恥辱とカタルシス

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。


作家志望です。

書評……なんてとても言えない自己満足の読書感想文と、日々の雑事、創作のことなど。


今年中に「200冊の読書」と「新人賞受賞」を目標に掲げ頑張ります!
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こんにちはー、渋谷ですっ。

 

今日は、お知らせです。

 

 

 

 

前回ほのめかしておりました通り、この読書感想文はツイッターに移行しようかなと思います。いままでこちらのブログに御訪問頂きました皆様、ありがとうございました!

 

なんかねー、長文でここに書くのが、ちょっと違うような気がしてきちゃって。ツイッターで軽く呟きたいなと思うようになったわけです。プライベートでも、何もかも軽くしたくなってるんですよ、今。

 

断食しようと思ったのもそうだし(あの後も減って、結局2.5キロ減)、断捨離もしまくってるし、お酒も減らしてるし、読む本の内容も軽いものにしようかなと思ってるし。

 

昨日、暗い短編をウェブ経由で応募したんですが、あれでなんか一区切りついた気もしちゃってね。なんかさー、自分の中のトラウマを出し切ったって言うか。重いものは全部出切ったから、あとは軽くいきたいなって気分になってるんですね。

 

私にとって、小説を書くってことは「流行りにのって人気者になりたい」とかいう自己表現のツールじゃなくて(それが悪いわけでは決してありません)、「自分の中で塩漬けになっていた暗いトラウマ」を掘り起こす作業だったんだよね。そこに光を当てて文章にしてあげることで昇華するっていう。

 

その作業が、あの短編で終わったみたいです。ハードモードの人生を振り返る作業はここまで。あとは軽く生きてくぞ。幸せになりたいなんて欲求すら持たない軽さで幸せになります。

 

もちろん本は読み続けるし、小説も書き続けます。次も短編を書く予定。今までにはない明るいものにしたいと思います。綺麗なものを書きたいなと、そう思ってます。

 

 

 

 

で、この先もお付き合いいただけるという方は、ツイッターで「shibuya₋touko」「渋谷東子」を検索くださいませ。とかいって、まだアカウント取っただけでなんも呟いてない。多分そんなにしゃべらんしね。

 

こっちにも気が向けば記事を上げるかな。気分を大切に生きて行きたいと思います。というわけで。

 

いままで、ありがとうー!

断食たのしい……。

こんばんは、渋谷です。




相変わらず断食中ー。

今日は回復食1日目です。

朝からおでんの出汁で似た大根を食べてる。体重は2.5キロ減。ここからもう一息痩せてほしいなあ。

しかし、頭痛とかだるさとかが出て来てちょっと弱ってます。好転反応だっていうけどねえ。普段、頭痛とかない私には結構辛い。まあ、乗り切りたいと思います。

あと、断食始めてすぐにテレビ壊れたんだよ……。私はテレビ嫌いな子なのである意味ラッキーだったんですが、夫がショックをうけちゃって。

早々に今日、仕事サボって一緒に買いにいきました。REGZAの新しいのにすることにしました。タイムシフトだって。過去の番組を巻き戻って見えるらしいんだけど、そんな機能があったら夫はテレビの前から離れんぞ。

まあ、喜んでいる様子だったので良かったです。うん。高い買い物だったが……仕方ない。増税前に壊れてくれて、ある意味良かったと思うしかないわな。

というわけで本を読んだ話。あ、その前に一応書いておかなくちゃ。このブログ、もしかしたらTwitterに引き継ぐかも知れません。

なんかねー、このブログにかける時間が結構長くかかっちゃって……。ブログって形態だとどうしても長文書いちゃうんです。小説書きたいのに、なぜかブログにばっかり時間がかかっちゃうという。

それじゃ本末転倒なので、文字数制限のあるTwitterかなーって。まだ構想段階なんですけどね。そうなるかも。そしたら簡単な感想になるな。でも、このブログもランキングとか参加せずに覚え書きの体でやってますので、それでも大して私にとっての効果は変わらないんですよね。

