ファッション業界では新年から梅の花が咲く頃 までを「梅春」と区切り、温かい素材で春を連想させるカラーの商品が店頭に並びます。

 この地方では、二十四節気「立春」を過ぎてから寒波に見舞われました。2月の気温が低く、あちらこちらで梅の開花が遅れているというニュースを見ました。

 



 日本三大名園のひとつ茨城県水戸市の偕楽園は言わずと知れた梅の名所ですが、今年は開花がかなり遅いようです。6年ほど暮らしましたが、偕楽園を彩る100品種の梅を見に行くのが毎年の楽しみでした。遅咲き、早咲きの品種がありますが、遅咲きの梅が咲く頃には桜と一緒に花見ができました。

 






 さて、四日市市の梅は、日永梅林が知られています。その歴史は江戸時代まで遡り最盛期は最大9,000本もの梅があって大勢の花見客でにぎわったそうです。しかし、先の戦争中に軍事施設の建設のため木が伐採されました。それでも、数十年の時を経て、梅林を復活させようと植樹が始まり、現在は約3,000本近くまで戻ってきました。 梅の名所は有料が多いですが、こちらは無料で花見が楽しめます。このところの温かさでようやく見頃になってきたようです。

 すでに、ソメイヨシノの開花予報が発表され花見が待ち遠しいかもしれませんが、その前に、比較的長く楽しめる梅を見に出かけませんか。今年は、まだ間に合いますよ。 (Y)

 


***** 日永梅林へのアクセス *****

 

三重県四日市市大字日永 南部丘陵公園北ゾーン内  公園内に駐車場あり

 

【 公共交通機関 】

  近鉄四日市駅から、三交バス医療センター行「泊山小学校」下車、または 笹川ジャブ行「南部丘陵公園前」下車

 

  四日市あすなろう鉄道 八王子線「西日野」駅下車 約 1.3km

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 愛知県名古屋市緑区鳴海町米塚にある、有松天満社(ありまつてんまんしゃ)です。

 





 菅原道真公を祀る神廟(しんびょう)は、かつて東海道にある祗園寺境内にあったと伝わります。

 

 絞りの町「有松」には、江戸時代の浮世絵さながらの景観が今も静かに広がります。

  「ほしいもの 有松染めよ 人の身の あぶら絞りし 金にかえても」

 

 この歌を詠んだ『東海道中膝栗毛』の主人公の弥次さんは、絞りの素晴らしさに魅せられて手拭いを買いました。

 




 有松天満社の石階段の脇に掲げられているのぼり旗は、年によって「朱赤色の年」と「紫色の年」と色が変わりますが、絵刷り・括り・染め等、様々な職人さんの手によって大切に生み出される、有松鳴海絞りで染められた「のぼり旗」です。

 





 絵馬は、神使の牛が描かれた祈願絵馬です。

 境内各所には、「天神様のお使い」として祀られている牛の像は、「願い事を叶えてくれる象徴」とされています。

 

 



(秋の例大祭)

 毎年10月第1日曜日に開催される有松天満社の秋季大祭「有松山車まつり」。まつり全体が名古屋市の無形民俗文化財に指定されており、豪華絢爛な山車3輌(「布袋車」「唐子車」「神功皇后車」)が有松東海道を曳行します。

 迫力ある山車の方向転換、山車の上でくりひろげられるからくり人形の演技はこのまつりのみどころとなっています。夜には3輌の山車に200個の提灯が灯され、幻想的な雰囲気の中、街道を巡行します。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

  愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山にある、成海神社(なるみ神社)です。

 





 成海神社は、朱鳥元年(686年)、草薙神剣が熱田に還座された時に、日本武尊の縁由により鎮座されたと伝えられています。

 

 日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神に祀り、妃神の宮簀媛命(みやずひめのみこと)とその兄神である建稲種命(たけいなだねのみこと)を配祀されています。

 

 かつては、熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」とも呼ばれ親しまれてきました。

 





 絵馬は、寅年の開運招福の干支絵馬です。

 







(由緒・旧跡)

 朱鳥元年(686年)、成海神社の創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座しておりました。

 中世の東海道では、熱田神宮から鳴海までの区間は鳴海潟と呼ばれる干潟があり、満潮時には海となる地形でした。

 天神社には、日本武尊が鳴海潟で詠まれたという御歌が残っています。

 

「鳴海浦を 見やれば遠し 火高地に この夕潮に 渡らへむかも」(熱田大神縁起より)

 

 御歌にある「火高(現在の大高)」とは尾張国造城館の所在地で、日本武尊の后である宮簀媛命が住んでおられました。東征からの帰還の際に、日本武尊は鳴海潟(現在の鳴海駅北)から対岸の火高丘陵まで船で渡ったことが伺えます。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 三重県桑名市矢田にある、玉三稲荷神社(たまみついなりじんじゃ)です。





 江戸時代末期、松平定永公が白河藩(現福島県)より桑名藩へ国替えされた際に、家臣であった初代が御分霊を授かり、神社を建立したのが始まりといわれます。

 

 玉三稲荷神社は「おいなりさん」の総本宮として有名な京都府の伏見稲荷大社の桑名支部(日本に現存する最古の支部)でもあります。

 

 御祭神には、「玉三稲荷大神」・「清龍大神」をお祀りされています。また、末社として、「金山稲荷大神」・「長福稲荷大神」が祀られています。

 



 絵馬は、寅年の開運干支絵馬です。

 





(白蛇石)

 神社の神宝である「白蛇石(はくじゃのいし)」は、二匹の白蛇がお互いの尻尾で結び合い、顔を向かい合わせて巻き付いているように見えます。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 



 今回登場する絵馬は、株式会社コナミデジタルエンタテインメント社が作成された「賀茂神社」の絵馬ですが、どちらに所在する賀茂神社なのか失念しております。

 

 キーワードとなる御朱印「賀茂神社」のデザインに繋がるものがなく、ご存じの方がお見えでしたらコメントを寄せていただければありがたいです。

 

 賀茂神社で真っ先に思い浮かべるのは、京都府京都市にある「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」と「賀茂御祖神社(下鴨神社)」の二社。

 いずれも古代の賀茂県主氏の氏神を祀る神社ですが、この賀茂神社から勧請を受けた、「賀茂神社」、「加茂神社」、「鴨神社」などといった神社は日本各地に約300社ほどあるとのことです。

 

 描かれているかわいい巫女さん達。その役割に応じて次の5種類に分類されるそうです。

 

 「朝廷の巫(かんなぎ)」

 古代巫女の中で、朝廷に仕え、祈祷や神霊の憑依により神託を受け、人々に伝える役目を持っていた巫女です。祈祷には儀式的な要素が強く、現在でも「新嘗祭」など宮中で行われている儀式もあります。

 

  「口寄せ系巫女」

 口寄せとは「死人の口となる」ことで、憑依により祖霊の言葉や神託、呪術などを行なっていました。朝廷の巫とは違い、権力とは距離をおき生業として能力を使っていた巫女です。

 

  「渡り巫女」

 神社には所属せず、全国各地を周り、祈祷や勧進を行なっていた巫女です。遊女の一面も持ち、舞や芸を披露して金銭を得ていました。

 

 「本職巫女」

 現代に存在する、仕事として神社に勤務する巫女です。神社の雑務や神職の補助、巫女舞の披露などが主な仕事になります。

 

 「助勤巫女」

 神社での繁忙期に採用されるアルバイトの巫女です。学生アルバイトの他に、神職養成機関の研修としても採用されることがあり、本職巫女とは千早の色で区別されていることが多いようです。