小さな悟りを求めて -23ページ目

011] あなた一体だれなんです?

※先行公開、続けます。

あなた一体だれなんです?
ええあなたのことですよ

そうやって両手のひらを目の前にかざして
次には裏返して両手の甲を見て
自分はだれだろうと思っている
あなたのことですよ

何年に生まれたとかどこで生まれたとか
どこで育ったとか今なにをしてるとか
そういうことを聞いてるんじゃ
ありませんよ

あなたがそうやって見ている両方の手は
確かにあなたのものでしょう

あなたの体があなたのものであることは
どうやら間違いなさそうだ

だからといって
その体があなた
というわけじゃ
ありませんよね

その体の上に宿っている
意識の働きがあなた
なのですか

体というハードウェアの
上で機能している心という
ソフトウェアがあなた
なのですか

眠りにつけば消えてしまう
起きているときの不安定な
頼りない意識があなた
なのですか

思えばあなたは自分が
何者かなどということは今まで
考えてみたこともなかったので
自分という定義不可能な存在を
実のところ存在するかも分からない架空の虚在を
自分だと思い込んでいる
それだけのことです

だからあなたは今になって自分が
非在の虚構の夢まぼろし
であると気づいても
特に驚くこともなく

ああそうだ私は
夢見る蝶だった

大した感慨もなくそのことを
想い出すのです

そして瞬く間に自分の本質を
忘れて
いつか林道で見た
舞い飛ぶ
ミヤマカラスアゲハこそが自分なのだと
ないものねだりの高望みをするのです

いいでしょうあなたはとにかくも
この大地の上に降り立ち
その風の中を飛び回り
あの水の流れとともに
百三十八億年の旅路の果てに

その身に宿り
その身をやつし
その身をやがて
離れるときを

しずかに待ち侘び
かすかに打ち震え
さやかに満ち光る

ああそのあなたは一体だれなのかと
柄にもない冗談めいた質問で
つまらぬ手間をおかけいたしまして
まことに申しわけのないことでございます

あなたという万華鏡に
映し出されるこの世界は
そうですあなたの想いのまま

いくらでも高みをのぞみ
地獄の底までも駆け登って
ついには暗黒の太陽に灼きつくされてこそ

あなたは世界を夢に見る
あなたは世界に夢見られる
世界という世界の
夢の中の夢
そのものになって

永遠の命を
絶対三度の
輝きの元で

現れては消え
寄せては返し
溶けては凍り
歌っては踊り

ただただ
続けるだけなのです
まだまだ
続けるだけなのです

この世が終わるそのときまで
いつまでも
次の世が始まるその場所まで
どこまでも

[010] だらだら続けるより、すぱっと切ったほうがいいときもある。

※先行公開です。

☆10日め

毎日、惰性で生きてませんか?

悪い習慣だと分かっていてもやめられないこと、いっぱいありませんか?

現状を抜け出したいと思ってるのに、どうしてもその一歩が踏み出せない……。そんなこと、経験してませんか?

思い切って一歩を踏み出せば、今までできないと思ってたことが、実は「単なる思い込み」だったんだなって、気づいたりするもんなんですよ。

三十代半ばの頃にこんな経験をしました。

若い友だちが、大分の耶馬渓にボランティアがてら遊びに行くというので、現地集合でぼくも参加しました。

青春18切符でえっちらおっちら東京から大分の中津まで行って、駅からはお世話になる養鶏農家のおじさんの軽トラに乗りました。

作業着に身を包んだ気さくなおじさんの、生活感溢れる雰囲気を今もよく覚えています。

手伝いは草刈りのほかに何をきたのか、すっかり忘れてしまいましたが、ある日の午後、子どもたちを川遊びに連れていってくれと頼まれて、河原まで数人の子どもと一緒に行きました。

子どもらは勝手に遊んでるので、ぼくはぶらぶらとその様子を見ていたのですが、ちょうど川の上に車道の橋がかかっていて、3 - 4 メートルくらいの丁度いい飛び込み台として、子どもの遊び場になってるんですよ。

で、その上から下を見下ろしてたら、小学校高学年の悪ガキがやってきて「怖くてここから飛べないだろう!」とか囃すんですわ。

こっちはいい歳をした大人のつもりなので、そんな挑発には乗らないよー、という感じで涼しい顔をして、橋から河原に降りて行きかけたんですが、そのときはっと閃いたんですよね。