……というわけで今度こそ本を読んだ話。「平場の月」が話題の朝倉かすみさんです。

吉川英治文学新人賞受賞作の「田村はまだか」です。えーっと、うーん、ちょっと、微妙だったなあ……。




Twitter気分なので簡単に。

ススキノのバー「チャオ!」に集う、40歳の同窓生5人。彼らは同窓会帰りに三次会でこのバーに集まっています。

5人は小学校の同級生。それぞれに個性的なキャラクターで、それぞれに悩みを抱いて生活しています。まあな40歳。今の私と同い年。悩むわな。不惑なのに惑うわな。

そんな彼らが待つのが田村。同級生です。鮮烈な印象を残し、遠くへ引っ越していった田村。彼を待ちながら5人はそれぞれの悩みを、ぽつん、ぽつんと語っていくのですが……。

と、いうお話。




結論から言うと、印象が薄い作品ですね。短編連作で、主人公はあれこれ入れ替わるんですが、みんな普通の人です。普通の人が、ちょっといつもと違うことを考えてみました、を切り取った作品。

だから、最近とみに思うのですが、こういう「読者の日常の延長線上の物語」ってジャンルがあるとしか思えんよね。毎日忙しい人が、ふっと息をつくために読む作品、みたいなジャンル。

私は小説に非日常を求めてるからなあ……。こういうの、印象に残らないんですよ。大体、本ってお金だして買うじゃん。そこでもう日常描かれてもなって思うのよね。だって今って無料の娯楽っていくらでもあるじゃないですか。スマホゲームも、YouTubeも。

道夫秀介さんもTwitterで仰ってましたが、そういう無料のコンテンツを上回るものを書かなきゃいけないって。そうそう、「いけない」って新作はその心意気で書きましたって。私はすごく頷いた。日常の切り取りは無料コンテンツに勝てるのか?そういうジャンルが好きな人には、いいのかも知れませんけどねえ。

だから、うん、読んで損したとは言わないけど、印象には残らないな。読み返しもしない。同年代が悩んでる話とか、もう自分のことだけで十分だ。





あー辛口ですね。決してお腹が空いているからではありません。

なかなか好みの話を引くのは難しいな……。同じ作家さんでも、作品によってカラーが違うしね。まあ、数打ちゃ当たるか。どんどん読んでいきたいと思います。

あ、もうすぐ200冊だ!と言ってもあと30冊か。これからは比較的明るい作品を読んでいきたいと思います。ちょっと子供向きのも読みたいなあ。剣と魔法の世界なんかもいいな。なんだかそんな気分になってます。

そんなわけで、またっ!

とりあえず2キロ痩せました。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

断食やってますよー。減食1日、絶食1日半の現在、体重は2キロ減ってます。そして、気持ちがすっきり。

 

水をがぶがぶと飲み、あとはヨーグルトと野菜ジュースを飲んでいます。なので、厳密な断食とは言えないんですけどねー。水だけのやつは本気で辛いんです。でもこれぐらい緩くても、体重はちゃんと落ちてくれるんですよね。

 

明日からは2日間回復食。この間が大切で、これによってリバウンドするか、より体重が減るかが決まります。とりあえずは大根がいいって新情報を得ましたので、大根と梅干を軸に食べていきましょう。腸がすっきりリセットされるんだって。楽しみ。

 

身体も軽くなりますが、精神的にも変化があるのが断食の面白いところなんですよね。なんか妙に前向きになってます。世の中の明るいところだけを見たい、そんな気分になってます。

 

そんな状態だから、今書いてるめちゃくちゃ暗い短編、なんか波長が合わなくなってきた。明るい短編が思い浮かんじゃって早く書きたくなってます。とは言え暗い方ももうすぐクライマックスなので、これはこれで早いとこ仕上げちゃおう。

 

本も明るいのが読みたい気分です。とりあえず今回は石井遊佳さんの新潮新人賞受賞作にして、芥川賞受賞作の「百年泥」。

 

