下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -7ページ目

宇崎竜童ショー ライブハウス「フライディー」に出かける

横浜は日本で初めて本格的にジャズが聴けた街です。

今でも異国情調ある港町ジャズバンドが生で聴けるライブハウスが
40ヶ所以上ある地区は日本では横浜だけでしょう。

戦前・戦中・戦後を通じて活躍したバンドマンをはじめジャズ歌手を
多く育てたのは横浜・本牧・横須賀が中心ではないかと思います。
(私は1940年代の上海租界に似たところあると思っています)

ナイトクラブ全盛の頃のジャズ評論家の大橋巨泉も横浜で育った。
南部文雄・日野皓正・秋吉敏子・渡辺貞夫・ハナ肇・谷啓・安田伸
石橋エーイタロー等など数え切れないジャズマンが生まれています。

私の大好きな 宇崎竜童も横須賀・横浜の米軍基地を中心に
厚木・立川・横田・御殿場基地を回っていたと話していました。

宇崎竜童は作曲家としても又奥様の作詞 阿木燿子と山口百恵の
ヒット曲は数え切れないほどあります。
もちろんリーダーをしていたダウンタウン・ブギブギバンドは
数々の大ヒット曲が多くあります。

今回は横浜中区長者町でのライブハウス フライディー
宇崎竜童のライブコンサートが開催される張り紙を見つけました。

フライディーは80名ちかくしか入場できないライブハウスなので
広告宣伝などしていませんしチケット販売もありません。

宇崎竜童は横浜が第二のふる里で自分のギャラを度外視して
地元横浜在住の浜ッ子の為のライブを開催したとのことです。
宇崎竜童が売れない頃からフライディーのオーナーとは
親しい間柄でライブが実現したと聞きました。

ライブハウス フライディーは横浜本牧のクレージー・ケン・バンド
横山剣がデビューした発症の地です。彼のライブの予約は電話受付
してもチケットは中々取れないプラチナチケットになっているそうです。

100名入場できるかできないかのライブハウスなので当り前でしょうが
宇崎竜童も申し込み時点で締切になっていました。宇崎竜童は

今は赤坂の住人になっていますが横浜・横須賀に住んでいたので
よほど横浜が好きな街なのでしょう。


横浜中区のライブハウス フライディーに貼られていたチラシ


ライブハウス フライディーはビルの三階にありますが目立たない階段です。


ライブハウスは出演していた歌手・バンドの写真が壁に多く貼られていて
横浜独特の雰囲気が保たれていた。


ライブハウスの雰囲気が出ているバンド演奏前の感じです。

宇崎竜童クラス大物は過去には2000人以上入れるコンサート劇場で
何回も開催しています。しかしライブで聴く・見ることは雰囲気は全くちがいます。

今年、家内と山下町の神奈川県民ホールで五木ひろし50周年コンサート、
ヒット曲「ヨコハマたそがれ」を中心に歌っていたショーを聴きに行きました。

会場には数千人の観客を相手にうたっていましたが
これは、これで行って良かったと思っていますがライブとは雰囲気は全く違います。


演奏が始まる前の写真は写せますが宇崎竜童が会場に入った
瞬間から撮影禁止になっていますので演奏は写せません。


ライブハウスは演奏の始まる前に飲食できます。
飲み物はワイン・ビール・ウイスキーなどなんでもあります。

私は焼きたてのピザを食べましたが美味かった。
それと生ビール・シングルモルト・スコッチウイスキーをチビチビ呑んだ。

もちろん曲を聴きながら好きな飲み物を追加しながら聴くこともできます。
ついつい曲を聴きながら飲みすぎる傾向がありますので
少しだけふところを気にする必要がありますね。


テレビで聴くヒット曲とライブで聴くのは限りなく差が大きい。
お客との会話、手拍子の仕方、相うち、などなど抜群の演出にビックリした。

スタイルはスカジャン(横須賀ジャンパー)には龍と鷲の刺繍にTシャツ、
ジーパンスタイル60歳超えた感じはないが口髭は切り落としていた。

もちろんレイバンのサングラスを掛けていたが理由が分かった
顔前には客席に分かる様に超明い電球が顔に当たっているのでまぶしい。

聴いているお客との、アウンの呼吸はライブでしか感じ得ない感覚でしょう。
それがなければ超一流の宇崎竜童クラスがわざわ小さなライブハウスまで
出演に来ないでしょう。

わざわざ横浜まで来て小さなライブハウスで歌うのは異国情緒ある港町の
雰囲気を次回の曲に取り入れるためでないかと勘ぐりたいと感じた。

横浜に住んでいなければ絶対に聴けない、観れない宇崎竜童ショーでした。
今年75歳になりますが好きな横浜に住んでいて良かったと感じた一日でした。


ぴおシティーの横浜ラーメンで昼食をしました。

午前のYMCA入学式式典を無事に終わり桜木町駅まで歩いて行きました。
昼食時間には普段食べたくても帰宅時間帯には早すぎて
寄れない店に行くことにした。

15:30~16:00ごろは「横浜ラーメン」のある手前右側の
「はなみち」で立飲み時間調整してから市営地下鉄で帰宅しています。

「横浜ラーメン」はぴおシティーオープン以来の歴史は古くても
由緒評判を聞いたことない無名のラーメン店です。
創業50年経っていますが繁盛店ではありませんが潰れていません。

