多いので保守本流などどうでもよい事で
左翼思想を理想として立ち向かっている中小企業を無視したバカヤロウだ。


祭日の16;00ごろは営業している居酒屋が無いので飛び込みで入る。


周りの居酒屋は休日が多いのでそこそこお客が入っていた。


串焼き数品・煮込鍋など注文するがお子様用ランチをはじめご飯もない。
飲み物は「ラムネ」があったので美味しく飲んでいた。1本追加注文する。


ママに動物園とレストランに行った証拠写真をパチリ。
内緒で生ビールを少しなめさせる。

居酒屋の女子店員が自分の手持ちチョコレートをプレゼントしてくれる。
(俺の子供のころと似て可愛いからかなあ~)

当店には彼女を連れて来るお客さんはいますが
幼稚園児とお爺さんの取り合わせは初めてです
」と年齢格差を指摘されました。
話を聞いてツマミとお燗を追加オーダーして店に敬意をはらう。


店長がわざわざ記念写真を撮りましょう、と言われて再度乾杯しました。


市営地下鉄 桜木町駅にある「ぴおシティ」のカード使用不可の
スーパーもどきの地元食料品店で家内とセガレ夫婦に
二つ分の野菜・イチゴ・ぬか漬け等々をお土産に買って帰る。

ただし当家には一般食料品店・スーパーに売っていない
香采(コリアンダー・パクシー)を買って帰るが孫の家にはあげない。

香采は横浜中区のスーパーには中国人をはじめ東南アジア人が多いので
置いてありますが「ぴおシティー」は量が多く格安でいつも売られている。



香港総集編

1月10日 墨田区菊川のインドカレー屋で東京パン連盟の二次会を
終えて真直ぐ自宅に帰りました。
これからブログを書くもの負担が大きいが自宅で飲みながら書くことにした。

テレビTBS 23:00の番組を見ながら書いているが与党・野党の意見で
富裕層に税負担を今より多く徴収したい元厚労省大臣の民主党議員と
たたき上げ実業家の自民党 和民のオーナー渡辺議員の意見は
対比にとても参考になった。

下記の写真は思いつくままに貼り付けして
気になったことを気ままに書くことにした。


今回香港に来てスターフェリーに2回乗りましたが私は下層(エコノミークラス)に
乗り、家内は上層(ファーストクラス)に行き到着時に合流する。
差額は0.2ドルの格差があります。


70歳の友人、60歳代の家内も香港訪問の飛行機はエコノミークラスで
二日間同伴した就活中の40歳代 若者はビジネスクラス。

貧乏性の私は下層に乗って一人旅でしたが二回目のスターフェリーは
全員強制的に下層(エコノミー)にさせました。


下層の船の先端に置かれているイカリは絵になる光景です。


上層では見れない船長室の舵とりは観ていて飽きない。


観光客は少なく香港の若者が景色を見ることもなく下を向いて一休み。


上層では見れない埠頭の橋げたには貝がこびり付いている。


下層でしか観れない所がたくさんあります。


尖沙咀側の油麻地の88階立て高層ビル その付近は
中国大陸からの新幹線駅ターミナルを建設中です。


埠頭には大型旅客船が停泊しています。
今年9月にはダイヤモンド・プリンセツ号の船旅を楽しむ予定。

横浜大桟橋・大阪・厦門(あもい)・香港・ベトナム・シンガポール・羽田
13日間の船旅を視察団に参加予定しています。


ブランドショップには大陸の中国人が入店待ちに並んでいます。
中国人は列に割り込んだりする事が当たり前ですが我慢しているのが不思議だ。


大皿に置かれている太股をあらわにした陶器が気になった。


KAVALANシングルモルト・ウイスキーを初めて飲んだ。
旨い。美味い・うまい・ウマイ・美味しい・
タスクナンバーが手書きに書かれている。
詳しい情報は非公開にする。

