龍膽車(りんどうくるま)

 龍膽車と言う家紋自体、を指すのか、その昔家紋を牛車に付けたと言うところからくる、車輪を指すのかわかりませんが、円形を成す出来上がりは大変面白い作品です。

 

【狂歌】

忍ぶてふ 龍膽車くるくると 寝屋のあたりを 行きつ戻りつ

 

〈注〉

てふ…「…という」の意味

「龍膽」は「竜胆」とも書くリンドウ科の多年草。











 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 奈良県宇陀市菟田野古市場にある、宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)です。

 




 宇太水分神社は、第十代崇神天皇の勅祭と伝えられており、古くから、水のまもり神として信仰を集めてきました。

 

 緑濃い木立の中に、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)の水分三座が祀られています。

 

 社伝では、崇神天皇の時代にはじまるといわれ、縁起では、崇神天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝わります。

 

 鎌倉時代に建造された本殿は国宝の指定を受けており、平成16年には造営事業により、見事な彩色の復原が行われました。 

 





 絵馬は、丑年の開運干支絵馬です。

 






 例大祭(神輿渡御祭、みくまり祭り)は、毎年10月第3日曜日に執り行われます。重さ1トンを超える太鼓台を、百数十人が担いで練り歩きます。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 




 三重県四日市市富田一色町にある、飛鳥神社(あすかじんじゃ)です。

 

 奈良時代 天平14年(742年)8月18日 富田一色村の漁師が千手観音像を網で引き上げた事がきっかけで創建された神社と伝わります。

 

 ご祭神には、

 八重事代主命

 建御名方命

 大山祇命

 厳島姫命

をお祀りされています。

 




 毎年8月15日の午後1時より、富田一色飛鳥神社の前の富田一色広小路町の広小路大通りを中心に開催、喧嘩祭と呼ばれる大念仏・富田一色けんか祭が開催されます。

 

 けんか祭は「やーそれ やーそれ」の威勢の良い掛け声と共に、鉦の太鼓を担いだ白装束の若者たちが、激しいぶつかり合う喧嘩行事です。

 町内19町が北・中・南に分かれ、直径1m、重さ100kgの鉦と長さ1m、直径60cmの太鼓を担いで神社に競い合って練りこみます。

 



 絵馬は、カラフルな配色の社名のみの絵馬です。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある、吉野神宮(よしのじんぐう)です。




 明治22年(1889)、明治天皇により創建されました。



明治天皇

 社殿は昭和7年(1932)の改築で、本殿、拝殿などは全て檜造りで、近代神社建築の代表 作として高く評価されています。また、建物は後醍醐天皇の思いを汲み取り、すべて北向き(京都向き)に造られています。


 絵馬は、神紋の「抱葉菊」を描いた丸型絵馬です。

 吉野神宮は、開運招福、学業成就、縁結び、厄除けにご神徳があるところとされています。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

  兵庫県神戸市須磨区天神町2丁目にある、綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)です。

 




 全国一万社ある天満宮の二十五霊社のひとつとして歴史が古く、由緒ある天神さま。春の頃には、きれいな梅が咲き、合格祈願、学業成就を願う人々で賑わい七五三の頃には、ご家族連れで境内は一段とにぎわいます。

 

 綱敷天満宮は、その昔、菅原道真公が九州に渡るおり、須磨の浦に立ち寄り、須磨の漁師が造った大網の円座で休憩したと言われ、それにちなみ、菅原道真公の死後この地に創建されました。 

 




 絵馬は、菅原道真の幼少期を描いた祈願絵馬とサーフボード型の波乗り祈願絵馬の2題です。

 

 「波乗り祈願」とは、成功を収めるために、うまく時流の波に乗ることを祈願するものです。決して自分本位な行動をとるのではなく、時を読み、流れに逆らわず、自らの平衡感覚によって状況に適応していくことが、人間が生きていく上で大切だと思います。

 



 綱敷天満宮の近くには、古くから風光明媚な景勝地として親しまれている須磨の浦があります。 今も、夏になれば、須磨海岸には、多くの若者や家族が訪れ、賑わいます。この像は、時代の荒波に乗り、一人でも多くの方々が幸せになることを願い、須磨の海でサーフボードを抱える幼少時代の菅原道真公をモチーフに制作、建立されました。