通りがかりいつ見ても時間帯の関係かお客が食べている風景は
滅多にいません。店主は推定年齢75歳前後にみえますが聞いていません。

店主がオープン当時25歳としても今年で75歳になる計算になり
昭和時代の面影が残っている雰囲気のレトロなラーメン屋です。

しかし決して旨いとほめられる繁盛店ではありませんが
ポツポツのお客でもっている つぶれないのが不思議でなりません。

場外馬券場・場外競艇・競輪・オート場外売り場の入っている事で
営業維持できているのでしょう。

ラーメンは滅多に食べることがありませんがチャラナ君には教えておきたい。


50年間リニューアルなしに営業を続けている昭和時代のラーメン屋


看板メニュー表は壁に貼り付けしていますが価格は消されています。
張り替えるにも費用が掛かるし売上もたいした事がない店と察する。


50年間ラーメン一筋の人生でしょう。体のぐわいで動作も遅く、
あと何年商売できるか他人ながら心配しながらオヤジの手先、顔色、
腰の曲がりを見ながら出来上がりを待つ。


大鍋にスープをグツグツ煮込んでいる匂いはおいしく感じる。


出来上がるまで厨房をジロジロ見ていると手の届く範囲は掃除していた。


しかし腰が曲がって手の届かない照明器具には問題アリ。
照明器具の傘のペンキがはげているのは仕方がないがホコリが
たまっているのはいかがなものか、と思う。


チャラナ君にはラーメン、私はタンメンを注文する。
ラーメン屋でタンメンを知っている若者はいるかなあ~

ついでに餃子を一皿注文したらラーメン屋のオヤジが厨房を出て
左斜前の中華料理屋にノコノコ出かけるのが不思議に感じた。

斜前の中華料理屋に餃子を外注してオヤジが取りに行くシステムに
私はびっくりしてしまいました。

年取ってから餃子の具を作ったり焼いたりする手間が出来なくなり
苦肉の策で商売敵に頼んでいるのでしょう。笑いたくなるシステムですが
当人は真剣に考えた結果背に腹は変えられない心境でしょう。


初めて食べたラーメンは旨かったと話していましたが真実はわかりません。


食べかけてからの写した写真です。タンメンとはラーメンスープで
ニラ・モヤシを湯であげてスープ共にラーメン用ドンブリで仕上げる。

最近のラーメン屋で食べたことないのでタンメンは昭和30~45年当時は
町中の日本式・中華料理には何処にでも有ったメニューでした。
しかしタンメンはイマイチで二度と食べる気にはなりませんでした。

横浜ラーメンをはじめ
昭和は遠くなりにけり、ですが私の歳と同じく消え去るのみになっています。

横浜YMCA入学式に参加しました。

チャラナ君の入学式は関内のヨコハマスタジアム前の
YMCA日本語学科の場所ではなく桜木町の紅葉坂を上がりきった
途中の神奈川県音楽堂で開催されました。

私はまったく知らなかった事ですがYMCAには
川崎・厚木・横浜の三ヶ所に専門学校が4校あることを知りました。

セガレ二人の高校・大学入学式には親は誰も行っていませんが
スリランカから来日して数日しか経っていませんので行き方は
説明しても理解不可能なので朝から同行しました。

事業経営現役を離れたので出来ることで老け込むことができません。
多少・・普段の生活に変化が出来て刺激を受けることがあります。
ボケ防止になれば一石二鳥になれば、と思います。


神奈川県立音楽堂は営業利益採算を度外視しているのでお役所仕事の
典型です。広大な敷地に贅沢な施設は市民をはじめ私の固定資産・住民税・
不動産取得税・自動車関係税などもろもろの税金を支払って建てた物件です。

早く民間に払い下げて横浜市民にかかる税金を少なくしてもらいたい。

今回の神奈川県知事・横浜県会議員・市会議員の選挙は必ず投票に
行きますが三ヶ所共に党派に関係なく白紙投票で抗議を表します。
こんなどうでもよい くだらない選挙で当選した地方議員など馬の糞です。

地方議員は職業化して高額所得・活動経費を税金で負担するのは
税金の無駄遣いで辞めてもらい。無報酬でボランティアでやるべきだ。
立候補できない金のない奴は出てくるな!

金集めできない貧乏人立候補者は組織で集めてたてればいいのだ。
我々民間人は業界の公職についていても無報酬が当たり前です。


横浜市民にとって利用回数統計を取ってみたら限りなくゼロにちかい設備


チャラナ君の実家の生活は決して豊かではありませんが生活態度
躾・行事などに対するTPOをわきまえているのは元イギリス植民地での
影響もあるのではないかと想像しました。

日本語専科には15カ国の人種が在籍している、と話していました。
現在の在校生は200人と説明していただきました。


4箇所の専門学校の入学式に参加した新入生です。


私のセガレは同じイギリス・プロテスタントのキリスト教系の
○○学院大学を卒業していますが今はまったく影響を受けていない
完璧な無神論者ですので無駄金を長い間払い続けました。

取引先の関係で
クリスマスには「コリント信徒への手紙」 第13章を神父の長い説明を聞き
聴いたことのある「いつくしみ深い」の賛美歌を歌わされた。

私は仏教徒、天台宗なので違和感がありますが、これからお世話になるので、
騒ぎ立てて宗教には騒ぎ異議は申込みませんでした。


香港のソルベリー通りになるYMCAホテルは数え切れないほど利用していますが
横浜YMCAは初めてお世話になる施設です。しかしキリスト教に感化される
ことなしに過ごしたいと思っています。

それにしてもYMCA理事長のヒゲは立派でした。
私も商売で頭を下げる事もなくなりましたので家内の了解があれば
コールマン髭でも生やしてカッコ付けインテリ教養のある人物にみせかけて
上から目線で屋台巡りで、ヒゲのオッサンで威張ってみたいです。