香港滞在中にお会いしたFacebookのお友達は香港・台湾・上海に詳しい。
実業家はまだ30歳代で将来がたのしみだ。


セントラルのBARで香港実業家に取ってもらった写真。
右の女性はバーテンダーです。


帰国前の半日に前日の昼食をした上環の「蓮香楼」の飲茶に行く。
理由は鶏足の「鼓汁鳳爪」(鶏の足黒豆蒸し)を食べるためです。


見かけはグロテスクですが一度食べると癖になります。


食べ終った「鼓汁鳳爪」(鶏の足黒豆蒸し)の食べかす。


香港国際空港で出発フロアーで大陸中国人の若い女性がごみ箱を
テーブル代わりにして立ち食いを見ている姿。


帰国手続きを終えて出発する前の飲食店前のテーブルが満席なので
ゴミ箱テーブルで食べている大陸女。
日本女性には絶対にできない食事風景を望遠カメラでパチリ。

高齢者3名はエコノミークラスで無事羽田に到着してリムジン直行バスで
我家に着いた。



香港滞在中に食べたB級グルメ特集パートー2

香港滞在中に必ず行く場所の一つに尖沙咀街市の屋台に行きます。
場所は海防路入口を入って街市から北京道へ抜けられる所です。

本来ならば徳丸牛肉の肉団子麺を食べたいのですが8時ごろには
仕込み中で食べられないので奥にある仁利粥品の海老ワンタン麺を
朝食にしています。粥と一字入っていますが現在は作っていません。

尖沙咀は新しい建物が次から次えて建て替えられていますが
尖沙咀街市は50年前にタイムスリップした場所で

横浜で言えば
昭和時代の面影が残っている野毛・よこはま橋の付近と
共通した街の匂い・ノスタルジアがあり庶民生活の原点だと思います。

街市の中の空気は独特の匂いがたちこんでいて生活感があり
子供のころの昭和30年代の何処にでもあったマーケットの中と同じです。


新横浜のラーメン会館にある昭和30年代を連想する
香港版「三丁目の夕日」を舞台にすればピッタリするロケ地だ。


           海老ワンタン麺を食べている店名

胡椒の代わりにピリ辛の自家製辛油を一瓶70ドルで売っていることは
評判が良いのでしょう。しかし餃子を食べる時の量を入れたら
激辛になりすぎて食べられなくなるから注意しましょう。


彼は最初に連れてきた時に匂いに参って苦痛を感じていたが
久しぶりに入って食べたがすっかりなれて現地人にとけこんでいた。


海老ワンタン麺は前回来た時にはワンタン4個だったが
今回は3個になりその分青野菜になっていた味が落ちた気がする。


隣の屋台のミルクティーは南部鉄鉄瓶に似たヤカンで沸かした一品。
赤丸・矢印側の金網の向こうは水はけが悪いのでセメントでブロックしている。


価格訂正・値上回数は3回目の訂正方法いいですね!
最初は業者が作った値段表 次はコピー用紙 現在は段ボール紙
費用削減が手に取る様に解りやすい方法だ。
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下記の写真は昼食に近くの重慶大厦C座3階の美味しいカレーの
デーリークラブに行く。



重慶大厦前の二枚の写真、上の赤い枠を次の写真で拡大した。

理由は重慶大厦前には中近東・インド・パキスタン・アフリカ人達の
安宿が50ケ所以上テナントが入っている有名なマンションです。

ごらんの通りマンション前は肌の色が違った人種のるつぼで
汗・カレー・香辛料の匂いがたちこもっている特殊な場所。


窓から見える周りのビルはごらんの通りです。

カレーの美味しいデリークラブは3階ですが実際には4階にあります。
ビルの窓から見る風景はスラム街的・ゴミ屑が散乱している。


階段フロアーにある電話線配電盤ははだか状態になっている。


十数年前のリニューアル前にボヤを出して消防車・救急車が出動
大騒ぎを見物したことを思い出す。階段フロアーに取り付けられている
電気配電盤は整理されていた。


インド美人パネルはカレー屋の広告です。
階段・フロアーは数年前に比べて清潔になっている。
経営者の努力の成果が出てきたのだろう。
しかし掃除道具は清掃具箱に入れるべきだ。


