資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 愛知県名古屋市西区上小田井1丁目にある、星神社(ほしじんじゃ)です。

 






 星神社の創建は、885年~889年(仁和年中)この地に住んでいた大江音人の子孫が、社を建立したのが始まりと伝えられています。

 

 主祭神に、 大己貴命(おおなむちのみこと)
 合祀神に、

 「天香香背男神(あまのかがせおのかみ)」

 「牽牛星(けんぎゅうせい)」

 「織女星(しょくじょせい)」

をお祀りされており、

 縁結び、夫婦円満、子宝、安産、厄除け、病気平癒、眼病平癒などにご利益があるとされています。

 





 絵馬は、「星絵馬」、「縁結び絵馬」と「願掛け絵馬」の3題です。



(神社に伝わる七夕伝説です)

 『その昔、小田井村(おたいむら)(現在の西区上小田井あたり)に一人の若者が暮らしていました。そして、その若者は田幡村(たばたむら)(現在の北区金城町(きんじょうちょう)あたり)に住む娘と出会い、恋に落ちたのです。

 

 恋に落ちた二人は、その後も逢瀬(おうせ)を重ね、その日も再会を誓い合っていました。

 

 しかし、約束の日、村はまれにみる大雨で、いつもの「稲生(いのう)の渡(わた)し舟」は使えないので泳いで渡るしかありません。

 しかし、庄内川は今にも堤防(ていぼう)が決壊(けっかい)しそうなほど増水(ぞうすい)していて、とても泳いで渡ることなど出来そうに無い状態(じょうたい)でした。

 

 若者はとても悩みました。「娘はきっと自分を待っている。」意(い)を決した若者は、庄内川に飛び込みました。普段(ふだん)は緩やかな流れをたたえる庄内川も、その時ばかりは龍(りゅう)が暴(あば)れるがごとくの激流(げきりゅう)。「自分を待つ娘のところに行きたい。」その一心で、必死(ひっし)に泳いで渡ろうとしたのです。

 

 水の勢いは増すばかり。その流に抗(あらが)い、必死で娘のもとへ向かう若者。しかし、若者は力尽き、ついに濁流(だくりゅう)に飲まれてしまい、娘のもとへたどり着くことは出来ませんでした。

 数日後、娘に届いたのは枇杷島(びわじま)(小田井村の下流の村)あたりに若い男の水死体があがったという悲しい知らせでした。

 

  娘は悲しみに暮れました。そして、傷心(しょうしん)のあまり、庄内川に身を投げてしまったのです。

 天に上る星となってお互いを見つめ輝きあう二人。村人たちは、牽牛星(けんぎゅうせい)は小田井村(おたいむら)の若者、織女星(しょくじょせい)は田幡村(たばたむら)の娘だと思ったそうです。』

 

 庄内川を天の川にみたてたこのような悲しい七夕伝説(たなばたでんせつ)が残っています。

 写真は、資料館階段途中に展示中の「伊勢暦(いせごよみ)」です。

 




 昔も今もカレンダー=暦は日常生活の必需品です。

 



 伊勢暦は、江戸時代の代表的な暦の一つで、伊勢神宮の神官の藤波(ふじなみ)家が刊行した細長い折本の暦です。

 



 御師(おし)がお正月前の御札(御祓大麻:おはらいたいま)配りに持参するお土産の一つとして「伊勢暦」が大変喜ばれていました。お土産として配っていたことから「賦暦(くばりごよみ)」とも呼ばれて、「伊勢といえば暦、暦といえば伊勢」といわれるほど伊勢暦は全国各地で重宝されました。

 

 伊勢暦には、農作業などに必要な八十八夜(種まきの時期)や二百十日(稲の開花時期)など他の暦に載っていない役立つ暦註が記されていたことから重宝されました。

 

(伊勢暦を配っていた御師とは)



 全国に伊勢信仰が広がる中で、大きな功績があったのが御師と称される人々です。御師は様々な願い事を神様に取り次ぐことを職務とし、仏教寺院の師檀関係にならって全国に担当の地区を設け、檀家を持ちました。

 毎年檀家に赴いてはお神札の頒布と祈祷を行い、檀家がお伊勢参りに来た際には、自らの邸内に宿泊させて両宮の参拝案内をし御神楽を行いました。

 江戸時代には二千人あまりの御師が活躍し、その館も外宮方面だけでも六百軒あったともいわれています。

 写真は、「手回し洗濯機(KAMOME HOME WASHER)」です。

 




 「カモメホーム洗濯機」という名称で販売されましたが、蓋を開けるときにポンと音がするので「ポン洗濯機」とか、ソ連の人工衛星「スプートニク1号」に似ていたので「スプートニク型」とも呼ばれました。

 

 アルミ製の球体の中に洗濯物と洗剤を入れ、お湯を入れ、蓋を閉めてハンドルを10~20秒回し混ぜ合わせると、お湯で暖まった空気が膨張して気圧が上がり、繊維の中まで洗剤が浸透します。

 

 蓋を開け一気に空気が入り込むと、洗濯物の繊維の奥に洗剤が入り込み汚れを落とします。

 

 その後 洗濯物を取り出しすすぎ 干します。一度でワイシャツが3枚ほど洗濯できます。

 

 昭和32年(1957年)に発売されましたが、電気洗濯機の普及により10年程で姿を消すことになります。

三巴(みつどもえ)

 片方の羽をくっつけたまま、ぐるぐる追い掛ける三羽の鶴が、三巴の紋と重なる印象です。

 

【狂歌】

悋気(りんき)から 輪廻(りんえ)の廻る三巴 我を祭らん 宇治の橋姫

 

〈注〉

悋気…嫉妬の意味。

輪廻…りんねとも読み、仏教では迷いの世界で生死を繰り返すことを言う。

転じて、同じ事を繰り返すことや、執念深くすることの意味にも用いられる。

三巴…三つのものが対立して絡みあうことで、この場合三角関係を指す。

橋姫…橋を守る女神のことで、京都の

宇治橋の下にいると言う女神が有名で、宇治に住む女性に擬して言う事が多い。

「さ筵(むしろ)に衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(古今和歌集)が本歌。

さ筵…狭筵と書き、狭いむしろまたは短いむしろの事。








 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 愛知県江南市北野町天神にある、北野天神社 (きたのてんじんじゃ)です。

 





 承応3年(1654年)に創建された北野天神社は、名鉄犬山線「江南駅」から東へ徒歩3分程の所にあります。

 学問の神「菅原道真公」が祀られており、入学試験を控えた多くの受験生や、学力の向上に励む学生など多くの方が参拝に訪れ、1月中旬には筆まつりが開催されます。

 「北野天神社筆まつり」は、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る同神社の伝統行事です。この祭りは地域活性化を目的に1964年から始まりました。

 




 写真は祭りの見どころ「大筆奉納行列」です。長さ約4メートル、重さ50キログラムもの巨大な筆が御所車に載せられ、中央公園から北野天神社まで引き回されます。

 



 絵馬には、御所車に載せられた大筆のイラストに「学びの守り神」と描かれています。