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錯覚?〜新しい人類史がはじまったという確信②

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タイトルの「錯覚」に?が付きましたが、まだ「錯覚」のままにします。

2011年2月7日、ブログでこんなことを書きました。

たった1つの意識しかないかも(学知にあらず)

今思えば、何かに気づきはじめた頃です。僕の少年時代は(いや今も基本的には)、宇宙が好きで、妄想癖があって、SF映画をよく見て、ちょっとだけ人には見えないものが見えたりで、実在のものを観察するよりも、ないものを想像しようとするほうにエネルギーを傾けていました。

子どもの頃からの疑問が動植物の「保護色」でした。
やつらはどうやってあの能力を獲得したのか?のヒントは第三者からのアドバイスが必要なんじゃないかという点でして、意思疎通できない虫や植物などは「あいつら、緑の葉っぱのうえに真っ赤な羽根はねーだろー」という客観的な思考が影響しているに違いないと思うのです( ̄ー ̄;

そこから、たいていの生き物は自分たちの危機意識なりの実体験だけではなくて、客観的な視点を必要とするので、地球規模でそういうシステムが働いているはずと考えた結果が、「地球規模の1つの意思にすべての意思がつながっている」ということでした。

もっと言うなら、本当は宇宙規模の1つの意思とつながっている、ということなのですが、人間ですら、あまりにも小さな存在なので宇宙とつながるには、もっと大きな質量をもった物体を媒介しないと難しい…、それが足元にある地球です。さらに言うなら、地球でも宇宙規模としては小さいので、もっと大きな質量をもった太陽も媒介しているのです。

そのつながり方ですが、動植物のシステムはわからないので人間だけに特化します。人類全員は生まれたときからすでに持っていて、誰にも使い方を教えてもらえないので20歳を迎える頃にはすっかりその存在を忘れて「エゴ」に支配されていくのだと思うのです(ノ◇≦。)

たまに「心の目で見る」という言い方を耳にします。これは「感じる」という言い方に変えることができますが、さっきの「つながる」方法は感じることかなと。その言葉も感覚的なことなので正しい表現ではないと思います。もっとしっくりくる表現があるかもしれません。

この「感じる」はいわゆる人間の五感ではなく、俗にいう「第六感」です。寝ているときに夢を見るために必要な器官とも言われてる「松果体」は脳の真ん中にあります。脳の奥にあるにもかかわらず、眼と似たような構造をしていることから「第三の目」という言い方をする人もいます。

この「第三の目」で人間以外の(もっと大きな)存在を感じることができるんじゃないかと思うのです。ちなみに、この「松果体」は眼のない動物に光を感じるための器官として備わっているそうです。人間も同じように利用していて、今は昼間なのか夜なのか、という区別をここで感じとっているそうです。

整理すると、気づいてきたというのは、「(1つの)意思」という「(大きな)存在」を「(心で)感じる」ことです。こう書いてしまうと、「おいおい、少々妄想撃がすぎるが、それで何が言いたい?!」と自分でつっこみたくなる気もします。

その意味するところは、この大きな存在と切り離されてしまった人間がおかしな行動をとっているんじゃないかということです。

超現実主義者でもある自分が、固定概念を取り去って妄想にふけるとき、頭がおかしいのじゃないかと心配されるほどの理論というか、真実だと思える発想が勝手に頭のなかに入ってくるのです。

「物質」とは非常に不安定で危うい存在であって、あまりにも物質世界を頼って、縛られている人間って、かなり危険な状態なんじゃないかと…、最近急速にそう思うようになってきたのです。
しかし、日常の忙しさのなかでは目の前にある存在がリアルなわけですから、物質世界が寄りどころだという気持ちに戻り、いわゆる「この世」なのだなと説得されてしまう。そして、気を許すとまた「エゴ」に支配されてしまうのです。

とりあえずは、早く、自然いっぱい、夜空がキレイに見える場所にある、エネルギーがいっぱいに満ちた古民家に住みたいのです。幸せになるためには、和の伝統工法で作られた家に住むべきだと、この想いは絶対に確信を持って言えます。