重慶大厦のテナントで一室借りると公式には飲食業が出来ないのでしょう。

その為にどこの飲食店も会員制(クラブ・倶楽部)形式にして
いったん入店すればお客は是認メンバーになる仕組みなのでしょう。


初めて飲んだ珍しいビールの味はまずまずでした。


日本のタンドリーチキンよりもボリュームがありライム付で多めの
玉ねぎ・キャベツ付きで満足出来た。


三人前のカレーの量は多すぎて食べきれない。ナンも美味しく食べた。

しかし場所が場所なので独特の匂い・アフリカ民俗衣装・黒人をはじめ
中近東の人種・皆様には 初めての方にはお勧めできないのが重慶大厦です。


食事が終わってから二階にあるインド食料品店でチャイ(インド茶)を買って帰る。


香港滞在中には一度は重慶大厦の匂い・空気・雰囲気を視察している。


香港滞在中に食べたB級グルメ特集パートー1

香港滞在中の食事風景はFacebookに毎日写真入りで掲載しました。
ブログとFacebookの二本立ては今年75歳になる後期高齢者の
私には負担が多くなり苦痛を感じています。

香港滞在中の二日間は友人二人と家内の四人で行動しました。
今回のグルメ旅行は下町中心で過去にブログに何回も書き込んでいます。

初日の夕食はスターフェリー前のバスターミナル5番乗り口で
二階立てバスに乗りこみ九龍城リーガルホテル前で下車する。

10数年前から知っていた焼豚屋で皮付きチャーシューを買い込み
火鍋屋の方榮記飯店に行く。


          二代目のセガレが経営している焼豚屋

皮付き焼豚 300グラム40HKドル買うソースと辛子をもたって火鍋屋にいく


           早めに到着した方榮記飯店


辛口鍋で注文するが抵抗はない霜降り牛肉を注文する。
香港人は味の辛さには弱い方が多いので四川料理店は少ない。
テーブルの周りは清潔になっています。


テーブルはごらんの通り汁で汚れるが指定されたトイレットペーパーでふき取る。
ビールを数本飲んだ後に持込みの竹鶴ウイスキーを一人で2/3ちかく呑む。

今回ウイスキーの白州から竹鶴に変えたのはNHKテレビの影響ではありません。

理由は値段の格差で一本1000円以上安いからです。
同じシングルモルトで飲んでいてもあまり変化はありませんので格安に変えた。


香港の青ネギは鍋に最適だ、ネギの臭味がたまらなく好きだ。


今回の火鍋料理は野菜を中心にたくさんオーダーしました。
4名でバケツ一杯分ちかくのたくさんの種類の野菜を注文して
全部食べてしまった。


テーブルを汁だらけ鍋からはみ出した生麺の食べ方を見ていると
私以外の友人達の客種に関する品性・品格が分かるような気がする。

一流レストランには連れて行けない連中にみられても仕方がない。


二日目の昼食はセントラルから一つ先に上環まで歩いて行く手前にある
飲茶で有名な蓮香楼に行く。このちかくはセントラルと違って問屋街で尚且つ
庶民的な町でリラックスできる。