YMCAスポーツ専門学校の入学生歓迎の行事風景

入学式は在校生の歓迎会を含めて盛大に開催されて12:30に終わりました。


野毛を通って市営桜木町駅についてから ぴおシティー地下にある
創業50年経っている昭和時代の雰囲気ある横浜ラーメンで昼食した。

後日「横浜ラーメン店」で食べた珍事を書く事にした。
滅多にみれない写真を公開いたします。

スリランカから若者がホームステイにきましたー3

チャラナ君の横浜YMCA日本語学科への手続き、4/3入学式
4月7日 火曜日のオリエンテーションまでは同行することにした。

毎回チャラナ君に関する話題になってしまいますが会社実務から
離れて暇ができたからです。数年まえまで設備投資、資金繰りをはじめ、
人手集め飛込み営業など働きづめの52年間でした。

毎日、家にこもってテレビ、ラジオを聞きながら過ごしていたら
ボケ・アルツ・体力減退・孤独に最悩めること間違いない。
これからは会社出勤は週2~3回にして机が無くならないようにしたい。

今年は毎月、北京・香港どちらか出張が多くなる予定ですから
ボケ防止と体力は落とさないで健康を維持したい。

これからは現地で働く日本人若者・矢○工場長をはじめ汗かいて
頑張っている社員に酬いてやることが大事だ。

国内に居る時にはチャラナ君を留守番役にして書生替わりに
掃除・洗濯・食事手伝い庭掃除など手伝ってもらうことが多くなるだろう。

今まで昼食を共にした食堂で食べた料理を公開する。

Facebookなど見ていると勤労者が食べることの出来ない料理屋、
レストラン料理を どうだ参ったか!と写真入りで書いてあるが・・
私には好きになれない性分なのです。


日本に来て私と最初に食べたのは牛丼の松屋です。
自動販売機の使用方法を教えたり、つり銭の出し方などです。

今回は特別にプレミアム牛めし大盛り520円
私は酒を飲む都合で並盛りより小さい丼240円で済ました。


翌日の昼食は横浜山下埠頭中まで連れて行き海で働く肉体労働者の多い
波止場食堂に連れて行く。鈴江組関係者の労働者が多くいた。


一品料理のご飯の量はチャワン2杯分以上入っている
日本蕎麦のメニューには一人前ソバ二束使用と書かれていました。

私はカツカレー570円 チャラナ君はカツ丼510円
二人共にご飯が全部食べきれづに残してしまった。

ここの波止場食堂は社団法人波止場食堂 理事長は横浜港を
仕切っている藤木企業(元藤木組)の藤木幸夫オーナー

彼は神戸の甲陽運輸のオーナー故 田岡満(山口組)をとても尊敬して
いることを自叙伝に公言して後継者の田岡オーナーと公私のお付き合いをしている。


初体験の社員食堂ですが一般人でもいつでも入ることができます。


箸の使い方は下手くそで早食いさせる為にフォークを使わせた。


3日目は私の好きな店でインドカレー850円を食べさせる。


大桟橋交差点角の広場で隣の教会にある満開の桜に感激していた。
帰りがけにディリーヤマザキ・コンビニで130円の新商品 豆大福を
買って帰り二人で食べる。

食生活は彼に妥協しないで徹底的に日本食一本で生活させる。
自宅では彼が持ってきた十種類のカレースパイスを使わせて
食べさせて貰うことになっている。

スリランカから若者がホームステイにきましたー2

3月29日 スリランカから若者が来日しました。
昨日までは我が家で日本の習慣・しきたり・約束事などを教えていました。

横浜市中区の横浜YMCAまでの横浜市営地下鉄関内駅まで往復して
行き場所を教えた帰りに山下町のスリランカ人オーナーのBAR
ラッキープレイスで一杯飲んでコロンボの高校時代の話題に華が咲ました。


BARラッキープレイスを出て横浜開港記念館(ジャック)のライトアップに
見惚れてフラフラしながら市営地下鉄 関内駅まで歩いて行く。

ただし私の前ではビールも飲まないで紅茶で済ましている。
ラッキーに言わせると身内の高齢者の前では酒・タバコは吸わないそうです。

もちろんタバコはスリランカの産業ですが彼は吸った経験はないそうです。


ベイスターズ・ヨコハマスタジアム前にある横浜YMCAの場所は昔から
知っていましたが学内に用事がなかったのでスルーしていました。

香港のYMCAホテルは便利な場所にあり清潔な室内なので度々利用しています。
地元、横浜YMCAはスリランカと縁ができて詳しく知ることになりました。


学内を暇つぶしに見て歩きましたら教会・幼児・子供・少年・青年・中高年など
たくさんの行事、教室があり充実した内容でした。


YMCA9階建ての8階が日本語学科・事務所のある階です。


学生サロンの休憩場所からはヨコハマスタジアムの全景が丸見えになっていた。


今回の入学者80名(?)の最初はクラス分けの試験日で私も同行しました。
日本語検定5級以上の合格者でないと日本入国はできません。

彼は一様5級取得で来日しましたが各国のレベルにばらつきがあるので
レベルに合わせたクラスに分けられるのでしょう。


3クラスに分けての試験に挑戦している当家の書生チャラナ君は赤丸で囲んだ。


横浜YMCA日本語学校を選んだ理由の一つは立派な
スポーツジムが設置されているのが魅力だ。

下手な五つ星ホテルのスポーツジムより充実していて幼児から高齢者まで
アドバイサーが指導してくれる。


書生チャラナ君はスリランカでは超アスリートで
ラクビー部に所属していて全国大会三度も出場していて、尚且つ海外遠征
マレーシアまでも遠征していた。日本で言えば甲子園連続三回出場に相当する。