永遠にこのテーマは続くかもしれません。

今日も、宇宙よ、ありがとう。

錯覚〜新しい人類史がはじまったという確信①

大袈裟なタイトルですが、最近、まちがいないと確信したのです。

ちなみに、錯覚から覚醒にかわる日が来るはず、と思いながら。

きっと長い話になるので、タイトルに番号をつけて、思いつきでわけて書く事にしました。

確信したのは、このブログのタイトル「学知にあらず」に集約されている言葉です。ますます、道元さんが厳しい修行のうえにたどり着いた境地への敬意を払いたいわけです( ̄▽+ ̄*)

僕はある時期、きっと誰もが通るであろう疑問にブチ当たったんです。
それは超素朴な疑問、人間ってどこから来て、どこへ行くんだろう、何のために生きているんだろう…という誰に聞いてもわからない疑問。

多分、30代前半だったと思います。10代にも、20代にも、そんなことを考えたことがあったはずですが、このときは、なぜか「準備をしないといけない」と直感的に思ったんです。ここで考えるのを放棄したら一生答えは出ない、つまり生まれてきた意義がわからないまま死んでしまう、と感じたわけです。

ちなみに「死んでしまう」と考えたとき、今まで漠然と感じてきた死への恐怖は「もしわかったら、きっと死への安心が生まれるかも」と思ったんです。その答えを知らないまま死んでしまうのが怖いことだというふうに思考が転換しました(((゜д゜;)))

そんなことを思い始めてから、まわりにその疑問を教えてくれそうな人はおらず、そんなタイトルの本もあるはずもなく、とりあえずヒントになるような事が書いてある本を読め始めました。

ちなみに呑んだ席でよくそんな問題提起をしてみますが、そもそも「そろそろ準備をしないといけない」という時代に向かっているという感覚が共有されていない人といくら語っても、思いつきの話に思いつきの発想で言葉遊びしているような会話になって終わるのがオチです(´□`。)

話を戻して本を読み始めたことですが、とりあえず軽い気持ちで自己啓発本から入って、そのあと宗教本へ移行しました。そのときに道元禅師の考えに触れましたが、一回目の出会いは生活に役立つ知恵という発想から先には行けませんでした。最初の自己啓発本は、答えの核心に迫る内容に出会うことはありませんでしたが、何十冊と読みあさり、毎日のリアルな生き方に役立ってます。

次にたどり着いたのが成功哲学です。有名どころで言うとナポレオン・ヒルとか、アンドリュー・カーネギーとか、あの辺の人たちの本です。この種の本は軽く30冊以上読みましたが、面白いことに成功哲学者の多くは「宇宙」を語ります。宇宙と人間は連動していることを説きます。

そして、もっと面白くも大事なことは「エゴ」の存在です。この人たちに言わせると、今まで自分が思っていた「エゴ」の意味はどうやら間違っていたようです。読んでみて、もの凄く納得しました。それが悪魔の象徴であったり、アダムとイブに林檎を食べさせたヘビであったり、経済社会そのものであったり、色々なものに置き換えられますが、ひとことで言うと「宇宙と人間の連動性を邪魔するもの」です。

「エゴ」の存在はいったん置いておきます。あとで書きたいのは、なぜ「エゴ」が生まれたか、です。これは仕組まれたものであれば、僕らの想像を遥かに超える存在が、宇宙と人間との間にいるということになります。

次にたどり着いたのはが、量子力学です。僕の解釈で超簡単に言うと、宇宙のどこにも、つまり地球のどこにも、「無」もしくは真空は存在せずに、何もないように見える宇宙空間にだって光や粒子でいっぱいだということ。…だと思います。

これは何を意味するのかというと、まず世の中のすべてのものの最小単位はすべて一緒だから、見え方や固さや形状がまったく違うものでも分解すればすべて同じものから出来ているということを前提にします。で、それは宇宙にある星も、人間も同じで、最小単位の「粒」は同じで、それらの「つなぎ」が個性を持った波のエネルギー、波動の力でくっ付いているという理論です。どうやらこの考えは科学の世界では常識になりつつあるようです。