この店は朝の時間帯では客種が入れ替わることで知られていると話していました。
常に満席で我々は席の空くところに めぼしをつけて行動する。

席についたら熱湯で箸・茶碗・湯飲・皿を自らの作業で行う。
ワゴン運びのおばさんに伝票を渡して蒸籠を取るシステム。

各種の蒸籠の蓋を開けて飲茶を確認する。
気にいった飲茶を素早く取り込み他の客に取られない様にする。


飲茶以外の一品料理は品書きを店員に注文する。
青菜野菜のアンカケはソース抜群に旨く気にいった。


昨日の火鍋屋に持ちこんだ皮付きチャーシューを食べましたが
今回も私の嗜好で再度注文する。他の3人もパクパク食べている。


大きなドンブリに盛られている福州汁麺にビックリ仰天する

昨日は尖沙咀から5つ目の深水埗駅徒歩8分の屋台料理「小采王」で
豪華な海鮮料理を食べに行く。


歩道に出ているテーブルで食べる事にしました。
オープンテラス方式はフランス パリのレストラン並みに公道で食べられる
雰囲気と思えばよろしいです。

我々は19:20ごろ到着しましたが30分遅れていたら順番待ちに渡される
番号票を気にしながら相当待たされます。上記の写真で写っている
青椅子は待っているお客様です。


初めて来たお二人さんはテーブル汚れに使用されているトイレットペーパーで
悪戯しているので注意しました。食事マナーを守ってもらわなくては
我々の品位を落すことになる、と説明しました。


今回の屋台料理は海鮮料理を中心にオーダーする。
蝦蛄・ミル貝・ホタテ・トコブシを一人二人前以上注文して堪能させた。

        大蝦蛄を食べきった後の皿です。
朝食のお粥屋を含めて二日間の一人あたりのタクシー代・食費代・ビールを
含めて613HKドル代で抑えました。

ただし持ちこみの竹鶴ウイスキーは含んでいません。パートナーはほとんど
呑んでいないので私一人で二日間で一本空にしました計算になりました。

横浜の福富町に1950年創業BARクライスラー

先月、横浜の野毛から大岡川の都橋商店街を通りブラブラと
福富町のソープランド街を通り抜けて街を散策してきました。

独身時代(44年前)大岡川付近で得意先を交際費接待で
帰りに立ち寄ったオーシャンバー クライスラーを思い出しました。
その頃は金欠病で持ち合わせが少なくBARで飲むことも滅多に
ないしすっかり忘れていた福富町です。

福富町は当時も歓楽街で当時はトルコ風呂(ソープランド)・韓国料理店・
スナック・その筋の店一見様には見分けの難しい一角で
立ち寄ることはありませんでした。


福富町を明るい時間帯に通って気がついたBARクライスラー


BARクライスラー前にある酒屋は50年前にオーシャンウイスキー看板
現在は販売されていないし呑むことも出来なくなったウイスキー


ロンドン・ビーフィータジン看板も中々絵になっている浜屋酒屋

それにしても販売されていないオーシャンウイスキーの
看板・広告は横浜以外では見ることがないでしょう。


山手の次男宅に一泊する予定で泊まる前に桜木町から野毛を通り抜け
都橋からソープランド街をブラブラ歩き。


大岡川に沿って建てられた二階立て飲食店 都橋商店街を都橋上から写す。

昭和30年代に東京オリンピック開催が決定後 野毛の焼け野原で営業していた
飲食店を大岡川堤防沿いにまとめて入店させた二階立て飲食店。
一店舗8坪あるかないかの店です。


ソープランド石庭宮殿右並び20メートル先にこれから飲みに行く
BARクライスラーがある。

昼間の雰囲気と全く違っている福富町を伊勢佐木町に行く手前に
オーシャンバー総本店 クライスラーの看板が明るい。


周りのソープランドと違って歴史を感じる重厚な階段を上る。


高い天井の上にも飾られているインテリアに圧倒される。
44年前に友人に誘われて一度飲んだことがありますが当時の印象は
残っていません。湯上りでのぼせてボーとしていたのかなあ~


カウンターに座って左奥には時計6か所掛けられている。


時計は各国の都市時間が飾られメニュー表にはオーシャンウイスキーの
銘柄値段が分厚い板に彫刻されています。


クライスラーは1950年創業は65年前の計算になります。
当時はまだサンフランシスコ講和条約前で日本が独立国家に
なる前から営業している。

1946年この付近は焼夷弾で焼き尽くして最初に出来たのが進駐軍滑走路
伊勢佐木(若葉)米軍の飛行場があった、横浜市中区若葉町と
末吉町近辺で、施設名は「飛行場」である。