「そうか、あえて飛び込んでみてもいいんだな」って。

うちの兄貴は子どもの頃に、水泳用のプールで飛び込みをしてたんですが、ぼくはちょっと怖くて、やろうと思ったことはありませんでした。

でも今はもう大人なんですから、少しばかり怖いと思っても、子どもたちが普通にやってることをできないわけがないんです。

考え出せば体の大きさも違うし、底が浅くて足を打ったらやだなとか、いろいろ言い訳は出てくるわけですが、細かいことは忘れて、とにかく飛んじゃえばいいだけのことで。

それで、パンツ一丁になってガードレールを乗り越えて、水面を見下ろしました。高いなー、とは思いましたが、考えても仕方ありませんから、あとは飛ぶだけです。

飛んでしまえばあとは一瞬のことで、ひゅーっ、ざぶーーーんっ、でおしまいです。

文章にしちゃえば、そらだけのことなんですが、これを書いていて、そのときの記憶が体に蘇ってきて、アドレナリンが分泌して体が熱くなり、ちょっと腰に緊張がきてます。

この「小さな思い切り」が、ぼくにとっては大切な経験となってるってことでして。

怖いなとか、嫌だなとか、あるいはファンだなとか思うことって、生きてれば無数にありますよね。

でもそれを思い切ったやることで、人生は変わっていくんです。

何も大きいことじゃなくていい。

あなたが今までネット上で文章を公開したことがないのなら、思い切ってそれをやってみる。

楽器がやりたいなとか、絵が描きたいなとか思っていたら、うまくできるかなんて心配せずに、とにかくできる範囲でやってみる。

逆に今までやってきた悪い癖をやめる、というやり方もあります。

酒が、タバコがやめたいけどやめられない。

そしたらまず、一日やめてみたらいいんです。

一日やめてみて「いいな」と思ったら、もう一日やめてみたらいい。

それが続けば、酒ともタバコともおさらばできるんだし、もしまた手にしてしまったとしても、それはそれでいい。

今はやめる時期じゃなかった、というだけのことです。

あるいは、今の会社をやめたいと思ってる。でも次のステップが見えないから、やめられない。

きちんとステップが見えてからやめられれば、そのほうがいいとは思いますが、人によってタイプがあるんですよね。

ぼくは次のステップなんて考えられない人間だから、大卒後に就職した会社は、二年足らずであと先考えずにやめました。

それ以来常勤で勤めたことはなく、人並みの稼ぎはありませんが、生きるのに困ったことは幸いありません。

  *  *  *

この記事はヤヤナギさんのこちら
https://note.com/yanagingin/n/nfcd5ce5b1529
の企画に参加して、100日連続投稿を目指して書いているのですが、この10日め(その前の途切れちゃった分を合わせても2週間)をもって、無理な連続投稿は終了することにします。

三日坊主こそ避けられましたが、「100日続けるぞー」と言ったわりには情けないですよね(笑)。

もともと「連続」に意味があるとは思ってない人間だし、それが不得手なのは百も承知で、でも人さまの企画に乗っかるという形の枠組みがあればひょっとして、と思いながら走り出してはみました。

でも、どうしても自転車操業感が拭えず、毎日冷や汗をかきながら文章を書いている始末で、これは切りのいいところでさっさと撤退宣言をしようという気持ちになりました。

「菜根譚」という中国の人生哲学の書がありまして、
https://amzn.to/3h3Z4Xa
「歩を進めるときには、退くときのことを考えよ」
という言葉が乗っています。

座右の銘といってもいいくらい気に入っている言葉で、この100日連続投稿を始めるにあたっても、この言葉を思い出していました。

無理をして続けたり、惰性でだらだらと続けたりするよりは、思い切ってすぱっと断ち切ってしまったほうがよいことが、世の中にはたくさんあります。

みなさんが、悪い癖を一刀両断に絶ち切る決断と、新しい一歩をためらわずに踏み出す勇気を持てますようにお祈りして、この小文を閉じたいと思います。

てなことで、それではみなさんナマステジーっ♬

[009] ゆったりと生きよう。あるいは、今日も瞑想の話。

明日のnote用の記事、推敲前ですが、こちらで先行公開します!