新人賞受賞作でいっぺんに芥川賞まで獲っちゃうってどういうことなんだろう!と読んでみたこの作品ですが……うーん、なんかちょっと、私にはよく分かんなかったなあ……。

 

 

 

頭があんまり働いてないので、今回は簡潔に。

 

主人公はインドのチェンナイで日本語教師をしている女性。男に騙され多重債務を負い、泣きついた元夫に勧められてのインド行きです。タミル語も英語もおぼつかない彼女は、企業の日本語研修の教師として教壇に立っていますが生徒に馬鹿にされっぱなし。

 

そんな彼女が住むチェンナイに、百年に一度という洪水が発生します。町を流れる川から百年分の汚泥が溢れ、川岸を埋め尽くします。この泥が「百年泥」なんですね。

 

そんな百年泥からは、彼女の過去の思い出の品があれこれと出てくるんですね。ここはインドなのに、別れた元夫がスナックでキープしてたウイスキーとか出てきます。小学生の時に神社で見た人魚のミイラとか。それらは彼女の「あったかもしれないけれど見ることのなかった過去」の象徴なのだそうで。

 

他にも百年泥からは、彼女を騙して借金を負わせた男とか、万博の記念コインとかも出てきます。要は、ちょっとしたファンタジーワールドなのね。この世界ではエグゼクティブは羽つけて空を飛ぶらしいですから。インドと大阪で、ガネーシャと招き猫をそっくり贈りあって入れ替えたとか。ちょっと幻想小説のような雰囲気もあるわけです。

 

そうやって、彼女と教え子のデーヴァラージという青年が、それぞれの過去に思いを馳せるお話です。……うーん、こう書いても何がなんやら分からんなあ。でも、読んでもなにがなんやら分からないお話だったんですよね。断食のせいで頭が働いていなかったのか。

 

内向的だった主人公と、貧しい過去を背負ったインドの青年。彼らの過去に何があったのかを、百年泥から掘り起こされた品々と共に語るわけです。

 

でも、だから?っていうね。別にそこに大きな物語があるわけでもない。「自分が見てないところにあったかも知れないもの」に対する郷愁みたいなのを語った作品なのかも知れないけど、そういう概念を持ってない人にはまったく理解できない話だろうなあ。私にもよく分かりません。

 

表面上を読んだ感じでは、「個性派女子のインドで先生奮闘記!」みたいな作品です。でも、おそらく作者の表現したいところはそれだけではないんだろうけど。

 

 

 

 

文体は独特で、舞台がインドということもあって、さくらももこさんのエッセイを読んでいるような感触がありました。言葉のチョイスもそんな感じ。多分石井さん、さくらさんが好きなんじゃないかなあ。

 

まあ……読んでみて損をした、とは言いませんが、おそらく記憶に残らないであろうこの「百年泥」。読み返すことも多分ない。どうしてこの作品が新人賞からの芥川賞なのか……。作者の石井さんの経歴が変わってるから、ていうのが真相だったりするんじゃないのかな。

 

東大大学院からのインド在住、そして日本語教師。「お?」と思わせる経歴ですわね。もちろん出版はビジネスですので、興味を抱かせる経歴の持ち主を表舞台に上げるのは当然のことでしょう。でも、私には響かなかった。次作があれば読んでみたいと思います。調べてみるとエッセイをいくつか雑誌に発表されているみたいですね。本にまとまれば、ぜひ。

 

というわけで、断食は続く。楽しい本が読みたいな。

 

ではまたっ!

もう断食することにした。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

筋トレしてるって話を書いてたんですが、なんかあの時から比べて5キロも太ったんですけど!

 

最初は「筋トレしてるから体重が増えたように見えるのかなー」とか思ってたんですが、筋トレ辞めても減らん!肉の量も減らん!