太平洋戦争後、米軍によって接収されたのが1945(昭和20)
小型郵便機やオートジャイロ専用の飛行場として使用されていたようだ。
当時の伊勢佐木町通り脇に飛行場があったとはビックリする。

沖縄の普天間空港と同じく街中にある状態だと思います。
話がそれましたが当時のBARは米兵が利用した飲食店なのでしょう。


歴史あるBARクライスラーのカップには全てロゴ入りになっていた。



トイレも至る所にワッペンが張られていたのはもしかしたら昭和20年当時に
米兵・進駐軍らが貼り付けた習慣を現在まで張り続けてきたのかなあ~

横浜には歴史の古いBARはたくさんあるがホテル・ニューグランドの
BARシーガーディアンは昭和2年(1927年)に次ぐ古いBARと思います。


工和会 賀詞交歓会で維新の党の おぎの稔氏と腕相撲

昨日の下丸子地区の工和会協同組合の話の続きを書きました。
下記のYoutube動画を観てから続きの写真・文章を読んで下さい。


友人にカメラで動画を撮ってもらいましたが画面の映し方が
へたくそで余計な画面(持ち手)が写っている。
音声が入っているので編集ナシで公開する。

工和会賀詞交換会には地元に関係のある議員が挨拶に次々と来る。
今回初めて会った維新の党の おぎの稔氏と腕相撲をとる。

若干26歳の若者で背丈・体格・スタミナには問題ない
健康優良児タイプの男で東京都都議会議員やなせ裕文秘書

 (後方で心配しながら見ている都議会議員やなせ裕文先生)

勝負は東京都都議会議員やなせ裕文氏の立会ではじまる。
しかし動画で見たとおり左右共に問題外の勝負。

横綱と十両が勝負すると言うよりも赤子の手をねじる程度で
やなせ裕文先生もあ然とした態度で口には出さないが
「勝負させない方が面子を保てた」と思っていたのが顔でわかる。

今日のブログはこれでお終いにしたいのですが撮った写真を掲載する



演壇で挨拶をまじめに聞く事のない雰囲気でも場の風を見通せないが
私も同じことが言える。口の悪い奴が(家内を含めて)
「聞いた・きいた・キイタ!何回しゃべるのだ」と言われる。



工和会新理事長になった平本叔之氏もスパー美人の前では
笑顔がグニャグニャに崩れてしまった。

渥美清よりも男前がさがってみえる。
それにしてもさすが舞台女優 浜田順子はいい女だ!

平本理事長の指を立てたのが小指でなくて品位が保てた。



下丸子の遊び人二人をはさんでご機嫌なコンパニオン

それにしても毎年同じコンパニオン女性は少なくとも8年は
会場に来ているので当時に比べると8歳は年寄りになっている。



昨日のブログで舞い上がるほど褒めた鈴木章浩都議と記念写真
考えてみたら毎年写していたが彼らは選挙活動の一貫である。



会場には共産党・社民党・左翼系以外の都議・区議が顔見世に何人か来る。
その度に名刺を配って顔と名前を覚えてもらう事を願っている。



腕相撲に負けた おぎの稔はその内に議員立候補する予定
せめて私の罪滅ぼしに宣伝しておきたい。

次回腕相撲に挑戦してきたら何時でも受けて立つ、心算だ。
翌日早速ネットてFacebookを通じてお友達になった。

下丸子の狭いアパートに住んで都議会議員やなせ裕文氏の書生をしている。
慶応大学卒業して掃除洗濯をかねた下働きが務まる下僕生活に
うちのセガレにも聞かしてあげたい。