---

☆9日め

努力とか、我慢とかが、苦手な人間です。

そのクセ、10日間の瞑想合宿コースに行って、朝から晩まで座ってるんだから、まったく自己矛盾してるな、と思います。

でも、人生に矛盾はつきもの。

というか、矛盾する複数の欲求の間で、どうバランスを取るかで人生の進路が決まってするんですよね。

こちらの記事にも書きましたが、ぼくの人生のバランスの取り方は、よく言えば「流れにまかす」、悪く言えば「投げやり」です。

https://note.com/tosibuu/n/ne1b23c477b87

ですから基本的に「努力なんかせずに、ゆったりと生きたい」と虫のいいことを考えているわけです。

でも「嫌なことを避けて、好きなことだけやる」なんてことは、できるわけないんですよね。これは、絶対といっていいくらいの話で。

瞑想をするようになって、これが分かってきたのは大きな収穫です。

「嫌なことを避けようとしても、避けきることはできない」、「好きなことだけしていようとしても、いつまでも続けられるものではない」というこの2つのことが、人生における苦しみの原因なんだと、仏教では考えます。

だから、しんどいことでもするべきことにはきちんと向き合ってしたほうがいいし、いくら好きなことでも、そればっかりしようとするんじゃなくて限度をわきまえたほうがいい。

当たり前のことですよね。

当たり前のことではあるんだけど、これを実行するとなるとやっぱりバランスの取り方が難しい。

今の世の中で「しんどいことでも我慢してやらなきゃ」なんて迂闊に思ったら、ブラック企業にこき使われて過労死しかねません。

お釈迦さまは別に、ブラック企業の味方をして、嫌なことにも向き合うように言ってるわけじゃない。

仏教は、きちんと理性を働かせて物事の善悪を見分けるように教えていますから、企業の体質に問題があれば、それを見極めて、喧嘩をすることなく冷静に対処すればよいのです。

この冷静に対処するというのがまた難しいわけですが。

ぼくの場合は「逃げるが勝ち」の人生で、働くのが嫌いだから、なるべく働かないで済むように生きてきました。

働かないと収入が減りますから、余計な支出は削ります。

ぼくの生活水準ははっきり言ってしまうと生活保護以外です。
(このご時世でそういう方も少なくないとは存じます)

でも「人並み」という基準を捨ててしまえば、お金がない人生でもそれはそれで楽しく生きられるし、しんどいことがあっても、それは自分で選んだ道だから仕方がありません。

ここで、
「努力なんかせずに、ゆったりと生きたい」
という話に戻ると、これは考え方次第では虫のいい話にもなりますが、
「世間並みの努力はせずに、ゆったりということに執着せずに、落ち着いた暮らしを生きる」
と言い換えてみれば、仏教的な世界観にもあった「足るを知る」生き方と考えることもできるわけです。

ぼくの場合、世間並みの努力をしないのはいいとして、奥さんとの共同生活が円滑に回るように「するべきことをきちんとする」ようにしなきゃな、と思いますし、安楽な暮らしばかり追い求めず「困難なことにも向き合う」ことが必要だと、自己分析はしています。

今までの人生で染みついた習慣は、簡単に変わるものではありませんが、瞑想の力も借りて少しずつでも変わっていきたいな、と思っている今日この頃なのでした。

てなことで、それではみなさんナマステジーっ♬

悟りへ至る道。

悟りへ至る道。
---
[008]  マインドフルネスで文章力を養う。あるいは、ぼくの解脱ゲーム。|としべえ2.0β @tosibee #note https://note.com/tosibuu/n/n946985c60ff8

音楽って、本当に素晴らしいですよね。

音楽って、本当に素晴らしいですよね。
---
[007]  音楽の刺激。あるいは、デヴィッド・ボウイからフクシマへの連想ゲーム。|としべえ2.0β @tosibee #note https://note.com/tosibuu/n/n29f29501ff32

日本に投げ銭文化は根づくか?

日本に投げ銭文化は根づくか?
---
[005]  お金と気持ちのビミョーな関係。あるいは、サポートする喜び。|としべえ2.0β @tosibee #note https://note.com/tosibuu/n/nf1cf0213200e

ガンガーの流れに乗って。

ガンガーの流れに乗って。
---
[005] 人生の流れをつかめ、今ここで。あるいは、信じる気持ちと文章力。|としべえ2.0β @tosibee #note https://note.com/tosibuu/n/na2179ac33ba8

起き上がりこぼし的人生もまたよし。

何とか毎日書いてます。
---
[004] 人生に失敗はない。転んだら起きればいいだけ。|としべえ2.0β @tosibee #note https://note.com/tosibuu/n/nc5ede8e9cc3e

ハリドワル駅で用を足し。

ハリドワル駅でちょいと用を足し、近くの露店でチャイを飲んでます。

巡礼客がほとんどいないので、街は静かめですが、だいたい平常営業。

体調がすぐれず、気分も低空飛行気味なれど、まあぼちぼちやってます。


インドで右往左往。

流れのままか、投げやりか。それが問題だ。
---
[003] 投げやりでもいい、逞しく育ってほしい。あるいは、インドでなんとか生きてます。(七日め用)
https://note.com/tosibuu/n/ne1b23c477b87