義務教育は全て国立で小中高学校生徒は5200人いて
彼は生徒副会長を歴任していた。

昨年3月に訪問した時に校長先生は日本人個人で
ホームステイ申し出た例がないので人選には慎重に選んでくれたのでしょう。

高校時代は日本では禁止されていますが三年生を留年してラクビー出場。
そのために19才の秋に卒業して今年20歳で来日したことになります。

言葉使いは丁寧で躾の出来た若者ですが少年の面影が残っていて
家内も私に小言を言っていたが、素直な子なので一安心した。


50m本格的な温水プール設備もあり学生はジムを含めて無料で利用できる。
彼も小学生時代の水泳成績を持参してきていますが立派な成績でした。


YMCAレストランは日本語学科の学生以外の来館する方々も多い。
しかし彼の試験が終わる昼食時間は
近くの行きつけの旨いインドカレー専門店モハンに行く。


850円のランチにヨーグルト・サラダ・チャイ・チキンカレー・焼きたてナン
横浜付近のインド料理モハンはナンバー・ワンだと自他共に評価する。


横浜YMCAでのクラス分け試験が終わって時々利用している関内駅
イセザキモール近くのインド料理モハンで850円のランチ定食を食べる。

インド人の店員が彼に英語で、質問していたが
顔立ちは南方地方のインド人と言っても通用するよ、と言われていました。


最後に付いているホット・チャイを飲むついでに
食後にインドにしかない、好きなスパイスで口の中をすっきるさせる。


食事精算と同時にレジ横にあるスパイスを余分にチョンボして
ナプキンに包んで堂々とポッケとに入れる。

店員は、いつもの事で多めに見てくれている。
このスパイスはどこにも売っていない貴重な口直し香料です。

考えてみたら最近の我々のゴルフ仲間(4名共に)のプレーは
自分中心で球は動かすしオサワリするし、打ち直し(モルガン宣言)
パットはOK出る前に拾い上げるし、
文句を言うと、俺がルールブックだ!と捨てゼリフ。

店に置いてあるスパイスごときを多めにとって文句言われたら
売上が落ちることは間違いないので地元民には文句がでない。


スリランカから若者がホームステイにきました。

3月29日スリランカ国コロンボ市から昨年9月に高校卒業した
若者が来日して来ました。

定期的に開催していた視察団で中国昆明市からスリランカ訪問の
案内がきたとき参加希望を表明した折に
小中高等学校視察を加えていただきました。
理由は過去に書いたブログを参考にして頂ければ理解していただけます。

私の二人のセガレも家庭を持ってそれぞれ独立したので
6LDK自宅に家内と私の二人だけで家庭内別居を続けていました。

事業経営の実権もセガレに譲って今はお飾りにちかい状態です。
生活にも少し余裕も出来て刺激のない家庭生活が続いていました。

家内に相談しないで思っていたスリランカの向学心のある若者を
書生のつもりで預かることを決めてしまいました。
家内は事あるごとに「勝手なことを私に相談なしに決めた」と
泣き事を度々言っていました。


成田空港は以前に比べて警察官の多さにびっくりしました。


11:45到着予定が2時間ちかく遅れて到着しました。通関・税関検査では
若者の検査が厳しくゲートから出てきたのは14:30になり待ちくたびれた。


            最後の最後に現れた。


たくさんの荷物を運ぶために家内同伴で迎えに行った。
家内が思っているより好青年で少年の面影が残っている素直な若者でした。


私の座るテーブルに座っているチャラナ君
スリランカ・ウイスキーのプレゼントをもらった。
ヤシの実で作られた蒸留酒でフルーツ(甘味)のあるブレンデットウイスキー

こちらは飲めればブランドにこだわらないので問題ない。


横浜を中心に知っているBARに置いていないめづらしいウイスキーなので
当分、一本は口つけないでとっておく。


酒の肴に見たことないツマミをお土産にもらった。

過去に書いたブログを貼り付けする
2014年01月30日 06時40分00秒

3月は親日国家スリランカを訪問します。

テーマ:旅行記

2月は大気汚染で問題になっている北京に滞在予定をしています。


滞在中はパン工場の設備投資を含む前向き投資について

総経理、工場長、日本人スタッフとの打合せ会議が予定されています。


3月は現在募集中の徐視察団に参加して中国、昆明からスリランカに

入国して企業視察、株式取引所及び教育機関施設(小中高校)

日本からの進出企業等々を物見胡散で見学してきます。

電話:03-6867-1252 FAX:03-6862-4760
http://keika-corp.co.jp/ 「徐さんの中国株」


スリランカはとても親日国で日本企業も多く進出していて、先日テレビで

見ましたが欧州から受注した大型客船もスリランカのドックで造っていました。

教育が確りしていて英語圏内で経済発展も他国より発展の余地あり。


帰りには1940年時代 魔都上海の外灘・日本人租界探訪と屋台巡り。


今回のスリランカ訪問のキッカケは私の行きつけBARのオーナー

スリランカ人です。そこのバーについては過去に数回ブログにも書いた。


ラッキープレイス 」1970年代の雰囲気のバーで異国情緒な港町の

BARの代表になるでしょう。

http://ameblo.jp/tozando/day-20130508.html


ホテル・ニューグランドのBARに来た欧米人が混み合っている時に

バーテンダーがわざわざラッキーに連れて行き紹介しています。


理由は安心して呑める事、一元客でもボッタくられない、

ラッキーは英語、日本語の会話できるインテリで安心。


 
 