下丸子地区の工和会協同組合の新年会

下丸子地区の製造業が情報交換・親睦を中心となって
昭和23年に結成された工和会がその後
昭和28年工和会協同組合として法人になる。

工和会協同組合主催が毎年9月には恒例のビアーパーティーに
800~900名近く集まる組織になりました。
昨年の司会もミュージカル 舞台女優 浜田順子さまが勤めました。

今年の賀詞交歓会の司会も浜田順子さんがボランティアで出演していました。
テレビ・コマーシャルにも数多く出演されているのです。
まじかで観ましたがさすが美人で目立つ存在でした。


下記のアドレスが彼女の履歴で出演した記録などが詳しく出ていました。
http://officeken.com/hamada-html/

http://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/F05-0069.html


前任者から引き継がれた新理事長の初めての新年の挨拶。


赤丸で囲まれた前任の菊地理事長は外国人技能実習生制度を導入した。

私もパン業界で制度を立ち上げたノウハウを伝授して以来、懇親を深めて
呑み食い友達になるがゴルフは下手くそなので誘わない事にしている。


大田区区役所幹部、上部団体の大田工連幹部をはじめひな壇に上がる。


      毎年恒例の樽酒を振舞う新年の行事。


   数分後遅れて大田区長の挨拶があり乾杯が遅れる。


新年の挨拶など長ければ長いほど誰も聞いていない、早く乾杯してくれ!


東京都議で一躍有名になった鈴木章浩議員 私の二人のセガレの大学先輩です。

「早く結婚しろ」とヤジを飛ばして議会が踊った事件ですが地元では
彼を問題にしないで応援している。


当時に比べて少し痩せた感じがするが暴言にくよくよするな。
インテリ・教師・日教組・自治労・労働組合・女・子供など前から票になっていない。

物造り製造業の社長・オヤジ・職人の家族票さえ押さえていたら大丈夫だ。


ミュージカル女優の浜田親子でパチリ!オヤジはもちろん製造業社長。
父親に似ていたら こんなに美人で愛嬌があり可愛い子に成らないはずだが・・
いずれにしても美人に生まれた子は得だ。

                    「美女と野獣」
に見えるのは誰が見ても了解してもらえるが
バリバリの製造業の現役社長です。

美人と写している顔と普段の顔つきは全く違い知らない人には
凄みがありそばに寄れない雰囲気をかもし出している。
工和会の成年部幹事で身長、体重も全て巨漢、ヤクザもよけてくれる顔付。

当社にきて「ビアーパーティーに菓子パン400個以上を寄付してくれ!」と
凄みを利かせて当社事務員を脅かしに来たことがあるが・・寄付した。

しかし腕相撲では左右共に俺の方が強い2勝0敗
(自慢話)



工和会協同組合も出資している都南給食からのケータリングしてもらう。

普段は工場給食用弁当を出前しているので食材はそれなりですが
誰一人不満を言わないでつまんでいる。
私も普段は屋台のツマミで十分満足しているので問題ない。


菊池元理事長が8~9人連れて池上駅近くのスナックで打ち上げに付き合う。
酔いが回って帰宅準備に支払った勘定は菊池氏と二人?・・三人かで
出しあってケリをつけた。久しぶりに深夜の帰宅になった。




業界の新年会について

1月には新年会・賀詞交換会を含めて毎年6回も開催されています。
昨年は東京パン連盟を代表して全て参加していました。

今年は体調不良(1/13)と,1月末の重なっている新年会欠席で
4回出席2回欠席となります。2月には茨城県で関東ブロック会が
開催されますが予定は未定にして保留しています。

毎年楽しみにしている新年会の一つに私と友人の上○様の
都パン商工(協)は隠し芸と言うより本業にちかい芸を
披露してくれます。

木村屋の系列であった浅草橋出身3代目のオーナーと
同じくパン業界のオーナーが本格的なジャズ演奏をしてくれます。

浅草橋のオーナーは中学生時代から芸者遊をしていたこともあって
隠し芸は数限りなし、楽器はボンゴ・トランペット・クラリネットなんでも
出来るし芸達者で最近はお座敷が掛かればどこにでも
出張する。と話していました。