 

筋トレしてる時から、太ももがかなり太くなってきてたんですよね。私、太ももにつきやすいらしくって。それが嫌で筋トレ始めたのに、余計太くなるってどういうことなんじゃーい!やめても元に戻らんってどういう仕組みなんじゃーい!

 

で、もう太った自分でいることが嫌になってきたので、断食することにしました。昔っからちょこちょこやっていた断食。なんせ人前に出る仕事だったので、体重とかにはかなり気を遣ってたんですね若い頃。服も7号だったし、身体がいつも軽かった。妊娠中も8キロぐらいしか増えなかったのよー。それが今や。あわわわわ。

 

今日から減食を初めて、本断食は二日間。野菜ジュースとヨーグルトは食べてよし。それ以外は水。金曜土曜で回復食。

 

このスケジュールで5キロ落とせたらいいなあ。3キロでもいい。とにかくパンパンの太ももを何とかしたいわー。「綺麗じゃない自分」がストレスなのよ。そのストレスを解消するためなら、食わないぐらいなんでもないわ。

 

とか言いながら、弱音をここに吐きまくると思います。あ、経過も書くよ。開始時の体重は……勘弁してください。私にも人権っていうものがありますので(?)

 

でまあ、本を読んだ話。古典を読もう近代編、宮本輝さんの芥川賞受賞作、「螢川」を読みました。

 

その昔「優駿」に感動した覚えがあるなあ……。あと、「違いが分かる」のコーヒーのCMに出てたよね?ダバーダーダーバーのやつ。古いねえ。

 

やっぱり、芥川賞受賞作はいいです。考えさせられる、ずっしりと重みのある素晴らしい作品でした。

 

 

 

 

この「螢川」には2篇が収録されていて、収録作が

 

泥の河

螢川

 

となっております。

 

どっちも「川」ですね。「泥の河」は太宰治賞受賞作です。これに「道頓堀川」を加えた3作は「川三部作」と呼ばれているそうです。

 

「泥の河」は大阪が舞台。昭和30年代、どろっどろの安治川という川のへりのうどん屋の息子が主人公。

 

信雄くんという8歳の男の子なのですが、彼が同い年の、貧しい少年と関わり合う中で成長していく物語です。喜一というこの少年は、粗末な屋形船を住居とし、父親はおらず、母親は船に客を取って日銭を稼ぐ私娼でした。

 

貧しさの中で運命に抗う少年の姿、力強く生きて行く人々、性の目覚め、戦争の記憶とその陰にある死。……もう、これで全部やん。この世界で私が知りたいと思ってること、ここに全部書いてあるやん。

 

それぐらい、一気に全部を詰め込んだ短編だった「泥の河」。願わくば、もっと若い頃に読みたかったなあ。中学生とか。人生変わってたかも。教科書に載せるべきなんじゃないかと思うくらい、素晴らしい作品でした。

 

 

 

 

「螢川」の方も良かったけど、こっちは結構マイルドな「泥の河」と言えるんじゃないかなと思います。時は昭和37年、富山県が舞台です。

 

中2の竜夫くんが主人公。辣腕を振るい色々な事業に手を広げて来たものの、ツキに見放されてしまった父親が身体を壊し、将来に揺れています。

 

初恋、友人の死、父の借金、進学問題などに揺れる竜夫くんの姿が淡々と描かれ、ラストにはすべての苦悩が昇華されるかのような一面の蛍の情景。

 

昭和の中期、高度経済成長の前夜、人間に野性的な強さが残っていた時代の郷愁を私は感じました。まだ何者でもないけれど、これから何者かになる、それは社会的に大きな役割ではないかも知れないけれど、日本という国の歯車の一つとなって回ることへの誇りを胸にしている、そんな時代への憧れとでも言いますかね。ほら、今っていわゆる多様性の時代じゃん。それはそれで素晴らしいことなんだけど、なんか頭でっかちって言うかね、ちょっと「小賢しい」と感じてしまう瞬間もあるわね。

 