話がそてましたが

ラッキーが時々母国のスリランカの話をするとから始まりました。

話の内容は下記の事柄で終戦後日本が独立する過程で


日本五分割案が検討されていた時に

スリランカ初代大統領になったジャヤワルダナが


講和条約の演説によって、日本の侵略や被害で「日本憎し」で

集まっていた国々が、ハっと我に返って、

日本を自由諸国陣営の独立国に取り込む方向へ流れができたという。
 
 スリランカのジャヤワルダナの(講和会議での)スピーチについては、

日本ではあまり紹介した記事を目にしない


貼り付け

サンフランシスコ講和会議 スリランカ代表スピーチに救われた。


敗戦後、日本が独立するため行われたサンフランシスコ講和会議には、

ソ連が日本の主権制限案を提案したり、

議事進行を妨害するために32人の代表団を送り込んきた。


 そのどぎつさには、今聞いても「汚ねえことする!」と腹が立つが、

その講和会議には主席全権に

吉田茂、補佐官に池田勇人、宮沢喜一が出席し緊張と不安の中に開会された。





  是非クリックして読んでください↓(日本統治についてスリランカとの関わり)

http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-affb.html


スリランカ行きに興味をいだいたのは以上のことでが

今日の日本の発展につながったスリランカ国に協力できる方法を

模索して出来ることは何か・・・考えています。


明治、大正、昭和初期にアジアの発展に尽力し国士舘大学創設者で

時の政治家にも影響を与えた偉大な人物、私利私欲のない

頭山満先生の千分の一、万分の一でよいから貢献したい。
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2014年03月25日 06時40分00秒

スリランカのジャヤワルダナ元大統領が日本を救ってくれた。

テーマ:私の人生
過去のブログと同じ事にふれていますが私にとっては
大事な事なのでテレビで一部放送された部分も張り付けました。

今回の視察団が訪問したスリランカ訪問に現地の高等学校訪問を
お願いしていました。現地の義務教育は6歳から18歳まで

日本でいえば高等学校卒業までが義務教育となっていました。
児童、中学生、高校生一同に会えてとても勉強になりました。

(ウィキペディアより)
日本との関係[編集]
閣僚・首相・大統領としてたびたび訪日、更に政界引退後も日本を訪れている。また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど日本とスリランカの交流に尽力した。1989年、昭和天皇の大喪の礼に本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。既に肩書きは「前大統領」だったが、元首級参列者・大統領同格の国賓として待遇された。1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学している。1996年、死去に際し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られた。
(貼付け終わり)

下記の動画は日本人にとって是非知ってもらいたい大事な動画です
上記のYouTobeは日本を救ってくれたスリランカ国が
1951年サンフランシスコ講和条約での日本を救った名演説の解説


当時ソ連は北海道・東北6県を国境に定める為に35人参加させて講和条約で
スリランカ案の反対妨害を企てたのですが各国の流れが変わったという事です。

ジャヤワルダナ代表の15分間の演説で戦勝国アメリカ・イギリス・中国・ソ連
各国の流れが変わったことで現在の日本の発展につながっていった。

ホテル・ニューグランド近くの行き付けのBARラッキープレイス
その奥に同じくBARスリー・マテーニィーいずれも行き付けの店。
横浜港の各国の客船の霧笛も聴こえる異国情緒ある山下公園近くです。



ラッキーさんにスリランカの日本人の知らない話は聞いたことが
ありますが「明日スリランカ旅行をしてくる」と話したら

たまたま早かったので他のお客がいない事を良いことに
サンフランシスコ講和条約で演説したジャヤワルダナ元大統領の孫と
高校生時代の同級生で泊まりに行った事もある友人でした。

この写真はお客様には誰にも見せていない大事な写真です。
左端の赤い○が青年時代のラッキーさんです。

大統領の孫の結婚式に招待された写真ですが正面を向いて
歩いている大きな赤い○がジャヤワルダナ大統領夫妻、
一歩後ろの男性は後に首相になっか方、右端は大蔵大臣と話していました。


   (ラッキーの奥様が写してくれた写真です)

ラッキーさんのお蔭で日本人が知らないスリランカ国の大事な事を
知りスリランカ国訪問できたことに感謝しています。

帰国後もジャヤワルダナ大統領についてネットで調べていましたが
新しい発見もできました。

小説での邱永漢著書や戦前の出来事に時々登場する戦前の国士と言われ

私が尊敬している 頭山 満の「アジア主義者の巨頭」と
言っていた気持ちが理解できる様になりました。


私の今の心境は、小さなことでもなにか恩返しが出来ることが
なにかあるのでは・・という心境になってきました

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(貼付け始め)
[スピーチ抜粋]
アジア諸国民が日本は自由でなければならないということに感心を持っているのはなぜで­ありましょうか。
それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で­日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷­従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。
私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、­インド及びインドネシアの指導者のあるものがかくすることにより彼らの愛する国々が解­放されるかもしれないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出­来事を思い出すことができるのであります

空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な軍隊の駐屯及びわれわれが連合国に対して天然­ゴムの唯一の生産者であった時、われわれの主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめたこ­とによってもたらされた損害はわれわれに対してその賠償を請求するつもりはありません­。
何故ならばわれわれは、そのメッセージがアジアの無数の人々の生命を高貴ならしめたあ­の偉大な教師の言葉すなわち『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によっ­てのみ消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。
それは偉大なる教師であり仏教の創始者である仏陀のメッセージであります。

故にこの条約の目的とする所は、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日­本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して自らの軍事的防衛力を組織するようにす­ること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること並びに日本経­済に害を及ぼすようないかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することでありま­す。
Full
(貼付け終わり)
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2014年03月16日 06時40分00秒