この辺りから、オカルトといわれた超常現象の世界と科学の世界がリンクしていると理解しはじめました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

次に、ではその「波動」という力は何なのか?ですが、これはまだ解明できていないようです。微弱な電気的な作用で、人間でいうと60兆あるとも言われている細胞がくっ付いているわけです。で、そのほとんどが誰に言われるわけでもなく、毎日毎日規則正しく働き続けていて、「人間」という物体を構成しているのです。

えーっと、まだタイトルの内容に行き着くには当分かかりそうです。
今回は、間があいても、じっくりと書いていこうと思います。

では、今日も宇宙よ、ありがとう。

株主総会

会社の代表になって4年目、通算27回、僕が経営してからは第3回目の株主総会を迎えました。今年は組織の大改革や新規事業のスタートの年になります。言い訳はしません、結構な赤字です。ダメな経営者ですわぁ…。

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結果がどうあろうと、株主総会が終わったときが1年のリセットの日です。気がつけばもう半年以上もまともな休みがない自分…、だけではなくて、夫婦そろって経営者なもので二人とも同じ状況。プチ休息を取りたいタイミングです。

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年に数回、身分不相応の高級ホテルに泊まります。もちろん自腹で気軽に払える値段ではありません。目的はいいサービスに触れることです。今回の東京滞在の最終日はペニンシュラ東京に宿泊しました。以前から二人が憧れていたホテルですが、ラッキーにも、ネットで格安のプランを見つけました(`∀´)

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ホテルの部屋に着いても二人が揃ってMacを眺めている始末( ̄ー ̄;
もう病気でしょうかね(笑)メールやFBメッセージが気になって仕方ないわけです。


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こういうホテルのいいところは24時間対応のルームサービスです。
飲んで帰ってから一仕事を終わらせ、ちょっとリッチな気分でまた飲み直し、気持ちのいい対応のスタッフとの何気ない会話も楽しかったり( ̄▽+ ̄*)
ペニンシュラのスタッフの夏の制服は白いポロシャツです。話し方もフレンドリーな感じでいくという教育なんでしょうか、僕らの部屋を担当してくれた若い女性スタッフは元気印な感じの気持ちのいい印象の人でした。


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Macの画面…、脈絡もなく、昼間の移住セミナーに参加したときの写真です。
2015年開業の北陸新幹線の富山の公式キャラクター「ぶりと君」を抱いて、皆で色々なポーズをとってみたところです。


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ペニンシュラで発刊している雑誌が部屋に置いてあります。最低1000万円からの買い物カタログのような雑誌でクルマが中心です。海外の高級車ばかりですが、ホテルの地下に駐車しているお客さんのクルマを見て納得:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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パウダールームと言うのでしょうか、衣装部屋と一緒になったような場所です。いちいち凝っていて素晴らしいホテルです。新しいだけあって設備としてはこの上ない充実度です。

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朝です。太陽の日差しを浴びながら入浴するのって、こんなに気持ちよいものだったかな…。「スパモード」というボタンを押すと、心地よい音楽が流れてきました。昨晩のアルコールが全部飛んでいった感じ(●´ω`●)ゞ

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ブランチもルームサービス。朝食を食べてない二人なので昼食扱いです。ちなみに、ルームサービスはお値段以上の価値があると思います。おすすめします。ケチャップが甘過ぎたこと以外は大満足です。カフェラテもなかなか美味しい。

僕は最高にうるさい消費者(ゲスト)でありたいと思っています。お客様目線を失ったとき、サービスはどんどん低下していくでしょう。妥協しはじめたら、それがクセになることもよくわかっています。

幸せを感じるような美味しいもの、気持ちが温かくなるサービス、それは体験したことがなければ提供することができません。想像には限界がありますが、その先を示してやるのが経営者の仕事でしょう。うちのスタッフにも、早く一流の仕事に触れるような機会をつくってやりたい。しかしそれは、自らが必要だと感じることが大前提です。

今期からが本当の意味での再スタートです。頑張ります。

妻へ、社員へ、友人へ、そしていつもお世話になっている皆さんへ、これからも宜しくお願いします。いつも、ありがとう。