まあ、あれですかね、「昭和は輝いていた」ってやつですかね。人間が人間になろうとした時代、かね。必死になるって決してカッコ悪いことじゃない、素晴らしいことだって、再認識することが出来た「螢川」でした。

 

 

 

 

さて、そんなわけで断食しながら本を読むよ。

 

月末の「文學界新人賞」に出すつもりで短編書いてるけど間に合うのかね。今70枚ぐらい。話で言えば8割まで来てるけどどうなるのかね。

 

ウェブ応募するつもりですので、最後まであがいてみたいと思います。今日は子が運動会の代休で休みなので病院に連れて行かねばー。整形外科。多分成長痛だと思うんだけど、なんかずーっと足が痛いって言ってるのよね。

 

背ががっつんがっつん伸びるので、骨が追い付いてないんだろうな……。ま、ちゃんとお医者さんに診せてきたいと思います。

 

というわけで、またっ!

子供の運動会でしたよ。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

昨日は子供の運動会でしたよー。

 

台風来てるし絶対ないだろうなーとタカをくくっていたんですが、朝の5時50分に「今日運動会やるよ!」とアプリの連絡が来まして。

 

ていうか、今緊急連絡網ってないんですよ。個人情報があれっていうことで。全部アプリで管理されてるんですね。すごい時代がきたものだとつくづく思います。

 

で、「台風来てるんだから運動会なんてないでしょー」と思っていた私は蒼白。弁当の準備してな―い!もうあかん!コンビニでのり弁買って臨むしかない!

 

で、まあのり弁で運動会に赴いたわけですが、いやー、疲れた。なんもしてないのに疲れた。幸い天気は良く、子供は楽しそうにかけっこで断トツのドベをとってましたが、私は精神的にも肉体的にも疲労困憊。親子競技もなかったし、椅子持ってってグラウンドの隅に一日座ってただけなんだけどねえ。

 

なんせ知り合いに会いまくるわけじゃん。日頃引きこもりを旨としている主婦には大変な苦行でございましたよ。引きこもりですが、私すごく人に愛想がいいんですよね。「○○ちゃんママは(○○ちゃん←子の名前=私のこと)いつも人に上手に合わせることが出来てすごいわー。人付き合いが上手よねー」とか言われるんですが、基本単独行動の生き物ですから。たまに会うと人に周波数合わせ過ぎちゃうんだよね。だから集団って疲れる!

 

でもま、何やかやで卒なくこなしてまいりました。これから子供は三連休。お疲れ私、そして子供。運動神経が皆無なのは母に似たせいだな。すまぬ、許してくれ。

 

そんなわけで秋の大型イベントもひと段落して本を読んだ話。辻仁成さんの「白仏」を読みましたよー。

 

フランスでフェミナ賞外国文学賞という、なんかすごそうな賞をとったこの作品。うん、うん、うんと、頷かされてばかりの、人間の真実に迫った作品でございました。

 

 

 

 

主人公は江口稔という男。彼の死のシーンからお話は始まります。時は昭和40年、明治に生まれ、大正昭和を生きた鉄砲屋・江口稔の生涯を描いた物語です。

 

この稔さんにはモデルがいまして、辻さんの実のおじいさんなんだそうです。九州の小さな島に生まれ、朽ち果て忘れられた墓の骨を粉にして、白い仏像を建立した辻さんのおじいさん。

 

彼の幼少期から死までの人生の記録なんですね。刀鍛冶の父の後を継ぎ、第一次世界大戦の頃には鉄砲の修理に明け暮れ、実際に自分も兵士としてシベリアに赴き、負傷して帰国したのちには耕運機や海苔の選別機などで財を築いた稔の一代記。

 

なぜ彼は島中の骨を掘り起こして、それで仏像を作ろうと思い立ったのか。ここに至るまでの稔さんの人生が、なんとも繊細な文章で描かれた物語なのです……。

 

 

 

 

テーマは「死生感」ですね。どうせ死ぬのにどうして人は生まれてくるのか。死とは何なのか。死の先には一体何が人を待ち受けているのか。

 