スリランカ国立 小中高校一貫教育を視察しました。

テーマ:私の人生

スリランカ国の訪問の一つに小中高校の義務教育を視察することでした。


公立学校は6歳から18歳までの一貫教育の12年間同じ学校で学びます。

1年生(6歳)~12年生(18歳)という言いかたで表しています。

学費・教材費など一切無料なので貧しい家庭でも安心できます。


こちらの義務教育では各国の言葉の読み書きの選択教室別に分かれています。

日本語を学ぶ教室にはたくさんの生徒がいます。


学年が進む度にひらがな・カタカナ・漢字などに進んで行きます。

訪問した10歳児(小学校4年生)ですでに日本語を勉強しています。


親日関係では台湾と同じ、又はそれ以上の親日国家である事を改めて

知る事が出来ました。

民族間の内戦が終結してから中国企業が多く進出していますが

スリランカ人の本音は日本企業の進出を多く望んでいます。


今回の学校訪問のきっかけは、横浜山下町で船の汽笛が聴こえる

異国情緒豊かな「BARラッキープレイス」スリランカ人オーナー

との会話がきっかけです。


行きつけのBARで彼は私にだけ本音で政治・民族・教育の話をしてくれます。

ただし他の客がいない二人だけの時だけです。


1)日本の歴史教育・教科書にはアジアで起きた真実は書かれていない。


2)NHK,、朝日、毎日、東京新聞、TBS、日教組、中労委・日弁連をはじめ
  真実を語らず、中国、韓国などに

  媚びている反日マスコミ報道で日本人の思想回路をゆがめている。


3)彼が(ラッキー)読んでいる海外から持って来てくれた英字新聞は

  航海士、船長、船員が読み終った新聞と日本で左翼新聞編集者の

  検閲?を受け時々 英字新聞が反日記事に書きかえられていると、話す。


4)スリランカの親日国家がサンフランシスコ講和条約の原案に反対して

  戦勝国のアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国と共同租界5分割に反対した。


5)スリランカは第二次大戦で輸出で大事なゴム園・港湾設備・インフラ設備を

  日本軍の零戦機で爆撃壊滅されたけど

  「恨みを恨みで報復する事には平和が訪れない」と損害賠償請求をしていない。

  (反日国家、韓国・中国に爪のアカでも飲ませたい心境!)


6)彼の話には戦後の吉田首相、岸・佐藤総理までは外務省、政治家、
  高官の
東南アジア国訪問する前にスリランカに立ち寄りその後に

  訪問する国に行け、と指示していた話をしている。

 

  その事は元麻生副総理が一番分かっている、と教えてくれた。



今回の訪問した国立コロンボ学校には6歳から12歳の生徒5100人の

在校生がいます。写真は旅行者の佐藤さんに現地ガイドが学校担当通訳を

紹介している場面です。担当者はNHK現地特派員を兼ねている。



正面には仏像があり雰囲気は学校に来たとは思われない。



日本でいえば小学生と高校生が同居している不思議な感じ。


5100人の在校生を教育している校長先生は若い方でした。


 

上記の二枚の写真は日本語担当の女先生は知的で美人でした。

流暢な日本語で話しかけられるので流石に親日だと感じる。

最終学年12年生教室の日本語教室での若者です。

笑顔で迎えてくれ、目が輝いて見えました。


うちの孫と同じ年齢に見える児童ですが先生の前では皆さんおとなしく挨拶。



違う教室では先生不在でしたがご覧の通り我々を大歓迎してくれた。

年頃は10歳前後のネアカで笑顔、眼はキラキラしている。

子供達はその内我慢が出来ず大声を張り上げお祭り騒ぎになる。


中には机に立ち上がり騒ぎ出す、うちの孫と同じ行動をしている様な勘違いになる。


数分後に女先生が教室に入った瞬間スリランカ語で「静かに!」

手のひらを返したごとく、波が引いたごとく、シーンとなる。


180度違う行動は子供たちの特権でどこの国の子供達と変わらない。


 

教育熱心なスリランカ義務教育を視察して国の将来は思っている以上の

発展は間違いなし!


教室での視察を終えて校庭付近の子供達の明るい顔にはうれしい。



訪問を終えて校門前での記念写真は日本語担当女先生二人と右端の

完ぺきな日本語を話す海外担当通訳はNHK特派員は昔NHK英語先生を

していたウイッキーさんと似ていました。


コロンボ市内でバス中で観た光景ですが、今回訪問した学校と違います。

クリケット競技での対抗戦の応援風景ですが公道を大型トラックで行進。


ここの学校出身者には政治家、官僚の多くが卒業生しているので

公道使用を多めに認めていると現地ガイドさんの発言でした。


今回の学校訪問のきっかけを与えてくれた視察団、ヨコハマの

BAR博学非凡なスリランカ人オーナーに感謝いたします。


今回のきっかけで「金を稼ぐだけは半人前!使って一人前!」二人の

セガレも厳しい社会情勢にも関わらず後継者としてパン事業を引き継いでくれた。


200㎡の自宅に年寄り二人の生活をしているので

ホストファミリーになってボランティアでこの際スリランカ人の大学生を

4年間住ませて日本の大学費用をはじめ生活費の面倒をみてやる気持ちになる。


ホームステイさせて親日国家にお返しする方法も視野に入れ、

晩年の人生を過ごしたいと思っています。
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過去に書いていたブログをそのまま貼り付けした。