本業よりもバンドマンとして人生を楽しんでいることに驚いてしまう。
後継者がいないので隠し芸が本業になったので明日は横浜のホテルでの
新年会に声がかかり出かけると話していました。

私は70歳を過ぎてからの晩年は好きな酒を飲み歩く事しか出来ないので
隠し芸のある方はうらやましい。


3名の女性を引き連れてジャズ演奏・懐かしのメドレーなど数曲演奏。


軽快なフットワークはパン屋のオヤジには見えません。


得意のトランペットで数曲吹いて得意絶頂になり拍手喝采。

最後は生演奏でのカラオケになりピントはずれな歌い手に合わせる技も
たいした役者だ。


目黒叙叙園の中華料理についてのコメントは致しまっせんが
上海焼きソバだけは私の嗜好にあって旨かった。


下記の文章・写真は新宿京王プラザホテルで開催されたパン業界の総本山
全日本パン協同組合連合会新年会開場 受付


新年会が始まる17:30ですがその前の午後12:00から役員会・理事会
新年の業界講演会、質問のやり取りで新年会の懇親会が始まる
午後5:30までには疲れもたまり参ってしまう。


会長挨拶・農林省挨拶・業界代表挨拶・国会議員挨拶・乾杯挨拶まで40分間
かかり立ったままでは脚がくたびれてしまう。


今年の講演会は農林省指導の異物混入防止のHACCP普及について
硬い話でついつい目が閉じでウトウトなってしまう。


日本パン工業会の会長挨拶が終わってやっと酒が飲める。

新年会は1月末までにあと1回参加すれば済みますので体力を付けて
頑張ります。

創業103年目の広東料理店 華香亭はレトロ昭和時代。

横浜・本牧通りから一本裏道に大正元年・1912年創業で
今年で103年目を迎える広東料理店 華香亭で夕食をしました。

横浜中華街の数年前には250店舗と書かれていましたが
現在は400軒ちかくあると、人づてに聞きました。

それにしても創業100年以上の中華料理店は横浜でも少ないでしょう。
店名は同じでも経営者が入れ替わったりしていますから数少ない。

昭和の戦前・戦中・戦後を生き抜いて現在に至っている店の外観
内装はレトロ昭和時代にタイムスリップした居心地です。

これから書くことは私が過去に読んだり聞いたりした横浜本牧物語
消えた横浜娼婦たち」は過去ブログにパートー1から8まで
詳しく書いています。

本牧は戦前はチャブ屋(外人専用ホテル)が集まっている
歓楽街で各国の船員が船の荷おろしが終わる7日~10日間
チャブ屋の若い女性と一時的にホテル住まいできる一角でした。
       (当時はコンテナ船がない時代)

昭和12年レコード発売の淡谷のり子「別れのブルース」

窓を開ければ港が見える メリケン波止場の灯がみえる
夜風・潮風・恋風のせて 今日の出船はどこに行く
むせぶ心よ はかない恋よ  踊るブルースの切なさよ


腕にイカリの 入れすみ彫って ヤクザに強いマドロスの
お国言葉は違っていても   恋には弱いすすり泣き
二度と逢えない心と心  踊るブルースのせつなさよ
(呑みながらブログを書いたりPCを見ている時にYoutubeで
淡谷のり子別れのブルース、 宇崎竜童の夜霧のブルース
時々聴くことがある)

別れのブルースに歌われている詩は船乗りと数日間過した
恋歌を本牧チャブ屋の窓から見つめている場面なのです。

当時は日本語よりもアルファベットで書かれた広告、看板が多くあり
租界の雰囲気がある地区だと思います。海岸付近は海水浴もあり
長閑な漁師町だったと思われます。

戦後はGHQが特別地区としてアメリカ軍GI(進駐軍)の遊び場として
栄えジャズの聴こえる飲食店・ダンスホール・バーも多くあり
兵隊相手のパンパンも多くいたと言われています。