私もさんざん悩んできたアレですね。稔は初恋の人の死、兄の死、シベリアでの殺人体験、島に土葬された無縁仏の骨の残骸の発見などを通して、死とは何なのか、逆に生きるとは何なのかを探り続けます。

 

彼には幼い頃から「既視感」が付きまとっていたというのも、彼の思考をそういう方向へ向かわせた一端なのかなと思います。いわゆる「デジャブ」。あるよね。私もしょっちゅうある。「あ、この感じ、前に体験したことある」っていうアレですね。

 

稔はそれを前世の記憶なのではないかと考えます。そうかもね。脳の誤作動みたいな見方もあるらしいけどね。稔の長女は自分の前世を語る子供で、実際に長女の言った通りの場所に長女の墓があり、その子孫がいたりするものだから稔の中で輪廻転生の存在はゆるぎないものになっていくんです。

 

その思考を抱えながら、実際に現世の荒波を乗り越えていくのは並大抵のことではなかったでしょう。だって、「死んだらリセットできる」ってことが分かってる状態だからね。一緒に野山を駆け巡った親友の自死や、老母の痴呆、会社の倒産など、年老いた稔には様々な困難がのしかかります。

 

でも稔は困難を乗り越え、そのもう一つ上を行くんですね。ほとんど悟りを開いた状態。それが仏教でいうところの「倶会一処」。くえいっしょと読み、この作品の中でこれはいわゆる「ワンネス」の状態です。「すべての事象はひとつのものである」という、紅天女の境地とでも言えば分かりやすいでしょうか。金子みすゞさんの「蜂と神さま」という詩にもその境地が描かれていますね。

 

コピペするとこう。

 

蜂はお花のなかに、 お花はお庭のなかに、 お庭は土塀のなかに、 土塀は町のなかに、 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 世界は神さまのなかに。そうして、そうして、神さまは、 小ちゃな蜂のなかに。

 

 

要するに、「みんな結局は同じものなんだよ」ということですね。言葉で理解できても、なかなか現実に落とし仕込むことは難しい境地です。でもここに至った稔は思うわけですね。

 

「島の無縁仏を粉にしてひとつの像にしてあげよう。だってもともとすべてはひとつのものだったんだから」

 

 

 

 

……うーん、思うは易し、行うは難し。

 

でも、稔はそれを本当にやってのけます。要は辻さんのおじいさんですね。大野島という島に、実際に白仏はあるのだそうです。見たい。見に行きたい。

 

精神性の高い作品です。フランスで受けるのも分かる気がする。日本人にはあんまり響かない作品かも知れんねえ。でも私は好きだ。この作品で辻さんは真実を描き出すことに成功していると思う。だけど、だからこそか。

 

多分インスピレーションで書いたんじゃないかなあ、あんまり伏線とか張られてないのよね。流れでその時その時のシーンを書いたんだろうな。だから読み物として「トリックが」とか「盛り上がりが」とかはあんまりない。淡々と一人の男の生涯が綴られているだけ。でも、これがいい。

 

幼い頃の純朴さとか、青年期の葛藤とか、中年になって負う責任とか、老年になっての高い精神性とか、それぞれの場面で稔という男を感じられて、死の場面ではうっすら泣いてしまいましたよ。いい本を読んだなあ、と思います。

 

 

 

 

やっぱ、ツイッターで垣間見せるあの人徳の高さはこういうことだったんですねえ。なんか最近辻さんネットで人生相談とかもしてますよね。でもこの人の人生相談は、多分的を射んな。超越しすぎてるから。視点が普通の人と違い過ぎるから。

 

宇宙的な視点でものを見てるから、短いスパンの現世利益なんかにはご利益がなさそうだ。ご利益て。もはや神扱いか。

 

そんなわけで、辻さんはまた読みます。欲にまみれたシャレオツな辻さんも見てみたいな。ラブストーリーも読んでみましょうか。面白そう。楽しみ。

 

というわけで、またっ!