実行できて心の負担は軽くなったが貯めた預金も少なくなるのは
承知している。セガレ達には税金を納付て自社株贈与、
マイホームも与えた。

財産は死んでも墓場まで持っていけないので
残りの財産は仏教国スリランカ成仏(罪滅ぼし)につなげたい。



創業125年の横浜名物「荒井屋」で牛鍋で会食する。

横浜のレストラン・飲食店には横浜中華街をはじめ
戦前・戦中・戦後の混乱期にもホテル・ニューグランドの
フレンチ料理・西洋料理は歴史に残る逸話はたくさんあります。

江戸時代末期の160年前に現在の横浜中区を中心に関内・山手には
上海租界と同じやり方でアメリカ・フランス欧米を中心とした

外国人居留地が線引きされて許可なく入ることが
出来ない地区になりました。

欧米人が牛肉を食べる習慣から明治時代には文明開化と共に
牛鍋・すき焼きを食べさせる牛鍋屋がたくさん開店していたそうです。

現在は荒井屋・太田なわのれん・じゃのめやの三軒がイセザキモール通りを
中心に左右の通りに入った場所で営業しています。

それぞれの牛鍋屋は創業120~150年の歴史のある名店です。
会食には10000~25000円かかりますので家族で気楽に行ける場所では
ありませんが法事・誕生会・新年会・お祝い事などには
利用されているのでしょう。

家内とランチ及び二階の宴会座敷を数回利用したことのある荒井屋で
友人と久しぶりの再会に夫婦三組で行くことにしました。


(吉野家で時々食べている500~600円の牛丼です)

中華料理は豚肉料理を中心に食べていますが
牛肉は昼食をはじめ一人で食べる時には吉野家・すき家・松屋で
ワンコインで牛丼を食べる事は度々あります。

間違っても気取ってぼったくり高級鮨屋やイタリアン・フレンチで
昼食することは全くありません。

普段の生活で食事に3~5万円もかけた自慢話をブログ・Facebookなどに
写真付きで載せている若者もいますが感心した事ではありません。

勤労所得者は自腹で生活範囲でできることは限度があります。

その点私のセガレも海外旅行はエコノミー席で旅していますし
ビジネスラウンジなどを自慢してFBなどにアップすることはない。

中小企業経営者としては見栄をはらず経済観念をもっていますので
当分は安心しています(社員も行動は見ています


荒井屋の全景ですが店の角はリーズナブル値段で食べられる一品料理で
昼食に通りがかりに食べるには都合のよいです。もちろん夕食にも
日本酒で美味しい牛肉料理も食べられます。


通称、親不孝通り手前に入る場所が本来の正門になります。
二階に案内されて畳部屋で あぐらを組んで食べるシステムになっています。


横道に入った荒井屋のネオン看板、いいですね!
国際都市横浜だけあって英文が書かれているのもファッションではありません。


玄関で靴を脱いで二階に案内される作り方は昭和の雰囲気でいいですね。


赤絨毯廊下を歩いて各部屋があり突き当たりは相席用の大部屋です。


廊下・フロアーには由緒ある画家・作家の記念作品が飾られていた。


牛鍋料理の付出し二品・刺身・小鉢・鍋・うどん・香の物・菓子が出てきました。



鍋料理の段取りは仲居さんが全て面倒を見てくれて、
私の取り皿に次々と入れてくれた料理を食べるだけ。
楽して食べることが出来て酒の量が増えて出来上がりました。


久しぶりに食べた和牛の牛鍋は吉野家・すき家・松屋と違って満足できた。
久しぶりに歴史ある牛鍋の元祖で飲み食いして一万円以上の夕食をしました。

当たり前だが普段はワンコインで食べている昼食は質素な生活です。


畳部屋なので右のオッサンはアグラが組めないので特別仕様の
椅子を持ってこさせて上から目線で意見を大きな声でおしゃべりしながら
飲み食いして懇親を深めて楽しい会食になりました。


昨年メキシコ・キューバ旅行に行った東京・横浜在住の夫婦三組で開催しました。

キューバ・ハバナ市観光旅行はアメリカ進出・侵略される前に
もう一度行きたい代表の国で現地の若いメキシコ美人と交流したい。



北京滞在三日目で気がついたこと

ケンピンスキーホテルのビヤーガーデン脇の木蓮が満開でした。

私の狭い庭にも木蓮が七分咲になっていて帰国したら満開になると
思っていましたが北京では桜・木蓮も日本より開花が早いです。


花のつぼみも大きく日本とかわらないきれいな花です。
今日の北京は(3/21)ワイシャツ一枚で外出できる暖かい日和です。


ケンピンスキーホテル のビアーガーデン側から亮馬河を渡って麦子店側に
行くと両側にはリヤカーで運んできたし立売が店を出しています。


亮馬河のたもとで作りたての北京風サンドイッチは食べたことありますが
思っているいるより旨い。


亮馬河にかけられた橋のいたもとで売られている引き売の生活は
大変だと思います。


ペンピンスキーの大通り側には巨大なビル群ができて一年前にオープンした
フォーシーズンホテルが開業しています。


家内は北京に来たら一度は泊まりたいと、口癖になっているのには
へきへきしますので聞き流しています。

惚れた彼女を連れて好きではない正統派フランス料理を食べさせて
その後、最上階のBARで生バンドでムードあるクラッシクジャズなど
聴きながら時間をかけてチークダンスをしながら口説くのはいいが、
口説き終わった70歳近い女房とはゴメンだ。



三全公寓前には新しくオープンした娯楽場がありますが、
上記の様な制約があります。


その店の道端で人民元100元札をまとめて拾いました。


とても精巧にできていますが一回り小さいのでも模造品と直ぐに気がつきました。


裏を見るとセクシーな若い女の子の写真が写っていました。


私は中国語が読めないのですが大体の内容はサッシがつきます。
書かれている漢字を一文字づつ解読してください。
ホテルまで呼んでも女子大生風には見えないでしょう。

北京滞在二日目に見たこと食べたこと

午前中は早朝6:00三全公寓の駐車場で待ち合わせした後Qカフェー
パン工場幹部を含めて6名で北京南方の経済地区方面にある
台湾企業の8○○○セントラル工場を視察してきました。