私が28歳ごろまではマイカル本牧付近はあたり金網の向こうは
一面緑の芝生に覆われた外国・アメリカで羨ましい別世界でした。
そこはアメリカ海軍上級士官の家族達の住宅地でした。

話がそれましたが本題の華香亭に戻します。


夕方5:30頃に写した写真。外観は外国人にも解るアルファベットで店名が
書かれています。


ローマ字で店名が書かれているのは横浜では珍しいことではありませんが
戦前・戦後のチャブ屋の客・米軍兵士などで栄えた時代の名残と思いますが・・


本牧通りから一本中に入った通りで観光客には縁のない華香亭
横浜在住の方にはわざわざ来店される常連さんもいるのでしょう。


60年間時間が止まってしまった雰囲気いいですね!
なにしろ大正元年開店されているので初代のオーナーは
関東大震災では大変な思いをされているはずです。



横浜中華街でも見慣れない店造りはレトロで
今後も模様替えはしてもらいたくない

正面の骨董品はラジオに見えますが次回訪問する機会に
確認しておきます。


メニュー表もありますが香港でも古い料理屋は壁・柱などに書かれています。


私の好きな蒸し鶏を注文しましたが白ネギを2倍にしてもらい再度注文する。


海老を詰め込んだ一品は1800円ほどしましたが品名は忘れた。


写真は五目がたくさん入っている酸辣湯麺は他店と違って好きになった一品


焼ソバにはスープ付きで味よし 満足して帰宅できた。

広東料理店の庶民的な老舗「華香亭」より本牧チャブ屋に
文面が片寄り横道にそれてしまいました。


猪瀬直樹「さようならと言ってなかった」を読み終えて

十数年前に道路公団改革に力を注いだ猪瀬直樹の講演を
わざわざ聞きに行ったことがあります。

その後、記憶には猪瀬氏の講演会に数回行ったことがありますが
彼の作家としての代表作「ミカドの肖像」は読んでいません。

理由は私は恋愛小説、純文学それにちかい作品は読んでいるうちに
眠気がしてきて刺激がないからです。

猪瀬直樹の政治力、官僚との駆引き、道路族の国会議員との戦いで
道路族国会議員からは「熊は通しても猪は通すな」と言われたそうです。
東京都知事の実績などは目を見張る業績を残しています。

しかし石原元都知事からのバトンタッチに民俗派団体 一水会の
木村三浩さんから紹介された徳田虎雄理事長から借入金5000万円事件で
都知事を退任したことには残念でならなかった。

選挙には何が起きるか分からない出来事の為に借りた資金、今思えば
たった5000万円の金で・・それなりの経営者ならば、はした金にしかならない。

今回買った「さようならと言ってなかった」で詳しく書いて反省をしていました。
結論は行政能力、政治力は抜群でしたが政治家としては素人でした。

今の舛添都知事など中国・韓国訪問など都民にとって胸クソが悪い。
  (法人税と共に都民税・事業税を毎年納税している)
猪瀬元都知事に比べて何もかにもが違っている。


2020年東京オリンピック誘致で各国を訪問している最中に奥様を脳腫瘍で
亡くなったことは後日発表した。そして5000万円の真実が詳しく書かれている。
彼にとって5000万円は必要ない、はした金でした。


猪瀬直樹氏からもらっていた筆書きのサイン


八瀬童子の事は昭和天皇崩御で聞いたことがありますが
今回の動機で読んでみたい。

「昭和16年夏の敗戦」も興味がありますが・・・
「ミカドの肖像」の資料集めから一冊の本にした「昭和16年夏の敗戦」

猪瀬氏の5000万円は返す返すも残念で仕方がない。

わが愛 わが罪 猪瀬直樹「さようならと言ってなかった」
是非再起して作家活動を続けてもらいたい。