三全公寓から自動車で1時間ちかく走って到着しましたが
写真撮影禁止で公開はできません。

帰り道は1:30掛かりましたから午前中は何もできずくたびれました。
昼食後は三里屯地区まで亮馬河沿いを歩きながら散策しました。


川沿いに咲いていた桜が満開にちかく一瞬驚いてしまいました。
日本の吉野桜にちかい種類と思いますが白色にちかい花でした。


北京の真冬は氷点下20度近くになることもあるのですが桜がこんなに早く
咲くとはびっくりしました。


三里屯地区は大使館街で警備も厳重で武装警官も迷彩服に機関銃を
直接腕に抱えて警備している箇所もあり近くでの写真撮影は怖くてできない。


夕食は元邱永漢グループで秘書になる予定の萩本君の経営する和食
「鐵」で総経理を含めて会食する。隣の席で食べていた日本人客の
鍋料理を見て同じ鍋をオーダーする。

鳥モツが入っていて味よし、ダシよし、豆腐も日本製と違ってニガリがあり
気に入った一品でした。


持ち込みのシングルモルト・ウイスキー竹鶴を持ち込んで
一本空にしてしまったが旨い料理、旨い酒でストレス解消する。

北京滞在中に見てきた散策

3月18日 羽田国際空港からANA1255便エコノミークラスで北京出張

北京パン工場はフル操業で猫の手も借りたい状態ですが
勘定あって銭たらずにちかい創業時の延長戦にあります。

総経理・管理職・事務所も総動員で現場仕事に入っていて体力との勝負。
日本では完全なブラック企業で管理職以上は休日も満足に取れない。

設備投資も次から次といくら資金があっても余裕ができない状態にちかい。
下丸子工場の自分の会社も過去には経験したことで
製造業企業経営には誰でも経験しているのです。

私が北京出張で彼らに話すことは製造業経営者が体験した事実を話て
参考にしてもらい、企業発展に役ださせてもたいたい。

ここまで忙しくなればもっと合理的な新しい工場建設計画を立てて規模も
大きくしたいが借入金ではなく増資で資金調達しなければならない。

50年間企業経営に携わって多くの潰れた企業を見ていると増収増益で
忙しい時に設備投資・新工場建設を銀行借入金で
毎月の借入返済・支払利息で苦しんで最後は倒産した会社を見てきたので
慎重にしなければならないが増資ならば潰れる心配はなくなる。

増資ならは儲けた後に税金を支払い残りで配当すればよいだけだ。
借入返済はないので資金繰りも心配しなくてすむ。

当社も大田区千鳥町の第二工場を土地取得から建設した時には
国の公的資金以外は自己資金でまかない資金繰りを乗り越えた経験がある。

北京パン工場は発展途上にあるので安定経営できるまでは気が抜けない。
実務はないので三全公寓の周りをブラブラ散策した写真を公開します。

今の心境は ♪宵闇せまれば~悩みがつきない~~の寝付かれない
演歌の♫~フランク永井の心境です。


北京市朝陽区の町名についている麦子店はつい最近(100年前)まで
子供を売ったり、買ったりする人身売買が行なわれた地名の名残です。

現在でも中国全体では子供の拉致・誘惑は多く話題にならないのが
現実です。時々テレビ・YouTubeでオートバイでの拉致などが話題になりますが
現実は一年で数万人?の数になっているでしょう。


日本には中国人の富裕層の爆買いがニュースになっていましが
一般市民生活者は写真で見る通り質素なものです。
リヤカーでの引き売に乗せられた商品を買っている庶民達の様子です。

果実ナツメだけを売り歩いている風景です。
ナツメは横浜中華街でも漢方として見る機会も多くあります。


パイナップルにイチゴ売りの引き売風景。苺は500g 13元(260円)
1kg 520円で買えますが「農薬散布で買う気持ちにならない」と
家内が話していた。

大きな粒の立派なイチゴでしたが買うのをやめました。


引き売で商売しても稼ぎはたいしたこと無いと思いますが
貧富の格差は日本人には想像できない開きがあります。


性事良品の意味のわかる方は中国通になるでしょう。
私はコンドーム専門店と思っていましたがポルノショップとのことでした。

中国はつい最近まで女性の全裸写真も厳しい検閲があったと聞いていましたが
だんだんと緩和されたのでしょう。次回通りかかった時には店内をくまなく
見学して日本に売っていない商品があれば購入してブログ公開しましょう。


北朝鮮ホテルで一般の観光客は近寄りがたい所でしたが
最近は内部には飲み屋を含めて飲食店テナントが数箇所入っています。
北朝鮮の資金調達の為でしょうが中国との関係悪化で大変だと感じました。


一般庶民の住む地区にはご覧の通りゴミの山があり分別作業は行われていない。


広場の一角には地方からの流民が暇な一日を過ごしている。


3/19の北京の気候は19度、日本は10度とテレビで放送されていましたが
日中に昼寝ができる気候です。


惣菜屋で昼食を買っている風景です。


3/18の夕食は北京では繁盛店の餃子屋で日本人幹部を集めて会議を兼ねた
夕食会を開催しました。この店は総経理のお気に入りの店です。


昨日は会員になっている盲人マッサージ店でいつも指名している人に
アンマしてもらう。隣のセブン・イレブンもどきと経営者は同じです。

二人のアンマは めくらなので寝そべった状態でフラッシュを焚いて写真を
写したが気がついていない。二人共アンマが上手で気に入っている。